第1073回・鈴木家住宅

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千葉県館山市沼にある鈴木家住宅は、関東大震災から間もない大正13年(1924)に建てられた。横浜在住の建築家による設計とされる和洋折衷の住宅で、主屋及び同時に竣工した蔵と表門が国の登録文化財となっている。

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鈴木家は、江戸時代には港町であった当地において「南部屋」の屋号で旅籠業を営み、盛岡藩の常宿となっていたが明治21年(1888)に廃業し医院を開いた。赤く塗られた石の門柱から「赤門」の名で親しまれており、現在も続く医院の名称にも引き継がれている。医院の建物は近年改築されたが、赤い門柱は古いまま残されている。

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赤門のすぐ近くに、玉石を積み上げた鈴木家の重厚な門が建っており、その奥には灰色の洋館が見える。なお、手前のバス停の名前は「赤門前」となっている。

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かつては金属製の門扉があったが、戦時中の金属供出で取り外され現在はない。ところで、戦時下のエピソードとして、昭和20年の終戦間際には、近くにあった館山海軍航空隊の将校の社交場として鈴木家が使われたこともあるという。

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門の奥に続く砂利道の先に建つ主屋。大正13年9月に竣工したというが、関東大震災から丁度1年後に当たる。館山周辺は関東大震災に際しては千葉県下でも最も被害が激しく、殆どの家屋が倒壊したという。震災の余波もさめやらぬ時期に、このような本格的な洋館が建てられたことは驚きである。

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横浜在住の建築家が設計したという。玄関ポーチの柱や軒まわりなど、細部まで本格的な洋風意匠が施されている。

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玄関ポーチから1階にかけての外壁は人造石塗りで目地を切り、石造風に仕上げている。2階はモルタル壁で一部をハーフチンバー風に仕上げ、妻壁には縦長のメダリオンを飾っている。

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屋根は2階部分を天然スレート葺とし、平屋建部分は鉄板葺としている。

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玄関扉の欄間を見ると、ステンドグラスを嵌め込んでいるのが分かる。

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2階の屋根には細長い煙突が2本立っており、内部に暖炉が設けられていることを示している。外観、内装ともに相当本格的な造りの洋館であることが分かる。

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主屋の両側に平屋建の棟を伸ばす構成になっており、そのうち片方に蔵が設けられている。主屋の内部は、1階は和室と洋室で構成されており、2階は全て洋室であるという。

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主屋に繋がる蔵は伝統的な土蔵の形態を取っているが、外壁は主屋と同様、人造石塗に目地を切った洋風の仕上げとなっている。

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鈴木家住宅は、千葉市の旧神谷別邸、市川市の旧木内別邸などと共に、千葉県下に残る数少ない大正期の本格的な洋風住宅であると言える。
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第1034回・千葉刑務所(旧千葉監獄)

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平成28(2016)年度を以て廃止されることとなった、赤煉瓦の明治建築である奈良少年刑務所(旧奈良監獄)は、国の重要文化財に指定されると共に、廃止後はホテル等への転用が予定されていることなどで話題を集めているが、明治の赤煉瓦建築が現役である刑務所は奈良の他に、千葉刑務所(旧千葉監獄)がある。尤も、奈良と異なり現存するのは写真の正門とその奥に建つ事務棟のみであるが、いずれも奈良に負けず劣らずの美しい煉瓦建築である。

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千葉刑務所では、以前紹介した東京拘置所などと同様に毎年1回、受刑者の製作した家具や革製品などの展示即売や、一部の施設公開を行う矯正展が開かれている。平成28年度は11月13日に開催されたので行ってきた。

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弊ブログと相互リンクを張らせて頂いている方々の中には、昨年以前の矯正展に行かれて記事をアップされている方もあるので拝見すると、黄色いバルーンの入場ゲートは昨年まで別の場所にあり、正門前には置かれていなかったようだ。実務的な事情もあるとは思うが、写真を撮る者にとっては些か残念である。

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正門の煉瓦の表面は凸凹になっているが、これは以前煉瓦の上にモルタルが塗られていた時期があり、改修に際し剥がしたためと思われる。なお、創建時は正門に付属する塀も煉瓦造であったが、現在は全てコンクリート塀に改築されている。

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千葉監獄が現在地に移転したのは明治40年(1907)で、大正11年(1922)の監獄官制改正により、千葉刑務所に改称された。現存する正門、事務棟を始めとする赤煉瓦の当初の施設を設計したのは、当時司法省営繕課長の職にあった山下啓次郎(1868~1931)で、ジャズピアニストの山下洋輔氏の祖父に当たる。

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山下啓次郎は、帝国大学工科大学(現在の東京大学工学部)にて辰野金吾の下で建築を学び、卒業後は警視庁を経て司法省の技師となった。当時監獄施設の近代化を目指していた政府の指令を受け、明治34年(1901)から翌年にかけて欧米の監獄施設の視察に出向く。帰朝後営繕課長に就任、千葉・金沢・奈良・長崎・鹿児島の各監獄施設の設計を行った。山下の設計によるこれらの監獄は、「明治の五大監獄」と称されている。

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「明治の五大監獄」は奈良を除き、多くが移転や改築で姿を消したが、それぞれ正門等の一部は保存されている。
(千葉)正門と事務棟のみが現存、現役で使用中。
(金沢)刑務所は移転、正門と中央看守所及び舎房の一部が愛知県犬山市の明治村に移築保存。

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(奈良)当初施設がほぼ完全に現存。平成28年度を以て廃止されるが施設は保存・活用の予定。
(長崎)刑務所は移転、跡地に正門のみ保存されている。
(鹿児島)刑務所は移転、跡地に正門のみ保存されている。

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旧奈良監獄の施設群は先述のとおり、国の重要文化財に指定される予定である。また、旧金沢監獄及び旧鹿児島監獄の正門等の現存施設は国の登録有形文化財となっている。平成28年度いっぱいで奈良少年刑務所が廃止されると、「明治の五大監獄」で引き続き現役で使われているのは、旧千葉監獄のみということになる。

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正門の内側は、外側とは対照的に壁面は極めて平坦に造られている。脱獄防止のため足をかけられるような装飾や凹凸は設けないようにしたものと思われる。

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正門をくぐると、本館の事務棟が目の前に現れる。
屋根瓦や窓のサッシは新しいものに交換されているが、赤煉瓦の正面外壁は創建当初の姿を残している。

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かつてはこの事務棟の両脇と背面に、藤森照信氏が自著「建築探偵 東奔西走」で日本一美しい廊下と評した煉瓦造の房舎などの諸施設が立ち並んでいたが、これらは昭和の末から平成にかけて全て改築され現存しない。事務棟両側にある新しい建物が外壁を煉瓦タイル仕上げとすることで、かつての面影をごく僅かに残すばかりである。

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内部は1階の一部が公開されていたが、現役の事務所として現代的に改装されていた。

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創建当初からすれば現存するのは一部分であるとは言え、正門・事務棟共に、非常に美しい明治の赤煉瓦建築であり、千葉県内でも現存する屈指の洋風建築である。

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どちらかと言えば正面よりも奥行きのある旧奈良監獄本館に対し、旧千葉監獄本館は左右に両翼を張り出した堂々とした正面ファサードを見せる。

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本館事務棟を側面から見る。両翼の屋根の上には煙突が見える。
内部に暖炉でも設けられているのかも知れない。

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背面から見た本館事務棟。背面側は改築されており、そのため壁面の煉瓦も色調が異なる。
現在、事務棟の背面には受刑者が各種作業に従事する工場施設等が立ち並んでおり、矯正展ではその一部を当日予約制で見学することができる。(無論、写真撮影は禁止)

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1階翼部の窓。基壇部分には半円形の通気口が設けられている。
窓の建具はアルミサッシに交換されているが、当初の形態に近いと思われる細い枠の上げ下げ窓になっており、建物の雰囲気を損なわないための配慮が感じられる。

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壁面の煉瓦。当時は他の監獄でも同様であるが、煉瓦を焼き上げるのも積み上げるのも受刑者によって行われた。目地は東京駅舎などでも見られるカマボコ状に盛り上がった覆輪目地で、丹念な仕事が行われている。

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山下啓次郎は司法省営繕課長として監獄のほか、今は無い旧大阪控訴院庁舎など、明治から大正期にかけて建てられた各地の裁判所庁舎の設計にも関与している。それらの建物のうち旧名古屋控訴院庁舎は現存しており、国の重要文化財に指定されている。 

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また、明治38年(1905)に建てられた日本赤十字社埼玉県支部旧社屋(現・嵐山幼稚園、埼玉県指定文化財)が、山下啓次郎の設計であることが判明している。一連の監獄・裁判所建築とは全く異なる趣の瀟洒な木造洋館である。 

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山下啓次郎が設計を手掛けた五大監獄の他に、現存する明治期の監獄施設として、北海道網走市の旧網走監獄(国指定重要文化財)がある。事務棟や房舎、教誨堂など主要施設の大半が「博物館網走監獄」内に移築、公開されている。 

なお、本記事にて言及した東京拘置所旧名古屋控訴院日赤埼玉県支部旧社屋旧網走監獄は、いずれも過去弊ブログにて紹介済なので、併せて御覧頂ければ幸いである。

第844回・旧木内重四郎邸洋館(木内ギャラリー)

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千葉県市川市真間にある木内ギャラリーは、明治・大正期の官僚・政治家で、京都府知事、貴族院議員等を歴任した木内重四郎(1866~1925)が当地に建てた別邸のうち、洋館部分を平成16年(2004)に再建したもの。再建に際し大部分は新材に置き換えられているが、内装材や建具等の一部には、もとの旧部材が用いられている。

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江戸川を挟んで東京都に隣接する市川市は、永井荷風などの文人が多く住んでいたことでも知られるが、明治から昭和戦前にかけて富裕層の別邸も点在していた。旧木内別邸もそのひとつである。

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旧木内別邸は平成10年代初めまで、約1万坪に及ぶ広大な敷地と洋館・日本館から構成される邸宅が老朽化しながらも往時の佇まいをそのまま残していた。写真に写る洋館の左側、外壁がのっぺりしている部分は、もともと日本館がつながっていた部分である。

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その後宅地開発により邸宅は取り壊され、日本館は完全に消滅、洋館は敷地内で場所を移して再建されることになった。なお敷地は緑地部分の多くを保全する形で開発が行われたため、往年の面影が幾分かは残されている。

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開発業者によって再建された洋館は、構造は木造から鉄筋コンクリート造に改められ、内外装の部材も多くが新材に置き換えられたが、形は旧建物を概ね忠実に復元しているように見える。

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再建後、開発業者から市川市に寄贈された洋館は、現在は市民ギャラリーとして開放、音楽会や展覧会の会場として活用されている。

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屋根は天然スレートで葺かれている。
望楼を備えた塔屋部分は、旧建物では当時としては珍しい鉄骨造であったという。

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玄関ポーチ。神社仏閣にみられる斗栱(ときょう)の変形とされる柱上部の組物が特徴。

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格子状になった玄関ポーチの天井部分。

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玄関扉や欄間の金物装飾は旧建物の部材が再利用されている。

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玄関ホールへ続く扉も旧建物のオリジナル部材。

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玄関ホール正面のニッチ。立てかけてあるのは旧建物の棟札で、洋館の設計者として鹿島親房、そして今はない日本館の設計顧問として茶室研究家としても活躍していた保岡勝也(当ブログで以前紹介した埼玉県川越の旧八十五銀行旧山崎家別邸の設計者)の名が書かれている。

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塔屋に設けられていた望楼へ登るための階段。直線を基調とした階段手摺は旧建築のオリジナル部材かと思われる。なお現在は塔屋内部は非公開。

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旧応接室。暖炉の木製飾り及び両側の造りつけ戸棚は旧建物のオリジナル。

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暖炉の大理石、タイル、焚き口の金物は新規材による復元。

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洋館の内部では最も重厚な雰囲気の旧書斎。暖炉上部のアーチ部分の壁画、暖炉周りの造りつけ飾り棚や腰掛など凝った造形を見ることができる。

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暖炉周りとベイウインドウのある部分を仕切る形で、和風の高欄細工を備えた間仕切りを設けている。

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飾り戸棚や建具等に旧建物のオリジナル部材が用いられている。これに対し寄木張り風の床や暖炉のタイル、大理石などは新規材による復元である。

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重厚な旧書斎とは一転し明るい雰囲気のベランダ兼サンルーム。旧建物では書斎より床が15センチ程低かったが、現在はベランダ側の床を嵩上げする形で平坦化されている。

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大部分が新材に置き換えられてしまったのが惜しまれるが、千葉県内に現存する大正期の洋館の邸宅としては、千葉市稲毛の旧神谷傳兵衛別荘と並ぶ質の高い建物ではないかと思われる。また市民ギャラリーとしての利用も頻繁に行われているように見受けられ、喜ばしいことである。

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旧木内別邸と同様にマンション開発で取り壊され、現在は内装材や建具などが保存、将来の再建も視野に入れながら保存部材の再利用が進められている神戸市垂水区塩屋の旧ジョネス邸も、この木内ギャラリーのような形で将来甦るとよいのだが・・・

第831回・旧学習院初等科正堂

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千葉県印旛郡栄町から成田市にまたがる位置にある体験型博物館「千葉県立房総のむら」内に移築・保存されている明治の洋風建築。明治32年(1899)に学習院初等科正堂として建てられた。国指定重要文化財。

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創建当初の所在地は、東京府東京市四谷区尾張町(現・東京都新宿区若葉一丁目)で、正堂とは講堂のことである。正面から側面にかけてベランダを廻した、学校建築らしくない、邸宅のような建物である。

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設計者の新家孝正(にいのみ たかまさ 1857~1922)は明治大正期に活躍した建築家で、農商務省(現在の経済産業省と農林水産省に相当)庁舎などを手掛けたが、現存する建物は少ない。

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現存する新家孝正設計の建物は、旧学習院初等科正堂のほか京都の山形有朋別邸(無鄰菴)洋館、当ブログで以前紹介した茨城県水戸市の旧川崎銀行水戸支店も新家の設計とされる。

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昭和11年(1936)、皇太子殿下(現在の天皇陛下)のご入学に備えて学習院初等科では校舎を全面的に改築することになった。なおこのときの改築で昭和15年(1940)に竣工した学習院初等科の新校舎は、現在も使用されている。

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旧校舎は解体されたが、旧正堂は宮内省下総御料牧場(当ブログ第825回記事参照)があり、皇室とゆかりの深い千葉県印旛郡遠山村(現・成田市)へ下賜されることになった。

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昭和13年(1938)に遠山村への移築工事が竣工、遠山尋常高等小学校(現・成田市立遠山中学校)の講堂として使われることになった。

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戦後の学制改革で、遠山尋常高等小学校は遠山中学校となる。成田空港建設反対運動の決起大会などにも使われた遠山中学校講堂は、昭和48年(1973)にその役目を終えた。

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講堂としての役目を終えた旧講堂は明治の洋風建築として移築保存されることになり、重要文化財指定後直ちに移築のための解体工事に着手、昭和50年に現在地へ移築工事が竣工した。

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移築に際して建物は成田市から千葉県に寄贈され、県内の古民家などが数棟移築保存されている「千葉県立房総風土記の丘」(昭和51年開園)敷地内に移築された。

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房総風土記の丘はその後、隣接地に昭和61年(1986)に新設された「千葉県立房総のむら」に、平成16年(2004)に統合され、現在に至る。今年(平成26年)、改修工事を終えて一般公開が再開された。

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天然スレート葺きの屋根と棟飾り。

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外壁は真っ白に塗られていた時期もあるが、今回の改修工事で創建当初の色彩が再現された。

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換気口の金物飾り。

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講堂内部。無料で見学可能である。

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講堂正面を望む。
天井の照明はどうにかならなかったのだろうか。

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講堂正面出入口を内側から見る。

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正面の演壇。

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出入口周辺と講堂を仕切る円形の列柱。

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千葉県内でも屈指の明治期の建築物である。

第825回・三里塚記念公園貴賓館

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成田空港に近い千葉県成田市三里塚にある三里塚記念公園は、かつてこの地に存在していた宮内庁(省)下総御料牧場を記念し、後世に伝えるために成田市によって設けられた公園である。御料牧場時代から残る建物としては、白ペンキ塗りの洋館造りと茅葺屋根の組み合わせが珍しい貴賓館がある。

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公園の中にある三里塚御料牧場記念館。大正8年(1919)に新築された旧御料牧場事務所の外観を再現したものである。したがって大正時代当時の建物ではない。

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館内には御料牧場の歴史資料や皇室ゆかりの品、使われていた農機具などが展示されている。

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貴賓館。公園内で御料牧場時代からそのまま保存されている唯一の建物である。

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貴賓館は元々は、下総御料牧場の前身に当たる下総牧羊場が明治8年(1875)に開かれた時、明治政府に雇われた米国出身の牧羊家、D・W・アップ・ジョーンズの官舎として三里塚に近い十倉村両国(現・富里市)に建てられた。

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明治12年にジョーンズが退職し牧羊場を去った後は事務所として使われるが、下総牧羊場が香取種畜場との合併を経て宮内省下総御料牧場となった後の明治21年(1888)に、三里塚の現在地に移築された。

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大正8年(1919)に事務所が新築(先述の記念館のモデルとなった建物。現存しない。)されると、貴賓館として使うため内部を大改装、現在の形になった。

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その後貴賓館は、皇族が来られるときの宿舎として使われたほか、各国の大公使を招待する園遊会の会場として使われた。下総御料牧場には明治天皇、昭和天皇も訪問され、今上天皇も皇太子時代に訪問されている。

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内部への立ち入りはできないので、外から覗き込む形での見学となる。写真は床の間と床脇を備えた奥の間。

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背面に回ると、一部が洋館の造りになっていることがわかる。茅葺屋根の洋館というのは非常に珍しい。

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洋館部分の内部は、一室の広い洋間になっている。

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昭和41年(1966)、新東京国際空港(成田空港)を三里塚に設置する閣議決定が為され、下総御料牧場は終焉の時を迎える。

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昭和44年(1969)に下総御料牧場は閉場、栃木県塩谷郡高根沢町に新たに開かれた高根沢御料牧場へ移転した。現在旧御料牧場の敷地の大部分は、成田空港の敷地となっている。

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貴賓館の裏手には戦時中に造られた防空壕が残されている。近年に入り整備の上、一般公開されている。(見学に際しては記念館の職員に申し出て入口を開けてもらう必要がある)

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かつてこの界隈が農牧地であったことを伝える遺構としては三里塚記念公園のほか、隣接の富里市にある旧岩崎家末廣別邸がある。三菱財閥二代総帥・岩崎久彌(1865~1955)が開いた農場兼別邸で、財閥解体により東京・湯島の本邸を去った後最晩年を過ごした家は現在、富里市によって保存公開に向けた取り組みが進められており、公開された暁には当ブログでも御紹介出来ればと思う次第である。
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現存する近代日本の歴史的遺産(台湾など旧日本領土も含む)を建造物・土木構造物を中心に、思いつくままに取り上げております。

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