第1056回・河野美術館(旧河野医院)

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岡山県津山市勝間田町にある河野美術館は、洋画家の故・河野磐氏(1920~2011)が生家を改装して開いた私設美術館。幕末に建てられた町家と、医院として大正時代に増築された洋館とで構成されている。

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旧出雲街道に面し、国の重要伝統的建造物群保存地区にも指定されている、城東町並み保存地区の一角にある河野美術館。

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町家部分は慶応3年(1867)、洋館部分は大正7年(1918)、当時河野家は医院を開いていたことから、診察棟として建てられた。

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平成14年(2002)、河野磐氏によって河野美術館が開かれた。主屋と洋館は往時の姿を残し、その奥にあった離れと蔵の跡地を展示室として利用していた。 

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その後主屋と洋館の老朽化が進み一時は解体も検討されたが、幸いにして保存改修されることとなり、平成22年(2010)に改修工事が完成した。現在は主屋と洋館の内部も展示室として公開されている。

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平成23年(2011)に河野磐氏は逝去されたが、美術館は引き継がれており毎週土・日に公開されている。

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平成25年(2013)に「津山市城東」として国の重要伝統的建造物群保存地区にも指定された城東町並み保存地区。河野美術館のほか、これまで当ブログで紹介した建物も点在する。写真中央に写るのは「城東むかし町家」として公開されている旧梶村家住宅

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河野医院洋館と同時期の建設で、仏閣風の外観を持つ特異な銀行建築である旧妹尾銀行(旧津山洋学資料館)。外観のみならず技巧を凝らした内部は是非見学したいところだが、未だ内部非公開。

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平成28年(2016)に国指定重要文化財となった旧苅田家住宅。
江戸時代中期の建物で、造り酒屋としての建物群が完全な形で残されている。
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第1037回・旧日本銀行岡山支店(現存する大正期の日銀店舗)

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以前弊ブログでは、戦前に建てられた日本銀行の本支店店舗のうち、明治期に建てられ現存する4件(本店大阪支店京都支店小樽支店)について紹介したが、今回は大正期に建てられた旧岡山支店を取り上げる。明治・大正・昭和の三代に亘って、日本銀行をはじめ多くの銀行を手掛けた長野宇平治の設計で大正11年(1922)に竣工した。現存する大正期の銀行建築としても、特に優れたもののひとつである。国登録有形文化財。

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岡山城の二之丸跡である岡山市内山下1丁目に、日銀岡山支店が設置されたのは大正11年(1922)のことである。開設に合わせて初代店舗として建てられ、昭和62年(1987)にすぐ近くに建てられた新店舗に移転するまで55年間使用されていた。

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日銀支店としての役目を終えた後は岡山県が購入、当初は県立図書館への転用が計画されていたが再検討が重ねられた結果、外観及び旧営業室の内部空間を活かした多目的ホールとして再生されることになり、耐震補強を兼ねた改修工事は平成17年(2005)に完成、同年国の登録有形文化財となった。

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現在は「おかやま旧日銀ホール(愛称:ルネスホール)」の名で音楽や結婚式場などに利用されている。 旧店舗本館の周囲を囲っていた高い石塀や付属建物は殆ど撤去され、跡地は公園として整備されている。改修に伴い撤去された旧営業室のカウンターなどの石材は、公園の敷石やベンチなどに再利用されている。

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設計者の長野宇平治(1867~1937)は、明治30年から大正元年(1897~1912)まで日銀技師として、日銀の建築顧問であった辰野金吾と共に、大阪や京都、小樽など各地の支店の設計を行った。日銀を辞した後は設計事務所を開き、財閥系銀行から地方銀行まで多くの民間銀行の建築を手掛けていた。日銀岡山支店はその頃の作品である。

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近代日本の建築家の中でも、長野宇平治は特に古典様式に精通していた人物として知られ、旧日銀岡山支店のほか、現存する山口県の旧山口銀行本店(大正9年、県指定文化財)や奈良市の南都銀行本店(大正15年、国登録文化財)など、均整の取れた外観に精緻な石造彫刻が施された美しい建物が多い。

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以前取り上げた福井県の旧大和田銀行本店の重要文化財指定に際し、国の重要文化財に指定されている銀行建築は現在、明治と昭和だけで大正のものは1棟もないという事実に気が付いた。旧日銀岡山支店や先述の旧山口銀行本店などは、大正期の銀行建築を代表する秀作として重要文化財に指定されてもよいと思うのだが。

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本館角の角柱の柱頭飾りと軒まわりの装飾。

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飾り格子を嵌め込んだ一階の窓の下の帯には、波の模様が施されている。

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旧日銀岡山支店の構造は、壁面を煉瓦及び石積とし、柱や床は鉄筋コンクリート、屋根は鉄骨トラス構造を用いる混合構造となっている。施工を行ったのは大阪に本社を置く建設会社である㈱藤木工務店で、同社が創業後最初に請け負った工事とされる。

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この建物の外観を一番特徴づけている正面の4本の石柱に施された、緻密な彫刻の柱頭飾り。

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石柱及び一階外壁の基壇部分は、後年行われた道路の嵩上げにより、一部が地中に埋もれてしまっているという。

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近くから見上げると、すっくと立つ4本の石柱はかなり迫力がある。

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かつての正面玄関は現在は使われておらず、脇に新設された新しい玄関から入るようになっている。

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重厚なブロンズ製の玄関の門燈。

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長野宇平治は昭和2年(1927)、関東大震災で被災した日銀本店の修築及び増築工事設計のため再び日銀に入り、技師長となる。その後、昭和12年に70歳で逝去するまで本店及び各地の支店の新築・改築の設計監理に従事した。

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現在は、本店の増築部分(昭和13年)、旧広島支店(昭和11年)、旧松江支店(昭和12年)の3棟が現存するが、また機会を改めてこれらの建物もいつかは紹介したい。

(弊ブログ内関連記事) 本文中で言及した建物以外に現存する長野宇平治の設計作品
旧北海道銀行本店
旧大倉精神文化研究所

第963回・岡山市水道記念館

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岡山市水道記念館は、明治36~38(1903~05)に建てられた三野浄水場の旧動力室・送水ポンプ室の建物を改装、昭和60年(1985)に開館した。華やかな意匠が施された木造の玄関ポーチと赤煉瓦の外壁の組み合わせが美しい建物。国登録有形文化財。

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岡山市水道記念館は、岡山市北区三野の三野浄水場構内にあり、無料で公開されている。

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三野浄水場は岡山市で最初の近代上水道施設であり、明治38年(1905)より通水を開始した。

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岡山市に上水道が引かれたのは、横浜、函館、長崎、大阪、東京、広島、神戸に次いで、全国でも8番目であった。

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正面上部に立ち上がる壁面には、「坎徳無窮」(かんとくむきゅう、水の徳は永遠に続くという意)の文字が刻まれている。

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玄関の両側には、それぞれ大きさが異なるアーチ窓が配されている。

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この建物の外観を印象づけている、凝った意匠の玄関ポーチ。

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玄関ポーチの天井は、格式の高い書院座敷などで用いられる折り上げ格天井になっている。

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用途は浄水場を稼働させるボイラーと送水ポンプを収納、稼働させるための建物である。
玄関まわりだけを見る限り、そのような用途は想像できない。

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側面から背面を望む。

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変化に富んだ華やかな正面と異なり、背面は簡素で整然とした印象。

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水道記念館の隣にある旧動力室煙突。八角形煉瓦積みでかつては高さが30メートル程あったが、現在上部が撤去されている。現在も非常用ボイラーの煙突として現役である。

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水道記念館の背後にある、三野浄水場緩速ろ過池。明治38年の創設時の4基の緩速ろ過池のうち、現存する2基であり、現役で稼動している。水道記念館、旧動力室煙突と共にいずれも国登録有形文化財である。

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初期の近代上水道施設で、記念館として公開されているものは各地に存在する。当ブログでも岡山と同様、かつてのポンプ室を活用した大阪神戸の資料館を取り上げている。

第955回・旧第十七師団偕行社(岡山偕行社)

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岡山市北区の岡山県総合グラウンド内、総合グラウンドクラブとして使われている洋館は、明治43年(1910)に、旧陸軍第十七師団偕行社(岡山偕行社)として建てられた。現在も各地にいくつかが現存している旧偕行社の遺構のひとつである。国登録有形文化財。

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岡山県の総合グラウンド南東部に建っている旧偕行社。この地はかつて第十七師団練兵場であった。
なお、昭和43年(1968)と平成15年(2003)の2度にわたり、敷地内での移築がなされている。

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竣工当初の古写真。(建物脇に置かれた解説版より)
当時は窓枠や軒、柱は壁面とは異なる濃い色で塗られていたようだ。

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ほぼ同じ角度からみた現在の姿。現在は灰色一色に塗られている。

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偕行社は、帝国陸軍の将校准士官の親睦・互助・学術研究組織として設立された。明治10年(1877)に東京・九段に設置されたのを始まりとして、以降、各地の師団司令部所在地に偕行社が設立された。 

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現在も、旧陸軍の元将校・将校生徒・軍属高等官および、陸上自衛隊の元幹部の親睦・互助・学術研究組織「公益財団法人偕行社」として活動を続けている。

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現存する旧偕行社の会館は各地にいくつかあり、その多くは国の重要文化財、或いは登録文化財となっている。

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国の重要文化財となっているものでは、北海道旭川市の旧旭川偕行社(第七師団)、青森県弘前市の旧弘前偕行社(第八師団)、善通寺市の旧善通寺偕行社(第十一師団)があり、いずれも文化施設等として公開・活用されている。

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国の登録文化財となっているものでは、今回紹介した旧岡山偕行社のほか、以前紹介した石川県金沢市の旧金沢偕行社(第九師団)がある。

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旧岡山偕行社の建物は戦後、内部を改装し岡山労働基準局の庁舎に転用、昭和40年代まで使用された。その後昭和43年に近接地に移築、岡山県スポーツマンクラブとして合宿所などに使用された。

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平成15年に再度移築、平成24年(2012)には国登録有形文化財となった。現在は岡山県総合グラウンドのクラブハウス的な存在として公開・利用されている。

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一階玄関前の廊下。

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建物の両脇に階段室を配している。

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階段親柱には旧帝国陸軍の星マークがあしらわれている。

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装飾的な親柱や手摺を持つ階段は、館内のみどころのひとつ。

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二階は、かつて偕行社として使われていたときは大広間であったが、戦後の改装によると思われる間仕切りが現在もそのままになっている。

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二階旧大広間の天井には、金属板をプレスして装飾を打ち出したパネルを張りつめている。

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旧偕行社の正門なのか、歴史を感じさせる御影石の門柱が残されている。

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岡山市内に残る希少な明治の木造洋風建築である。

第948回・中島病院旧本館(城西浪漫館)

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大正6年(1917)に建てられた岡山県津山市田町の中島病院旧本館は、津山高校本館等と並ぶ津山の代表的な洋風建築である。当時の院長であった中島琢之を津山に引き留めるために、地元の名士達が建てた館。現在は津山市が所有、「城西浪漫館」として公開されている。国登録有形文化財。

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「城西浪漫館」の名称は、中島医院旧本館が建つ津山市田町は城下町の西側(城西地区)にあることに由来する。中島医院は現在も田町で診療を行っており、旧本館は敷地の一角に建っている。なお、以前当ブログで紹介した旧土居銀行本店・翁橋もすぐ近くにある。

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館内に展示されている、昭和期撮影の古写真。かつては旧本館の別棟として、平屋建のレントゲン室棟が本館と同じ意匠で建っていた。また裏手には和室の病棟が続いていたという。

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現在は旧レントゲン室棟・旧病棟は撤去・改築され、本館との接続部分に当たる開口部は塞がれている。
写真は旧本館側面。

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中島医院の院長であった中島琢之(1885~1956)は、東京帝国大学医科大学を卒業後、日本医学専門学校(現・日本医科大学)教授等を務めていたが、地元からの懇望を受け、大正3年(1914)に津山市元魚町に中島医院を開業した。医院は繁盛するものの中島琢之は東京へ戻って再び研究に従事することを望んでいた。

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妹尾順平(妹尾銀行(現・中国銀行)頭取)を中心とする津山の名士達は、中島を津山に留めるため、レントゲンなど当時の最新機器を備えた病院を、当時津山でも一番の繁華街に近かった現在地に新築して贈った。中島はその熱意に応え、以後東京には戻らず津山を拠点に活躍、岡山県医師会会長などを務めた。なお、医院の建設費用は後日全て返済したという。

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また中島琢之は政治家としても活動を行い、市会議長、衆議院議員を経て、津山市長を戦前から戦後にかけて3期務めている。(市長在任時の庁舎は津山郷土博物館として現存)
旧本館の前には現在、中島琢之氏の胸像が建っている。

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旧本館の設計施工は、津山市川崎にある妹尾銀行の林田(はいだ)支店(旧津山洋学資料館)も手掛けた池田豊太郎による。池田棟梁は何かと現場にやって来ては注文を付ける施主の妹尾順平氏と議論を重ねながら工事を進めたという。

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妹尾順平氏は所謂普請道楽、建築に凝る人物であったと見え、旧中島医院、旧妹尾銀行林田支店のほか、旧妹尾銀行林野支店(現・美作歴史資料館)など、氏が施主となった建物はどれも内外装共に凝った造りとなっている。

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旧本館は役割を終えた後も、長らく中島医院により保存されてきたが、老朽が進み一時解体も検討された。しかし多くの市民の要望を受け保存されることになり、平成20年(2008)に建物は中島医院から津山市に寄贈された。

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津山市では官民協働による地域の情報発信施設として活用を図るため、老朽化した建物の修復整備を行い、展示室・カフェ・多目的資室を備える「城西浪漫館」として甦った。平成22年(2010)には国の登録有形文化財となっている。なお、管理運営は市が指定した民間事業者が行っている。

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1階玄関ホールと旧受付。病院時代は待合室、診察室、治療室などが配されていた。現在は中島琢之氏及び中島医院、旧本館建物について紹介する展示室と喫茶軽食を提供する喫茶室がある。

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2階の階段室。病院時代には2階は院長室や特別な患者用の貴賓室が置かれており、当地出身の元首相・平沼騏一郎(1867~1952)が入院していたこともあるという。現在2階は多目的用の貸室と、蘭学者で津山藩医の宇田川榕菴(1798~1846)についての展示室などがある。

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旧院長室。先述のとおりレントゲン装置などの最新機器を備え、院長が帝大卒という中島医院は戦前は津山のみならず、美作地域でも名声の聞こえた医院であったと思われ、大量殺人事件として名高い津山事件の犯人・都井睦雄も診察を受けに来たことがあるという。

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旧院長室の暖炉。暖炉は館内に4基あり、それぞれ異なる種類の大理石を用いてデザインも細部が異なる仕上げが施されている。(その他3基の暖炉や館内の写真はこちらのページでも見られる)

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1階の現在カフェとなっている部屋と、2階の旧院長室の天井はそれぞれ折り上げ格天井となっているが、院長室の方がより高価な材を用いているようだ。

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天井に漆喰仕上げが施された2階の一室。

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2階、正面車寄せの上部にあるバルコニー窓から津山市街を望む。
津山城址の石垣が小さく写っている。

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中島医院旧本館は、城西浪漫館として津山の新たな観光名所となりつつある。
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