第1150回・旧上伊那図書館(伊那市創造館)

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長野県伊那市荒井にある伊那市創造館の建物は、前回の旧四日市市立図書館と同様、昭和初期に建てられた旧図書館を改修再生したものである。現在は市民のための社会教育施設「伊那市創造館」として公開・活用されている。伊那市指定文化財。

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正門からの遠景。
大正10年(1921)、地元の教員から組織される上伊那教育会の発議により、教育の充実を図るために図書館建設を目指す運動が起こるが、関東大震災や冷害のため寄附金集めは難航していた。

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この状況に対し、上伊那出身で製糸業で成功していた実業家で政治家の武井覚太郎は上伊那教育会の懇請に対し、建設資金として当時の金額で14万円を拠出した。地元の実業家による寄付でできた図書館という点でも、前回の旧四日市市立図書館と共通している。

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設計者も武井覚太郎が選び、東京で設計事務所を開いていた森山松之助が当初案を作成、長野市で設計事務所を開いていた黒田好造が最終的な実施設計をとりまとめた。

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森山松之助は台湾総督府庁舎など台湾に多くの官公庁舎を残した建築家で、長野県内では諏訪湖畔の片倉館の設計もほぼ同時期に手掛けている。

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外壁に貼られたスクラッチタイルは地元の高遠焼が用いられている。森山松之助が片倉館でも使用したもので、上伊那図書館でも高遠焼タイルの使用を指示したとされる。

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実施設計を行った黒田好造は東京帝大卒の建築家で、長野県技師を経て設計事務所を開いた建築家である。現在も使用されている飯田市の追手町小学校など、長野県内に鉄筋コンクリート造建築を多く残している。

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スクラッチタイルとモルタル壁を交互に重ねた外壁や、2・3階を貫いて半円形に張り出す出窓、柱を使わない大きく張り出した玄関庇など当時としてはかなりモダンな造形が取り入れられているが、これらは黒田好造のアイデアに基づくものである。

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武井覚太郎は建築家に任せきりにはせず、設計から施工を通して自らの欧米訪問で得た図書館についての知見を注ぎ込んだためか、設計は何度も変更を重ねている。また建設費のみならず、蔵書購入及び運営費としても多額の寄付を行っている。

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昭和5年(1930)の12月、構想から10年近くを経て上伊那図書館は開館した。講堂も備えた先進的な施設は、戦前戦後を通じて上伊那における教育・文化の発信地として利用され続けた。戦時中は海軍の工場として使用された他、名古屋の徳川美術館等が所蔵する美術品や歴史資料の疎開先にもなったという。

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平成15年(2003)に新図書館の完成に伴い一旦役目を終えるが、補強と改修が施され、平成22年(2010)に生涯学習施設・博物館類似施設の機能を持つ「伊那市創造館」として再開館した。写真は吹き抜けになっていた階段室に設けられたエレベータ。大理石を貼った既存の手摺との調和を図ったデザインになっている。

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現在は常設展・企画展のほか、自然科学、宇宙、歴史、環境、芸術等幅広い分野の講座や教室を開くなど、多目的に使用されている。写真は展示室の付柱飾り。

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3階にある講堂の入口。
講堂の内部は船底型の漆喰天井や開口部に装飾が施された舞台など、館内でも創建当初の特徴的なデザインをよく残す場所である。

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平成20年(2008)には伊那市指定文化財となっている。
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第1142回・照光寺蚕霊供養塔

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長野県岡谷市本町2丁目にある照光寺の境内にある蚕霊供養塔は、生糸の採取のためこれまで犠牲にしてきた蚕を供養するとともに、製糸業の発展を祈念して昭和9年(1934)に建てられた。生糸の一大産地であった岡谷の歴史を伝える歴史的建築物のひとつである。岡谷市指定有形文化財。

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照光寺は真言宗智山派の寺院で、平安時代頃には創建されていたものと考えられている。

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写真の本堂は寛政5年(1793)に再建されたもので、岡谷市指定有形文化財。

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養蚕が盛んな地方において、蚕を供養する供養塔、供養碑と呼ばれるものを建てる例は全国的に存在するが、木造の堂塔建築による供養塔は類例が少ないとされる。

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大工棟梁石田房茂による総檜造り、木造銅板葺の二重塔で、小規模ではあるが優美な堂塔建築である。

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昭和初期の製糸業界は世界的な不況のあおりを受けて不振に陥り、休業・倒産する工場が続出していた。製糸業が中心であった岡谷ではより深刻な状態にあった。

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そのような状況の中で製糸業関係者の呼びかけにより、製糸業の発展のため犠牲となってきた蚕を供養するとともに、製糸業の発展を祈念する供養塔の建設資金が集められた。寄付金は工場経営者だけではなく、そこで働く多くの工女など労働者からも寄せられた。

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供養塔は製糸家の多くが檀家でもあった照光寺の境内を建立地として昭和9年(1934)7月に着工、11月に竣工した。工費は当時の金額で約5,000円であった。

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中には蚕の守護神である秘仏馬鳴菩薩が本尊として納められた。竣工の翌昭和10年(1935)4月29日に第1回の本尊御開帳が行われ、以後、今日に至るまで毎年法要厳修の蚕糸祭が行われている。

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これまでに紹介した旧林家住宅旧山一林組製糸事務所旧片倉組事務所などと同様、製糸業で発展した岡谷の近代産業の歴史を伝える建物のひとつである。

第1140回・信州大学繊維学部講堂(旧上田蚕糸専門学校講堂)

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長野県上田市常田にある信州大学繊維学部講堂は、前身である上田蚕糸専門学校の講堂として昭和4年(1929)に建てられた。三角に張り出した出窓や内部の蚕糸に因んだ彫刻などが特徴的な木造洋風建築である。国登録有形文化財。

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上田蚕糸専門学校は、養蚕業の盛んなこの地方で養蚕業・製糸業の近代化を目的として設立された旧制専門学校で、明治44年(1911)に開校した。

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第二次大戦後の学制改革で信州大学繊維学部となり、校地はそのまま同学部の常田キャンパスとして引き継がれている。

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講堂は現在も現役の施設として使用されており、訪問時も催事の会場として使われているところであった。また、映画のロケ地として使用されることも多いという。

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設計は文部省建築課、施工は地元の建設業者である柳屋組(現・柳屋建設(株))による。

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弊ブログで以前取り上げた群馬県の旧桐生高等染織学校講堂や滋賀県の旧彦根高等商業学校講堂など、明治から昭和初期に建てられた旧制専門学校の講堂には質の高い洋風建築が多いが、この建物もそのひとつである。

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講堂のほか、設立当初に建てられた門衛所煉瓦造の旧貯繭庫も現存しており、講堂と同様に国の登録有形文化財となっている。

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外観を特徴付けている三角の出窓。デザインは様式的には木造ゴシック系に属するが、細部には大正期に流行したセセッション風意匠を取り入れている。

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内部は天井の換気口や正面演壇アーチ の縁飾りなど、随所に蚕糸のシンボルである桑・繭・蛾を意匠として取り込んだ装飾が施されている。

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講堂は信州大学繊維学部を代表する建物として大切に使用されている。

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講堂のすぐそばにある旧千曲会館。上田蚕糸専門学校~信州大学繊維学部の同窓会である千曲会の会館として昭和10年(1935)に建てられた和洋折衷の木造建築。

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平成28年(2016)に上田市指定有形文化財に指定されている。

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老朽が目立つが、現在は改修に向けての準備が進められているようである。

第1127回・上田聖ミカエル及聖天使教会

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前回に続き、長野県上田市にある昭和初期のキリスト教会堂。
昭和7年(1932)に建てられた上田聖ミカエル及聖天使教会は、奈良市の奈良基督教会を手本として建てられた和風意匠の教会堂。外観、室内意匠ともに奈良と酷似している。

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上田市中央三丁目に建つ上田聖ミカエル及聖天使教会の全景。

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入口の配置が異なる点を除けば、奈良とほぼ同一意匠である。

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上田聖ミカエル及諸天使教会は、明治34年(1901)にマギニス司祭によって上田での伝道が始められたことに始まる。現在の聖堂が竣工した昭和7年から現在の教会名となった。

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設計には長野市の長野聖救主教会を創立したカナダ人宣教師で、上田には明治41年から着任していたウォーラー司祭と、その子息であるウィルフレッド司祭が携わり、施工は地元の大工棟梁である滝沢賢一郎が手掛けた。

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なお、ウォーラー司祭が明治31年(1898)に建てた長野聖救主教会は、赤煉瓦の洋風建築で現在も「レンガの教会」として親しまれている。

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材料は奈良基督教会が地元である吉野の山林から伐りだされた材木が用いられたのと同様に、上田では木曽産のヒノキが用いられた。なお、聖堂の内部は奈良と瓜二つと言ってよいくらい酷似している。

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日本生まれで、神社仏閣が好きで研究していたというウィルフレッド司祭は、同じ日本聖公会所属の奈良基督教会を範に取り和風意匠の聖堂を作り上げた。

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教会に隣接して、昭和19年(1944)創設の聖ミカエル保育園が併設されている。

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子供達が使う遊具に囲まれ、落ち着いた佇まいを見せている。

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(参考文献) 「浪漫あふれる信州の洋館」 平成25年 信濃毎日新聞社刊

第1126回・上田新参町教会

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長野県上田市大手にある上田新参町教会は日本基督教団所属のキリスト教会。現在の礼拝堂は昭和10年(1935)に移転に伴い新築されたもの。赤い屋根の尖塔が特徴的なゴシック様式の木造教会である。

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上田市の中心街、上田城跡や上田市役所に近い位置に建っている上田新参町教会。

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上田新参町教会は元々はカナダのメゾジスト系教会として、明治30年(1897)に連歌町(現在の丸堀町の一部)でメソジスト上田教会として布教を始め、昭和10年(1935)に現在地に移転新築した。

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昭和中期には礼拝堂が入居する雑居ビルに改築する計画も立てられたがその後沙汰止みになり、現在も改修しながら使われ続けている。

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門柱もゴシック調の尖頭アーチを持つデザインで造られている。

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白い壁に赤い屋根が目を引くが、創建当初の外壁は黒ずんだ柿渋塗り仕上げで、現在とはかなり異なる印象であったようだ。

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当初柿渋塗り仕上げであった外壁はその後ペンキ塗りに改められたものと思われるが、現在はその上に吹き付け塗装が施されている。

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設計者は以前紹介した群馬県安中市の安中教会教会堂を設計した古橋柳太郎による。

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なお、上田新参町教会ゆかりの建物として、明治37年(1904)に建てられた旧宣教師館が上田市によって同市下之郷に移築、一般公開されている。
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