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第1197回・明賀屋本館太古館

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栃木県那須塩原市塩原にある明賀屋本館は延宝2年(1674)の創業とされる老舗温泉旅館で、首都圏から比較的近い位置にある秘湯としても人気の高い温泉宿である。客室棟のひとつである太古館は、昭和8年(1933)に建てられた和洋折衷の木造三階建で、ライト風意匠の外観に特徴がある。現在も食事処及び客室として使用されている。

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塩原温泉郷でも最も奥まった位置にある塩の湯温泉は、江戸川乱歩が昭和初期に書いた長編探偵小説「吸血鬼」の舞台となった。塩の湯温泉には現在も小説の世界を思わせるような温泉宿が今も残されている。

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今回取り上げた明賀屋本館のほか、その向かいに建つ柏屋旅館の別館も昭和10年(1935)に建てられたほぼ同時期の建物である。但し柏屋旅館は主な機能は新館に移されており、別館は客室としては使用されていないようである。

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明賀屋本館も主な機能は建て替えられた鉄筋コンクリート造の本館棟に移されているが、太古館は食事処及び客室棟の一部として今も現役で使われている。

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「太古館」の名は、大正初期に明賀屋に宿泊した徳富蘇峰の命名による。周辺の環境が「静かなること太古の如し」として名付けられたという。

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温泉が湧く鹿又川沿いに本館棟及び自炊棟があり、道路を隔てて山側に建つ太古館とは渡り廊下で繋がれている。元々は和風の二階建であったが、昭和8年にモダンな外観の三階建に建て替えた。

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フランク・ロイド・ライトの旧帝国ホテル旧山邑家別邸を思わせるような外観が特徴であるが、設計者の鈴木慶一郎はライトの下で旧帝国ホテルの設計に従事したスタッフの一人で、のちには東京都の技師も務めたという人物であるという。

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壁面は旧山邑家別邸や自由学園明日館と同様に明るいクリーム色のモルタル塗り仕上げとしており、窓台や車寄、腰壁などに旧帝国ホテルを思わせる茶褐色のスクラッチタイルを用いている。

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曲面を持つ張り出し窓は、当時としては非常に斬新でモダンなものであったと思われる。

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太古館には専用の玄関が設けられているが、現在は使われていない。

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玄関の木製硝子戸。

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玄関ホール。太古館の内部は一階が洋風、二・三階が和風の造りになっている。一階は写真左手にある会議室はもとのままと思われるが、右側は改装されており、現在は厨房として使用されている。

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玄関ホール奥の階段まわりや廊下の柱頭飾りなど、内部にもライト風の意匠が施されている。

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太古館は一見すると鉄筋コンクリート造りにも見えるが木造で、背面の外壁はペンキ塗りの下見板張りとなっている。

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格天井な見事な二階の大広間兼宴会場。ここが宿泊客の食事処として使われている。

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床の間。

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照明器具は戦前からのものが残されている。

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三階は客室となっている。
戦時中には太古館は女子学習院(現在の学習院女子大学)の疎開先としても使われた。

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客室の欄間。

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太古館には著名人の揮毫による扁額も飾られている。大広間には太古館の名付け親である徳富蘇峰(扁額では「荘峯」となっている)の揮毫による扁額が飾られている。宿泊した客室には澁澤榮一(青淵)の扁額が飾られていた。

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本館棟は戦後に建て替えられているが、鹿又川沿いにある露天の浴場へ続く通路は古風な木造の階段がそのまま残されており、秘湯の雰囲気を残している。

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斜面に沿って長く続いている階段。

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最も浴場に近い位置に建っている木造四階建の自炊棟。現在は使用されていない。

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自炊棟の脇を抜けて浴場へ向かう。

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湯治場の趣を今も色濃く残している浴場。

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鹿又川の渓流がすぐ目の前を流れている。近年には大雨で浴槽の一部が流失したこともあるが、直営で復旧されている。

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洋風の外観を持つ戦前の温泉旅館建築自体が希少な存在であるが、ライト風意匠という点でも非常に珍しいのではないかと思われる。

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温泉も建物もすばらしい。
これからも何とかこの姿を維持して頂きたいものである。
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海運王・日下部久太郎の建築遺産 (あとがき)

全6回に及ぶ「海運王・日下部久太郎の建築遺産」をお読み頂き、ありがとうございます。
以下、記事の作成にあたり特に参考にさせて頂いた資料等を紹介させて頂きます。
関心を持たれた方の参考になれば幸いです。

(書籍・雑誌記事)
日下部同族合資会社 「日下部久太郎の軌跡」 非売品※
馬淵多喜治「濃飛立志伝」岐阜経済新報社 昭和5年
藤森照信・増田彰久「歴史遺産日本の洋館 第三巻 大正編Ⅰ」 講談社 平成14年
             「彩色玻璃コレクション 日本のステンドグラス」朝日新聞社 平成15年
兵庫県教育委員会 「兵庫県の近代和風建築:兵庫県近代和風建築調査報告書」 平成26年 
相庭泰志「舞子ホテル」財界人・皇族・武家・芸術家が住んだ家「由緒正しき宿」の物語⑲ 平成17年
(大塚製薬の社内報「大塚薬報」第610号掲載記事)

(ホームページ等)
函館市史 デジタル版 通説編第3巻 第5編
はこだて人物誌 日下部久太郎
田空間工作所  (旧)日下部邸移築再生工事
岐阜市景観重要建築物:日下部邸移築 【そば処旧吉照庵】
再見 東海地方の名建築家④ 岐阜建築界のパイオニア/佐藤信次郎

※ 「日下部久太郎の軌跡」 は非売品であるが、日下部久太郎に縁のある北海道七飯町では歴史館の蔵書として公開されている。 「濃飛立志伝」と「大塚薬報」は国会図書館で閲覧できる。

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最後に、それぞれの建物の見学(現役の個人邸である函館邸は除く)に際しては、いずれも格別のご厚意を賜りました。関係者の方々に心より御礼申し上げます。

海運王・日下部久太郎の建築遺産  おわり

第1196回・舞子ホテル新館〔海運王・日下部久太郎の建築遺産⑥〕

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第一次世界大戦後の不況を切り抜けた日下部久太郎は、昭和に入るとホテル業も始め、昭和12年(1937)には神戸邸を改装して「舞子ホテル」を開業、戦前戦後を通じて多くの貴賓、著名人を迎えた。これまで6回に分けて紹介してきた海運王・日下部久太郎が残した建築の最後は、第二次大戦直前に建てられた舞子ホテル新館を取り上げる。

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舞子ホテルは開業後間もない昭和14年から15年(1939~40)頃にかけて、洋館と日本館にそれぞれ増築が行われ、大正の別荘建築と昭和戦前の旅館建築が併存する現在の姿が完成した。写真は洋館の増築部分。

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簡素な外観の離れで、洋館とは短い渡り廊下で結ばれている。庭園側には大きな窓を開き、南側には石畳のテラスを設ける。モダンな意匠の室内については前々回の記事を御覧頂きたい。

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日本館の北側に増築する形で建てられた新館。地階と屋根裏部屋がある木造三階建で、調理場と客室を備えている。屋根は阪神大震災後に新建材に葺き替えられているが、玄関周りと室内は昭和初期の雰囲気をよく残している。

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舞子ホテルの増築設計を行ったのは、工手学校(現・工学院大学)で建築を学び、岐阜市で建築事務所を開いていた佐藤信次郎(1898~1978)という建築家である。日下部久太郎は昭和以降、日下部家に関係する建築設計の殆どを、地元で活躍するこの若い建築家に依頼した。

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佐藤信次郎は依頼に応えて事務所や住宅、ホテルなどの設計を多数手掛け、舞子ホテルとなった神戸邸に代わる邸宅の設計も行った。現存しないが舞子ホテルの敷地北側には、日下部久太郎が晩年を過ごした二代目の神戸邸があった。

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舞子ホテルの近くにあり、戦時中に建てられた旧又野家住宅は応接間や玄関などに舞子ホテル新館と似た造りが見られる。私見であるが、自邸新築に際し建築を勉強したという又野氏は、この建物も参考にしたのではないかと考えている。

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床の間を備えた玄関ホール。右側に置かれた衝立は開業当時からのものであるという。新館の増築によって、洋館にしか無かった客用玄関が日本館にも設けられた。

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中廊下に面して設けられた客室への入口にはそれぞれ踏込や格子戸など設け、独立性の強い造りとしている。また、館内は賑やかな意匠で飾られ銘木を多用するなど、近代以降の料亭や旅館建築に多く見られる特色を備えている。

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敗戦後、舞子ホテルは昭和21年から25年頃(1946~50)まで連合軍に接収され、米軍と豪州軍の宿舎として使われた。接収された和風邸宅の多くは柱や天井板にペンキを塗られたり、床の間を便所にされるなど散々な扱いを受けたが、ここではそのような痕跡は見られなかった。(接収解除後の修復かも知れないが)

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食事用の個室として使われている玄関脇の客室「菖蒲」。新館は食事用の個室のほか、結婚式の出席者のための控室や新郎新婦の準備室として使われている。なお、舞子ホテルは現在、レストラン及び結婚式場としての営業が主で、宿泊部門は休業中である。

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神戸の西郊は現在でも戦前の豪邸がいくつか残されているが、近年は須磨の旧西尾類蔵邸と塩屋の旧ジェームス邸が舞子ホテルと同様に結婚式場やレストランとして活用され、人気を博している。

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新館の玄関の前は一面の竹林になっており、高層マンションが林立する舞子駅周辺とは思えない景色が残されている。結婚式の撮影場所として人気があるようだ。

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旧日下部邸へ続く渡り廊下は柱も天井も全て角材が用いられ、直線的で角張った印象を受ける。景色に変化を付けるためか、廊下を途中で曲げている。この先は前回記事で紹介した待合風の空間に続いている。

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日下部久太郎は舞子ホテルに続き、大東亜戦争が勃発した昭和16年(1941)には函館に近い七飯町の大沼湖畔で温泉旅館「山水」を開業した。舞子ホテル新館と同じく佐藤信次郎の設計で、モダンな和洋折衷の建物である。

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山水は昭和天皇も宿泊された由緒ある宿であったが、残念ながら近年廃業した。現在、建物は不動産会社の管理物件として維持されている。復活を願わずにはいられない。

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舞子ホテルは接収解除後も日下部家が経営していたが、昭和38年(1963)に山陽電気鉄道(株)が経営を引き継いだ。近年まで料亭旅館として使われていたが、平成22年(2010)にイタリアンレストランに業態を改め、現在に至っている。

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新館には客用階段が2つあり、それぞれ異なる意匠が施されている。片方の階段は竹の皮を貼り、もうひとつの階段は木目の美しい板と面取りを施した細い丸太の組み合わせになっている。

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二階洗面所の入口は、寺社建築に見られる花灯窓の意匠が取り入れられている。

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二階の客室「百合」
料亭旅館時代は階下は食事用の個室、階上は宿泊用の客室であった。三階は倉庫として使われている。

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控えの間との境目に穿たれた三連の円形窓。
桂離宮の笑意軒にある円形窓を模したものではないだろうか。

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玄関の真上にある客室「杉」
客室は全て床の間や天井など、異なる造りになっている。

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「杉」は、天井や欄間など特に変化に富んだ客室である。

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欄間は入口の斬新な意匠のものと、縁側にある波型の無双窓が目を引く。無双窓は東海地方では特に好まれたようで、当地の近代和風建築でよく見られる。施主も設計者も東海地方に縁が深いので用いられたのかも知れない。

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二階南側に設けられた、角部屋の広い客室「牡丹」
面取りを施した丸太を組んだ格天井など、格調の高い造りや立地からして新館の中でも最上級の客室と思われる。

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欄間は旧日下部邸大広間棟の廊下にあるものとよく似た意匠が用いられている。日下部家時代の舞子ホテルは川端龍子、頭山満、松井石根など多くの著名人が利用したが、皇族も訪れている。

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昭和天皇の第一皇女である照宮成子内親王(東久邇成子 1925~1961)は舞子ホテルと山水の両方を利用され、山水は昭和天皇と香淳皇后にも利用を薦められたという。実際、昭和29年の両陛下による北海道巡幸時には山水は宿所に充てられている。

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日下部久太郎が2つの宿を開いた時期は、まさに第二次世界大戦に突入する頃であった。大戦により日本の海運業は壊滅、日下部汽船も例外ではなかったが、戦後は函館運送(株)を設立して陸運への転換を図り、日下部汽船も海洋工事を主とした建設会社に転身、現在も日下部建設(株)として続いている。

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二度の世界大戦に浮沈を繰り返しながらも、事業家として晩年まで精力的な活動を続けた日下部久太郎は昭和28年(1953)に83歳で死去した。舞子ホテルはその後日下部家の手を離れ、業態も変わったが、今も変わらない佇まいで盛業中である。

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日下部久太郎氏は実業家として決して知名度は高くはないが、残した建物の数の多さと質の高さはもっと注目されてもよいのではないだろうか。残念ながら紹介した一連の建築群で現在、文化財に指定もしくは登録されているものは無い。今回投稿した一連の記事が、氏の足跡と建築遺産が少しでも注目されるきっかけになれば幸いである。

第1195回・旧日下部久太郎別邸(舞子ホテル)〔海運王・日下部久太郎の建築遺産⑤〕

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前回は神戸市垂水区舞子台にある日下部久太郎の神戸邸(舞子ホテル)洋館について取り上げたが、今回は日本館の紹介である。この邸宅は割合からすると洋館はごく一部であり、日本家屋と庭園が大部分を占めている。洋館と、その奥に広がる和の空間との対比がこの邸宅の魅力を一層高めている。

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神戸邸の日本館は洋館と同じく大正8年(1919)頃の創建で、洋館のすぐ背後に大広間棟と中庭を設け、その奥には居住棟や土蔵を配して回廊で繋いでいる。洋館の脇には使用人部屋などのサービス空間が設けられ、隣接して昭和15年(1940)頃に建てられた新館が建っている。

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門から邸内に入り、正面から見ると洋館しか見えないが、洋館の中へ入ると奥には和風の空間が見える。

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洋館を抜けると中庭があり、数寄屋風の渡り廊下が斜めに横切る形で配されている。舞子ホテルの中に初めて入ったのは20年近く前のことだが、洋から和への鮮やかな転換には強い印象を受けた。

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中庭には、茶道具をあしらった巨大な石燈籠やつくばい(蹲)、七福神の像などの石造物が木々の間に点在している。

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大広間棟と洋館が交差する位置に配された蹲。左手は大広間棟。
奥に見えるのは、中庭の角に張り出して建つ小さな楼閣風の二階家で、元々は茶室などがあったのではないかと思われる。

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渡り廊下から洋館の方向を望む。中庭に設けられた渡り廊下は一部を太鼓橋状に緩やかな反りを付けて変化を持たせ、サービス棟に面した側には葭簀と網代を交互に配した目隠しを設けている。

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楼閣風建物の2階部分。手摺などに意匠を凝らしている。この建物は接客用の大広間棟と居住棟の中間に位置しており、特別な客人を通すために設けた一種の隠し部屋のようなものではないだろうか。

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中庭の北西角には屋敷神が祀られている。

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今は分割して移築された岐阜邸の記事でも触れたが、岐阜邸にも移築前は庭園に面した吹き曝しの渡り廊下があった。日下部久太郎氏は邸宅の造営に際しては渡り廊下を用いた演出を好んだものと思われる。

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渡り廊下の先には茶席の待合を思わせる小空間が設けられ、土蔵及び居住棟、または新館へと続く廊下がそれぞれ伸びている。写真に写っているのは昭和に増築された新館への渡り廊下。

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土蔵及び居住棟へと続く廊下は数寄屋風の船底天井になっており、突き当りに土蔵、その手前に浴室と洗面所が配されており、角を曲がると居住棟に続いている。

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土蔵は現在は改装され結婚式場として使われている。外観及び入口まわりは改装され土蔵の面影はないが、内部は二階の床板を除いて吹き抜けにした他は、元の造りがそのまま残されている。

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大広間棟の奥、土蔵の前に建つ居住棟は数寄屋風の平屋建で、日下部家の居住空間であり、また来客の宿泊にも充てられていたと思われる。5室がL字型に配されており、うち3室が床の間を備えていた。

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現在は南側4室の襖や障子を取り外し、小規模な披露宴会場として使用している。突当りの部屋はかつては竹の床柱に赤い床框を備えた夫人室と思われる座敷であったが、近年床の間が取り払われてしまった。非常に残念なことである。

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日下部久太郎氏が居室として愛用していたという「桐の間」には桐材を多用し、天井材は部屋毎に異なるようである。材木は函館邸や岐阜邸と同様に木曽から調達したという。

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居住棟と大広間棟は短い太鼓橋で結ばれ、天井は唐破風状に仕上げられているが、天井板と丸太の垂木は天井の形状に合わせて曲げられ(もしくは削り出され)ており、驚くべき技巧が凝らされている。

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大広間棟の廊下。左の障子の内側が大広間、右の硝子戸の外は中庭である。

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大広間は24畳の主室と15畳の次の間から構成され、南及び西側に廻された入側縁を含めると60畳を超える広大な座敷である。地下にはボイラー室があり、床脇の違い棚を模した形状の吹き出し口(写真では衝立で隠されている)からは温風が送り込まれていたという。

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大広間の天井は重厚な折り上げ格天井となっており、格間には絹糸の刺繍で鳳凰が描かれている。

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鶴の群れの浮き彫りが施された欄間は、中之島図書館旧松本健次郎邸鴻池本店琴ノ浦温山荘など、明治から大正期の洋風・和風建築の室内装飾を手掛けた彫刻家・相原雲楽の手になるもので、次の間には川端龍子の揮毫による「舞子帆照」と記された扁額がある。

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居住棟などの欄間や書院窓の彫刻、洋館のフクロウを始めとする装飾彫刻も相原雲楽の手による可能性が高い。

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現在、大広間はレストランのダイニング及び披露宴会場として使われている。天井が高いので、日下部家時代から洋式のダイニングルームとしても使われていたものと思われる。社員を招いての昼食会も開かれていたという。

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敷地南側には芝庭を持つ広い日本庭園がある。かつては瀬戸内海や淡路島が一望できたのであろうが、現在は函館邸と同様にマンションに遮られている。なお、屋根は瓦葺であったが阪神大震災後、全て鋼板や新建材に葺き替えられている。

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大広間棟は棟札によると大正7年(1918)に上棟、施工者として名が残されている横田彦左衛門の来歴は不詳であるが、大工や庭師は岐阜から呼び寄せたとされるので、その一人と思われる。

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大広間棟と居住棟の間に架かる太鼓橋は、庭師が中庭に出入りできるよう潜り抜けられるようになっている。

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居室棟を庭園から望む。寄棟屋根の居室棟の後には、左側には土蔵、右側には中庭の楼閣風建物が見える。和風建築における様々な種類の屋根が見られるが、新建材への葺き替えや外壁の改装で些か趣に欠けるのが惜しまれる。

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日下部久太郎氏は神仏を敬う心が篤く、各地の邸宅の庭には1.5米ほどの大きさの丸い御影石の庭石を据え、毎朝その上に立って祈りを捧げることを日課としていたという。居室であった「桐の間」の前にある石がそれと思われる。

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神戸邸が竣工した大正8年(1919)には講和条約によって第一次世界大戦は終結、翌年には日本経済は深刻な反動不況に襲われ、その後の関東大震災も重なり不況が長く続いた。この邸宅は大戦景気の最後の華であったと言える。

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大戦成金の多くは没落し、全盛を誇った鈴木商店も昭和2年(1927)に倒産するが、函館で基盤を固めていた日下部久太郎は主力船を売り払い、北海道方面の営業に力を注いで不況を乗り切った。昭和に入ると神戸邸を改装して舞子ホテルを開業するなどホテル業にも進出する。次回、最後は舞子ホテル開業後の建物について紹介したい。

海運王・日下部久太郎の建築遺産⑥ につづく

第1194回・旧日下部久太郎別邸(舞子ホテル)〔海運王・日下部久太郎の建築遺産④〕

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大正初期の大戦景気で巨額の財を成した日下部久太郎は、函館岐阜・神戸の各地に贅を尽くした邸宅を築いたが、その中でも神戸市垂水区舞子台にある別邸は氏の実業家人生の総仕上げとも言える豪壮な邸宅である。昭和の初めには「舞子ホテル」として改装され、多くの貴賓を迎えた。現在は結婚式場を兼ねたイタリアンレストランとして利用されている。

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明治から昭和初期にかけて別荘地として繁栄した舞子には旧武藤山治邸移情閣などの別荘建築が残されており、旧日下部邸(神戸邸)もそのひとつである。山陽電車の舞子公園駅北側にある敷地を進むと、植え込みの奥に洋館が忽然と現れる。

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第一次大戦当時の神戸は空前の活況を呈し、貿易商社の鈴木商店は三井などの財閥に匹敵する勢いを誇り、多くの「成金」も現れた。須磨、垂水、舞子などの景勝地には旧日下部邸の他にも、「須磨御殿」と称された内田信也邸など多くの豪邸が建てられた。

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舞子浜に面した小山を丸ごと買い取り敷地にしたと言われる神戸邸は、大正8年(1919)竣工と推測されている。半円形の張り出しが特徴的な洋館は煉瓦造で、白い化粧煉瓦(タイル)で仕上げられている。屋根の上には煙突があったが阪神大震災で折れてしまった。

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洋館の様式は、岐阜邸の洋館と同じくユーゲントシュティールに分類される。ユーゲントシュティールはアールヌーボーのドイツ版とも言える様式で、3階窓の両脇に配されたレリーフのように植物などをモチーフとした装飾も多用される。

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硝子の庇は近年交換されたようだが、ほぼ同じ形で再現されている。
玄関ポーチは武田五一の設計による旧山口玄洞邸とよく似ており、この点からも岐阜邸の洋館と同様に、設計者は武田五一である可能性は高い。

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玄関ポーチには2面の大きなステンドグラスが嵌め込まれているが、日下部家の子孫によると創建当初のものではないという。昭和初期の舞子ホテル開業に伴う改装時に付け替えたのかも知れない。

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かつての舞子浜周辺の風景と思われる図柄が訪れる客人を出迎える。北側(山側)は池とその周りに広がる松林、南側(海側)は古風な帆掛け船が浮かぶ海辺の風景である。

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創建当初のステンドグラスは海に浮かぶヨットの図柄であったというが、岐阜邸の洋館と同様にユーゲントシュティールの紋様と風景を組み合わせたものだったのかも知れない。今のステンドグラスも良いが、当初の姿を想像するのも興趣が尽きない。

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来客用の玄関は洋館にのみ設けられている。日下部久太郎は世界進出を目指して大正6年に神戸に本拠を移し、合名会社を株式会社に改組、後には商号も日下部汽船(株)に改めた。この邸宅は日下部家の神戸邸であり、高級船員や外国人などを接待する迎賓館でもあった。

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玄関ホールにあるカウンターはホテルにする際の改装で設けられたものと思われるが、洋館にはバーカウンターのある酒場と撞球台を備えた部屋もあったという。もしかすると元は酒場にあったものだろうか。

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玄関ホールとは太い大理石の円柱で仕切られた階段室があり、その奥に客間がある。フクロウの一刀彫がある階段の親柱は一本の木から彫り出されたもので、欄間のステンドグラスは抽象化されたフクロウの図柄になっている。

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客間は照明器具や家具調度類に至るまで大正時代の姿をよく残している。床には寄木細工が施され、天井の硝子棒を連ねたシャンデリアは2階で人が歩くと、振動によって微かな音を奏でるという仕掛けが施されている。

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短いイオニア式の石柱など、ユーゲントシュティールの造形が施された客間の暖炉。その両脇には腰掛けとしても使えそうな一対の象の置物が置かれている。

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日下部久太郎は年間を通じて岐阜の本宅を始め4ヶ所の邸宅を廻る生活であったが、事業の本拠地である神戸の別邸に滞在する期間が最も長かったという。

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中華風の装飾を施した洋家具はシンガポールから買い入れたものとされるが、神戸の老舗家具工房で雲仙観光ホテル旧山邑邸の家具も手掛けた(株)永田良介商店が製作した。神戸でも横浜家具のような東洋趣味の濃い欧米人向け家具が製作されていた。

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東洋趣味の家具調度類や格天井など、熱海の根津嘉一郎邸を思わせる濃厚なインテリアの客間から写真左後の入口を進むと、舞子ホテル開業後の昭和14年(1939)頃に増築された別棟に続いており、全く趣の異なる部屋が現れる。

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客間とは一転してモダンな和風意匠の洋室。昭和12年(1937)、この年に勃発した支那事変の影響か海運業は低迷状態にあったことから日下部家では神戸邸を改装して「舞子ホテル」を開業、日下部汽船の社員であった久太郎の長男が経営に当った。

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戦前の舞子ホテルについては資料が乏しいが、頭山満松井石根などの著名人も宿泊したという。隠れ家的な宿だったのかも知れない。

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階段室にある硝子戸は地階へ続いており、日下部久太郎が使っていた浴室などがある。氏は高級な仕立ての洋服を着用しフランス製の整髪料を愛用するハイカラな紳士であったという。

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3階の屋根裏部屋まで続いている階段室。3階には丸い色硝子が連なる窓があり、屋根裏にも来客用の部屋が設けられていたのかも知れない。

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2階の書斎か執務室として使われていたと思われる小さい洋室からは玄関ポーチ上のバルコニーへ出られる。欄間に嵌め込まれたステンドグラスには昼と夜のフクロウが描かれている。

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寝室として使われたと思われる大きい方の洋室は、アールヌーボーの提唱者の一人であるスコットランドの建築家、C・R・マッキントッシュの作風を思わせる意匠が特徴。行燈のような形の照明器具が珍しい。

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暖炉も他では見かけない珍しい意匠である。英国留学中にアールヌーボーやセセッションなどの新しい建築思潮に影響を受けていた武田五一が、マッキントッシュの影響を受けたデザインを手掛けていても不思議はない。

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洋館は随所にステンドグラスが多用されており、階段室や2階洋室では照明器具にも用いられている。

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玄関ポーチ以外は全てユーゲントシュティールの紋様か、フクロウをモチーフとした図柄になっている。フクロウは知恵の象徴、或いは夜警という意味で日本では旧総理大臣官邸(現・首相公邸)や警察署庁舎の装飾に用いられているが、これだけフクロウを多用した例は、日下部邸の洋館以外で他に知らない。

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洋館内部の照明器具は、殆どが創建時からのものと思われる。
戦時中の金属回収も阪神大震災も免れて、これだけ残されているのは奇跡的ではないだろうか。

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洋館は大正期らしいハイカラな意匠が随所に見られるが、先述の客間増築部分を始め、昭和期の改装によるモダンな装飾も見逃せない。2階のトイレには南蛮船や魚が泳ぐ図柄のガラスレリーフが残されている。

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いずれも玄関ポーチのステンドグラスや洋館の増築部分と同じく、舞子ホテル開業に伴う増改築が行われた昭和12~15年頃に取り付けられたものと思われる。

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洋館客間の増築部分にある欄間飾りも魚の図柄で、洋館トイレのガラスレリーフと対応したものとなっている。

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瀟洒な洋館の背後には広大な日本館と庭園があり、桃山風の豪壮な大広間棟や数寄屋風の居住棟など、正面の洋館からは一寸想像できない空間が広がっている。次回は神戸邸(舞子ホテル)の日本館を取り上げたい。

海運王・日下部久太郎の建築遺産④ につづく
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