第1100回・旧奈良監獄(旧奈良少年刑務所)

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奈良市般若寺町にある旧奈良少年刑務所(平成29年3月廃庁)の一般公開が平成29年7月16日に実施されたので行ってきた。明治41年(1908)に奈良監獄として建てられた当初の施設群がほぼ完全な形で残されており、国の重要文化財に指定されている。ホテル及び博物館として再利用するため、年内にも補強及び改修工事に入り、2年後には新たな用途を得て甦る予定である。

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旧奈良監獄の表門。司法省技師として明治から大正にかけて全国各地の刑務所や裁判所庁舎を設計した山下啓次郎(1868~1931)が手掛けた「明治の五大監獄」のうち、唯一ほぼ完全な形で残されている。刑務所として使われてきた姿を見る機会としてはこれが最後であることから、酷暑の中を多くの見学者が訪れていた。

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内側から見た表門。控壁は耐震補強のため近年付加されたもの。なお、弊ブログでは山下啓次郎が手掛けた「明治の五大監獄」のうち、表門と本館のみ現存する旧千葉監獄(千葉刑務所)、明治期の監獄施設が一式移築保存されている旧網走監獄(現・博物館網走監獄)についても以前紹介しているので、こちらも併せて御覧頂けると幸いである。

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刑務所を囲む塀も、正面及び側面にかけて設置当初の煉瓦塀が残されている。この塀も重要文化財に指定されている。なお、背面(西側)は刑務所の敷地拡大の際に撤去されたため、現存しない。

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塀の煉瓦を拡大。旧千葉監獄では、東京駅舎などでも用いられている煉瓦積みの目地をカマボコ状に仕上げた覆輪目地を本館で見ることができたが、旧奈良監獄では見られなかった。同じ赤煉瓦の刑務所でも、奈良と千葉で積み方や煉瓦自体の風合い等、色々な差異を見つけることができる。

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表門をくぐった先に現れるのが事務所として使われていた本館。背後に講堂及び中央看守所が続いている。旧千葉監獄では正面の事務棟部分のみが現存するが、奈良では背後の講堂や両翼の倉庫及び渡り廊下など、附属建物も含め一式が残されている。

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つい最近まで現役の庁舎として使われていたため、窓はアルミサッシの一枚硝子に改変されているが、元々は硝子面が桟で四等分された上げ下げ窓であった。今後の改装では旧千葉監獄のように、形だけでも旧態に近い建具に入れ替えてもらいたいものである。

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奈良監獄の沿革は、慶長18年(1613)に江戸幕府直轄で開設された奈良奉行所の牢屋敷に遡る。明治に入り奈良監獄署を経て奈良監獄に改称された。明治41年(1908)に現在見られる赤煉瓦の施設が竣工、その翌年に移転した。なお、現在奈良女子大学が建っている場所がかつての奈良奉行所の牢屋敷跡であるという。

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大正11年(1922)には奈良刑務所と改称、戦後の昭和21年(1946)に奈良少年刑務所となり、平成29年(2017)に廃庁。廃止前より周辺住民や建築史家、設計者である山下啓次郎の孫でジャズピアニストの山下洋輔氏などによって施設の保存運動が展開された。

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法務省も保存要望に応え、民間資本によるホテル及び刑務所の歴史を伝える史料館への利活用を前提として保存する方針を公表した。そして廃庁直前の平成29年2月、国の重要文化財に指定された。

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本館の背後に続く中央監視所。
この中央監視所を軸として、5棟の舎房が放射状に配されている。欧米に範を取り建設された当時の刑務所では標準的な配置であったが、現在ではこのような配置は採られていない。

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現在、明治期の舎房や監視所が現存するのは旧奈良監獄のほか、先述の北海道網走市にある旧網走監獄と、明治村に一部が移築されている旧金沢監獄がある。これらはいずれも木造で、他所への移築という形での保存であり、煉瓦造で当初の位置に残されているのは旧奈良監獄だけである。

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5棟ある舎房はいずれも煉瓦造2階建で、今後刑務所の雰囲気を残しつつホテルの客室棟として改装される予定である。(ただし1棟は刑務所としての歴史を伝えるため、そのままの姿で保存される)

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1階から見た舎房の廊下。

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舎房の2階天井には、明り取りの硝子天井が設けられている。

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約110年間使われ続けてきた独房の扉。木製であるが極めて頑丈に造られている。

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独房の一室。

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独房の角に設けられている石造りの洗面台。

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舎房の先に建っている木造の実習場は大正時代の増築で、これも重要文化財に指定されている。

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外から見た舎房。

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舎房の窓。

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舎房から中央監視所を望む。
小さなドーム屋根が載る中央監視所の塔の中は、かつては見張り台であったようだ。

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本館の両翼には倉庫棟が配されている。写真手前が倉庫棟。

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倉庫棟の片側は、赤煉瓦のアーチが連なる吹き放しの回廊になっている。

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倉庫棟は本館の前にも前庭を挟む形で2棟建っており、こちらは大正時代に増築されたものである。

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医務所。八角形の部分は2層吹き抜けになっている。
手前の建物は病舎で、医務所とは渡り廊下で繋がれている。奥に見えるのは本館玄関の尖塔。

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医務所の脇に建つ隔離病舎。

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隔離病舎の向かいには、「ギス監」と呼ばれていた奈良奉行所時代の牢舎が2棟移築されている。

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塀の角の内側に設けられた見張台跡。構内を監視する看守が詰めるための場所で、煉瓦壁に人がひとり入れるぐらいのくぼみが設けられ、雨をしのぐための屋根の跡が残されている。

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旧奈良監獄の施設群はこの夏から補強、改修工事が始まり、平成31年(2019)には史料館が、翌年にはホテルが開業予定である。どのように生まれ変わるか、期待したい。
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第931回・旧川本家住宅

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奈良県大和郡山市洞泉寺町にある旧川本家住宅は、大正13年(1924)に建てられた旧遊郭の妓楼。
現在は大和郡山市が所有、管理している。国登録有形文化財。

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郡山城の城下町の一角に当たる洞泉寺町には遊郭が置かれ、昭和33年(1958)の売春防止法施行までは、奈良県内でも屈指の歓楽街であったという。

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現在もかつての妓楼のいくつかは、民家に転用されて現存している。
写真の道路の突き当りにある旧川本家住宅も、そのひとつである。

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木造三階建の豪壮な妓楼。
特に凝った意匠はないが、各階の軒下に電燈を配するのは遊郭ならでは。

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正面に3階建ての本館、その奥に中庭を挟んで座敷棟、納屋、土蔵を配する。いずれも国登録有形文化財。

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側面より座敷棟を望む。

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解体が検討されたことを機に、平成11年(1999)に大和郡山市が取得、以降、同市が管理しているが、現在のところ催事等を除き一般公開は行われていない。

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玄関や1階だけを見ると、通常の町家と変わらない。

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連子の意匠は各戸毎に異なり、周辺の旧妓楼と比較すると様々な意匠があることが分かる。

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今後の活用に期待したい。

第918回・浅井家住宅

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浅井家住宅は、奈良県大和郡山市にある明治初期の擬洋風建築。明治維新により廃城となった郡山城の部材を用いて建てられたと伝わる。

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全景。伝統的な造りの町家に連なる形で洋館が建っている。

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洋館正面。

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奈良県下に現存する明治初期の擬洋風建築では、生駒山の宝山寺獅子閣と並ぶ存在。

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郡山城の部材を用いて建てられたためか、屋根瓦には郡山城主である柳沢家の家紋がある。

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2階のバルコニー。

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1階はアーチ型の玄関と窓が2つ連なる。

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藤森照信氏の著書「日本の近代建築(上)」では、擬洋風建築の一例として紹介されており、軒下の壁面にアルファベット状の奇怪な装飾が黒漆喰で描かれているとのことだが、改装により失われたのか、存在は確認できなかった。

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第917回・柳沢文庫

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奈良県大和郡山市の郡山城跡に、旧郡山藩主・柳沢家の邸宅の一部が保存されている。明治期に郡山別邸として建てられた部分と、昭和初期に東京・芝の本邸から移築された部分で構成されている建物は、現在、柳沢家所蔵の歴史的資料や、地域の歴史資料を保存、公開する柳沢文庫の施設として利用されている。

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柳沢家は享保9年(1724)に郡山城に入城、明治4年(1871)の廃藩置県までの約150年間、郡山藩主として同地を治め、明治以降は華族に列せられ、伯爵位を授けられた。なお、現在でも大和郡山市の産業として知られている金魚の養殖は、柳沢家が郡山入城に際し、趣味で飼っていた金魚も持ち込んだことによる。

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玄関車寄せ部分は、もともと東京・芝に建てられた本邸の一部であったが、関東大震災後の復興事業による道路拡幅で立ち退きが必要とされたため、昭和3年(1928)に郡山別邸に移築・接続したものである。

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玄関車寄せの懸魚と蟇股には、柳沢家の家紋が彫り込まれている。

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これらの邸宅を建てたのは、明治後期から昭和初期にかけての柳沢家当主で、統計学者としても知られる柳沢保恵(1871~1936)伯爵である。以前当ブログで紹介したニッカウヰスキーの出資者でもある。

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戦後の昭和35年(1960)、保恵の死後家督を継いだ柳沢保承により、柳沢文庫として公開されるようになった。

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柳沢文庫玄関と向かい合う位置には、昭和初年に前庭として築造された庭園が残されており、その中に一棟の亭がある。
柳沢家が営む養魚場から移築されたもので、かつてはこの周囲にも金魚池があったという。

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亭の屋根の上部にも、柳沢家の家紋がある。

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傘のような亭の天井。

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亭の中から望む旧本邸玄関車寄せ。

第914回・百寿橋

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奈良県大和郡山市の市庁舎前に架かる百寿橋は、昭和11年(1936)竣功の鉄筋コンクリート造橋梁。

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明治30年(1897)、現在の大和郡山市庁舎の位置に生駒郡役所が設置された。郡役所の前に架けられた木造の橋が百寿橋と名付けられた。現在の橋は二代目で、昭和11年に市民からの寄付により鉄筋コンクリート造で架け替えられた。

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渡り初めの様子を写した古写真。(橋の袂に置かれた解説版より)
4本の親柱には城郭を模した金属製の照明燈が置かれていたが、架橋後ほどなく戦時中の金属供出で撤去された。

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照明燈は長らく存在しない状態であったが、平成26年(2014)に市制60周年記念として再び城郭形の照明燈が御影石で再現された。

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欄干には大和郡山市の市章が嵌め込まれている。

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側面から見ると緩やかな二連アーチの橋であることが分かる。

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架橋に要した工事費は当時の金額で3,100円。

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再現された照明燈にはLED照明が内蔵されている。

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水位が高いのでアーチがよく見えない。

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奈良県内に現存する戦前の橋梁の中でも、とりわけ特徴的な意匠である。
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