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過去記事の更新+新記事の予告

いつも弊ブログをご訪問頂き、ありがとうございます。
初期の記事1件について写真の追加及び差替を行い、本文も書き直しましたのでご覧頂けると幸いです。
また、近日中に公開予定の記事についても併せて予告させて頂きます。

第54回・旧又野家住宅(舞子公園旧木下家住宅)
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(近日公開予定の記事)

海運王・日下部久太郎の建築遺産(全5回)

岐阜県出身の実業家で、明治から昭和にかけて岐阜・函館・神戸を拠点として活動し、第一次大戦の大戦景気では海運で財を成して海運王とも称された日下部久太郎(1871~1953)という人物がいる。

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日下部久太郎は、日本の海運業が空前の好況に沸いた第1次大戦から、壊滅に至った大東亜戦争の直前にかけて、約30年の間に3つの都市にそれぞれ、贅を尽くし趣向を凝らした和風・洋風の建物を築いたが、現在もその多くが健在である。

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中にはもとの場所を離れ、形も大きく変わったが、それでも往年の豪邸の面影を残している建物もある。

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大正半ばに神戸の郊外・舞子に建てられた別邸は、瀟洒な洋館と居住棟に、豪壮な大広間と明石海峡を望める庭園が組み合わされた豪邸で、大戦景気に湧いた当時の神戸の繁栄を偲ばせる。

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昭和10年代にホテルに改装された神戸別邸には、数寄を凝らしつつも昭和初期のモダンな趣を持つ新館が増築されている。

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これから5回に分けて、日下部久太郎氏の足跡と建築遺産について探ってみたいと思う。
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過去記事の更新

いつも弊ブログをご訪問頂き、ありがとうございます。
初期の記事1件について全面的に書き直し、写真を再訪時のものに差し替えました。
もしよろしければご覧頂けると幸いです。

第52回・旧ハッサム邸
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過去記事の更新

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第60回・旧青木家那須別邸
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第1184回・旧山口萬吉邸〔再訪〕

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平成28年(2016)2月7日付弊ブログ記事(第946回)にて紹介した東京都千代田区九段北にある旧山口萬吉邸は、平成30年(2018)5月に国の登録有形文化財になった。そして改修工事の上、会員制オフィス「kudan house」として再生、平成30年9月より開業した。

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正門脇の門衛所と思われる付属棟の窓も前回記事では塗装が剥げ落ちていたが、きれいに塗り直されていた。

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平成30年9月14日から16日にかけて、旧山口萬吉邸はファッションデザイナーで現代美術家である館鼻則孝氏の個展会場として公開されていたため、初めて敷地内に入ることができた。

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旧山口萬吉邸は、鉄筋コンクリート造3階建地階付のスペイン風洋館で、昭和2年(1927)に竣工した。木子七郎が設計、構造設計を内藤多仲、そして今井兼次が木子の助手という形でそれぞれ担当したようである。なお、同じ3者の組み合わせで大正15年に建てられた内藤多仲の自邸も現存しており、内藤が長年教鞭を執っていた早稲田大学によって保存されている。

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内玄関。山口家で通常使用されていたのはこちらと思われる。
山口萬吉は新潟の長岡に本拠を置く事業家で、現在の新日本石油の前身会社の設立にも関わった。(新潟はかつては石油の産出地であり、同社発祥の地でもある)

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日本の洋風邸宅にスペイン風意匠が取り入れられるのは大正後期に始まり、昭和戦前期にかけて流行した。元々は米国のリゾート地での流行であったが、建築家の武田五一や米国人であるヴォーリズ、また大林組などがこの様式を盛んに取り入れたことが知られている。都内では他に旧朝吹常吉邸(大正14年)、旧小笠原長幹邸(昭和2年)などが現存する。 

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大林組に勤務していた経歴を持つ木子七郎も、この様式を比較的早くから自らの設計作品に多く取り入れており、旧山口萬吉邸のほか、大正後期の建設と考えられる大阪の自邸、山口邸の翌年に竣工した兵庫県西宮市の旧新田利國邸が現存する。

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旧山口萬吉邸の2階内部には、以前取り上げた木子設計による旧稲畑二郎邸と同様に、次の間付きの本格的な日本座敷があるが、外観からは座敷の存在が全く分からないようにデザインされている。玄関ポーチのある正面2階、アーチ窓の内側が書院座敷となっている。

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スペイン風意匠の特色である、簡素ながらも重厚なポーチを張り出した正面玄関。
装飾豊かな木製の扉と玄関燈が出迎える。

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装飾意匠は木子七郎だけではなく、今井兼次によるデザインも多分に含まれているものと思われる。

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玄関脇にあるかつての応接間と思われる洋室。改修後もかつての雰囲気をよく残しているものと思しき部屋である。造り付けのソファーが設けられた出窓の開口部には緩やかな扁平アーチが見られるが、木子七郎設計の邸宅ではよく見られる意匠である。

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シンプルな意匠の暖炉。
この部屋は会員制オフィスになった現在も、山口家時代の照明器具や家具が再利用されているようだ。

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大きな半円アーチが3つ連なる1階ベランダ。庭園につながっている開口部には網戸が嵌め込まれ、実用性を重視した造りとなっている。なお、庭園の整備はまだこれからのようである。

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アーチの下の飾り窓には和風の青海波の意匠が見られる。

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かつては住み込みのボイラーマンも居たという地階。
今回は展示室に充てられていたが、連なるアーチが特徴的な地階も今後多目的に活用されるようである。

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旧山口萬吉邸の内部で最も魅力的な階段室。
床のモザイクタイルやラジエーターグリルも美しい。

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邸宅内に噴泉を設けるスパニッシュスタイルの定石に従って、旧山口萬吉邸では階段室に噴泉が設けられている。展示作品で覆われているが噴泉の後ろのアーチ窓はシンプルな意匠のステンドグラスになっており、その内側には洗面所が設けられている。

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曲線を多用する階段室は木子七郎が得意としていた意匠なのか、旧山口萬吉邸だけではなく旧新田利國邸や愛媛県庁舎などでも見られ、いずれも非常に美しい空間となっている。

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噴泉の水吐き口には女人像の頭部が据え付けられている。

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手摺りの意匠も秀逸。

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設計者の技量も大理石の手摺や漆喰壁、床タイルなどこの空間を造り上げた職人の腕前も、共にすばらしい。

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2階階段室に置かれたラジエーターグリル。1階と同じような意匠である。

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何となく南国情緒を感じさせる2階のベランダ。
2階は先述の日本座敷のほか、家族用の居室として使われていたと思われる部屋が並ぶ。

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1階のベランダと同様に、床はタイル貼り、開口部には網戸を嵌め込む。

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旧山口邸では屋内ベランダのほか、2階から3階にかけて屋外テラスも設けられている。
写真は2階屋外テラスへの出入り口。

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3階への階段。3階にはダンスホールとしても使われていたという洋室がある。

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旧新田利國邸と同様に、今も随所に残されている華麗な照明器具の数々も旧山口邸の見どころである。

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近代の邸宅を会員制オフィスとして再生させるというのは従前にはない新しい試みと思われるが、その成功と、旧山口萬吉邸に続く事例が更に現れることを願う。

第1183回・琴ノ浦温山荘(旧新田長次郎別邸)〔再訪〕

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弊ブログ第427回記事で紹介した和歌山県海南市の琴ノ浦温山荘は、前回記事掲載時には内部非公開であったがその後、入園料に追加料金100円を払えば見学できるようになったというので再訪した。また、長らく使用されていなかった浜座敷が修復され、これも公開されるようになっていた。再訪記事と言う形でこれらの建物の内部を中心に紹介したい。

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以前は催事等での使用時を除き、主屋などの建物の雨戸は閉まっていたが、現在は開園時間内は開かれている。(尤も、雨戸の開閉は大変な作業なので、庭園の維持と併せて新たに1人雇用したそうである)なお、園内にある各建物の外観及び庭園については前回記事を御参照頂きたい。

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受付で内部見学希望の旨を告げ観覧料を払うと、園長自らが案内され、主屋内部を見学させて頂ける。
主屋は大正4年(1915)に竣工、その後大正後期に写真の客用玄関や応接用の座敷が増築された。一見伝統的な和風建築であるが、鉄筋コンクリートやベニヤ板など、当時最新の技術と建材を随所に用いた近代和風建築である。

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別荘の主である新田長次郎は、明治初期に皮革加工技術を自ら習得し、その後も絶えず新技術を追求してきた事業家である。建物の設計を手掛けたと考えられている木子七郎は長次郎の娘婿であり、鉄筋コンクリート構造に早くから着目していた建築家である。温山荘は建物・庭園共に、そのような二人の新しい試みを随所に見ることができる。

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客用玄関を上がると、寄付と称される十五畳の広間がある。洋館ならば玄関ホールと称するところと思われる。

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寄付の奥を左に入ると、庭園を一望できる十畳の座敷へ入る。日本座敷であるが、中には椅子とテーブルを配した洋式の応接間である。客用玄関、寄付と共に大正後期の増築で設けられた。家具は当時からのものである。

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温山荘は新田長次郎の出身地である松山の旧藩主・久松定謨伯爵が大阪へ来た際の滞在を目的として建てられたとされる。ほかにも長次郎と親交のあった秋山好古(陸軍大将)、清浦奎吾(伯爵、元首相)、東郷平八郎(侯爵、海軍元帥)などの著名人が温山荘を訪れ、長逗留する人もあったという。

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この座敷には、新田長次郎が国産化に成功したとされる合板(ベニヤ板)が天井板として用いられている。主事業であった皮革加工から生じたゼラチンと、革をなめすために必要なタンニンを採取するために用いた木材の有効活用を目的としてベニヤ板の製造に着目したようだ。別荘は自社製品の格好の宣伝の場にもなった訳である。

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また、この座敷の意匠的な特徴として、矩形を組み合わせた意匠の欄間や書院窓、方眼紙のような意匠の障子など、統一的に幾何学的な意匠を施している点も挙げられる。モダンデザインにも関心が強かったという木子七郎の試みと思われる。

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襖の取手は伝統的な意匠の七宝細工となっている。

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さらに奥へ進むと二四畳の主座敷があり、大正4年の竣工当初から建っていた部分である。
庭園と同様、開放的な明るい印象の座敷である。

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主座敷の欄間は相原雲楽の手による。相原雲楽は中之島図書館旧松本健次郎邸鴻池本店・本宅、旧日下部久太郎別邸(舞子ホテル)大広間など、明治から大正期の洋風・和風建築の室内装飾を手掛けた彫刻家である。木子七郎設計の建物では温山荘の他に、松山にある萬翠荘の室内装飾も手掛けている。

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主座敷の欄間は全て、因幡の白兎に因むという波乗り兎が彫られている。
欄間には雲楽の銘と共に「大正乙卯」と刻まれていることから、大正4年に製作されたことが分かる。この年の干支が兎年であることと何か関係があるのかどうかは分からない。

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主座敷は鉄筋コンクリート造の地階の上に載る形で建っており、縁側で地表からは高い位置にある箇所には高欄を設けている。

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地階も見学させて頂いた。かつては撞球室やダンスホールなどを備えた洋風の娯楽室と、厨房や使用人部屋などのサービス空間に充てられていたが、昭和21年(1946)の南海地震による津波で浸水したため、壁や天井の大部分は取り払われている。但し、現在も部分的に洋風意匠の照明台座などが残されている。

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漆喰仕上げの照明台座と照明器具。大正初期らしいセセッション風意匠である。

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地階でも比較的旧態を止めている洋風の広間。ダンスホールとして使われていたというのはここと思われる。蛍光ランプで隠されているが、上の写真と同様の意匠と思われる照明台座が見える。

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外から見た地階の明り取り窓。上に見えるのは寄付の花頭窓である。
地階部分も復元できないものだろうか。

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客用玄関の脇には人力車夫などの控え部屋として建てられた伴待と称する小さな建物があり、以前の記事でも取り上げたが、この中には実は隠し部屋が存在していた。

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主屋とつながっているかどうかは分からないが、多くの貴賓を迎える館だったので暴漢の襲撃に備えた仕掛けと思われる。

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作庭の指導を行った木津宗泉の設計で、大正9年(1920)に建てられたとされる池のほとりの茶室「鏡花庵」の内部。

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茶室も、以前は茶会等で使用される場合を除き雨戸が閉ざされていたが、現在は開かれている。
立ち入りはできないが、硝子戸越しに内部を見ることができる。

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大正2年(1913)に、園内で最初に建てられた浜座敷。南海地震の津波で座敷内まで浸水し、長らく閉鎖されていたが近年耐震補強と修復が行われ、往年の姿が甦った。(雨戸が閉じているのは閉館後の撮影のため)

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本瓦葺で反りのある屋根が特徴の浜座敷。主屋とは異なり重厚で古風な印象の建物だが、屋根の小屋組みには洋小屋を採用するなど近代的な技法が用いられている。

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浜座敷の玄関。
現在は自由に内部も見学可能となっている。

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主室から次の間を望む。

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浜座敷の主室。琵琶棚付の床の間を備えた十畳座敷である。
訪問したのが5月の連休だったので、違い棚の前には五月人形が飾られていた。

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浜座敷の襖取手。
主室側が蝙蝠、次の間側は竹の意匠。

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岩の中腹に建つ浜座敷は主屋と同様に、縁側には高欄を設けている。
埋め立てにより現在は見る影も無いが、かつてはここから海を一望できた。

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周囲からの勧めで造園を趣味とするようになった新田長次郎は温山荘の造営後も、息子や孫のために広大な庭園を各地に造り、建物は全て娘婿(木子七郎)に設計させた。その中で、孫の新田利國のために建てた邸宅が現存する。庭園・建物共に和洋が併存する造りが特徴で、温山荘とは異なる趣の新田長次郎と木子七郎による共同作品を見ることができる。
プロフィール

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Author:syoukou
(ブログについて)
現存する近代日本の歴史的遺産(台湾など旧日本領土も含む)を建造物・土木構造物を中心に、思いつくままに取り上げております。

(写真について)
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