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第126回・大阪倶楽部
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過去記事の更新+新記事投稿について

いつも弊ブログをご訪問頂き、ありがとうございます。
初期の記事1件について全面的に書き直し、写真を再訪時のものに差し替えました。
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また関連する建物についての新記事を併せてアップしましたので、併せて御覧頂けるとなお幸いです。

第97回・旧石川組製糸西洋館
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第1216回・旧関根平蔵邸
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第1216回・旧関根平蔵邸

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埼玉県川越市中原町に、入間市の旧石川組西洋館を建てた宮大工の関根平蔵の自邸が残されている。石川組西洋館の余った建材を貰い受けて大正14年(1925)に建てたとされる煉瓦タイル貼りの洋館は、石川組西洋館を縮小したような外観が特徴で川越市の都市景観重要建築物に指定されている。

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関根平蔵は祖父・八五郎の代より三代に亘る大工で、父・松五郎は時の鐘(川越市指定文化財)の再建を請け負った棟梁として知られる。平蔵も神社、町家、洋館から川越まつりの山車まで幅広く手掛ける優秀な棟梁で、「丸鉢(丸八)」の屋号で建築請負業を営む傍ら、市会議員なども務める川越の名士であったようだ。

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旧関根平蔵邸(上)と石川組西洋館(下)と比較すると、小豆色の煉瓦タイルを貼った外壁、平屋建の別館を備えた構成や屋根の形状など、多くの共通点を見つけられる。

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角の隅石や窓台などには白い化粧煉瓦(タイル)が用いられているが、石川組西洋館(右)でも玄関やベランダなどに同じような化粧煉瓦が使われており、これも石川組西洋館の建材を用いたものと思われる。

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銅板葺2階建の本館の奥には、土蔵造も取り入れた瓦葺の座敷棟と、煉瓦造と思われる蔵がある。

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瓦葺の別館は格子戸のある玄関を備えており、居住棟として建てられたものと思われる。

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玄関の間口を広く取った本館は店舗として使われていたものと思われる。なお、父の関根松五郎が住居兼店舗としていた土蔵造の建物も大正浪漫通りに面して現存しており、こちらも川越市の都市景観重要建築物に指定されている。

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色ムラの多い煉瓦タイル貼りの外壁は、深みのある色調と相まって風格を醸し出している。川越におけるタイル(化粧煉瓦)貼りの洋風建築としては旧八十五銀行本店と並んで双璧と言える。

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軒や柱の一部は銅板で包み込み、軒裏には装飾を打ち出した金属板を貼っている。石川組西洋館でも同様の金属板が玄関ホールなど室内の天井に用いられているが、同一品ではなく異なる意匠であった。

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大正期の建築らしい直線を基調とした装飾を備える持ち送りは、石川組西洋館でも同様のものを見ることができる。

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別館に僅かに残されている、創建当初からのものと思われる木製の窓枠は、石川組西洋館と同様にペンキを塗らない白木のままの仕上げとなっている。

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鬼瓦には丸に鉢の文字がある。
関根平蔵が建築請負業の屋号としていた「丸鉢」に因むものと思われる。

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街路からは敷地奥に建つ蔵が見える。
蔦が絡んでおり分かりにくいが、主屋とは異なる薄茶色の化粧煉瓦が貼られている。

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蔵の壁はよく見ると、背面のみ主屋及び蔵で用いられている3色の化粧煉瓦(タイル)をモザイク状に貼っているようだ。棟梁が自邸ならではの遊びとして試みたと思われ、興味深い。

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推測だが、石川組西洋館の建材を関根棟梁が譲り受けたのは、施主である石川幾太郎が関根棟梁の仕事を高く評価した証であり、関根棟梁自身にとっても会心の仕事であったからこそ、自邸兼店舗としてこの洋風建築を建てたのはないだろうか。川越を代表する棟梁の自邸が石川組西洋館と共に後世に引き継がれることを祈念する。

(参考資料)
川越市 景観重要建造物・都市景観重要建築物パンフレット
入間市ホームページ 旧石川組製糸西洋館の世界
入間市博物館紀要第9号 平成23年3月 入間市博物館刊行

第1215回・旧佐々木医院

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旧佐々木医院は、埼玉県川越市連雀町に残る昭和初期の医院建築で、創建当初の姿をよく残している。主屋のほかに門や塀、人力車の待機小屋といった附属建物まで残されており、一式が川越市の都市景観重要建築物に指定されている。

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昭和10年(1935)に建てられたという佐々木医院。現在は隣接して新しい診療所が建っており、現在はこの洋館は使われていない様子である。

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敷地の隅に建つのが人力車用の車小屋である。昭和10年当時は日産自動車が小型車の量産を始めるなど自動車の普及しつつある時期で、都心部では往診用に自動車を持つ開業医も存在したが、人力車や自転車を用いる方が多かった。

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外壁は黄土色のモルタル塗り仕上げで、研ぎ出しの人造石と黄褐色のスクラッチタイルで仕上げられた玄関ポーチが張り出している。黒瓦葺きの寄棟屋根には特注品と思われる形状の棟瓦が載っている。

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門柱にもスクラッチタイルが張られており、「佐々木醫院」と正字体で記された陶製の表札が残されている。

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車小屋を正面から見る。右側が車庫で、硝子戸が立て込まれた左側が車夫の控室と思われる。同じ川越の旧山崎家別邸や和歌山の温山荘など、車夫の控え所が現存する邸宅はあるが、車庫兼用で現存するものは珍しいと思われる。

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玄関扉や窓の木製サッシなどの建具類や照明燈も古いものがほぼ完全に残されている。扉や窓の桟は当時流行したライト風意匠で、スクラッチタイルと共に、昭和初期の洋風建築の特徴をよく現している。

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玄関ポーチの天井や柱、玄関の開口部の縁取りなどを見ると、実に丹念な左官仕事が施されていることが窺える。

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昭和初期の特徴をよく残すモダンな医院建築である。

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大正期の洋風医院で弊ブログでも以前紹介した中成堂歯科医院。こちらは外観は昔の儘にしながら内部を改修、現役の歯科医院として使われている。旧佐々木医院も何らかの形で活用できればよいのだが。

第1214回・鈴木家住宅(丹徳庭園)

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東武東上線川越市駅の近くに、重厚な出桁造の商家と軽快な意匠の洋館が向かい合って建つ一角がある。いずれも材木商を営んでいた鈴木家が昭和の初めに建てたものであるが、明治期の離れや庭園、土蔵も残されており、川越市の中心街にあって広大な屋敷構えが現在もよく残されている。平成30年より離れと庭園が「丹徳庭園」として公開されている。

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弊ブログ第967回記事で紹介したカワモク本部事務所棟。向かいに創業家である鈴木家の店舗兼住居がある。川越を拠点に建設業などを営むカワモクグループは、明治2年(1869)に初代鈴木徳次郎が材木店「丹波屋」を創業したことに始まり、その後屋号を「丹徳」に改めた。二代目徳次郎の代には材木業の傍ら市議や商工会議所会頭などを務めるなど地元政財界でも活躍した。

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第二次大戦中の統制令により材木を扱えなくなったため一時閉業するが、戦後間もなく川越木材工業として再出発、現在のカワモクグループに続いている。平成30年より同社の創業150年を記念事業として、庭園を一般公開すると共に離れが食事処や宿泊施設として活用されることになった。 

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鈴木家の住まいは明治から昭和初期にかけ二代にわたって造営されている。初代徳次郎によって離れが明治34年(1901)に建てられ、庭園も同時期に造営された。昭和4年(1929)には二代目徳次郎によって小さな応接用の洋館も備えた出桁造の重厚な主屋が新築された。また、主屋と離れの間には重厚な黒漆喰仕上げの土蔵も建っている。

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正面の戸袋には節穴かひび割れを塞ぐための埋木細工が見られるが、木目を水の流れに見立てたのか、木の葉の形になっていた。

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街路に面した帳場は主屋脇の通用口からも入れるようになっている。帳場は伝統的な商家の造りとなっているが、昭和初期の建物なので応接用の洋館も備えられているのが特徴である。専用の玄関を備えている洋館は、帳場からも出入りできるよう造られているようだ。

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主屋から離れに続く道は私道なのでこれまでは洋館や離れを間近に見ることはできなかったが、庭園の一般公開に伴い見学できるようになっている。

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外壁をモルタルで石造風に仕上げた洋館。一室だけの小規模なものだが、玄関まわりや腰壁などに凝った造りが見られる。

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ステンドグラスやモザイクタイルで飾られた洋館の玄関。
扉や照明器具など創建時の形をそのまま残しているものと思われる。

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玄関扉の飾り格子も創建当初のものと思われる。脇に設けられたステンドグラスはガラス面の両側が屋外に面したものとなっている。ステンドグラスはどちらかが屋内に面している場合が多いが、鈴木家の洋館や神戸の旧日下部久太郎別邸などのように玄関ポーチの装飾として用いられる例もある。

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欄間のステンドグラスは昭和初期の洋風建築によく見られるアールデコ調の意匠。

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玄関床のモザイクタイル。

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鈴木家の2つの洋館を望む。
ほぼ同時期の竣工であるが、応接間は重厚な石造風、事務所は軽快な意匠の木造洋館で、対照的な趣を見せている。

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主屋の奥に土蔵と離れ、庭園がある。離れの内部と庭園は有料で見学できる。

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離れには専用の門と玄関が別に設けられており、見学に際してはここから入る。

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庭園は玄関脇に設けられた枝折戸から入り、飛び石沿いに散策できるようになっている。水琴窟も設けられている。(写真右手に写っている)

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庭園より離れを望む。
二階建で、公開までは居住していたという。

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庭園の一角に鎮座する寿徳明神。
明治31年(1898)に初代鈴木徳次郎が京都の伏見稲荷に参拝、正一位稲荷大明神霊をこの地に勧請したという。

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離れの一階座敷。十畳の床の間付き主座敷に六畳の次の間を備え、周囲には縁側を巡らせる。訪問時には土蔵に収蔵されていたという明治時代の雛人形が飾られていた。

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川越と同じく蔵の街として知られる栃木県栃木市にあり、鈴木家と同様に材木商であった塚田家(塚田歴史伝説館、弊ブログ過去記事参照)の離れと同様に、材料には特に吟味された良材が用いられており、床柱や欄間にも銘木や珍材が用いられている。

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主座敷から庭園を望む。庭園は初代鈴木徳次郎の代に造営されたもので、井戸から豊富に水があふれ、財宝を積んだ宝船が岸に着くという様を枯山水で表現したというものである。縁起の良さを現した商家にふさわしい庭園である。

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縁側の欄間には当家の屋号に因み、「丹」の文字を崩した意匠の組子細工が施されている。

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別料金で抹茶を点てる体験もできる。

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丹徳庭園では、見学や抹茶体験のほか、離れ一棟を貸切とする形での宿泊や昼食もできるという。

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見学可能な庭園のある邸宅としては、川越中心街では旧山崎家別邸に続くものと思われる。鈴木家住宅と丹徳庭園が川越の新たな名所として定着することを祈念したい。

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梁または腕木を突出して側柱面より外に桁を出した構造の出桁造(だしげたづくり)は、重厚な外観が特徴で関東地方の古い商家に多く見られる。土蔵造が目立つ川越では比較的珍しいが、鈴木家のすぐ近くにある宮沢家住宅(市指定文化財)では土蔵造と出桁造の中間のような造りを見ることができる。

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旧山崎家別邸の前に建っており、川越市の都市景観重要建築物に指定されている榎本家は大正期の商家で、1階の窓にはステンドグラスが嵌め込まれている。川越以外の埼玉県内では、以前紹介した幸手市の石井酒造も昭和初期の出桁造の商家で、主屋に洋館と接客用の座敷棟を備えるなど鈴木家と共通する特色を備えている。
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現存する近代日本の歴史的遺産(台湾など旧日本領土も含む)を建造物・土木構造物を中心に、思いつくままに取り上げております。

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