第610回・大浦天主堂(日本二十六聖殉教者堂)

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我が国における初期洋風建築として最も有名な長崎の大浦天主堂(正式名称は日本二十六聖殉教者堂)は、国宝に指定されている。平成21年に迎賓館赤坂離宮が国宝指定されるまで、国宝指定を受けた洋風建築としては全国唯一の存在であった。

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フランス人司祭フューレの設計で、グラバー邸も手掛けた棟梁・小山秀の施工で完成する。幕末の元治2年(1865)に竣工(但し、大浦天主堂のホームページでは元治元年の12月に竣工したとある)、その後規模を拡張するため明治12年(1879)に増築されて現在の姿となった。

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当時は江戸幕府によってキリスト教は禁教とされていたが、居留地のフランス人教会として建てられた大浦天主堂は日本人の参観も自由であったため多くの日本人が「フランス寺」と称して物珍しさに見物にやってきたという。
日本人の参観を自由とした本当の目的は、隠れキリシタンの発見に期待していたと言われる。

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期待はすぐに的中し、竣工間もない元治2年2月12日(新暦では3月17日)、数名の日本人がプティジャン神父に先祖代々からの密かなキリスト教信仰を告白した。時のローマ教皇はこれを「東洋の奇蹟」と感激したという。カトリック教会ではこの日は現在、記念すべき祝日とされている。

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隠れキリシタンの存在を知った江戸幕府は信徒に対し過酷な弾圧を加え、明治新政府も当初はこれを引き継ぐが、欧米諸国の激しい非難を受けた。キリスト教禁教は近代国家建設の障害となることを悟った明治政府は明治6年に禁教令を解く。

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キリスト教信仰が自由になったことで日本人信徒が増加、教会堂が手狭になったため明治12年に拡張工事が行われる。木造で建てられた既存の教会堂の周りに煉瓦造の外壁を新設する形で、現在の姿が出来上がった。

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創建から68年後の昭和8年、旧国宝(現在の重要文化財に相当)の指定を受ける。昭和20年の原爆投下では爆風による屋根や内部ステンドグラスなどの破損はあったが戦後に修復されている。昭和28年には現行制度による国宝として再指定を受ける。

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大浦天主堂の敷地内には関連施設として旧羅典神学校、旧大司教館、司祭館があり、いずれも明治初期から大正期の建物である。天主堂の全面脇に建つ赤煉瓦の建物は旧大司教館。大浦天主堂創建50年の記念事業として建てられ、歴代司教の住居、カトリック長﨑大司教区長崎地区の本部として使われた。

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設計は長崎県内で多くの教会施設を手掛けたフランス人司祭のマルク・マリー・ド・ロ(神父)が行っている。
なおド・ロ神父は、この建物の施工中の事故がもとで大正3年に74歳で死去している。(建物の竣工はその翌年の大正4年)

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長崎県を中心に明治末から昭和中期にかけて多くの教会堂建築を手掛けた大工棟梁で建築家の鉄川与助は、ド・ロ神父に教会堂建築の教えを受けている。

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大浦天主堂の脇に建つ旧羅典神学校は明治8年の建築で、日本人司祭育成を目的として設立された長崎公教神学校の校舎兼宿舎として建てられた。国指定重要文化財。

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なおこの建物は、ド・ロ神父が来日後初めて手掛けた本格的な建物でもある。
つまり、最初に建てた建物と最後に建てた建物とが隣接していることになる。

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旧羅典神学校は現在、キリシタン資料室として公開されている。
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第604回・グラバー園(旧グラバー邸 他)

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長﨑の代表的な観光名所のひとつであるグラバー園には、旧グラバー邸など幕末から明治初期の洋風建築が保存されている。中でも旧グラバー邸は文久3年(1863)に建てられた、今年で創建150年を迎える我が国現存最古の木造洋風建築である。今回は旧グラバー邸及び園内の建物を紹介したい。

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旧グラバー邸は幕末に来日したスコットランド出身の貿易商、トーマス・ブレーク・グラバー(1838~1911)の住居として建てられ、昭和14年に三菱重工が取得するまでグラバー家の所有であった。長﨑市が三菱重工から取得、一般公開を始めたのは昭和33年のことである。

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クローバー型の独特の平面構成を持つ建物と庭園はグラバーが設計し、天草の大工棟梁であった小山秀(秀之進)の施工になる。明治10年以降の度々にわたる増築の結果、現在の形になったと言われる。
旧グラバー邸は昭和36年に国指定重要文化財となっている。

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グラバー邸で最も特徴的なのが、軽やかな編み目状の天井を持つベランダ。

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室内の暖炉。グラバーが交際を持った坂本竜馬や木戸孝允など、倒幕の志士が多くこの屋敷に出入りした。
明治政府の成立に貢献したグラバーは、晩年の明治41年には政府より勲二等に叙され旭日重光章を授与された。明治44年に移住先の東京で死去する。

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グラバーに代わって後年この館に住んでいた子息の倉場富三郎(1870~1945)は実業家として活躍する一方、水産学者としても功績を残したが、三菱重工長崎造船所が見える位置にあることから、戦艦建造の機密保持を理由に邸宅は昭和14年、三菱重工への譲渡を余儀なくされた。

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二代目の主・倉場富三郎の晩年は不幸なものであった。
邸宅を追い立てられた上に夫人に先立たれ、大東亜戦争下では日英混血であったことからスパイの嫌疑を受け、米国の原爆投下による長崎の壊滅を目の当たりにしたせいもあって、終戦直後に自殺するという痛ましい最期を遂げている。

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グラバー親子二代の栄光と悲劇がこの屋敷には残されている。

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三菱重工取得後は社員用の倶楽部として使われ、敗戦後は米軍によって4年間接収される。

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長﨑市による取得・公開後、周囲の建物も順次取得・整備され、現在のグラバー園の原型となった。
昭和49年「グラバー園」に改称。

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旧グラバー邸は居住部分のある主屋の他、倉庫など付属建物も残されている。

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グラバー園は今では長﨑観光には欠かせない場所のひとつである。

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隣接する旧リンガー邸はグラバー商会に勤めていたこともあるフレデリック・リンガーの旧邸。
明治2年(1869)竣工で国指定重要文化財。
旧グラバー邸に続いて長﨑市が取得、公開した建物。

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旧グラバー邸と旧リンガー邸、及び以前取り上げた旧オルト邸がこの地に元々建っていた建物である。
それ以外の園内の建物は、長崎市内から移築されたものである。

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かつては大浦天主堂の傍にあったという旧ウォーカー邸。

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旧ウォーカー邸の部屋は4室で、旧グラバー邸・旧リンガー邸・旧オルト邸に比べると小規模な住宅。

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旧ウォーカー邸の暖炉。

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旧ウォーカー邸のベイウインドウ。

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明治29年創建の旧三菱第2ドックハウス。修理のために船が造船所に入っている間、乗組員たちが宿泊した施設である。

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明治16年頃に建てられた旧長崎地方裁判所長官舎。現在は園内の記念撮影用の写真館となっている。

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旧自由亭。自由亭は幕末に開業した本邦初の西洋料理店。廃業後は昭和48年まで検事正官舎として使用されていた。

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旧長崎高等商業学校(現・長崎大学経済学部)表門衛所。

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東山手から移築された旧スチイル記念学校。明治20年の創建で移築前は海星学園の寄宿舎として使われていた。

第187回・旧オルト邸

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長崎の観光名所のひとつ、グラバー園には旧グラバー邸をはじめとする幕末から明治期の外国人貿易商の邸宅が保存されている。そのうちの一つがこの旧オルト邸。元治元年(1864)の竣工と伝わる。設計施工は大浦天主堂も手掛けた棟梁・小山秀。国指定重要文化財。

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石造平屋建て日本瓦葺き、周囲にベランダを巡らせる典型的な初期洋風建築。

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噴泉を備えた正面玄関ポーチ。

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この屋敷を建てたのは、幕末に茶の輸出で利益を挙げた英国人商人ウィリアム・オルト。

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ただしオルト邸として使われた期間は短く、明治初頭にはオルトは日本を去っている。

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ベイウィンドウ。

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フランス窓(床まで開けられた窓)が並ぶベランダ。

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室内には古い家具や調度類が置かれ、往年の外国人貿易商の暮らしぶりを想像できるようになっている。

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第二次世界大戦までは外国人住居として使われていたので、家具類はその時のものかも知れない。

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見事な飾り棚を備えた暖炉。

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室内から見たベイウインドウ。

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硝子製の衝立。

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厨房等を備えた附属棟もそのまま残っている。また裏の崖には食品を冷蔵するための貯蔵庫も残っている。

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附属棟は煉瓦造。

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厨房の調理用ストーブ。

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同じく、もうひとつある調理用ストーブ。

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流し。

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旧グラバー邸等と並ぶ長崎の代表的な異人館である。

第44回・旧香港上海銀行長崎支店

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名前の通り香港・上海を始めアジア各地の植民地・租界で一大勢力を誇った香港上海銀行の長崎支店として明治37年(1904)建築。

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設計者の下田菊太郎は国内よりも植民地・租界で欧米人相手に設計活動を行った人物。
建造物として現存するのはこの建物一件のみ。

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明治末から昭和初期長崎は造船等の重工業による繁栄とは裏腹に、貿易港としては衰退した為、香港上海銀行長崎支店は昭和6年閉鎖。閉鎖後は長崎県が買収、警察署として使用される。

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一時は正面外壁を残して取り壊しも検討されたが、その後全面保存が決定、国指定重要文化財となった。

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正面。

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裏面。

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室内。一階旧営業室。

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一階の一室にある暖炉。

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営業室内の漆喰装飾。

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二階廊下。二階より上部は銀行関係者の住居として造られている。

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螺旋階段。

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二階の暖炉。

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天井装飾。

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同じく二階の暖炉。

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三階ベランダ。この建物は海岸に面しており、三菱造船所が対岸に見える。

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現在、「旧香港上海銀行長崎支店記念館」として公開されている。

第26回・雲仙観光ホテル

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長崎県雲仙市小浜町雲仙にある雲仙観光ホテルは、昭和10年(1935)開業の老舗ホテルである。現在もスイスシャレー風の外観が特徴的である開業当初の建物で営業を続けている。国登録有形文化財。

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昭和9年(1934)には日本最初の国立公園のひとつに指定されている雲仙は、風光明媚な温泉地としても知られるとともに明治以降、上海、香港在住の欧米人によって避暑などのリゾート地として発展した歴史を有する。

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昭和初年の我国では、外貨獲得を目的として鉄道省を中心に、全国各地に外国人観光客を誘致するためのホテル建設を推進する動きがあった。雲仙観光ホテルはそのような経緯で建設された「国策ホテル」のひとつである。

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長崎県によって計画されたホテルの建設及び経営は、大阪で「堂ビルホテル」(大正12年開業、昭和14年廃業)を経営する㈱堂島ビルヂングが、県から委託を受けるかたちで行われた。堂島ビルヂングは長崎県出身の実業家・橋本喜造が経営する大阪初の大規模貸事務所ビルで、堂ビルホテルは戦前の大阪の高級社交場であった。

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昭和10年10月10日に開業した雲仙観光ホテルの建物は、竹中工務店の設計施工で竣工した。設計を担当した早良俊夫は神戸・塩屋の旧ジェームス邸(昭和9年竣工、神戸市指定文化財)の設計でも知られる。写真の玄関ポーチをはじめ、1階部分の外壁に積まれた石は地元産の溶岩石。

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天井の太い梁が重厚さを醸し出す、1階玄関広間。

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玄関広間の壁に取り付けられた照明器具。

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玄関広間正面に現れる重厚な大階段。

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豪快な造りの大階段周りには、手斧(ちょうな)削りと呼ばれる日本の伝統的な大工技法が用いられている。

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何度でも登り降りしたくなる階段。

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2階中央にある貴賓室の入口。昭和天皇が雲仙を訪問されたときの御在所にも充てられた部屋である。廊下に置かれた椅子など、館内の家具は神戸の洋家具の老舗・永田商店の製作による。

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客室前の廊下。天井の縁は曲面に仕上げられている。

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客室内。窓は今では珍しい木製の上げ下げ窓。

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浴室の古風な猫脚バスタブや、豆タイル仕上げの内壁は全て近年の改装で開業当初の形に近いものが再現されている。客室以外でも、開業当初存在した読書室や撞球室が再現されているが、いずれも戦前からそのまま残っていたと思わせる見事な出来栄えである。

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1階玄関広間に戻る。
突き当りの階段を上ると大食堂の前に出る。

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時にはダンスホールにもなったという大食堂の内部。天井から下がる扇風機は近年の復元によるものだが、基本的には昭和10年の開業当時とほとんど変わっていない。

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天井のシャンデリアも戦前から残されているものである。

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大食堂入口脇にある酒場。

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バーカウンター。

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酒場の床タイルは兵庫県の旧甲子園ホテルの酒場でもみられるような、カラフルなモザイクタイルになっている。奥にはタイル貼りの暖炉もある。

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雲仙観光ホテルで特筆されるべきなのは、ホテルとしての利便性快適性の維持向上に努めつつ、現在残る古い形を維持することはおろか、過去の改装で失われた部分も積極的に戦前の姿、あるいはそれに近い姿に戻している点である。ホテルの歴史と建物に対する徹底した誇りとこだわりが窺える。

(平成26年9月1日追記)
写真を一部追加・差替、画像修整の上、写真の配列は並べ替え本文も全面的に修正しました。
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