第1027回・旧大和田銀行本店(敦賀市立博物館) 〔再訪〕

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平成24年(2012)12月4日付弊ブログ記事で紹介した、福井県敦賀市相生町の敦賀市立博物館(旧大和田銀行本店)は、その後修復事業が完了し平成27年(2015)7月より再開、銀行として、また公会堂や迎賓施設としても使われていた時代の重厚華麗な室内が甦った。

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建物は敦賀市指定文化財を経て福井県指定文化財となっていたが、平成28年(2016)10月21日、国の重要文化財に指定するよう文化審議会から文部科学大臣に対し答申が為された。今回は重要文化財指定予定となった旧大和田銀行本店について、修復後の姿をお見せしたい。

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大和田銀行は、敦賀の大商人・二代大和田荘七(1857~1947)によって明治25年(1892)に設立され、昭和20年(1945)に三和銀行(現・三菱東京UFJ銀行)に吸収合併されるまで存在した銀行である。本店の建物は昭和2年(1927)竣工の二代目で、鉄骨煉瓦造3階建地階付・石造風の外観を持つ建物は、当時の敦賀では際立った大建築であり、新聞に「摩天閣」と書き立てられた。

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江戸時代は北前船の寄港地として栄えていた敦賀は、明治以降は国際港として発展、ロシア・ウラジオストックとの定期航路が開設されるなど大陸への玄関口となっていた。敦賀の発展に力を注いだ二代大和田荘七は新本店建設に際し、国際港として恥ずかしくないものをとの思いから、迎賓・社交施設に加え、市民のための集会施設やレストランも備えた本店ビルを完成させた。

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修復前と変わらない敦賀市立博物館の正面玄関。外観は元々旧状がよく残されていたため、修復後もあまり変わっていない。なお、創業から新本店竣工まで使われていた初代大和田銀行本店も裏に現存、みなとつるが山車会館別館として利用されている。旧本店及び新本店のその他の外観写真は、以前の紹介記事もご参照頂きたい。

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正面玄関を入ると、往年の姿が甦った旧営業室が一望できる。修復前は旧銀行時代の内装の殆どが、展示ケースやパネルで覆い隠されていたが、修復に際しそれらは全て撤去され、建物本来の内装が見える形に改められた。

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天井の石膏飾りや照明器具、客溜の床タイルや二ヶ所ある玄関の風除室、大理石のカウンターなど、旧営業室の内装の大半は昭和2年竣工当時のオリジナルが残されている。一部、後年の改装等で失われた部分や老朽が甚だしい部分については、新材で復元もしくは交換されている。

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客溜の先には、2階に設けられた迎賓・社交用の部屋に続く階段が設けられている。大理石でできた豪華な階段には赤い絨毯が敷かれている。

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銀行や郵便局などの金融機関の営業室には、かつてはカウンターの上にスクリーンが必ず設けられていた。旧大和田銀行は、銀行店舗としては最後の所有者となった福井銀行が敦賀市に寄贈する昭和52年(1977)まで使われていたが、その時点でスクリーンは既に撤去されていたため、修復に際しては竣工当時の写真をもとに復元された。

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旧大和田銀行本店の構造は先述のとおり鉄骨煉瓦造(一部鉄筋コンクリート造)であるが、着工は関東大震災後の大正14年(1925)である。大震災を機に煉瓦造は影を潜めていった中で、旧大和田銀行本店や旧札幌控訴院庁舎(大正15年)のように、鉄骨や鉄筋コンクリートとの混構造による煉瓦造・石造建築は震災後もいくつか建てられている。

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旧営業室の天井。照明器具は創建当初のものが取り外された状態で地階の倉庫に多く保管されており、再利用できるものは修復に際し改めて取りつけられた。

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金庫室。

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博物館の展示ケースも、旧営業室の雰囲気を損なわないような色調、規模のものになっている。

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2階の迎賓・社交用の部屋に続く階段は、客溜だけではなく、営業室の内側からも出入りできるようになっている。

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2階の貴賓室。寄木張りの床や板張りの腰壁で重厚に仕上げられている。敦賀を訪れた賓客を迎えるために用意された部屋である。また、会議室としても使えるようになっている。修復前は展示室として使われており、ここも往年の面影は無かったが、修復に際し見事に甦った。

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壁布と窓のカーテンは復元品であるが、壁や床の造作、カーペット、椅子、テーブル、ソファは当初からのもの。

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ステンドグラスを嵌め込んだキャビネットも、竣工当初からのものである。

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竣工当初の古写真。
天井に電気扇がある点を除けば、修復後の姿と寸分変わりないのが分かる。

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2階には貴賓室に加え、社交場としてビリヤード台を備えた撞球室が置かれ、残りのスペースは重役室など銀行の執務室に充てられていた。写真は旧撞球室部分を含む区画で、現在は2室を1室にして展示室として使われている。(床に引かれた黒い線でかつての仕切り壁の位置が分かるようになっている。)

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3階は演壇を備えた1室の大広間になっており、公会堂として市民に開放されていた。

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創建当初は床は畳敷きであった。
今日と違って当時は椅子式の生活は一般的ではなく、畳の上での生活が主流であったことから、幅広い階層の一般市民の利用を想定し、床は畳敷きにしたものと思われる。
 
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3階に展示されている旧エレベーターの機械と箱。これも重要文化財指定に際し、建物に併せて指定されるとの事。当時、北陸でエレベーターを備えた建物は、極めて珍しかったとされる。

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正面に配された演壇。
両脇に円柱を配し、アーチで飾る。

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演壇周りの装飾。
アーチ上部中央の時計は現在は動かなくなっているが、創建当時からのものである。

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市民に開放されていたのは3階の公会堂の他、地階には京都・都ホテル直営のレストランも設けられていた。銀行営業室への入口の脇、ガラス製の屋根がある部分が入口となっていた。なお、その奥がエレベーターも備えた2・3階への出入口となっており、ここが公会堂への入口であったと思われる。

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修復前は地階への入口は埋められており、その上に二代大和田荘七の石像が置かれていた。修復に際し発掘され、ガラス張りの屋根も古写真に基づき復元された。(石像はすぐ横に移設された)なお、復元はされたが閉鎖されており、現在はここから地階に入ることはできない。

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旧レストラン跡。床は旧営業室と似た煉瓦色のタイルを敷き詰め、腰壁には白タイルと一部大理石を貼っている。

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本格的な西洋料理を食べられる敦賀でも数少ない店として、多くの市民が利用したという。

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地階のトイレは創建時の姿をよく残していたことから、現在はトイレとしては使用せず、保存されている。

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昭和戦前期の銀行建築としては、旧大和田銀行本店は三井本館(旧三井銀行本店・昭和4年竣工)に次いで、2例目の国指定重要文化財と思われる。

なお、裏にある初代本店の建物(みなとつるが山車会館別館)は明治の和風建築であり、内部には銀行時代の金庫室や座敷が残されているという。将来は新旧二代の建物が一体的に保存・公開されることを願っている。
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第903回・旧敦賀倉庫

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旧敦賀倉庫は福井県敦賀市蓬萊町、敦賀港の中央に建つ昭和初期の倉庫群。
そのうち、昭和8年(1933)竣工の鉄筋コンクリート造平屋建の新港第一号~第三号倉庫が国の登録有形文化財となっている。

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旧敦賀倉庫は、昭和初期から第二次大戦直後に建てられた建物で構成されている。手前の土蔵風の建物は戦後間もない時期に建てられた木造の新港第四号~第八号倉庫。その奥が昭和8年竣工の新港第一号~第三号倉庫。

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隣の土蔵風の倉庫群に比べるとモダンな外観であるが、こちらの方が古い。
現在は敦賀倉庫を吸収合併した若狭物流(株)の倉庫として、いずれも今も現役で使われている。

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敦賀は他の諸都市と同様、大東亜戦争末期には空襲で市街地の大半を焼かれ、敦賀港も大きな被害を受けた。第四号~第八号倉庫は戦後間もなく木造で再建されたものである。物資が不足している時期でもあり、屋根の形や大きさなど不揃いなのが特徴。

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敗戦直後の木造倉庫群とは対照的な外観の第一号~第三号倉庫。
竣工当時は「モダン倉庫」と呼ばれたという。

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第一号~第三号倉庫は平成26年(2014)に国の登録文化財となった。
なお木造の第四号~第八号倉庫は登録文化財にはなっていない。両者共に併せて保全して頂きたいものである。

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スペイン瓦を葺いた入口庇や、各小窓に配された丸みのある窓台と庇が特徴。

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角には一部をモザイクタイル貼りとした塔屋を設ける。

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一見シンプルな外観であるが、細部に凝った造形が見られる。

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敦賀港側から見た全景。
旧敦賀倉庫の敷地は、昭和7年(1932)に竣工した敦賀港第二期修築工事により拡張された埋め立て地である。

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港側の塔屋外壁上部には円形の痕跡があるが、時計でも付いていたのだろうか。

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敦賀港には、明治38年(1905)竣工の旧紐育スタンダード石油会社倉庫が登録文化財として保存されており、今年(平成27年)10月には敦賀市の鉄道歴史文化施設「敦賀赤レンガ倉庫」として開館予定である。

第496回・旧森田銀行本店

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九頭竜川の河口に位置する福井県坂井市三国町は、古くより港町として繁栄した土地である。今回紹介するのはその三国町に残る、大正9年(1920)に建てられた旧森田銀行本店。国登録有形文化財。

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三国町の旧市街には古い街並みが今も残る。

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福井県下では現存最古の鉄筋コンクリート造建築。全国的に見ても鉄筋コンクリート造建築としては初期のものである。

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一階側面の張り出した部分は旧金庫室。一部を残して撤去されている。

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設計者は当時横浜市技師であった山田七五郎。旧長崎県庁舎(明治44、昭和20年原爆投下による火災で焼失)や横浜市開港記念会館(大正6、国指定重要文化財)の設計者として知られる。

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この地で古くから北前船による廻船業を営んでいた森田家は、明治27年(1894)に森田銀行を開業する。銀行はその後第二次大戦に際し、戦時下の国策により福井銀行と合併する。旧本店の建物はその後平成の初めまで福井銀行三国支店として使われていた。

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平成6年に旧三国町(現坂井市)が取得、詳細な調査のあと修復復元が行われた。
工事終了後一般公開され、現在に至る。

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正面軒上の飾り壺なども修復に際して復元されたもの。

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外壁は大正時代の洋風建築に多く見られる焦茶色のタイル貼り。

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現存する同時期の地方銀行の本店では、埼玉の旧武毛銀行旧八十五銀行等がある。

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内部は吹き抜けの営業室がある。

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営業室天井の漆喰装飾は一番のみどころ。

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カウンターも当初からのものが残る。
7メートルの長さをもつケヤキの一枚板が用いられている。

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客溜りの暖炉。

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一見本物の大理石に見える右手の装飾柱は、漆喰で大理石状に仕上げたもの。

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旧営業室は催事用スペースとしても貸し出されている。

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営業室内側の暖炉。客溜りのものと意匠は同じだが、こちらは幅が細く若干スマートな印象。

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奥にある重役室。本店なので頭取室ではないかとも思うのだが、頭取室は別棟にでもあったのだろうか。
造りつけ戸棚の七宝焼の装飾を施した引手や、棚内側に貼られた布地、カーテンボックスの象嵌細工など見どころが多い。

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重役室の角にも暖炉がある。

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緑色と灰色の二種類の大理石を使った重厚なデザインの暖炉。

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かつて存在した別棟への出入り口と思われる部分。
別棟には宿直室や食堂、便所等があった。現在は福井銀行三国支店の新しい店舗が建っている。

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階段。親柱には渦巻状の装飾。

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二階の会議室。腰壁、暖炉など明るい色調で仕上げられている。床は寄木細工で、壁や暖炉上部には象嵌細工が施されている。テーブルと椅子は創建当初から使われていたもの。

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会議室の暖炉。重役室とは違い白大理石を使って軽快な印象。

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営業室の吹き抜け廻りにはギャラリーを巡らせる。

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再度、営業室天井。

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圧巻。

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規模は小さいが、見どころに富んだ中身の濃い建物である。

第490回・旧大和田銀行本店(敦賀市立博物館)

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敦賀市を代表する近代建築である旧大和田銀行本店。
敦賀の大商人。大和田荘七が設立した大和田銀行の本店として、昭和2年(1927)竣工した。
現在は敦賀市立博物館となっている。敦賀市指定有形文化財。

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敦賀港の近くに建つ旧大和田銀行本店。敦賀市は戦災で市街の大半が焼失してしまったため、先日紹介した旧紐育スタンダード石油會社倉庫と並ぶ数少ない近代建築物である。

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設計は京都帝国大学に在籍、営繕課長等を務めた永瀬狂三(1877~1955)、施工は清水組(現清水建設)による。

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裏手には昭和2年まで使われていた、初代本店の建物も現存する。現在はみなとつるが山車会館別館として使われている。

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初代と二代目の本店建物が並んで残るのは珍しい。
初代建物は、木造の町家に正面だけ洋風の外壁を建てたものであることが分かる。

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銀行本店として使われた他、地階には京都都ホテル直営のレストランがあり、2階には貴賓室を設けて敦賀を訪れる貴賓接待に使えるようになっていた。そして3階には舞台付きの公会堂が設けられ、敦賀市民のための施設として開放されていたという。

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また屋上はビヤガーデンとして開放されていたという。
3階建てだが天井が非常に高いので、普通の建物の5階分はあるこの建物は、当時敦賀市内では随一の高層建築物であったと思われる。

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南側の正面玄関。銀行営業室の入口と思われる。

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庇の持ち送りは特異な意匠。

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東側の側面玄関。地階、2~3階への出入り口はこちらに設けられていたものと思われる。

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側面玄関は持ち送りなど、正面とは少し異なる意匠とする。

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全体を石造り風に仕上げた重厚な外壁。

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随所に見られる星形の装飾は、大和田銀行のマーク。

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防火用鉄扉も創建当初からのものと思われる。
内部には当初のエレベーターも残されているという。

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塔屋。簡素な意匠が施されている金属製の手摺なども当初から残るものではないかと思う。

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背面。暖房ボイラー用と思われる大きな煙突がある。

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側面玄関の横に建つ、大和田銀行創設者・大和田荘七(1857~1947)の石像。

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敦賀市立博物館は建物の修復工事の為、今年7月に一時閉館した。
現在は工事に向けた準備が進められている。修復に際しては旧大和田銀行の内装が復原される予定である。

(追記)
その後、修復事業が完了し平成27年(2015)7月より、公開が再開されました。また、敦賀市指定文化財を経て平成22年には福井県指定文化財となっておりましたが、平成28年(2016)10月21日に国の重要文化財に指定される見込みとなりました。

平成28年10月30日付弊ブログ記事では修復後の姿を公開しております。

第483回・右近権左衛門邸

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福井県南条郡南越前町河野にある「北前船主の館・右近家」は、日本海における有数の北前船主であった右近権左衛門家の本宅を、北前船についての歴史資料と共に公開している。建築的に興味深いのは昭和10年(1935)に竣工した洋館で、スイス風とスペイン風を併存させる特異な意匠が特徴である。

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越前海岸に沿った国道沿いに右近家の屋敷が建っている。板張りの蔵3棟を備えた豪壮な門構えである。

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全景。裏山の中腹に、離れとして建てられた洋館が建っている。

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洋館は第十一代右近権左衛門(1889~1966)が昭和8年に、昭和恐慌の煽りを受けて貧苦の中にあった故郷の人々が、仕事にありつけるため起こした工事で建てられた。いわゆる「お助け普請」である。設計は大林組。

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門をくぐると細い露地を隔てて母屋がある。

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母屋は明治34年(1901)に、第十代右近権左衛門(1853~1916)によって改築されたもの。この時点では既に北前船から海上保険業に転身した頃であったが、かつての大船主の館を思わせる豪壮な囲炉裏の間がある。

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明治後期の近代和風建築らしく、囲炉裏のある部屋とは別に書院造の座敷や数寄屋の茶室もある。
裏山に面した小さな庭には、写真のような別棟の茶室もある。

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裏山には洋館建設と同時に造られたと思われる、立体庭園風の裏庭がある。(上記の茶室がある庭からも繋がっている)手摺や照明塔に使われているコンクリート製の擬木は、昭和初期のものと思われる。

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山道を暫く上ると視界が開け、洋館が現れる。
洋館は国登録有形文化財となっている。

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外観は一階をスペイン風、二階をスイスの山小屋風とするが、門前や海岸側からは一階は樹木に隠れ、主に目につくのは二階だが、白木を豪壮に組み上げた二階部分は下の板張の蔵と調和しており、違和感は左程感じない。

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一階は重厚な二階とは対照的に明るい雰囲気。当時右近家は本拠を、大阪を経て阪神間へ移しており、阪神間に建てた邸宅は当時流行のスペイン風洋館であったという。

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一階だけとはいえ、日本海側の風土とは相容れないスペイン風を採り入れたのは、夏場に一族が故郷へ帰省して過ごすために建てた家であったからとも考えられている。

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実際、夏の日本海は穏やかでスペイン風洋館も似合わなくもない。

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裏山に面した洋館の背面。

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洋館の上にはコンクリート造の亭。これも洋館や擬木で飾られた立体庭園と同じく、昭和10年頃に完成したものと思われる。

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洋館玄関の扉。

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内部は二階の一室を除いて、質の高いスペイン風意匠が見られる。
写真は玄関ホール兼階段室。鉄の飾り格子やタイル張りの床などはスペイン風洋館の特徴。

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一階は写真の居間兼食堂、主人夫妻寝室、便所、洗面所、浴室で構成されているが台所が無い。
そのため竣工した最初の年の夏は、下の母屋から食事を運んでいたが大変なので、翌年以降はこの洋館でずっと過ごすわけには行かず、時々の使用に止まっていたようである。

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居間兼食堂の奥にある、主人夫妻寝室。現在はテーブルが置かれているがかつてはベッドがあった。
左手のドアは専用の便所か洗面所と思われる。

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居間兼食堂の一角に天井を低く造った個所がある。

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スペイン風タイルを張りつめたイングルヌックが設けられている。
洋館の中では一番の見どころ。

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洋館内部に使われているスペイン風タイル。
(左)イングルヌック内壁(右)玄関ホール兼階段室の床

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階段室。
設計者の大林組は、社長である大林義雄の邸宅(昭和7)を始め、戦前の質の高いスペイン風邸宅を多く手掛けている。

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旧右近邸の離れは小規模ながら、公開されているスペイン風邸宅の中では最も質の高いものと思われる。

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船主の館らしく帆船をあしらったステンドグラス。
帆船の旗には右近家の旗印があしらわれている。

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二階は次の間付きの日本座敷と、洋式の小部屋がひとつある。
座敷は右近家の子供達の寝室に充てられたほか、来客用の客室にも使われていたという。

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二階バルコニーからの眺め。
河野の集落と越前海岸を一望できる。

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あらゆる場所から、海が見える。

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(参考書籍)藤森照信・増田彰久「歴史遺産 日本の洋館 第一巻・明治編Ⅰ」平成14年講談社刊
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現存する近代日本の歴史的遺産(台湾など旧日本領土も含む)を建造物・土木構造物を中心に、思いつくままに取り上げております。

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