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第1181回・西川家長屋

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大阪市中央区(旧東区)龍造寺町にある西川家長屋は、明治43年(1910)頃に建てられたとされる六軒長屋。大阪市内には戦前から多くの長屋が建てられ現存するものも多いが、西川家長屋は間取りなどに近世以来の伝統的な様式を残す長屋である。国の登録有形文化財。

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旧東区の一角にある龍造寺町は戦国大名、龍造寺政家の屋敷があったとされることに由来するとされる。大阪市内でも戦災を免れた区域のひとつで、現在でも古い長屋や商家が点在する。以前紹介した木子七郎の旧自邸兼事務所はここから近い場所にある。

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現在、大阪市内で国の登録有形文化財として登録されている長屋は西川家長屋のほかに2棟(阿倍野区の寺西家長屋、北区の豊崎長屋)存在するが、西川家長屋が最も古い時期の長屋である。

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戦前の大阪市内では住宅は持ち家よりも借家が圧倒的に多く、その殆どが長屋であった。明治以降も近世以来の伝統的な形式の長屋が多く建てられていたが、やがて間取りや規模、意匠などに近代的発展が見られ、昭和戦前期にかけて様々な種類の長屋が建てられた。

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明治末期に建てられた西川家長屋は外観、間取り共に近世以来の伝統的な形式を踏襲したもので、2階の壁面や屋根の軒裏を漆喰で塗り固め、棟の両端にはうだつ(卯建)を建てている。

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間取りは西側に土間(通り庭)、東側に三室を配し、北側(背面)に裏庭と便所を配する構成となっている。なお、大正期以降は伝統的な通り庭に代わり、玄関脇に台所を配する現在のアパートやマンションに近い構成の間取りを持つ長屋が多くなる。

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西川家長屋では石灯籠が置かれた裏庭や小さな釣り床が配された座敷など、外観だけでなく内部も建築当時の面影が色濃く残されているという。

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現在はそのうちの1軒が時間単位での貸しスペース「銀杏菴」として使用されている。

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銀杏菴の出格子には登録有形文化財のプレートが掲げられている。
茶道、華道、書道教室が開かれている他、各種イベント会場としても利用されているようだ。

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平成25年(2013)、西川家長屋は大阪市内の長屋としては先述の寺西家長屋、豊崎長屋に続く3件目の国登録有形文化財となった。

(参考)大阪文化財ナビ 西川家長屋紹介ページ
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第1180回・北浜長屋

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北浜長屋は、大阪市中央区北浜にある木造二階建、事務所兼用の二軒長屋である。外観、室内共に和洋折衷の造りが特徴で、大正元年(1912)に建てられたとされる。長らく使われていなかったが近年改修され、店舗として再生された。平成30年(2018)7月に出された文化審議会の答申に基づき、国の登録有形文化財として今後登録される予定である。

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難波橋の近く、土佐堀通に面した正面。通りの反対側には大阪取引所(旧大阪証券取引所)が建っている。
正面側の外観は明治期以降の大阪の町家に多く見られる土蔵造を基調としており、窓や玄関など随所に洋風の造りを取り入れている。

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背面は土佐堀川に面しており、1、2階共欄干を巡らせた縁側を配した開放的な造りとなっている。現在は護岸で覆われているが煉瓦造の地階があり、かつては土佐堀川から船でも出入りできるようになっていたようだ。硝子戸を入れた縁側や煉瓦を用いた地階など、近代の和風建築の特徴を備えている。

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明治11年(1878)に取引所が設置されて以来、今日に至るまで北浜は大阪の証券街となっている。取引所の向かい側にある土佐堀川沿いには多くの証券業者の事務所が建てられ、明治から昭和戦前期には様々な構造、意匠の建物が建ち並んでいた。現在も往時の姿を残す建物は北浜長屋と以前紹介した北浜レトロビルヂング(旧桂隆産業)の2棟のみである。

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北浜長屋と北浜レトロビルヂングの竣工時期は共に大正元年 = 明治45年(1912)とされている。同時期の建物で立地条件も共通しているが、片方は煉瓦造の洋風建築に対し、片方は木造、和洋折衷の事務所兼用二軒長屋で、それぞれ異なる特徴を備えている。共に店舗として再生され、国の登録有形文化財となるのは大変喜ばしいことである。

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以前は証券業者の事務所や弁護士事務所として使われていたが、近年は空家となっていたようである。改修後は2軒それぞれに飲食店などの新しい店舗が入居している。

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内部は外観に対応した造りとなっており、創建当初は土佐堀通に面した正面側が洋室で、土佐堀川に面した背面が和風の座敷になっていたようである。また、地階には厨房や便所、洗面所など伝統的な町家、長屋の通り庭の機能が集約されていた。現在も正面側の洋室天井には、装飾を打ち出した金属板が張られている。

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玄関の上部にはペディメント(三角破風)が取り付けられ、内側には装飾彫刻も施されている。
正面側の洋室部分が事務所(店舗)で、川沿いの座敷及び地階は居住空間であったと思われる。

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二軒長屋であるが、正面向かって右側が特に保存状態がよく、窓や扉の建具は創建時のままで残されているようである。特に二階上げ下げ窓の意匠は他では見かけない、珍しい意匠である。

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平成28年(2016)に、大阪の近代建築の再活用に取り組んでいる近畿大学建築学科の髙岡伸一准教授の改修設計・工事監理により改修工事が施され、往年の姿が甦った。

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昭和40年代に行われた改装によって、黒漆喰仕上げの重厚な正面外壁は白く塗られ、川沿いの背面側も風情あるかつての姿は失われていたが、改修によりもとの姿に戻されている。

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建具が入れ替えられるなど比較的改変が多かった正面左側は復元改修が施されている。

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道路に面した正面を重厚に仕上げ、川に面した背面を開放的に造っている点では同じ大阪市内に現存する旧鴻池本店・本宅 (現在、川は埋め立てられている)と共通するが、水都と称されたかつての大阪ではこのような建物は少なくなかった。北浜長屋は昔の大阪の街並みを偲ばせる希少な建物のひとつである。

第1179回・織田歯科医院

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高知県高知市枡形にある織田歯科医院は、大正14年(1925)に建てられた鉄筋コンクリート造の洋館。戦災で中心市街地の大半が焼失した高知市において、現存する数少ない近代洋風建築であると共に、当地における最初期の鉄筋コンクリート造建築である。国登録有形文化財。

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織田歯科医院がある高知市枡形は高知城に近い位置で、かつてこの界隈は武家屋敷が建ち並んでいたという。織田歯科医院は、明治初期には自由民権運動の活動家でもあり、若い頃の肖像写真がその端正な容貌からネット上で話題になった織田信福(1860~1926)が、明治19年(1886)に開業した。

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大正15年(1926)に二代目院長の織田正敏によって現在地に移転、現在に至るまで当地で診療を行っている。かつては診療棟であった洋館に隣接して和風の住居棟があったようだが、現在は跡地に新しい診療棟が建っており、歯科医院の機能は新しい建物に移っている。

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洋館の手前にあるコンクリート塀。洋館と同時に建てられたもので、意匠も洋館と共通したものとなっている。塀には空襲時に焼夷弾によって受けたという痕跡が残されている。(写真の左側)

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正面2階中央にはバロック風の装飾壁が立ち上がり、外観を特徴づけている。装飾壁の中央部及び1・2階の窓の間には縦長のメダリオンを配し、塔屋にも装飾レリーフを設けるなど随所に装飾が施されている。

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外壁には柱型を並べ、壁面はモルタル塗りで粗く仕上げられている。このような外壁は大正以降の洋館で多く見られる、「ドイツ壁」と称されるものである。

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洋館と塀は診療棟の移転新築に伴って併せて改修が行われた。改修後の平成29年(2017)には「織田歯科医院主屋」「織田歯科医院塀」として国の登録有形文化財にそれぞれ登録されている。

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かつて存在した住居棟に面していた部分は他の部分と同一意匠で改修、復元されている。

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診療棟としての役目を終えた洋館は現在、結婚式場やギャラリーとして活用されている。

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門は改修に際し間口を広げたため当初の姿は残されていないが、新しく建てた門柱は旧意匠を忠実に再現したものとなっている。

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「織田歯科醫院」「DENTAL OFFICE M.ODA」と記された大理石の古い表札が新しい門柱に嵌め込まれている。

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写真で紹介できないが、内部も創建当初の造りをよく残している。かつては2階で診療及び治療が行われていたようだ。また、1階の玄関脇には漆喰と木材を組み合わせた折り上げ天井が見事な応接室がある。

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高知市内でも極めてハイカラであったと思われるこの洋館は、大正14年12月に竣工した。
織田歯科医院は翌年よりこの建物で診療を開始するが、新しい医院の完成を見届けたかのように、初代院長の織田信福は大正15年1月13日にこの建物の応接室で息を引き取ったという。(織田歯科医院のホームページ「織田歯科医院の歴史」より)

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高知県は他県と比較すると、現存する近代建築は数は決して多くないが、織田歯科医院を始めとするすばらしい建物が健在である。

第1178回・旧五十嵐歯科医院

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静岡市清水区蒲原(旧蒲原町)にある旧五十嵐歯科医院(旧五十嵐邸)は、旧東海道の宿場町にある旧歯科医院兼住居。大正期に洋風に改装されたという建物は、伝統的な町家が点在する街道でも目立っているが、内部は和室が中心で伝統的な町家の間取りを伝えている。国の登録有形文化財。

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東海道五十三次15番目の宿場である蒲原宿の旧街道沿いに建つ旧五十嵐歯科医院。

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現在の交通の中心は、南側を通る国道1号線や、JR東海道本線、東名高速道路に移っており、旧街道沿いは古い町家が点在する静かな街となっている。

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旧五十嵐歯科医院と同じく国の登録有形文化財で、一般公開もしている旧志田邸。幕末の安政地震後に改修され、そのころの佇まいを現在も残している町家である。

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旧志田邸とは目と鼻の先にある旧五十嵐歯科医院。
大正3年(1914)頃、蒲原出身の歯科医である五十嵐準氏が地元での開業に際し、江戸~明治期に建てられたとされる既存の町家を医院併用の住居として改装したものである。

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硝子戸を多用した洋風の外観が特徴であるが、内部は診療室などの医院部分を除いて伝統的な町家の造りになっている。昭和16年(1941)頃まで増築を重ね、現在の姿になったという。

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門柱には「五十嵐歯科醫院」と記された石の表札が残されている。現在、建物は管理団体である「旧五十嵐邸を考える会」によって管理、公開されており、無料で見学できる。

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玄関脇に貼られた「電話二三番」「健康保険歯科医」などと記された琺瑯のプレート。正字体で記されており、戦前のものと思われる。

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伝統的な町家の間取りを残している通り土間部分には洋風の階段が設けられており、2階にある歯科医院へ続く通路となっている。

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2階の通りに面した日当たりのよい位置に診察兼治療室、技巧室などが配されている。

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大正時代頃のものと思われる診療椅子と治療器具の一部。

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隣接する技巧室もタイル貼りの流しや薬品用と思われる戸棚など、戦前の歯科医院の雰囲気をよく残している。

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待合室は日本座敷となっており、豪華な襖絵や凝った欄間彫刻が施された西側の座敷は貴賓用の特別室であったようだ。

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西側座敷の床の間。置かれている銅像は明治の元勲の一人で、宮内大臣等を務めた田中光顕(1843~1939)。晩年は蒲原に居を構えており、五十嵐歯科にはよく診療を受けに来ていたという。

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一階に置かれた金庫では歯科医院らしく、金歯を作るための金を保管していたという。

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一階は主に生活の場として使われていたようである。旧五十嵐邸には氷冷蔵庫や網戸が付いた食器棚など、昔の生活を伝える道具類が多く残されている。

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裏庭に面して建っている台所と浴室棟。主屋とは通り土間でつながっている。

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現在も使われており生活感のある台所。奥は五右衛門風呂が現在も残されている浴室。

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裏庭から主屋を望む。裏側は完全に和風の造りであるが、建具や柱は洋風の正面側と同様にペンキ塗り仕上げとなっている。

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裏手に建てられた2棟の土蔵のうち、東側(写真右側)は鉄筋コンクリート造の新しい蔵で、西側のナマコ壁が元からあった古い蔵。

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便所は裏庭に張り出した位置にあり、入口脇には手水鉢が設けられており、伝統的な町家の造りとなっている。

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便所外壁のナマコ壁は、現在では再現不可能なものであるという。

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便所と同じく裏庭に張り出して建っているのは離れで、子供部屋として昭和15~16年頃に増築されたもの。

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離れへ入るには裏階段を跨ぐ渡し板が通路となっており、これを取り外すと出入りは不可能となる。

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洋風の外観に町家形式の間取りを持つ歯科医院として、同じく国の登録有形文化財である大阪市西成区の梅谷歯科医院がある。こちらは現在も現役の歯科医院として使用されている。

第1177回・旧林療院(郡上八幡楽藝館)

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前回に続き、岐阜県郡上市に残る旧医院の建物。八幡町島谷にある旧林療院の建物は、明治37年(1904)に建てられた洋風建築で、旧足軽屋敷を移築した看護婦棟や、大正期に増築されたレントゲン室などの附属建物も残されている。現在は「郡上八幡楽藝館」の名で保存活用されている。国登録有形文化財。

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旧林療院は八幡町の中心街にあり、先日取り上げた旧八幡町役場とは目と鼻の先に建っている。

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写真右が明治37年(1904)の開業に建てられた本館、左が旧藩時代の足軽屋敷を移築改造して建てられた看護婦棟。

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郡上八幡では、幕末に赤痢などの伝染病が蔓延したことから、当時八幡藩主であった青山幸哉によって、藩校に医学の講座を設けるなど西洋医学の導入が積極的に進められた。

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そのため明治に入ると、郡上八幡は岐阜県内でも特に医師の数が多く郡上郡では無医村が殆ど存在しないなど、医療体制は他の地域に比べると非常に充実していたという。

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明治37年に医師の林吉蔵氏が林病院(のち林療院に改称)を開業、擬洋風建築の本館と入院棟、城下町から移築した旧足軽長屋で構成される建物を八幡町の中心街に建てた。

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大正中期には岐阜県下では最初のレントゲン設備が導入されている。このとき増築された別棟のレントゲン棟も残されている。

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本館の玄関ポーチ及び外壁の四隅にある付柱には、擬洋風建築らしい意匠の柱頭飾りが設けられている。

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明治から平成の初めまで郡上八幡の医療施設として使用された建物は、林療院が閉院した後の平成9年(1997)に林家から八幡町(当時)に寄付され、町の教育・文化施設として活用されることになった。

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敷地内の建物4棟は補強、改修工事が行われ、平成12年(2000)に「郡上八幡楽藝館」として開館した。なお、改修に先立ち4棟のうち本館、看護婦棟、レントゲン棟は平成10年(1998)に国の登録有形文化財となっている。

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病院時代の佇まいがそのまま残されている受付。
本館1階とレントゲン棟は林療院の歴史を伝えるべく、医院として使用されていた時の状態で保存、公開されている。

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かつての林療院の看板。

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診察室。
壁と天井は漆喰塗り仕上げで、床にはかつては洋室の一般的な床仕上げ材であったリノリウムが貼られている。

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診察室の天井照明台座には菊のような花の装飾が施されている。

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診察室に隣接する外科室。本館1階にはこのほか薬局等が設けられている。

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吹き放しの渡り廊下で本館と結ばれたレントゲン棟。2階部分は硝子戸を入れたベランダになっており、どっしりした印象の本館とは対照的に住宅風の瀟洒な洋館となっている。

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レントゲン棟は1階部分が公開されており、現像室や機械操作室などは使用されていた当時のままで保存されている。展示の解説ではX線の放出を防ぐため内壁は鉛で囲まれているとあるが、壁が赤いのはそのためかも知れない。

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同時期の病院建築で、別棟としてレントゲン棟があったものに岡山県津山市の中島病院があるが、こちらのレントゲン棟は現存しない。中の設備まで残る大正時代のレントゲン棟は非常に珍しいのではないかと思われる。

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本館2階にある旧病室。角の1室だけそのまま保存されている。昔の病院では和室の病室も珍しくなかった。同時期に隣県の木曽谷に建てられた清水医院(現在は明治村に保存)では診察室以外は全て和室になっている。

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本館1階とレントゲン棟は昔の医院の姿がよく残されている。また、2階の大部分と看護婦棟、その裏手にある入院棟はそれぞれ内部を改装し、画廊や資料展示室として活用されている。

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郡上八幡の街歩きにはぜひ立ち寄りたい建物のひとつである。
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