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第1228回・旧柏原町役場(丹波市役所柏原支所)

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兵庫県丹波市柏原町柏原にある丹波市役所柏原支所の建物は、昭和10年(1935)に柏原町役場の庁舎として建てられた。以前取り上げた旧氷上高等小学校旧柏原尋常中学校と同様、木造下見板張り、ペンキ塗り仕上げの洋風建築であるが、玄関ポーチなどの細部意匠に明治期の洋館とは異なる趣を有する昭和初期の木造洋風建築である。

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柏原藩の陣屋が置かれていた陣屋町の面影を残す街の中心地に建っている丹波市役所柏原支所。現在も現役の行政庁舎として使われている。

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庁舎の脇にある欅の大木は、「木の根橋」と称される推定樹齢1000年の古木。根の一本が脇を流れる奥村川を跨いで橋状になっていることからこの名があり、兵庫県の天然記念物にも指定されている。

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設計は兵庫県内に設計事務所を開き、大正から昭和にかけて北播磨から丹波地方を中心に、学校や役場など多くの公共建築を設計した内藤克雄(1890~1973)による。昭和初期の木造洋風校舎で近年保存が決まった西脇小学校の設計者としても知られる。

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同じ木造下見板張りペンキ塗り仕上げの洋風建築でも、明治18年(1885)に建てられた旧氷上高等小学校や明治30年(1897)に建てられた旧柏原尋常中学校に比べると昭和10年(1935)に建てられた柏原町役場は、建てられた時期に4~50年の開きがある。

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コンクリートで固めたアーチ型の玄関ポーチや五角形の屋根窓など、細部意匠には明治期の洋館には見られないモダンな造形が施されている。

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アーチ型の玄関ポーチは同時期のコンクリート造の建物では多く見られるが、下見板張りの木造建築に取り付けられるのは珍しい。

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昭和初期の洋館らしいモダンな意匠の屋根窓。

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金属製の棟瓦には柏原町の「柏」の文字が打ち出されている。窓の下の腰壁には、塗装を施したトタン板と思われる金属板が張られている。

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内部も装飾が施された天井や階段などが今もよく残されているという。丹波市ではこの建物を観光施設として活用を模索しているようだが、まだ具体的な方針は決まっていないようである。

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兵庫県内には旧柏原町役場のほか、当ブログでも以前取り上げた旧出石郡役所旧七美郡役所旧豊岡町役場など、明治から昭和初期に建てられた郡役所もしくは役場の庁舎が播磨、丹波、但馬地方を中心に数多く残されている。
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第1227回・旧上高井郡役所

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長野県須坂市大字須坂にある旧上高井郡役所は、大正6年(1917)に建てられた、群制に基づく郡役所の庁舎としては長野県内では唯一残る建物である。現在は住民の交流施設及び各種歴史資料の収集・展示施設として使われており、伝統的な町並みが残る須坂の中心街において大正の木造洋館は異彩を添えている。

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群制は、現在の住所表記などで用いられる「郡」とは異なり、明治期から大正期にかけて実施されていた府県と町村との間に位置する「郡」を地方自治体として定めた制度であり、また、その制度を規定した法律である。

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大正12年(1923)に群制が廃止され、大正15年(1926)には郡役所も廃止されたが、それまでの間に全国各地において郡役所や郡会の庁舎が建てられた。旧上高井郡役所は現存する旧群制の遺構のひとつである。

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群制が廃止された後、郡役所等の建物の多くは行政施設などとして使われ、旧上高井郡役所も県の事務所や保健所などとして平成17年(2005)まで使われていた。現在も石の門柱には当時の陶製表札が残されている。

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役目を終えた旧上高井郡役所庁舎は、県から須坂市に譲渡され改修工事が行われ、平成19年(2007)より住民のための文化交流施設として使われている。

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木造2階建、寄棟造の瓦葺屋根を載せた洋風建築で、外壁は板張り(ドイツ下見)、正面玄関上部には切妻破風(ペジメント)を備え、バロック様式の特徴も備えているとされる。

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現在でも旧郡制の遺構は各地に現存するが、近隣では群馬県に旧碓氷郡役所庁舎が現存、群馬県内では現存する唯一の旧郡役所である。

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各地に現存する郡役所など群制の遺構は明治期のものが多く、意匠も明治初期の擬洋風建築や和風建築が多いが、大正6年に建てられ、比較的新しい時期に属する旧上高井郡役所は意匠も洗練されている。

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特に当時の県令(県知事)が政策として洋風建築の普及を進めた山形、福島、山梨などの各県や、開港場や鉱山があり早くから欧米人が訪れる機会の多かった兵庫県などでは学校など擬洋風建築が多く建てられ、中には旧郡役所の遺構も現存する。

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弊ブログでも先述の旧碓氷郡役所のほか、福島県の桑折南会津西白河の各郡役所、山梨県の東山梨郡役所、兵庫県の出石七美の各郡役所庁舎を紹介しており、併せて御覧頂きたい。

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旧幕時代は陣屋町として、近代以降は製糸業で栄え、現在も蔵造りの町並みが残されている須坂において、大正期の木造洋風建築である旧上高井郡役所は町並みに異彩を添える存在となっている。

第1226回・旧鹿児島監獄正門

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鹿児島県鹿児島市永吉1丁目にある鹿児島アリーナの敷地の一角に、かつてこの地にあった鹿児島刑務所(旧鹿児島監獄)の正門が残されている。司法省技師として多くの監獄や裁判所を手掛けた山下啓次郎による「明治の五大監獄」のひとつであり、その中でも唯一の石造建築である。国登録有形文化財。

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この地に鹿児島監獄の施設が建てられたのは明治41年(1908)で、鹿児島市の中心街に近い小川町からの移転に伴うものであった。昭和60年(1985)に鹿児島刑務所(大正11年に改称)が始良郡吉松町へ移転するまで、約80年間使われた。

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山下啓次郎(1868~1931)は警視庁を経て司法省技師となり、監獄施設の近代化を目指していた政府の指令を受けて明治34年(1901)に欧米の監獄施設を視察、帰朝後は「明治の五大監獄」と称される千葉金沢奈良・長崎・鹿児島の各監獄を設計した。

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これらの監獄施設は大半が煉瓦造であったが、鹿児島だけは石造であった。山下啓次郎は薩摩藩の出身であり、薩摩藩では江戸時代以前より石造の橋や建築を築く技術が発達していたことから石造が採用されたのかも知れない。

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正門のほか塀や事務棟、房舎も石造の施設であったが、鹿児島刑務所の移転後、跡地は機能の一部を鹿児島拘置支所として残した部分を除いて鹿児島市の所有となり、旧施設は正門を除き全て撤去された。

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「明治の五大監獄」は現在、国の重要文化財に指定されホテルとして活用が予定されている奈良を除き、いずれも鹿児島と同様に一部の施設しか残されていないが、正門は5か所とも全て残されている。(ただし金沢は博物館明治村への移築)

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建設に際しては、石材は前を流れる甲突川の上流から切り出され、船で運ばれたという。

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鹿児島市内には、尚古集成館本館(国指定重要文化財)や甲突川の石橋(石橋記念公園に移設)など、石造の建造物や橋が現在も残されているが、その中でも旧鹿児島監獄正門は特に美しい建物である。

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平成10年(1998)に国の登録有形文化財となっている。

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中世の西洋の城門風意匠で、中央上部にはゴシック風のバラ窓を思わせる装飾が施されている。円形の鉄柵の意匠もすばらしいものである。

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内側から見ると、壁面が石積みを強調した外側とは対照的に平坦に造られているのが分かる。

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脱獄防止のため、足をかけられるような装飾や凹凸は設けないようにしたようである。千葉や奈良など他の刑務所の正門でも同様の造りが見られる。

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「明治の五大監獄」のほか、戦前に建てられた刑務所の正門が保存されている例としては北海道の旧網走監獄や三重の旧安濃津監獄の正門などが挙げられる。

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旧網走監獄では明治期の木造門と大正期の煉瓦造門が共に残されているが、石造の刑務所の門は鹿児島でしか見られない非常に珍しいものである。

第1225回・杤木ビル

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北九州市若松区本町にある杤木(とちき)ビルは、大正9年(1920)に杤木商事(株)の本社屋として新築された事務所ビル。小規模ながらも鉄筋コンクリート造の採用、水洗便所など当時としては最新の技術と設備を導入して建てられた。現在は雑居ビルとして使用されている。

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若松区と戸畑区を結ぶ渡し船の船上から望む杤木ビル。後方の橋は昭和37年(1962)に架けられた若戸大橋。

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明治34(1901)年に若松町(現・若松区)で創業した杤木順作商店は、海陸運送業、石炭販売業、鉄工造船業など手掛け事業を拡大、大正4年(1915)には杤木商事株式会社となり、その5年後には鉄筋コンクリート造3階建の新社屋を建設した。

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その後杤木商事は事業の発展に伴い、本社を神戸を経て東京に移した。現在は後身に当たる杤木汽船(株)と、名古屋と大阪の支社を分社化した杤木合同輸送(株)と杤木協鐵輸送(株)としてそれぞれ盛業中である。

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若松の旧本社屋は現在、雑居ビルとして使われているが、ビル名に杤木の屋号を残している。現在は道路側が正面玄関のようであるが、本来は写真の海岸に面した側が正面玄関であったと思われる。

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台形の敷地に建っているためか見る角度によって形が変わり、道路側と海岸側では異なる印象を受ける。後年の改装で現在は見られないが、最上部には小さな庇があり、ライオンの彫刻があったという。

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設計は直方市出身の建築家で、旧門司三井倶楽部の設計者としても知られる松田昌平による。鈴木禎次が主任教授を務めていた名古屋高等工業の建築科を卒業、満鉄等勤務を経て設計事務所を開いた人物である。

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2階より上部の外壁には茶褐色のタイルを全面に貼り、部分的に異なる色のタイルでアクセントをつけている。タイルは明治までの赤煉瓦とは異なるモダンな外装材として特に大正期より好まれ、松田昌平のような若手建築家のみならず河合浩蔵武田五一などのベテランも好んで用いた。

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1階から半地階にかけての外壁と玄関周りは石張りで重厚に仕上げられている。

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重厚な海岸側玄関に対し、道路側玄関は半円形のモダンな造形。

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近隣の上野ビルなどと共に、往年の若松港の繁栄を伝える建物のひとつである。

第1224回・旧大阪商船門司支店(北九州市旧大阪商船)

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北九州市門司区にある北九州市旧大阪商船は、戦前の日本を代表する船会社のひとつであった大阪商船(株)の門司支店として大正6年(1917)に建てられた。オレンジ色の煉瓦タイルにセセッション風意匠の塔屋が特徴的な門司を代表する大正期の洋風建築である。現在は北九州市が所有しており、国の登録有形文化財となっている。

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門司港レトロ地区の中心街にある北九州市大阪商船。隣接して旧門司三井倶楽部が山手より移築されており、JR門司港駅も歩いてすぐの位置にある。現在はギャラリーやカフェが設けられており、門司港でも指折りの観光名所となっている。

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木造二階建で部分的に煉瓦とコンクリートも用いた混構造の建物で、オレンジ色の化粧タイルと幾何学的な細部装飾が特徴であるセセッション風意匠の塔屋が目を引く。建てられた当時は海岸に面しており、尖塔部分は燈台の役割も果たしていたという。

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正面全景。角の塔屋の下に正面玄関が設けられている。かつては1階が待合室と税関派出所、2階が大阪商船(株)の事務所として使われており、待合室からは専用の桟橋を経て直接乗船できるようになっていた。

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大阪商船(現・商船三井(株))は明治17年(1884)に大阪で設立された船会社で、同時期に設立された東京の日本郵船と共に戦前の日本を代表する船会社であった。

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戦後は三井船舶と合併して大阪商船三井船舶→商船三井となり、現在も日本郵船、川崎汽船と共に日本の三大船会社と称されている。旧門司支店の建物は平成3年(1991)まで商船三井の事務所として使われていた。

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旧大阪商船の本支店で現存する建物は旧門司支店のほか、大正11年(1922)に神戸支店として建てられた神戸・海岸通の商船三井ビル、大阪港の施設として昭和8年(1933)に大阪・天保山に建てられた商船三井築港ビルがある。

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建物自体は近年の改築であるが、大阪・中之島のダイビル本館には、低層部に大阪商船本社が入っていた旧大阪ビルディング(大正14年竣工)の外観とエレベーターホールが旧ビルの部材を用いて復元されている。また、東京支店があった東京・内幸町の旧大阪ビルディング東京分館1・2号館跡には、旧ビルを飾っていた豚の頭部や鬼面などの奇怪な装飾が残されている。

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旧門司支店の設計者である河合幾次(1864~1942)は、東京帝大卒業後、逓信省を経て大阪で設計事務所を開業、後年は事業家として活動した人物であるが、詳しい経歴は不明な点が多い。

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大阪商船門司支店のほか、神戸市にある旧村山龍平邸の洋館(国指定重要文化財)が現存する設計作品として確認されている。なお、文化庁による旧村山邸重文指定時の解説によると、同じく重要文化財である岐阜県の旧八百津発電所(明治44年)の設計も手掛けたとされる。

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外壁を覆うオレンジ色の煉瓦タイル。当時の建物には潮風に強いとして外装にタイル(テラコッタ)を用いた例もあるので、海岸べりに立地することから外装材に採用されたのかも知れない。

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くびれのある通用口のアーチは、河合幾次と同級である伊東忠太が設計した西本願寺伝道院(明治45年・国指定重要文化財)の通用門と似ている。

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正面玄関。脇には登録有形文化財のプレートが嵌め込まれている。写真には写っていないが、商船三井時代の看板も北九州市の所有となった現在もそのまま残されている。

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玄関ホールは階段室を兼ねている。

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賑やかな外観とは対照的に館内は簡素で、階段の親柱や手摺もごくシンプルなものとなっている。

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船客の待合室があった1階と街路との間にはアーケード状の空間が設けられている。

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館内には戦前の大阪商船(左)と日本郵船のポスターが飾られていた。大阪商船の主力航路であった南米航路には戦前、村野藤吾や中村順平などの著名建築家が室内意匠を手掛けた「ぶら志゛る丸」「あるぜんちな丸」などの豪華船が就航していたが、大東亜戦争により悉く海の藻屑と消えた。

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随所に残る木製の古びたベンチは、大阪商船~商船三井時代から使っていたものかも知れない。

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旧大阪商船門司支店はJR門司港駅旧門司三井倶楽部などと共に、門司港レトロ地区を代表する歴史的建造物として観光客を集めている。なお、本文で触れた大阪商船の本支店の建物については、いずれも弊ブログにて以前取り上げているので、併せて御覧頂けると幸いである。
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