第792回・旧済生館本館

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山形市の霞城公園内に保存されている旧済生館本館は、明治11年(1878)に山形県立病院(現・山形市立病院済生館)の本館棟として建てられた。昭和44年(1969)に現在地へ移築、復元され、現在は山形市郷土館として保存公開されている。国指定重要文化財。

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遠景。現在は霞城公園の木立の中に佇んでいるが、移築前は山形市役所や旧山形県庁(現・文翔館)にも近い、市街地中心部の七日町にあった。

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済生館は、山形の近代化を強力に推し進めた初代山形県令・三島通庸(1835~1888)の構想に基づき、明治6年に現在の天童市に設立された私立病院を公立病院として引き継ぐと同時に山形に移転、翌明治7年に開院した。

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済生館では診療を行うと同時に医学校も併設され、東北では最も早く西洋医学が取り入れられたという。

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建物は円形の平面に、正面中央には三層構造の楼閣を設ける独特の形態を取る。円形の平面は当時横浜にあった英国の海軍病院を参考にしたとされるが、特徴的な楼閣は同病院にはなく、済生館のオリジナルである。

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施工は、三島通庸の政策を土木・建築技術面から支える片腕的な存在であった原口祐之(1823~1896)が棟梁として工事に当たった。設計者としては筒井明俊という人物の名が残されているが、建築に多大な関心を持っていた三島通庸の意向も色濃く反映されているとされている。

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「済生館」の名称は、当時太政大臣であった三条実美(1837~1891)が、三島に病院に掲げる扁額の揮毫を請われて、命を救う、という意味で「済生館」と題したことによる。

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戦時中に三層目が防空対策として撤去された他、様々な増改築を施されながらも70年以上山形の医療の中心として使われ続けたが、老朽が目立ち始めた昭和30年代末から改築が検討されるようになる。

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昭和41年、移築を前提に重要文化財に指定、3年後に現在地への移築復元工事が竣工する。移築に際しては戦時中に撤去されていた最上階や建物後半部が復元され、青色に塗られていた外壁も創建当初の色彩に戻された。

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玄関ホールには、中空を横切る形で上階への階段が置かれている。

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正面玄関を始めとするアーチ形の欄間には、色硝子を嵌め込んでいる。

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内部には中庭があり、それに面して吹き放ちの回廊を廻す。

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ドーナツ状の形をした一階部分は、移築直前には三層楼側の一部を除いて既に失われていたため、移築に際し復元された。写真の部分は三層楼側なので、明治期から残されている部分である。

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中庭から三層楼を見上げる。三層楼の最上階部分は戦時下に空襲の目標にされることを恐れて一時撤去、部材は後日再建できるように保管されていたが、敗戦後の混乱で結局は散逸してしまい、三層楼が元の姿に戻ったのは移築後のことであった。

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中庭に面した3連アーチの開口部。手前の扉が上階への階段入口となっている。

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階段。親柱も手摺子と同じような形をしている。

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階段の途中から中庭側を望む。

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階段から正面玄関を見下ろす。

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建物の形状から、階段は何度も折れ曲がった複雑な形になっている。

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二層目から先は螺旋階段になっている。残念ながら螺旋階段は立ち入り禁止になっており、登ることはできない。

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螺旋階段はケヤキの木を使った見事なものである。

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二層目の窓。三層目へ行く途中にある中三階には星形の色硝子を嵌め込んだ小部屋があるが、螺旋階段の先にあるため非公開。

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旧済生館本館は、長野県松本市の旧開智学校や、奈良県生駒市の宝山寺獅子閣などと並ぶ、明治初期の擬洋風建築の傑作である。
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第766回・旧山形県会議事堂

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以前紹介した旧山形県庁舎に隣接して建つ旧山形県会議事堂。県庁舎と同じく、山形大火で焼失した旧議事堂に代わって大正5年(1916)に竣工。設計も同じく中條精一郎が顧問で、田原新之助の設計。国指定重要文化財。

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県庁舎の正面向かって左手に建つ県会議事堂。県庁舎とは別に、専用の門が設けられている。

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県庁舎が構造は煉瓦造、中庭を除き外壁は全面花崗岩貼りとしているのに対し、県会議事堂は赤煉瓦の壁面に付柱等一部を花崗岩貼りとしている。庁舎と合わせたかったものの工費の制約上、止むを得ないものであったようである。

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中庭の外壁が構造体の赤煉瓦がむき出しになっている点を除けば、県庁舎は内外装ともに全面的に重厚華麗に仕上げられているのに対し、県会議事堂の外観は正面だけを立派に仕上げるのが精一杯であったような感がある。しかしその内部は、県庁舎に劣らないすばらしい空間である。

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県庁舎とは渡り廊下で結ばれている。
なおこの建物は公会堂兼用であったため、県会が開かれていないときは山形市民のための公会堂として使われていた。

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側面から見た外観。正面のみ2階建として1階に議員控室、2階に来賓室及び正副議長室を配している。奥は平屋建ての議場ホールとなっている。

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議場ホールの上部には換気塔と思われる小塔を設けている。

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背面からみた旧県会議事堂。

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裏手、県庁舎と県会議事堂の間には何か別の建物が建っていたのか、立派な石畳と石段があり、石段の両脇には装飾を施した石柱が一対建っている。

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現存する旧県会議事堂(2代目)は議事堂としては短命で、竣工から僅か14年後の昭和5年(1930)には3代目議事堂が竣工、移転している。3代目議事堂の跡かとも考えられたが、古い絵葉書などを見ると2代目議事堂の前面に新築されたようなので、議事堂跡ではないと思われる。

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石柱の頂部には凝った装飾が施されている。

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昭和5年に議事堂兼公会堂の役割を終えた後は、県庁舎別館として旧議場ホールなど内部を改装、昭和59年に庁舎としての役割を終えるまで執務室の一部として使われていた。

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昭和61年から始まった修復工事により内装が全面的に復原され、約半世紀ぶりにカマボコ型のヴォールト天井を備えた旧議場ホールなどが復活した。

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正面玄関。
なお、先述の3代目県会議事堂は2代目議事堂の正面鼻先に建っていたようであるが、現存しない。

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玄関内部。欄間にシンプルな意匠のステンドグラスを嵌め込んでいる。

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県会議事堂の階段親柱や手摺りは、重厚な県庁舎と異なりセセッション風のモダンな意匠となっている。

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旧議場ホール内部。写真は文翔館パンフレットからの転載。今回2度目の訪問であったが、催事準備のためまたもや立入禁止であった。盛んに利用されているのは建物にとって大変喜ばしいことなのだが・・・

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また山形訪問の機会を得たときは、今度こそ旧議場ホールを直接見たいものである。

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なお旧県庁舎については、本記事作成に合わせ写真の大幅な差替・追加等、記事内容の全面的な更新を行ったので、併せて御覧頂けると幸いである。

第764回・山形六日町教会

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山形市旅篭町にある日本基督教団山形六日町教会は、明治20年(1887)に伝道活動を始めたという山形市内でも最も古いキリスト教会のひとつである。

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現在の会堂は大正3年(1914)の竣工。

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国指定重要文化財である旧山形県庁舎のすぐ裏手に建つ山形六日町教会。

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木造下見板張りの簡素な造り。

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もとは別の場所に会堂があったが、明治44年の山形大火で焼失、現在地に移転した。

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尖頭アーチを持つゴシック様式の窓。

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近年改修されたようであるが、創建当初の形態は概ね変えられてはいないようである。

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煉瓦積みの煙突はかつては屋根より上に伸びていたものと思われるが、現在は壁面部分のみ残されている。

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きれいに外壁のペンキを塗り替えた外観は、一見古さをあまり感じさせないが、煙突跡の古びた煉瓦積は建てられてから100年に亘る歴史を感じさせる。

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重厚な石造風の旧県庁舎とは対照的な外観を見せている。

第762回・旧山形市立第一小学校校舎

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昭和2年(1927)竣工の旧山形市立第一小学校校舎は、現存する中でもかなり古い部類に属する鉄筋コンクリート造の小学校校舎である。現在は小学校校舎としての役割は終え、山形市の文化施設として公開・活用されている。

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山形市の中心街、本町1丁目にある旧第一小学校校舎。これまでに紹介した吉池医院や旧西村写真館、旧丁子屋商店などと共に山形市中心街に残る戦前建築である。

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国登録有形文化財であると同時に、経済産業省の近代化産業遺産にも認定されている。

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左右対称で両端の外壁を少し前に張り出し、やや権威性が強い、官公庁舎を思わせる構成の外観。

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全体的に装飾を配した簡素な外観であるが、中央と両端に配されたアーチ窓などに様式建築的な造形が見られる。

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現在は山形市の施設「観光文化交流センター 山形まなび館」として観光案内所やカフェ、イベントスペースなどに使われている。

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正面玄関を入るとすぐ階段が現れる構成も、戦前の官公庁舎によく見られる。
人造石研ぎ出しの階段親柱には、幾何学的で簡素な意匠の装飾が施されている。

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鉄筋コンクリート造の小学校校舎は、大正後期から建てられ始める。大正12年の関東大震災を機にその数は増え、東京など大都市を中心に普及し始める。

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しかし地方都市で、関東大震災から4年しか経たない昭和2年の竣工というのは極めて早く、東北では山形市立第一小学校が鉄筋コンクリート造の最初の小学校となった。

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裏面から見た旧校舎。
現在も第一小学校は同一敷地内にて存続しており、旧校舎の背後に建てられた新校舎に移転している。

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戦前の鉄筋コンクリート造の小学校校舎を新たな用途で再利用している例は増えており、京都の旧明倫小学校や、滋賀県の旧豊郷小学校などが、旧第一小学校と同様に国の登録有形文化財として保存・再利用されている。

第760回・山形七日町二郵便局(旧丁子屋商店)

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旧丁子屋商店は、大正14年(1925)に洋品店として建てられた、山形市内でも最初期の鉄筋コンクリート造建築。現在は郵便局として使われている。

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山形市の中心街である七日町に建つ。

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鉄筋コンクリート造の建築は大正時代後半ごろより地方都市でも多く建てられ始め、民間の小規模な商店などにも鉄筋コンクリート造のものが現れる。

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大正14年竣工の旧丁子屋は、地方都市の鉄筋コンクリート建築として青森県三戸市の佐瀧本店(大正14年)などと共に、かなり初期のものと言える。

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玄関脇には建物の来歴を記したプレートが貼られており、そこには創建当初の写真がある。
当初は中央にショーウインドウを配し、その両脇に出入口があった。

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現在は中央が出入口、両脇がショーウインドウになって配置が逆転している。

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外壁はモルタルの洗い出し壁と、芋目地に貼ったタイルの付柱の組み合わせになっている。

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アーチ窓を配した塔屋。
創建当時は取り扱う商品だけではなく、店舗自体もモダンでハイカラな洋品店と評判になったものと思われる。

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戦後は二階にダンスホールとビリヤード場が置かれていたこともあるという。

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郵便局となった現在、傍には新旧2つの形のポストが置かれ、共に現役で使われている。
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