第1118回・旧赤穂村役場庁舎(駒ヶ根市郷土館)

s_P82701502.jpg

長野県駒ヶ根市赤穂の大沼湖畔にある駒ヶ根市郷土館は、大正11年(1922)に、同市の前身のひとつである赤穂(あかほ)村役場庁舎として建てられた。設計は地元出身の建築家である伊藤文四郎による。昭和46年(1971)に現在地に正面部分が移築され、郷土館として保存・公開されている。駒ヶ根市指定有形文化財。

s_P82701662.jpg

郷土館内に展示されている竣工当時の写真。当時の村役場庁舎としては非常に先進的かつ豪華な建物である。当時の村の総予算が19万円余であったのに対し、工費は約5万4千円であったという。

s_P82702082.jpg

正面全景。かつてはロの字形平面を持つ広大な庁舎であったが、現在は正面部分のみが移築保存されている。正面中央に時計塔を載せた二階家を据え、その両脇から背面(現存しない)にかけて平屋建の棟が広がる構成は、米国で伝統的に用いられたパラディア二ズムを採りいれており、日本の官公庁舎では非常に珍しいとされる。

s_P8270149.jpg

地元の大工棟梁や役場の技術者ではなく、建築家に設計を依頼するというのは当時の村役場庁舎としては異例なものであった。これは当時赤穂村村長であった福沢泰江が全国町村会会長や内閣参与を務めており、中央との人脈があったことが背景として考えられる。

s_P8270152.jpg

設計者の伊藤文四郎は米国で建築を学び、大正12年に東京・丸の内に竣工した日本郵船ビルの建設工事に際しては、設計者である曾禰中條建築事務所、施工者である米国フラー社とは別に、施主側の利害を代弁する建築家として参画することで建築界の注目を浴びた。赤穂村役場庁舎は、丁度郵船ビル建設工事の最中である大正11年に竣工している。

s_P8270201.jpg

背面にある半円形の階段室張り出し部分。
かつては中庭になっていたが、先述のとおり背面部分は移築に際し除却されている。

s_P8270191.jpg

正面には3つの玄関が配されており、両翼に設けられた玄関は木製の円柱に半円アーチを載せる。

s_P8270193.jpg

正面玄関には御影石の石柱を立てた堂々としたポーチを張り出す。

s_P8270153.jpg

現在の郷土館の玄関は、正面向かって右側の玄関に設けられている。

s_P8270156.jpg

正面玄関は貴賓専用として使われていたものと思われる。
現在はくぐることは出来るが、ここから郷土館に入ることは出来ない。

s_P8270158.jpg

館内から望む正面玄関。

s_P82701592.jpg

正面玄関の突き当りには、半円形に張り出す広場を備えた階段室が配されており、二階の正庁(重要な式典などの時のみ使用された部屋)に続いている。

s_P8270163.jpg

廊下。突き当りの扉は旧事務室。

s_P8270198.jpg

カウンターを備えた旧事務室内部。かつては現在の倍以上の広さがあり、村役場としての機能の大半がここにあったものと思われる。

s_P8270169.jpg

カウンターの外側は役場を訪れる住民の待合場所で、当時は公衆溜と称されていた。

s_P8270168.jpg

円柱の柱頭にも洋風建築として装飾が施されている。

s_P8270167.jpg

旧事務室には重厚な木製の付柱と漆喰装飾が施された一角があるが、これは除却された背後の会議室より、正面の装飾のみ旧事務室へ移設したものである。

s_P82701722.jpg

郷土館内に展示されている旧会議室の古写真。村会(のち町議会、市議会)の議場として使われていたものと思われる。写真の左奥に現存する部分が写っている。おそらく演壇としてこの部分のみ重厚な装飾が施されたものと思われる。

s_P8270178.jpg

二階は正庁1室のみとなっている。
正庁は庁舎内で最も格式の高い部屋として戦前の道府県庁舎あるいは市庁舎では必ず設けられているが、町村役場でこのような正庁を備えているものは非常に珍しいと思われる。

s_P82701742.jpg

正庁正面に配されたパラディアン・ウインドウ。

s_P8270175.jpg

地方自治確立に力を注いだ村長・福沢泰江と米国帰りの設計者・伊藤文四郎の意気込みが伝わる建物である。

s_P8270157.jpg

竣工から約半世紀にわたり赤穂村役場、赤穂町役場、駒ヶ根市役所として使用された。昭和46年(1971)に新市庁舎が新築されることに伴い正面部分が現在地に移築され、現在に至るまで郷土資料館として活用されている。

s_P8270215.jpg

移築後の昭和51年(1976)、駒ヶ根市の有形文化財に指定された。

(参考)「長野県史美術建築資料編」抜粋資料 (来館者配布用資料)
スポンサーサイト

第1110回・翠川医院

s_P8260045.jpg

長野県岡谷市中央町1、JR岡谷駅前にある翠川医院は昭和6年(1931)の開院当初の建物で現在も診療を行っている。木造2階建て洋館の診療棟は門構えから附属等に至るまで創建当初の佇まいを残している。

s_P8260046.jpg

JR中央本線岡谷駅から徒歩3分程度の位置にある翠川医院。

s_P8260041.jpg

門柱には「翠川醫院」と正字体で記された陶器か大理石製と思われる表札が掛かる。
門柱に続くコンクリート塀も創建当初のものと思われる。

s_P8260034.jpg

岡谷市医師会のホームページにて、翠川医院の現院長が自ら描かれた油絵と共に医院の建物について紹介されている。昭和6年の開業に際し建てられたもののようであり、「絶対取りこわさない様に」と註文する患者もあるという。

s_P8260044.jpg

正面に建つ診療棟は木造2階建、外壁は大部分がペンキ塗り下見板張りで、2階の一部をモルタル塗り仕上げとする。レントゲン室等の付属棟と思われる平屋の建物が隣接する。

s_P8260047.jpg

診療棟側面。
背面には住居として建てられたと思われる和風の建物が続いている。

s_P8260039.jpg

赤い鉄板葺きの屋根には小さな屋根窓が2つ配されている。
屋根窓の形状は同じ岡谷にある洋館で、前回取り上げた旧片倉組事務所のものと似ている。

s_P8260040.jpg

軒裏には丸に十字形の換気口が開かれている。

s_P8260038.jpg

玄関ポーチの形状は同じく岡谷にある旧山一林組製糸事務所のものと似ている。旧片倉組事務所とともに、医院新築に際し、昭和6年当時既に岡谷に建っていたこれらの洋風建築を参考にした可能性も考えられる。

s_P8260042.jpg

戦前の建物で現在も診療を続けている医院は各地に存在し、弊ブログで紹介したものでも山形市の吉池医院、栃木市の栃木病院、和歌山市の滋野医院、香川県多度津町の山本医院、松江市の浅野医院、長野県では松本市の宮島医院などがあり、登録文化財になっているものもある。この医院もこれからも長く現役で使い続けて頂きたいものである。

第1109回・中央印刷社屋(旧片倉組事務所)

s_P82600642.jpg

長野県岡谷市川岸上1丁目にある中央印刷社屋は、かつて日本最大の製糸工場であった片倉組(現・片倉工業(株))の本部事務所として明治43年(1910)頃に建てられた。その後、片倉組の流れを汲む中央印刷(株)の本社屋として使われ、現在も同社岡谷工場の事務所として使われている。国登録有形文化財。

s_P8260083.jpg

片倉組は明治6年(1873)、片倉市助が長野県諏訪郡川岸村(現・岡谷市)で始めた座繰り製糸を嚆矢として、明治28年(1895)には片倉兼太郎(初代)によって片倉組が設立された。

s_P8260080.jpg

生糸の製造は戦前日本の主要輸出産業であり、日本最大とも世界最大とも言われる製糸企業となった片倉組は財閥(片倉財閥)を形成したが、敗戦に伴う財閥解体で解散、現在は片倉工業(株)として存続している。

s_P8260073.jpg

諏訪湖を挟んで岡谷市の対岸にある上諏訪の片倉館は、片倉兼太郎(二代)が従業員の福利厚生のために昭和3年(1928)に建設した洋風建築の温泉浴場で現在、国指定重要文化財となっている。また、世界遺産となっている群馬県の旧富岡製糸場は片倉組(昭和18年以降は片倉工業)が昭和14年から平成17年まで所有していた。

s_P8260069.jpg

旧片倉組事務所は明治43年(1910)に、片倉組発祥の地である地垣外製糸場内に本部事務所として建てられ、戦後の昭和22年(1947)には片倉工業の印刷部門が独立して設立された中央印刷(株)の本社事務所となった。

s_P8260082.jpg

本社が東京に移転した後は岡谷工場の事務所となり、現在も現役で使用されている。

s_P8260072.jpg

構造は木造2階建で、外壁には人造石の付柱が並び煉瓦タイルを貼る。明治後期から大正期の工場における事務所建築の特徴を残している。

s_P8260087.jpg

屋根は当初瓦葺であったが、現在は銅板葺きに改められている。

s_P8260068.jpg

平成8年(1996)には国による登録有形文化財制度の導入に伴い、長野県における登録有形文化財認定第1号となった。

s_P8260067.jpg

旧事務所のそばに建つ倉庫と思われる小規模な煉瓦建築。
岡谷は明治から昭和にかけて生糸の生産で繁栄していた街であり、現在でも国指定重要文化財の旧林家住宅など市内の随所にかつての生糸の都の面影をみることができる。

s_P8260075.jpg

岡谷市に現存する同様の製糸業者の事務所建築として、旧山一林組製糸事務所が現存しており、旧片倉組事務所と同様、国の登録有形文化財となっている。

第1022回・碌山美術館碌山館

s_P91107542.jpg

長野県安曇野市穂高にある碌山美術館は、当地出身の彫刻家・荻原碌山(守衛)の作品と資料の蒐集、保存および公開を目的として昭和33年(1958)に開館した個人美術館である。開館当初からの施設である碌山館は戦後建築であるが、手作り感のある煉瓦造風の建物は、戦後の主流となった合理的・機能的なモダニズム建築とは一線を画している。国登録有形文化財。

s_P9110761.jpg

キリスト教教会堂を思わせる外観の碌山館は開館の前年、昭和32年(1957)に建築家で早稲田大学教授の今井兼次(1895~1987)の設計、清水建設の施工で竣工した。鉄筋コンクリート造であるが外装に煉瓦が用いられている。

s_P9110726.jpg

荻原碌山(荻原守衛、1879~1910)は、近代日本を代表する彫刻家の一人で「東洋のロダン」とも称された。代表作に東京国立近代美術館所蔵の「女」などがある。

s_P9110729.jpg

設計者の今井兼次は、合理的・機能的なモダニズム建築からは距離を置き、建築に職人の手の技を残す作品を造った建築家である。設計作品として碌山館のほか、早稲田大学図書館(大正14年)、皇居内の桃華楽堂(昭和41年)などがある。碌山館は今井の作風がよく現れた作品である。

s_P91107592.jpg

荻原碌山はカトリックの洗礼を受けたキリスト教信者であり、碌山館の外観がキリスト教教会堂を思わせるのはそのためと思われる。なお、今井兼次もキリスト教信者で、長崎の日本二十六聖人記念聖堂(昭和37年)や教会の設計も多く行っている。

s_P9110731.jpg

外壁に積み上げられた煉瓦は色調、形状ともに不揃いなものをあえて用いており、陰影に富んだ壁面を作り出している。

s_P9110760.jpg

横に配された十字型のオブジェも建設当時のものかも知れない。

s_P9110733.jpg

背面。円形窓にはステンドグラスを入れる予定であったが建設費が不足していたことから、今井が透明ガラスに油絵具で色付けを施した窓が嵌め込まれている。

s_P9110736.jpg

建設に当たっての一番の問題は、資金難であった。
創業者である相馬愛蔵・黒光夫妻が荻原碌山の後援者であったことから、新宿中村屋が多額の費用を出したがそれでも不足していた。これを受け関係者による募金運動が行われ、国内外の約30万人から募金が寄せられたという。

s_P9110738.jpg

また、建設工事に際しては、地元の中学生が煉瓦や屋根瓦の運搬を手伝うなどの協力があったという。

s_P9110724.jpg

現在、多くの美術館がある安曇野でも屈指の観光名所となっている。

s_P9110748.jpg

玄関扉に取り付けられた、キツツキを象ったノッカー。

s_P91107492.jpg

玄関扉の取手は天使像の形。
これらのノッカーや取手は美術館建設に尽力した彫刻家・笹村草家人(1908~1975)の製作。

s_P9110742.jpg

入口をくぐると展示室の前に小さな前室がある。この奥に2層吹き抜けの展示室がある。

s_P9110744.jpg

煉瓦積みの素朴な造りの暖炉が設けられている。
煤の付き具合からみて、冬場は実際に火を焚いているようである。

s_P9110758.jpg

施工を行った清水建設のホームページにて碌山館の建設経緯が紹介されている。
しみずアーカイブズ

s_P9110764.jpg

夕暮時の碌山館。

第1012回・旧林國蔵邸(旧林家住宅)

s_P91005352.jpg

明治から昭和にかけて生糸の生産で繁栄した長野県岡谷市には、現在も当時の繁栄を偲ばせる建物がいくつか点在するが、その中でも最も見応えがあるのが、JR岡谷駅にほど近い御倉町2丁目にある、岡谷でも指折りの製糸家であり実業家でもあった林國蔵の旧邸である。明治40年(1907)に建てられた和洋併置式の邸宅は現在岡谷市が所有しており、「旧林家住宅」として一般公開されている。国指定重要文化財。

s_P91005492.jpg

林國蔵(1846~1916)は岡谷でも有数の製糸業者となり、後には炭鉱採掘や火薬・銃砲の製造販売などにも手を広げ成功を収めた実業家である。また中央本線の開通にも尽力するなど公益事業にも力を注いだ。

s_P91006472.jpg

和風の主屋全景。大屋根が特徴的な豪壮な建物。
林國蔵は明治40年に豪壮な和洋併置式の邸宅を築くが、明治末には事業の中心を製糸業から火薬・銃砲の製造販売などの他業種に移したこともあり、本拠地を岡谷から埼玉県の深谷に移した。

s_P9100645.jpg

まだ竣工からさほど年数を経ていない岡谷の邸宅は、深谷に移って以降は林家の別宅として扱われ、岡谷市に寄贈されるまで日常使われることはあまり無かったという。

s_P9100609.jpg

使われることが少なかったため、建物のみならず内部の各調度類や日常道具に至るまで、明治末期から大正初期の状態で非常によく保存されている。写真は主屋台所及び茶の間であるが、当時としては先進的なガス台が設置されており、この時期の古民家によく見られるカマドは無い。

s_P91006062.jpg

非常に精緻な彫刻が施された仏壇を据えた仏間。両脇は造りつけの茶箪笥になっており、夫人の居室としても使えるように造られている。

s_P9100569.jpg

主人書斎として造られた一階座敷。

s_P9100567.jpg

接客用の下座敷。反対側に上座敷がある。

s_P9100618.jpg

下座敷から上座敷を望む。欄間及び付け書院の彫刻は、仏壇の彫刻も手掛けた清水考古斎という人物の手になる。仏壇同様、極めて精緻な彫刻が施されている。

s_P9100575.jpg

上座敷の縁側からは中庭に面した渡り廊下を経て、土蔵造で一部が洋館の造りになった離れに続いている。

s_P9100550.jpg

離れの二階には、押し入れの内側に入口を設けた隠し部屋のような座敷があり、当時極めて高級な壁紙であった金唐革紙を壁から天井まで貼りめぐらせている。金唐革紙は明治から大正初期にかけ多くの洋風建築の内装を飾った国産の壁紙であるが、オリジナルがそのまま残り、かつ和風建築の内装に用いられた例は極めて少ない。

s_P910055622.jpgs_P91005832.jpgs_P91005812.jpgs_P91006202.jpg

電燈の笠も明治から大正期のものがよく残されており、それぞれバラエティに富んでいる。

s_P91005652222 (2)s_P91005652 (1)

明治期の建物でよく見られる絵入り砂摺り硝子が、各室の襖、障子に用いられている。

s_P9100571222.jpg
s_P91006132.jpgs_P910060722.jpg

(上)上座敷書院窓の飾り。羊飼いの情景。
(下左)縁側の仏間・下座敷の境目に設けられた蜘蛛の巣をあしらった欄間(下右)仏壇の天女

s_P9100636.jpg

離れは二階建土蔵造の座敷と、建物の内部に取り込まれた形で設けられている内蔵、写真の平屋建て洋館で構成されている。また洋館の正面向かって右側は、中が茶室になっており、側面は外観も和風の造りになっている。

s_P91005372.jpg

極めて精緻な洋館玄関ポーチの装飾は、かなり脱落・欠損しているが、もはや再現は不可能ではないかと思われる。それどころか、現状維持すら難しいのではないかと不安になるぐらいの細かい装飾である。

s_P91006012.jpg

洋館の内部は、洋風の玄関ホールと応接間、日本座敷二室(茶室、広間)で構成されている。写真は玄関奥の応接間。

s_P9100563.jpg
s_P9100596.jpgs_P91005622.jpg

洋館内部の装飾。
(上)玄関ホールと応接間の境目の漆喰飾り
(下左)応接間の天井照明台座(下右)玄関ホールの天井照明台座

s_P91005952.jpg

玄関ホールと応接間の天井にも離れ二階座敷と同様、金唐革紙が貼られている。今は色褪せているが当初は金色に輝いていた筈である。本来の金唐革紙がどのよう絢爛豪華なものであるかは、弊ブログ過去記事で取り上げている神戸市の移情閣(復元された金唐革紙が貼られている)の記事をご参照頂きたい。

s_P9100586.jpg

洋館玄関ホールの脇に設けられた茶室。
右側の扉が玄関ホールに繋がっている。

s_P9100584.jpg

茶室と続き間になっている広間。

s_P9100602.jpg

内蔵と離れ座敷の間の廊下は、天井まで漆喰で塗り込められている。

s_P9100612.jpg

離れから主屋に続く渡り廊下。

s_P91006432.jpg

主屋に戻る。主屋の二階には贅を尽くした客座敷のほか納戸と女中部屋があるが、こちらは非公開。

s_P9100624.jpg

主屋の脇には外蔵・穀蔵・味噌蔵が並ぶ。写真手前に写る外蔵は繭蔵として造られ、カツラの木を用いていることから桂倉とも呼ばれていた。付きあたりに入口が見えるのが味噌蔵、その奥には穀蔵がある。

s_P9100642.jpg

穀蔵は離れの内蔵とつながっており、全体で長屋門のような形になっている。

s_P9100632.jpg

ナマコ壁で覆われた二つの蔵の間をくぐると、洋館の脇に出る。

s_P91005472.jpg

穀蔵の妻壁には林家の屋号である「イチヤマカ」(一山カ)の文字が漆喰で描かれている。

s_P9100640.jpg

旧林國蔵邸は岡谷を代表する近代化遺産であり、長野県内に現存する和洋併置式住宅としても貴重なものである。
プロフィール

syoukou

Author:syoukou
(ブログについて)
現存する近代日本の歴史的遺産(台湾など旧日本領土も含む)を建造物・土木構造物を中心に、思いつくままに取り上げております。

(写真について)
写真は特記しない限り管理人の撮影です。また絵葉書等の古写真は管理人の所蔵品、もしくは訪問先の展示品を撮影したものです。利用・転載等希望される場合は管理人まで御連絡頂けると幸いです。

(リンクについて)
リンクはフリーです。なお、リンクを張らせて頂いている他の方のページは一部を除き相互リンクとなっております。

(コメントについて)
記事と関係の無いコメントは削除させて頂く場合もあります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード