第1086回・旧マッケンジー住宅

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静岡市駿河区高松にある旧マッケンジー住宅は、日本茶の輸出を行う貿易商であった米国人マッケンジー氏の住宅として、昭和15年(1940)に建てられた。設計は日本各地に多くの洋風建築を残した米国人建築家のウィリアム・M・ヴォーリズによる。国登録有形文化財。

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建主のダンカン・ジョセフ・マッケンジーは、米国の貿易商社の駐在員として妻のエミリー・マーガレッタ・マッケンジーと共に大正7年(1918)に来日、静岡市に居を構え日本茶の輸出振興に尽くした。昭和15年(1940)に、マッケンジー氏は日本に永住するため富士山と駿河湾を一望できる見晴らしのよい場所にスパニッシュ風の邸宅を新築した。

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邸宅を新築した翌年の昭和16年(1941)に大東亜戦争が勃発、「敵性外国人」となったマッケンジー夫妻は開戦後もしばらく日本に留まっていた。昭和18年(1943)、ついに帰国を余儀なくされるが、戦争が終わると昭和23年(1948)に再び来日、静岡の邸宅に戻った。

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マッケンジー氏は昭和26年(1951)に66歳で死去するがエミリー夫人はその後も静岡に留まり、私財を投じて社会福祉事業に尽くし静岡市では最初の名誉市民に選ばれた。昭和47年(1972)に高齢のため米国に戻る(翌年86歳で死去)が、その際に邸宅の敷地の半分を静岡市に寄贈、邸宅を含む残り半分は静岡市が購入した。

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赤い半円筒形のスペイン瓦で葺かれた屋根と、粗いスタッコ塗で仕上げたスパニッシュスタイルの外観を持つ旧マッケンジー住宅。塔を設けるのもスパニッシュスタイルの特徴である。塔の上階は展望室となっており、マッケンジー氏の趣味であった天体観測に使われていたという。下は階段室。

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アメリカ経由で日本に導入された建築様式であるスパニッシュスタイルは、大正末期から昭和初期にかけて中流以上の階層の洋風邸宅リゾートホテルミッションスクールなどで多く取り入れられた。旧マッケンジー住宅がある静岡市では、昭和9年に竣工した旧市庁舎がスパニッシュスタイルを取り入れたものになっている。

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スパニッシュスタイルは設計者のヴォーリズが得意とした様式のひとつであり、ヴォーリズによるスパニッシュ風邸宅は、静岡県内ではかつては熱海の蜂須賀侯爵別邸(昭和14年)があったが現存しない。静岡県外では近年東芝から日本テレビに所有が移った東京都港区高輪の旧東芝山口記念会館(大正14年、旧朝吹常吉邸)等が現存する。

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旧邸は現在、静岡市が所有・管理しており、無料で公開されている。
平成9年(1997)には国の登録有形文化財に認定された。

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玄関内部。床には布目模様が入ったタイルが敷き詰められている。

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玄関ホール及び階段室。
旧マッケンジー住宅は支那事変から大東亜戦争へと至る戦時体制による建築規制や建材や人手の不足など、時勢が徐々に厳しくなっていた頃に竣工したためか、内外装を含め全体的に簡素な造りとなっている。

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玄関ホールの先にある居間兼客間。天井はごく緩やかながらも曲線を持つドーム状に仕上げられている。

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簡素な部屋であるが、暖炉は緑色の蛇紋岩を用いた堂々としたもの。
暖炉棚の上にはマッケンジー夫妻の肖像画が飾られている。

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居間兼客間の隣にある書斎。
壁は板張りで仕上げられ、暖炉のほかに造りつけの書棚やクローゼットがある。邸内では最も重厚な造りの部屋である。

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書斎の暖炉。
居間兼客間のものとは対照的に、白大理石を用いた明るい色調とシンプルなデザインが特徴。

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書斎に隣接する骨董室。書斎と同様板張りの重厚に仕上げられた小部屋で、天井は金色の水玉模様となっている。マッケンジー氏が収集した日本の骨董品を陳列するための部屋として使われていたようである。現在は静岡茶の輸出の歴史について紹介する展示室となっている。

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書斎とは廊下を挟んで向かい合った位置にある食堂。邸内で最も広い部屋である。手前の雪洞のような形の照明器具はこの時期の邸宅で時折見られるデザインのものなので、創建当時からあるものと思われる。

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食堂は西側に大きくベイウインドウを張り出し、サンルームも兼ねている。

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食堂の隣には食器庫と配膳室を挟んで台所がある。ヴォーリズ設計の住宅は台所まわりが充実しているのが特徴であるが、旧マッケンジー住宅でも広く明るく、かつ機能的な米国式のキッチンとなっている。

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二階への階段室。展望室のある塔屋の下層部である。

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階段の踊り場には造りつけのベンチが設けられている。写真右側に少し写っているのは3階の展望室につながる階段である。(非公開)

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二階はマッケンジー夫妻の寝室及び浴室のほか、専用浴室も備えた客用寝室が2室、使用人部屋と裁縫室と称する作業室が設けられている。写真は客用寝室の1つ。

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客用寝室に附属する浴室の洗面所周り。古い設備類もよく残されている。

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使用人室は邸内では唯一の畳敷きの部屋。

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富士山を愛したというマッケンジー夫妻へのヴォーリズの心づくしか、食堂の飾り棚や居間の暖炉飾りには富士山をイメージしたデザインが施されている。

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敷地内にある「HOMAM 1940」の文字と星のマークが記された、河原石を固めて造られた碑。「HOMAM」(ホマム)はペガスス(ペガサス)座ゼータ星を意味するアラビア語で、マッケンジー夫妻が邸宅の愛称として名付けたもの。天体観測を趣味としたマッケンジー氏にふさわしいネーミングである。「1940」は竣工年である昭和15年を表す。

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旧マッケンジー住宅には台所の大型電気冷蔵庫やオーブンレンジ、自家用車など、豊かな物質文化を誇った1930~40年代のアメリカを伝える物が随所に残されている。

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敷地内の車庫に保存されている1947年型キャデラック。
マッケンジー夫妻が昭和23年に再来日する際に持ってきたと思われる。エミリー夫人の帰国までマッケンジー家の自家用車として使われていた。

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旧マッケンジー住宅は静岡市内に現存する数少ない戦前の洋風建築であるとともに、ヴォーリズ設計のスパニッシュスタイルの邸宅で現在保存されている数少ない建物のひとつであり、その意味でも貴重な存在である。
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第1085回・旧秩父宮御殿場御別邸(秩父宮記念公園)〔再訪〕

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平成25年(2013)7月30日付弊ブログ記事にて紹介した、静岡県御殿場市の秩父宮記念公園内にある旧秩父宮御殿場御別邸は、以前は内部撮影不可であったがその後撮影可能になっていたので改めて室内を中心に紹介したい。また、平成27年(2015)より公開されるようになった防空壕も併せて紹介したい。

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秩父宮記念公園の正門。
溶岩石を貼った柱と鉄柵を組み合わせた袖塀は旧御別邸時代からのものかも知れない。

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主屋遠景。前には枝垂れ桜の古木が立っている。
元々は、御殿場市深沢の庄屋も務めた旧家・小宮山家の主屋として享保8年(1723)に建てられたのを、日銀総裁や蔵相を務め、血盟団事件で暗殺された井上準之助(1867~1932)が購入、昭和2年(1927)に別邸として現在地に移築、土間を洋室に改めるなどの改造を加えたものである。

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東側から見た主屋。井上家別邸として移築された際設けられた洋室は東側にある。
昭和16年(1941)、肺結核を患い闘病中であった秩父宮擁仁親王(1902~1953)の療養先として御殿場が選ばれ、井上家別邸は買い上げられ療養室等を増築の上、秩父宮家御別邸となった。

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西側から見た主屋。西側には擁仁親王の療養室に充てられた座敷がある。
擁仁親王は昭和27年(1952)に鵠沼の御別邸に移るまで御殿場で療養されたが、翌昭和28年、50歳で薨去された。その後は勢津子妃が主に夏季の滞在に使用され、平成7年(1995)に勢津子妃が薨去された後、遺言により御殿場市に寄贈された。

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主屋の西側からは富士山がよく見える。
遺贈を受けた御殿場市は主屋を市の指定文化財に指定、主屋を含めた敷地全体は整備の上、平成15年(2003)より秩父宮記念公園として公開、現在に至る。

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主屋西側の硝子戸を嵌めた縁側はサンルーム的に使用されていたものと思われる。(日光浴も結核療養の治療法のひとつであった)縁側の下にあるトロッコ状のものは邸内で収穫した野菜の乾燥場である。戦中戦後の食糧難の時代には邸内に菜園が設けられ、秩父宮妃自ら野菜作りに励まれた。擁仁親王も具合のよいときは手伝われたという。

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主屋の背後には御別邸となった際に増築された別棟があったが、平成4年(1992)に改築された。現在は記念館として秩父宮両殿下の足跡や愛用品などを展示する場所に使われている。写真は記念館から見た主屋で、煉瓦を積み上げた洋室の暖炉煙突が見える。かつては屋根の上まで伸びていた筈だが、撤去されたのか下側しか存在しない。

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重厚な雰囲気の主屋洋室は、玄関を入ってすぐの位置にあり、元々は土間であった。ハーフチンバーの壁面や煉瓦積の暖炉など、英国風に仕上げられているが天井を走る太い梁に古民家ならではの趣を見せる。

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暖炉脇の扉は別棟(展示館)につながっている。扉の手前にある木の袖壁はその奥に配された暖炉との仕切り壁となっている。その向かい側にはステンドグラスを嵌めた造りつけの飾り棚が設けられている。

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暖炉。
天井を一段低くし、通路と仕切る上記袖壁で囲われたイングルヌック(炉端の小部屋)状の空間となっている。

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暖炉側から見た洋室。書斎や応接間として使われた他、食堂としても使われていた。奥から机、テーブル、ソファがそれぞれ配されている。これらの家具や調度品は、擁仁親王がかつて留学されていた英国から取り寄せられたという。

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洋室の隣にある炉の間。囲炉裏端は擁仁親王と勢津子妃のくつろぎの場であった。囲炉裏では現在も茅葺屋根の維持のため、定期的に火を焚いて燻蒸による害虫駆除等を行っている。

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炉の間の天井。
梁や柱に建物の長い歴史を感じさせる。照明は移築当時のものと思われる。

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炉の間の板戸の傍には掘り炬燵らしきものもある。
主屋には洋間、炉の間の他、床の間を備えた二間続きの座敷である西の間がある。擁仁親王の療養室として使われていた部屋であるが、この部屋は外からしか覗けない。

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洋間や炉の間にある照明器具は、移築された当時のものと思われる。

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旧秩父宮御殿場御別邸の敷地内には、戦時中に両殿下専用、将校専用、付き人用の3種類の防空壕が作られていた。戦後は物置等になったり長らく放置されていたが、両殿下専用及び将校専用の防空壕は補修整備の上、平成27年(2015)夏より公開されている。写真は両殿下専用防空壕の入口。

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両殿下専用防空壕の内部。2室で構成されている。

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戦争末期には御殿場市にも米軍の空襲があり、ここが避難場所として実際に使われたこともあるという。

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将校専用防空壕の入口。

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将校専用防空壕内部。
現存、公開されている防空壕としてはここ以外にも存在しており、栃木県日光市の旧古河鉱業足尾銅山掛水重役役宅や、東京都文京区の旧安田楠雄邸のものがある。

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御殿場市内にあった古民家が昭和初期に移築改造された例として、旧秩父宮御殿場御別邸の他に伊東市川奈にある川奈ホテル田舎家(昭和11年)がある。こちらも同じく江戸時代中期の建物とされ、規模や屋根の形状に類似性が見られる。

第1076回・川奈ホテル田舎家

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以前弊ブログにて紹介した静岡県伊東市川奈の川奈ホテルは、スパニッシュ風外観に英国風のインテリアを備えた純洋風のリゾートホテルであるが、昭和11年(1936)の開業に際して同時に設けられた和風の離れ家がある。江戸時代の古民家を移築改装したもので、本館と共に国の登録有形文化財である。

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昭和11年(1936)竣工の川奈ホテル本館。写真左側がサンパーラー、右側が大食堂(地階にはグリル)のある棟。設計は国指定重要文化財の日本橋高島屋旧前田侯爵邸の設計で知られる高橋貞太郎による。川奈ホテル本館についての詳細は弊ブログ記事を御参照頂きたい。(本記事投稿に合わせて内容を全面的に更新した)

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田舎家は大食堂から少し離れた木立の中に建っている。御殿場にあった江戸時代中期の建築と伝わる木造平屋建て、茅葺屋根の古民家を、数寄屋建築を得意とした建築家で茶人でもあった仰木魯堂(1863~1941)の手によって移築改造したものである。

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同じ御殿場の古民家を昭和初期に移築改修したものとして、これも以前弊ブログにて紹介した旧秩父宮御殿場御別邸(旧井上準之助別荘)がある。同じ地域の建物であるためか、屋根の形状等に類似性が見られる。

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開業当初はここで外国人客にすき焼きのサービスを行ったりしていたようだが、現在でも予約制の食事処としてすき焼きや天ぷら等の和食を供している。

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屋内は土間と座敷で構成されている。
間取りは移築に際し改造されているが、天井の梁や柱の配置などは古い形を残しているとされる。

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土間の天井。

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片隅に設けられたかまど。

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床には木煉瓦を敷き詰めている。

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土間は椅子式の客席となっており、カウンターと囲炉裏の2種類の席が用意されている。

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畳敷きの座敷席。奥には床の間付きの座敷もある。

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当時、富裕層の間では古民家を移築改造して離れや茶室、別荘として用いるのがちょっとした流行となっており、川奈ホテル田舎家もその延長にあるものと考えられる。

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弊ブログで以前紹介した古民家を利用した近代の別荘や茶室の例として、上述の秩父宮御別邸や強羅の白雲洞茶苑、軽井沢の三五荘などがある。

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また、ホテル開業に際しては外国人観光客を主たる利用者として想定したであろうことを考えると、日本情緒を醸し出すこの手の施設は必須でもあったと考えられる。

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本館の重厚な英国風の大広間や談話室、モダンなサンパーラーなどとはまた異なる趣を有する田舎家は、川奈ホテルの建築的魅力に一層の厚みと深みを加える存在となっている。

第1066回・旧エンバーソン住宅

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静岡市駿河区池田にある旧エンバーソン住宅は、明治37年(1904)に宣教師館として現在の静岡市葵区西草深に建てられた。静岡市内に現存する数少ない明治時代の西洋館である。静岡市指定有形文化財。

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現在は静岡市立日本平動物園に隣接した地に移築されており、動物園には入園せずに見学できる(駐車場はないため日本平動物園の有料駐車場を利用)が、案内等が少なく分かりにくいのが難点である。

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カナダからキリスト教伝道のため日本に派遣された宣教師であるロバート・エンバーソン師の自邸として建てられた。

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エンバーソン師の帰国後も、代々の宣教師や牧師の住まいとして80年以上にわたってその役目を果たしてきた。

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しかし老朽化が進み、所有者であった日本基督教団静岡教会によって新たな施設の建設のため、一時は解体されることになっていた。

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昭和61年(1986)、教会から建物の寄贈を受けた静岡市によって移築保存が図られることになった。翌昭和62年(1987)に現在地への移築工事が完了、同年より一般公開され、現在に至っている。

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国の登録有形文化財を経て、平成21年(2009)に静岡市指定有形文化財となっている。

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移築前の昭和33年(1958)に附属の厨房及び和室が撤去されている。写真中央は今はない厨房につながっていた配膳口。したがってこの部屋は元々は食堂として使われていたと思われる。

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上記、一部分の撤去と改修が行われた点を除くと、明治期の洋風住宅の造りをよく残している。

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アーチ型の欄間とその下に立てこまれた和風の引き戸という和洋の取り合わせが珍しい。

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木製の便座が置かれた便所は創建当初の形式を復元している。

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玄関ホールを兼ねた階段室。

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二階から望む階段。
付きあたりの扉は玄関ポーチ上部のバルコニーに出られるようになっている。

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静岡市の中心部は昭和15年(1940)の大火で大半が焼失し、その後間もなく戦災にも遭ったことで、昭和初期以前の古い建造物は県庁所在地にも関わらず、静岡市庁舎静岡県庁舎静岡銀行本店などを一部を除き、現存するものは多くない。

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旧エンバーソン住宅は、静岡市内に現存する数少ない明治時代の西洋館であると同時に、静岡県内に残る唯一の外国人宣教師住宅でもある。

第939回・安田屋旅館

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静岡県沼津市内浦三津にある安田屋旅館は、太宰治が代表作のひとつ「斜陽」を執筆するため滞在していたことで知られる。大正から昭和初年に建てられたという、太宰が滞在していた当時の建物で現在も営業を続けている。国登録有形文化財。

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全景。手前の平屋建が玄関棟、奥の二階家が客室棟。明治20年(1887)に漁村の旅籠として創業した安田屋は、大正7年(1918)現在の三津浜に移転、観光旅館として装いを新たにした。

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3つの瓦屋根が雁行型に連なる外観が特徴の客室棟全景。
大正7年(1918)から昭和6年(1931)にかけて建てられた客室棟が国登録有形文化財。

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3つの瓦屋根のうち、玄関側の2棟(写真左側)が大正7年に建てられた「松棟」、一番奥(写真右側)が昭和6年に建てられた「月棟」

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三津浜は駿河湾越しに富士山も見える穏やかな景勝の地であるが、移転当時は淋しい場所であったとされ、地元民からは狐が出ると恐れられていたという。

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松棟の廊下。

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太宰治は昭和22年(1947)、安田屋旅館に滞在して「斜陽」を執筆した。
松棟の二階(月見草の間)に滞在していたという。

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太宰治も昇り降りしたと思われる、松棟の螺旋階段。

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月棟の階段。

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松棟の一階、月見草の間の真下に当たる客室。

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凝った意匠の床の間。

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ヒョウタンを二つに割ったような形の飾り窓。

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広縁。
天気が良ければ、駿河湾の先に富士山が見える筈なのだが。

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外から見た松棟。
階上が月見草の間。

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静岡県内で太宰治ゆかりの旅館としては、安田屋のほか、熱海市の「起雲閣」(現在旅館は廃業、熱海市が所有・公開)がある。
プロフィール

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現存する近代日本の歴史的遺産(台湾など旧日本領土も含む)を建造物・土木構造物を中心に、思いつくままに取り上げております。

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