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第1125回・旧高畠鉄道高畠駅舎

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山形県東置賜郡高畠町高畠にある旧高畠鉄道(のちの山形交通高畠線)高畠駅舎は、昭和9年(1934)に建てられた。地元特産の高畠石を用いた外観が特徴で、駅本屋のほか、同じく高畠石を用いた倉庫、変電所、自動車修繕庫が国の登録有形文化財となっている。

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高畠町では明治期から製糸業などの地場産業が起こり、明治33年(1900)には奥羽本線糠ノ目駅(現・JR高畠駅)が開業した。

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その後の更なる産業の発展に伴い、奥羽本線と高畠町を結ぶ私設鉄道として大正11年(1922)に高畠鉄道が開業した。

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昭和9年(1934)に竣工した旧高畠駅舎は、従前の木造駅舎を改築して建てられた2代目駅舎である。

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鉄筋コンクリート造の構造体に地元特産の高畠石を外装材として積み上げている。

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高畠石は江戸時代から採掘されてきた石材で、当地では建物の基礎や境界、塀、石碑や鳥居など至る所に用いられている石材である。

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戦時下の昭和18年(1943)、高畠鉄道は合併によって山形鉄道高畠線となった。

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戦後も貨物や人員の輸送に活躍するが、やがて貨物輸送の主力はトラック輸送に取って代わられたため、山形鉄道高畠線は昭和49年(1974)に廃線となった。

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廃線後の旧高畠駅舎は一時、山形交通のバス待合所や森林組合の事務所などに使用されていた。

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平成3年(1991)に山形新幹線が開通、糠ノ目駅は新幹線の停車駅として高畠駅に改称されると、旧高畠駅までの線路跡はサイクリングロード(まほろばの緑道)として整備された。

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旧高畠駅とその周辺は公園として整備され、駅舎のほか電気機関車、貨車、電車が各1輌ずつ静態保存されている。

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平成28年(2016)には駅本屋(駅舎)、倉庫、変電所、自動車修繕庫の4棟が国の登録有形文化財となった。

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駅舎内は通常非公開で、イベント時などに公開されるようだ。

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駅舎と同様、高畠石が用いられている附属建物。
旧変電所。

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現在は公衆トイレとして再利用されている旧倉庫。

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旧自動車修繕庫。

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旧高畠駅舎は高畠町の観光名所のひとつとなっている。

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周囲は花で飾られており、町のシンボルとして大切に保存されているようだ。
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第1119回・ホテルおとわ(旧音羽屋旅館)

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ホテルおとわは、山形県米沢市のJR米沢駅前にあるビジネスホテル。
昭和初期に建てられた木造三階建の旧館は、今では極めて希少となった「駅前旅館」の佇まいを残している。国登録有形文化財。

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昭和中期ごろまでは全国各地の駅前には「駅前旅館」と呼ばれる商人宿があった。そのほとんどがビジネスホテルに取って代わられた現代において、当時の建物が今も現役で使われているのは極めて珍しい。

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かつての名称は「音羽屋旅館」で、奥羽線開通に伴い明治31年(1898)に開業したという老舗である。

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現在は隣接してレストランも併設した鉄筋コンクリート造の新館があり、経営形態は現代的なビジネスホテルとなっているが、旧館は客室として現役である。

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旧館の建物は大正末期に計画され、昭和2年(1927)に着工、10年後の昭和12年(1937)に竣工した。
当時は現在新館が建っている場所に元々の旧館があり、(当時の)新館として建てられたようだ。

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窓枠や建具に彩色を施し、洋風のアーチ窓や和風の花頭窓が並ぶ竜宮城のような派手な外観。

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客室も床の間周りに螺鈿細工を施すなど、趣向を凝らした座敷があり著名人の宿泊も多い。

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屋根には鯱を載せる。

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一度は泊まってみたい宿のひとつである。

第792回・旧済生館本館

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山形市の霞城公園内に保存されている旧済生館本館は、明治11年(1878)に山形県立病院(現・山形市立病院済生館)の本館棟として建てられた。昭和44年(1969)に現在地へ移築、復元され、現在は山形市郷土館として保存公開されている。国指定重要文化財。

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遠景。現在は霞城公園の木立の中に佇んでいるが、移築前は山形市役所や旧山形県庁(現・文翔館)にも近い、市街地中心部の七日町にあった。

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済生館は、山形の近代化を強力に推し進めた初代山形県令・三島通庸(1835~1888)の構想に基づき、明治6年に現在の天童市に設立された私立病院を公立病院として引き継ぐと同時に山形に移転、翌明治7年に開院した。

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済生館では診療を行うと同時に医学校も併設され、東北では最も早く西洋医学が取り入れられたという。

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建物は円形の平面に、正面中央には三層構造の楼閣を設ける独特の形態を取る。円形の平面は当時横浜にあった英国の海軍病院を参考にしたとされるが、特徴的な楼閣は同病院にはなく、済生館のオリジナルである。

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施工は、三島通庸の政策を土木・建築技術面から支える片腕的な存在であった原口祐之(1823~1896)が棟梁として工事に当たった。設計者としては筒井明俊という人物の名が残されているが、建築に多大な関心を持っていた三島通庸の意向も色濃く反映されているとされている。

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「済生館」の名称は、当時太政大臣であった三条実美(1837~1891)が、三島に病院に掲げる扁額の揮毫を請われて、命を救う、という意味で「済生館」と題したことによる。

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戦時中に三層目が防空対策として撤去された他、様々な増改築を施されながらも70年以上山形の医療の中心として使われ続けたが、老朽が目立ち始めた昭和30年代末から改築が検討されるようになる。

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昭和41年、移築を前提に重要文化財に指定、3年後に現在地への移築復元工事が竣工する。移築に際しては戦時中に撤去されていた最上階や建物後半部が復元され、青色に塗られていた外壁も創建当初の色彩に戻された。

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玄関ホールには、中空を横切る形で上階への階段が置かれている。

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正面玄関を始めとするアーチ形の欄間には、色硝子を嵌め込んでいる。

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内部には中庭があり、それに面して吹き放ちの回廊を廻す。

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ドーナツ状の形をした一階部分は、移築直前には三層楼側の一部を除いて既に失われていたため、移築に際し復元された。写真の部分は三層楼側なので、明治期から残されている部分である。

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中庭から三層楼を見上げる。三層楼の最上階部分は戦時下に空襲の目標にされることを恐れて一時撤去、部材は後日再建できるように保管されていたが、敗戦後の混乱で結局は散逸してしまい、三層楼が元の姿に戻ったのは移築後のことであった。

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中庭に面した3連アーチの開口部。手前の扉が上階への階段入口となっている。

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階段。親柱も手摺子と同じような形をしている。

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階段の途中から中庭側を望む。

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階段から正面玄関を見下ろす。

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建物の形状から、階段は何度も折れ曲がった複雑な形になっている。

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二層目から先は螺旋階段になっている。残念ながら螺旋階段は立ち入り禁止になっており、登ることはできない。

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螺旋階段はケヤキの木を使った見事なものである。

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二層目の窓。三層目へ行く途中にある中三階には星形の色硝子を嵌め込んだ小部屋があるが、螺旋階段の先にあるため非公開。

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旧済生館本館は、長野県松本市の旧開智学校や、奈良県生駒市の宝山寺獅子閣などと並ぶ、明治初期の擬洋風建築の傑作である。

第766回・旧山形県会議事堂

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以前紹介した山形市旅籠町の旧山形県庁舎の隣には、同時に建てられた旧県会議事堂も現存している。県庁舎と同じく田原新之助の設計、中條精一郎を顧問として大正5年(1916)に竣工した。

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公会堂を兼ねた議場の内部はトンネル状の壮大なヴォールト天井が目を引く。旧県庁舎と共に国指定の重要文化財である。

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県庁舎の正面向かって左手に建つ県会議事堂。明治44年(1911)の山形大火で初代県庁舎と県会議事堂が焼失したことにより再建された2代目である。県庁舎とは別に専用の門が設けられている。

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赤煉瓦に花崗岩の付柱が配された端正な正面。県庁舎と共に格調高い外観を見せる。共に構造は煉瓦造であるが、県庁舎が中庭を除いて外壁の全面を花崗岩貼りとしているのに対し、県会議事堂は大部分が赤煉瓦を露出したものとなっている。

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側面及び背面は装飾をほとんど持たない簡素な造りとなっている。庁舎と同じ材料及び意匠で仕上げるところを工費の制約上、このような形になったのかも知れない。

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県庁舎とは煉瓦造の渡り廊下で結ばれている。

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県庁舎側から見た県会議事堂の側面外観。正面のみ2階建となっており、1階に議員控室、2階に来賓室及び正副議長室を配している。奥は平屋建の議場となっている。

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2代目の県会議事堂として建てられたが、議事堂として使われた期間は短く、竣工から14年後の昭和5年(1930)には3代目の県会議事堂が敷地内に新たに建てられ移転している。

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議場ホールの屋根は天然スレート葺で、上部には換気塔と思われる小塔と屋根窓が並ぶ。

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敷地の裏手に廻ると、県庁舎と県会議事堂の間には立派な石畳と石段があり、その両脇には装飾を施した一対の石柱が建っている。

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3代目の議事堂跡かとも思われるが、古い絵葉書などによると2代目議事堂の前面に新築されたようなので別の施設跡と思われる。

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石柱の頂部には凝った装飾が施されており、来歴が気になる場所である。

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新議事堂の竣工後は、議場など内部は執務室に改装されて県庁舎の別館となり、昭和50年(1975)に県庁と県議会が新庁舎へ移転するまで使われていた。

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行政庁舎としての役目を終えた昭和59年(1984)に、旧県庁舎と共に国の重要文化財に指定された。

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昭和61年(1986)から約10年をかけて大規模な修復工事が行われ、旧県会議事堂は約半世紀ぶりに旧議場などの内装が復原された。なお、現存しないが先述の3代目議事堂は2代目のすぐ手前に建っていたようである。

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旧県庁舎と県会議事堂は修復が完了した平成7年(1995)より、「山形県郷土館(文翔館)」として公開されている。

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玄関ホールの欄間にはシンプルな意匠のステンドグラスが嵌め込まれている。

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旧議場前の廊下。内装は細部まで創建時の姿に復元されており、床には当時の洋風建築の内装材としてよく用いられていたリノリウムが敷かれている。

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階段親柱や手摺りにはセセッション風意匠が施され、重厚な県庁舎と異なり軽快でモダンな印象を受ける。

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2階の来賓室及び正副議長室前の廊下に配された半円形の窓からは、旧議場を見渡せる。

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3度目の訪問でようやく見学できた旧議場。突き当りが議場で、演壇を備えている。

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県会が開かれていないときは山形市民のための公会堂として使われていたが、昭和5年の新議事堂の竣工に伴い、公会堂としての役目も同時に終えた。

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演壇側から議場入口を望む。
入口の上部に設けられたバルコニーは、2階廊下の半円窓につながっている。

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カマボコ状のヴォールト天井は現存する国内の近代洋風建築の中でも、類例の少ない大規模なものである。新議事堂の完成に伴う改装で半世紀以上覆い隠されていたが、復原工事に伴い甦ったものである。

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全国47都道府県庁舎のうち24道府県に戦前期の庁舎が現存するが、そのうち11県では県会議事堂も残されており、山形と山梨山口の3県が県庁舎から独立した形式の建物となっている。

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また、新潟和歌山では、明治期に建てられ、昭和初期には既に庁舎の改築によって役目を終えた旧県会議事堂が現在も残されており、いずれも国指定の重要文化財となっている。

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議事堂としては短命であった旧山形県会議事堂は現在、コンサートや各種イベントの会場として盛んに利用されている。もうひとつの用途であった公会堂としては現在も当初からの機能を果たしている。

(追記)平成31年4月24日
旧議場等の内部写真を追加、併せて記事本文も書き改めました。

第764回・山形六日町教会

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山形市旅篭町にある日本基督教団山形六日町教会は、明治20年(1887)に伝道活動を始めたという山形市内でも最も古いキリスト教会のひとつである。

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現在の会堂は大正3年(1914)の竣工。

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国指定重要文化財である旧山形県庁舎のすぐ裏手に建つ山形六日町教会。

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木造下見板張りの簡素な造り。

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もとは別の場所に会堂があったが、明治44年の山形大火で焼失、現在地に移転した。

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尖頭アーチを持つゴシック様式の窓。

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近年改修されたようであるが、創建当初の形態は概ね変えられてはいないようである。

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煉瓦積みの煙突はかつては屋根より上に伸びていたものと思われるが、現在は壁面部分のみ残されている。

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きれいに外壁のペンキを塗り替えた外観は、一見古さをあまり感じさせないが、煙突跡の古びた煉瓦積は建てられてから100年に亘る歴史を感じさせる。

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重厚な石造風の旧県庁舎とは対照的な外観を見せている。
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現存する近代日本の歴史的遺産(台湾など旧日本領土も含む)を建造物・土木構造物を中心に、思いつくままに取り上げております。

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