第931回・旧川本家住宅

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奈良県大和郡山市洞泉寺町にある旧川本家住宅は、大正13年(1924)に建てられた旧遊郭の妓楼。
現在は大和郡山市が所有、管理している。国登録有形文化財。

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郡山城の城下町の一角に当たる洞泉寺町には遊郭が置かれ、昭和33年(1958)の売春防止法施行までは、奈良県内でも屈指の歓楽街であったという。

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現在もかつての妓楼のいくつかは、民家に転用されて現存している。
写真の道路の突き当りにある旧川本家住宅も、そのひとつである。

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木造三階建の豪壮な妓楼。
特に凝った意匠はないが、各階の軒下に電燈を配するのは遊郭ならでは。

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正面に3階建ての本館、その奥に中庭を挟んで座敷棟、納屋、土蔵を配する。いずれも国登録有形文化財。

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側面より座敷棟を望む。

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解体が検討されたことを機に、平成11年(1999)に大和郡山市が取得、以降、同市が管理しているが、現在のところ催事等を除き一般公開は行われていない。

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玄関や1階だけを見ると、通常の町家と変わらない。

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連子の意匠は各戸毎に異なり、周辺の旧妓楼と比較すると様々な意匠があることが分かる。

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今後の活用に期待したい。
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第918回・浅井家住宅

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浅井家住宅は、奈良県大和郡山市にある明治初期の擬洋風建築。明治維新により廃城となった郡山城の部材を用いて建てられたと伝わる。

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全景。伝統的な造りの町家に連なる形で洋館が建っている。

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洋館正面。

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奈良県下に現存する明治初期の擬洋風建築では、生駒山の宝山寺獅子閣と並ぶ存在。

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郡山城の部材を用いて建てられたためか、屋根瓦には郡山城主である柳沢家の家紋がある。

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2階のバルコニー。

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1階はアーチ型の玄関と窓が2つ連なる。

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藤森照信氏の著書「日本の近代建築(上)」では、擬洋風建築の一例として紹介されており、軒下の壁面にアルファベット状の奇怪な装飾が黒漆喰で描かれているとのことだが、改装により失われたのか、存在は確認できなかった。

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第917回・柳沢文庫

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奈良県大和郡山市の郡山城跡に、旧郡山藩主・柳沢家の邸宅の一部が保存されている。明治期に郡山別邸として建てられた部分と、昭和初期に東京・芝の本邸から移築された部分で構成されている建物は、現在、柳沢家所蔵の歴史的資料や、地域の歴史資料を保存、公開する柳沢文庫の施設として利用されている。

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柳沢家は享保9年(1724)に郡山城に入城、明治4年(1871)の廃藩置県までの約150年間、郡山藩主として同地を治め、明治以降は華族に列せられ、伯爵位を授けられた。なお、現在でも大和郡山市の産業として知られている金魚の養殖は、柳沢家が郡山入城に際し、趣味で飼っていた金魚も持ち込んだことによる。

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玄関車寄せ部分は、もともと東京・芝に建てられた本邸の一部であったが、関東大震災後の復興事業による道路拡幅で立ち退きが必要とされたため、昭和3年(1928)に郡山別邸に移築・接続したものである。

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玄関車寄せの懸魚と蟇股には、柳沢家の家紋が彫り込まれている。

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これらの邸宅を建てたのは、明治後期から昭和初期にかけての柳沢家当主で、統計学者としても知られる柳沢保恵(1871~1936)伯爵である。以前当ブログで紹介したニッカウヰスキーの出資者でもある。

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戦後の昭和35年(1960)、保恵の死後家督を継いだ柳沢保承により、柳沢文庫として公開されるようになった。

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柳沢文庫玄関と向かい合う位置には、昭和初年に前庭として築造された庭園が残されており、その中に一棟の亭がある。
柳沢家が営む養魚場から移築されたもので、かつてはこの周囲にも金魚池があったという。

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亭の屋根の上部にも、柳沢家の家紋がある。

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傘のような亭の天井。

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亭の中から望む旧本邸玄関車寄せ。

第914回・百寿橋

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奈良県大和郡山市の市庁舎前に架かる百寿橋は、昭和11年(1936)竣功の鉄筋コンクリート造橋梁。

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明治30年(1897)、現在の大和郡山市庁舎の位置に生駒郡役所が設置された。郡役所の前に架けられた木造の橋が百寿橋と名付けられた。現在の橋は二代目で、昭和11年に市民からの寄付により鉄筋コンクリート造で架け替えられた。

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渡り初めの様子を写した古写真。(橋の袂に置かれた解説版より)
4本の親柱には城郭を模した金属製の照明燈が置かれていたが、架橋後ほどなく戦時中の金属供出で撤去された。

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照明燈は長らく存在しない状態であったが、平成26年(2014)に市制60周年記念として再び城郭形の照明燈が御影石で再現された。

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欄干には大和郡山市の市章が嵌め込まれている。

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側面から見ると緩やかな二連アーチの橋であることが分かる。

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架橋に要した工事費は当時の金額で3,100円。

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再現された照明燈にはLED照明が内蔵されている。

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水位が高いのでアーチがよく見えない。

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奈良県内に現存する戦前の橋梁の中でも、とりわけ特徴的な意匠である。

第904回・來田家住宅

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來田家住宅は、法隆寺に近い奈良県生駒郡斑鳩町五百井にある近代和風建築。大正初期、紙問屋として一代で財を築いた実業家が故郷に別邸として建てた。和洋折衷の独特の意匠が内外装に施されている離れが国の登録有形文化財となっている。

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邸宅は大正3年(1914)に完成したとされる。国の登録有形文化財となっているのは離れのみであるが、それ以外にも母屋や土蔵、茶室など、造営された当時のものと思われる建物がよく残されている。

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庭園や門、周囲を囲う土塀も残されている。

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御影石の門柱を立てた門構え。
施主の來田氏は軍事郵便用の封筒を扱い成功を収め、最盛期には中国や朝鮮半島などに支店を設ける程の勢いであったという。

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一階が和風、二階を洋風とする木造二階建ての離れは、母屋と土蔵の間にそれぞれ渡り廊下で結ばれる形で建っている。離れ座敷の階上に洋室を設ける例は旧家などに散見され、京都府与謝郡与謝野町の旧尾藤家住宅(京都府指定文化財)などの事例が現存する。

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特徴的な離れの洋館部分は街路からも見ることができる。

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洋館部分はドイツ壁や付柱、窓枠飾りなどに凝った細工が見られる。

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特に目を引くのは付柱の柱頭飾りにある天使像。
室内も暖炉やその周囲には、石膏細工によるユニークな図柄のレリーフなど、創建当初からの装飾がよく残されている。

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頭部に羽根が生えた姿は少し不気味。

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現在は瓦葺であるが、創建当初は陸屋根であったという。
洋風建築が元々あまり建てられることが無かった奈良県下では非常に珍しい和洋折衷の建物である。

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(参考)
奈良新聞 グラフ「やまと建築詩」紹介記事
文化遺産オンライン 來田家住宅離れ
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