第280回・賓日館

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賓日館は、伊勢神宮に参拝する賓客の宿泊施設として明治20年(1887)に、神苑会(伊勢神宮の崇敬団体)によって二見浦を望む地に建設された。

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その後昭和初期までに2度の大増築を重ね現在の形となる。その間明治44年には隣接する旅館・二見館の別館となり、平成11年の休業まで旅館として多くの宿泊客を迎えた。休業後賓日館は二見町に寄贈、資料館として整備・公開されて現在に至る。

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正面は二見浦を一望できる。夫婦岩もすぐ近くにある。

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庭園。材料・技術共に粋を凝らした近代和風建築そのものを公開すると同時に、かつての客室は催事等に貸し出されている。

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唐破風を持つ玄関。

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国登録有形文化財を経て県指定有形文化財、そして平成22年には国指定重要文化財となった。

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玄関入ってすぐの位置にある階段の親柱にはカエルの親子がいる。
客が「無事帰る」ように施した装飾。

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寄木細工を施した踊り場と面白い意匠の親柱。

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中庭に面した硝子戸の型押し硝子はどこかで見たと思ったら、石川県山中温泉の旧新家別邸応接間のものと同じだった。

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中庭。

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賓日館でも一番の見所、大広間の縁側。

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大広間床の間側。折上格天井にシャンデリアという典型的な近代和風建築。

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床の間の反対側は舞台になっている。ここで長い間、様々な宴が繰り広げられた。

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大広間は120畳分の広さがある。

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大広間、天井折上部分をアップ。

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御殿の間。皇太子時代の大正天皇をはじめ多くの皇族方が宿泊・逗留された部屋。

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明治20年の創建時の姿をそのまま残しているという。

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御殿の間の縁側には、古風な洋式椅子が置かれている。

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大広間及び御殿の間は二階にあるが、二階には他に二間ある。お付きの人の為の部屋のようである。

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御殿の間の真下にあり、明治期の形をよく残すとされる「ことぶき」の間。

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一階の客室の一部。床の間の意匠は部屋ごとに異なる。

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帳場。かつて使われていた道具類が展示されている。

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二見浦の旅館街も、近県の小学校からの修学旅行生の宿泊所として以前は多く利用されていたが現在はだいぶ減ってしまったようである。伊勢神宮が近年パワースポットとやらで脚光を浴びているのとは対照的に、隣接する二見浦は幾分寂しい感じがした。
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第258回・千歳文庫

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三重県津市の郊外、JR阿漕駅からほど近い千歳山は大正初期に当地の素封家・川喜田久太夫家によって「千歳山荘」と称する広大な邸宅が営まれた。その一角に建つ千歳文庫は川喜田家に伝わる古文書や古美術品を収蔵するため、昭和5年(1930)に建てられた洋風の蔵。収蔵品を保存・公開するため川喜田家により設立され、今年5月に津市中心街から新築移転した財団法人石水博物館の敷地から見ることが出来る。

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千歳山荘の造営及び石水博物館を設立したのは川喜田家十六代目・久太夫政令(きゅうだゆうまさのり、1878~1963)。雅号の半泥子で知られる。百五銀行頭取等財界の要職を務める傍ら陶芸、絵画、書等に才能を発揮した人物である。千歳山荘の土地及び建物の大半は平成20年に川喜田家から津市に寄贈された。写真は津市の所有となっている正門。すぐ隣に石水博物館の入口がある。

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正門右手には門番の住居が繋がっている。昭和の初めには川喜田半泥子が旅行の途上、上海で雇ったインド人の門番が一時期住んでいたという。身長2メートルを超える大男で、来客があると右手の窓から顔を出して用件を訊ねたそうである。

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千歳文庫の建物及び周辺の土地は川喜田家から石水博物館に所有が移っている。現在も現役の収蔵庫で内部は非公開。設計は京都市美術館(昭和8)等も設計した前田健二郎と伝わる。国登録有形文化財。

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正面外壁は円形に張り出しており、その横に入口がある。鉄筋コンクリート造4階建。内部にはエレベーターも備え付けられている。

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3階と4階にはバルコニーが設けられている。この4階部分内側には収蔵品の閲覧・鑑賞のためと思われる暖炉やシャンデリアで飾られた部屋がある。それ以外の内部はすべて収蔵庫である。

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入口。基壇が高く造られているが、収蔵品保存のためである。

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入口は華麗な意匠の鉄格子で飾られている。

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石水博物館では川喜田家伝来の美術品や川喜田半泥子の作品を鑑賞できる。ガラス張りの建物なので、博物館内部からも千歳文庫を見ることができる。


(甦るかも知れない旧川喜田邸)

半泥子・川喜田久太夫政令は大正2~4年頃、千歳山の森の中に英国風洋館と書院造日本家屋から構成される別邸(のちに本邸となる)を建てた。その後昭和18年に海軍へ献納、鈴鹿海軍工廠内に移築され貴賓宿泊所となる。戦後は再度移築され、鈴鹿電気通信学園の宿泊施設を経て昭和60年に解体されるまでは電電公社の福利厚生施設「鈴鹿荘」となっていた。移築を前提に解体された洋館・日本家屋の部材は25年以上経った現在も奈良県下に保管されているという。川喜田家からの寄贈を受けて千歳山の整備を始めた津市により、現在この邸宅の再建が検討されている。

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写真は半泥子撮影による創建当初の洋館正面。裏側に平屋建の日本家屋があった。前回の明治神宮宝物殿の記事で触れたが、設計は大江新太郎。施工は清水組。大正8年には大正建築の名手・田辺淳吉により1階内部の改装が行われた他、昭和初年までに正面玄関や側面テラス周りが改造されている。

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洋館側面。英国風を基調としているが、テラスの柱頭部は明治神宮宝物殿にも見られる船肘木の形をしており、和風のデザインも織り込まれている。
外観・内装共に極めて質の高い大正の名建築であり、洋館・日本家屋共に再建されることを強く望む。三重県を代表する近代の名邸として、桑名の旧諸戸邸等と並ぶ存在となるにちがいない。

※上記写真2点は石水博物館に展示してある写真パネルを撮ったものである。再建検討の状況等は下記・津市ホームページに載っている。

千歳山の整備について(津市ホームページ)

第256回・近鉄宇治山田駅舎

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伊勢神宮の玄関口である近鉄宇治山田駅は昭和6年(1931)の竣工。

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近鉄の前身のひとつ、参宮急行電鉄宇治山田駅として建設される。

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設計は鉄道省出身の建築家・久野節(1882~1962)による。

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駅舎の端に設けられた高塔は、戦後一時期火の見櫓として使われ、伊勢市の消防本部が置かれた事もある。

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テラコッタを多用した外観。

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同一設計者による駅舎建築としては大阪難波の南海ビルディング(昭和7)等がある。

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テラコッタの多用という点では南海ビルディングとも共通する。

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入口。

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内部コンコース。

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建設当初の姿をよく残す。

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現在も天皇陛下を始め、総理大臣等要人の伊勢神宮参拝の乗り入れ口なので貴賓室も備えられている。

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国登録有形文化財である。

第178回・旧諸戸精太邸(西諸戸邸・諸戸宗家・現「諸戸氏庭園」)

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前回取り上げた東諸戸邸の隣には西諸戸邸がある。東諸戸邸の主・二代精六の兄・精太が父・初代精六から受け継いだ家屋敷に洋室や茶室を増築し昭和初年頃には現在の形になった。東諸戸邸と同じく国指定重要文化財。

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主屋。重厚な土蔵造の商家である。明治半ばに初代精六が建てたという。
初代諸戸精六は父親の莫大な借金を背負わされ幼少期は辛酸を舐めるが、刻苦精励の末、米の仲買で巨万の富を得て土地経営、山林経営にも手を出しついには山林王とまで称された立志伝中の人物である。

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主屋の正面向かって右手にある洋室。冒頭の写真の建物である。大正6年(1917)、設計は当時名古屋を中心に活躍していた鈴木禎次。東諸戸邸の設計者・コンドルの教え子である辰野金吾に建築を学んでいる。つまりコンドルからすれば孫弟子に当たる。道路側は地味な外観だが、庭園側の外観と内装は瀟洒で華麗なもの。

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主屋の片方の鬼瓦はわざと傾けてある。伊勢神宮の方面を向いており、神宮に頭を下げる形になっている。

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とにかく重厚の一語に尽きる主屋。一階の格子の太さなど半端ではない。牢屋の格子かと思うぐらいである。

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主屋の向かって左にある表門。ここをくぐると接客用の御殿につながっている。

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門をくぐると奥に御殿が見える。玄関・洋館・大広間の3棟と離れになった玉突場から構成される。屋根に煉瓦の煙突が立っているのが洋館。

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御殿の袖塀。

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洋館。基壇が異様に高い。傷みがひどいが近年の内に修復が始まる筈である。

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玉突場。洋館からやや離れた場所にある。現在は修復のため解体中。(写真は解体前撮影)

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御殿玄関。

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御殿玄関。外務省庁舎の内装を模したと伝わる。外務省は明治の初めに建てられた赤煉瓦の庁舎が昭和20年の東京大空襲で焼失するまで使われていたので、そのときのものと思われるが具体的にどこを模したのかは不明。

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御殿玄関脇にある客座敷。西諸戸邸は庭園のみが公開対象であり、建物内部の公開はされていない。この写真も外から内部を覗いただけである。

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西本願寺を模したと伝わる大広間。初代諸戸精六の屋敷の建て方は気に入った建物があれば、大工を派遣して見学・採寸させてそれを写す、というものだったと言われる。

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もはや一個人の屋敷とは思えないスケールの大きさ。

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大広間の内部。内部からの庭園の眺めは圧巻らしい。

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大広間全景。

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大広間の前に広がる庭園。これだけ石を並べ立てた庭も珍しいのではないかと思う。

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もともとこの庭園は初代諸戸精六が一から造った訳ではない。江戸時代に桑名藩御用商人であった山田彦左衛門が造った庭園を明治半ばに周囲の土地と合わせて購入、荒れ果てていた庭園を整備し、その周りに新たに御殿や庭を造った。写真は旧山田氏庭園付近。

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旧山田氏庭園の遺構のひとつ、推敲亭。三重県指定文化財。月見のための茶亭。

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旧山田氏時代の建物で現存するのは推敲亭以外に御成書院がある。(推敲亭と同じく三重県指定文化財)名前の由来は明治天皇の御座所となったことに由来する。御成書院は現在も諸戸家の住まいの一部なので完全非公開。

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フジの時期は見ものであろう藤茶屋。山田氏庭園からの遺構であったがもとの建物は戦災で焼失、現在のものは昭和43年に関係者の記憶をもとに再建したもの。

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庭園から見た主屋。

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二階は表側同様重厚に造られているが、一階は縁側があり軽快で解放的。一階が主人や家族の居室、二階は使用人の居室だったようである。

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大正か昭和初期建設の茶席「伴松軒」。主屋とは明治末増築の仏間を介してつながっている。初代精六は明治39年に没しているので、この茶席と先述の洋室は諸戸精太が建てたものである。

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庭園側から見た洋室。この建物も傷みがひどく、屋根にはトタンの覆いが掛けられている。修復が待たれる。

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4連アーチの部分にはステンドグラスが嵌めこまれている。

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東諸戸邸に比べると洋館としては極めて小粒だが味は超濃厚。内装も密度の濃い装飾が施され、家具調度類も一式揃っている。

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繊細な意匠の手摺や欄間を持つベランダは、同じ鈴木禎次設計で少し古い中埜家別邸(明治44、愛知県半田市、国指定重文)と共通点が見られる。

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ベランダの端にある、ベランダとは硝子の入ったドアで仕切られた謎のタイル敷き。かつては一人用のサンルームでもあったか、それともごく小さな温室があったのか、謎である。

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煉瓦造の米蔵。かつては5棟連なっていたが戦災で2棟は破壊され3棟のみ残る。

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東諸戸邸は敷地全体が桑名市の所有になったが、西諸戸邸は今も一部が諸戸家の住まいとして使われている。(写真手前部分)今回紹介した部分については現在諸戸家関係の財団が所有・管理、今後大がかりな修復工事が予定され、一部はすでに着手されている。

第177回・旧諸戸精六邸(東諸戸邸・諸戸本家・現「六華苑」)

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三重県桑名市の山林王・諸戸家の二代目諸戸精六が大正2年(1913)、自身の新婚生活の場として、もとの諸戸家の住まいに隣接する場所に建てた。設計は鹿鳴館の設計でも知られる英国人建築家ジョサイア・コンドルとその直弟子・桜井小太郎。国指定重要文化財。

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木曽三川のひとつ、長良川の西岸に広大な敷地を構える。古風な長屋門が出迎える。現在は諸戸家から桑名市に寄贈、「六華苑」の名称で一般公開されている。

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長屋門をくぐりしばらく歩くと洋館が見えてくる。

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木造二階建て・色モルタル塗り仕上げの洋館。建設当時施主の二代諸戸精六は若干23歳であった。設計者は施主の年齢を意識してこのような明るい雰囲気の洋館をデザインした、かどうかは分からない。

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四重の展望塔は塔からの長良川の展望を得たいがための施主の要望による。設計段階では三重塔であった。

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奥に見える和風の内玄関棟は桑名市に寄贈されてからの再建。元の建物は戦後間もなく他者へ譲渡され現存しないため、整備に際しイメージ復元を行ったもの。

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庭園側からの洋館全景。ベランダや塔で、変化に富むピクチュアレスクな外観を構成する。

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洋館に隣接して日本館が続く。洋館と日本館の繋ぎ目は、目立たない渡り投下などで繋ぐ例は多いが、このように露骨なまでに分かりやすく繋ぐのは珍しい。

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大名屋敷のような仰々しい造りの日本館が続く。

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敷地奥にある、昭和13年増築の仏間。日本館とは少し離れた場所に建てられている。屋根はもとは檜皮葺だったが整備に際し銅板葺に改められている。

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日本庭園の中に建つ洋館。

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戦災で洋館の玄関ポーチは失われたままだったが、整備に際して復原された。

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洋館玄関扉のステンドグラス。同じく戦災で失われていたので復原されたものである。

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洋館1階客間。洋館の中で最も華やかな部屋。

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洋館1階客間暖炉。金物の装飾にアールヌーボーのデザインが見られる。

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客間と続き間になっている食堂。

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食堂の暖炉。諸戸邸洋館のインテリアは他のコンドル設計の邸宅に比べると簡素なものである。

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食堂からの日本庭園の眺め。

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同上、その2。

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1階ベランダ。

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1階ベランダ、食堂の外観。

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2階階段ホール。

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2階女中室。洋室ながら押し入れがあるのが面白い。

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2階サンルーム。

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サンルームからの庭園の眺め。

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洋館から見る日本館の廊下。

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日本館、客座敷床の間。二代精六が洋館で起居したのは5年程度で、以後この日本館が生活の場となり、昭和に入ると間もなく他所に建てた別邸(無論和風)へ移る。

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展示されている二代精六の写真を見ると、隣の洋館で寝起きしていた頃は、乗馬をしたり洋装に鼻眼鏡というなりをしてみたり、歯の浮くようなハイカラ振りに身を窶していた時期もあったようだが、その後は茶の湯等伝統文化に傾倒するようになったようだ。

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中庭側の眺め。摺り硝子と透明硝子の組み合わせが秀逸な建具。

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隣には二代精六の兄・精太が父から引き継いた屋敷(西諸戸邸・諸戸宗家)があり、こちらも季節限定ではあるが庭園が公開されている。次回はこの屋敷を紹介させて頂く予定。
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