第1167回・旧山中正吉邸

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滋賀県蒲生郡日野町西大路に、静岡の富士宮で酒造業を営んでいた日野商人・山中正吉家の本宅がある。幕末から昭和期にかけて建てられた和と洋の建物で構成される邸宅は現在、「近江日野商人ふるさと館 旧山中正吉邸」として一般公開されている。 日野町指定有形文化財。

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当地の氏神であり、日野商人の崇敬を集めていた馬見岡綿向神社の参道沿いに建つ旧山中正吉邸。紅い緋毛氈が掛けられた窓は日野の旧家ではよく見られる桟敷窓で、春の例祭である日野祭の曳山を見るためのものである。通常は格子が閉じられているが、訪問時は祭があるときの設えになっていた。

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側面から見る旧山中正吉邸。間口も広いが奥行きはさらにあり、広大な敷地からは往年の隆盛が偲ばれる。
山中正吉家は、幕末に当たる文政~天保年間に富士宮で酒造業を始め、財を成した。戦後は酒造業から手を引いたが、酒蔵は現在も富士高砂酒造(株)として盛業中である。

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大正8年(1919)に敷地北側の大幅な拡張が行われたことにより、三代目山中正吉によって大正末期から昭和初期にかけて、洋室棟、新座敷、庭園等の整備が行われた。写真右側手前の建物が洋室棟で、その奥に屋根を見せているのが新座敷。

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門をくぐるとすぐ現れる主屋の玄関。
左側には自然石を立てた門があり、洋室棟の玄関に通じている。

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主屋玄関の土間。主屋は江戸時代末期の建物で、邸内では最も古い部分。この主屋に明治以降様々な建物が増築され、昭和13年(1938)頃には、邸宅の主要部が現在見られる姿に整ったとされる。

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神棚のある座敷。黒光りする太い柱や板戸など、田舎の古い農家でよく見られる佇まい。

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田の字型に四つの部屋を配して台所土間には竈(くど)を置いており、当地の伝統的な農家の造りとなっている。

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台所に面した「おちま」の一角に設けられた電話室には、山中家で使用していた古い電話機が現在も残されている。明治45年/大正元年(1912)の製造銘版がある沖電気(株)製の国産品で、レシーバーなどの附属品も一式揃っているという珍しい代物。

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主屋仏間の床の間。
床の間の向かいに仏壇が置かれていた。

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明治期に増築された座敷の一室。写真の座敷は四代目夫人が床の間に達磨を飾り、従業員への訓戒を行っていたことから「だるま部屋」と称されている。奥には女性の身支度部屋であった髪結場と称する二畳敷の部屋もあり、当時の暮らしが窺える。

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桟敷部屋。静岡の店の売上金を納める金庫や書類棚などが置かれ、この家の中心部であったと思われる。日野商人の多くは山中正吉家と同様、東日本に商業上の拠点を置き、本宅を日野に置いていた者が多かったという。

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旧山中正吉邸を特徴づけているのは、三代目当主によって大正から昭和初期に造営された洋室、新座敷などの質の高い接客空間である。五個荘の藤井彦四郎邸ほどの豪壮さはないが、造りの充実ぶりは相当なものである。

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大正15年(1926)以前には建てられていたと考えられる洋室棟。
暖炉を備えた重厚な洋室は、商談の場としても使われていたという。

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洋室棟は主屋と通路でつながっているが、別に洋風の専用玄関も備えている。洋室棟玄関の扉やホールの窓にはステンドグラスが飾られている。写真の左奥が洋室棟の玄関。

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家具調度を含め、大正時代で時が停まったような空間である。

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洋室の奥には昭和に入ってから完成した新座敷と庭園、来客専用の浴室棟がある。

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昭和2年(1927)頃には竣工したと考えられている新座敷の主室床の間。

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新座敷の六畳間から望む主室及び次の間。新座敷は主室、次の間、六畳間の三室が鉤の手形に配された接客用の座敷で、材料、意匠共に技巧を凝らす。

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専用の庭園と浴室を備えた贅沢な座敷である。現在はこの部屋で日野の郷土料理を賞味することもできる。(但し、一定人数以上での事前予約が必要)

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新座敷の向かいに建っている来客用の浴室棟。脱衣室と浴室で構成されており、屋根には現存する当時の建設書類に「レジスター」と記載されている金属製の湯気抜きが立っている。

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網代天井など数寄屋風の意匠が施された脱衣室。
浴室棟の建設時期は、昭和8年(1933)の設計図及び見積書が残されていることから、それ以降の竣工と考えられている。

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浴室内部。大理石の浴槽、シャワー、洗面台、窓のステンドグラスなど、ほぼ竣工当時のまま残されている。

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浴室のステンドグラスは新座敷から外側がよく見られるような配置になっている。
宿泊した客人が夜、浴室の明かりに輝くステンドグラスを見られるための演出であろうか。

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浴室と洋室玄関のステンドグラス。

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新座敷の便所と洗面所には、「山」と「中」の文字をデザインしたような意匠の建具を嵌め込んだ小窓がいくつも設けられており、それぞれ異なる種類の型押し硝子が入っている。

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洋室棟、新座敷の照明器具のいろいろ。

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近年まで山中家によって大切に扱われてきたこともあり、造りの良さもさながら保存状態は極めてよい。
旧山中正吉邸は平成27年(2015)、日野商人の代表的な本宅建築として有形文化財の指定を受け、同年4月より一般に公開されるようになった。

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滋賀県内に現存し公開されている近代の邸宅では、旧山中正吉邸はこれまでに紹介した旧伊庭貞剛邸旧山本春挙邸旧藤井彦四郎邸旧ヴォーリズ邸旧伊庭慎吉邸などと並ぶ優れた文化遺産であると思う。
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第1166回・旧藤井彦四郎邸(五個荘近江商人屋敷藤井彦四郎邸)

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滋賀県東近江市宮荘町にある「五個荘近江商人屋敷 藤井彦四郎邸」は、「スキー毛糸」の製造販売などで成功を収めた当地出身の実業家・藤井彦四郎が故郷に建てた邸宅。江戸時代からの旧い家屋をそのまま移築した主屋と、和洋併置の迎賓館で構成されている。迎賓館は山小屋風の洋館や総檜造りの客殿など、見どころが多い。

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石畳の奥に洋風の門を構える。この邸宅は迎賓館を兼ねた故郷の本邸で、生活の本拠は京都市左京区鹿ケ谷にあった京都本邸「和中庵」であった。現在、この邸宅はノートルダム女学院が所有しており、洋館と主屋の客殿部分、茶室、土蔵が現存する。(この邸宅は当ブログで以前紹介しているので御参照頂きたい)

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門を入ると正面に和風の客殿、向かって左側には迎賓用の洋館が建っており、右側には京都に移るまで藤井彦四郎の生活の本拠であった江戸時代創建の主屋が建っている。近江商人の家に生まれた藤井彦四郎(1876~1956)は、明治末年より人工絹糸(人造絹糸、レーヨン)の輸入販売を行い、日本の化学繊維市場の礎を築いた1人とされる実業家である。

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洋館は山小屋(シャレー)風の外観となっている。藤井彦四郎が産業視察のため欧州を訪れた際、スイスの山小屋に魅せられ建てたとされる。丸太を重ねたシャレー風の洋館は日本では比較的珍しく、東京の岩崎邸撞球室や越前海岸の右近家離れ、京都の大山崎山荘の茶室などがあるが、類例は比較的少ないと思われる。

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客殿と洋館の間に建っている小さな茶室風の建物は賓客用の便所である。

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洋館のテラスには以前は展示品の古い消防ポンプなどが置かれていたが、現在は他所に移されている。建物自体を展示対象として見せるためのこのような取り組みはすばらしい。

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(左)洋館の隅に1基だけ設けられている吹きさらしの小便所。迎賓用の建物になぜこのような外便所があるのか謎である。
(右)洋館玄関から便所棟を望む。この便所は内側からだけで、外からは出入りできない。

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洋館の内部は暖炉を備えた広間1室のみで、賓客の接待や社員の研修、地元住民との親睦など多目的に使われていた。テラスには洋館専用の玄関があり、客殿を通らずに外から直接出入りできるように造られている。

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邸宅の正面中央、正門の突き当りに設けられた客殿玄関。

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客殿と洋館は昭和7年(1932)より建設に着手、2年後の昭和9年(1934)に完成したとされる。但し宅地の造成や敷地内にあった主屋の移築など一連の工事は大正年間より着手しており、かなり長い期間をかけて造られた邸宅である。

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客殿は3室が続き間になった総檜造の平屋建書院造で、庭園に面して広い縁側を廻している。

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皇族など貴賓を迎えた書院座敷。椅子や火鉢は当時使用された特別製のものである。

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間取りは京都本邸「和中庵」に現存する客殿と非常によく似ている。

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書院座敷の床の間の天井は、精緻な造りの折り上げ格天井となっている。

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客殿から洋館へと続く渡り廊下。竹や丸太を用いた船底天井など数寄屋風に造られており、その途中には先述の賓客用便所がある。

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賓客用便所の内部。
手前には小便器と手洗用の手水鉢を配している。

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よく見ないと分からないが、蓮の葉を象ったと思われる手水鉢には蛙が一匹取りついている。

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重厚な雰囲気の洋館内部。太い格天井の天井板には杉皮が張られており、スイスの山小屋風の外観に対し、内部は和洋折衷の色合いが強い。

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暖炉は煉瓦積みで、山小屋風の外観にふさわしい素朴なものとなっている。

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創建当初からの家具調度類が残されているが、特徴的なのは欧州訪問の際に現地で買い付けたという古い廃船の備品(書棚、ポーカーテーブル)や暖炉上の操舵輪がある。なお、このとき同行した子息の藤井繁次郎は、昭和11年に京都に自邸を新築した際、前年に尾道で解体された英国の豪華客船のインテリアを移設している。(現存。国の登録有形文化財である。)

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客殿の前には藤井彦四郎の構想に基づいて造られたという、琵琶湖を象ったという庭園が広がっている。

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庭園側から見た洋館。

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庭園側から見る客殿。

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客殿の角に設けられた、月見台のような外縁側。

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外縁側を支える基壇の石には鳥、兎、亀などの動物がいた。

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客殿から主屋へと続く渡り廊下の手前には、賓客用の湯殿と洗面所も設けられている。

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客殿と主屋を結ぶ渡り廊下も数寄屋風の造りになっているが、途中の一部分のみ防火構造になっている。(写真右側手前の少し張り出した部分)台所など火を使う部分は主屋にあるので、万一の際に客殿に難が及ぶのを防ぐための工夫だろうか。

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寛政年間の築と伝わる主屋は、明治32年(1899)に藤井彦四郎の父である三代目藤井善助が買い与えたもので、昭和7年(1932)に敷地内で移築、改修が行われた。

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住居棟のほか土蔵や物置などの付属建物も含め、一式が原型通り移築されている。
客殿や洋館が建った後も、藤井家の人々の生活の場はこの主屋であったという。

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贅を尽くした客殿や洋館と異なり、ごく質素な造りの商家の建物であるが、藤井彦四郎にとっては成功を収めるまでの三十数年間本拠としていた、思い入れの深い建物であったようだ。

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旧藤井彦四郎邸は、現在は東近江市の施設「五個荘近江商人屋敷 藤井彦四郎邸」として一般公開されている。また、主屋は国の登録有形文化財となっており、客殿と洋館が滋賀県の指定文化財、庭園が名勝にそれぞれ指定されている。

第1164回・近江鉄道鳥居本駅

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前回紹介した滋賀県彦根市の鳥居本には、旧本陣の寺村家と同様に国の登録有形文化財となっている近江鉄道鳥居本駅舎がある。赤い屋根が特徴的な洋館駅舎は昭和6年(1931)の駅開業に際して建てられた。

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旧中山道から望む鳥居本駅舎。
寺村家などがある宿場町からは徒歩数分程度の距離にある。

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正面全景。赤い洋瓦を葺いた腰折れ(マンサード)屋根が特徴で、玄関ポーチと煙突が外観にアクセントを添えている。屋根が印象的な駅舎としては島根県出雲市の一畑電鉄出雲大社前駅と並ぶ存在である。

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駅のすぐ前を近畿と北陸を結ぶ幹線道路である国道8号線が通っており、車の往来が激しい。
写真を撮るには車の切れ目を狙う必要がある。

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なお、東海道新幹線もすぐ近くを走っており、新幹線の車窓からこの駅舎を見ることができる。

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近江鉄道は滋賀県下では最古の私鉄で、明治29年(1896)に設立され、最初の路線である彦根~愛知川間が明治31年(1898)に開業した歴史を有する。

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両側の側面にはアーチ型の高窓を設ける。

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駅正面の玄関ポーチ。

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玄関ポーチのある正面向かって左側が待合室で、右側が駅務室となっているが、現在は無人駅である。

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待合室内部。

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屋根の形がそのまま天井の形状に反映されている。

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プラットホームから線路越しに望む駅舎。

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平成25年(2013)に国の登録有形文化財となっている。

第1163回・寺村家住宅と鳥居本の街並み

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滋賀県彦根市にある鳥居本町は、かつての中山道63番目の宿場(鳥居本宿)で、現在もかつての宿場町の面影を残す家並みが残されている。その一角に建つ寺村家はかつての本陣であり、現在の建物は、昭和12年(1937)に近江八幡を拠点に活動した米国人建築家ヴォーリズの設計により改築されたもので、和洋折衷の外観が特徴である。国登録有形文化財。

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かつての本陣跡とあって、周辺の家よりは広い敷地の奥まった位置に建つ寺村家。
慶長8年(1603)に、中山道の宿場が鳥居本に移って以来、この地に本陣を構え多くの大名が宿泊した。

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広大な本陣の建物は明治維新後、宿舎部分は敷地と共に売り払われ、昭和初期には老朽化の進んだ住居部分だけが残されていた。これを建て替えたのが現在の建物である。なお、敷地内にある倉庫の扉には本陣の門扉が再利用されている。

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和風のこじんまりとした二階家であるが玄関脇にはどっしりとした煙突が立ち、暖炉のある洋室が存在することが窺える。

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改築設計の依頼を受けたヴォーリズは改築前の本陣の建物を見に来たという。古い本陣の雰囲気を継承させようとしたのか、周囲の家並みと調和させようとしたのか、二階は天井を低くして虫籠窓風の窓を配するなどの和洋折衷の試みが見受けられる。

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数寄屋風の玄関ポーチの横は応接間であり、暖炉用の煙突を挟んで洋式の縦長窓を並べる。
室内も和室が中心であるが、応接間と階段室は洋風に造られているという。

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ヴォーリズは洋風をベースにしつつも和風を積極的に取り入れた住宅を多く設計しているが、古民家風の意匠を取り入れた寺村家の建物はヴォーリズの住宅としては少し異色の存在ではないだろうか。

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鳥居本の街並みは往年の宿場町の風情を残しており、街道沿いには古い町家が今も残されている。これらの中には国もしくは市の指定文化財、寺村家と同様登録文化財となっている建物もある。

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寺村家の向かい側にある岩根家は彦根市の指定文化財。宿場町として賑わっていた頃、当時の旅人には必須の品であったであろう、合羽(カッパ)を造る家であった。現在も軒下には合羽を象った大きな木製看板が吊り下げられている。

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街道が大きくうねる位置に建つ有川家(赤玉神教丸本舗)は、当地に現在残る旧い家の中では最も広壮で重厚な構えを見せている。写真の主屋と隣接する書院、付属の蔵などが国の重要文化財に指定されている。

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有川家は薬の製造販売業を営んでおり、現在も有川製薬(株)としてこの地で盛業中である。

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複雑な形状の屋根を連ねた書院棟とその前に設けられた薬医門。
書院は明治天皇が全国を巡幸された際の休憩所となった由緒も持つ建物である。

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鳥居本では地元の人々によって古い街並みを残すための活動が行われており、寺村家を始めとするいくつかの古い建物が登録文化財になっているのもその成果と思われる。これらの建物と街並みが今後より実効性のある制度で保全されていくことを願うばかりである。

第1023回・スミス記念堂(旧須美壽記念禮拝堂)

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滋賀県彦根市本町三丁目、彦根城の堀端に建つスミス記念堂は、昭和6年(1931)に日本聖公会彦根聖愛教会の牧師で彦根高等商業学校の英語教師でもあったパーシー・アルメリン・スミス氏の祈願により、彦根城の旧・中濠端(現・外濠)に建設された和風礼拝堂。平成19年(2007)に現在地に移築された。国登録有形文化財。

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以前紹介した旧彦根高等商業学校講堂陵水会館がある滋賀大学彦根キャンパスの近くに建っている。和風の礼拝堂は、国の重要文化財に指定された奈良の日本聖公会奈良基督教会(昭和5年)があるが、スミス記念堂はほぼ同時期の建物である。

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パーシー・アルメリン・スミス氏(1876~1945)は米国イリノイ州ディクソンに生まれ、明治37年(1904)に来日、広島高等師範学校へ英語教授として赴任した。大正14年(1925)に彦根高等商業学校に赴任、健康を害し米国へ帰国する昭和14年(1939)まで彦根に定住、キリスト教の布教活動や文化活動に従事していた。

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昭和6年(1931)、スミス氏は両親の慰霊のため、そして日米両国の人々の基督教を通じた交流を願って礼拝堂の建築を祈願する。スミス氏自ら醵出した多額の資金に日米双方からの醵金を加え、彦根の宮大工である宮川庄助氏の協力を得て、「須美壽記念禮拝堂」が完成する。

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キリスト教の普遍的精神と、彦根の風土と日本の精神を調和を目指したという礼拝堂は、花頭窓・唐破風・屋根などは、借景となっている彦根城をモチーフにしたものであるという。正面の扉や梁、屋根瓦、釘隠しなどには十字架や葡萄など、キリスト教に関連するモチーフが随所に織り込まれている。

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平成8年(1996)、都市計画道路の拡幅工事により礼拝堂は取り壊しの危機に瀕するが、移築活用を願う「スミス記念礼拝堂を彦根に保存する会」により解体保存される。保存運動はその後、彦根の各界各層有志によって平成15年(2003)に設立された「特定非営利活動(NPO)法人スミス会議」に引き継がれる。

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彦根市の協力により、旧所在地と同じく彦根城を望む堀端の現在地が再建用地として用意され、平成19年(2007)に再建が実現する。再建に際しては、彦根の各界各層有志による多額の醵金が寄せられた。

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現在はNPO法人スミス会議が建物を管理、一般公開を行うと共に催事等の会場としても貸し出しを行っている。

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正面の観音開きの扉は、上には葡萄と十字架、下には松竹梅の浮き彫りが施された和洋折衷の意匠。

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周囲に欄干を巡らせる。

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彦根城天守閣にもある花頭窓に、斜め格子の建具を嵌め込んでいる。

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窓は最も洋風の色合いが濃い。

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側面に設けられた非常に幅の狭いドア。
創建当初からのものと思われる硝子製のドアノブが取りつけられている。

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正面の唐破風の下の懸魚(げぎょ)には十字架が彫り込まれており、その下の蛙股(かえるまた)の中にも十字架が彫り込まれている。梁には葡萄と鳩の浮き彫りが見える。

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屋根瓦など、至る所に十字架と葡萄をあしらっている。

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なお、一般公開は土日のみ実施している。訪問は土曜日であったが、このときは臨時休館日であった。残念!
内部はまた再訪の機会があれば紹介したい。
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現存する近代日本の歴史的遺産(台湾など旧日本領土も含む)を建造物・土木構造物を中心に、思いつくままに取り上げております。

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