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第1251回・御花(旧立花寛治伯爵邸)

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福岡県柳川市新外町にある「御花」は、かつての柳川藩主・立花家の邸宅で、現在は立花家が経営する料理旅館として知られている。現在残る建物と庭園は、明治末期に14代当主である立花寛治伯爵によって造営されたもので、庭園を始め邸宅の敷地全体が国の名勝に指定されている。

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旧立花伯爵邸は正面に門衛所を備えた正門と白亜の西洋館を構え、その背後に広大な日本家屋と庭園が広がる構成になっている。小さなドーム屋根が載る門衛所は神戸の兵庫県公館のものとよく似ている。

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明治43年(1910)に建てられた洋館の設計は今はない旧福岡県庁舎や、国指定重要文化財の旧福岡県公会堂貴賓館などを手掛けた福岡県庁技師の三條栄三郎と、同じく技師として務めていたとされる亀田共次郎の両者が手掛けたと推測されている。

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側面から見た洋館。車寄せのある正面玄関は来客用で、伯爵家では通常は側面の玄関(写真の左奥)もしくは日本家屋から出入りしていたようである。手前に張り出した平屋建は便所棟。

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洋館の背後及び脇には広大な日本家屋が建つ。邸宅は一部が撤去、改築されたものの、洋館のほか接客用の大広間棟と伯爵家の日常生活の場である居住棟、伯爵家の事務を司る「家政局」など、主要な建物は残されている。かつては能舞台や茶室、撞球場などもあったという。

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戦国武将・立花宗茂(1567~1643)が豊臣秀吉の取り立てにより柳川城主となって以来、立花家は一時期を除いて現在まで四百年以上にわたり柳川に本拠を構え、明治維新で華族となった際も、特別の許可を得て東京から国許へ戻った極めて数少ない大名家である。

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庭園側から見た全景。庭園に面して大広間棟と平屋建の居住棟が並立する。正面に洋館を配し、奥の庭園に面して大小の和風建築を連ねる構成は舞子浜の旧日下部久太郎邸(舞子ホテル)を連想させる。

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大広間棟の脇に建つ平屋建ての居住棟。かつてはより大規模な和風建築であったが、現存するのは14代当主の立花寛治(1857~1929)夫妻や子息で15代当主の鑑徳(1884~1957)の居室などとして使われていた7室の座敷で、現在は料亭の個室として利用されている。

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国の名勝にも指定されている庭園「松濤園」から望む大広間と居住棟。松濤園は邸宅と同様に、立花寛治伯爵によって造営されたもので、黒松に囲まれた池の中には二つの島と多数の岩を配し、冬場には野鴨が飛来することで知られる。

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洋館の正面玄関の先には一本の材木から削り出された円柱のある3連アーチを備えたホールがある。邸宅は明治天皇が陸軍の演習に隣席するため訪問されたときの御座所となることも想定して建てられたというが、御座所として使われることはなかった。

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玄関ホールの奥には暖炉のある洋室がある。
食堂としても使われていたため、配膳用の小窓や食器棚が置かれている。

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重厚で力強い彫刻が施された階段親柱や手摺りなど、館内の随所に明治の西洋館らしい造形を見ることができる。

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階段室から2階の階段ホール天井を望む。
この洋館では明治43年の創建当初より電燈が用いられていた。

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2階の広間はこの洋館の中では最も格式の高い部屋である。かつての柳川藩主、殿様である立花伯爵に旧家臣などが謁見するための部屋としても使われていた。

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館内に飾られていた2階広間の古写真。

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白大理石と漆喰彫刻で飾られた、広間正面の暖炉飾り。

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扉の周りも重厚な彫刻で飾られている。

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洋館のシャンデリアは創建当初からのものと思われる。

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伯爵家で使われていたと思われる家具も随所に置かれていた。

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戦後、立花家は爵位と共に農地改革や財産税によって多くの財産も失うが、16代当主・立花和雄(1907~1994)と妻の立花文子(1910~2010)は、生活のために残った邸宅を用いて昭和25年に料亭「御花」を開業、その後間もなく旅館業も始めた。

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立花和雄・文子夫妻がそれぞれ残している書籍(売店で販売されている)では、明治以降の立花伯爵家の歴史、料亭開業の経緯や当初の厳しい経営状況なども詳しく記されており、興味深い内容である。

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当初は試行錯誤の殿様商売であった「御花」は、現在では柳川を代表する観光名所となっている。

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近年改修工事が行われた大広間棟の内部。

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庭園に面した障子には斜め格子模様が入った硝子が嵌め込まれ、外の風景を望むことができる。

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大広間に2つあった床の間のうち、ひとつは料亭旅館となった後に舞台に改造されていたが、改修工事に際し復原された。

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大名家の本邸にふさわしい格調高い大広間。結婚披露宴の会場などに使われている。

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大広間棟から居住棟へ続く吹きさらしの渡り廊下。先に触れた旧日下部邸の瀟洒な数寄屋造りと比較すれば、この館が武家の住まいらしい剛直なものであることがより分かる。

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居住棟座敷の夜の姿。
「御花」は食事や宿泊以外でも、庭園や西洋館、敷地内の史料館は有料で見学できる。

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西洋館と日本家屋、庭園まで一体で残る近代の大規模な邸宅は、同じ福岡県の旧松本家住宅(西日本工業倶楽部)など、全国的に見てもごく僅かしか残されていない(大概はいずれかが失われている)。その中でも「御花」は用途こそ変わったものの、現在も立花家の本拠として使われている数少ない邸宅である。
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第1249回・旧門司税関

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北九州市門司区の門司港レトロ地区にある旧門司税関は、明治45年(1912)に門司税関の二代目庁舎として建てられた煉瓦造の洋風建築。税関庁舎としては短命で、昭和2年(1927)に三代目庁舎に役目を譲った後は民間に払い下げられ、倉庫などに使われていた。平成の始めには門司港レトロ地区の整備に伴い改修され、休憩・展望所やイベント会場として活用されている。

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創建当初の古写真(現地に置かれた案内板より)。門司税関は明治22年(1889)に長崎税関の出張所(その後税関支署に昇格)として設置され、明治42年(1909)に長崎税関から分離独立、国内で7番目の税関として発足した。その当時の門司港は横浜、神戸、大阪に次ぐ全国第4位の貿易港であった。

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庁舎はそれまで使用していた税関支署庁舎が明治41年(1908)に火災で焼失していたことから、明治43年(1910)8月に木造のの初代庁舎が新築されるが、竣工から5ヶ月足らずで再び火災で焼失、その跡地に二代目庁舎として建てられたのが今日現存する赤煉瓦の建物である。

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大正から昭和初期にかけて門司港が近代的な貿易港として整備が進むと、門司税関は昭和2年(1927)に西海岸に竣工した合同庁舎(三代目庁舎)に移転する。竣工から15年で役目を終えた二代目庁舎は民間に払い下げられ、倉庫などに使用されていた。

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平成3年(1991)より、北九州市の門司港レトロ事業の一環として4年がかりで改修が行われた。改修直前には窓はモルタルで塞がれるなど改変が甚だしい状態であったが、戦災で焼失した瓦葺の屋根や、後年の改造で一部失われていた赤煉瓦の外壁が復元された。

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海に面した側は特に後年の改造が多かったものと思われ、両側の張り出し部分は新しい煉瓦で復元されていることが分かる。なお、倉庫として使用されていたためか、内部は創建時の面影を残すものは見当たらない。

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正面玄関側からの眺め。堂々とした構えは旧門司駅舎とよい勝負である。

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正面側の外壁は創建当初の煉瓦がよく残されており、基壇部分には焼き過ぎ煉瓦が使用されているのが分かる。手前に貼られているのは経済産業省の近代化産業遺産認定を示すプレート。

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赤煉瓦と焦茶色の焼き過ぎ煉瓦に窓台などに配された白い花崗岩、白く塗られた窓枠の組み合わせがすばらしい。

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全体的に簡素な建物であるが、玄関まわりは花崗岩でできたイオニア式の柱頭飾りや窓飾りを施すなど、装飾的に造られている。

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正面の3つある出入り口のうち、写真右端だけ開口部まわりが白いモルタルで縁取られているが、これは後年の改造である。

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現在、1階には門司税関の常設展示コーナーのほか、休憩室や展示室が設けられ、2階はギャラリーと展望室となっている。

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旧門司駅や旧大阪商船旧門司三井倶楽部などと並ぶ門司港レトロ地区を代表する建物のひとつである。

(参考) 門司税関ホームページ
門司税関庁舎の歴史  (焼失した初代庁舎や今はない三代目庁舎の写真も載っている)
門司税関100周年記念誌

第1234回・旧三井物産門司支店

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前回紹介した旧日本郵船門司支店の斜め向かいに、昭和12年(1937)に建てられた旧三井物産門司支店の建物がある。戦前の事務所ビルとしては最後期のもので、門司港周辺に残る近代建築群の中では最も現代的な外観が特徴である。

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戦前より世界屈指の総合商社であった三井物産は国内各地に支店を置き、当時の日本の主要な港湾都市であった小樽、横浜、神戸、門司にも支店が置かれていた。現存する支店ビルはいずれも構造、設備に当時最先端の技術が投入され、意匠もまた時代の先端を行くものが選ばれている。

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明治44年に建てられた横浜支店は当時としては極めて先進的であった鉄筋コンクリート造を採用、大正7年に建てられた神戸支店もセセッション風の斬新な意匠で建てられ、昭和12年に建てられた小樽支店、そして門司支店は装飾を殆ど持たない現代的な意匠のアメリカ式オフィスビルであった。

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戦後の財閥解体で三井物産は占領軍により分割、解散(現在の三井物産はその後再結成されたもの)させられ、旧門司支店ビルは日本国有鉄道(国鉄)が取得、鉄道管理局や九州総局として使われ、国鉄が民営化された後もJR九州の支社ビルとして使われていた。

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設計者である松田軍平(1894~1981)は、(株)松田平田設計の創始者としても知られる建築家で、施工は清水組による。竣工当時は西日本でも有数の高層建築であったという。

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正面玄関の上部に配されたレリーフ。

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玄関ホール。漆喰仕上げの船底天井や大理石張りの床などに昭和前期のオフィスビルの雰囲気がよく残されている。

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旧三井物産門司支店ビルは平成17年(2005)に北九州市がJR九州より取得し、耐震補強を行い門司港レトロ地区の施設のひとつとして保存活用されることになった。門司港駅に隣接する立地条件を活かした活用が期待される。

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門司港駅周辺には大正6年(1917)竣工の旧大阪商船昭和2年(1927)竣工の旧日本郵船、昭和12年(1937)竣工の旧三井物産と10年間隔で建てられた3つの事務所ビルが近接して建っている。外観、内装共にそれぞれの時代的特色がよく現れており、興味深い。

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なお、松田軍平の実兄である松田昌平も建築家で、旧三井物産門司支店の向かいに建っている旧門司三井倶楽部の設計者である。三井物産の迎賓施設で戦後は国鉄の福利厚生施設になっていた旧門司三井倶楽部は、民営化後北九州市によって現在地へ移築され、奇しくも兄弟の設計作品が向かい合う形になっている。

第1233回・門司郵船ビル(旧日本郵船門司支店)

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北九州市の門司港レトロ地区には、門司港駅や旧門司三井倶楽部などの重厚な西洋館だけではなく、簡素ながらも細部にモダンな造形が見られる昭和初期の事務所ビルもあり、街の魅力を高めている。昭和2年(1927)竣工の旧日本郵船門司支店(門司郵船ビル)もそのひとつで、現在はテナントビルとして使われている。

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門司港駅の前に建つ旧日本郵船門司支店。隣接して大正6年(1917)竣工の旧大阪商船門司支店(写真奥)が建っている。戦前の我が国を代表する船会社であった日本郵船と大阪商船の事務所ビルが近接して現存するのは門司と神戸だけである。

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神戸では大正7年(1918)に竣工した日本郵船が華麗な様式建築で、4年遅れで竣工した大阪商船は当時建てられ始めたアメリカ式高層オフィスビルであったが、門司では反対に先に竣工した大阪商船が様式建築で、日本郵船はアメリカ式オフィスビルとなっている。当時は事務所ビルの形式の過渡期であったことから、若干の建設時期の違いで建物の外観が大きく異なっている。

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尤も、現在の外観は後年の改装によるもので、創建当初の外観は今よりは多少装飾的であったようだ。なお、神戸の旧日本郵船ビルも現在の姿は創建時からのものではなく、戦災による改修でかなり形を変えている。

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平成18年(2006)に初めて門司を訪れた当時の姿。
現在は玄関や軒周りなど、多少旧態に近づけるための改装が施されていることが分かる。

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正面玄関の石張りは近年の改装によるもので、創建当初がどのようなものであったかは不明である。なお、再訪時は閉館中で中に入れなかったので以下、平成18年当時の内部写真を掲載させて頂く。

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館内は昭和初期の雰囲気が非常によく残されており、現在も概ね変わっていないようである。正面玄関の風除室の壁面には美しい緑色のタイルが貼られ、玄関扉は木製である。床はモザイクタイル、腰壁や階段には大理石が用いられ、階段室には古風なエレベーターも残されていた。

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創建当時、門司では初めてのアメリカ式オフィスビルとして評判になったという。外観だけではなく平面計画や設備も当時としては最新鋭のものであった。

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現在も日本郵船のオフィス自体は門司郵船ビルの中にあり、九州支店門司事務所が入居している。日本郵船は明治25年(1892)に赤間関(下関)支店の出張所として門司に進出、支店に昇格したのは明治36年(1903)のことであった。

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日本郵船が戦前に建てた事務所ビルは門司、神戸のほか、小樽横浜にも残されており、旧小樽支店は国指定重要文化財である。また同社の貨客船であった氷川丸も横浜港にて保存・公開されている。戦前の豪華客船の姿を今日に伝える唯一の船舶であり、国指定重要文化財となっている。

第1230回・旧古河鉱業若松ビル

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北九州市若松区本町の若松港周辺に現存する近代洋風建築の中でも、最も華やかな外観が特徴の旧古河鉱業若松ビル。大正8年に大林組の設計施工で建てられたとされる煉瓦造2階建で、現在は北九州市の施設として保存・公開されている。国登録有形文化財。

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若松港側から望む外観。
両角に大小の円筒形の塔屋が設けられ、大きい方の塔屋の1階には玄関が設けられている。

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若松港に現存する近代洋風建築は、同時期に建てられ以前紹介した旧三菱合資會社若松支店(上野ビル)杤木ビル、唯一現存する明治建築である若松石炭会館、旧古河鉱業若松ビルの4件である。かつては旧古河鉱業に隣接して昭和初期に建てられた旧麻生鉱業ビルもあったが、現在は高層マンションとなった一角に旧建物のイメージを残すモニュメントが残るだけである。

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旧古河鉱業若松ビルも平成7年(1995)に一旦は解体が決定したが、地元住民たちによる保存運動が始められ、保存のための寄附金も集められた。これを受けて、北九州市が取得して保存活用されることになり、改修整備の上平成16年(2004)より一般公開された。平成20年(2008)には国の登録有形文化財になっている。

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鋭角状となっている敷地の角地に設けられた円筒形の塔屋が目を引く。

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赤煉瓦と白い石材、モルタルで仕上げられた壁面に、大小の円筒形の塔屋を備えた変化に富んだ姿で、若松港の近代洋風建築4件の中でも最も華やかな外観である。

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細部には大正期ならではの幾何学的意匠が施されている。

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港に面して建つこの建物の塔屋は海面からもよく見える位置にあり、当時は灯台の役割も果たしていたものと思われる。

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塔屋の下に設けられている玄関。

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海岸側に設けられている玄関。
3箇所にある玄関のうち、塔屋と海岸側の玄関は営業室として使われていたと思われる事務室への入り口となっている。

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当時のカウンターが残る旧事務室内部。
旧事務室は現在イベントスペースとして貸し出しも行っているようだ。

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この建物を建てた古河鉱業(現・古河機械金属)は足尾銅山の開発で知られる旧古河財閥の中核企業で、東京・丸の内に本社を置いていた。

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カウンターの柱や照明台座にも大正期の洋風建築に多くみられる幾何学的意匠の漆喰装飾が施されている。

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側面側にある玄関は階段室のあるホールにつながっており、こちらが社員用の内玄関として使われていたものと思われる。

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建築当時は1階には事務室のほかに金庫室があり、2階に支店長室、会議室などがあったという。

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階段の親柱や手すりにも大正期ならではの意匠が施されている。なお、塔屋内部には前回紹介した旧唐津銀行本店にもあったような鉄骨の螺旋階段も現存する。

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旧古河鉱業若松ビルは華やかな外観から若松港地区のランドマークとなっており、上野ビル(旧三菱合資會社)と並ぶ財閥系企業の事務所ビルとして往年の若松港の繁栄を伝えている。

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現在、若松にある4件の近代洋風建築のうち旧古河鉱業と上野ビルの2件が登録有形文化財となっているが、本格的な保存改修までなされているのは旧古河鉱業のみである。将来は単体ではなく建築群として保全されることを願うものである。
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現存する近代日本の歴史的遺産(台湾など旧日本領土も含む)を建造物・土木構造物を中心に、思いつくままに取り上げております。

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