FC2ブログ

第1191回・日下部家住宅〔海運王・日下部久太郎の建築遺産①〕

s_IMG_0632.jpg

明治から昭和にかけて活動した実業家で、「海運王」と称された日下部久太郎という人物がいる。二度の世界大戦の間の約三十年間に、自らの出身地である岐阜、海運業の拠点とした函館と神戸など、各地に趣向を凝らした邸宅や事務所、ホテルなどを建て、それらの多くが今も健在である。日下部久太郎氏の足跡と、現存する建物を函館を振り出しに辿ってみたい。

s_IMG_07542.jpg

日下部久太郎(1871~1953)は、庄屋も務める旧家の次男として現在の岐阜県羽島市に生まれた。衰退していた生家の再興を志し、17歳で北海道に渡り海産物や米の売買に従事していたが、函館で海運業に目を付け、明治41年(1908)には日下部合資会社を設立、当初は専ら代理店業務であったが、大正に入ると自分の持船を所有するに至る。

s_IMG_07533.jpg

大正3年(1914)に勃発した第一次世界大戦により日本経済は好景気に沸いた。特に海運業は船舶需要の激増によって活況を呈し、新造船の建造や船舶の売買・傭船によって巨額の利益を上げ、「海運王」と称される実業家も現れた。神戸の内田信也勝田銀次郎等が著名であるが、函館を拠点に成功を収めた日下部久太郎もそのひとりである。

s_IMG_07522.jpg

大正6年(1917)には世界進出を目指して神戸に本拠を移し、景勝地として知られる舞子浜に豪壮な別邸を築いた。また故郷の岐阜では信託業務など金融業も行い、岐阜市米屋町の本陣跡には重厚な本邸を構えた。なお、神戸に本拠を移した後も函館は晩年に至るまで重要な事業の拠点であり、昭和に入るとホテル業や運送業も手掛けている。

s_IMG_07532.jpg

日下部久太郎の函館邸として建てられた邸宅は末広町にあり、現在も日下部家の住まいとして使われている。大正6年(1917)に建てられたとされており、附属の土蔵と共に函館市の伝統的建造物に指定されている。

s_IMG_07502.jpg

正面から見ると間口の狭い、土蔵付きの瀟洒な別宅といった趣の日本家屋であるが、側面及び坂の下から見上げれば、間口に対して奥行の深い敷地、緻密に積み上げられた高い石垣など、相当の規模の豪邸であることが分かる。

s_IMG_075023.jpg

材木は日下部久太郎の故郷である岐阜に近い木曽から調達し、建設には三年を費やしたという。

s_IMG_07492.jpg

外壁は伝統的な和風住宅ではよく見られる簓子下見板張りという技法が用いられている。材料に贅を尽くすと共に、内外の造作にも相当の技巧が凝らされているものと思われる。

s_IMG_07512.jpg

日和坂の中ほどに面し、高い石垣の上に建っている。函館港の旧桟橋までまっすぐに伸びている日和坂は、港が一望できて空模様もよく判断できたことからこの名前がついたとされ、海運王と称された人物の邸宅にふさわしい立地である。

s_IMG_06332.jpg

かつては邸内から函館港を一望することができたというが、現在はすぐ下には函館市営の集合住宅が建っている。港を見渡すことができたのは既に過去のものとなってしまったようだ。

s_IMG_06323.jpg

土蔵は鉄筋コンクリート(RC)造とされている。度々大火に見舞われてきた函館では、現在国の重要文化財にも指定されている東本願寺別院が大正4年(1915)にRC造で再建されるなど、RC造が早くから導入されていた土地である。なお、防火窓の上に更に硝子窓を設ける二重窓になっているのは、雪の多い寒冷地ではよく見られる造りである。

s_IMG_06342.jpg

函館・岐阜・神戸にある3つの日下部邸には、それぞれ立派な土蔵が備わっていたが、岐阜邸の土蔵は今は無く、神戸邸の土蔵は外観が改装されており、現在も邸宅と土蔵が共にそのまま残されているのは函館邸のみである。

s_IMG_06322.jpg

隣接して建っている別棟は昭和7年(1932)に建てられ、一階を和風、二階を洋風とする函館特有の町家の形式を取っている。日下部久太郎は海運業や金融業等だけではなく土地経営も手掛けており、この家は貸家として建てたのかも知れない。この建物も函館市の伝統的建造物に指定されている。

s_IMG_07562.jpg

現存しないが、日和坂を下った桟橋の傍には「萬世ビル」という洋風建築の事務所も建てている。大正9~15年頃には竣工したものと考えられているが、詳細は不明な点が多い。また、同時期に竣工した洋風建築の函館海産商同業組合事務所の建設に際しては多額の建設費用を寄附している。

s_IMG_06312.jpg

氏の事績を辿ると、建物を造ることに相当の関心と趣味を持っていたことが窺える。
今回の記事を含め、6回に分けて普請道楽とも言える海運王・日下部久太郎の建てた建築の中から、現存し、かつ探訪可能な建物を紹介していきたい。

海運王・日下部久太郎の建築遺産② につづく
スポンサーサイト



第811回・旧金森洋物店(市立函館博物館郷土資料館)

IMG_0841_convert_20140715000710.jpg

函館市末広町にある、市立函館博物館郷土資料館の建物は、明治13年(1880)に建てられた、和洋折衷の煉瓦造の商家。現在は改装の上資料館として公開されている。北海道指定有形文化財。

IMG_0834_convert_20140715000531.jpg

電車通りに面した正面。
当初は、舶来(輸入品)の小間物、雑貨品を販売を行う商家であった。

IMG_08343_convert_20140715001114.jpg

屋根上には米俵を3つ重ねたような形の瓦が置かれている。

IMG_08342_convert_20140715001027.jpg

和風の漆喰壁に日本瓦で葺かれた屋根に対し、1・2階の正面にはアーチを3つ連ねた和洋折衷の外観が特徴。

IMG_0842_convert_20140715000746.jpg

明治11年・12年(1878,1879)の大火を受け、開拓使は燃えにくい造りの家屋建設を奨励した。それを受け、金森洋物店主であった渡辺熊四郎が開拓使が製造した煉瓦を用いて、明治13年(1880)に新しい店舗を完成させた。

IMG_08412_convert_20140715001149.jpg

洋風の装飾が施された、鋳鉄製と思われる方杖。

IMG_0843_convert_20140715000830.jpg

外観は平成10年(1998)から行われた修復により、明治13年の創建当初の姿に最大限近づけられたものになっている。

IMG_0838_convert_20140715000636.jpg

明治40年(1907)の大火では、末広町界隈では周辺の家屋が焼失した中、金森洋物店だけが焼け残ったという。

IMG_0844_convert_20140715000919.jpg

昭和38年(1963)に北海道指定有形文化財に指定されている。

IMG_0849_convert_20140715000954.jpg

函館に残る数少ない明治初期の商家建築である。

第503回・旧函館区公会堂

IMG_0774_convert_20121226162452.jpg

日本各地に建てられた洋風建築の中でも、際立って派手な色彩が特徴である旧函館区公会堂は、明治43年(1910)に竣工した。函館を代表する洋風建築のひとつである。国指定重要文化財。

IMG_0769_convert_20121226163047.jpg

明治40年に発生した大火により、函館の西部市街地一帯は焼失した。その際この地にあった町会所と同じ敷地内にあった商業会議所も共に焼失する。その後、跡地に両者を一体化した公会堂の建設が区民有志により計画される。

IMG_0779_convert_20121226162648.jpg

建設費用の調達は難航するものの、函館随一の豪商・初代相馬哲平が自らも自宅と店舗を焼失した中にも関わらず五万円の資金を提供、これに区民の寄付金や町会所の火災保険金を充てて、総工費約五万八千円で現在の建物が竣工する。

IMG_0772_convert_20121226161901.jpg

なお、相馬哲平は公会堂の目と鼻の先に邸宅を構えており、大火では土蔵一棟を残して焼失したが、公会堂とほぼ同時期に再建を果たしている。(現存。一般公開されており以前紹介した→旧相馬哲平邸の記事参照

IMG_0775_convert_20121226161705.jpg

竣工の翌年、明治44年の皇太子殿下行啓に際しては宿所として使用された。長らく公会堂として使われるが、戦後の一時期は海難審判庁が入居していたこともある。昭和29年の洞爺丸事故の海難審判はこの建物で行われた。

IMG_0773_convert_20121226163135.jpg

北海道指定有形文化財を経て、昭和49年に写真の本館が国指定重要文化財となる。

IMG_0778_convert_20121226162218.jpg

昭和55年には隣接する付属棟も国重要文化財に追加指定される。
その後大規模な修復工事が実施され、外壁の色も創建当初の色彩に戻された。

IMG_0722_convert_20121226163212.jpg

区公会堂は、これも以前紹介した旧北海道庁函館支庁の建物を見下ろす位置に建っている。

IMG_0649_convert_20121226163255.jpg

昭和58年から歴史的建造物としての一般公開が始まり、現在に至る。

IMG_0650_convert_20121226160858.jpg

壁の色は3回にわたって変更されており、かつては黄土色やピンク色に塗られていた時期もあった。

IMG_0646_convert_20121226163411.jpg

旧函館区公会堂の建物は、公会堂としての用途の他、商業会議所も一階に入居していた。またホテル営業も計画され、そのための部屋や設備が用意されたが実現はしなかった。

IMG_0659_convert_20121226164009.jpg

一階大食堂。洞爺丸事故の海難審判はこの部屋で行われた。
奥は球戯室(ビリヤード室)と小食堂。

IMG_0656_convert_20121226161605.jpg

大食堂の暖炉。

IMG_0662_convert_20121226160955.jpg

一階背面は硝子戸を建てこんだ縁側になっている。

IMG_0666_convert_20121226164219.jpg

背面外観。

IMG_0671_convert_20121226163849.jpg

二階大広間。函館市民の集会の場として使われた他、舞踏会や音楽発表会などにも使われた。
この部屋は現在もコンサートホールとして使われている。

IMG_0686_convert_20121226164139.jpg

大広間シャンデリア台座の漆喰装飾。

IMG_0694_convert_20121226163609.jpg

大広間の天井はカマボコ状のヴォールト天井。

IMG_0676_convert_20121226161132.jpg

二階に設けられた貴賓室。
明治44年に皇太子(後の大正天皇)、大正11年に摂政宮(後の昭和天皇)、平成元年に今上天皇をお迎えした部屋である。

IMG_0677_convert_20121226161213.jpg

旧函館区公会堂では、貴賓室を始め各室に当時の家具が復元整備されている。

IMG_0681_convert_20121226161038.jpg

貴賓室は御座所・御寝室・予備室の3室で構成されている。
写真は御座所。

IMG_0679_convert_20121226161302.jpg

貴賓室御座所の暖炉。

IMG_0705_convert_20121226164850.jpg

二階バルコニー出入口の建具は、ちょっと中華風。

IMG_0703_convert_20121226160719.jpg

二階バルコニー。大広間につながっている。

IMG_0704_convert_20121226161428.jpg

二階バルコニー柱頭

IMG_0701_convert_20121226160758.jpg

バルコニーからは函館市街と函館港が一望できる。

第482回・旧北海道庁函館支庁

IMG_0763_convert_20121115193609.jpg

函館市街を一望できる場所に建つ明治の洋館。
明治42年(1909)に北海道庁函館支庁の庁舎として建てられた。

IMG_0639_convert_20121115225219.jpg

現在この建物がある一帯は元町公園として整備されており、旧函館支庁の建物も公開されている。

IMG_0642_convert_20121115225259.jpg

庁舎とともに煉瓦造の書庫も隣接して現存する。
こちらは庁舎よりも約30年古い明治13年(1880)の竣工。

IMG_0764_convert_20121115193722.jpg

ギリシャ神殿風の大きなポーチが特徴的。
木造二階建て。

IMG_0768_convert_20121115193930.jpg

この建物がある場所はかつて幕府の函館奉行所があった場所で、維新後は北海道庁函館支庁が置かれた。
明治40年の大火で庁舎が焼失したため、再建されたのが現在残る建物である。

IMG_0766_convert_20121115193849.jpg

設計は北海道庁技師の家田於菟之助と伝えられている。

IMG_0640_convert_20121115224854.jpg

現在、函館市写真歴史館・函館市元町観光案内所として利用されている。

IMG_0765_convert_20121115193805.jpg

なお、平成3年に火災で内部を焼損したが3年後に修復工事が完了している。
外観については創建以来のまま残されている。

IMG_0889_convert_20121115194052.jpg

背面からみる屋根窓と煙突。

IMG_0761_convert_20121115194013.jpg

明治40年の大火で庁舎は焼けたが書庫は焼け残ったため、今も明治初期の煉瓦建築が残されている。

IMG_0767_convert_20121115194147.jpg

すぐ裏手、道庁を見下ろす場所には同じく大火で焼失・再建した函館区公会堂がある。
函館でも最も華麗な明治の洋風建築であり、この建物については改めて紹介したい。

IMG_0762_convert_20121115194226.jpg

庁舎・書庫共に、北海道の有形文化財に指定されている。

第456回・旧第一銀行函館支店

IMG_0833_convert_20120922083410.jpg

今回は戦前の五大銀行のひとつ、第一銀行(のちの第一勧業銀行、現在のみずほ銀行)の函館支店を取り上げる。
大正10年(1921)竣工。

IMG_0836_convert_20120922082836.jpg

第一銀行の店舗は明治期までは辰野金吾が手掛けていたが、大正から昭和初期にかけては第一銀行の建築課長であった西村好時(1886~1961)が、東京大手町の本店を始め各地の主な支店を手掛けている。
施工は清水組(現・清水建設)。

IMG_0839_convert_20120922083323.jpg

西村好時が第一銀行在籍中に設計した店舗は、焦茶色の煉瓦タイルを貼りめぐらせた前半期(大正中後期)と、全面石張りで玄関まわりには堂々たる列柱を並べた後半期(昭和初期)で作風が大きく異なる。もっともこれは第一銀行に限らず当時の銀行建築のデザインの潮流に沿った変化と言える。

IMG_0845_convert_20120922083007.jpg

前者のデザインで建てられた店舗では、今回記事の函館のほか、旧熊本支店が現存する。
後者のデザインでは旧横浜支店が現存する。(以前取り上げたので参照頂きたい)

convert_20120922083106.jpg

玄関ポーチは当初は道路に張り出していたが、昭和に入ってから行われた道路拡幅で改造され、現在の形になったという。

convert_20120922083030.jpg

一階と二階の窓の間に設けられたメダリオン。

convert_20120922083134.jpg

二階窓上部のレリーフ装飾。

IMG_0848_convert_20120922083537.jpg

同時期建設の熊本支店が半円アーチを多用しているの対し、函館支店は直線を多用している。

convert_20120922083722.jpg

なお広島支店も同時期の建設で、熊本や函館と似た外観の建物であった。原爆で大破しながらも修復され戦後しばらく使用されていたが、今はない。

IMG_0847_convert_20120922083224.jpg

側面。奥の3階建てになっている部分は金庫室か文書庫と思われる。

IMG_0837_convert_20120922083501.jpg

現在は函館市文学館として使用されている。
プロフィール

syoukou

Author:syoukou
(ブログについて)
現存する近代日本の歴史的遺産(台湾など旧日本領土も含む)を建造物・土木構造物を中心に、思いつくままに取り上げております。

(写真について)
写真は特記しない限り管理人の撮影です。また絵葉書等の古写真は管理人の所蔵品、もしくは訪問先の展示品を撮影したものです。利用・転載等希望される場合は管理人まで御連絡頂けると幸いです。

(リンクについて)
リンクはフリーです。

(コメントについて)
記事と関係の無いコメントは削除させて頂く場合もあります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QRコード