第1105回・前橋市浄水場資料館・配水塔

s_P32000052.jpg

群馬県前橋市敷島町にある前橋市敷島浄水場の構内に、昭和4年(1929)に建てられた旧浄水構場事務所を改修した資料館と、同時期に建てられた鉄骨造の配水塔があり、共に国の登録有形文化財となっている。旧浄水構場事務所は「建築非芸術論」などの論考で建築史に名を残す野田俊彦の設計による。

s_P32000222.jpg

敷島浄水場は前橋市における最初の近代的上水施設で、昭和4年(1929)に竣工、給水を開始した。現在も前橋市の主要な水道施設として稼働している。また、周囲に植えられたツツジが開花する頃には一般開放が行われ名所となっている。写真は資料館に展示されている竣工当時の浄水構場事務所と配水塔。

s_P3200001.jpg

現在も正門を始め建物は変わっていないが、樹木が大きくなったため事務所は隠れ、配水塔だけが見える。

s_P3200003.jpg

スクラッチタイルと群馬県内で産出される多胡石を組み合わせた正門も、昭和4年当時のものと思われる。

s_P3200006.jpg

正門を入った先に旧浄水構場事務所があり、配水塔がその背後に建つ。

s_P3200039.jpg

半円形の外壁が特徴的な旧浄水構場事務所は浄水場の管理事務所として使われていたが、平成元年(1989)に給水開始60周年を記念して内部を改装、水道資料館となって現在に至る。

s_P3200017.jpg

背面からの眺め。設計者の野田俊彦(1891~1932)は東京帝国大学卒業後、陸軍省、内務省など主に官公庁の建築技師を務めたが、昭和7年に38歳で没した。実作よりも「建築非芸術論」などの論考を多く著したことで知られている。旧浄水構場事務所は現存する唯一の設計作品であると思われる。

s_P3200045.jpg

緑色の瓦で葺かれた屋根の上には構内を監視するための物見台が設けられ、その下には採光用の屋根窓が設けられている。横に細長い「牛の目窓」と称される屋根窓はドイツ風意匠の洋館に見られるもので、県内沼田市にある旧土岐家住宅洋館や大阪府泉南郡の旧谷口家別邸でも同様の屋根窓が設けられている。

s_P3200020.jpg

2階に設けられたテラスの手摺には、水紋をイメージしたような意匠の飾り格子が嵌め込まれている。

s_P3200018.jpg

外壁窓下の基壇部分には正門と同様、多胡石が用いられ乱積み風の仕上げが施されている。その上に貼られたスクラッチタイルは正門に用いられている黄色味の強いものとは色調が異なるので、創建当初からのものではなく改装の際に貼り替えられたものと思われる。

s_P3200038.jpg

正面玄関。
資料館は配水塔と共に耐震改修が行われるため、平成29年4月より一時休館となっている。

s_P3200031.jpg

階段から玄関ホールを望む。建てられた当初、1階及び地階に応接室、主任室、工夫溜、小使室、流量計室、宿直室、便所が、2階には事務室、図書室、露台(テラス)が配されていた。

s_P3200024.jpg

階段手摺りの渦巻き状の装飾は大正期の洋風建築の装飾に多く見られるもので、昭和4年の建物としては若干古いデザインとも言える。

s_P3200029.jpg

構造は鉄筋コンクリート造であるが、屋根は木造の小屋組みを載せる。

s_P3200035.jpg

現在は展示室となっている1階玄関脇の1室。半円形の張り出し部分に当たり、部屋の中央には円柱が建っている。

s_P3200032.jpg

玄関ホールに展示されている、昭和4年給水開始当初に用いられていた竜頭型の共用栓。

s_P3200034.jpg

展示物の中には戦前のものから今日でも使われているものまで、様々な形式の蛇口もある。

s_P3200013.jpg

旧浄水構場事務所の裏に建つ配水塔。事務所と同じく昭和4年に竣工した。

s_P3200016.jpg

同形式の鉄骨造の配水塔としては、兵庫県高砂市の旧朝日町浄水場配水塔(大正12年)が現存しており、敷島浄水場配水塔と同様に国の登録有形文化財となっている。

s_P3200007.jpg

配水塔は平成29年3月を以て現役の水道タンクとしての役目を終えて稼働を停止した。今後は資料館と共に耐震改修を行った上、保存される予定である。

s_P3200043.jpg

明治から昭和初期に建設された水道施設(配水塔、ポンプ室、管理事務所等)には凝った意匠が施されたものが多く、現役を引退した後も記念館等に転用されて保存されているものは全国各地に存在している。弊ブログでもこれまで上記の旧朝日町浄水場配水塔のほか、水戸宇都宮高岡大阪神戸岡山高松の各水道施設を紹介しているので、併せて御覧頂けると幸いである。
スポンサーサイト

第1077回・旧安田銀行担保倉庫

s_P3200053.jpg

群馬県前橋市住吉町2丁目にある旧安田銀行担保倉庫は、大正2年(1913)に群馬商業銀行附属前橋倉庫として建設された赤煉瓦の倉庫。生糸等を担保品として保管するための倉庫であり、かつて製糸業が盛んであった当地の歴史を伝える歴史的遺産である。国登録有形文化財。

s_P3200046.jpg

前橋市の中心街の一角に建っている旧安田銀行担保倉庫。

s_P3200054.jpg

前橋市内にはかつては同じような用途で建てられた赤煉瓦倉庫が多く存在していたというが、現在も残るものは少ない。

s_P3200057.jpg

壁面には昭和20年の前橋空襲によって生じた焼け焦げの跡が現在も残されている。

s_P3200052.jpg

群馬県など生糸の生産が盛んであった地方の銀行では、融資を行う際の担保品として生糸や繭を預かる事も多かったという。そのためにこのような大規模な倉庫が建設された。

s_P3200050.jpg

現存する同様の事例としては、埼玉県本庄市の旧本庄商業銀行煉瓦倉庫があり、こちらも国の登録有形文化財となっている。

s_P3200051.jpg

入口の上部には右書きで「火氣厳禁」の文字がある。

s_P3200064.jpg

煉瓦の積み方は、日本国内の煉瓦建築に多くみられるイギリス積み。

s_P3200060.jpg

壁面の両端には、黒っぽい色調の焼き過ぎ煉瓦を用いて模様を描くなど意匠的な遊びが見られる。

s_P3200047.jpg

白っぽい色調の煉瓦も見られ、この種の煉瓦建築としては珍しく複雑な色合いの壁面を見せている。

s_P3200055.jpg

群馬県における製糸業の歴史を伝える建造物として、保存活用が図られている。

第1074回・旧生方家住宅

s_PC100140.jpg

群馬県沼田市西倉内町、沼田公園内にある旧生方(うぶかた)家住宅は、切妻造、妻入、板葺屋根の大型町家である。江戸時代中期(17世紀末)の創建と考えられており、東日本では最古の町家とされる。以前取り上げた旧土岐家住宅洋館と隣接する位置に移築、保存されている。国指定重要文化財。

s_PC100121.jpg

元々は沼田市中心街の上之町にあったが、昭和45年(1970)に国指定重要文化財となった後、沼田市が生方家から寄贈を受け現在地に移築された。移築に際しては建築当初の形態への復原が図られ、昭和48年(1973)に移築復原工事が完成した。

s_PC1001222.jpg

移築前の姿。生方家は「かどふぢ(角藤)」の屋号で代々薬屋を営み、1階は移築前まで薬局の店舗として使われていた。右側の一部はアーチ窓が連なり洋風に改装されていたことが分かる。江戸中期から明治、大正を経て、昭和40年代半ばに至るまで、300年近く使われていたことになる。

s_PC1001262.jpg

生方家は、江戸時代には沼田藩御用達の薬種商として沼田でも指折りの豪商であったという。写真は大正時代頃の生方家。まだ一階部分は洋風に改装されていないが、「PHARMACY(薬局)」と大書された横文字の看板が時代を感じさせる。

s_PC1001382.jpg

戦時中の防空訓練の模様を写した珍しい写真。背後には生方家住宅(かどふぢ薬局)が写っている。一階の一部は洋風に改装されており、移築直前の姿とほぼ同じ形になっていることが分かる。

s_PC100120.jpg

沼田は群馬県と長野県の県境に近いためか、正面に大きな切妻を見せ、屋根の先端には雀おどしと呼ばれる棟飾りを置いた姿など、長野県下で多く見られる本棟造の民家に似ている。(軽井沢万平ホテルはこの本棟造を基調としている)

s_PC100127.jpg

正面には店舗として使われていた上店、下店の二間が並ぶ。

s_PC100134.jpg

下店に置かれている薬棚は移築直前の昭和40年代まで使われていたもので、棚のラベルには現在でも売られている市販薬の名前がいくつも記されていた。

s_PC100125.jpg

店の奥が炉を切った居住空間となっており、その横を敷地背後まで貫く形で「通り庭」と称される土間の通路が通っている。二階は使用人が寝起きするための空間で、梯子を使って出入りするようになっている。

s_PC1001242.jpg

移築直前の内部。上記写真とほぼ同じ位置と思われる。旧宅を沼田市に寄贈した生方家は、当主の生方誠(せい 1894~1978)は、家業の薬局を営むほか、国家公安委員や沼田町長も務めた町の名士でかつ、芸術に造詣の深い文化人でもあった。また妻の生方たつゑ(1905~2000)も歌人として著名な人物である。

s_PC1001392.jpg

それぞれ海外留学もしくは都会生活の経験を持つ生方夫妻は、新婚当初はこの古い家ではなく、沼田市内に建てた洋館の新居で生活していたようである。

s_PC100123.jpg

旧生方家住宅に併設された生方記念資料館では、生方夫妻の足跡や生活を知ることができるが、東京からの来客に洋菓子や洋食を振る舞うなど戦前の地方都市としては驚くほどハイカラな生活をしていたようだ。移築前は一部が洋風に改装されていたのもそのためかも知れない。

s_PC100136.jpg

移築に際しては江戸時代の創建当初の姿に戻されたため、その後の増改築が施された部分は失われているが、一部の装飾や建具などが土間や室内に保存展示されている。

s_PC100135.jpg

天井の小屋組み。

s_PC100128.jpg

二の間。

s_PC100129.jpg

床の間がある三の間。仏間として使われていたようだ。

s_PC100130.jpg

四の間。

s_PC100131.jpg

五の間。最も奥の部屋である。

s_PC100132.jpg

寒さの厳しい土地であるため窓は殆ど設けられていないが、閉鎖的な造りはそれだけではなく、嫁や使用人の逃亡防止のためでもあったとか。展示の説明文で「牢獄」と表現されていたのもむべなるかな、である。

s_PC100077.jpg

旧生方家住宅に隣接する旧土岐家住宅洋館は中心街に再移築されることになったが、旧生方家住宅は引き続き現地で保存されるのか、場所を移して保存されるのかは今のところ不明である。いずれにせよ生方記念資料館共々、沼田市の宝として有効に活かして頂きたいものである。

なお、本記事の古写真はいずれも、生方家住宅の館内もしくは併設の生方記念資料館の展示品であることをお断りしておく。

第1049回・安中教会教会堂(新島襄記念会堂)

s_PC1102102.jpg

群馬県安中市の日本基督教団安中教会教会堂は、同志社大学の創設者として知られる新島襄の召天(逝去)30年を記念して、大正8年(1919)に建てられた大谷石造の会堂である。国登録有形文化財。

s_PC110244.jpg

前回紹介した旧碓氷郡役所に隣接して建っている安中教会教会堂。

s_PC110211.jpg

外観はゴシック様式とし、石造の壁体にバットレス(控壁)を設ける。正面玄関左には鐘塔を配置する。

s_PC110214.jpg

屋根はかつては天然スレート葺であったが、現在は銅板葺に改められている。

s_PC110240.jpg

内部は天井をロマネスク風の円筒ヴォールトとし、突き当りの祭壇には2本の茨城県産大理石の石柱を立て、小川三知の作というステンドグラスを飾る。写真は祭壇側の外観。

s_PC110238.jpg

大谷石はフランク・ロイド・ライト設計の旧帝国ホテルに用いられたことで有名になったが、元来は北関東で蔵の建材などに使われてきた石材である。

s_PC110235.jpg

同じく大谷石を用いたキリスト教会堂として、栃木市のカトリック松が峰教会(昭和7年)がある。

s_PC110226.jpg

宗教家であり、教育者でもある新島襄(1843~1890)は、安中藩士の長男として天保14年(1843)に江戸で生まれ、元治元年(1864)に密航、米国のボストンに渡り、現地でキリスト教の洗礼を受けた。

s_PC110239.jpg

明治維新後の明治7年(1874)に宣教師として帰朝後、最初に伝道を行ったのが安中の地であった。

s_PC110230.jpg

安中教会は明治11年(1878)、新島襄に洗礼を受けた海老名喜三郎(安中教会初代牧師、のち同志社大学総長)などによって設立された。

s_PC110213.jpg

新島襄記念会堂とも称される現在の教会堂は、5代目牧師の柏木義圓、教会設立時からの信徒で群馬県会議長も務めた湯浅治郎などの尽力によって建てられた。

s_PC110223.jpg

大正7年(1918)の8月に着工、翌大正8年8月に竣工した。
設計者は古橋柳太郎。

s_PC110212.jpg

2階建の鐘塔を見上げる。

s_PC110232.jpg

正面扉の上には、新島家の家紋「根笹」のレリーフを飾る。

s_PC110241.jpg

教会堂のほか、宣教師館(旧ベーケン邸)、義圓亭(旧柏木義圓書斎)、温故亭(旧牧師館)の3棟が、平成16年(2004)に国の登録文化財となっている。

s_PC110220.jpg

通常は敷地内への立ち入りは出来ないが、平日に限り、事前予約制で内部見学が可能である。(日曜日は外観のみ見学可能)

第1048回・旧碓氷郡役所

s_PC110202.jpg

群馬県安中市安中3丁目にある旧碓氷郡役所は群馬県内で現存する唯一の旧郡役所庁舎で、明治44年(1911)に建てられた。安中市指定重要文化財。

s_PC110250.jpg

明治11年(1878)、郡区町村編成法の公布により、群馬県では17の郡が設置され、そのうち碓氷郡役所は中山道の宿場町である安中宿の旧本陣に置かれた。

s_PC110205.jpg

明治21年(1888)、旧安中城内の町口門北側に位置する現在の場所に移転、洋風建築の庁舎が新築されたが、明治43年(1910)、原因不明の火災によって焼失してしまった。

s_PC110206.jpg

翌明治44年(1911)、跡地に和風意匠の庁舎が再建された。再建に際しては、江戸時代に中山道沿いに植えられ、安中宿の名物として知られていた安中の杉並木が、外壁の腰壁や内部の天井板として用いられた。

s_PC110200.jpg

大正15年(1926)に、各郡役所が廃止されたことに伴い役目を終えた後は、碓氷郡農会、碓氷地方事務所、安中農政事務所と変遷を重ねたが最後は空屋となり、昭和49年(1974)に群馬県から安中市に移管された。

s_PC110204.jpg

平成8年(1996)、安中市指定重要文化財に指定されて創建当時の姿に復元、平成10年(1998)より「旧碓氷郡役所」として一般公開されている。

s_PC110248.jpg

群馬県内に残る唯一の郡役所建築であるが、全国的に見ても旧群役所の庁舎は貴重な歴史的建造物である。

s_PC110249.jpg

敷地内にある蔵は、かつての文書庫だろうか。

s_PC110251.jpg

展示されている古写真を見ると、石の門柱は焼失した先代庁舎の頃から存在するもののようだ。

s_PC110197.jpg

群馬県以外に残る郡役所建築では、兵庫県の旧七美郡役所旧出石郡役所や、山梨県の旧東山梨郡役所(現在は明治村に移築)などがある。
プロフィール

syoukou

Author:syoukou
(ブログについて)
現存する近代日本の歴史的遺産(台湾など旧日本領土も含む)を建造物・土木構造物を中心に、思いつくままに取り上げております。

(写真について)
写真は特記しない限り管理人の撮影です。また絵葉書等の古写真は管理人の所蔵品、もしくは訪問先の展示品を撮影したものです。利用・転載等希望される場合は管理人まで御連絡頂けると幸いです。

(リンクについて)
リンクはフリーです。なお、リンクを張らせて頂いている他の方のページは一部を除き相互リンクとなっております。

(コメントについて)
記事と関係の無いコメントは削除させて頂く場合もあります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード