第423回・旧徳島県庁舎(徳島県立文書館)

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昭和5年(1930)に竣工した旧徳島県庁舎は、昭和末年に解体された。
しかし徳島市郊外の文化の森総合公園内にある県立文書館の建物に、旧庁舎の玄関部分等一部が移築されており、かつての姿を一部ながら見ることができる。

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在りし日の旧庁舎全景。新町川に面し、以前取り上げた旧三河家住宅とは手前のかちどき橋を挟んで隣接していた。
写真は館内に展示されている古写真。

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現在の徳島県立文書館全景。正面中央の3分の1程度が再現されている。

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外壁タイルは新調されているが、玄関ポーチの石材や、軒のテラコッタ装飾、スペイン瓦は旧庁舎の部材を保存・再利用しているという。また玄関燈は戦時中の金属供出で失われていたものを図面に基づき復元している。

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中央部分に両端をくっつけたような形になっている。

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同じ昭和5年竣工の県庁舎は、他に旧茨城県庁舎旧山梨県庁舎があり、いずれも現存する。山梨の設計に関与していた佐野利器は、徳島県庁舎の設計にも関与しており、徳島と山梨の両庁舎の外観には似たところがある。

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側面1階外壁。

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背面。背面の外壁の一部分は旧庁舎のタイルを再利用しているという。

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玄関ポーチ部分は、旧部材を用いてほぼ寸分違わず移築されているようである。

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縁取りの装飾部分詳細。

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天井の漆喰細工も再現されている。

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木製の玄関扉。旧庁舎から移設したもの。

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壁面に大理石を張りつめた玄関。奥行きは切り縮められているとのことなので、意匠はともかく寸法は変えられていると思われる。当初はもっと奥行きがあったかもしれない。

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同上、天井の漆喰細工。

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玄関から階段室を見る。階段踊り場の絵は昭和5年頃の徳島市街。
当時の徳島は、川沿いに藍蔵が並ぶ、江戸時代の名残が強く残る城下町であった。その中でこの県庁や、以前取り上げた旧三河邸や高原ビル旧勧業銀行のような洋風建築はさぞ目立ったものと思われる。

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階段室は山梨や茨城の旧庁舎に比べると窮屈で、奥行きが切り縮められているのが分かる。
南洋材(タンギール)を用いた親柱と手摺は旧庁舎の部材を移設。

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内部で旧庁舎の面影を残すのは玄関まわりと階段のみである。

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(参考)徳島県立文書館ホームページ
http://www.archiv.tokushima-ec.ed.jp/
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第418回・旧日本勧業銀行徳島支店(みずほ銀行徳島支店)

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先日取り上げた旧高原ビルの斜め向かいにあるみずほ銀行徳島支店の建物。
昭和4年(1929)に、日本勧業銀行徳島支店として竣工した建物である。

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列柱に支えられた5連アーチが特徴的である。

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日本勧業銀行徳島支店は昭和中期の合併で第一勧業銀行徳島支店となり、平成に入るとまた合併でみずほ銀行徳島支店となり現在に至る。

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旧日本勧業銀行の店舗は、昭和12年竣工の長野県の旧松本支店は登録有形文化財として保全されているが、全国的に見ても現存するものは非常に少ない。

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徳島市内に残るほぼ唯一の古典様式の銀行建築としても、数少ない旧勧銀店舗としても、今後も残って欲しい建物である。

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希少であるだけではなく、建物そのものが非常に美しい、すばらしいものであることは、言うまでもない。

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この建物についての資料は乏しく、設計者は分からなかった。
今は無い東京内幸町の本店(徳島支店と同じ昭和4年竣工)を設計した渡辺節の可能性もあるが、日本勧業銀行の営繕部かも知れない。

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現在も現役の銀行店舗である。

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凝ったつくりの照明器具。
当初からのものかもしれない。

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入口の鉄扉も昔のままと思われる。

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近年、大手都銀の店舗は統廃合による敷地の売却で、すぐれた戦前の建物が無残にも破壊される例が続出している。
この建物がそのような末路を辿らないことを切に願う。

第415回・旧高原ビル(国際船場113ビル)

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徳島市の繁華街に今も残る数少ない近代建築のひとつがこの旧高原ビル。
昭和7年(1932)竣工。国登録有形文化財。

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徳島市の中心街の一画、東船場町を流れる新町川沿いに建つ現代建築。

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反対側に回ると茶色のスクラッチタイル貼りの建物の側面が見えてくる。

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旧高原ビル。現在は裏側に現代的なビルを増築し、「国際船場113ビル」に生まれ変わった。

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正面。石油・食用油の販売業を営む高原商店の社屋として建てられた。
当時の徳島市内では鉄筋コンクリート建築、しかも民間の事務所建築というのはほぼ皆無だったため人目を引いたという。
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設計は鈴木禎次(1870~1941)。名古屋をを始め東海地方を中心に活躍した建築家だが、東海地方以外では東京や大阪には作品が残るが、徳島はおろか四国ではこの建物だけである。

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小規模だがしっかりとデザインされた洋館。

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アールデコ風の飾り格子が取り付けられた円形窓。

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昭和20年7月の徳島空襲で周囲は焼け野原となったがこの建物は焼け残った。

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新ビルとのつなぎ目に残る大きな半円形の開口部。

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ビルの一部は「新町川文化ギャラリー」として開放されている。

第410回・三河家住宅

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徳島県を代表する近代洋風建築である三河家住宅。昭和3年(1928)頃の竣工とされる。
国登録有形文化財を経て平成19年には国指定重要文化財となり、平成23年には三河家から徳島市に寄贈された。
現在は一般公開に向けた取り組みが行われている。

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徳島市の中心街にある三河家住宅。左手に写る高層建築は徳島県庁。

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すぐ前を新町川が流れている。JR牟岐線の橋梁が真横を走る。

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徳島市内で産婦人科を営み、ドイツ留学から帰朝したばかりの医学博士・三河義行(1887~1969)が、留学先で知り合った建築技師の木内豊次郎(1890~1959)に設計を依頼して建てた自邸。

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地下1階地上3階・展望台も備えた鉄筋コンクリート造の邸宅。

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第二次大戦時の米軍による空襲で、徳島市は市街の殆どが焼失するがこの洋館は難を免れた。
しかし隣接して建っていた木造の三河医院は焼失、戦後三河医師は、昭和44年に死去するまでこの洋館を診療所兼住居として使用していたようである。

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三河医師の死後は学生寮などに使いながら、昨年まで三河家の人々により大切に守られてきた。

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現在は徳島市の財産として、新たな用途を見出すための取り組みが為されている。

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修復工事を終えた後、一般公開される予定である。

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洋館だけではなく、門や塀も当初からの構えを良く残す。

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内外共にドイツ風意匠でまとめられている。しかし内部には床の間付きの日本座敷もある。

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正面切妻上部に載るコンクリート製のグロテスク像。

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庭園にはコンクリート製の岩屋もある。

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玄関前の植え込みには、やはりコンクリート製のライオン像。
三河家住宅は敷地内の随所にこのようなコンクリート製の工作物があるのも特徴である。

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一般公開される日が待ち遠しい。

徳島市ホームページ 三河家住宅
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