第1025回・松籟閣(旧平澤家住宅)

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新潟県長岡市朝日にある松籟閣(しょうらいかく)は、「朝日山」「久保田」などの銘柄で知られる酒蔵、朝日酒造㈱の初代社長である平澤與之助が昭和初期に建てた自邸。平成16年(2004)の中越地震では大きな被害を受けたが、その後修復された。現在は同社の迎賓館として使用するとともに、一般公開も行われている。国登録有形文化財。

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朝日酒造の工場及び製品倉庫に隣接して建っている松籟閣。平成13年(2001)まで平澤家の住居として使われていたが、製品倉庫新築のため、隣接する現在地に曳家で移動すると同時に改修を行い、迎賓館に生まれ変わった。平成15年(2003)には国の登録有形文化財に認定される。

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平成16年10月23日に発生した中越地震によって、松籟閣及び朝日酒造の施設は大きな被害を受ける。大正9年(1920)の株式会社設立に際し建てられた洋館建ての事務棟は取り壊されたが、松籟閣は室内の壁が崩落するなど大きな被害を受けたものの、翌年より修復に着手、ほぼ旧状どおりに復された。

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創業家である平澤家は、天保元年(1830)には現在地で酒造業を始め、「久保田屋」の屋号を名乗っていた。大正9年(1920)には朝日酒造㈱を設立する。会社は順調に発展し昭和初期には現在の基盤が形成された。社長の平澤與之助は社業の傍ら、県会議員を務めるなど政治家としても活動した。

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昭和初期には旧宅の改築にとりかかり、昭和9年(1934)に洋館や大広間棟を備えた新しい邸宅、現在の松籟閣が完成する。なお、かつて洋館の奥にあった大広間棟は、戦後の昭和22年に売却、移築され現存しない。

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玄関脇に設けられた洋館は、既に完成していた日本家屋に増築する形で、昭和9年に清水組の設計施工により建てられた。設計の主担当を務めたのは、同じく清水組が手掛けた熱海の旧根津嘉一郎別邸洋館や、新潟市の旧新津常吉邸、また今は無い東京五反田の旧正田邸の設計者として知られる大友弘。

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3種類の入母屋造の屋根が重なる正面玄関が印象的な日本家屋は、小千谷市でも現在も営業している㈱安達工務店の設計施工で、昭和9年の洋館増築時点ではすでに完成していたという。間取りなどに当地の伝統的な民家の特徴を備えている。

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式台を備えた正面玄関。

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脇に設けられた内玄関。見学の際はここから館内に入る。

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日本家屋は銘木、巨木がふんだんに使用された贅沢な造りである。写真の内玄関廊下の床板には、ケヤキの巨木の一枚板が使われている。

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内玄関と正玄関の間に設けられた小座敷。

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正玄関の脇に設けられた火頭窓(花頭窓)には、ケヤキを極限まで細く削って組み立てられた繊細な建具が嵌め込まれている。

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正玄関から廊下を進むと、洋館の内部につながっている。洋館の内部は応接間1室のみである。

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応接間は正面に暖炉を備え、その両脇にステンドグラスを嵌め込む。

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ステンドグラス。

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天井の照明と台座の装飾。

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天井の縁周りの装飾と換気口部分を拡大。

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洋館前の廊下突き当りに配された円形窓。

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正玄関を進むと現れる茶の間。
天井は折上格天井、床柱はヤシの木を用いている。

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茶の間から中庭を望む。
書院窓や欄間に、繊細で凝った造作の建具が見られる。

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茶の間に隣接する仏間。仏壇の上には神棚を設ける。
なお、茶の間と仏間の裏には食事室として造られた和洋2室がある。

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内玄関棟にある旧子供部屋。

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旧子供部屋の欄間には千鳥の装飾が施されている。

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茶の間に面した中庭を望む。突き当たりに写っているのが洋館で、中庭に面した廊下は和風の造りとなっている。かつては写真左側の位置に大広間棟の渡り廊下が続いており、中庭は四方を囲まれる構成になっていた。

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洋館の前から中庭を望む。寄棟屋根の平屋建ては寝室棟で、寝室と書斎の2室で構成されている。左側は茶の間のある主屋棟。

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寝室棟の書斎。
最も私的な空間であるため、床の間や天井、建具に意匠を凝らした数寄屋風の造りとなっている。

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書斎から中庭を望む。
縁側の硝子戸は下半分を摺り硝子とし、上部には菊花状の透かし彫り装飾が施されている。

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書斎に隣接した寝室は一転して洋風の造りとなっている。昭和9年の洋館増築時に清水組の手で洋室に改装されたものである。重厚華麗な応接間と異なり、モダンなアールデコ調の洋室となっている。

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アールデコ調のステンドグラスが嵌め込まれた寝室の円形窓。

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建物見学が可能なのは、催し等を除き基本的に平日のみである。(無料)
朝日酒造の酒蔵見学や併設の売店、飲食店利用と併せて見学するのもよい。
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第1005回・北方文化博物館(旧伊藤本家)

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新潟市江南区沢海にある北方文化博物館は、かつては越後の大地主として知られた豪農・伊藤家の邸宅を公開するとともに、所蔵されていた美術工芸品等を展示している博物館である。邸宅は明治中期に建てられた主屋を始めとする一連の建物に加え、農地解放によって大地主の座を降りた伊藤家が、博物館として再出発を図るため整備した庭園や茶室等で構成されている。国登録有形文化財。

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豪壮な御影石の門柱を立てる正面の門。この先に土蔵門がある。

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土蔵門。二ヶ所ある入口のうち、右側が通常の入口で、左側は特別な来客や行事のときだけ使用される大広間に繋がる専用の入口。博物館となった現在も、入館は右側から入る。

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土蔵門右側の入口をくぐり、石畳の先に見えるのが明治15年(1882)建築の主屋。伊藤家は、江戸時代中期に当たる宝暦年間に分家して以来、当主は代々文吉を名乗った。分家された当初は小作人同様の農家であったという伊藤文吉家は、幕末期には名字帯刀を許可される豪商にまでなるが、越後屈指の大地主の座に上り詰めるのは明治維新以降である。

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旧幕府から新政府への移行による社会の変動は、土地の所有関係にも変動をもたらし、三代伊藤文吉はこの時期に多くの土地を買収、大地主としての伊藤家の土台を築きあげた。現在残る主な建物は、三代伊藤文吉の孫に当たる五代文吉によって、明治15年から22年にかけて建てられた。

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昭和初期には新潟県下で最大、全国的にみても屈指の大地主となった伊藤家であるが、敗戦後の農地解放により農地を失い、邸宅も手放す大地主が続出する中、米国留学の経歴を持つ七代伊藤文吉は、邸宅や所蔵する美術品、歴史資料を財団所有に移管、博物館として公開することを決める。

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敗戦を機に豪農・大地主から博物館経営への転身を果たした伊藤家では、今日も八代伊藤文吉氏が(一財)北方文化博物館の館長を務めている。

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雪国の豪農の館にふさわしく、主屋の中には囲炉裏がいくつも切られている。
使用人や伊藤家の家族が日常使っていた台所のほか、当主の接客に用いられた「茶の間」にも囲炉裏が切られている。「茶の間」は家族でも当主以外は入ることができない場所であったという。

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主屋に隣接して建っている大広間。主屋竣工の5年後、明治20年(1887)から、2年の歳月をかけて建てられた。 五代伊藤文吉が子息(のちの六代文吉)の婚礼の場として使うことを念頭に建てたと言われる。

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書院造の豪壮な建物で、専用の門と大玄関を備えている。

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大玄関は正月や冠婚葬祭、もしくは皇族の御来訪の際にのみ開かれた。

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現在は見学者に常時開放されているが、伊藤家の住まいであった頃は、通常は立ち入ることすら出来なかった場所である。

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百畳敷の大広間と言われている。

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大広間から望む庭園は、博物館となった後の昭和28年(1953)より5年の歳月をかけて作庭された。銀閣寺の庭園を発掘復元したことでも知られる庭師・田中泰阿弥(1898~1978)による。

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大広間の床の間裏側にある裏座敷。大広間に迎える客の休息の場として使われていた。

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裏座敷から渡り廊下でつながる茶室を備えた離れ「時庵」。七代伊藤文吉の雅号から名付けられたという。

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中庭から大広間の外観を望む。手前が裏座敷。

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正三角形の建物、三楽亭。本邸が完成した明治22年(1889)に着工、2年後の明治24年(1891)に竣工した。

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もともとは六代伊藤文吉の書斎として建てられたが、茶室としても使用できる。
このほか敷地内には、茶室として「積翠庵」「常盤荘」「佐度看亭」の3棟が建っている。

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敷地の西北にある土蔵、集古館。かつては飯米蔵として多い時で2,000俵の米俵が積まれていたという。

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現在は歴代当主達が収集した書・画・古美術品などの展示室に使われている。

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豪農の建物だけではなく、一般の農民の生活を偲ばせる古民家も2棟が新潟県内より移築、保存されている。
写真は刈羽地区から移築され、江戸初期の建立とされる古民家。

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以上紹介した建物を含む主要建造物計26件は、平成12年(2000)に国の登録有形文化財に登録されている。

第985回・機那サフラン酒本舗土蔵

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新潟県長岡市摂田屋にある機那サフラン酒本舗は、サフラン酒の醸造で財をなした吉澤仁太郎によって大正時代に建てられた。極彩色の鏝絵で彩られた帳場蔵は国の登録有形文化財。老朽が進んでいるが、主屋や離れ等も贅を尽くした見事な建物である。

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街路からの眺め。
主屋と帳場蔵が見える。

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帳場蔵は大正年間の創建になる切妻造桟瓦葺の土蔵で、基礎は石積み、腰を海鼠壁とする。軒廻、開口部のまぐさ部と塗戸に極彩色鏝絵を施している。

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帳場蔵と同じく大正年間の創建とされる主屋。裏には昭和初期に建てられた離れも現存し、いずれも材料・意匠共に技巧を凝らした豪壮な造りの建物である。

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「機那サフラン酒製造本舗」と大書された古びた看板が残されている。
サフラン酒は現在も薬味酒(リキュール)として販売されているが、戦前は現在の養命酒のような薬用酒として一世を風靡していたとされる。

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主屋の鬼瓦には、主である吉澤仁太郎に因む丸に吉の紋章が見える。吉澤仁太郎は事業家としてサフラン種の販路を海外まで広める一方、大地主としても活動した。

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主屋を挟んで帳場蔵の反対側には衣装蔵が建つ。帳場蔵には及ばないものの、衣装蔵にも極彩色鏝絵が施されているそうだ。

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なお、通常は帳場蔵周辺を除き、敷地内への立ち入りは不可である。但し、定期的に内部や帳場蔵以外の建物の公開も行われているようである。

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鏝絵の図柄は、鳳凰、麒麟、恵比須、大黒や十二支などの図が施されている。

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左官は地元の河上伊吉と伝えられている。正面軒廻の片隅に河上伊吉のものとされる「左伊」の銘が入っている。

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また機会を得て内部や衣装蔵、主屋や離れも紹介できるとよいのだが。

第980回・旧齋藤家別邸

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新潟市中央区西大畑町にある旧齋藤家別邸は、豪商・齋藤家の四代目齋藤喜十郎(1864~1941)によって大正7年(1918)に造られた別邸。砂丘地形を利用した回遊式の庭園と、質の高い近代和風建築から構成されており、「旧齋藤氏別邸庭園」として国指定名勝となっている。

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市街地から少し離れた砂丘の高台にある旧齋藤家別邸。以前紹介した旧金井写真館はすぐ近くにある。

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齋藤喜十郎家は、土地経営、海運、銀行等も営み、新潟の三大財閥のひとつに数えられていた屈指の豪商であった。かつて東堀通7番町にあった本邸は現存しないが、接客棟部分が白山公園に移築再建され、「燕喜館(えんきかん)」として保存・公開されている。(燕喜館については当ブログで過去に紹介している)

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敗戦後は一時期占領軍に接収され、司令官公邸として使用されていた。その後、別邸は戦後の農地改革や富裕層に課せられた多額の課税によって別邸を維持できなくなった齋藤喜十郎家の手を離れ、建設業を営む加賀田家の所有となった。

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旧齋藤家別邸の新しい主となった二代目加賀田勘一郎は実業家、政治家であると同時に茶道や囲碁を嗜み、郷土の文化財保護にも努める人物であった。邸宅は加賀田家の住まいとして平成17年まで使用され、茶会等で一般に開放される機会も多かった。

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旧齋藤家別邸が加賀田家の手を離れると、その前途を危惧した市民有志によって保存運動が展開された。結果、保存運動は実を結び、平成21年(2009)に新潟市が取得、完全な形で保存・公開されることになった。

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庭園と建物を一体として考え、室内からの庭園の眺望を楽しむ造りとなっている。なお、夏の別荘として造営されたため、縁側は全て広大な庭園のある北側に配され、日光が差し込まないように造られている。

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一階縁側から望む庭園。平成27年(2015)に、「大正期における港町・商都新潟の風土色豊かな庭園の事例」としての価値が評価され、国の名勝に指定された。

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数寄屋風の一階座敷。竹の付け鴨居が珍しい。

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同じく数寄屋風意匠の二階座敷。

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二階大広間。

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二階大広間には、残月床(表千家の書院「残月亭」にある床の間の形式。二畳敷きの上段形式で、かつて千利休の屋敷に設けられていたとされる)を配している。

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欄干の意匠が特徴的な縁側。

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池泉越しに主屋を望む。

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高低差のある敷地に造られた庭園には池泉も滝もあり、変化に富んだ景色を展開する。

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北側の高台に配された、「田舎屋」と称される東屋。

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同じく北側に配された茶庭と茶室。

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茶室の内部。

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竹を敷き詰めた茶室縁側。

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新潟市の中心街近くとは思えない別天地である。

第978回・旧新潟県会議事堂(新潟県政記念館)

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新潟市中央区一番堀通町にある新潟県政記念館の建物は、明治16年(1883)に新潟県会議事堂として建てられ、昭和7年(1932)までの約半世紀にわたり、県政審議の場として使用された。明治の府県会開設期における現存唯一の議事堂の遺構として、国の重要文化財に指定されている。

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旧新潟県会議事堂は、明治6年(1873)に布告された太政官布告により、日本で最初に開設された25箇所の都市公園のうちのひとつである白山公園に隣接して建っている。

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明治13年(1880年)夏の新潟大火によって県会議事堂が焼失したため、当時新潟県令(知事)であった永山盛輝(1826~1902 在任1885~1895)は新議事堂の建設を主唱、県会の賛同を得て明治15年(1882)5月に建設に着手、翌年3月に新議事堂が竣工した。

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設計・監督は新潟県西蒲原郡出身の大工棟梁・星野総四郎(1847~1915)が行った。星野総四郎は初代大阪駅(明治5年)など鉄道関係の建築工事に従事した後は建築請負業を営み、地元新潟では県会議事堂や第四銀行本店の建設を請け負った。

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大正期までは議事堂のすぐ裏側を信濃川が流れており、ゴシック調の塔屋を備えた姿を川面に写していた。

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軒下にある波型の破風飾りは、初代大阪駅の意匠を取り入れたものと考えられている。

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棟端飾りは擬宝珠(ぎぼし)形になっており、明治初期の擬洋風建築の特徴を備えている。

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49年間にわたり県政審議がこの建物で行われたが、昭和7年(1932)に県会議事堂も備えた新県庁舎(設計・木子七郎)の竣工に伴い議場は移転、その役目を終えた。なお、この新県庁舎は53年後の昭和60年(1985)に役目を終えて解体され、跡地には新潟市庁舎が建っている。

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信濃川にその姿を川面に写していた頃は、ロンドンの国会議事堂の塔にも見立てられたという塔屋。

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木造建築であるが、窓周りは石材で縁取りをして石造風に見せている。

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基壇部分は焦茶色の焼過煉瓦を積み、円形の換気口を備える。

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昭和8年(1933)から郷土博物館として使用されるが、戦時中は海軍に接収される。戦後は県庁分館などに使われた後、大規模な解体復元工事を経て昭和50年(1975)から新潟県政記念館として公開され、現在に至る。その間、昭和44年(1969)に国の重要文化財に指定されている。

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内部には議場を始め、知事室、議長室、委員室などの部屋を備える。

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館内の一室にある暖炉飾り。屋根には煉瓦積の煙突があるのでかつては暖炉を備えていたことは確かだが、修復時にはいずれも現存していなかったのか、どの部屋には暖炉は存在しない。写真の暖炉飾りも建物に取り付けられておらず、単に立てかけてあるだけなので、本建物のものかどうかは不明。

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梅花をあしらった天井照明台座。このような漆喰細工による和風モチーフの照明台座は、埼玉県の旧本庄警察署や、明治村に保存されている旧東山梨郡役所など、この時期の擬洋風建築では多く見られる。

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二層吹き抜けの議場。

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半世紀にわたり県政審議の場として使われた空間。

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議長席から議場を望む。

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展示品のひとつである英国製の水濾器(浄水器)。かつてこの議場に備え付けられていた。

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議場の片隅(写真右奥)を始め館内には、昭和7年竣工の旧県庁舎・県会議事堂にあった衝立や演壇など調度品の一部が置かれている。旧新潟県庁舎は今も現役で使われている愛媛県庁舎(昭和4年)を手掛けた木子七郎の設計によるもので、現存しないのが惜しまれる。

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明治期の府県会議事堂は和歌山(明治31年)や京都(明治37年、府庁舎に付属)にも現存するが、新潟が最古である。旧新潟県会議事堂は現存する最古の県会議事堂であると同時に、明治初~中期の擬洋風建築の傑作でもある。
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