第1152回・神宮農業館

s_P61601342.jpg

三重県伊勢市神田久志本町にある神宮農業館は、以前紹介した神宮徴古館と同じく、神苑会(伊勢神宮域内の整備事業を行うため明治時代に存在した崇敬団体)によって明治24年(1891)に創設された日本で最初の産業博物館である。現在の建物は明治38年(1905)に徴古館の設計者である片山東熊の設計で建てられた。国登録有形文化財。

s_P6160147.jpg

神宮徴古館の北西、ほぼ隣接する位置に建っている神宮農業館。かつては道路を隔てて反対側にある式年遷宮記念神宮美術館の位置に建っていたが、同館建設のため平成8年(1996)に現在地に移築された。なお、移築前はロの字型の平面であったが移築に際し背面を縮小したため、現在は凹字形になっている。

s_P6160133.jpg

正面全景。平等院鳳凰堂をイメージした和洋折衷の木造建築である。片山東熊の設計作品は徴古館や迎賓館赤坂離宮表慶館奈良国立博物館などの石、煉瓦造の洋風建築のほか、木造では鳥取市の仁風閣などがあるが、木造で和洋折衷の農業館は珍しい存在である。

s_P61601442.jpg

明治19年に結成された神苑会は当初、倉田山に動物園・植物園・図書館を併設する総合博物館の開設することを計画していたが、大規模過ぎたところに恐慌や日清戦争を控えていた時勢の影響もあり、規模を縮小して農業館を先行して創設することになった。

s_P6160139.jpg

幕末から明治期に博物学者や農学者として活躍し、「博物館」の名称を作ったことでも知られる田中芳男(1838~1916)を設立責任者として開かれた農業館は、「自然の物産がいかに役に立つか」をテーマに、農業を主として林業・水産業などの資料が展示された。

s_P6160136.jpg

当初は伊勢神宮外宮前にあったが、明治38年(1905)に現在の建物が倉田山に新築されたため移転した。移転後は徴古館とともに神苑会から伊勢神宮に奉納され、殖産興業の資料を陳列・保存し、観覧に供することを目的とする施設とされた。

IMG_0179_convert_200911182304282222.jpg

昭和20年の宇治山田空襲では被災を免れたが、昭和末期には老朽化が進み、また敷地が先述の美術館建設予定地となったことから平成元年(1989)に一旦閉館した。閉館後、建物は一時解体され、平成8年(1996)に現在地に規模を縮小して再建された。

IMG_0180_convert_200911182305422222.jpg

移築に際し規模が縮小されたが、正面側は創建当初の規模を保っている。また戦災による改修で内装が一変した徴古館と違い、内部も洋風小屋組を露出した天井など、明治期の造作がよく残されている。

s_P6160135.jpg

全体において和風を基調としているが、二層になっている正面部分には軒飾りなどに洋風の装飾が施されている。切り紙細工のような装飾は当時の米国の木造住宅で流行した意匠(カーペンターゴシック)に由来するものと思われる。

s_P616013722.jpg

片山東熊の設計による木造洋風建築で、明治村にある旧赤十字病院病棟でも同様の軒飾りが見られる。また、片山が在籍していた宮内省内匠寮が明治29年に建てた新宿御苑旧洋館御休所でも、同様の装飾を見ることができる。

s_P6160138.jpg

神宮農業館は平成10年(1998)に、徴古館と共に国の登録有形文化財となった。
現在は伊勢神宮の神事で供えられる神饌(しんせん)についての資料や明治期の内国勧業博覧会の出品資料、自然科学関連の資料などが展示、公開されている。
スポンサーサイト

第1151回・麻野館と二見浦旅館街

s_P61703062.jpg

三重県伊勢市二見町の二見浦は、かつては伊勢神宮を参拝する者の身を清める場所、宿泊場所として栄えていた。現在でも夫婦岩表参道沿いには木造の古い旅館や土産物店が軒を連ねている。その中の一軒である麻野館は、明治26年(1893)の創業で、玄関棟・広間棟・土蔵がそれぞれ国登録有形文化財となっている。

s_P6170322.jpg

旅籠町として発展した時代の名残を現在も残す二見浦の旅館街。夫婦岩表参道を挟んで海岸側に旅館が並び、反対側には土産物屋が多く建っている。かつてほどの賑わいはないが、現在でも伊勢神宮の参拝客が多く宿泊しており、修学旅行や合宿などによる学生の利用客も多い。

s_P6170316.jpg

旅館街の裏手に回れば二見浦公園の松林があり、海岸に出ることができる。

s_P6170319.jpg

海岸側に面して建つ旅館は、客室から松林と海岸を一望できるように造られている。

s_P6170323.jpg

江戸時代は「角屋」と称する本陣で、皇室にも利用されている朝日館。本館は戦後に鉄筋コンクリート造に建て替えられているが、大広間や客室のある木造二階建の別館は現在も使用されている。

s_P6170326.jpg

別館のほか、本館を挟む形で建っている貴賓用の「清風荘」も戦前の木造建築である。朝日館は賓日館(現在は廃業、建物は国指定重文として保存公開)とともに二見浦における貴賓の宿として利用された。

s_P6170327.jpg

専用の門と玄関を備えている清風荘。

s_P6170329.jpg

室内は折り上げ格天井を備え床の間などにも技巧を凝らし、昭和天皇も宿泊された「雲井の間」など見どころが多い。貴賓室であるが一般の宿泊も可能のようだ。

s_P6170320.jpg

戦後(昭和20年代)に建てられた木造三階建の旅館建築としては末期の建物である旧浜松旅館は、現在は旅館としては使用されていないようだ。

s_P6160267.jpg

大正期に建てられた旧いろは旅館。現在は麻野館の別館として使われている。
私事ながら昔、ブログ主が小学校の修学旅行で泊まったのはここであったように思う。

s_P6170307.jpg

麻野館本館。創業当初の建物に大正から昭和初期にかけて増改築を加えた、木造一部三階建ての堂々とした旅館建築である。写真の建物は玄関棟。この奥に土蔵を挟んで広間棟が建っている。

s_P6170311.jpg

海岸側から見た本館。海岸側から見えるのが広間棟である。

s_P6170314.jpg

広間棟は2階に大広間を配し、1・3階を客室とする。

s_P6170315.jpg

海岸側に掛かる古びた看板。「旅館 海水浴 麻野館」と大書されている。
二見浦海水浴場は明治15年(1882)に開かれ、日本で最初期に開かれた海水浴場のひとつである。
 
s_P61703082.jpg

平成26年(2014)、本館を構成している玄関棟、土蔵、広間棟の3棟が国登録有形文化財となった。

s_P6170289.jpg

麻野館の内部。朝日館に比べると庶民的な雰囲気の宿で、運動部の合宿や修学旅行生の宿泊も多いようだ。写真は明治調の古風な洋風手摺がある2階階段室。

s_P6170288.jpg

中庭に建っている土蔵。大正期に建てられた。

s_P6170290.jpg

広間棟の3階への階段。

s_P6170305.jpg

階段踊り場の床には大きな欅の一枚板が使われている。

s_P6170293.jpg

階段室の天井。

s_P6160273.jpg

広間棟3階の客室「寿の間」
海岸に面しており、波の音が聞こえる座敷である。

s_P6160274.jpg

床の間や次の間との境の欄間には客室名に因んだ装飾が施されている。

s_P6160280.jpg

書院窓の建具。

s_P6160282.jpg

「寿」の文字が入る壁。

s_P61702982.jpg
s_P61702972.jpg

欄間に施された、七福神の透かし彫り。

s_P6160268.jpg

えびす顔。

s_P6160281.jpg

麻野館をはじめとするこれらの旅館群が、風情ある街並みと共にこれからも長く続いて欲しいものである。

第1149回・旧四日市市立図書館(すわ公園交流館)

s_IMG_0013.jpg

三重県四日市市諏訪栄町の諏訪公園内にある「すわ公園交流館」は、元々は四日市市立図書館として使われていた建物である。昭和4年(1929)に、地元の実業家である熊澤一衛によって昭和天皇御大典記念事業として建設、寄付された。現在は児童向け施設として活用されている。国登録有形文化財。

s_IMG_0025.jpg

旧四日市市立図書館は、近鉄名古屋線四日市駅に近い中心街にある諏訪公園の一角に建っている。

s_IMG_00262.jpg

諏訪公園は、明治39年(1906)に日露戦争の戦勝記念として諏訪神社の所属公園「保光苑」として開園した、四日市市でも由緒ある公園である。

s_IMG_0020.jpg

戦前は明治天皇の宿泊にも充てられた旧本陣の建物が「行幸記念館」として公園内に移築保存され、演舞場・小動物苑もある市民の憩いの場であったが、昭和20年6月の空襲で図書館を除き全て焼失した。

s_IMG_0022.jpg

戦災を免れた図書館は焼失した市立病院の病棟として使用されることとなり、昭和23年(1948)に再び図書館として使用されるまで一時期病院として使用されていた。

s_IMG_0004222.jpg

鉄筋コンクリート造2階建の建物であるが、傾斜地に建てられているため、背面から見ると平屋建てに見える。

s_IMG_0006.jpg

スクラッチタイルを貼った重厚な外観が特徴の建物である。

s_IMG_0008.jpg

昭和48年(1973)に市立図書館が他所に新築され、役目を終えた後は児童館として使用されていた。

s_IMG_0030.jpg

平成15年(2003)には国の登録有形文化財となり、同年に現在の「すわ公園交流館」としてリニューアル、児童向け施設としての機能は残しながらもイベント会場に利用するなど、より多目的な活用を図っているようだ。

s_IMG_00152.jpg

この建物を建設し寄贈した熊澤一衛(1877~1940)は、四日市銀行頭取や伊勢電鉄社長を務めた他、電力、製紙、汽船、林業など多くの分野に跨って事業を展開、「東海の飛将軍」とも称された実業家である。

s_IMG_0011.jpg

実業家であると同時に「月台」の雅号を持ち、歌人・茶人としても知られていた。

s_IMG_00332444.jpg

図書館の正面中央にある2つの円形レリーフには餅をつくウサギがデザインされているが、熊澤一衛の雅号に因む装飾である。

s_IMG_0016.jpg

1階の正面右手に設けられた噴泉。

s_IMG_00172.jpg

壺を掲げた小児像と山羊の頭部を象った水吐き口が置かれている。

s_IMG_0021.jpg

四日市市はかつては東海道の宿場町としても栄えた歴史を有する街であるが、戦災で市街地の殆どが焼失、旧市立図書館は戦前から残る数少ない建造物のひとつである。

第1132回・旧小田小学校本館

s_PB040095.jpg

伊賀市小田町にある明治14年(1881)に建てられた旧小田小学校本館は、三重県内に現存する最古の小学校校舎である。正面の玄関ポーチ及びバルコニー周りを中心に擬洋風建築ならではの造形が見られる。三重県指定文化財。

s_PB040114.jpg

旧小田小学校は上野城に近い高台の上にある。小田村(現小田町)は元々低地にあったが江戸時代より度々水害に見舞われており、大きな被害を受けた明治3年の水害を機に現在地に村ごと移転した歴史を持つ。

s_PB040098.jpg

旧小田小学校本館が建てられたのは村の移転から間もない時期であると同時に、明治の文明開化の風潮の最盛期でもあった。そのような背景のもとで建てられた校舎は、随所に新しい時代への意気込みが感じられる。

s_PB040100.jpg

窓は洋風のアーチ窓となっており、外壁は伝統的な漆喰仕上げながらも角には西洋建築の隅石を模した装飾を施している。

s_PB0401122.jpg

三重県で最初期の洋風建築である津の三重県庁舎(明治12年竣工)とは竣工時期が僅か2年しか違わない。正面のベランダを備えた玄関ポーチは新築間もない県庁舎を模したのかも知れない。

s_PB0401112.jpg

学校そのものが開かれたのは明治8年(1875)であるが、新校舎建設に伴い校名を「教え導く」という意味を持つ「啓迪(けいてき)学校」と改め、数年間この名称が使用されていた。現在も校名入りの屋根瓦が正面玄関ポーチの上に残されている。

s_PB040097.jpg

正面玄関。
糸巻きの形を象ったとも言われる奇妙な形状の開口部と、その上に飾られた龍の漆喰彫刻が目を引く。

s_PB040101.jpg

側面から望む。
隅石を模した角の装飾は正面側にだけあることが分かる。

s_PB0401152.jpg

小田小学校は生徒数の減少から昭和40年(1965)に廃校となったが、本館はそれまでの84年間使用されていた。現在、跡地は保育園となっている。

s_PB040096.jpg

なお、先述の三重県庁舎もほぼ同時期の昭和39年(1964)に新庁舎竣工によりその役目を終え、明治村に移築されたが旧小田小学校は現在ももとの場所で保存されている。昭和50年(1975)には県の文化財に指定された。

s_PB0401102.jpg

玄関上部の龍の漆喰彫刻と「學」の文字。

s_PB040108.jpg

玄関土間の意匠。

s_PB040103.jpg

二階バルコニーへ続く出入り口の硝子戸にはギヤマン(色硝子)が嵌め込まれている。但し創建当初から残る建具ではなく、修復に際しての復元。

s_PB040105.jpg

神戸まで出向いて購入したというオリジナルの色硝子は一部だけ現存しており、階段わきの窓に展示されている。これをもとに上記の硝子戸が復元された。

s_PB040104.jpg

階段わきには明治の色硝子のほか、かつてこの学校で使用されていた明治時代のヤマハ製ピアノが展示されている。左上に写るのは始業終業を知らせていた鐘。

s_PB040106.jpg

小学校として使用されていた時期の末期(昭和中期)には、二階のバルコニーは部屋の一部に取り込まれていた。

s_PB040102.jpg

平成2年(1990)から4年がかりで行われた保存修理工事により、長らく失われていた屋根上の太鼓楼が資料や残された痕跡に基づき復元された。現在は建物と共に、教科書や学習用具等近代の初等教育資料を展示、公開している。

第1131回・旧上野警察署

s_PB040076.jpg

旧上野警察署は、三重県伊賀市上野丸ノ内1丁目にある明治中期の洋風建築。明治21年(1888)に上野城(伊賀上野城)東大手門の近くに建てられ、昭和初年まで警察庁舎として使用されていた。その後現在地に移築され、近年まで個人住宅であったが現在は伊賀市の所有となっている。国登録有形文化財。

s_PB040066.jpg

伊賀鉄道西大手駅の近くに建っており、上野城にも近い位置にある。

s_PB040067.jpg

当時の署長の呼びかけによって官民双方から建設資金を集めて建設された。

s_PB0400682.jpg

釘を一本も使わずに建てられたという庁舎はその後の三重県内における警察庁舎の範となったという。

s_PB040079.jpg

約40年にわたって警察庁舎として使用され、役目を終えた後は民間に払い下げられることとなった。地元で伊賀合同新聞社を営む北泉氏の所有となり、昭和13年(1938)に現在地に移築された。 

s_PB040069.jpg

当初は伊賀合同新聞社の社屋として使用されていたが、その後は北泉家の住居として近年まで使用されていた。

s_PB040082.jpg

北泉家の現当主によって伊賀市に寄贈され、現在は「伊賀まちかど博物館 明治な館北泉邸」の名で催事等の会場に利用、公開されることもあるという。

s_PB040075.jpg

小規模であるが随所に密度の濃い細部装飾が施され、見応えのある洋館である。

s_PB040072.jpg

特に玄関まわりに施された装飾は見どころで、伝統的な社寺建築の装飾である蟇股(かえるまた)を洋風建築の装飾に取り込んでいる。

s_PB040081.jpg

一度移築されているが、創建当初の姿をよく残している。なお、警察署時代は屋上に火の見櫓が載っていたという。

s_PB040084.jpg

同時期の現存する警察庁舎では埼玉県の旧本庄警察署(明治16年、現・本庄市立歴史民俗資料館)などが現存するが、全国的に見てもかなり古いだけではなく、建物の質も高いと言える。

s_PB040088.jpg

戦災を免れ、城下町の風情を今もよく残す伊賀上野では、旧上野警察署の直ぐ近所にも明治の洋風建築を見ることができる。上野城の麓にある県立上野高等学校(旧県立第三中学校)の明治校舎である。

s_PB0400912.jpg

旧三重県庁舎旧三重県尋常師範学校(現在は共に明治村に移築されている)を手掛けた清水義八の設計による擬洋風建築で明治33年(1900)に建てられた。三重県の有形文化財に指定されている。

s_PB040086.jpg

現在も現役の校舎であり敷地内には入れないが、事前予約すれば内部の資料館を見学できるという。再訪の機会があれば改めて紹介させて頂きたいと思う。
プロフィール

syoukou

Author:syoukou
(ブログについて)
現存する近代日本の歴史的遺産(台湾など旧日本領土も含む)を建造物・土木構造物を中心に、思いつくままに取り上げております。

(写真について)
写真は特記しない限り管理人の撮影です。また絵葉書等の古写真は管理人の所蔵品、もしくは訪問先の展示品を撮影したものです。利用・転載等希望される場合は管理人まで御連絡頂けると幸いです。

(リンクについて)
リンクはフリーです。なお、リンクを張らせて頂いている他の方のページは一部を除き相互リンクとなっております。

(コメントについて)
記事と関係の無いコメントは削除させて頂く場合もあります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード