第1066回・旧エンバーソン住宅

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静岡市駿河区池田にある旧エンバーソン住宅は、明治37年(1904)に宣教師館として現在の静岡市葵区西草深に建てられた。静岡市内に現存する数少ない明治時代の西洋館である。静岡市指定有形文化財。

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現在は静岡市立日本平動物園に隣接した地に移築されており、動物園には入園せずに見学できる(駐車場はないため日本平動物園の有料駐車場を利用)が、案内等が少なく分かりにくいのが難点である。

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カナダからキリスト教伝道のため日本に派遣された宣教師であるロバート・エンバーソン師の自邸として建てられた。

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エンバーソン師の帰国後も、代々の宣教師や牧師の住まいとして80年以上にわたってその役目を果たしてきた。

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しかし老朽化が進み、所有者であった日本基督教団静岡教会によって新たな施設の建設のため、一時は解体されることになっていた。

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昭和61年(1986)、教会から建物の寄贈を受けた静岡市によって移築保存が図られることになった。翌昭和62年(1987)に現在地への移築工事が完了、同年より一般公開され、現在に至っている。

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国の登録有形文化財を経て、平成21年(2009)に静岡市指定有形文化財となっている。

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移築前の昭和33年(1958)に附属の厨房及び和室が撤去されている。写真中央は今はない厨房につながっていた配膳口。したがってこの部屋は元々は食堂として使われていたと思われる。

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上記、一部分の撤去と改修が行われた点を除くと、明治期の洋風住宅の造りをよく残している。

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アーチ型の欄間とその下に立てこまれた和風の引き戸という和洋の取り合わせが珍しい。

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木製の便座が置かれた便所は創建当初の形式を復元している。

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玄関ホールを兼ねた階段室。

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二階から望む階段。
付きあたりの扉は玄関ポーチ上部のバルコニーに出られるようになっている。

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静岡市の中心部は昭和15年(1940)の大火で大半が焼失し、その後間もなく戦災にも遭ったことで、昭和初期以前の古い建造物は県庁所在地にも関わらず、静岡市庁舎静岡県庁舎静岡銀行本店などを一部を除き、現存するものは多くない。

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旧エンバーソン住宅は、静岡市内に現存する数少ない明治時代の西洋館であると同時に、静岡県内に残る唯一の外国人宣教師住宅でもある。
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第1065回・小机家住宅

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東京都あきる野市(旧西多摩郡五日市町)三内にある小机家住宅は、明治8(1875)頃に当時の銀座煉瓦街の洋風建築を模して建てられた擬洋風建築の住宅。明治初期の文明開化の様相を今日に伝える数少ない擬洋風建築である。東京都指定有形文化財。

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JR五日市線・武蔵五日市駅から徒歩10分程度の場所にある小机家住宅。秋川街道に面して門を開いた敷地の奥にひっそりと建っている。

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江戸時代より林業を営んできた小机家の7代目当主、小机三佐衛門によって建てられた。材木の取引のために出かけた深川木場からの帰り、当時造られて間もない銀座煉瓦街の洋風建築群を見て大いに刺激を受け、洋風の自宅を新築したという。

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伝統的な土蔵造りをベースにしつつ、正面には2層のベランダを張り出し、輸入物の鉄製防火扉やガラス窓、屋根材には同じく輸入品である亜鉛引トタン板を用いて建てられた。

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外側にベランダを張り出すのは、幕末から明治中期の擬洋風建築に多く見られ、長崎の旧グラバー邸や大阪の泉布観、和歌山の郭家住宅旧三重県庁舎、山梨の旧睦沢学校などがあり、官公庁、学校、住宅など建物の用途を問わず、現在でも各地に残されている。

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小机家のモデルとなったという銀座煉瓦街は、大阪の造幣寮(現・造幣局)やその迎賓施設である上述の泉布観などを建てた、お雇い外国人のウォートルスが明治5年(1872)から翌年にかけて設計を担当した。

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銀座煉瓦街はその後大正12年の関東大震災で壊滅し、現存する建物はない。小机家は銀座煉瓦街に直接影響されて建てられ、今に残されている希少な存在と言える。

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関東大震災では小机家自体も被災し、修復が行われている。1階ベランダの硝子戸などは震災後交換されたため、創建当初のものが残る2階と比較すると、窓の形やドアノブなど細部が微妙に異なるのが分かる。

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アーチ型に造られた玄関部分。角の隅石と同様、漆喰を塗って石造風に見せたものである。アーチの要石部分には、獏(ばく)の頭部をあしらった漆喰彫刻が取り付けられている。

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獏の漆喰彫刻は震災で破損し、長年そのままであったというが、現当主が先代当主と共に復元されたという。

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小机家住宅は現在、1階の一部を喫茶室「安居」として開放されているため、営業時間内であれば外観及び喫茶室部分への立ち入りは可能である。また例年11月に東京都が主催する「東京文化財ウィーク」期間中であれば室内も見学できる。以下の写真は平成28年11月の訪問時で、ちょうど屋根の補修工事をされているところであった。

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玄関土間。円形窓周囲の兎の漆喰装飾が見どころ。兎の装飾は他にも釘隠しや階段の彫刻飾りなど、随所に見ることができる。

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洋風を取り入れた外観と異なり、間取りは伝統的な民家の間取りに即したものとなっている。

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見学に際しては、御当主自ら丁寧に案内して頂けるが、それによると、当家で使用されている材木は、節付きだったりして商品としては使えないものを用いているという。

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関東大震災後に交換された1階の正面を除き、創建当時の硝子戸が今も残る。
ドアノブは白い陶器でできている。

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当家の大きな見どころと言えるのが見事な造りの螺旋階段。
奥の扉が喫茶室の入口となっている。

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装飾的な手摺や透かし彫りで飾られた工芸品のような階段。ここにも兎の装飾が見られる。

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階段を上から見下ろす。移動が可能な置き階段になっている。

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2階の一室。太い梁を漆喰で包んでおり、一見鉄筋コンクリート建築かと思わせる。関東大震災後の修復で塗られた箇所は塗りが荒く従前からの壁と見分けることができる。当時は復興需要が高まって職人は多忙を極めたため、丁寧に仕上げてもらえなかったのだとか。

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約150年の歳月を経た硝子窓。

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訪問の度に丁寧に御案内頂いた小机家御当主様に厚く御礼申し上げます。

第1064回・旧岸家住宅(厚木市古民家岸邸)

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神奈川県厚木市上荻野にある旧岸家住宅は、大規模養蚕農家の住居として明治24年(1891)に建てられた。色硝子を嵌めた二階座敷など異色の造りが特徴的な古民家である。厚木市指定文化財。

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平成10年(1998)に岸家より厚木市に建物が寄贈され、現在は「厚木市古民家岸邸」として一般公開されている。

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なお、敷地は厚木市が岸家から借り受けているという。

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主屋は明治24年(1891)の竣工で、その後何度かにわたる増改築を経て現在の形になったとされる。

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式台を備えた来客用玄関。見学に際してはこちらではなく、通常の出入り口として使われていた土間側の玄関から入る。

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土間。床の一部はタイルを市松紋様に配したモダンな仕上げとなっている。

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土間に隣接する広間は重厚な格天井となっている。

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来客用玄関に隣接する客間。
1階には客間が3間あるが、どの部屋も欄間や床の間、天井や建具などに意匠を凝らしている。

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材木も良材や珍奇な銘木の類がふんだんに用いられている。

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付け書院を備え、最も格式高い座敷と思われる1階奥の客間。座卓も岸家で使われていたもので、漆塗りである。

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上記客間の奥には客用便所があり、非常に凝った造りとなっている。
写真は便所横に設えられた手洗い場。

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男子用便所。窓の建具がすごい。
左側の照明は壁を貫く形になっており、隣の女子便所も照らすようになっている。

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便所周りの造作。左下は便所前廊下に嵌め込まれた魚型の埋木である。

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階段は一部曲面を持つ折り上げ天井になっている。

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2階座敷。赤い色硝子を市松紋様に嵌め込んだ建具が目を引く。

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2階座敷床の間。

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これらの建具類は創建当初からのものではなく、大正期の改造で入れられたもののようだ。

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岸家は養蚕業を営んでおり、岸家の建っている厚木は、蚕から造り出された生糸が輸出されていた横浜に近い位置にあることも、家の造りに影響しているものと考えられる。

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2階座敷の天井も変わった意匠となっている。

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2階の背面には増築された洋室がある。

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漆喰で仕上げられている洋室天井の換気口まわりの装飾。

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洋室部分は外壁もタイル張りで洋風に仕上げられている。

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洋間の硝子戸も、摺り硝子と透明硝子を市松紋様に配したものとなっている。

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2階は特に建具に意匠を凝らしているのが印象的である。

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岸家の窓硝子いろいろ。
色硝子、摺り硝子、結霜硝子、絵入り砂摺り硝子が見られる。

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これも多彩な岸家の照明器具の数々。

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見どころと発見に富んだ、大変興味深い造りの古民家である。

第1063回・島居邸洋館

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広島県尾道市東土堂町にある旧島居邸は、昭和初期に建てられたスパニッシュ風の木造洋館である。現在は外観をそのまま残しつつ内部を改装、1棟貸し切りで滞在ができる施設「せとうち湊のやど 尾道島居邸洋館」として利用されている。

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昭和6年(1931)に建てられたという島居邸洋館は、JR山陽本線の北側、尾道を代表する観光地のひとつである千光寺に続く坂道沿いにある。

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尾道の街と瀬戸内海を一望できる眺望の良い場所に建っている。地元の豪商・島居氏が明治期に所有していた土地の一角に建てられたことから、地元では長らく「島居邸」の名称で親しまれてきたという。

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広島県下随一の商業都市として繁栄した尾道では、以前当ブログで紹介した旧和泉家別邸のように、市内の商家の主によって高台に多くの別邸が建てられた。その多くは和風もしくは小規模な洋館を併設したタイプのもので、島居邸のように洋館造のものは珍しい。

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外回りを黄褐色のスクラッチタイルを貼った塀で囲み、外壁はクリーム色のモルタル塗仕上げとし、屋根には赤いスペイン瓦を載せている。

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現在この建物は、家具や家電製品、調理器具等が完備された短期滞在ができる貸別荘として利用されている。滞在用の空間は洋館の主屋と、その西側にある蔵に分かれているが、一体で利用することも可能となっている。(参考:せとうち湊のやどホームページ

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内装は和風を基調とした現代的な内装に一新されているが、外観は玄関扉や窓のサッシなどの建具に至るまで昭和初期の洋館の佇まいを損なうことなく残している。 

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玄関脇に穿たれたアールデコ風の円形窓。

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(左)土蔵の西隣には、白壁に囲まれた茶室付きの日本家屋が建っているが、こちらも「せとうち湊のやど」によって運営されている「尾道 出雲屋敷」。(右)主屋と同様、赤いスペイン瓦葺きの島居邸土蔵。

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古民家や洋館を改装して、短期利用型の貸別荘として営業する事例は、島居邸洋館の他にも各地で増えてきているようである。個人的には神戸の塩屋にある旧後藤家住宅(当ブログ過去記事参照)など、眺望の良い立地や建物の規模など島居邸と共通するものがあり、このような利活用にはうってつけの建物ではないかと思ってしまう。

第1062回・旧東北帝国大学金属材料研究所本多記念館

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仙台市青葉区片平にある旧東北帝国大学金属材料研究所本多記念館は、同大学第6代総長も務めた物理学者・冶金学者である本多光太郎の在職25年を記念して、昭和16年(1941)に建てられた。現在も東北大学金属材料研究所本多記念館として公開されている。

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東北大学片平キャンパスには明治から昭和戦前の建物がいくつか残されているが、昭和16年竣工の本多記念館は戦前建築としては最も新しい時期の建物である。

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東北大学本館など、片平キャンパス内に現存する昭和初期建設の施設と同様、外壁は茶褐色のスクラッチタイルで仕上げられ、重厚な印象を与える。

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デザインは無装飾のモダニズムスタイルとも取れるが、正面は東京の第一生命館や同じ片平キャンパス内の旧理学部科学教室(現・本部棟)のような列柱を強調した新古典主義的な造形も見られる。

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本多光太郎(1870~1954)は、鉄鋼及び金属に関する冶金学・材料物性学の研究を世界に先駆けて創始、鉄鋼の世界的権威者となった。昭和12年(1937)の第1回文化勲章授与に際しては、最初の受章者の一人に選ばれている。

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昭和6年(1931)から3期9年に亘り東北帝国大学総長を務めている。その間、昭和7年(1932)には日本人では初となるノーベル賞(物理学賞)受賞候補にも挙げられたが、受賞は逸している。

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平成6年(1994)に、壁面の補強や内装等の改修工事が行われた。また金属材料研究所(大正5年(1916)設立)の設立百周年記念事業として、平成28年(2016)にも改修工事が行われている。

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改修を受けているが、外観は創建当初の形をほぼそのまま残している。また、内部にある本多記念室には大理石の暖炉やシャンデリアを備えた重厚な内装が残されている。

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東北大学片平キャンパス内の旧東北帝国大学の施設については、これまでも弊ブログでその大半は紹介済みなので併せて御覧頂けると幸いである。(→「宮城県」カテゴリ参照)
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