第1011回・篆刻美術館(旧平野家表蔵棟・裏蔵棟)

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茨城県古河市中央町二丁目にある篆刻美術館は、この地で酒類卸売業を営んできた平野家によって大正9年(1920)に建てられた2棟の石蔵を、古河市が全国的にも珍しい篆刻専門の美術館として活用したもの。城下町及び宿場町として繁栄していた古河の隆盛を伝えている。国登録有形文化財。

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現在は表蔵・裏蔵の2棟のみが現存する。主屋の跡地には、美術館の別館が建てられている。

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栃木県及び茨城県ではよく見られる大谷石を用いている。

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内部はかつて一階が洋間、二階が納戸、そして三階には数寄屋風書院の座敷があったという。

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現在は内部を改装し、二層の展示室になっている。
階下の展示室のみ、壁や天井にかつての洋間の面影を残している。

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3階建の石蔵は当地のランドマークであったが、平成3年(1991)に古河市の手によって、日本で初めての篆刻専門の美術館として生まれ変わった。

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裏蔵。こちらは2階建。
表蔵と裏蔵の間には鎮守社の跡も残されている。

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館内では古河出身の篆刻家・生井子華(1904~1989)の作品を中心に、篆刻にかかわる封泥や石印材を常設展示している。

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主に裏蔵を会場として、現在活躍している篆刻家たちの作品展示や、古河市内小中学校生や全国高校生の篆刻作品展示も行われているという。

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古河城の城下町及び日光街道の宿場町として、江戸時代から近代に至るまで繁栄していた古河の歴史を伝える建物のひとつである。
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第979回・武蔵屋店舗

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茨城県古河市横山町にある鰻料理店・武蔵屋の店舗は、明治中期に建てられた重厚な外観が特徴。元々は茶屋の建物として建てられ、明治末期に武蔵屋が譲り受けて今日に至っている。国登録有形文化財。

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武蔵屋店舗は旧日光街道の古河宿に西面して建っている。明治中期に、茶屋(遊郭であったとも言われる)「漆屋」の店舗として建てられた。明治44年(1911)に武蔵屋が取得、それ以降は鰻料理店として使われている。

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背面。
平成22年から翌年にかけて、背面にあった後年の増築部分を撤去するなど大規模な改装を行っている。

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重厚な土蔵造ながらも、茶屋として建てられたためか、二階前面には開放的な縁側を設け、街道を見下ろす造りになっている。

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外観でもとりわけ重厚さが現れている屋根瓦。

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一階の腰壁部分は石貼とする。北関東でよく見られる大谷石にも見える。

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銘木が真ん中に立っている店舗内部。

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当初からの造りか後年の改装であるかはわからないが、内部は吹き抜けになっている。

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江戸時代以来の宿場町の面影を伝える料理屋建築である。

第969回・旧古河町役場

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茨城県古河(こが)市中央にある古河テクノビジネス専門学校の建物は、昭和3年(1928)に建てられた旧古河町役場庁舎を増改築したもの。古河市に残る数少ない近代洋風建築である。

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旧建物の壁面のみを残して建て替えたようにも見えるが、ガラス張りの部分は増築であり、旧建物は構造体も含めて現存する。(但し内部は改装されている)

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古河は江戸時代には古河城の城下町及び日光街道の宿場町として繁栄していた。戦災も免れたため、今日も市街地の中心部には土蔵造の商家や武家屋敷が点在するが、近代洋風建築は珍しい。

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昭和25年(1950)の市制施行に伴い、初代古河市庁舎としても使われた。

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古河テクノビジネス専門学校のホームページによると、校舎の竣工は昭和62年(1987)とあるので、現在の姿になったのはこの時期と考えられる。

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外壁に貼られた明るい黄褐色のタイルは、昭和初期の建物によく見られる引っ掻き傷を付けたスクラッチタイルである。

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新旧のデザインの取り合わせの良し悪しは、ここでは触れない。旧い建物を残したことに対して敬意を表するに止めておきたい。

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側面の外壁。
背面にも旧建物の外壁が残されているが、背面はスクラッチタイル貼りではなくモルタル仕上げになっている。

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側面の窓の一部には、創建当初のものと思われるスチールサッシが残されている。

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茨城県内では同時期の町役場庁舎で現存するものとして、昭和11年竣工の旧太田町役場(現・常陸太田市郷土資料館)がある。

第960回・旧太田銀行(塩町館)、旧太田協同銀行(常陸太田市郷土資料館分館)

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前回紹介した茨城県常陸太田市の旧太田町役場(梅津会館)の傍に、明治時代に建てられた土蔵造の銀行建築が2棟残されている。

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常陸太田市の中心部は「鯨ヶ丘」と呼ばれる 台地上にあり、棚倉街道沿いの商業の集積地として繁栄していた。現在もその名残として古い商家や土蔵が多く残されている。

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そのような家並みの中に、洋風意匠を加えた土蔵造の建物が建っている。
明治時代に建てられた旧太田銀行の建物で、現在は改修され、「塩町館」という蕎麦屋になっている。

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屋根瓦には「銀行」の文字がある。

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アーチ風の曲線を描く玄関ポーチ。おそらく創建当初からの形状と思われる。それまでの伝統的な商家には無い、明治期ならではの洋風を意識した造りである。

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内部。
店内の一部は吹き抜けになっているが、一階の天井梁はそのまま残されている。
菱形の硝子戸は改修に際し新たにデザインされたものと思われるが、建物の雰囲気によく調和している。

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吹き抜けの上部は二階の小屋裏まで見えるが、これも改修後のデザインと思われる。

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太田銀行は明治18年(1885)から大正2年(1913)まで存在していた銀行である。
建物の建設時期も、この間と思われる。

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大正2年に土浦五十銀行に買収された後は、五十銀行を経て現在の常陽銀行に続いている。

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旧太田銀行とは目と鼻の位置にある、旧太田協同銀行の建物。前回紹介した常陸太田市郷土資料館の分館として使われていたが東日本大震災で被災、現在も休館中である。

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旧太田銀行(右)と旧太田協同銀行(左)。
なお、旧太田町役場は写真撮影場所からすぐ後ろの位置に建っている。

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太田協同銀行は明治14年(1881)から大正10年(1921)まで存在していた銀行である。その後常磐銀行を経て、旧太田銀行と同じく現在の常陽銀行に続いている。(以上、「銀行変遷史データベース」を参考にさせて頂いた)

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東日本大震災では怪我人は無かったものの、屋根瓦は大きく崩れ、壁には大きな亀裂が生じ、内部では金庫が倒れるなど大きな被害を受け、未だ復旧していない状況である。(参考:常陸太田市郷土資料館ホームページ

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なお、旧太田協同銀行だけではなく、周辺には未だ屋根などに震災の傷跡を残している建物が点在している。

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常陸太田市郷土資料館の本館である旧太田町役場の修復は完了したので、次は分館の修復が待たれる。

第959回・常陸太田市郷土資料館梅津会館(旧太田町役場)

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茨城県常陸太田市にある常陸太田市郷土資料館の建物は、昭和11年(1936)に太田町(当時)役場として建てられた。当地出身の実業家である梅津福次郎氏の寄附によって建てられたことから、梅津会館とも称されている。国登録有形文化財。

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昭和初期における町役場の庁舎としては、鉄筋コンクリート造の本庁舎は極めて先進的なものであったと思われる。梅津福次郎氏は函館を本拠に活躍していた実業家で、役場庁舎の改築のほかにも故郷のために多額の寄付を行っていた。

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昭和29年(1954)に太田町が常陸太田市になったあとは、市庁舎として昭和53年(1978)まで使用されていた。翌年、常陸太田市郷土資料館となり、現在に至る。

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建物の前にある、創建と同時に建てられた梅津福次郎氏の胸像。像自体は戦時中の金属供出で失われ、戦後に再建されたが、石造の台座は創建当初のものが残されている。

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クリーム色のタイルを貼った外壁。

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側面、職員通用口を望む。

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玄関ポーチ。

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玄関ポーチのアーチの縁取りや要石にはテラコッタが使われている。

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1階執務室。入口を入ってすぐの位置に、創建当初のカウンターが一部残されている。

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上記のカウンターや階段室の親柱には、当地で採掘されていた寒水石(大理石)がふんだんに用いられている。

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2階はかつて、町会の議場を兼ねた会議室であった。改修に際し、創建当初の姿に復元が図られた。

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議壇も創建時のものがそのまま残されている。

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東日本大震災では一部損傷を受けたが、平成26年(2014)に耐震補強と竣工時の姿に復原する工事が行われた。
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