第1106回・興正寺普門園

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愛知県名古屋市昭和区八事本町にある八事山興正寺(こうしょうじ)は「八事観音」の通称をもつ真言宗系の寺院。境内にある「普門園」では、大正7年(1918)に建てられた大書院などの質の高い近代和風建築を見学するこができる。

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興正寺は貞享3年(1686)、高野山において弘法大師の五鈷杵(ごこしょ)を授かった天瑞圓照によって建立された。尾張藩二代藩主・徳川光友の帰依を受け尾張徳川家の祈願寺として繁栄、「尾張高野」とも称されている。写真の五重塔は文化5年(1808)の築で、東海地区に現存する唯一の木造五重塔として国の重要文化財に指定されている。

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境内の一角にある「普門園」は、結婚式場等に使われている大書院、写真右側の赤瓦葺の建物「耕雲亭」、茶席として使われている「竹翠亭」など、大正から昭和期に建てられた和風建築で構成されている。

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大書院は本堂の裏にあり、大正7年(1918)に建てられた後昭和期に増築され、現在の規模になった。

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大書院の縁側。

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普門園内の建物は、茶席「竹翠亭」を拝観(有料・抹茶及び和菓子付)すれば、大書院等も併せて見学できる。(使用中の場合を除き)

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大書院は襖を外すと120畳の広大な広間として利用が可能であるという。

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仏前結婚式、各種会合、研修等の会場として利用されている。

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尾張徳川家にゆかりの深い寺院であることから、襖や欄間など随所に葵紋があしらわれている。

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大正期からのものと思われる雪洞風の照明器具。

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花頭窓を開いた付書院。

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ここにも葵紋。

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大書院の床の間。

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床の間から付書院を望む。

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大書院に隣接する「耕雲亭」の内部。

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大書院と同じく大正7年(1918)に建てられた。

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住職の客間兼執務室として使われていたという。

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夏場は葭簀戸が嵌め込まれ、よい雰囲気である。

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なお、本記事で言及した「竹翠亭」とは、大正期に海運王と呼ばれた岐阜出身の実業家・日下部久太郎が岐阜市米屋町に建てた本邸の一部を平成20年(2007)に興正寺へ移築したものである。この建物については別途稿を改めて紹介したい。
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第899回・旧大喜多寅之助邸(愛知県議員会館)

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名古屋市東区東外堀町にある愛知県議員会館は、元々は名古屋市長も務めた弁護士・大喜多寅之助の自邸兼事務所であった。大正9年(1920)に建てられた邸宅は、木造平屋建の洋館と木造二階建の日本家屋、土蔵で構成されており名古屋市の中心街に残る数少ない戦前の邸宅建築である。

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正面全景。
東外堀町は旧名古屋控訴院(現名古屋高等裁判所)庁舎に近いため、裁判所が移転した現在も法律事務所が多く存在する。

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それらの多くが長屋建ての中で、弁護士事務所を兼ねた洋館と重厚な土蔵を備えた旧大喜多邸はひと際広壮な構えを見せている。

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正面に洋館と土蔵を配し、奥に二階建ての日本家屋と平屋建ての離れと附属棟が連なる構成。

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二階建て部分には名古屋市内の古い邸宅の例に漏れず、茶席があるという。

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正門越しにまず目につくのが、弁護士事務所と応接間を兼ねた洋館。概ね創建当初からの佇まいを残しているが、近年の改修で建具が木製サッシからアルミサッシに代えられてしまったようだ。

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洋館の玄関。こちらは古い扉がそのまま(ドアノブは交換されているが)のようだ。

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洋館の奥にひっそりと配された日本家屋の玄関。
第二次大戦後大喜多家の手を離れ、現在は愛知県議員会館として県議会議員の会合や宿泊等に使われている。

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大喜多寅之助(1868~1961)は岐阜県の出身で、名古屋弁護士会会長、名古屋市会議長、名古屋市長(在職大正10~11年)、中京法律学校(現中京法律専門学校)校長など名古屋の法曹界・政界・教育界で活躍した人物である。

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現役の施設として今も使われているのは喜ばしい限りであるが、重要文化財に指定された愛知県庁舎に匹敵する文化財級の建造物として、今後もひきつづき維持保全されることを望むばかりである。

第898回・松重閘門

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愛知県名古屋市中川区にある松重閘門は、昭和7年(1932)に建設、昭和43年(1968)まで供用されていた閘門(水位の異なる河川や運河、水路の間で船を上下させるための装置)である。その特徴ある姿から役目を終えた後も、住民の要望で保存されることとなった。名古屋市指定有形文化財、土木学会選奨土木遺産。

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名古屋駅に比較的近い位置にある松重閘門は、東海道新幹線の車窓からもよく見える。

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現在は、4本ある尖塔の間を名古屋高速の高架が横切っている。

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松重閘門は堀川と中川運河とを結び、名古屋の産業発展を水運面から支えていた。

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中川運河の開削工事が始まった大正15年(1926)に着工、6年後に完成、運用を開始した。
当時は「東洋一の大運河」「東洋のパナマ運河」とも称されたという。(写真は現地に置かれた解説版より)

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第二次大戦後、物流の中心が水運から自動車輸送に移行すると閘門の必要性も減少し、昭和43年(1968)に閉鎖、昭和51年(1976)には名古屋市は松重閘門を廃止した。

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4本の尖塔を持つ姿は地元住民に親しまれ、当初撤去が予定されていた松重閘門は、住民の要望で保存されることになった。

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松重閘門の設計は名古屋市建築課の藤井信武による。

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構造は鉄筋コンクリート造で尖塔の壁面は人造石塗り洗出し仕上げ、基壇の一部に花崗岩が張られている。

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西欧の城郭を思わせる尖塔。

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松重閘門は、名古屋に残る代表的な近代土木遺産と言える。

第895回・鶴舞公園普選記念壇

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名古屋市昭和区にある鶴舞公園にある普選記念壇は、大正14年(1925)の普通選挙法施行を記念して、昭和3年(1928)に名古屋新聞社(現・中日新聞社)が寄贈した野外演壇。名古屋市指定有形文化財。

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鶴舞公園は明治42年(1909)に開設された名古屋で最初の近代的な都市公園である。当ブログでも以前紹介している噴水塔及び奏楽堂(明治42年、但し奏楽堂は平成9年の復元)、名古屋市公会堂(昭和5年)は同公園内にある。

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明治23年(1890)の帝国議会開設以来、我が国の選挙制度は納税額による制限選挙であったが、大正時代に入ると大正デモクラシーの風潮を受け、普選運動が盛り上がりをみせた。その成果が大正14年施行の普通選挙法である。

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なお、このときの普通選挙法で選挙権が与えられたのは、日本国籍を持ち(当時日本領土であった台湾・朝鮮を含む)かつ内地に居住(台湾、朝鮮、樺太等の外地、及び国外居住は含まない)する満25歳以上の全ての成年男子であった。

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正面中央には、普通選挙の基本精神とする「五箇条の御誓文」(慶応4年(1868)に明治天皇が示した明治政府の基本方針)が掲げられている。

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正面向かって右側には名古屋新聞社による銘文が刻まれている。但しオリジナルは戦災で失われており、現在のものは昭和43年(1968)に明治改元百周年を記念して名古屋市によって復元されたものである旨の添え書きがある。

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正面向かって左側には「五箇条の御誓文」の英訳文が刻まれている。なお鶴舞公園には戦前、普通選挙法成立時の首相で、愛知県出身でもある加藤高明の銅像があったが戦時中に供出され、今は台座のみが残されている。

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壇上より客席を望む。現在は野外劇場として、各種の催しの会場に使用されている。

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背面からみた普選記念壇。
設計は、日比谷公会堂群馬栃木滋賀の各県庁舎などの設計で知られる佐藤功一(1878~1941)による。

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昭和61年(1986)に噴水塔とともに名古屋市の指定有形文化財に指定されている。

第892回・伊勢久

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名古屋市中区丸の内三丁目にある伊勢久株式会社の本社屋は、昭和5年(1930)竣工の近代洋風建築。名古屋市内でも現存する数少ない質の高い洋風意匠を有する昭和初期の事務所ビルである。

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昨年(平成26年)国指定重要文化財となった愛知県庁舎名古屋市庁舎に近い場所に建っている。隣接する愛知県庁大津橋分室(旧愛知県信用組合連合会会館)も昭和7年竣工の近代洋風建築で、現在改修工事中である。

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近年の改修で取り外されたが、正面屋上の軒にはスペイン瓦が葺かれていた。但し写真に一部写っている屋上の塔屋部分には、スペイン瓦が現在も残されている。

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屋上部分のスペイン瓦が取り払われ、のっぺりした印象になってしまったのは惜しまれるが、それ以外は創建当初からの外観をよく残している。

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設計者の島武頼三(1894~1947)は、名古屋建築界の近代化に貢献したことで知られる鈴木禎次(1870~1941)の片腕として活躍した建築家である。

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島武頼三は鈴木禎次の設計事務所の筆頭スタッフとして、松坂屋大阪店(現高島屋東別館)など多くの鈴木作品の設計や現場監理に参加しているが、伊勢久の本社屋は個人で設計を引き受けたものである。

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伊勢久は名古屋でも有数の老舗企業であり、江戸時代中期の宝暦8年(1758)に薬種商として創業した。

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現在は医療、環境関連分野の企業・研究所・大学・病院などを対象に、試薬・化成品・臨床検査薬・セラミックス原材料・分析機器及びプラント等設備の提供を主業務としている。(伊勢久(株)ホームページより)

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現在も同社の社屋として大切に使われている。
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