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第1256回・揚輝荘(再訪)

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名古屋市千種区にある松坂屋創業者・伊藤次郎左衛門祐民の別邸「揚輝荘」を再訪した。現在も整備中であるこの邸宅については、弊ブログではこれまで5回にわたって取り上げている(第378回379回380回696回697回)が、今回は次の修復対象と思われる写真の建物「伴華楼(バンガロー)」について、その名前の由来など雑多に考えてみたことを記す。

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昭和12年(1937)竣工の山荘風迎賓館「聴松閣」
苑内に現存する主要な5棟(聴松閣・揚輝荘座敷・伴華楼・白雲橋・三賞亭)のうち、修復整備が完了しているのは現在、聴松閣1棟だけである。

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南庭園から望む「聴松閣」。修復後に庭園側から見たのは初めてである。修復前に見学した第380回記事の写真とも比較して頂きたい。なお、以前は非公開であった南庭園は現在、条件付きではあるが見学可能になっている。

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現在の松坂屋本店敷地にあった日本家屋を、大正8年(1919)に移築改修した揚輝荘座敷。老朽が甚だしいので近年応急的な修理が施されたとのことだが、米軍接収時など戦後の改造が多いせいか、本格的な修復整備はまだまだ先のようである。

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長い間荒廃が進んでいたが、往年の面影を取り戻しつつある南庭園。写真の左奥、土塀の前には伊藤次郎左衛門祐民が逝去の年(昭和15年)に移築し、揚輝荘最後の建物となった茶席「不老庵」があったが、戦後に失われている。

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「揚輝荘」敷地の最北端にある「伴華楼」。昭和4年(1929)、尾張徳川家別邸(現在の徳川園)にあった茶室付座敷に撞球室や書斎など洋室を増築したもので、手前の二階家は戦後の増改築による。一見すると二階家に見えるが、傾斜地に建っているため、上階の座敷部分が一階、下階の洋室部分は半地下になる。

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戦後に取り壊されてしまったが、伴華楼の南側には、同じく尾張徳川家から移築され、書院造の座敷の地下にバーカウンター付きダイニングルームを備えた「有芳軒」があり、聴松閣が建てられるまではこの2棟が揚輝荘の迎賓施設であった。(写真は聴松閣に展示されている戦前の揚輝荘を再現した模型。手前が有芳軒、奥が伴華楼。)

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遠目に見ると細長い日本家屋に小さな洋館を取り付けたような建物であるが、近くで見ると半地階である下階の正面には玉石積みの基壇を持つ洋風のベランダ、その奥には片開きの玄関ドアが設けられ、アメリカの郊外住宅を思わせる外観となっている。

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「バンガロー」と言えば、現在ではキャンプ場などにある簡易な宿泊用の小屋を意味するが、本来は傾斜の緩い屋根を載せ、ベランダを廻らせた外観を持つ平屋建の木造家屋の様式を指し、明治から昭和初期には本来の意味でのバンガロー、もしくはバンガロー風の洋風建築が多く建てられた。

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大正5年(1916)、澁澤榮一の自邸内に、喜寿の祝いとして清水組によって建てられた小亭「晩香廬」は、オーストラリアのバンガロー建築を日本に紹介した建築家である田辺淳吉の設計による。軒の深い緩やかな屋根とテラスを備え、諸説あるが「晩香廬」の名称も、伴華楼と同じく「バンガロウ」の当て字という説もある。

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東京の日比谷公園内にある旧公園事務所。明治43年(1910)に建てられたドイツ風のバンガローである。玄関は自然石を積み上げだ石段の上のベランダの中に設けられている。

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同じ名古屋を拠点に活動しながらも、伊藤次郎左衛門祐民とは犬猿の間柄であった実業家の福澤桃介が木曽谷に建てた「大洞山荘」も平屋ではないがバンガロー風の洋館である。正面にはベランダとテラスを張り出し、緩やかな大屋根、玉石で固めた玄関周りなど、伴華楼と共通する雰囲気を持つ。

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米国で20世紀初頭に建てられたバンガロー形式の郊外住宅の中には、映画「BACK TO THE FUTURE」のロケ地としても知られる、カリフォルニア州パサデナのギャンブル邸(1908)のように、張り出した2階部分を支える太い桁や木片をウロコ状に貼った壁面など、伴華楼と共通する意匠を持つ建物を見ることができる。

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設計者の鈴木禎次は、明治から昭和初期にかけて松坂屋の本支店の設計を手掛けており、大正14年にはアメリカの百貨店建築を調査するため渡米している。(→参考)伴華楼は鈴木が米国から帰朝した翌年の大正15年には起工しており、設計に際しアメリカの郊外住宅の様式を取り入れた可能性は考えられるのではないか。

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尾張徳川家から移築された上階座敷の茶室。
伴華楼にはこの茶室を含め、和室が5室あるが洋室も5室あり、外観と同様に内部も和洋折衷である。

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茶室から南縁側を望む。
縁側の欄干は東海地方で好まれる無双窓で、戸板をスライドすると市松模様が現れるようになっている。

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茶室に隣接する書斎は小さめの洋室であるが、茶室の土壁を思わせる色調の暖炉には由緒ある寺院等の古瓦をちりばめ、抹茶趣味の濃い意匠が目を引く。焚口の金物も古い茶釜を思わせる重厚な質感である。

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茶室の隣には次の間付きの客座敷となっているが、客座敷の奥にも小さな洋室がある。和風の天袋に欄間のステンドグラス、市松模様が施された寄木細工の床など、奇妙な和洋折衷が特徴である。

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通常は公開していないという北東の洋室も見学、撮影させて頂いた。流しがあることから、近年までは台所として使われていたという。網代張りの天井やクローゼットの扉が目を引くこの部屋は、位置や規模からして本来は一人用の寝室として作られたのかも知れない。

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上記の洋室の隣は階段室に面している。窓の下の腰壁は南縁側と同じく無双窓になっている。

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公開していない北側には洋室のほか、板の間と座敷2室が並び、紅い築地塀で囲われた小さな裏庭に面して縁側も設けられている。写真は板の間にある袖壁。また、縁側の突き当たりには二階建ての土蔵がある。

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下階にある応接室にもシンプルな意匠の暖炉が設けられている。焚口周りに貼られた渋い色調のタイルがいい。なお、隣接する撞球室は後年の改装のため往年の面影は薄れている。

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煙突や床、縁側の欄干など建物の随所に見られる市松模様。建物だけでなく、襖や障子の腰など建具にも市松模様が見られる。

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客座敷の奥にある洋室天井の照明台座。くすんでいるが、十字を描くタイルは金色と思われる。

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当地が月見の名所であったことに因む、餅を搗く兎の漆喰レリーフや、設計者(鈴木禎次)のイニシャルであるSとTを組み合わせたような意匠を持つクローゼットの扉など、細部に見どころの多い建物である。

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伴華楼はまだ整備前の段階で、多くの部屋はまだ後年の改造や老朽、その他雑然とした状況が目に付くが、修復整備が終われば雰囲気は大きく変わると思う。それが果たしていつになるのかは全く分からないが、修復後が楽しみである。
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第1255回・亀屋旅館

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亀屋旅館は、和歌山県の川湯温泉にある温泉旅館。本館の建物は昭和3年(1928)に建てられた木造2階建で、国の登録有形文化財になっている。平成30年(2018)8月の台風20号による豪雨で被災、休業したが、現在は復旧、営業を再開している。

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和歌山県田辺市本宮町にある川湯温泉は、奈良県との県境に近い位置にある山間の温泉である。熊野本宮大社にも近く、江戸時代より利用されていた歴史のある温泉地である。

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熊野川の支流である大塔川の川原を掘ると温泉が湧くのが特徴で、川の流量が減る冬場には、川を堰き止めて「仙人風呂」と称される巨大な露天風呂(湯気が立っている場所)が開かれることでも知られている。

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旅館や共同浴場は大塔川の左岸に並んでいるが、亀屋旅館はその中でも、戦前からの建物で営業を続けている旅館としては唯一と思われる。写真の奥に映っているのは戦後に増築された別館である。

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木造二階建の本館は、入母屋造の瓦屋根に一階には銅板葺の庇を深く張り出し、二階には全面に欄干を巡らせた外観が特徴である。

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本館には帳場と食事処などが置かれており、宿泊客用の客室は隣接の別館に設けられている。本館は平成20年(2008)には国の登録有形文化財に選定されている。

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平成30年(2018)8月の台風20号による豪雨では大塔川が氾濫し、川湯温泉は甚大な被害を被った。亀屋旅館も一階が天井近くまで浸水したという。

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一時は存続の危機に陥ったものの、クラウドファンディングによる復旧資金集めなどにより半年後には営業を再開、現在に至っている。写真は宿泊時(令和元年12月)の本館一階座敷。食事処として使われている部屋である。

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宿の方には聞きそびれたが、床脇の天袋、地袋に襖が無いのは浸水による被害の痕跡かも知れない。

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欄間には月を背景にコウモリが飛び交う意匠の彫刻が施されている。

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コウモリは、中国や朝鮮、或いは国内の一部では縁起の良い動物とされていることから、このような欄間飾りなどの意匠に取り入れられている例がたまに見られる。(埼玉県秩父市の「京亭」でも、板戸にコウモリの透かし彫りがある)

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一階座敷の縁側には足湯の設えがあった。

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近年は特に台風、地震など自然災害が頻発しており、歴史的な建物を取り巻く環境は極めて厳しい状況にあると言わざるを得ないが、亀屋旅館のような幸運な事例が多くあって欲しいものである。

亀屋旅館ホームページ

第1254回・旧中川家住宅

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和歌山県御坊市御坊にある旧中川家住宅は、山林業を営む中川家の居宅として昭和13年(1938)に建てられた。良材を多用した伝統的な意匠の和風住宅であるが、洋風の応接間を設けるなど間取りや設備に近代性が見られるのが特徴である。現在は一般公開すると共に、食事処やギャラリーに使うなど各種の活用が図られている。国の登録有形文化財。

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横町通りに面した正面。主屋と土蔵(西蔵)が並んで建っている。
旧中川家住宅が建っている場所は、御坊市の中心街で本願寺日高別院の北側に位置しており、周囲にはかつて寺内町として繁栄していた頃の面影を残す古い家屋を見ることができる。

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主屋は正面側から見ると平屋建であるが、背面の庭園側は一部二階建になっている。特に正面玄関の上、庇が何重にも重なる重厚な造形は当邸の大きな特色となっている。

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邸宅を築いた中川計三郎(1889~1969)氏は明治44年(1911)に独立して中川計三郎商店を開業、紀伊半島及び近畿、中国、四国の各地に山林を所有し、木材の生産を行っていた。なお、現在は中川木材産業(株)として大阪を拠点に盛業中である。

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事務所も兼ねたと思われる居宅は昭和40年代まで使用されていたが、その後長く空家となっていた。取り壊しも考えられたというが、幸いにして社会福祉法人和歌山県福祉事業団の所有となり、平成26年(2014)には改修工事が施され、国の有形文化財に登録された。

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現在は敷地内にあった農機具小屋を改装し、障碍者就労支援施設でもある食事処「なかがわ」を営業している。主屋や土蔵は一般公開すると共にギャラリーとしても活用されている。

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昭和12年(1937)に上棟、翌年に竣工した邸宅は山林業者の居宅にふさわしく良質の材木を多用して建てられており、柱などの材木は80年以上経っているとは思えない質感を保っている。

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玄関左手の横町通りに面した部屋は事務所として使われていたと思われ、カウンターが設けられた板張りの事務室になっている。

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事務室とは続き間になっている一段高い畳敷きの座敷は、事務所を訪れる来客の応接室として使われていたと思われる。

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応接室のさらに奥には上客を通すためか、洋風の応接間も設けられている。

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洋風応接間は暖炉を備え、ステンドグラスの入ったアーチ型の小窓や天井のシャンデリアなど、外観からは想像できない本格的な造りの洋室となっている。

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洋風応接間から横町通りに面した窓を望む。
暖炉の脇にはステンドグラスの入った小窓がある。

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横町通りから洋風応接間の窓を望む。
外観からは洋室の存在は全く分からない。

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玄関の奥には中庭が設えられており、中庭を挟む形で一方に洋風応接間、もう一方に主人居室及び仏間が設けられている。中庭には切支丹燈籠が配されている。

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中庭と主人居室及び仏間との間に設けられた畳廊下。突き当りは東蔵の蔵前。

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主人居室は床柱にも角材を配した端正な書院造の座敷となっている。

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主人居室とは続き間となっている仏間。

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この2室に面して南側(背面)には縁側が設けられ、小さな庭園に面している。

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東蔵の蔵前。敷地内に土蔵は2棟あり、玄関脇、台所などに近い位置にある西蔵とこの東蔵がある。配置からして西蔵は生活用品等の収納に使い、東蔵は貴重品等の保管に充てていたのではないだろうか。

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数寄屋風で日当たりのよい位置にある夫人室。茶室としても使われていたようだ。

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夫人室前の廊下窓に嵌め込まれた障子。
角を丸く取っており、建具にもさりげない趣向が凝らされていることが分かる。

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玄関脇、台所と隣接する茶の間。
日常生活の場であったと思われる部屋で、天井には採光用の天窓が設けられている。

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台所は昭和13年当時の最新式設備が取り入れられていたらしく、地元の女学校からは生徒達が見学に来たという。造り付けの戸棚の一角は隣の茶の間とつながっており、配膳口と思われる。

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洗面台。

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二階には数寄屋趣味を加味した造りの客座敷が2室あるが、原則非公開となっている。階段室腰壁の欄干状の装飾が面白い。

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南側(背面)から望む主屋。

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御坊でも指折りの重厚な造りで「日高御殿」と称されたこの邸宅には、敗戦直後の首相としても知られる東久邇宮稔彦王、和歌山出身の博物学者である南方熊楠などの著名人も逗留したという。

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和歌山県内に残る質の高い昭和初期の和風建築として見どころの多い建物である。
なお、以前紹介した「アメリカ村」の洋風住宅がある美浜町三尾は、御坊市街から車で20分程度の位置にある。

新年の御挨拶

弊ブログご訪問の皆様

あけましておめでとうございます。本年も宜しくお願い申し上げます。 

令和2年 元旦

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年末の御挨拶(平成三十一年 ~ 令和元年を振り返る)

本年も残すところあと1日となりましたが、年末の御挨拶とさせて頂きます。
御訪問頂きました皆様には心より御礼申し上げます。

【平成三十一年 ~ 令和元年を振り返る】
今年訪問し、記事を投稿した主な建物。(建物名称をクリックすると当該記事にリンクします)

第1203回・紀州美浜のアメリカ村 (平成31年1月24日投稿)
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第1204回・旧白石和太郎邸洋館 (平成31年1月27日投稿)
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第1214回・鈴木家住宅(丹徳庭園) (平成31年3月17日投稿)
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第1217回・旧直江津銀行 (平成31年4月29日投稿)
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第1220回・旧伊藤博文邸 (令和元年5月11日投稿)
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第1221回・上野ビル(旧三菱合資會社若松支店)  (令和元年5月14日投稿)
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第1226回・旧鹿児島監獄正門 (令和元年6月6日投稿)
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第1237回・旧堀辰雄山荘 (令和元年7月27日投稿)
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第1239回・旧加悦町役場庁舎 (令和元年8月18日投稿)
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第1246回・旧有島生馬邸(有島生馬記念館) (令和元年10月5日投稿)
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第1252回・旧山本家住宅(再訪その2) (令和元年11月24日投稿)
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第1253回・旧武藤山治邸(再訪) (令和元年12月23日投稿) 
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どうぞ来年も弊ブログを宜しくお願い申し上げます。
良いお年をお迎えください。
プロフィール

syoukou

Author:syoukou
(ブログについて)
現存する近代日本の歴史的遺産(台湾など旧日本領土も含む)を建造物・土木構造物を中心に、思いつくままに取り上げております。

(写真について)
写真は特記しない限り管理人の撮影です。また絵葉書等の古写真は管理人の所蔵品、もしくは訪問先の展示品を撮影したものです。利用・転載等希望される場合は管理人まで御連絡頂けると幸いです。

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