第1022回・碌山美術館碌山館

s_P91107542.jpg

長野県安曇野市穂高にある碌山美術館は、当地出身の彫刻家・荻原碌山(守衛)の作品と資料の蒐集、保存および公開を目的として昭和33年(1958)に開館した個人美術館である。開館当初からの施設である碌山館は戦後建築であるが、手作り感のある煉瓦造風の建物は、戦後の主流となった合理的・機能的なモダニズム建築とは一線を画している。国登録有形文化財。

s_P9110761.jpg

キリスト教教会堂を思わせる外観の碌山館は開館の前年、昭和32年(1957)に建築家で早稲田大学教授の今井兼次(1895~1987)の設計、清水建設の施工で竣工した。鉄筋コンクリート造であるが外装に煉瓦が用いられている。

s_P9110726.jpg

荻原碌山(荻原守衛、1879~1910)は、近代日本を代表する彫刻家の一人で「東洋のロダン」とも称された。代表作に東京国立近代美術館所蔵の「女」などがある。

s_P9110729.jpg

設計者の今井兼次は、合理的・機能的なモダニズム建築からは距離を置き、建築に職人の手の技を残す作品を造った建築家である。設計作品として碌山館のほか、早稲田大学図書館(大正14年)、皇居内の桃華楽堂(昭和41年)などがある。碌山館は今井の作風がよく現れた作品である。

s_P91107592.jpg

荻原碌山はカトリックの洗礼を受けたキリスト教信者であり、碌山館の外観がキリスト教教会堂を思わせるのはそのためと思われる。なお、今井兼次もキリスト教信者で、長崎の日本二十六聖人記念聖堂(昭和37年)や教会の設計も多く行っている。

s_P9110731.jpg

外壁に積み上げられた煉瓦は色調、形状ともに不揃いなものをあえて用いており、陰影に富んだ壁面を作り出している。

s_P9110760.jpg

横に配された十字型のオブジェも建設当時のものかも知れない。

s_P9110733.jpg

背面。円形窓にはステンドグラスを入れる予定であったが建設費が不足していたことから、今井が透明ガラスに油絵具で色付けを施した窓が嵌め込まれている。

s_P9110736.jpg

建設に当たっての一番の問題は、資金難であった。
創業者である相馬愛蔵・黒光夫妻が荻原碌山の後援者であったことから、新宿中村屋が多額の費用を出したがそれでも不足していた。これを受け関係者による募金運動が行われ、国内外の約30万人から募金が寄せられたという。

s_P9110738.jpg

また、建設工事に際しては、地元の中学生が煉瓦や屋根瓦の運搬を手伝うなどの協力があったという。

s_P9110724.jpg

現在、多くの美術館がある安曇野でも屈指の観光名所となっている。

s_P9110748.jpg

玄関扉に取り付けられた、キツツキを象ったノッカー。

s_P91107492.jpg

玄関扉の取手は天使像の形。
これらのノッカーや取手は美術館建設に尽力した彫刻家・笹村草家人(1908~1975)の製作。

s_P9110742.jpg

入口をくぐると展示室の前に小さな前室がある。この奥に2層吹き抜けの展示室がある。

s_P9110744.jpg

煉瓦積みの素朴な造りの暖炉が設けられている。
煤の付き具合からみて、冬場は実際に火を焚いているようである。

s_P9110758.jpg

施工を行った清水建設のホームページにて碌山館の建設経緯が紹介されている。
しみずアーカイブズ

s_P9110764.jpg

夕暮時の碌山館。
スポンサーサイト

第1012回・旧林國蔵邸(旧林家住宅)

s_P91005352.jpg

明治から昭和にかけて生糸の生産で繁栄した長野県岡谷市には、現在も当時の繁栄を偲ばせる建物がいくつか点在するが、その中でも最も見応えがあるのが、JR岡谷駅にほど近い御倉町2丁目にある、岡谷でも指折りの製糸家であり実業家でもあった林國蔵の旧邸である。明治40年(1907)に建てられた和洋併置式の邸宅は現在岡谷市が所有しており、「旧林家住宅」として一般公開されている。国指定重要文化財。

s_P91005492.jpg

林國蔵(1846~1916)は岡谷でも有数の製糸業者となり、後には炭鉱採掘や火薬・銃砲の製造販売などにも手を広げ成功を収めた実業家である。また中央本線の開通にも尽力するなど公益事業にも力を注いだ。

s_P91006472.jpg

和風の主屋全景。大屋根が特徴的な豪壮な建物。
林國蔵は明治40年に豪壮な和洋併置式の邸宅を築くが、明治末には事業の中心を製糸業から火薬・銃砲の製造販売などの他業種に移したこともあり、本拠地を岡谷から埼玉県の深谷に移した。

s_P9100645.jpg

まだ竣工からさほど年数を経ていない岡谷の邸宅は、深谷に移って以降は林家の別宅として扱われ、岡谷市に寄贈されるまで日常使われることはあまり無かったという。

s_P9100609.jpg

使われることが少なかったため、建物のみならず内部の各調度類や日常道具に至るまで、明治末期から大正初期の状態で非常によく保存されている。写真は主屋台所及び茶の間であるが、当時としては先進的なガス台が設置されており、この時期の古民家によく見られるカマドは無い。

s_P91006062.jpg

非常に精緻な彫刻が施された仏壇を据えた仏間。両脇は造りつけの茶箪笥になっており、夫人の居室としても使えるように造られている。

s_P9100569.jpg

主人書斎として造られた一階座敷。

s_P9100567.jpg

接客用の下座敷。反対側に上座敷がある。

s_P9100618.jpg

下座敷から上座敷を望む。欄間及び付け書院の彫刻は、仏壇の彫刻も手掛けた清水考古斎という人物の手になる。仏壇同様、極めて精緻な彫刻が施されている。

s_P9100575.jpg

上座敷の縁側からは中庭に面した渡り廊下を経て、土蔵造で一部が洋館の造りになった離れに続いている。

s_P9100550.jpg

離れの二階には、押し入れの内側に入口を設けた隠し部屋のような座敷があり、当時極めて高級な壁紙であった金唐革紙を壁から天井まで貼りめぐらせている。金唐革紙は明治から大正初期にかけ多くの洋風建築の内装を飾った国産の壁紙であるが、オリジナルがそのまま残り、かつ和風建築の内装に用いられた例は極めて少ない。

s_P910055622.jpgs_P91005832.jpgs_P91005812.jpgs_P91006202.jpg

電燈の笠も明治から大正期のものがよく残されており、それぞれバラエティに富んでいる。

s_P91005652222 (2)s_P91005652 (1)

明治期の建物でよく見られる絵入り砂摺り硝子が、各室の襖、障子に用いられている。

s_P9100571222.jpg
s_P91006132.jpgs_P910060722.jpg

(上)上座敷書院窓の飾り。羊飼いの情景。
(下左)縁側の仏間・下座敷の境目に設けられた蜘蛛の巣をあしらった欄間(下右)仏壇の天女

s_P9100636.jpg

離れは二階建土蔵造の座敷と、建物の内部に取り込まれた形で設けられている内蔵、写真の平屋建て洋館で構成されている。また洋館の正面向かって右側は、中が茶室になっており、側面は外観も和風の造りになっている。

s_P91005372.jpg

極めて精緻な洋館玄関ポーチの装飾は、かなり脱落・欠損しているが、もはや再現は不可能ではないかと思われる。それどころか、現状維持すら難しいのではないかと不安になるぐらいの細かい装飾である。

s_P91006012.jpg

洋館の内部は、洋風の玄関ホールと応接間、日本座敷二室(茶室、広間)で構成されている。写真は玄関奥の応接間。

s_P9100563.jpg
s_P9100596.jpgs_P91005622.jpg

洋館内部の装飾。
(上)玄関ホールと応接間の境目の漆喰飾り
(下左)応接間の天井照明台座(下右)玄関ホールの天井照明台座

s_P91005952.jpg

玄関ホールと応接間の天井にも離れ二階座敷と同様、金唐革紙が貼られている。今は色褪せているが当初は金色に輝いていた筈である。本来の金唐革紙がどのよう絢爛豪華なものであるかは、弊ブログ過去記事で取り上げている神戸市の移情閣(復元された金唐革紙が貼られている)の記事をご参照頂きたい。

s_P9100586.jpg

洋館玄関ホールの脇に設けられた茶室。
右側の扉が玄関ホールに繋がっている。

s_P9100584.jpg

茶室と続き間になっている広間。

s_P9100602.jpg

内蔵と離れ座敷の間の廊下は、天井まで漆喰で塗り込められている。

s_P9100612.jpg

離れから主屋に続く渡り廊下。

s_P91006432.jpg

主屋に戻る。主屋の二階には贅を尽くした客座敷のほか納戸と女中部屋があるが、こちらは非公開。

s_P9100624.jpg

主屋の脇には外蔵・穀蔵・味噌蔵が並ぶ。写真手前に写る外蔵は繭蔵として造られ、カツラの木を用いていることから桂倉とも呼ばれていた。付きあたりに入口が見えるのが味噌蔵、その奥には穀蔵がある。

s_P9100642.jpg

穀蔵は離れの内蔵とつながっており、全体で長屋門のような形になっている。

s_P9100632.jpg

ナマコ壁で覆われた二つの蔵の間をくぐると、洋館の脇に出る。

s_P91005472.jpg

穀蔵の妻壁には林家の屋号である「イチヤマカ」(一山カ)の文字が漆喰で描かれている。

s_P9100640.jpg

旧林國蔵邸は岡谷を代表する近代化遺産であり、長野県内に現存する和洋併置式住宅としても貴重なものである。

第1009回・旧山一林組製糸事務所(岡谷絹工房)

s_P9100693.jpg

長野県岡谷市は、明治から昭和にかけて生糸の生産で繁栄していた街である。現在でも市内の随所にかつての生糸の都の面影をみることができる。JR岡谷駅に近い中央町にある旧山一林組製糸事務所もそのひとつで、大正10年(1921)に建てられた。敷地内に現存する旧守衛所とともに国の登録有形文化財となっている。

s_P9100650.jpg

山一林組製糸は明治12年(1879)創業で、岡谷でも五本の指に入る大製糸工場であったとされる。戦後は現在の岡谷市の基幹産業となっている精密業に転換したが、昭和47年(1972)に閉業した。

s_P9100648.jpg

広大な工場の敷地は現在駐車場となっており、かつての製糸工場の面影を残しているのは旧事務所と旧守衛所だけである。

s_P9100658.jpg

正門越しから望む事務所全景。左手前の建物が旧守衛所。
正面玄関上部の切妻と両脇の屋根窓が外観を引き立てている。

s_P9100686.jpg

国の登録文化財であると同時に、全盛期の製糸業を伝える建物として経済産業省より近代化産業遺産にも認定されている。

s_P9100695.jpg

現在は岡谷市が所有しており、旧事務所の建物は絹織物についての研修や製作体験ができる「岡谷絹工房」として活用されている。

s_P9100688.jpg

一見煉瓦造に見えるが木造で、外壁は当時流行した焦げ茶色の煉瓦タイルと擬石で仕上げられている。なお、同時期に建てられた製糸家の邸宅である、埼玉県入間市の旧石川組製糸西洋館でも同様のタイルが用いられている。

s_P9100690.jpg

縦長窓が整然と並ぶ端正な外観。
昭和2年(1927)には山一林組製糸を舞台とする大規模な労働争議があり、事務所は労使交渉の場となった。

s_P9100684.jpg

珍しいのは玄関ポーチの柱で、上半分を擬木風に仕上げている。こういうデザインは他で見たことがない。

s_P9100694.jpg

正面の切妻破風と軒飾り。
軒には電燈が付く。

s_P9100665.jpg

玄関扉の右上には経済産業省認定の近代化産業遺産であることを示すプレートが掲げられている。また、表札の下には国登録有形文化財のプレートが見える。

s_P9100666.jpg

玄関を入ると土間があり、その先にある事務室とを仕切る、木製のカウンターと硝子窓の仕切りが現れる。

s_P9100680.jpg

土間の先には応接室への扉がある。
外観、内装ともに創建当初の造りを非常によく残している。

s_P9100668.jpg

階段室。

s_P9100670.jpg

二階階段の親柱。

s_P9100675.jpg

階段の親柱や手摺には、大正期の建物に多く見られる直線を基調とした簡素な装飾が施されている。

s_P9100671.jpg

二階中廊下。二階には大広間と貴賓室、書院座敷などが配されているという。
付きあたりの半円アーチの欄間がある扉が、大広間への入口。

s_P9100673.jpg

車輪のような意匠の大広間入口欄間。

s_P9100689.jpg

岡谷市には同様の製糸業者の事務所建築として、旧片倉組の本社事務所が現存しており、旧山一林組製糸と同様、国の登録有形文化財となっている。この建物は現在、旧片倉組の流れを汲む中央印刷の本社事務所として活用されている。

第1006回・宮島耳鼻咽喉科医院

s_P91207852.jpg

長野県松本市城東2丁目にある宮島耳鼻咽喉科医院は、赤い屋根と石造風に仕上げた外壁が特徴の洋館。大正初期の建物とされ、一世紀を経た現在も現役の医院として使われている。

s_P91207902.jpg

松本城の外堀に面して建っている宮島医院の洋館。
周囲には各科の医院が多く立ち並び、医者町の様相を見せている。

s_P91207942.jpg

異なる形の尖塔と破風が並ぶ賑やかな屋根。

s_P9120794.jpg

神戸務という産婦人科医が地元の棟梁に建てさせた。

s_P91207752.jpg

洋館の隣と背後には、和風の母屋と土蔵があり、いずれも大正3年(1914)上棟の棟札が残されている。

s_P91207762.jpg

洋館はそれ以降の創建と考えられている。

s_P9120784.jpg

住み手は何度か変わったが、終戦時に現在の宮島医院となり、現在に至る。

s_P9120783.jpg

現在もこの洋館の中で診療が行われている。

s_P91207702.jpg

外観は石造風であるが、木造である。

s_P9120778.jpg

国指定重文の旧開智学校や旧制松本高校などと共に、松本の街に欠かせない洋館である。

s_P91207862.jpg

これからも濠端に美しい姿を見せ続けて欲しい建物である。

第821回・旧松岡医院

IMG_82832_convert_20140820232424.jpg

旧松岡医院は長野県松本市、松本城の東南の市街地に建つ洋館風の医院併用住宅で、昭和2年(1927)頃に建てられた。現在は建築設計事務所として使われている。

IMG_8258_convert_20140823104153.jpg

この一帯は大正12年(1923)に大火に遭ったため、その復興期に建てられた建物である。石造風の外観であるが実際は木造。上に僅かに瓦屋根が見える。

IMG_8282_convert_20140823102340.jpg

石造に見える外壁は擬石仕上げ(石の細粒・粉末を塗って洗い出し仕上げを施した左官仕事)で石造風に見せている。以前本ブログで紹介した大阪府堺市の是枝医院と同じ技法である。

IMG_8251_convert_20140823102216.jpg

設計は当時大阪を拠点に活躍していた建築家で、旧大阪商船神戸支店旧大阪ビルディング綿業会館等で知られる渡辺節によるとの推測もあるが、可能性は低いようである。

IMG_8260_convert_20140823102433.jpg

2階側面には横長の窓があるが、これは2階に3間続きの日本座敷があるため。西洋館に部分的にこのような横長の窓がある場合は、内部は日本座敷になっていることが多い。

IMG_8263_convert_20140823103002.jpg

こちらが西洋館に一般的な縦長窓。同様に部分的に横長窓が見られる西洋館の例は、以前当ブログで取り上げた建物の中では、上述の綿業会館や熱海の野村塵外荘などがある。

IMG_8280_convert_20140823102012.jpg

玄関には「ご自由に御覧下さい」というありがたい文言が。

IMG_8266_convert_20140823101511.jpg

「御用の御方は此べるを押して下さい」
昭和初期の表示がそのまま残されている。なお、現在ベルはインターホンに取り換えられている。

IMG_8270_convert_20140823102108.jpg

玄関を入ると、内部も昔の医院の佇まいがほぼそのままに残されている。

IMG_8271_convert_20140823101910.jpg

「受付」「藥室」などの表示も、昔のまま残されている。

IMG_8267_convert_20140823102723.jpg

玄関欄間のステンドグラス。

IMG_8269_convert_20140823101807.jpg

玄関ホール天井の照明台座に施された漆喰装飾。

IMG_8264_convert_20140823102522.jpg

現在はかわかみ建築設計室が事務所として使用されており、上述のとおり内部の一部が開放されている。
プロフィール

syoukou

Author:syoukou
(ブログについて)
現存する近代日本の歴史的遺産(台湾など旧日本領土も含む)を建造物・土木構造物を中心に、思いつくままに取り上げております。

(写真について)
写真は特記しない限り管理人の撮影です。また絵葉書等の古写真は管理人の所蔵品、もしくは訪問先の展示品を撮影したものです。利用・転載等希望される場合は管理人まで御連絡頂けると幸いです。

(リンクについて)
リンクはフリーです。なお、リンクを張らせて頂いている他の方のページは一部を除き相互リンクとなっております。

(コメントについて)
記事と関係の無いコメントは削除させて頂く場合もあります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード