第1159回・俳聖殿

s_PB0503362.jpg

前回紹介した伊賀文化産業城(伊賀上野城)のすぐ近くに建つ俳聖殿は、俳聖・松尾芭蕉(1644~1694)を記念する堂として昭和17年(1942)に建てられた。郷土の文化の顕彰に努めた政治家・川崎克が伊賀文化産業城と共に残した記念的建造物であり、建築家の伊東忠太が設計指導を行ったことでも知られる。国指定重要文化財。

s_PB050298221.jpg

伊賀文化産業城天守の三層(展望室)から望む俳聖殿。

s_PB050298222.jpg

特異な形の屋根が遠望できる。

s_PB050313.jpg

藁葺き屋根を載せた門。

s_PB050332.jpg

二層式八角形の円堂で、松尾芭蕉の旅姿を建築物として表現するという川崎の構想に基づいて建てられた。上層を笠を被った頭部、下層は蓑をまとった身体、下層に並ぶ円柱は杖もしくは脚にそれぞれ見立てている。

s_PB050318.jpg

扁額が掲げられた正面が顔に相当する。

s_PB050319.jpg

皇紀2600年に当たる昭和15年(1940)に紀元二千六百年奉祝事業として計画され、松尾芭蕉の生誕300年に先立つ昭和17年(1942)に完成した。

s_PB050329.jpg

設計は川崎の構想に基づき、伊賀文化産業城の設計にも従事した島田仙之助が担当、これに伊東忠太が指導を加えた。施工は地元の棟梁である森本源吉による。

s_PB050331.jpg

上層の屋根は川崎克が所蔵していた芭蕉の笠に見立てたという。当初の構想では屋根は伊賀焼の瓦を用いる予定だったが、設計指導を行った伊東忠太が檜皮葺にすることを勧め、川崎がこれを受け容れたことにより、現在見られる姿となった。

s_PB050323.jpg

法隆寺夢殿など著名な古建築を参考として、伝統的な日本建築の技法を基礎にしながらも、遠景の屋根や軒や柱に数寄屋風の丸太を多用するなど、伝統にとらわれない自由な造形が施されている。

s_PB050322.jpg

芭蕉の命日に当たる10月12日には毎年、俳聖殿を会場に「芭蕉祭」が営まれている。

s_PB050324.jpg

「芭蕉祭」では内部の八角形厨子に安置された芭蕉翁坐像が公開されるが、通常でも正面の格子戸越しに内部を見ることができる。

s_PB050325.jpg

伊賀焼で造られた芭蕉翁坐像。彫刻家の長谷川栄作が原型を作成、伊賀焼の研究だけではなく自ら作陶も行っていた川崎克が焼成したものである。

s_PB050326.jpg

内部には芭蕉祭で入選したものと思われる献詠俳句の額が飾られている。

s_PB050314.jpg

建築で特定の人物を表現したきわめて特異な建造物である俳聖殿は、三重県の指定文化財を経て平成22年(2010)に、国指定重要文化財となっている。
スポンサーサイト

第1158回・伊賀文化産業城(伊賀上野城)

s_PB0502852.jpg

三重県伊賀市の伊賀上野城址(上野公園)に建つ伊賀文化産業城は、地元出身の政治家である川崎克が私財を投じ、昭和10年(1935)に建てた模擬天守。全国各地の城跡に近代以降建てられた模擬天守及び復元・復興天守の中では、最も古いもののひとつである。伊賀市指定有形文化財。

s_PB050277.jpg

近世城郭としての伊賀上野城(上野城)の創建は天正13年(1585)に遡り、戦国武将・筒井定次によって築かれ、その後慶長年間に藤堂高虎によって拡張された。このとき五層の天守閣が築かれようとしていたが、完成間近に暴風雨によって倒壊した。

s_PB050279.jpg

以後、江戸時代を通じて天守閣の存在しない城であった伊賀上野城に初めて天守閣が完成したのは、築城から350年経った昭和10年(1935)のことであった。天守閣を築いたのは当地出身の代議士・川崎克である。

s_PB0502782.jpg

川崎克(1880~1949)は、「憲政の神様」として知られる尾崎咢堂の秘書を経て大正4年(1915)の初当選以来、30年以上にわたり衆議院議員を務めた人物。戦前の三重県選出代議士では尾崎咢堂、濱田國松(元衆議院議長、「切腹問答」で知られる)と並ぶ大物政治家の一人であった。

s_PB0502832.jpg

川崎は地元出身の俳聖・松尾芭蕉や伊賀焼について研究を行い、著作や作陶を行うなど郷里の歴史や芸術に造詣が深い人物でもあった。天守閣の建設も、郷里の文化を顕彰する活動の一環であったと思われる。

s_PB0502872.jpg

余談ながら同郷の探偵小説家である江戸川乱歩(現在の名張市出身)は、青年時代に川崎克に度々就職の世話になるなどの縁があったことから、川崎の没後には伝記の編纂を引き受けたり、子息(川崎秀二)の選挙応援に出向くなどしている。

s_PB050286.jpg

川崎による「攻防策戦の城は滅ぶ時あるも、文化産業の城は人類生活のあらん限り不滅である」との理想を込め「伊賀文化産業城」と名付けられた天守は、桃山期の建築様式を基調にした独自のものであり、規模、意匠共に史的考証に基づく復元ではない。

s_PB050309.jpg

窓には創建当時のものと思われるスチールサッシが嵌め込まれている。

s_PB050288.jpg

伊賀上野城天守の建設に先立つ昭和6年(1931)には、大阪城の復興天守が鉄筋コンクリート造で建てられているが、伊賀上野城は川崎の強い意向により木造で建てられた。写真は大天守の1層目。

s_PB050292.jpg

大天守の2層目。建設当初はその名の通り、1層目及び2層目で伊賀の産業や文化についての展示が行われていた。現在は伊賀上野城の戦国から昭和の模擬天守建設に至るまでの歴史を始め、藤堂高虎や川崎克についての展示などが行われている。

s_PB050296.jpg

3層目は創建から今日に至るまで展望台として利用されている。折り上げ格天井には川崎克と親交のあった文化人や政治家による揮毫もしくは絵画が嵌め込まれている。

s_PB050297.jpg

竣工当時の首相であった岡田啓介や、川崎の政治の師である尾崎咢堂の揮毫も見られる。

s_PB050307.jpg

竣工を前に暴風雨で倒壊した慶長期の五層天守の推定復元模型が、現在の天守と比較する形で展示されている。右側が慶長期の天守。

s_PB050293.jpg

伊賀上野城の天守は、戦国の遺構の上に築かれた昭和初期の近代和風建築と言える。賛否はあろうが、これもひとつの近代の優れた文化遺産として捉えたい。

s_PB050280.jpg

川崎克は伊賀上野に伊賀文化産業城のほか、優れた文化遺産というべき建物をもうひとつ残している。これは次回紹介したい。

第1157回・栄楽館(旧栄楽亭)

s_PB0502092.jpg

三重県伊賀市上野相生町にある栄楽館の建物は、明治初期にそれまでの生薬問屋を料亭に改築したもので、昭和末期まで料亭として営業を続けていた。その後伊賀市に寄贈され、現在は生涯学習施設として利用されると共に、数寄屋風の建物が無料で公開されている。国登録有形文化財。

s_PB050259.jpg

伊賀上野の中心街、銀座通り商店街に面して建っている栄楽館。写真手前側にあるのが町家形式の西棟で、生薬問屋時代から続く最も古い部分と思われるが、戦時中の道路拡幅によって西側の敷地が切り取られているため、規模は大幅に縮小されているようだ。

s_PB050258.jpg

西棟の東側には高塀が連なり、その一角に穿たれているのが正門で、ここが入口となっている。這入るとすぐ右手に西棟を改装して設けられた受付があり、ここで見学の旨を告げると(使用中でない限りは)無料で見学ができる。

s_PB050256.jpg

西棟、東棟及び土蔵、南棟の3棟がコの字型に庭園を囲む形で配されている。
石畳の先に玄関がある。

s_PB050254.jpg

明治6年(1873)の料亭開業時に建てられたと思われる東棟は2方向が庭園に面し、そのためか硝子戸を多用した外観が特徴の近代和風建築。

s_PB050224.jpg

庭園には様々な形の庭石や石燈籠が配されている。

s_PB050253.jpg

南棟に設けられた玄関。

s_PB050212.jpg

南棟には意匠の異なる3つの座敷が連なり、その奥には茶室風の離れも設けられている。

s_PB050252.jpg

「永楽亭」の扁額が掛けられた座敷。

s_PB050211.jpg

s_PB050214.jpg

料亭として建てられたため、床の間や窓、壁や天井には意匠を凝らす。

s_PB050213.jpg

縦に切った竹を壁に埋め込んだ座敷。

s_PB050217.jpg

南棟の奥に設けられている茶室風の離れ座敷。自然木を放射状に配した天井が特徴的。

s_PB050220.jpg

明治6年(1873)から「栄楽亭」の名で昭和58年(1983)頃まで料亭として営業を続けていた。廃業後は経営者の住居となっていたが、平成5年(1993)に伊賀市に寄贈された。

s_PB050225.jpg

現在、館内は催事用の貸室(有料)となっているが、利用のないときは無料で見学できる。

s_PB050219.jpg

南棟と東棟の間に建つ土蔵。腰壁は当地で「鼓繋ぎ」と呼ばれる独特の形状の漆喰壁となっている。

s_PB050240.jpg

東棟2階の大広間。

s_PB050226.jpg

大広間は23畳分の広さを有する。

s_PB050229.jpg

南棟2階の廊下には、1階座敷の壁と同様、縦に切った竹を用いた面白い意匠の硝子戸が嵌め込まれている。

s_PB050230.jpg

南棟の2階座敷。

s_PB050236.jpg

この手の建物が公共施設になった場合よく見られることだが、備品の折り畳み式の椅子とテーブルは建物の雰囲気に全く調和しておらず、少々残念である。

s_PB050248.jpg

扇をあしらった欄間。

s_PB050247.jpg

欄干にも扇の意匠。

s_PB050228.jpg

廊下の竹。
竹の部分のみ、透明硝子が入れられている。

s_PB050231.jpg

平成7年(1995)より、「栄楽館」の名で市の生涯学習施設として再利用されることになり、現在に至る。

s_PB050260.jpg

城下町の町並みがよく残されている伊賀上野で、内部見学もできる近代和風建築のひとつである。

第1152回・神宮農業館

s_P61601342.jpg

三重県伊勢市神田久志本町にある神宮農業館は、以前紹介した神宮徴古館と同じく、神苑会(伊勢神宮域内の整備事業を行うため明治時代に存在した崇敬団体)によって明治24年(1891)に創設された日本で最初の産業博物館である。現在の建物は明治38年(1905)に徴古館の設計者である片山東熊の設計で建てられた。国登録有形文化財。

s_P6160147.jpg

神宮徴古館の北西、ほぼ隣接する位置に建っている神宮農業館。かつては道路を隔てて反対側にある式年遷宮記念神宮美術館の位置に建っていたが、同館建設のため平成8年(1996)に現在地に移築された。なお、移築前はロの字型の平面であったが移築に際し背面を縮小したため、現在は凹字形になっている。

s_P6160133.jpg

正面全景。平等院鳳凰堂をイメージした和洋折衷の木造建築である。片山東熊の設計作品は徴古館や迎賓館赤坂離宮表慶館奈良国立博物館などの石、煉瓦造の洋風建築のほか、木造では鳥取市の仁風閣などがあるが、木造で和洋折衷の農業館は珍しい存在である。

s_P61601442.jpg

明治19年に結成された神苑会は当初、倉田山に動物園・植物園・図書館を併設する総合博物館の開設することを計画していたが、大規模過ぎたところに恐慌や日清戦争を控えていた時勢の影響もあり、規模を縮小して農業館を先行して創設することになった。

s_P6160139.jpg

幕末から明治期に博物学者や農学者として活躍し、「博物館」の名称を作ったことでも知られる田中芳男(1838~1916)を設立責任者として開かれた農業館は、「自然の物産がいかに役に立つか」をテーマに、農業を主として林業・水産業などの資料が展示された。

s_P6160136.jpg

当初は伊勢神宮外宮前にあったが、明治38年(1905)に現在の建物が倉田山に新築されたため移転した。移転後は徴古館とともに神苑会から伊勢神宮に奉納され、殖産興業の資料を陳列・保存し、観覧に供することを目的とする施設とされた。

IMG_0179_convert_200911182304282222.jpg

昭和20年の宇治山田空襲では被災を免れたが、昭和末期には老朽化が進み、また敷地が先述の美術館建設予定地となったことから平成元年(1989)に一旦閉館した。閉館後、建物は一時解体され、平成8年(1996)に現在地に規模を縮小して再建された。

IMG_0180_convert_200911182305422222.jpg

移築に際し規模が縮小されたが、正面側は創建当初の規模を保っている。また戦災による改修で内装が一変した徴古館と違い、内部も洋風小屋組を露出した天井など、明治期の造作がよく残されている。

s_P6160135.jpg

全体において和風を基調としているが、二層になっている正面部分には軒飾りなどに洋風の装飾が施されている。切り紙細工のような装飾は当時の米国の木造住宅で流行した意匠(カーペンターゴシック)に由来するものと思われる。

s_P616013722.jpg

片山東熊の設計による木造洋風建築で、明治村にある旧赤十字病院病棟でも同様の軒飾りが見られる。また、片山が在籍していた宮内省内匠寮が明治29年に建てた新宿御苑旧洋館御休所でも、同様の装飾を見ることができる。

s_P6160138.jpg

神宮農業館は平成10年(1998)に、徴古館と共に国の登録有形文化財となった。
現在は伊勢神宮の神事で供えられる神饌(しんせん)についての資料や明治期の内国勧業博覧会の出品資料、自然科学関連の資料などが展示、公開されている。

第1151回・麻野館と二見浦旅館街

s_P61703062.jpg

三重県伊勢市二見町の二見浦は、かつては伊勢神宮を参拝する者の身を清める場所、宿泊場所として栄えていた。現在でも夫婦岩表参道沿いには木造の古い旅館や土産物店が軒を連ねている。その中の一軒である麻野館は、明治26年(1893)の創業で、玄関棟・広間棟・土蔵がそれぞれ国登録有形文化財となっている。

s_P6170322.jpg

旅籠町として発展した時代の名残を現在も残す二見浦の旅館街。夫婦岩表参道を挟んで海岸側に旅館が並び、反対側には土産物屋が多く建っている。かつてほどの賑わいはないが、現在でも伊勢神宮の参拝客が多く宿泊しており、修学旅行や合宿などによる学生の利用客も多い。

s_P6170316.jpg

旅館街の裏手に回れば二見浦公園の松林があり、海岸に出ることができる。

s_P6170319.jpg

海岸側に面して建つ旅館は、客室から松林と海岸を一望できるように造られている。

s_P6170323.jpg

江戸時代は「角屋」と称する本陣で、皇室にも利用されている朝日館。本館は戦後に鉄筋コンクリート造に建て替えられているが、大広間や客室のある木造二階建の別館は現在も使用されている。

s_P6170326.jpg

別館のほか、本館を挟む形で建っている貴賓用の「清風荘」も戦前の木造建築である。朝日館は賓日館(現在は廃業、建物は国指定重文として保存公開)とともに二見浦における貴賓の宿として利用された。

s_P6170327.jpg

専用の門と玄関を備えている清風荘。

s_P6170329.jpg

室内は折り上げ格天井を備え床の間などにも技巧を凝らし、昭和天皇も宿泊された「雲井の間」など見どころが多い。貴賓室であるが一般の宿泊も可能のようだ。

s_P6170320.jpg

戦後(昭和20年代)に建てられた木造三階建の旅館建築としては末期の建物である旧浜松旅館は、現在は旅館としては使用されていないようだ。

s_P6160267.jpg

大正期に建てられた旧いろは旅館。現在は麻野館の別館として使われている。
私事ながら昔、ブログ主が小学校の修学旅行で泊まったのはここであったように思う。

s_P6170307.jpg

麻野館本館。創業当初の建物に大正から昭和初期にかけて増改築を加えた、木造一部三階建ての堂々とした旅館建築である。写真の建物は玄関棟。この奥に土蔵を挟んで広間棟が建っている。

s_P6170311.jpg

海岸側から見た本館。海岸側から見えるのが広間棟である。

s_P6170314.jpg

広間棟は2階に大広間を配し、1・3階を客室とする。

s_P6170315.jpg

海岸側に掛かる古びた看板。「旅館 海水浴 麻野館」と大書されている。
二見浦海水浴場は明治15年(1882)に開かれ、日本で最初期に開かれた海水浴場のひとつである。
 
s_P61703082.jpg

平成26年(2014)、本館を構成している玄関棟、土蔵、広間棟の3棟が国登録有形文化財となった。

s_P6170289.jpg

麻野館の内部。朝日館に比べると庶民的な雰囲気の宿で、運動部の合宿や修学旅行生の宿泊も多いようだ。写真は明治調の古風な洋風手摺がある2階階段室。

s_P6170288.jpg

中庭に建っている土蔵。大正期に建てられた。

s_P6170290.jpg

広間棟の3階への階段。

s_P6170305.jpg

階段踊り場の床には大きな欅の一枚板が使われている。

s_P6170293.jpg

階段室の天井。

s_P6160273.jpg

広間棟3階の客室「寿の間」
海岸に面しており、波の音が聞こえる座敷である。

s_P6160274.jpg

床の間や次の間との境の欄間には客室名に因んだ装飾が施されている。

s_P6160280.jpg

書院窓の建具。

s_P6160282.jpg

「寿」の文字が入る壁。

s_P61702982.jpg
s_P61702972.jpg

欄間に施された、七福神の透かし彫り。

s_P6160268.jpg

えびす顔。

s_P6160281.jpg

麻野館をはじめとするこれらの旅館群が、風情ある街並みと共にこれからも長く続いて欲しいものである。
プロフィール

syoukou

Author:syoukou
(ブログについて)
現存する近代日本の歴史的遺産(台湾など旧日本領土も含む)を建造物・土木構造物を中心に、思いつくままに取り上げております。

(写真について)
写真は特記しない限り管理人の撮影です。また絵葉書等の古写真は管理人の所蔵品、もしくは訪問先の展示品を撮影したものです。利用・転載等希望される場合は管理人まで御連絡頂けると幸いです。

(リンクについて)
リンクはフリーです。なお、リンクを張らせて頂いている他の方のページは一部を除き相互リンクとなっております。

(コメントについて)
記事と関係の無いコメントは削除させて頂く場合もあります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード