記事更新のお知らせ

いつも弊ブログを御訪問頂き、ありがとうございます。
初期の記事のうち、下記2件について写真の大幅追加・差替を行うなど、全面的に更新致しました。
もしよろしければご覧頂けると幸いです。

第79回・川奈ホテル

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第61回・旧志賀高原ホテル(志賀高原歴史記念館)

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第1076回・川奈ホテル田舎家

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以前弊ブログにて紹介した静岡県伊東市川奈の川奈ホテルは、スパニッシュ風外観に英国風のインテリアを備えた純洋風のリゾートホテルであるが、昭和11年(1936)の開業に際して同時に設けられた和風の離れ家がある。江戸時代の古民家を移築改装したもので、本館と共に国の登録有形文化財である。

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昭和11年(1936)竣工の川奈ホテル本館。写真左側がサンパーラー、右側が大食堂(地階にはグリル)のある棟。設計は国指定重要文化財の日本橋高島屋旧前田侯爵邸の設計で知られる高橋貞太郎による。川奈ホテル本館についての詳細は弊ブログ記事を御参照頂きたい。(本記事投稿に合わせて内容を全面的に更新した)

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田舎家は大食堂から少し離れた木立の中に建っている。御殿場にあった江戸時代中期の建築と伝わる木造平屋建て、茅葺屋根の古民家を、数寄屋建築を得意とした建築家で茶人でもあった仰木魯堂(1863~1941)の手によって移築改造したものである。

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同じ御殿場の古民家を昭和初期に移築改修したものとして、これも以前弊ブログにて紹介した旧秩父宮御殿場御別邸(旧井上準之助別荘)がある。同じ地域の建物であるためか、屋根の形状等に類似性が見られる。

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開業当初はここで外国人客にすき焼きのサービスを行ったりしていたようだが、現在でも予約制の食事処としてすき焼きや天ぷら等の和食を供している。

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屋内は土間と座敷で構成されている。
間取りは移築に際し改造されているが、天井の梁や柱の配置などは古い形を残しているとされる。

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土間の天井。

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片隅に設けられたかまど。

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床には木煉瓦を敷き詰めている。

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土間は椅子式の客席となっており、カウンターと囲炉裏の2種類の席が用意されている。

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畳敷きの座敷席。奥には床の間付きの座敷もある。

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当時、富裕層の間では古民家を移築改造して離れや茶室、別荘として用いるのがちょっとした流行となっており、川奈ホテル田舎家もその延長にあるものと考えられる。

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弊ブログで以前紹介した古民家を利用した近代の別荘や茶室の例として、上述の秩父宮御別邸や強羅の白雲洞茶苑、軽井沢の三五荘などがある。

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また、ホテル開業に際しては外国人観光客を主たる利用者として想定したであろうことを考えると、日本情緒を醸し出すこの手の施設は必須でもあったと考えられる。

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本館の重厚な英国風の大広間や談話室、モダンなサンパーラーなどとはまた異なる趣を有する田舎家は、川奈ホテルの建築的魅力に一層の厚みと深みを加える存在となっている。

第1075回・石井酒造

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埼玉県幸手市南2丁目にある石井酒造(株)は、江戸時代末期創業の歴史をもつ蔵元。店舗の裏手には、関東地方に多く見られる出桁造の伝統的な造りの商家にタイル貼りの洋館を敷設した居宅が残されている。

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スーパーとゴルフ練習場に囲まれて建っている、石井酒造の店舗及び酒蔵と居宅。店舗と酒蔵は新しくなっているが、昭和初期のものと思われる居宅は古い佇まいを残している。

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埼玉県では以前当ブログで紹介した、秩父の秩父菊水酒造や廃業した旧近藤酒造など、大消費地である江戸に近く街道が発達していた地の利を活かし、多くの酒蔵が存在していた。

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そのため、埼玉を「東灘(あずまなだ)」と称することもあったという。石井酒造も埼玉における古い酒蔵のひとつで、幕末に当たる天保11年(1840)の創業である。

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梁または腕木を突出して側柱面より外に桁を出した構造の出桁造(だしげたづくり)は、重厚な外観が特徴で関東地方の古い商家に多く見られる。

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かつてはこの建物が店舗として使われていたものと思われるが、現在は前方に建てられた新しい建物が販売所となっているようである。(隣接するスーパーでも売っている)

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石井酒造のように伝統的な造りの商家に洋館を併置する事例は珍しい。

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洋館の屋根は、同じ埼玉県下の深谷市に保存されている同時期の建造物である「清風亭」と同様、深みのある青緑色を持ったスペイン瓦で葺かれている。色ムラの多い屋根瓦は創建当初からのものと思われる。

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いくつかの異なる種類のタイルを用いて外壁に変化を与えている。このようにタイルで模様を描くのは玄関ホールの床面など室内装飾では多く見られるが、外壁の仕上げとして用いられるのは少し珍しいと思われる。

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主屋との境目に来客用と思われる玄関を配し、洋館の背後には接客用の書院座敷と思われる二階建ての日本家屋が連なっている。

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屋根は切妻から軒先、軒裏までが銅版で覆われた贅沢な造りである。

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酒も建物もぜひ後世に引き継いで頂きたいものである。

第1074回・旧生方家住宅

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群馬県沼田市西倉内町、沼田公園内にある旧生方(うぶかた)家住宅は、切妻造、妻入、板葺屋根の大型町家である。江戸時代中期(17世紀末)の創建と考えられており、東日本では最古の町家とされる。以前取り上げた旧土岐家住宅洋館と隣接する位置に移築、保存されている。国指定重要文化財。

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元々は沼田市中心街の上之町にあったが、昭和45年(1970)に国指定重要文化財となった後、沼田市が生方家から寄贈を受け現在地に移築された。移築に際しては建築当初の形態への復原が図られ、昭和48年(1973)に移築復原工事が完成した。

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移築前の姿。生方家は「かどふぢ(角藤)」の屋号で代々薬屋を営み、1階は移築前まで薬局の店舗として使われていた。右側の一部はアーチ窓が連なり洋風に改装されていたことが分かる。江戸中期から明治、大正を経て、昭和40年代半ばに至るまで、300年近く使われていたことになる。

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生方家は、江戸時代には沼田藩御用達の薬種商として沼田でも指折りの豪商であったという。写真は大正時代頃の生方家。まだ一階部分は洋風に改装されていないが、「PHARMACY(薬局)」と大書された横文字の看板が時代を感じさせる。

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戦時中の防空訓練の模様を写した珍しい写真。背後には生方家住宅(かどふぢ薬局)が写っている。一階の一部は洋風に改装されており、移築直前の姿とほぼ同じ形になっていることが分かる。

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沼田は群馬県と長野県の県境に近いためか、正面に大きな切妻を見せ、屋根の先端には雀おどしと呼ばれる棟飾りを置いた姿など、長野県下で多く見られる本棟造の民家に似ている。(軽井沢万平ホテルはこの本棟造を基調としている)

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正面には店舗として使われていた上店、下店の二間が並ぶ。

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下店に置かれている薬棚は移築直前の昭和40年代まで使われていたもので、棚のラベルには現在でも売られている市販薬の名前がいくつも記されていた。

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店の奥が炉を切った居住空間となっており、その横を敷地背後まで貫く形で「通り庭」と称される土間の通路が通っている。二階は使用人が寝起きするための空間で、梯子を使って出入りするようになっている。

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移築直前の内部。上記写真とほぼ同じ位置と思われる。旧宅を沼田市に寄贈した生方家は、当主の生方誠(せい 1894~1978)は、家業の薬局を営むほか、国家公安委員や沼田町長も務めた町の名士でかつ、芸術に造詣の深い文化人でもあった。また妻の生方たつゑ(1905~2000)も歌人として著名な人物である。

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それぞれ海外留学もしくは都会生活の経験を持つ生方夫妻は、新婚当初はこの古い家ではなく、沼田市内に建てた洋館の新居で生活していたようである。

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旧生方家住宅に併設された生方記念資料館では、生方夫妻の足跡や生活を知ることができるが、東京からの来客に洋菓子や洋食を振る舞うなど戦前の地方都市としては驚くほどハイカラな生活をしていたようだ。移築前は一部が洋風に改装されていたのもそのためかも知れない。

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移築に際しては江戸時代の創建当初の姿に戻されたため、その後の増改築が施された部分は失われているが、一部の装飾や建具などが土間や室内に保存展示されている。

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天井の小屋組み。

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二の間。

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床の間がある三の間。仏間として使われていたようだ。

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四の間。

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五の間。最も奥の部屋である。

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寒さの厳しい土地であるため窓は殆ど設けられていないが、閉鎖的な造りはそれだけではなく、嫁や使用人の逃亡防止のためでもあったとか。展示の説明文で「牢獄」と表現されていたのもむべなるかな、である。

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旧生方家住宅に隣接する旧土岐家住宅洋館は中心街に再移築されることになったが、旧生方家住宅は引き続き現地で保存されるのか、場所を移して保存されるのかは今のところ不明である。いずれにせよ生方記念資料館共々、沼田市の宝として有効に活かして頂きたいものである。

なお、本記事の古写真はいずれも、生方家住宅の館内もしくは併設の生方記念資料館の展示品であることをお断りしておく。

記事更新のお知らせ

いつも弊ブログを御訪問頂き、ありがとうございます。
初期の記事のうち、群馬県沼田市の旧土岐家住宅洋館(平成22年1月28日投稿分)についての写真及び本文を全面的に更新しました。(ブログ開始当初の記事についてはひととおり全面更新することを目指しております)

旧土岐家住宅洋館(第59回)

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ところでこの建物については以下のようなニュースが。
建物を中心街に再移築して利活用するのであれば、洋館を建てた土岐章子爵は「パンの殿様」と呼ばれた人なので、それに因んで洋館にパン屋さんでも併設してみては如何でしょう。再移築を機に現存しない部分も再現されるとよいのですが。

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上毛新聞(Web版) 平成29年1月12日付

沼田公園の国登録文化財 旧土岐邸を中心街移築

更新日時:2017年1月12日(木) AM 06:00

 戦国武将、真田信之が城主となった沼田城の跡地に当たる沼田公園(群馬県沼田市西倉内町)の長期整備構想に関連し、沼田市教委は、公園内にある国登録有形文化財の旧土岐家住宅洋館(旧土岐邸洋館)を中心市街地に移築する方針を決めた。

 県指定重要文化財の旧沼田貯蓄銀行や生方記念文庫が並ぶエリアに設置し、3棟を一体的に管理する。ほぼ同時代の洋館と貯蓄銀行を並べて魅力を創出し、NHK大河ドラマ「真田丸」効果で生じた観光面での盛り上がりを継続させる。
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