第991回・旧上九一色郵便局

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山梨県甲府市古関町(旧西八代郡上九一色村大字古関)にある、明治45年(1912)竣工の郵便局舎。周囲の建物の殆どが草葺きの屋根であった当時、瓦葺であり、かつ洋風のこの建物は、ひときわ人目を引く存在だったという。国登録有形文化財。

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鄙びた山里といった趣を残す古関地区の一角にひっそりと佇む旧上九一色郵便局。昭和40年(1965)に国道139号線沿いに新築移転するまで、約半世紀にわたり使われていた。

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この建物が建っている場所は、甲斐国(山梨県)と駿河国(静岡県)を結ぶ街道のひとつである中道往還(なかみちおうかん)沿いに当たる。かつては街道沿いのこの界隈が古関地区の中心地であった。

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平成初めの一連のオウム真理教事件によって、全国的にその名が知られることになってしまった上九一色村は、現在は北部地域が甲府市に編入され、南部地域は富士河口湖町に編入された。旧上九一色郵便局がある古関地区は北部地域に含まれるため、甲府市に編入されている。

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明治4年(1871)に郵便制度が発足、山梨県でも同年暮れには甲府に郵便取扱所が置かれた。明治7年(1874)には県内各地にも郵便取扱所が設置され、上九一色郵便局の前身に当たる「古関郵便取扱所」が、土橋助右衛門宅に開設された。

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明治45年(1912)に現在地に移転新築した。設計は第四代局長の土屋喜一氏が自ら手掛け、自家の山林から良材を選んで頑丈に建てたため、大正12年の関東大震災の際も、ひび一つ入らなかったという。

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玄関軒下の破風板や軒下飾りには「〒」のマークが彫られ、銅版製鬼瓦にも「〒」のマークを入れるなど、ユニークな意匠を見ることができる。また、屋根の鬼瓦にも「〒」のマークが見られる。

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昭和に入ると定員や事務量の増加に伴い、局舎は狭隘化が進むと共に局舎自体も次第に旧式となり、また、道路交通等の地理的変革や村の中心が他所に移転したため、郵便局だけが取り残される形となった。そのため昭和40年に現在の局舎に移転、旧局舎は役割を終えた。

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現在は静かに余生を送っている様子の旧局舎だが、登録文化財制度の導入に際しては山梨県内でも最初に認定されるなど、地域の宝として大切にされているようだ。
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第988回・旧尾県学校(尾県郷土資料館)

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山梨県都留市小形山にある尾県(おがた)郷土資料館は、明治11年(1878)に建てられた旧尾県学校の建物を保存再利用した施設。明治初期の擬洋風建築のうち、山梨県特有の様式とも言える藤村式建築の遺構でもある。山梨県指定有形文化財。

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明治5年(1872)の学制公布を受け、小形山地区の住民は、それまでの寺子屋式教育に代わる新たな教育施設として明治10年(1877)に尾県学校を設立、翌年には校舎が竣工した。校舎建設に際しては住民が一丸となって協力したという。

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校舎はのちに藤村式建築と称された洋風の造りが用いられた。藤村式建築とは、洋風建築の建設など近代化政策を積極的に推進した当時の山梨県令(知事)・藤村紫朗の名に因む。前面にはベランダを張り出し、望楼を備えた屋根を載せたものが多い。特に学校建築が多く現存しており、その形状から「インキ壺」と称された。

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現存する藤村式建築の学校としては、甲府市の旧睦沢学校(甲府市藤村記念館)、山梨市の旧室伏学校(牧丘郷土文化館)などがある。旧尾県学校は、前面ベランダの中央部を半円形に張り出した外観が他の校舎にない特徴となっている。旧睦沢学校・旧室伏学校の双方とも当ブログでは既に紹介済なので、比較されてみるのもよいかと思う。

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側面及び背面は旧睦沢学校・旧室伏学校とほぼ同一の外観。

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尾県学校は設立から64年後の昭和16年(1941)に統廃合によって廃校となった。校舎は廃校後は地区の公民館などとして使用され、昭和45年(1970)には都留市有形文化財、昭和50年(1975)には山梨県の有形文化財に指定された。

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都留市による文化財指定に際し修復が行われ、昭和48年(1973)から尾県郷土資料館として公開されている。

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尾県郷土資料館では民俗資料の展示を中心に運営されてきたが、現在は教育資料を中心とした展示が行われている。

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2階ベランダの中央には太鼓が吊り下げられている。
時間を知らせるためのもので、現在のチャイムやオルゴールのようなもの。

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先述の旧睦沢学校・旧室伏学校を始め、明治初期の擬洋風建築は創建当初の位置から他所に移築されているものが多いが、旧尾県学校は創建から140年近く経った現在も同じ場所に建っている貴重な事例である。

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県外に移築された藤村式建築では明治村の旧東山梨郡役所、また、藤村式建築の流れを汲む擬洋風建築として勝沼町の旧田中銀行社屋(旧勝沼郵便電信局舎)が現存する。(いずれも当ブログで紹介済)

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藤村式の学校建築は、山梨県内には他にもいくつか現存しており、また見学の上当ブログで紹介できればと思う。

第921回・旧大日影トンネル

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山梨県甲州市(旧・東山梨郡勝沼町)にある旧大日影トンネルは、中央本線建設に伴い明治35年(1902)に竣工した煉瓦積のトンネル。鉄道トンネルとしての役割を終えた現在は、遊歩道として利用されている。

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旧大日影トンネル遊歩道の入口は、JR勝沼ぶどう郷駅(旧勝沼駅)下車すぐの位置にあり、駅の近くには、現在も中央本線開通当時の煉瓦積のガードも残されている。

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明治29年(1896)に始まった中央本線(八王子~甲府)敷設工事は、明治36年(1903)に開通した。

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旧大日影トンネルの隣には、平成9年(1997)に開通した新大日影第2トンネルがあり、現在はこちらが中央本線のトンネルとして使われている。

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鉄道用トンネルとしての役割を終えた旧大日影トンネルは、平成17年(2005)にJR東日本から旧勝沼町へ無償譲渡され、2年後の平成19年より遊歩道として整備・公開されている。写真が勝沼ぶどう郷駅に近い下り側出口で、遊歩道の入口にあたる。

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トンネル内部。

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中央本線八王子~甲府間は昭和6年(1931)に電化されるまで約30年間、蒸気機関車による運行が行われていた。トンネルの内壁には、当時の煤塵が今もこびりついている。

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中央本線の開通は、山梨と東京との間の物流にかかる時間を短縮させ、山梨県ではぶどうやワインの輸送量が激増するなど、地域の経済発展に大きく寄与した。

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トンネルの全長は約1.4キロ(1.367.8メートル)ある。

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上り側出口から望む旧大日影トンネル。

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上り側出口は一部赤煉瓦を見せる下り側出口とは異なり、全面を石張り仕上げとする。

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旧大日影トンネルの上り側出口に近接する旧深沢トンネル。

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現在は勝沼トンネルワインカーヴ(ワインセラー)として利用されている。

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旧大日影、旧深沢の両トンネルは、以前当ブログで紹介した宮光園祝橋旧田中銀行社屋(旧勝沼郵便電信局舎)等とともに、「甲州市のワイン醸造を支えたインフラ施設・建築物」として経済産業省の近代化産業遺産に認定されている。

第881回・宮光園

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山梨県甲州市にある宮光園(みやこうえん)は、日本におけるワイン醸造の先覚者のひとりである、宮崎光太郎(1863~1947)が創業した宮崎葡萄酒醸造所と観光葡萄園の総称である。現在、甲州市によって宮崎光太郎の旧居宅兼醸造所の建物が保存・整備の上、一般公開されている。

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明治10年(1877年)に祝村下岩崎(現甲州市勝沼町下岩崎)に設立された、わが国初のワイン醸造会社である大日本山梨葡萄酒会社が明治19年(1886年)に解散した後、宮崎光太郎が醸造器具等一切を引き継ぎ、フランスでワイン造りを習得した土屋龍憲とともに「宮光園」の名で操業を開始した。

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門に掲げられた扁額には「宮内省御用達 大黒天印 甲斐産葡萄酒 醸造元宮崎」の文字が読める。なお「宮光園」の名は「宮崎光太郎のブドウ園」に由来する。宮光園は本邦初の観光ブドウ園として戦前から昭和30年代まで運営されていた。また現在の「メルシャン」のルーツのひとつでもある。

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宮光園は戦前より勝沼の名所として知られ、皇族や政財界人などの来訪も多かった。当時の記念写真の多くは主屋内に展示されている。

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主屋の建物は、明治時代に建てられた2階に養蚕用の部屋を備える伝統的な造りの家屋であったが、昭和3年(1928)に2階部分を洋風に改装している。

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平成23年(2011)から一般公開が始まった宮光園だが、敷地内の建物の修復は現在も続けられている。写真でも主屋の背後に、シートで覆われた修復中の建物の一部が見える。

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主屋一階内部。

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一階の奥座敷。かつてはこの座敷に皇族等賓客を迎えたときの記念写真が数多く掲げられていたという。

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主屋の二階には、勝沼のワイン産業や宮光園の歴史などについての資料が数多く展示されている。

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かつてここで使われていたと思われる、昭和初期の洋式家具も置かれている。

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主屋二階背面の硝子障子。

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主屋の手前に建つ白蔵。白ワインを醸造していたから白蔵と呼ばれていたという。ただし、赤ワインの醸造も行っていたが、そのための建物を赤蔵と呼んだりはしなかったようである。なお手前には宮光園のトレードマークであった大黒天の石像があるが、米俵ではなくワイン樽に乗っかっているのが特徴。

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白蔵の地下はワイン貯蔵庫になっている。

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道路を隔てた位置に主屋と向かい合って建つ土蔵風の建物は、シャトー•メルシャンワイン資料館として開館している。

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明治37年(1904)に建てられた、現存する日本最古の木造ワイン醸造所とされ山梨県の指定文化財にもなっている「旧宮崎第二醸造所」を改修、ワイン醸造の資料館として公開している。

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以前当ブログで紹介した祝橋旧田中銀行と共に、勝沼に残る近代化産業遺産として利活用が図られている。

第856回・祝橋

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山梨県甲州市勝沼町にある祝橋は、昭和5年(1930)に架けられたコンクリートアーチ橋。ブドウの町・勝沼を象徴する橋である。国登録有形文化財。

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現在の橋は3代目で、大正3年(1914)に架けられた吊り橋であった2代目祝橋の老朽化に伴い架け代えられた。

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祝橋は大正2年(1913)に開業した中央本線勝沼駅(現・勝沼ぶどう郷駅)と祝村を結び、当地の特産品であるブドウを農園から駅まで自動車で運搬することが可能になった。

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昭和5年11月に竣工、翌昭和6年に開通した。

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昭和60年(1985)に自動車が通行する道路橋としての役目は隣接する新祝橋に譲り、現在は歩行者用及び水道管が通る橋として使われている。

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メガネ橋の愛称で親しまれ、架橋当初からブドウの町・勝沼を象徴する存在でもあり、今もその点は変わらない。

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橋本体はコンクリート打ち放し仕上げになっているが、欄干部分は石造り風に仕上げられているのがわかる。

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コンクリート橋への架け替えに際しては、橋脚を設置できない峡谷地形であったことから、アーチ橋が採用されたという。

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平成9年(1997)に国登録有形文化財となっている。
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