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第1210回・鍵谷カナ頌功堂

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愛媛県松山市西垣生町にある「鍵谷カナ頌功堂(しょうこうどう)」は、伊予絣の考案者である鍵谷カナの功績を讃えるため、伊予織物同業組合によって昭和4年に建てられた鉄筋コンクリート造の八角堂。設計は愛媛県庁舎萬翠荘石崎汽船本社など、松山に多くの近代建築物を残した木子七郎による。国登録有形文化財。

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鍵谷カナ(1782~1864)は伊予郡垣生村今出(現在の松山市西垣生町)の農家の主婦で、農事の傍ら副業の機織りに従事していたが、新しい絣模様を織る方法を考案、「伊予絣」として人気を博した。明治から大正期にかけて伊予絣は国内の絣生産の約半分を占めたという。

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伊予絣は現在、愛媛県の伝統的特産品に指定されており、西垣生町の長楽寺にある鍵谷カナの墓所は愛媛県の史跡に指定されている。長楽寺の真向かいに建つ頌功堂は、伊予織物同業組合によって昭和4年(1929)に建てられた。

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鉄筋コンクリート造りで、8本の柱が本瓦葺の八角屋根を支え、その下に頌功碑を納める。

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赤みを帯びた御影石の頌功碑には「伊豫絣創始者 鍵谷カナ媼頌功碑」の文字が刻まれている。

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強い反りの屋根や上下の端をすぼませた丸柱など、日本の伝統的な寺院建築のひとつである禅宗様(唐様)を取り入れている。設計者である木子七郎の伝統的な社寺建築についての知識の深さが窺われる。

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代々京都御所の棟梁を務めてきた家に生まれた木子は萬翠荘や石崎汽船本社など早くから鉄筋コンクリート造を取り入れるなど先進的な面を持つ一方で、その出自から伝統建築についての知識も深かった。

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松山出身の実業家、新田長次郎の娘婿となったことから松山との関わりを深めた木子七郎は、鍵谷カナ頌功堂と同じ年に竣工した愛媛県庁舎など、大正から昭和10年代にかけて多くの建物を設計、その様式は和洋、古典様式からモダンスタイルまで非常に多彩なものだった。

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現存しないが、かつては県庁舎の近くには木子の設計になる松山市庁舎と県立図書館もあり、松山市の主要建築の多くを一時は木子作品が占めていた。市庁舎と図書館は県庁舎や萬翠荘などとは全く異なり、無装飾のモダニズムに近い建物であった。

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先進的な鉄筋コンクリート構造と伝統的な社寺建築の様式が両立する鍵谷カナ頌功堂は、小規模ながらも建築家・木子七郎の特色をよく現している建物のひとつと言えるのではないだろうか。
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第1209回・旧石崎汽船本社

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愛媛県松山市に本社を置く老舗の海運会社である石崎汽船(株)の旧本社屋が、古くより瀬戸内の港町として栄えた三津浜に建っている。愛媛県庁舎や旧久松伯爵家別邸(萬翠荘)など、松山に多くの近代建築を残した木子七郎の設計で大正13年(1924)に建てられた。国登録有形文化財。

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三津浜は古くより瀬戸内海交通の拠点であり、松山の海の玄関として栄えた地区である。現在は周囲に松山観光港などの新しい港が整備されたことに伴い、静かな港町となっている。

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三津浜の町は古い町家や事務所が点在しており、石崎汽船旧本社もそのひとつである。大正13年(1924)の竣工後、平成25年(2013)に移転するまで、約90年にわたって使用されていた。現在は同社の倉庫となっているようだ。

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石崎汽船(株)は、創業の起源を幕末の廻船問屋にまで遡る老舗の海運会社で、現在も瀬戸内を拠点にフェリーや高速船を運航する旅客船事業者として盛業中である。大正7年(1918)に株式会社となり、その6年後には三津浜に新社屋を建設した。

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久松伯爵邸(萬翠荘)の設計者である木子七郎の設計で、構造は萬翠荘と同じ鉄筋コンクリート造で、当時の地方都市の事務所ビルとしては画期的なものであった。また、意匠はフランスの城館風の萬翠荘とは対照的に、平坦な壁面にセセッション風の装飾を施しただけの極めてモダンなビルであった。

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外壁は萬翠荘でも使われている白色タイルのほか、中央部分には黄褐色のタイルを貼り人造石の付柱を並べる。御影石を貼った正面玄関の上にはブロンズのバルコニーが取り付けられ、外観のアクセントになっている。竣工当時はこのバルコニーから新築祝いの餅撒きが行われたという。

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玄関扉は創建時の木製扉が残されている。また、玄関上部にある社名の銘版は右書きで、竣工当時のものと思われる。

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構造、意匠共に斬新なものであるが、初代社長である石崎兵太郎は、木子七郎の勧めを受け、新様式での社屋建設を決断したという。木子は自ら施工監督に当たって細部にわたって指導を行った。なお、当初の計画では窓枠にはスチールサッシを用い、エレベーターも取り付ける予定であったが、工費の関係で実現していない。

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正面に2本ある銅製の雨樋の上部には、廻船問屋時代からの石崎汽船の印であった「マルイチ」があしらわれている。内部は外観と同様に簡素ながらも格調高い装飾が天井など随所に施され、事務所のカウンターや2階の役員室の暖炉には大理石が用いられている。装飾材料は木子が大阪で特注で調達したという。(内部の様子はこちら

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木子七郎は大正10年(1921)に海外建築視察のため欧米、インド、中国など世界各国を廻る旅を行い、帰朝後は従前得意としていた古典様式建築や和風建築だけではなく、セセッション式の石崎汽船本社、スパニッシュ様式の山口萬吉邸など、多彩な建築様式を使いこなした。

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旧石崎汽船は松山を代表する近代洋風建築のひとつである。新たな用途を得て積極的な活用がなされる日が来ることを願う。

第1208回・道後温泉ふなや

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愛媛県松山市の道後温泉にある旅館・ふなやは、江戸前期創業の歴史を有する老舗である。昭和天皇をはじめ貴賓の利用も多く、大正時代には大理石の暖炉やステンドグラスを多用した豪華な洋館が増築された。当時の建物自体は現存しないが、洋館の主な内装部分が移設、復元されている。

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道後温泉本館から徒歩3分程度の場所にあるふなや。寛永年間創業のふなやは元は「鮒屋」と称し、松山にはゆかりの深い夏目漱石や高浜虚子も宿泊した宿である。建物は鉄筋コンクリートの高層建築に建て替えられているが、茅葺の庭門がある庭園は古い形で残されている。

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ふなやを営む鮒田家は、明治期には道後温泉で旧藩主の久松伯爵家と並ぶ大地主で、現在地に移転すると広壮な木造の本館を築き、のちに貴賓用の洋館も増設された。今も残る古い建物(工作物)は庭門とその脇にある小さな和風建築のみだが、数寄屋風の庭門は老舗にふさわしい風格がある。

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庭門の脇にある小座敷。離れの客室としては小さく、茶室にも見えないので、休憩用の東屋のような施設と思われる。現在は障子をキャンバスに見立てたのか絵が描かれており、ギャラリーとして利用されている。

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旅館の正面玄関は反対側の本館側にあり、日中は庭門は解放されている。庭園は宿泊客でなくとも散策できるようだ。

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本館内には大正10年(1921)頃のふなやの古写真が2枚展示されていた。1枚目は庭園から見た当時の本館で、右奥に増築された洋館が見える。大正11年(1922)に、松山で陸軍の特別大演習が実施される事となり、昭和天皇(当時は摂政宮)を始め多くの貴賓が松山を訪れることになった。

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旧藩主である久松伯爵家は摂政宮を迎えるために迎賓館を兼ねた別邸(萬翠荘)を築いたが、ふなやの洋館は随行するその他の貴顕紳士を迎えるために増築されたものと思われる。その後、昭和天皇は昭和25年(1950)に松山を巡幸された際はふなやに宿泊、洋館を利用された。古写真は当時の洋館内部。

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このような由緒があることからか、本館の改築に際し洋館の内装材は保存され、平成5年(1993)に現在の本館内に復元された。復元された部屋は2室あり、ひとつは1階ロビーの一角に記念室として展示、公開されている。

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暖炉飾りやステンドグラス、彫刻を施した腰壁等、元の部材を用いて復元されている。なお、上の古写真と比較頂ければ分かるが壁の配置は若干変えられており、古写真にも写っている特徴ある大きな半円アーチは反対側に移されている。

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ロビー側から見た記念室。復元時の位置の都合で壁の配置を変えたようであるが、部屋の規模は改築前のままと思われる。

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暖炉は大正期の洋館らしいモダンなデザインが特徴で、同時期に建てられ、現在は国指定重要文化財である萬翠荘にも劣らないと思われる質の高い洋風意匠が施されている。大理石も同時期の洋館ではあまり見かけない珍しい色合いのもので、特別に取り寄せたのではないだろうか。

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洋館の設計者は不詳のようであるが、2つの部屋を飾る多数のステンドグラスは、当時大阪にあったステンドグラス工房である大阪玲光社の製作による。大阪玲光社は大阪の中之島公会堂など、多くの近代建築のステンドグラス製作を手掛けた木内眞太郎が主宰する工房で、萬翠荘のステンドグラスも木内眞太郎が製作を行っている。

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萬翠荘の設計者は松山とは縁の深い建築家で、弊ブログでも度々取り上げてきた木子七郎であるが、意匠の質の高さやステンドグラス製作を巡る共通点から、私見であるが、ふなやの洋館増築にも木子が設計に関与している可能性は高いのではないかと思われる。

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天井の照明台座の漆喰装飾も移設、復元されている。
アールデコ風の照明器具も当時から残るオリジナルかも知れない。

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もうひとつの洋館から移設、復元した部屋は本館7階にあり、クラブラウンジとして食事用の個室などに利用されている。ふなやに宿泊した際、他の宿泊客の利用が無いときは自由に出入りできたので見学させて頂いた。

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1階展示室と同様にステンドグラスが多数用いられ、旧ベランダに面した開口部、暖炉まわりなどに曲線を多用したアールヌーボー風の洋室である。椅子も当時からのものと思われる。

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この部屋も元の部材で細部までよく復元されているようだが、天井はもっと高かったのではないかと思われる。

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1階展示室と異なってこの部屋は開口部の大半が壁で塞がれており、ステンドグラスは人工照明で光を通すようになっていた。

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大胆な造形の半円アーチが目を引く暖炉。辰野金吾が旧松本健次郎邸旧日本生命九州支店でこのような曲線を用いたデザインの暖炉を残しているが、他の建築家では珍しい。

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天井の照明台座の漆喰装飾。

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暖炉上部の鏡の縁取りにもアールヌーボー風の装飾が見られる。

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2つの部屋には美しいステンドグラスが多数残されている。
1階展示室前の廊下には、当地の特産品である柑橘類と思われる意匠のステンドグラスを用いた照明器具も移設されている。

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7階クラブラウンジ入口の欄間。

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クラブラウンジ暖炉脇に嵌め込まれた一対のステンドグラス。

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ふなやのステンドグラスについての記載は、戦前のステンドグラスについての研究家として知られる田辺千代氏の著作「日本のステンドグラス 明治・大正・昭和の名品」を参考にさせて頂いた。

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同書によると、萬翠荘、ふなや共に京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)出身で、多くの近代建築のステンドグラスをデザインした三崎彌三郎が図案を作成、先述のとおり大阪玲光社が製作を行ったという。

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1階記念室の周辺には、復元された2室以外の洋館の部材を再利用した思われる小窓やステンドグラスがあった。

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内装だけの移設復元であるが、質の高い意匠が施された暖炉などの装飾、美しいステンドグラスはいずれも貴重な文化財である。個人的な推測であるが、萬翠荘や愛媛県庁舎などの優れた近代建築を松山に多く残している木子七郎の設計であったとすれば、その価値は尚更と思われる。

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このような部分的に保存されているものは将来、建物の改築、改装によっていつの間にか失われる場合も考えられる。外壁や内装など部分保存されているものも、文化財として公的に調査、記録しておく必要はないだろうかと思う。

第1204回・旧白石和太郎邸洋館

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愛媛県八幡浜市保内町川之石にある旧白石和太郎洋館は、明治36年(1903)以降には建てられたと思われる洋風建築で、八幡浜市の有形文化財に指定されている。石積み風の外壁は濃密な装飾が施されており、内部も見どころの多い建物である。また、周辺には歴史ある家並みや国の登録文化財になっている建物もあり、これらも併せて紹介したい。

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保内町川之石は江戸時代末期より海運業が栄え、明治以降は鉱山や紡績も発展した土地である。愛媛県内では最初に電燈が燈され、銀行(第二十九国立銀行)も設立されるなど近代化を牽引した。川之石地区を流れる宮内川沿いを始め、現在も随所にその名残を残す建物などが残っている。

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宮内川に架かる美名瀬橋。昭和8年(1933)に現在のコンクリート橋に架け替えられた。欄干は当初金属製の格子が嵌め込まれていたが、戦時中の金属供出によりコンクリートアーチに改造されている。この近くには大正時代後半に東洋紡川之石工場の一部として建てられた赤煉瓦の倉庫がある。

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東洋紡川之石工場は、四国で初めて設立された紡績会社である宇和紡績を前身とする。かつては多くの工場施設が建ち並んでいたが、現在は原綿倉庫であった煉瓦倉庫と関連施設が残されている。また、近くにはかつて鉱山で繁栄した歴史を伝えるものとして、別子銅山のある新居浜でも多く見られる鍰煉瓦も残されている。

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愛媛蚕種株式会社(旧日進館)は明治17年(1884)創業で、現在では西日本では唯一蚕種の生産を行っている会社。現在も現役で使用されている建物は国の登録有形文化財で、映画のロケにも使われたことがあるという。

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洋風の事務所棟と中庭もある三階建の蚕室で構成されており、事前予約制でボランティアガイドの案内による内部見学も可能なようである。

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旧白石和太郎邸洋館に隣接して建つ旧宇都宮荘十郎邸(旧二宮医院)。鉱山経営で財を築き、第二十九国立銀行や宇和紡績の設立にも関わった宇都宮荘十郎が3年の歳月をかけ、明治34年(1901)に建てたとされる。

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むくり屋根を持つ重厚な町家風の建物だが、簡素な外観の洋館も備えている。現在は前所有者から寄贈を受けた八幡浜市が所有・管理しており、暖炉や装飾タイルなどがある和洋折衷の内部は、不定期で一般公開も行われているようである。

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洋館との間には装飾的なうだつが設けられている。前所有者の代では外科医院を開業されていたため、現在も玄関には医院の看板が残されている。

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簡素な旧宇都宮荘十郎邸洋館とは対照的な、重厚で装飾に富んだ外観の旧白石和太郎邸洋館。

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竣工時期は不明だが、改修に際して鬼瓦の裏面に明治36年(1903)の新聞記事が写っているのが発見され、同年以降の竣工と考えられている。

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白石和太郎(1868~1915)は川之浦出身の実業家で、地元にある大峯鉱山等を経営していた。鉱山の産額は住友家が経営する別子銅山に次いで四国では大きいものであったという。

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明治32年から39年(1899~1906)にかけて県会議員、川之浦村長も務め政治家としても活躍するが、大正4年(1915)に47歳の若さで死去している。

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洋館を築いた明治30年代は白石和太郎の実業家として、また政治家としても絶頂期にあった頃と思われるが、洋館は事務所として、また鉱山や紡績工場で働く外国人技師のために建てられたとも言われている。

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木造二階建てで、外壁は漆喰による左官仕上げで石造風に造られており、黒ずんだ色合いもあり重厚な印象を与える。

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玄関ポーチもしくは窓上にある3種類の三角破風(ペディメント)には、漆喰細工による装飾が施されている。

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特に玄関ポーチのペディメント内側に施された漆喰装飾は長野県岡谷市にある同時期の洋館で、国指定重要文化財の旧林國蔵邸にもあるような非常に精緻なもので、当時の左官職人の高い技量が窺われる。

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昭和25年(1950)から平成元年(1989)までは、洋裁学校「川之石ドレスメーカー女学院(のち専門学校に改称)」として長い間使用され、「ドレメ」の愛称で親しまれていた。現在も入口脇に金属製の表札が残されている。

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平成6年(1994)に保内町(当時)が買い取り、修復し地域活動の場として保存・活用されている。内部は毎週第2・第4日曜日に公開されている。写真は玄関の硝子戸越しに見た内部で、カウンターや暖炉が見える。(訪問したのは非公開の日であった)

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一階天井の照明台座には世界地図が描かれ、天使像が照明器具を持っている。(大阪の鴻池本店や東京の旧三島海雲邸(デ・ラランデ旧居)など、なぜかこの時期の洋館には天使像の装飾を施した事例が時々見られる)二階の天井の照明台座にも漆喰細工による果物籠の装飾があるという。

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現在は敷地が切り離されているが、洋館に隣接する民家は旧白石和太郎邸の日本家屋部分であり、格子戸のある門と式台を備えた玄関を持つ。玄関先にある案内板によると、幕末の嘉永4年(1857)に上棟、明治期に洋館と共に日本家屋も、座敷などが増築されたという。

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旧白石和太郎邸洋館の向かいには市によって町並み見学のための案内地図が設置されており、無料駐車場と公衆トイレも用意されている。

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愛媛県に残る質の高い明治の擬洋風建築のひとつであり、周囲の町並みと共に末長く健在で在って欲しい建物である。

第1187回・泉寿亭

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前回取り上げた愛媛県新居浜市の旧別子住友倶楽部は、別子銅山を経営していた住友財閥によって昭和初期に建てられた純洋風の社交場であるが、かつては近接して純和風の迎賓・宿泊施設「泉寿亭」も存在した。現在は特別室の一部が残るだけであるが、贅を尽くした京風の数寄屋建築である。国の登録有形文化財。

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別子銅山の開坑250年記念事業の一環として、昭和12年(1937)に新居浜市北新町に建てられた泉寿亭は、住友家の屋号である「泉屋」を「寿(ことほ)ぐ」という意味を込めた住友財閥の迎賓館であり、広壮な規模を有する数寄屋風の木造建築であった。

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新居浜を訪れる多くの貴賓を迎えるのに使われた泉寿亭は、平成2年(1990)、同年に開業したリーガロイヤルホテル新居浜に役目を譲る形で閉館、翌年に別子銅山の施設跡を活用して開かれたテーマパーク「マイントピア別子」内に、賓客用玄関と特別室棟の一部が移築された。

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なお、泉寿亭の跡地は現在、別子銅山開坑300年記念事業として平成4年(1992)に住友グループから新居浜市に寄贈された別子銅山記念図書館の敷地になっており、庭園などにかつての面影を残しているという。

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現在泉寿亭の一部が保存されているのは、「マイントピア別子」の「端出場ゾーン」の一角で、ここは昭和48年(1973)に閉山した別子銅山の最後の採掘現場であった場所である。

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設計・施工は別子住友倶楽部と同じく、長谷部竹腰建築事務所と藤木工務店による。切妻の下に開かれた小窓の斜め格子などは洋風建築を思わせ、昭和初期の和風建築らしいモダンな造作が見られる。

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保存されているのは貴賓専用玄関と、同じく貴賓専用の特別室棟の一部である。
式台付の玄関の天井は竹を用いた格天井になっている。

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茶会などに使用する場合を除き、館内も自由に見学できる。

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床板など各部材はいずれも今日では入手不可能、あるいは困難と思われるもので、相当贅を尽くしているものと思われる。

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特別室棟は玄関と3つの特別室で構成されていたが、現在保存されているのは玄関と特別室のひとつである。皇族や大臣、住友家当主や幹部社員など、ごく限られた人物だけが特別室棟を使用できたという。

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特別室は十畳の主室と六畳の控えの間で構成されている。
かつては同様の構成の部屋があと2つあり、床の間の造りなど各室毎に異なっていたうようだ。

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偶々かも知れないが、掛け軸が床に置かれたままだったり座布団が無造作に置かれていたり、文化財とされる建物の扱いとしては少々残念であった。

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別子銅山関連の産業遺産、近代化遺産は前回までに取り上げた日暮別邸記念館、別子住友倶楽部のほかにも数多く残されており、新居浜市の新たな観光資源として注目されつつある。マイントピア別子及びその周辺にも赤煉瓦の発電所や坑道跡が残されており、これらは改めて紹介したい。

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(参考資料)
移築前の泉寿亭などについては、別子銅山記念図書館の「泉寿亭とその周辺」を参考にさせて頂いた。
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現存する近代日本の歴史的遺産(台湾など旧日本領土も含む)を建造物・土木構造物を中心に、思いつくままに取り上げております。

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