第769回・JR門司港駅(旧門司駅)他

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前回紹介した旧門司三井倶楽部と共に観光名所となっている、JR門司港駅など門司港レトロ地区の近代建築群。
本来ならば個別に記事を作成したい魅力的な建物群であるが、ブログ作成を始める前の訪問でお見せできるような写真が少ない。今回はいつかは更新する前提で、簡単な紹介記事とさせて頂く。

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門司港レトロ地区のシンボルにしてかつての九州の玄関、JR門司港駅。
大正3年(1914)に門司駅舎として建てられ、昭和17年の関門トンネル開通により現在の門司港駅に改称されるまで、九州の鉄道の起点駅であった。また関門連絡船との連絡中継駅としての機能も有していた。

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当時の博多駅舎を模したとも言われる外観。昭和63年に駅舎としては初の国指定重要文化財となる。

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駅本屋だけでなくホームも歴史を感じさせる。

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平成24年から大規模な解体修理工事に入っており、工事完了まであと4年かかる予定である。(写真は平成19年撮影)

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旧門司税関。明治45年(1912)竣工。長らく倉庫として使用され、荒廃が進んでいたが門司港レトロ地区の主要建築物として北九州市により修復、活用されている。

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旧大阪商船門司支店。大正6年(1917)竣工。設計は神戸の村山龍平邸洋館(明治42年、国指定重要文化財)の設計者でもある河合幾次。現在は北九州市が所有・公開。

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大阪商船とは対照的にシンプルな外観の旧日本郵船門司支店。昭和2年(1927)竣工。

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外観は簡素であるが、内部は古い造りをよく残している。玄関の風除室壁面には美しい緑色のタイルが貼られている。

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モザイクタイル貼りの床を持つ玄関ホール。このほか古風なエレベーターなども見どころである。

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現在は一階の外壁が改修され、旧状に近い形に変えられているようである。

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旧門司三井倶楽部の向かいにある旧三井物産門司支店ビルは、昭和12年竣工の装飾を省いたモダンな外観を有する事務所ビルであるが、正面玄関上部には写真のような黒大理石のレリーフが飾られている。

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山口銀行門司支店の建物は、昭和9年(1934)竣工の旧横浜正金銀行門司支店。

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設計は同行の神戸支店も手掛けた桜井小太郎。

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今回はその場しのぎの記事となり申し訳ありません。門司は対岸の下関と共に近代建築の宝庫です。これらの建物はいつか必ず再訪して詳細記事にしたいと思います。
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第768回・旧門司三井倶楽部

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旧門司三井倶楽部は、大正10年(1921)に三井物産門司支店の社交クラブとして現在の北九州市門司区に建てられた洋風建築である。戦後は財閥解体により国鉄の所有となるが、現在は北九州市が所有・公開している。国指定重要文化財。

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本来は現在のような市街地の真ん中ではなく、緑豊かな山麓の一角に建てられていた。元々は山手の谷町にあった三井物産の社宅群の中にあったが保存に至る経緯上、門司港に近い現在地に移築されている。

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門司港は明治以降、石炭の積み出し港として発展したが、門司三井倶楽部が建てられた大正中期は欧州航路を始め、台湾や大連、上海行航路の船舶の寄港地となり、港町として繁栄の絶頂期を迎えている頃であった。

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敗戦後は財閥解体により三井物産は門司から撤退する。旧三井倶楽部は戦後新たに発足したばかりの国鉄に売却され、「門鉄会館」の名で国鉄の宿泊施設となった。その後国鉄の分割民営化に伴い、門鉄会館は処分対象資産となり存続の危機に立つ。

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門司港界隈の歴史的建築群を、観光資源として整備する「門司港レトロ」事業を進めていた北九州市が、移築を前提に国鉄清算事業団より無償譲渡、国の重要文化財に指定の上で現在地への移築復元を実現させた。現在は建物自体を一般公開するほか、飲食店なども入居している。

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貿易商社の社交クラブにふさわしく、玄関の欄間には船のステンドグラスが嵌め込まれている。

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館内は、かつての財閥系商社の社交クラブであり迎賓館でもあった面影が、部屋毎に異なる暖炉や重厚な天井装飾などによく残されている。

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設計は門司に設計事務所を開いていた松田昌平(1876~1989)による。

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竣工後間もない大正11年には、来日したアインシュタイン博士の宿所にも充てられた。

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2階にある宿泊用の居室は当時の家具が一式復元、展示されている。

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部屋毎に異なる天井の造り。

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財閥解体、国鉄民営化など、時代の動きにその都度翻弄されてきたものの、現在は門司港レトロ地区の中でも門司港駅舎などと共にシンボル的な存在として、多くの観光客を迎え入れている。

第228回・旧伊藤傳右エ門邸

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旧伊藤傳右エ門邸は福岡県飯塚市に残るかつての炭鉱主の邸宅。九州、特に筑豊を中心とした福岡県下では石炭の採掘が明治から昭和中期にかけて一大産業として繁栄していた。中でも一大勢力を誇ったのが伊藤、麻生、貝島、安川の各家であるが、旧伊藤傳右エ門邸はそのうちの一つである伊藤家の本邸である。

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旧伊藤邸は伊藤家関係の会社の保養施設を経て現在は飯塚市が購入、整備の上公開している。平成18年には飯塚市の有形文化財に指定。写真は長屋門。もとは博多にあった別邸の門であったが、別邸が失火で焼失した後の昭和2年に本邸の門として移築された。

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博多の別邸は「銅(あかがね)御殿」と称される銅板葺の屋根を持つ豪壮な邸宅であったという。門からもその豪壮さが偲ばれる。なお大分県の別府にも銅御殿と称される伊藤家の別邸があったが、これも現存しない。

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正門右手には同じ飯塚の炭鉱主・麻生家の当主で元首相の麻生太郎氏の揮毫による表札があったが、この正月(平成23年)に何者かに盗まれ、今はない。(写真は平成21年の正月に撮影)

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長屋門をくぐると右手に見える客用玄関。昭和2年の長屋門移築に合わせて改築されたもの。煙突が突き立っている玄関左手は応接間で、大理石の暖炉やステンドグラスのある重厚な洋間である。

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客用玄関の左奥にひっそりと作られた内玄関。使用人等が日常使用するのはここと思われる。

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この屋敷の主・伊藤傳右エ門(1860~1947)は九州の炭鉱王の中でも、極貧の身から巨万の富を築き上げた立志伝中の人物。また歌人・柳原白蓮(子)(1885~1967)との再婚、その後の離婚でも知られる。

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応接間の窓。ダイヤ模様のステンドグラスがある。内部は撮影禁止の為お見せできない。

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明治30年代の建設と考えられる、伊藤邸でも最も当初からあった部分。まだ石炭王となる前の建物なので目を見張るような材料や造りは見られない。

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敷地内の附属建物もよく残る。納屋か何かか?

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土蔵の瓦には「伊」「藤」の文字。

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庭園からの全景。石炭王の邸宅の威容が伺える。右手の大屋根が日露戦争による石炭価格の高騰で得た富を注いだと思われる大広間部分で、左手の二階建て部分が明治44年に白蓮夫人を迎えるために増築した部分。

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白蓮の居室は二階にあり、いかにも女性向けの数寄屋風の座敷。他にも通常より低い造りの正面玄関の框や椅子式の食堂など、筑豊の地へはるばる東京からやってくる白蓮のために、傳右エ門が心を砕いたと思われる箇所が屋敷内にはいくつも見られる。

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なお、冒頭に記した博多と別府の銅御殿も白蓮のために建てられた(または増改築を加えた)ものである。

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この夫婦の顛末はよく知られるとおり、大正10年に白蓮による駆け落ち騒ぎ(いわゆる「白蓮事件」)で破綻を迎える。

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庭園内の石造の太鼓橋と茅葺の亭。上記白蓮事件を報じる当時の新聞記事に載せられた写真には、白蓮の背後にこの亭が写っているものがある。

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ユニークな造りの亭。内部から庭園を見る。

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旧伊藤傳右エ門邸は、大正時代の一大恋愛事件の舞台として見学に訪れる人が多い。

第217回・旧日本生命九州支店

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福岡・博多の中心街に残る数少ない近代洋風建築。明治42年(1909)に旧日本生命九州支店として建てられた。国指定重要文化財。

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かつてこの建物の周囲には旧日本生命の他に、旧福岡県庁舎、旧福岡市庁舎、旧福岡県公会堂及貴賓館、旧大同生命等の明治から大正期の建築が昭和50年代後半まで集中して現存していた。そのうち今もそのまま現存するのは旧県公会堂の貴賓館部分のみである。旧大同生命は他所に移築、残りの建物は今や跡形も無い。

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設計は辰野金吾と片岡安。壁面は赤い煉瓦と白い御影石、屋根は様々な形状のドームや尖塔で賑やかに飾り立てる「辰野式」建築の典型例。

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その中でも、旧日本生命九州支店は元々の敷地が不規則であることもあって極めて複雑な外観を有する。

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表通りに面していない部分は比較的簡素に造られている。

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昭和44年まで60年間日本生命の社屋として使用された。なお、現存しないが大阪にある日本生命本店も旧九州支店より一足早く、この建物とよく似た赤煉瓦3階建の社屋を建設している。(現在の日本生命本店は昭和13年から戦争を挟んで昭和37年に全館竣工したものである)

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施工は清水組(現清水建設)。旧日本生命は清水組が九州進出を果たしたときの建物である。

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屋根は近年まで全面銅板葺きであったが、本来の天然スレート及び一部銅板葺きに復した。スレートの黒が加わることで一層重厚さが増した気がする。

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赤煉瓦の「辰野式」建築の代表は言うまでもなく東京駅舎(大正3)。他に現存するものとしては旧日本銀行京都支店(明治39)、旧盛岡銀行本店(明治44)、大阪市中之島公会堂(大正7)が代表的なものとして挙げられる。いずれも国指定重要文化財。無論、重要文化財以外でも他にいくつか現存している。

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半地階の周囲に巡らせた袖塀。

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玄関。

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曲面あり多角形あり円筒形あり、兎に角変化に富んだ形状の壁面。

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「辰野式」は英国のクイーンアン様式を辰野金吾が我流にアレンジしたものと考えればよい。
本家のクイーンアン様式は赤煉瓦による賑やかな外観では共通するが、辰野式ほど派手な造形は見られない。

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旧日本生命九州支店は最近までは福岡市の博物館に転用されていたが、現在は前回の旧日本郵船同様建物自体を展示物として公開すると共に、部屋を催事の会場等に貸し出している。

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室内。1階営業室カウンター。

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独特な形状の暖炉。

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こちらの暖炉は大人しい形。

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鉄製の階段。

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塔屋へ登る螺旋階段。

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2階会議室。

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この部屋にも暖炉が備えられている。

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窓の建具も凝った意匠である。

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外観の複雑な形は部屋の形にもそのまま現れている。

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戦前に建てられた日本生命の旧社屋は大阪本店の他、京都支店も塔屋及び外壁の1面分のみが現存する。また東京支店がかつて置かれていた東京日本橋の旧日本生命館(高島屋と共同で建設、現在は全館高島屋が使用)が重要文化財に指定されている。

第122回・旧福岡県公会堂貴賓館

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福岡の中心部、中洲の一角に建つ洋館。
明治43年(1910)に開催された第13回九州沖縄八県連合共進会の貴賓接待所を兼ねて、同年3月に竣工。
設計は福岡県庁の土木技師で福岡県庁、県立図書館等、明治末から大正期にかけ福岡の公共建築の設計を多く手掛けた三條栄三郎による。

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県の公会堂及び迎賓館として使われ、竣工直後に閑院宮夫妻の宿泊所となった他、皇太子の宿所にも充てられた。
戦時中は福岡連隊区司令部庁舎、戦後は福岡高裁庁舎、福岡県教育庁庁舎等として使われた。
昭和56年県庁舎移転に伴い教育庁も移転、このとき公会堂部分は取り壊されてしまった。
その後、貴賓館部分が修復の上国の重要文化財に指定され一般公開、現在に至る。

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八角形の尖塔や中央の角型ドーム屋根が外観の特徴。
日本では比較的珍しいフレンチルネッサンス様式を取り込んだ建物。

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木造2階建、外壁はモルタル塗り仕上げで1階腰壁部分は白タイル貼り。

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尖塔のある方の側面にはベランダが設けられている。

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かつてはこのベランダで隣接する公会堂部分と結ばれていた。

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館内に展示されている模型。左手の平屋が現存しない旧公会堂。取り壊されたのは旧貴賓館と異なり保存状態が悪かったのかどうかは知らないが、理解に苦しむ。

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同上、反対側から見た模型。
旧公会堂撤去とほぼ同じ時期、この洋館の周囲にあった旧福岡県庁、旧福岡市役所等戦前の建築は一掃された。

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この旧公会堂貴賓館と、少し離れて建つ旧日本生命九州支店(明治42・国指定重文)だけが福岡市中心部にごく僅かに残る近代洋風建築と言ってもよい。

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1階旧食堂。照明は旧福岡県庁舎の県会議事堂にあったものとの事。

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同上、暖炉。
ここの暖炉は全てガスを用いる形式である。したがって右手に元栓が写っている。

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旧食堂の一角には八角形の張り出し(アルコーブ)がある。上部の半円アーチの仕切りが面白い。
尖塔の1階部分である。

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1階旧遊戯室。右奥に写るのはバーカウンターと思われる。かつては撞球台も置かれていた。
つまりこの遊戯室はバーカウンターを備えた撞球室だったのかも知れない。

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旧遊戯室の暖炉。暖炉は全て同じ白大理石で出来ているが、意匠は部屋ごとに異なる。

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2階への階段。真ん中に通った階段が踊り場で二手に分かれるのではなく、ここでは逆。

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踊り場から1本の階段になる。突き当たりの扉は玄関ポーチ上のバルコニーにつながっている。

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階段室の半円窓。

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旧貴賓室。1階食堂の真上に位置する。

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同上、暖炉。
貴賓室なので、ここの暖炉が最も凝った造りになっている。

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1階食堂と同様、貴賓室も八角形のアルコーブがある。

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こちらは上部の造りが面白い。尖塔の丸窓が並んでいる。

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2階旧談話室。

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同上、暖炉。

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2階旧食堂。

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同上、暖炉。

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2階旧西寝室。
この西寝室のほか、旧貴賓室につながっている旧東寝室がある。

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同上、暖炉。

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同上、天井。
この建物は天井の意匠も各室毎に異なり見応えがある。

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2階旧浴室及び便所。
接待だけではなく、宿泊も可能な迎賓館であったことが分かる。

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迎賓館にふさわしい見事なインテリアの洋館である。

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