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第1193回・旧日下部同族合資会社〔海運王・日下部久太郎の建築遺産③〕

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前回取り上げた岐阜市米屋町の旧日下部邸(岐阜邸)跡には現在、洋館だけが残されている。日下部同族合資会社の事務所として建てられた煉瓦造の洋風建築で、旧岐阜県庁舎、名和昆虫博物館などと並び、岐阜市に現存する数少ない近代洋風建築である。岐阜市の都市景観重要建築物に指定されている。

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今は跡形も無いが、左側のマンションが建っている場所がかつての岐阜邸跡である。ただ一つ現地に残る洋館は、日下部久太郎が自家の動産不動産を管理する目的で設立した日下部同族合資会社の事務所として、また岐阜邸の洋式応接間として、皇族などの賓客を迎えるのに使われていた。

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日下部久太郎は函館と神戸では海運業を主事業としていたが、岐阜には自家の動産不動産を管理するための日下部同族合資会社を設立した。また、日下部信託株式会社(のち十六銀行に営業譲渡)を設立するなど金融業も営み、岐阜を代表する地方銀行である十六銀行の取締役も務めた。

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竣工年は諸説あり定かではないが、大正3~6年(1914~17)頃と思われる。イオニア式の柱頭を巨大化した玄関上部の装飾や、袖塀の上に置かれた照明燈などアクの強い意匠が目を引く。

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地階と屋根裏部屋を備えており、屋根は反りのあるマンサード屋根となっている。前々回の記事で言及した、日下部久太郎が函館港に建てた「萬世ビル」も、同様のマンサード屋根を持つ洋風建築であったようだ。

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様式的には、19世紀末~20世紀初頭のドイツ語圏における世紀末芸術であるユーゲントシュティールに分類される。神戸邸の洋館にも同じ様式が用いられており、2つの洋館の設計者は同一人物と考えられているが、設計者は武田五一という説もある。

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関西を中心に活躍していた武田五一(1872~1938)は、英国留学中にアールヌーボーやセセッションなどの新しい建築思潮に影響を受け、帰朝後は旧芝川又右衛門邸京都府立図書館などの作品に反映させている。岐阜でも、当時としては斬新な意匠の名和昆虫博物館と昆虫記念館を設計している。

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「建築探偵」として知られる東大名誉教授・藤森照信氏によると、日下部久太郎本人から設計を武田に依頼したと聞いた、という証言もあるという。意匠の質の高さや状況証拠を考えると、設計者が武田五一であるという説は非常に有力と思われるが、確証が無いためか定説にはなっていないようだ。

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洋館の玄関は街路に面した正面と、かつては日下部邸内に面していた側面に設けられている。側面玄関も正面と同一意匠となっている。

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背面からの姿。
屋根の切妻の上に見えているのは暖炉の煙突で、正面側にも同様に設けられている。

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岐阜市には美しいステンドグラスが多数用いられている大正期の洋風建築が2棟存在するが、1棟は以前紹介した旧岐阜県庁舎であり、もう1棟は日下部邸の洋館である。

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2棟とも絵画的な図柄から抽象的な紋様まで、様々な意匠のステンドグラスが残されている。二階の階段室に嵌め込まれているのは菊の図柄のステンドグラス。

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残念ながら下半分が失われているが、同じく二階にあるステンドグラスは藤と燕の図柄。

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欄間の小窓にはユーゲントシュティールの紋様。

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照明燈にもステンドグラスが用いられている。

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正面の石段を登って玄関へ入ると玄関ホールがあり、その先には階段室がある。右手には旧事務所への入口がある。

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本記事の写真は、平成25年3月に旧岐阜県庁舎一般公開の際に訪れたときのものである。この洋館は長らく画廊(石原美術)として使われていたが、現在もこの洋館で営業されているかどうかは分からない。

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一階階段室にある竹の図柄のステンドグラスは内側から見学させて頂くことができた。工芸意匠家としても優れた手腕の持ち主であった武田五一の手による可能性は十分考えられる美しい図柄である。

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玄関ホール欄間のステンドグラス。
神戸邸の洋館でも、似たような意匠のステンドグラスを見ることができる。

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当時としては高級品と思われる大判の一枚硝子を嵌め込んだ、一階事務所の扉。

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一階の事務所にある暖炉。暖炉枠の上部はフクロウの装飾が施されている。

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岐阜邸と神戸邸の洋館には随所にフクロウの装飾が施されている。日下部久太郎がフクロウを洋館の装飾に用いた理由は、幸福を呼ぶ鳥であるからとも、夜行性のフクロウは海運業者にとっては縁起がよい鳥であるからとも考えられているが、真相は謎である。

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日下部久太郎の故郷において氏の事績を伝える建物はこの洋館だけになってしまった。建物自体は他所で形を変えて甦ったが、旧日下部邸が岐阜の地からは失われたことはこの地にとっては痛恨事と言うべきである。

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岐阜を代表する近代洋風建築であり、ステンドグラスが美しい大正の洋館としては、旧岐阜県庁舎と共に全国屈指と言ってもよいこの館が今後も現地で保存、利活用されることを願って止まない。

次回は、日下部久太郎の建築遺産としては質も規模も他を凌ぐ神戸邸(舞子ホテル)を、3回に分けて取り上げる予定である。

海運王・日下部久太郎の建築遺産③ につづく
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第1182回・郡上八幡城

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岐阜県郡上市にある郡上八幡城の天守は、昭和8年(1933)に八幡町(現在の郡上市)によって、大垣城天守を参考にして建てられた木造模擬天守である。以前紹介した伊賀上野城と同様、昭和の模擬天守であるが現在では当地のシンボル的な建物となっている。郡上市有形文化財。

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各地にある再建天守(模擬天守、復興天守、復元天守)の中で、戦前に木造で建てられ、現存するのは郡上八幡城と伊賀上野城の2件であるが、郡上八幡城は昭和10年竣工の伊賀上野城より2年早い。したがって郡上八幡城が現存する最古の木造再建天守となる。

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永禄2年(1559)に遠藤盛数によって築かれた郡上八幡城は、明治維新による廃藩置県で廃城となるまで郡上藩の藩庁が置かれていたが、廃城後は石垣を残し建物は全て取り壊された。

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昭和に入り、八幡町によって不況対策の公共事業として模擬天守の建設が計画される。
反対意見も多かったが、仲上忠平町長の決断により建設が決定した。

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築城から廃城まで、郡上八幡城には天守閣は存在しなかったとされているため、同様に天守閣が存在しなかった(厳密に言えば建設途中に暴風雨で倒壊して未完に終わった)伊賀上野城と同じく、昭和時代に初めて建った新しい天守閣と言うことになる。

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八幡町がこの事業を進めた背景には、昭和天皇即位の御大典記念事業として大阪市が計画し、昭和6年(1931)に竣工した大阪城天守閣の存在が何らかの影響を与えている可能性も考えられる。

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天守閣の外観は、同じ岐阜県内にある大垣城天守を参考に設計が行われた。当時の大垣城天守は藩政時代から残るもので旧国宝にも指定されていたが、昭和20年に戦災で焼失した。戦後大垣城が鉄筋コンクリート造で復元された際には、逆に郡上八幡城が参考にされたという。

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城郭の内部。

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館内は城郭や歴代城主などの歴史資料を展示する博物館となっている。

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最上層の内部。

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山城の上に築かれた天守閣なので、街のどこからでも望むことができるものと思われる。そのような立地なので、天守からの眺望も抜群。

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城から望む郡上八幡の街。

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仲上忠平町長は天守閣建設後の昭和11年には町役場庁舎の改築を行っている。弊ブログにて以前紹介した郡上八幡旧庁舎記念館であり、現在は郡上八幡の観光案内所として活用されている。

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天守閣も町役場も共に今では郡上八幡の街には欠かせない存在であり、2つの建物は仲上町長が遺した偉大なる遺産と言えるのではないだろうか。

第1177回・旧林療院(郡上八幡楽藝館)

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前回に続き、岐阜県郡上市に残る旧医院の建物。八幡町島谷にある旧林療院の建物は、明治37年(1904)に建てられた洋風建築で、旧足軽屋敷を移築した看護婦棟や、大正期に増築されたレントゲン室などの附属建物も残されている。現在は「郡上八幡楽藝館」の名で保存活用されている。国登録有形文化財。

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旧林療院は八幡町の中心街にあり、先日取り上げた旧八幡町役場とは目と鼻の先に建っている。

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写真右が明治37年(1904)の開業に建てられた本館、左が旧藩時代の足軽屋敷を移築改造して建てられた看護婦棟。

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郡上八幡では、幕末に赤痢などの伝染病が蔓延したことから、当時八幡藩主であった青山幸哉によって、藩校に医学の講座を設けるなど西洋医学の導入が積極的に進められた。

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そのため明治に入ると、郡上八幡は岐阜県内でも特に医師の数が多く郡上郡では無医村が殆ど存在しないなど、医療体制は他の地域に比べると非常に充実していたという。

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明治37年に医師の林吉蔵氏が林病院(のち林療院に改称)を開業、擬洋風建築の本館と入院棟、城下町から移築した旧足軽長屋で構成される建物を八幡町の中心街に建てた。

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大正中期には岐阜県下では最初のレントゲン設備が導入されている。このとき増築された別棟のレントゲン棟も残されている。

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本館の玄関ポーチ及び外壁の四隅にある付柱には、擬洋風建築らしい意匠の柱頭飾りが設けられている。

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明治から平成の初めまで郡上八幡の医療施設として使用された建物は、林療院が閉院した後の平成9年(1997)に林家から八幡町(当時)に寄付され、町の教育・文化施設として活用されることになった。

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敷地内の建物4棟は補強、改修工事が行われ、平成12年(2000)に「郡上八幡楽藝館」として開館した。なお、改修に先立ち4棟のうち本館、看護婦棟、レントゲン棟は平成10年(1998)に国の登録有形文化財となっている。

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病院時代の佇まいがそのまま残されている受付。
本館1階とレントゲン棟は林療院の歴史を伝えるべく、医院として使用されていた時の状態で保存、公開されている。

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かつての林療院の看板。

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診察室。
壁と天井は漆喰塗り仕上げで、床にはかつては洋室の一般的な床仕上げ材であったリノリウムが貼られている。

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診察室の天井照明台座には菊のような花の装飾が施されている。

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診察室に隣接する外科室。本館1階にはこのほか薬局等が設けられている。

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吹き放しの渡り廊下で本館と結ばれたレントゲン棟。2階部分は硝子戸を入れたベランダになっており、どっしりした印象の本館とは対照的に住宅風の瀟洒な洋館となっている。

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レントゲン棟は1階部分が公開されており、現像室や機械操作室などは使用されていた当時のままで保存されている。展示の解説ではX線の放出を防ぐため内壁は鉛で囲まれているとあるが、壁が赤いのはそのためかも知れない。

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同時期の病院建築で、別棟としてレントゲン棟があったものに岡山県津山市の中島病院があるが、こちらのレントゲン棟は現存しない。中の設備まで残る大正時代のレントゲン棟は非常に珍しいのではないかと思われる。

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本館2階にある旧病室。角の1室だけそのまま保存されている。昔の病院では和室の病室も珍しくなかった。同時期に隣県の木曽谷に建てられた清水医院(現在は明治村に保存)では診察室以外は全て和室になっている。

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本館1階とレントゲン棟は昔の医院の姿がよく残されている。また、2階の大部分と看護婦棟、その裏手にある入院棟はそれぞれ内部を改装し、画廊や資料展示室として活用されている。

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郡上八幡の街歩きにはぜひ立ち寄りたい建物のひとつである。

第1176回・旧堀谷医院

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岐阜県郡上八幡市大手町にある旧堀谷医院は、洋風の外観を持つ旧医院で現在は住宅として使われている。古い家並みが残る城下町に異彩を添えている。国登録有形文化財。

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郡上八幡は街中の至る所にきれいな水が流れる川や水路がある。写真は旧堀谷医院が建っている大手町周辺。

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旧堀谷医院は大正9年(1920)の創建とされ、木造二階建鉄板葺、外壁はコンクリート洗い出し仕上げで石造り風に目地を切っている。

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現在も創建時の外観をよく残している。
近年の改修で玄関周りが木製の扉に復元されたようで、一層よい雰囲気が醸し出されている。

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一階の玄関脇には、玄関と同様に大きなアーチを描く窓が設けられ、この建物の特色となっている。

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二階には四角い縦長窓を並べ、アーチの連なる一階とは対照的である。

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玄関欄間のアーチの縁取りと庇の持ち送りには漆喰による装飾が施されている。

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一階玄関横のアーチ窓はよく見ると下部が内側に反った馬蹄形になっており、アールヌーボー風の造形となっている。

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平成12年(2000)に国の登録有形文化財となっている。

第1174回・旧八幡町役場(郡上八幡旧庁舎記念館)

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岐阜県郡上市八幡町島谷にある郡上八幡旧庁舎記念館は、昭和11年(1936)に建てられた旧八幡町役場庁舎で、平成6年(1994)まで庁舎として使用されていた端正な外観の木造洋風建築である。現在は内部を改修し、観光案内所等として活用されている。国登録有形文化財。

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郡上八幡は旧八幡町を中心に城下町の風情をよく残し、奥美濃の小京都とも称される。市街地の中心を流れる吉田川は先日の平成30年豪雨では氾濫寸前であったが、訪問時には穏やかな流れとなっていた。

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郡上八幡旧庁舎記念館は旧八幡町の中心街に建っている。

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建物のすぐ脇を吉田川が流れている。かつてこの地には川の水利を利用した製糸工場があり、大きな水車が有名であったという。大正11年(1922)に八幡町役場が移転、その後改築されたのが現在残る建物である。

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木造二階建ての洋風建築で、設計は野村建築事務所、施工は地元の大工棟梁水谷藤兵衛とされる。1階は町役場の執務室、2階が町議会として使用されていた。

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写真左側に写る伝統的な造りの土蔵は旧庁舎と同じ昭和11年に建てられたもので、文書等の保管庫として使用されていた。庁舎と同じく国の登録有形文化財である。

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外壁をペンキ塗りの下見板張り仕上げとする木造洋風建築は明治以降全国的に普及し、地方の学校や役場では昭和に入っても盛んに建てられていた。

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正面及び側面の2ヶ所に設けられた玄関ポーチのみ外壁を洗い出し仕上げとしており、石造風の重厚な造りとなっている。

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玄関ポーチの照明燈。

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「八幡町役場」と記された右書き表記の銘版。

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昭和初期の建物らしく、腰壁には茶褐色のスクラッチタイルが貼られている。

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館内は改装されており、観光案内書のほか土産物店や食事処、喫茶コーナーが設けられている。かつてのカウンターや天井、階段など随所にもとの造りが残されている。

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手摺りに竹を用いるなど和風を加味した2階への階段。

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吉田川に面した位置には観光客が休憩できるデッキも設けられている。

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平成10年(1998)に国の登録有形文化財となった。現在は郡上八幡における街並み観光の拠点として使用されており、街の顔と言える存在である。
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現存する近代日本の歴史的遺産(台湾など旧日本領土も含む)を建造物・土木構造物を中心に、思いつくままに取り上げております。

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