第264回・旧久松定謨別邸(萬翆荘)

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愛媛県、いや四国を代表する大正の洋館と言えば間違い無く松山市の萬翆荘であろう。
大正11年(1922)旧伊予松山藩主・久松伯爵家の別邸として松山城の麓に建てられた。愛媛県指定有形文化財。

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正門を入ってすぐ左手にある門衛所。小規模だが本格的な洋風建築である。S字状にくねった道を登ると左手に土蔵風の倉庫が見え、その反対側に目当ての洋館は緑の中に佇んでいる。

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萬翆荘を建てたのは久松定謨(さだこと)伯爵(1867~1943)。陸軍軍人でフランス滞在が長く、仏公使館駐在武官も務めた人物である。大正9年に予備役となり現役を退いた後、故郷松山にフランス風洋風建築の別邸を建てる。

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設計は木子七郎(1884~1955)。岳父は松山出身の実業家・新田長次郎であることから大正初期より松山で建築設計をいくつか手掛けていた関係で久松伯爵の別邸の設計を行うことになった可能性もある。萬翆荘竣工の7年後には目と鼻の先にある愛媛県庁舎も設計している。

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正統派の西欧古典建築であるが、構造は当時はまだ珍しかった鉄筋コンクリート造を採用、外壁にはこれもまた当時目新しい外装材であった白色タイルを貼りモダンさも持ち合わせている。

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右手側面より望む。外観は左右対称を崩し、正面右手には尖塔を持つ。

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木子七郎の設計作品は住宅、官庁、事務所、文化施設等多岐にわたるがデザインの幅は広い。
住宅(現存するものに限る)を例に取っても、純和風の新田長次郎別邸(温山荘、大正4)、スペイン風とアールデコの新田利國邸(昭和3)、そして萬翆荘と珠玉の名作揃いと言ってよい。なお木子家は代々京都御所出入りの棟梁の家系である。

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背面。中央一階から二階にわたる大きな窓は、冒頭に掲げたステンドグラスのある階段室の窓である。

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左手側面にある通用口。

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通用口の扉の窓には洒落たアールヌーボー風の飾り格子がある。

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正面玄関ポーチ。

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玄関ホール。現在は愛媛県立美術館分館となっている他、各種の催事等のために貸室も行っている。

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玄関ホールの大理石石柱。桜御影とも呼ばれる、岡山県産の万成石で出来ている。

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一階は玄関ホール及び大ステンドグラスのある階段室を中心に左右に分けられ、右手は広間が二室、南側は白を基調としたフランス風の部屋で、北側は重厚な板張りの部屋になっている。生憎訪れた時一階は催事の最中で、御覧頂けるような写真があまりない。写真は南側広間入口欄間のステンドグラス。なお玄関ホール左手は事務室等バックヤードスペースである。

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二階は久松伯爵の居住、及び来客の宿泊のための小部屋で構成されている。どの部屋も見事な暖炉が設けられている。(無論、一階広間の暖炉が最も凝った造りである)現在は美術館分館としての展示場所に充てられている。

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暖炉は殆どがガスストーブが嵌め込まれた形のものだった。

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比較的小ぶりな部屋にもキチンと立派な暖炉が設けられていた。

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二階の主な部屋にはベランダが設けられていた。松山市街の眺望を楽しむ為か、それとも住居なので夏場過ごしやすくするための配慮か。

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一階の二つある広間には、どちらからでも出入り可能なバルコニーが設けられていた。

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二階正面向かって左端の小部屋。萬翆荘は竣工直後に当時摂政であった昭和天皇が宿泊、この小部屋では朝食を摂られた。萬翆荘は久松伯爵の別邸であるが、同時に皇族等の貴賓をお迎えする迎賓館としての使用も主目的であったと思われる。事実萬翆荘はその後松山の迎賓館であり、社交場でもあった。

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純フランス風の佇まいの他に、萬翆荘を特徴づけるのが、大正期の洋館らしく館内の随所に設けられたステンドグラス。写真は二階ベランダへ出る扉。

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以上、二階。

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一階広間。

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一階、南北各広間からバルコニーへ至る出入口の欄間。非常口の表示が雰囲気ぶち壊しで邪魔である。
大方、消防法の規定で設置せざるを得ないのだろうが、こんな所に設ける必然性があるのかどうか、非常に疑わしいと思うのだが。

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最後は階段室の大ステンドグラス。波間に浮かぶ南蛮船。

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海鳥。
萬翆荘のステンドグラスは、日本におけるステンドグラス制作の草分けの一人・木内真太郎によるものであることが近年行われた県の調査で判明した。

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久松定謨伯爵は郷土愛の強さで知られ、明治維新以降国の所有となっていた松山城を私財を投じて買い取り維持費を添えて松山市に寄贈した人物である。その城の下に久松伯爵が別邸として建てた洋館は、今や松山城に劣らぬ、松山の誇るべき文化遺産となっている。
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第81回・道後温泉本館

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愛媛県松山市道後湯之町にある道後温泉本館は、道後温泉のシンボルであると同時に、明治の建物ではあるが今も現役の温泉共同浴場である。明治27年(1894)から昭和10年(1935)にかけての度々の増改築を経て、現在の姿が出来上がった。国指定重要文化財。

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度重なる増改築を経て完成したためか、非常に複雑な形状の建物となっている。

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写真奥の、赤い色ガラスが嵌め込まれた塔屋が載る3階建の部分が明治27年(1894)竣工の神の湯本館で、道後温泉本館の中では最も古い部分である。写真手前の玄関棟及びそれに続く南棟は大正13年(1924)の竣工。

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上記写真の反対側からみた道後温泉本館。写真右手が神の湯本館、左手の銅板葺屋根の建物が、明治32年(1899)竣工の又新殿(ゆうしんでん)・霊(たま)の湯棟。その他昭和10年(1935)に事務棟の増築等が行われている。

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又新殿は皇族専用の浴場で、玄関も別に設けられている。現在は銅板で葺かれている屋根は当初は檜皮葺であった。

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神の湯本館の周囲に配された鉄柵の上部には造り物の白鷺がいる。これは一羽の白鷺が温泉で脚の傷を癒していたという、道後温泉発見の故事に因むもの。なお、道後温泉は「日本書紀」にも登場する我国最古の温泉とされている。

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道後温泉本館を建てたのは、道後湯之町(現在は松山市に編入)の初代町長を務めた伊佐庭如矢(いさにわゆきや 1828~1907)。現在の道後温泉発展の基を築いた人物である。

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松山藩の町医者の子として生まれ、愛媛県吏員や高松中学校長を歴任していた伊佐庭は明治23年(1890)に道後湯之町長に就任、道後温泉の観光地としての発展を目指し、共同浴場を壮大な木造三層楼に改築することを提案する。

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莫大な工費を要する計画に当初は多くの町民が激しく反対するが、費用の一部とするため自らは無給で町長の任に当たる伊佐庭の説得に、やがて町民もこの大計画を受け入れ、道後温泉本館は完成に漕ぎつける。(当初完成したのは上述の通り神の湯本館のみ)

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松山城の世襲棟梁であった坂本又八郎を起用して建てられた神の湯本館は、屋上に振鷺閣(しんろかく)と名付けた楼閣を設け、赤い色硝子を入れるなど洋風建築の要素も加えた明治時代らしい建物となった。なお振鷺閣には太鼓が置かれ、今でも定期的に打ち鳴らして時を告げている。

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内部は一階(一部の浴場は二階にもある)に共同浴場、二階から上は休憩用の座敷が設けられている。写真は神の湯本館二階の大広間。

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大広間の床の間。

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欄干には水紋模様の透かし彫りが施されている。

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神の湯本館の三階には個室の休憩室もある。

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床の間の円形窓。

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伊佐庭如矢町長の予見は見事に的中し、道後温泉は日本有数の温泉観光地となった。今では道後温泉本館は現地のシンボルとして欠かせないものとなっている。

(平成26年9月3日追記)
写真を画像修整の上配列を並べ替え、本文を追加致しました。

第71回・愛媛県庁舎

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現存する都道府県庁舎のうち、現在国の重要文化財に指定されているのは明治期建設のものは三重・北海道・京都の3道府県、大正期建設のものは山口・山形の2県で、今のところ昭和期建設の重文庁舎は存在しない。近年昭和期の建築も重文の指定対象になっているのでいずれは指定される庁舎が現れると思われる。
現存する昭和戦前の県庁舎で重要文化財級のものは、というと独断と偏見を以て言えば愛媛県庁舎はそのひとつであると思う。平成21年は庁舎竣工80周年ということで普段ならば平日限定の庁舎見学が休日でも可能だったので行ってきた。

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昭和4年(1929)、木子七郎設計。木子家は代々京都御所出入りの棟梁を務めた建築界の名門。構造計算を東京タワーや大阪通天閣(二代目)の設計で知られる内藤多仲が行っている。両者は親交があり、東京・早稲田に残る内藤自邸の意匠は木子が手掛けている。

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中央にドームを載せ、両翼を前面に張り出した堂々たる構成。昭和に入ってからの官公庁舎の形態は平坦な箱形で中央部分のみ張り出す、という形が多い。当時の建築界からすればやや古風な構成に見えたかも知れない。

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全体構成は古風だが、球体を半分に切って載せたようなドームは西洋古典建築のドームとは異なり、モダンな感じを受ける。

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玄関ポーチ。愛媛県庁より3年早い大正15年(昭和元年)に竣工した大阪府庁(現存)のポーチと似ている。
木子七郎は大阪に自宅と事務所を持っており、大阪府庁舎をある程度意識した可能性もあるのではないかと思う。

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微妙な曲線が美しい玄関ポーチ前の照明。

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重厚な扉。

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ポーチ内部の照明と台座の装飾。

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玄関ホールの階段を登って3連アーチをくぐり、階段室に至る。

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階段前から玄関を見る。

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階段前から見た1階廊下。

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戦前の姿をそのまま残す電話室。
無論、中の電話機は新しく取り替えられている。

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階段室と踊り場。

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階段室踊り場のステンドグラス。

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3層に亘って太い円柱が貫く階段室。手すりは大理石。

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3階貴賓室の天井と照明。

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貴賓室暖炉。中に嵌めこまれたラジエーターの放熱器、装飾グリルも創建当初からのものと思われる。

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4階正庁。当庁舎で最も見応えのある部屋。

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見事な装飾が施された天井。

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現在も「正庁」として各種の儀式に使用されている。

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階段室の最上部に張り出す大きな円筒。

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その正体はドーム下の部屋へ行くための螺旋階段。

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螺旋階段の途中にはめ込まれた小さなステンドグラス。

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ドーム下の部屋。現在は会議室として使用されている。当初の用途は不明。
四方に巡らされたギャラリーの欄干には元々金属製の装飾か何かをはめ込まれていたような痕跡があった。また天井が新建材で塞がれており、ひょっとしたら本来の天井はドーム状になっているのかも知れない。

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文化財の指定乃至登録はされていないが、当庁舎は今も現役で大切に使われている。
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