第811回・旧金森洋物店(市立函館博物館郷土資料館)

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函館市末広町にある、市立函館博物館郷土資料館の建物は、明治13年(1880)に建てられた、和洋折衷の煉瓦造の商家。現在は改装の上資料館として公開されている。北海道指定有形文化財。

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電車通りに面した正面。
当初は、舶来(輸入品)の小間物、雑貨品を販売を行う商家であった。

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屋根上には米俵を3つ重ねたような形の瓦が置かれている。

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和風の漆喰壁に日本瓦で葺かれた屋根に対し、1・2階の正面にはアーチを3つ連ねた和洋折衷の外観が特徴。

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明治11年・12年(1878,1879)の大火を受け、開拓使は燃えにくい造りの家屋建設を奨励した。それを受け、金森洋物店主であった渡辺熊四郎が開拓使が製造した煉瓦を用いて、明治13年(1880)に新しい店舗を完成させた。

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洋風の装飾が施された、鋳鉄製と思われる方杖。

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外観は平成10年(1998)から行われた修復により、明治13年の創建当初の姿に最大限近づけられたものになっている。

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明治40年(1907)の大火では、末広町界隈では周辺の家屋が焼失した中、金森洋物店だけが焼け残ったという。

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昭和38年(1963)に北海道指定有形文化財に指定されている。

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函館に残る数少ない明治初期の商家建築である。
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第503回・旧函館区公会堂

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日本各地に建てられた洋風建築の中でも、際立って派手な色彩が特徴である旧函館区公会堂は、明治43年(1910)に竣工した。函館を代表する洋風建築のひとつである。国指定重要文化財。

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明治40年に発生した大火により、函館の西部市街地一帯は焼失した。その際この地にあった町会所と同じ敷地内にあった商業会議所も共に焼失する。その後、跡地に両者を一体化した公会堂の建設が区民有志により計画される。

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建設費用の調達は難航するものの、函館随一の豪商・初代相馬哲平が自らも自宅と店舗を焼失した中にも関わらず五万円の資金を提供、これに区民の寄付金や町会所の火災保険金を充てて、総工費約五万八千円で現在の建物が竣工する。

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なお、相馬哲平は公会堂の目と鼻の先に邸宅を構えており、大火では土蔵一棟を残して焼失したが、公会堂とほぼ同時期に再建を果たしている。(現存。一般公開されており以前紹介した→旧相馬哲平邸の記事参照

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竣工の翌年、明治44年の皇太子殿下行啓に際しては宿所として使用された。長らく公会堂として使われるが、戦後の一時期は海難審判庁が入居していたこともある。昭和29年の洞爺丸事故の海難審判はこの建物で行われた。

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北海道指定有形文化財を経て、昭和49年に写真の本館が国指定重要文化財となる。

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昭和55年には隣接する付属棟も国重要文化財に追加指定される。
その後大規模な修復工事が実施され、外壁の色も創建当初の色彩に戻された。

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区公会堂は、これも以前紹介した旧北海道庁函館支庁の建物を見下ろす位置に建っている。

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昭和58年から歴史的建造物としての一般公開が始まり、現在に至る。

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壁の色は3回にわたって変更されており、かつては黄土色やピンク色に塗られていた時期もあった。

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旧函館区公会堂の建物は、公会堂としての用途の他、商業会議所も一階に入居していた。またホテル営業も計画され、そのための部屋や設備が用意されたが実現はしなかった。

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一階大食堂。洞爺丸事故の海難審判はこの部屋で行われた。
奥は球戯室(ビリヤード室)と小食堂。

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大食堂の暖炉。

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一階背面は硝子戸を建てこんだ縁側になっている。

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背面外観。

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二階大広間。函館市民の集会の場として使われた他、舞踏会や音楽発表会などにも使われた。
この部屋は現在もコンサートホールとして使われている。

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大広間シャンデリア台座の漆喰装飾。

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大広間の天井はカマボコ状のヴォールト天井。

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二階に設けられた貴賓室。
明治44年に皇太子(後の大正天皇)、大正11年に摂政宮(後の昭和天皇)、平成元年に今上天皇をお迎えした部屋である。

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旧函館区公会堂では、貴賓室を始め各室に当時の家具が復元整備されている。

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貴賓室は御座所・御寝室・予備室の3室で構成されている。
写真は御座所。

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貴賓室御座所の暖炉。

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二階バルコニー出入口の建具は、ちょっと中華風。

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二階バルコニー。大広間につながっている。

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二階バルコニー柱頭

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バルコニーからは函館市街と函館港が一望できる。

第482回・旧北海道庁函館支庁

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函館市街を一望できる場所に建つ明治の洋館。
明治42年(1909)に北海道庁函館支庁の庁舎として建てられた。

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現在この建物がある一帯は元町公園として整備されており、旧函館支庁の建物も公開されている。

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庁舎とともに煉瓦造の書庫も隣接して現存する。
こちらは庁舎よりも約30年古い明治13年(1880)の竣工。

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ギリシャ神殿風の大きなポーチが特徴的。
木造二階建て。

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この建物がある場所はかつて幕府の函館奉行所があった場所で、維新後は北海道庁函館支庁が置かれた。
明治40年の大火で庁舎が焼失したため、再建されたのが現在残る建物である。

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設計は北海道庁技師の家田於菟之助と伝えられている。

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現在、函館市写真歴史館・函館市元町観光案内所として利用されている。

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なお、平成3年に火災で内部を焼損したが3年後に修復工事が完了している。
外観については創建以来のまま残されている。

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背面からみる屋根窓と煙突。

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明治40年の大火で庁舎は焼けたが書庫は焼け残ったため、今も明治初期の煉瓦建築が残されている。

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すぐ裏手、道庁を見下ろす場所には同じく大火で焼失・再建した函館区公会堂がある。
函館でも最も華麗な明治の洋風建築であり、この建物については改めて紹介したい。

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庁舎・書庫共に、北海道の有形文化財に指定されている。

第456回・旧第一銀行函館支店

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今回は戦前の五大銀行のひとつ、第一銀行(のちの第一勧業銀行、現在のみずほ銀行)の函館支店を取り上げる。
大正10年(1921)竣工。

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第一銀行の店舗は明治期までは辰野金吾が手掛けていたが、大正から昭和初期にかけては第一銀行の建築課長であった西村好時(1886~1961)が、東京大手町の本店を始め各地の主な支店を手掛けている。
施工は清水組(現・清水建設)。

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西村好時が第一銀行在籍中に設計した店舗は、焦茶色の煉瓦タイルを貼りめぐらせた前半期(大正中後期)と、全面石張りで玄関まわりには堂々たる列柱を並べた後半期(昭和初期)で作風が大きく異なる。もっともこれは第一銀行に限らず当時の銀行建築のデザインの潮流に沿った変化と言える。

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前者のデザインで建てられた店舗では、今回記事の函館のほか、旧熊本支店が現存する。
後者のデザインでは旧横浜支店が現存する。(以前取り上げたので参照頂きたい)

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玄関ポーチは当初は道路に張り出していたが、昭和に入ってから行われた道路拡幅で改造され、現在の形になったという。

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一階と二階の窓の間に設けられたメダリオン。

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二階窓上部のレリーフ装飾。

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同時期建設の熊本支店が半円アーチを多用しているの対し、函館支店は直線を多用している。

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なお広島支店も同時期の建設で、熊本や函館と似た外観の建物であった。原爆で大破しながらも修復され戦後しばらく使用されていたが、今はない。

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側面。奥の3階建てになっている部分は金庫室か文書庫と思われる。

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現在は函館市文学館として使用されている。

第426回・網走刑務所正門、旧網走監獄正門(永専寺山門)

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前回取り上げた博物館網走監獄の建築群に続き、今回は今も現役の網走刑務所正門及び煉瓦塀、寺院の門として使われている旧網走監獄正門を取取り上げたい。

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網走刑務所正門前の眺め。塀の中にあった施設は役目を終え博物館網走監獄で新たな役割を担っているが、正門と周囲を囲む煉瓦塀は、大正時代に竣工したものが今も現役である。

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網走刑務所の歴史は、明治23年(1890)設立の釧路集治監網走分監に遡る。

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明治36年(1903)に網走監獄、大正11年(1922)には網走刑務所に改称され、現在に至る。

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正門。大正8年から5年がかりで建設され、大正13年(1924)に竣工した。
工事の最中の大正11年には、先述の通り網走監獄から網走刑務所に改称されている。

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一対の丸く張り出した部分は、建設当初片方が看守の詰所と受付、もう片方は面会人の控所であったという。

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正面上部の小窓。

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赤と黒っぽい焦茶色と、二色の煉瓦を積み上げている。煉瓦は全て刑務所内で製造されたもの。

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この写真を御覧頂けば、前回の博物館網走監獄正門が極めてオリジナルに忠実に再現されているかが分かると思う。

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正門や煉瓦塀の周囲には受刑者によって色とりどりの草花が植えられ、美しく手入れされている。

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構内にあった監視用の哨舎は、博物館へ移設されたものもあるが、現地にて敷地外に移設保存されたものもある。

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刑務所の門が観光名所となっているのは、ここ網走ぐらいではないかと思う。

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網走市内にある仏教寺院の永専寺。
明治45年(1912)竣工の旧網走監獄正門が山門として移設・再利用されている。

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大正8年に、それまで木製であった監獄の塀と正門を煉瓦造に改築する工事が始まった。現在の正門が完成した大正13年に最初の役目を終え、現在地に移設された。

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ドーム状の屋根を持つ張り出しなど、現在の正門はこの旧正門のイメージを引き継ぐものとしてデザインされたと思える。

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この扉からは、かつては刑期を終えた人々が社会に戻って行ったはず。

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現在は寺院の門であると共に、付属の幼稚園の門としても使われているようだ。

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永専寺は網走監獄の教誨師を長年務めた僧侶・永法専が住職であった関係で、旧正門が移設されたという。

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両袖の煉瓦塀も刑務所で製造されたものだろうか。

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永専寺山門は昭和52年に、網走市有形文化財に指定されている。
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