第567回・旧十六銀行徹明支店(旧岐阜貯蓄銀行本店)

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岐阜市の中心街に残る数少ない近代建築のひとつがこの旧十六銀行徹明支店。
昭和12年(1937)の竣工。

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設計は大正から昭和初年にかけて第一銀行建築課長として第一銀行本支店の設計を行った西村好時(1886~1961)とされる。第一銀行退職後自らの設計事務所(西村建築事務所)を開いていた時期の作品。施工は竹中工務店。

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建物の前を横切るアーケードについて景観面だけから言えば、以前弊ブログで紹介した浜松市の静岡銀行浜松営業部のように、撤去したほうがよいと思う。(そもそも、このような歩道のアーケードは無いとそんなに不便を生じるのかという疑問はある)

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独立後の西村好時設計による同時期の銀行建築では、台湾の台湾銀行本店などが現存する。
(弊ブログ第533回「台湾の日本統治時代建築(台北編)」で紹介)

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当初この建物を建てた岐阜貯蓄銀行は、以前別記事で参照させて頂いた「銀行変遷史データベース」によれば、明治28年に設立、戦時下の昭和18年に十六銀行に吸収合併されたとある。

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明治10年創立の十六銀行は、岐阜県下最大の地方銀行で、創業以来同一屋号で営業を続ける銀行としては新潟県の第四銀行に次いで古い歴史を有する銀行である。

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以前取り上げた旧久保田外科医院と同様、岐阜市都市景観重要建築物に指定されている。

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銀行店舗としての役目は終えており、平成19年から「じゅうろくてつめいギャラリー」として再利用・解放されている。

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比較的簡素な外観に対し、内部は精緻な装飾のある吹き抜けの天井など、華やかな空間が広がっている。

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銀行店舗の統廃合により、全国各地で銀行店舗の近代建築が解体される事例が多く見られる中で、銀行所有のまま別用途での保全・再利用を図る例は極めて珍しい。高く評価されてよいのではないだろうか。
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第559回・旧久保田外科医院

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岐阜市内に残る昭和初期建築の旧医院。現在は住居として使われている。

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岐阜市の中心街から少し離れた長良川の近く、古い町家や寺院が点在する旧高富街道沿いに建っている。
昭和9年(1934)頃に建てられたとされている。

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岐阜市より都市景観重要建築物の指定を受けている。

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スパニッシュ風を加味した、ロマネスク教会風の正面外観が特徴である。

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正面と側面にある円窓。

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玄関は深くくぼんだアーチやねじり柱など、スパニッシュ風。

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全体的にシンプルな建物であるが、玄関まわりはタイルやステンドグラスで飾る。

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洋風に造られているのは前面だけで、奥は和風の居住空間になっているようだ。

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小さいがとても美しい洋館である。

第556回・旧鏡岩水源池ポンプ室・エンジン室

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昭和9年(1934)に竣工した岐阜市の水道施設の一部で、現在は水の資料館として活用されている。旧ポンプ室と旧エンジン室の二棟が国登録有形文化財となっている。

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岐阜市は清流で知られる長良川沿いにおいて発展してきた街で、良質の地下水も豊富で飲料水には困らなかったが、大正期には工場排水や家庭排水による井戸水の質の悪化が問題になった。そこで昭和3年には長良川左岸に浅井戸を造り、伏流水を水源とした水道によって岐阜市内へ給水が開始された。

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現在保存されている旧ポンプ室と旧エンジン室は昭和47年頃まで使用されていたという。
隣接して、現在の鏡岩水源地の施設が稼働している。

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鏡岩水源地は、長良川と金華山に挟まれた場所にある。山の麓という立地条件であるせいか、旧ポンプ室と旧エンジン室の外観は西欧の山小屋風に仕上げられている。

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旧ポンプ室と旧エンジン室は規模、意匠共に酷似するが、よく見ると細部は異なる。
こちらは旧ポンプ室正面。

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旧エンジン室正面。

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旧ポンプ室側面。

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旧エンジン室側面。

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2つの建物はいずれも鉄骨転勤コンクリート造の構造体に木製の屋根を架ける。

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外壁は長良川の玉石張りで仕上げる。

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旧ポンプ室全景。

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水道設備の機械を納めるだけの建物に、このようなデザインを施すのは戦前建築ならではと言える。

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旧ポンプ室内部。旧ポンプ室と共に、岐阜市の水道事業の紹介・展示施設として活用されている。

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鉄骨は創建当初からのものが残されている。

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旧エンジン室全景。

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旧ポンプ室とは窓の形状が異なる他、壁面を支える鉄骨が外部に出ている点で異なる。

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旧エンジン室内部。

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内側から見た窓。

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様々な意匠が施されているものが存在する戦前の水道施設の中でも、山小屋風の佇まいが特徴的な異色の存在である。

第552回・名和昆虫博物館・昆虫記念館

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岐阜公園には前回紹介した伊藤忠太設計の三重塔の他、著名建築家の手になる近代の建造物として、名和昆虫博物館・昆虫記念館がある。二件とも京都帝国大学教授であった武田五一の設計になる煉瓦造の西洋館である。

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明治40年(1907)竣工の昆虫記念館。岐阜市重要文化財。

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ギフチョウの再発見者であり、名付け親としても知られる昆虫学者・名和靖(1857~1926)は、昆虫の形態・生態を研究し、害虫防除・益虫の保護の方法を研究して、昆虫学の発展ならびに農作物の増殖をはかり国家経済に寄与することを目的として明治29年、岐阜市内に独力で名和昆虫研究所を設立する。

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明治37年には岐阜市の要請により岐阜公園内に移転する。当時の岐阜公園は整備が本格化する前で、現在よりも自然環境が多く残された場所であったようである。

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昆虫記念館の建物は、当初研究所の特別標本室として建てられた。
名和靖の志に理解を示した大阪朝日新聞(現・朝日新聞)の土屋大夢の計らいで、紙上で建設寄付金を募った結果集まった寄付金を基に建てられた。

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設計者の武田五一は当時、欧州留学から帰朝して間もない新進建築家であったが、少年時代の一時期を岐阜で過ごしており、名和靖が教鞭を執っていた学校に通っていたという。

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武田五一設計による初期の建築作品としては、外壁の正面部分のみ保存されている京都府立図書館(明治42)、犬山市の明治村に移築保存されている旧芝川又右衛門別邸(明治44)があるが、昆虫記念館は建設当初の場所で、原型を損なわれることなく残されている点で貴重な存在と言える。

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特別標本室として建てられたが、現在の昆虫博物館の建物ができるまでは展示室としても使われていた。
なお標本の収蔵施設という性格上、床を高く造っている。

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煉瓦造の壁体に木造の屋根を掛ける。

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切妻部分のてっぺんにはチョウがいる。

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公園内に佇むクリーム色の壁に赤い屋根の洋館は、長年岐阜市民に親しまれてきたと思われる。

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親しまれ過ぎたのか、壁の煉瓦には落書きが。

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「昭和十六年四月廿七日」
落書きのひとつは、大東亜戦争に突入した年のものだった。今から72年前である。

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昆蟲碑。名和靖の還暦を記念して大正6年に建てられた。
害虫として駆除してきた虫の供養塔である。

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昆蟲碑も武田五一設計。背面には「意匠 正五位勲四等工學博士 武田五一」

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大正8年(1919)に同じく武田設計で、現在も使われている、煉瓦造の白タイル貼り二階建の名和昆虫博物館の建物が完成している。なお、名和昆虫研究所は現在もこの建物のすぐ傍にあり、研究を続けている。

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平成8年の国による登録有形文化財制度の導入に際しては、岐阜県下の登録第一号となった。

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装飾を控えたシンプルな外観の建物は、当時としては非常に斬新なものに写ったにちがいない。

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玄関周りは石を多用し、少し重厚に仕上げている。

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外壁を白いタイルで覆うのは、大正初~中期の洋館に多く見られる。弊ブログで紹介済のものでは、千葉の神谷傳兵衛別荘、埼玉の旧八十五銀行本店(共に大正7)神戸の旧西尾類蔵邸(大正8)、秋田の池田氏庭園洋館(大正11)、などがある。

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内部にはシロアリ被害を受けた唐招提寺の古材が柱として使われている。解体修理の際に取り換えられたものを入手して用いたものである。

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金華山を背に向かい合う昆虫記念館と昆虫博物館。

(参考)名和昆虫博物館ホームページ

第551回・岐阜公園三重塔

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岐阜市の金華山山麓にある岐阜公園は、明治15年に開園した歴史ある都市公園である。
その中で、公園の整備が本格的に行われ始めた大正初期に建てられた朱塗りの三重塔が、金華山の緑に包まれ美しい姿を見せている。

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大正天皇即位の御大典事業として、また五穀豊穣と岐阜市の繁栄を祈念する塔として、岐阜市により大正5年(1916)に建てられた。

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公園のどこからでも見える三重塔。平成17年には国登録有形文化財になっている。

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公園内にある織田信長居館跡から望む三重塔。

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設計は伊藤忠太。弊ブログでも以前紹介した一橋大学兼松講堂や京都の西本願寺伝道院のような洋風建築の他に、平安神宮や明治神宮など、各地の社寺も多く設計している。

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建設費用は当時の金額で5,500円。建築部材として、明治24年の濃尾地震で被災倒壊した旧長良橋の材木が使用されているという。

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三重塔の建立場所は、日本画家の川合玉堂(1873~1957)が風水によりこの地を選定したという。
なお川合玉堂は岐阜に近い愛知県一宮市の出身で、少年時代は岐阜市に住んでいたそうである。

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内部には弘法大師像などが祀られているという。

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山麓に建つ鮮やかな朱塗りの塔は、新緑や紅葉の時期は見ものと思われる。

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岐阜市民のために建てられた三重塔は、現在も市民に親しまれている。
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