第408回・佐瀧本店・別邸

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前回に続き、青森県三戸の建物。
佐瀧本店・佐瀧別邸は、村井家住宅、旧第九十銀行支店と同様に、三戸に残る大正のすばらしい洋風建築である。
国登録有形文化財。

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佐瀧本店全景。主の佐藤瀧次郎は酒や雑貨を商う他、地元銀行の頭取も務める三戸の名士であった。
店舗は大正14年(1925)竣工の鉄筋コンクリート2階建。青森県下では現存する最古の鉄筋コンクリート建築である。2階外壁が改修されているほかは旧状をよく残している。

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設計・施工は、青森県内で明治以来多くの洋風建築を手掛けた堀江組。弘前の旧五十九銀行本店、金木の旧津島家住宅(太宰治の生家)等を手掛けた堀江佐吉が興した建設会社である。

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明治期に建てた店舗が大正12年の大火で焼失、燃えない建物をという施主の要望に応え堀江組では、鉄筋コンクリート建築の施工実績が既に多くあった函館から職人を呼び寄せたという。

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写真では戸を閉ざしているが、佐瀧本店は酒店として現在も盛業中。
銅版貼りの戸も防火対策であろう。

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許可を頂き、店内を見せて頂いた。昔の日本酒や麦酒の看板やポスターがある。
年季の入った木製カウンターがあり昔の銀行のような趣があるが、昭和10年代半ばまでは畳敷きの帳場であったという。

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階段や造りつけの戸棚に使われている木材は、旧店舗の焼け残った材木を再利用しているという。

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店舗の奥に離れのような形で建つ別邸。裏道に正面を向けて建っている。
2階建洋館と平屋建日本座敷で構成されている。

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専用の門もある。門や塀は洋館に合わせた洋風の造りで、これらも登録有形文化財。
他にも敷地内には火災を免れた土蔵があり、これも登録有形文化財。

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大正11年頃から工事にかかったが、途中で店舗焼失という事態が生じたため一時中断し新店舗と同じ大正14年に竣工した。

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ドームのある望楼を備えた洋館。

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鉄兜のようないかめしい雰囲気のドーム。

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洋館のスタイルはドイツのユーゲントシュティールを基調としている。
同様のスタイルをとる同時期の洋館としては、東京の旧土岐子爵邸(現在は洋館部を群馬県沼田市に移築保存)、大阪の谷口房蔵別邸などがある。

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本店と同様、佐藤家の方の許しを頂いて敷地内から洋館外観を撮らせて頂く。
洋館裏側、即ち店舗側の外壁に施された装飾。

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資生堂のマークみたいな形状の、ステンドグラスの小窓。

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別邸洋館は木造だが、人造石で石造風に仕上げられている。見事な左官仕事。

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望楼を見上げる。
堀江組の棟梁は、先代佐吉は既に没しており息子の金蔵が跡を取っていたが、佐瀧の仕事を実質担当していたのはその弟である堀江弥助であるという。

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同時期の堀江組の手になる洋館では、弘前の藤田家別邸がある。
望楼を備える点では共通するが、佐瀧別邸のほうが小規模だが重厚な印象を受ける。

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佐藤瀧次郎が頭取を務めていた銀行の改築設計を、堀江組に依頼したことが機で後年別邸と店舗の設計を依頼することになったという。

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三戸駅前の村井家住宅と同様、唐破風様の曲線を持つ玄関。

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入口欄間や脇の小窓にはステンドグラス。

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入口欄間のステンドグラスはキスをする小鳥。
名古屋の橦木館(旧井元家住宅)にも、同じような図柄のステンドグラスがある。

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随所にステンドグラスが使われている。

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すばらしい建物を間近で拝見させて下さった佐瀧様に厚く御礼申し上げます。
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第407回・旧第九十銀行三戸支店(旧富田修歯科医院)

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昨日取り上げた、青森県は三戸郡南部町の旧村井家住宅から少し歩くと、南部町から三戸郡三戸町に入る。
そこに現在戦前建築で今も残る唯一のものと思われる銀行建築がある。旧九十銀行三戸支店である。

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旧九十銀行は盛岡藩士の出資で明治11年設立、盛岡市に本店が置かれた銀行である。現在も旧本店の店舗が現存し、国指定重要文化財となっている。

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昭和初年には破綻した旧九十銀行の支店で、現存するものはどれだけあるかは知らないが、これだけかも知れない。
近年まで岩手県前沢にも同じ形の旧支店店舗が現存していたようだが、今は無いようである。

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旧三戸支店は大正期の建築と思われる。本店と同様セセッション風のモダンな洋館である。

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銀行店舗としての役目を終えた後は歯科医院として長く使われていたようである。
背後には木造の和風建築があり、歯科医院の住居部として増築されたものか、それとも銀行時代から宿直室等としてあったものかはわからない。

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この建物を特徴づける半円形の玄関ポーチ。

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壁面は彫りが浅く平坦。このようなデザインはこの時代のセセッション風洋館によく見られる。当時は非常にモダンな建築デザインであった。同時期の古典的なデザインの銀行建築と比較すれば違いがよくわかる。

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窓の建具も古いものがよく残されている。

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右書き・正字体(旧字体)で書かれた「富田修歯科医院」の看板。
建物自体を残したいのはいうまでもないが、この看板もできるものならそのまま残したいものである。

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現在は使用されていないが、新たな用途を得て甦ることを切に願わずにはいられない素敵な建物。
閉ざされた扉が再び開く日は来るだろうか。

第406回・村井家住宅

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青森県三戸郡南部町にある村井家住宅。
製材業を営んでいた村井氏の住宅として、大正12年(1923)に竣工した。国登録有形文化財。

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三戸駅前に建つ村井家住宅。

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ドイツやウィーンにて19世紀末に流行した、セセッション風を取り入れた外観が特徴。

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外観は洋館であるが、内部は1室を除き和風の造りであるという。

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工事の最中に関東大震災があり、東京から建材が入手困難になったため、大阪や米国など内外から建材を調達して完成させた。

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玄関上部の屋根は、日本の唐破風状に緩やかなカーブを描いている。

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ブロンズで出来た立派な庇。

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一階から二階にかけて連なる窓には、あみだくじのような意匠の建具が入っている。

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木造だが外壁はモルタルとタイルで仕上げている。

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現在も住居として現役で使用されている。

(参考)
南部町観光協会による村井家住宅紹介のページ
http://www.nanbu-kanko.com/history/history05.html

第77回・旧藤田謙一別邸(藤田記念庭園)

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青森県弘前市は弘前城の向かいに建つ。弘前出身で日本商工会議所会頭、貴族院議員等を務めた実業家・藤田謙一の別邸として建設された。

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大正8年(1919)に建てられた洋館。設計施工は堀江金蔵。旧第五十九銀行、津島源右衛門邸他、青森県下に多くの洋風建築を建てた堀江佐吉の息子である。

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洋館玄関。

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洋館玄関のステンドグラス。

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洋館玄関ホールの暖炉。

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局面を描く洋館玄関ホール天井。

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洋館階段。

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洋館1階応接室。

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同上、暖炉。

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同上、照明。

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洋館1階広間。

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洋館1階広間のイングルヌック。
暖炉の周辺の天井を低くし腰掛を設けて、暖を取りながら来客と主人が親しく付き合うための空間。
イギリス建築によく見られる。

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同上、ステンドグラス。

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同上、暖炉。

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1階広間。暖炉の反対側はテラス(サンルーム)につながっている。

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テラス(サンルーム)

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現在は喫茶室として使われている1階食堂。

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日本館。元の建物は昭和27年に火災で焼失。現在の建物は、昭和36年に藤田謙一の本宅内にあった日本館を跡地に移築したものである。

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折上格天井など、贅を凝らした見事な日本建築である。

第70回・旧津島家離れ(太宰治仮寓・旧津島文治邸・斜陽館新座敷)

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前回取り上げた斜陽館(旧津島家住宅)には、かつて和洋折衷の離れがあった。
大正11年(1922)に津島家の跡取りである津島文治(戦後の公選による最初の青森県知事、自民党衆院・参院議員。太宰治の長兄。)の新婚生活用に建てられた。昭和20~21年には妻子と共に生家に疎開してきた太宰治の住まいとして使われた。戦後母屋を売却した際、この離れは文治の住居として近所に曳家移築され、母屋とは切り離された。その後津島家の手を離れ、現在は「太宰治疎開の家」として公開されている。

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玄関、次の間付きの座敷、洋間、サンルーム、座敷2室で構成されている。
母屋とは裏で渡り廊下で結ばれていた。津島文治が青森県知事を辞職、衆議院議員に当選した後は青森市に転居したため、この建物は金木における津島家の最後の住まいとなった。

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玄関脇、洋間の出窓。

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洋間内部。

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室内側から見た洋間出窓。造り付けのソファーがある。

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洋間天井の照明台座。

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洋間内部造り付けの飾り棚。戦後占領軍の将校が津島家を訪れたとき、太宰はこの飾り棚に書きかけの原稿を隠していたらしい。
現在この建物を所有、公開する白川氏より、このような太宰疎開中の興味深いエピソードをいくつか伺うことができた。何でも太宰の姪に当たる人から直接聞かれたとの事。

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飾り棚アップ。天井の照明台座と同様、大正期らしいあっさりしたデザイン。
母屋の洋室や階段の明治調な装飾と比較すると、時代の違いが分かり興味深い。

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出窓の反対側はサンルームに繋がっている。

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サンルーム。疎開中の太宰はここに畳を敷いて執筆した事もあるが落ち着かなかったのか長続きしなかったとの事。

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サンルームを外から見る。

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座敷縁側。建築当初の位置は傾斜地で石垣の上であったため、欄干が設けられている。

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座敷床の間。母屋の座敷と比べると軽快であか抜けた印象を受ける。
文治の新婚生活用に建てられた離れだが、実際には完成の翌年に父・津島源右衛門が急逝したため、文治夫妻は母屋で生活することとなりこの離れは使われなかったという。

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床の間側から見た座敷。昭和17年に太宰は妻子と共に危篤に陥った母を見舞っている。その時、この座敷が母の病室にあてられていた。その時の模様は短編「故郷」に詳しく描写されている。

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座敷次の間。
この部屋の押し入れには、津島家が母屋を売却し離れを住居とした際に母屋から運び出した仏壇が入れられていた。
なお、仏壇は近年津島家から金木町に寄贈され、母屋へ里帰りした。(前回記事参照)

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座敷と洋間の間にある廊下。見事な寄木細工の床である。

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太宰一家の生活の場となっていた部屋。太宰の執筆部屋にも使われた。

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作家・太宰治の生活・執筆の場として残る数少ない建物として貴重なことは言うまでもないが、母屋から切り離されてしまったこの離れは、戦後の津島家の没落に直面し、残った財産も自らの政治活動で使い果たしてしまった長兄・文治の生涯をも語る存在である。
斜陽館(母屋)同様、いずれは文化財として修復整備され、母屋と共に保存される事を望みたい。
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