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第1259回・横手館

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群馬県渋川市の伊香保温泉にある温泉旅館・横手館は、江戸時代前期の宝永年間に旅籠として創業した歴史を持つ老舗旅館である。大正9年(1920)に建てられた西棟と東棟が国の登録有形文化財になっている。

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長い石段沿いに温泉街が広がる伊香保温泉でも奥まった場所にある横手館。
石段から横の細い路地に入ると、木造3階建と4階建ての建物が現れる。

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写真右側が木造4階建の西館、左側が3階建の東館。その間に玄関が設けられている。
玄関の扁額は徳富蘇峰の書。

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徳富蘇峰の実弟で、小説家の徳冨蘆花は伊香保の地に強い愛着を持ち、生涯を終えた場所としても知られる。代表作「不如帰」でも伊香保温泉は舞台となっている。

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横手館は徳富蘇峰のほか、後藤新平、岸信介、福田赳夫など政治家も多く利用していることで知られる。木造の西館・東館のほか、鉄筋の新館(別館常磐苑)もある。

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軒裏までモルタルで塗り込められているのは防火対策として行われた後年の改修と思われる。西館・東館ともに創建は大正9年だが、後年に大幅な改築が施されているようである。

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外観、内装の随所に昭和30年代の雰囲気が濃厚に漂っており、昭和情緒を楽しむには格好の宿である。写真は玄関奥の階段室。

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階段室の壁面には数寄屋風の円形窓があり、そのすぐ下には皮付き丸太の上に西洋風の柱頭飾りを載せた和洋折衷の装飾が見られる。

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階段室のシャンデリア。

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西棟の階段は創建当初からのものと思われる手摺や親柱が残る。

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西棟2階の客室。
西棟の客室は各室とも大正時代の趣をよく残している。

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天井は折り上げ天井になっていた。
なお、隣接する東棟の客室は障子や欄間など既存の造りを残しつつ、現代的な和洋室あるいは洋室に改装されている。

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西棟の廊下。

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昭和前期のものと思われる、モミジと鹿をあしらった磨りガラスの装飾。

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豆タイルで描かれた榛名湖と榛名山。これも昭和期のものであろう。

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夜の横手館。

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明かりが点り、情緒に富んだ姿を見せる。

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横手館は大正期の趣をよく残す西棟客室、昭和情緒豊かな廊下やロビー、平成期の改修による現代的な東棟客室及び別館、と3種類の空間が併存しており、それがこの宿の魅力のひとつとなっている。
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新年の御挨拶

あけましておめでとうございます。

昨年も結局殆ど更新、新規投稿しないまま1年が過ぎてしまいました。
今年も大して状況は変わらないかも知れませんが、ほんの時々でもご訪問頂ければ幸いです。

令和壬寅年元旦

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(写真)東京・内幸町の旧大阪ビル東京分館1号館(外壁の装飾部分のみ現存)の虎

第1258回・古奈別荘(古奈ホテル・旧久保政吉別荘)

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古奈別荘は、伊豆長岡温泉にある温泉旅館である。化粧品メーカーである(株)ウテナの創業者、久保政吉が昭和9年(1934)に建てた別荘で、昭和14年(1939)より「古奈ホテル」の名で営業を開始、現在に至っている。客室は旧別荘の建物とホテル開業に際して建てられた和風建築で構成されており、いずれも独立した離れ形式になっているのが特徴の宿である。

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静岡県伊豆の国市(旧田方郡伊豆長岡町)、古奈温泉郷の奥まった位置にあり、石畳の路地に面して建つ古奈別荘。看板には開業当初の名称である「古奈ホテル」の名も併記されている。

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久保政吉は大正12年(1923)、自ら開発した美白液「ウテナ」を婦人雑誌「主婦の友」で通信販売を始め、東京・本郷にて「久保政吉商店」を創業、昭和戦前期には「ウテナクリーム」等で知られる国内有数の化粧品メーカーとなった。

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古くからの温泉地で、三菱財閥の岩崎久彌も別荘を構えた伊豆長岡に、久保政吉は昭和9~12年にかけて数寄屋風の別荘を築き、その後間もなくホテルとして営業を開始している。化粧品会社であることから、外国から招いた調香師をもてなすためにも使っていたようである。

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石垣に囲まれた茅葺きの門をくぐり、石段を登って山の斜面に面した敷地内へ入ると、久保家別荘として建てられた洋館付きの主屋と、離れ形式の「宇治」「田舎家」「京家」の3棟、ホテル開業時及び開業後に建てられた客室5棟が建っている。

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木造平屋の主屋に付属する鉄筋コンクリート造の洋館は、無装飾のモダンスタイルであるが、壁面から軒裏まで地味な色調のタイルで覆われており、和風の別荘の中に溶け込ませようとしたものと思われる。洋館を設けたのは先述の通り、外国人の接待も用途に含んでいたためと考えられる。

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洋館の外壁タイル。この時期の建物によく見られる型押しタイルで、ところどころ青みがかった渋い色合いがすばらしい。

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主屋は現在、帳場や食事処として使われている。主屋を始めとする久保家別荘の建物は、東京で久保家出入りの大工棟梁であった芝原某が手掛けたとされ、どの建物も材料や意匠に趣向を凝らしているとされる。写真は食事処となっている大広間。

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大広間の床の間。
床脇の壁には、創建当初からのものと思われる、達磨の形をしたコンセントがある。

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大広間の奥は洋館で、1階のサロンはカフェとしての利用もできる。2階は元々は客室だったものと思われるが非公開。

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漆喰装飾の施された天井や大理石の暖炉など、洋館の内部は地味な外観とは対照的に華やかな造りになっている。

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大きな1枚物の大理石をくりぬいて造られたと思われる暖炉。
この洋室にはかつて撞球台やホームバーもあったという。

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繊細な漆喰細工が施された天井が洋館内部の見どころ。

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天井装飾の細部を拡大。

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洋館の窓やテラスに続く硝子戸は頑丈なスチールサッシで、横には防火用シャッターの上げ下げ用と思われるハンドルが取り付けられており、耐火性を重視し堅牢さが際立つ造りになっている。

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藤棚が設けられた洋館のテラス。洋館と向かい合う位置にある茅葺きの建物は、かつての久保家別荘の離れのひとつ「田舎家」で、室内は数寄屋風に造られている。

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田舎家と称して古民家を移築改装したり、古民家風の建物を建てたりするのは、大正から昭和初期の一部富裕層における流行だったようである。(弊ブログ過去関連記事 →     

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同じく久保家別荘の離れのひとつで、門に近い位置に建つ瓦葺きの「京家」。その名のとおり京間の寸法で建てられた数寄屋座敷である。「田舎家」「京家」は宿泊用の客室ではなく、食事処としての利用が主のようである。

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旧久保家別荘で客室として宿泊可能な唯一の建物が、記事冒頭にも掲げた「宇治」。背後の源氏山の緑や竹藪に包まれ、銀閣を思わせる楼閣風の佇まいは、古奈別荘の建物の中でも最も特徴あるものである。

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「宇治」は別荘内でも特に趣向を凝らしたもので、棟梁が弟子1人を助手に使いながら1年半かけて建てられたと伝わる。ホテル開業から間もない昭和16年には作家の吉川英治が滞在し、当時朝日新聞に連載中の「源頼朝」を執筆したという。

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敷地の奥には、昭和14年のホテル開業時から開業後(昭和20年代?)に建てられたと思われる、離れの客室5棟が山の斜面に沿った形で点在している。写真は赤瓦の洋室棟がある「日の出」。ほか、フランスの調香師の滞在用にベッドルームを備えた客室「香月」もある。

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ブログ主が宿泊に際し通された、一番高台にある客室「山荘」。

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玄関を入るとすぐ日当たりのよい畳敷きの広縁がある。

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次の間付きの座敷と広縁、浴室、更衣室、洗面所、便所で構成されている。

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座敷から次の間を望む。
客室はすべて離れ形式なので、ペット同伴の利用も可能なようだ。

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木製の湯船に船底天井を持つ専用浴室。客室ごとに異なる造りの浴室が設けられている。
なお、古奈別荘の浴室や洗面所には、縁の深い(株)ウテナの製品が用意されている。

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主屋大広間の達磨をかたどったコンセントと、洋館サロンの照明台座。

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本記事の写真は昨年(令和2年)の夏、開始間もない「go toキャンペーン」を利用して古奈別荘へ泊まった時のものである。

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宿泊業は忌々しいコロナ禍によって厳しい状況が続いているが、後世に残したい宿のひとつである。

第1257回・旧土岐家住宅洋館(再訪)

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弊ブログ第59回記事にて紹介した群馬県沼田市の旧土岐家住宅洋館を再訪した。旧沼田藩主である土岐子爵家の邸宅の洋館部として、大正13年(1924)に建てられたドイツ風意匠を持つ和洋折衷の洋館である。平成2年(1990)に東京都渋谷区から沼田市沼田公園に移築されたが、令和2年(2020)、中心街である上之町へ再移築された。

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沼田公園にあった頃の旧土岐子爵邸洋館。(平成28年12月撮影、第59回記事より再掲)沼田公園は、元々は土岐家が城主であった沼田城跡である。明治維新後は荒廃していたが、沼田藩士の子であった実業家の久米民之助(沼田市名誉市民)が、大正から昭和初期にかけて私財を投じて整備し、沼田町(当時)に寄贈した由来がある。

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沼田市によって上之町へ再移築された現在の姿。
なお、今回と同様に一つの建物を移築前と移築後でそれぞれ記事にしたものとして、弊ブログでは神戸市の旧武藤山治邸(明治40年竣工、平成8年洋館部のみ移築平成22年再移築)がある。

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土岐家は江戸時代中期の寛保2年(1742)から明治2年(1869)まで沼田藩主を務め、明治維新後は子爵に列せられた。現存する洋館は、最後の沼田藩主である土岐頼知の子で、14代目当主の土岐章(1892~1979)子爵が建てた。

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旧土岐子爵邸洋館は先に移築された旧沼田貯蓄銀行とは一軒おいて隣に再移築されている。歴史的建造物を市街地活性化のために積極的に保存活用する沼田市の姿勢は高く評価したいが、電柱も地中化できないものだろうか。

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かつては東京・渋谷の郊外住宅地に建っていた。創建時は木造(一部鉄筋コンクリート造)2階建の洋館に、平屋の日本家屋が連なる構成の邸宅であったが、日本家屋は昭和50年代前半に改築のため取り壊されている。なお、洋館も室内の半分は和室になっており、全体としては伝統的な和室が主で、通りに面した正面側をドイツの郊外別荘風に仕上げた邸宅である。

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土岐章子爵は勤務先の命を受けてドイツに留学したことを機に、ドイツ料理やワインを好んだ。洋館をドイツ風にしたのもその影響と考えられる。また、パンの製造販売を企てたり、パンについての著作を著し、日常から和食の時でもパンを食するなど、生涯を通じて無類のパン好きであったことから「パンの殿様」と称されていた。

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平成2年(1990)、15代当主の土岐實光(鉄道技術者。1922~2011)氏によって沼田市に寄贈され沼田公園内に移築、郷土人物資料館として公開されていたが、平成の終わりとほぼ時を同じくして現在地へ再移築された。

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現存する洋館は、屋根は天然スレート葺き、一階は乱貼りの基壇に黄土色のモルタル壁で仕上げられ、二階は焦茶色のペンキ塗り下見板張り、玄関脇には大谷石の手摺を廻した鉄筋コンクリート造の蔵(納戸)が付属する。2度の移築に際し、茶色のスクラッチタイルで縁取り、モルタル彫刻で飾られたアーチのある応接室の窓は、壁ごと切り取って移設されている。

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玄関ポーチを入ると、右手に玄関ホールへ続く木製の硝子戸があり、左手には三面のステンドグラス、そして突き当たりには、土岐章子爵が昭和3年に貴族院議員に就任したことを機に政治家として活動していたことを示す品物が飾られている。

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昭和初期の政財界人及び軍人の中から、澁澤榮一、尾崎咢堂、濱口雄幸、犬養毅、若槻禮次郎、高橋是清、東郷平八郎を「竹林の七賢」になぞらえたとされる象牙細工の扁額。(判別できない横顔の2人を除き、左から東郷、濱口、若槻、澁澤、犬養または高橋と思われる)

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ステンドグラスは大正期の建築装飾に多く用いられた渦巻文様である。ドイツのユーゲントシュティールに由来する意匠で、旧土岐邸と同じ大正13年に竣工した旧岐阜県庁舎や、ユーゲントシュティールの意匠を持つ神戸の旧日下部邸洋館など、同時期の建築を飾るステンドグラスに多く見られる。

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玄関ホールへ入ると、向かって右手に応接間への扉、左手に納戸及び洗面所等へ通じる扉がある。沼田公園にあった頃は非公開であった納戸が展示室として公開されている。防火仕上を施した鉄扉と網戸の二重扉になっている。

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特徴的な意匠の暖炉が目を引く応接間。奥は玄関ホール。
壁面に張られた赤いクロスは、移築前はすっかり色褪せていたが、張り替えられて雰囲気が一新された。

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政界入りした土岐章子爵は陸軍とのつながりを深め、昭和6年に犬養内閣の陸軍参与官、続く齋藤、岡田内閣では陸軍政務次官を務めるが、退任して間もない昭和11年2月に2.26事件が発生した。事件を受け、子爵邸には軍人が多く出入りし、対応を協議していたという。

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暖炉側からみた応接間。硝子戸の外は庭に張り出したテラスに続いている。革張りのソファは土岐家で使われ建物と共に寄贈されたもの。2.26事件のときはおそらくこの部屋で協議を重ねたのであろうと思われる。

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応接間の隣は客座敷で、洋風から和風へ空間が一変する。次の間はないが床の間と床脇、書院窓を備えた座敷で、親しい客人は洋風応接間では無くこの座敷へ通していたのではないだろうか。(一般的な間取りとして奥へ行くほどプライベートな空間になる)

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昭和54年に土岐章氏は死去、ほぼ同時期に邸宅も日本家屋部分が改築のため取り壊され洋館だけが残ったが、その後は夫人が昭和末期までこの部屋を居室として使用されていたという。

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客座敷の奥は和風の居間兼食堂で、さらにその奥には子供部屋などの居室が続いていた。そして廊下を隔てて反対側には台所や浴室、使用人部屋などがあったが、先述の通り日本家屋部分は現存しない。写真は日本家屋の廊下へ続いていた扉と、居間兼食堂の書院窓で、かつての日本家屋の名残を残す部分である。

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洋館と日本家屋を繋ぐ部分の外壁は移築に際し全面的に塗り込められており、外からは日本家屋と洋館を繋いでいた扉や窓の存在は分からない。

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沼田公園時代に展示されていた設計図の写し。(以前の記事より再掲)居間兼食堂は和室ながらも縁側は半円形のサンルームになっていたようである。珍しい造りなので、現存しないのが残念である。

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2階への階段。親柱の装飾はステンドグラスと同じくユーゲントシュティールの渦巻文様。

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簡素な造りの2階洋室。土岐章子爵の書斎として使われており、隣接するサンルーム風の部屋と硝子戸で仕切る構成になっている。窓を大きく取って採光通風を重視し、装飾よりも居住性を優先していることがうかがえる。

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土岐子爵家が旧大名家であることを示すのが2階座敷で、小規模かつ簡素ながらも次の間と上段の間を備えており、旧沼田藩関係の来客用に設けられたと思われる。

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写真左奥が次の間で、右奥が上段の間。
沼田公園にあった頃は、蛍光灯が何本もぶら下がっているのが目に付いたが、再移築を機に撤去され、すっきりとした。

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上段の間は網代天井になっている。

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前回記事でも触れた、先述の久米民之助が迎賓用に建てた洋館も、旧土岐子爵邸のそばに移築されることになっている。旧藩主と旧藩士がそれぞれ大正期に東京・渋谷に建てた洋館が、国許の沼田で並んで保存公開される日が来るのが待ち遠しい。

(参考資料)
時野谷茂. 「日本の近代建築の保存・再活用に関する研究 旧土岐章子爵邸」(ウィキペディア「旧土岐家住宅洋館」ページから当該資料へアクセスできる)
「住宅建築(193)」建築資料研究社 平成3年(1991)4月号 (最初の移築に関する経緯等が記事になっている)

ブログアクセス40万突破の御礼と近況

弊ブログをご訪問頂きましてありがとうございます。
令和3年4月25日にブログアクセスが40万を突破致しました。更新しない状況が続く中にも関わらず、ご訪問頂いていることに心より感謝致しますと共に、近況を申し上げたいと思います。

ここ数年、歴史的な建物を取り巻く状況は悪くなっているように思われ、弊ブログで取り上げた建物もいくつかは既に姿を消し、或いは大きく姿を変えてしまったものも多く、古い建物を維持活用して営業している宿や飲食店も忌まわしいコロナ禍のため苦しい状況が続いています。不慮の火災で失われてしまった建物もあります。
このような状況に加え一身上の都合等もあり、正直なところブログ自体継続する気力が衰えているのが現状ですが、近日中に1件、以前取り上げた建物の再訪記事ですが、新規投稿を予定しています。

以下の写真は、群馬県沼田市に移築復原が予定されている旧久米邸洋館の調査結果及び一部部材の展示が同市にて行われていたので、見学に行ってきたときのものです。

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旧久米邸洋館は、土木技術者で政治家、実業家の久米民之助が明治末期~大正初期に東京・代々木上原に建てた邸宅の洋館部で、昨年に出身地である沼田市への移築復原が決定、令和5年(2023)度の完成を目指して準備が進められているとのことです。

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昨年末には移築費用の一部に充てるため、ふるさと納税を活用したクラウドファンディングも行われていました。(ブログ主も僅少乍ら寄付させて頂きました)  

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参考:旧久米邸洋館についてのウィキペディア紹介記事(記事はのちの所有者の名称で掲載)
セセッション風意匠の小規模な洋館で、明治末期から大正初期の洋風建築の特色を備えた、個人的には一番好きな時期及びタイプの洋館なので、この移築復原事業は完成が待ち遠しい。

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展示されていた旧久米邸洋館の部材(ステンドグラスの入った建具、テラスの柱、庇の持送り、屋根窓、コンクリート製基礎の一部等)

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旧久米邸洋館の移築復原が予定されている、沼田市の中心街である上之町。
以前取り上げた旧沼田貯蓄銀行(写真右奥)、昨年に沼田公園から移築された旧土岐子爵邸洋館(写真左)と旧沼田紀念教会会堂(次の写真)が並ぶ一角に移築される予定。

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今回が2度目の移築となった旧土岐子爵邸洋館については移築前に以前取り上げたところですが、再訪記事を近日中に投稿予定です。

これからも引き続き弊ブログを宜しくお願い申し上げます。
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Author:syoukou
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現存する近代日本の歴史的遺産(台湾など旧日本領土も含む)を建造物・土木構造物を中心に、思いつくままに取り上げております。

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