第957回・旧中越銀行本店(砺波郷土資料館)

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富山県砺波市花園町のチューリップ公園内にある砺波郷土資料館の建物は、明治42年(1909)に建てられた旧中越銀行本店を昭和57年(1982)に移築保存したものである。明治期の銀行建築に多く見られる土蔵造の外観を持ち、内部には華麗な洋風意匠が施されているのが特徴。砺波市指定文化財。

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郷土資料館に展示されている古写真。外壁はかつては黒漆喰塗りであったが、昭和13年(1938)に現在のタイル張りに改変された。また、屋根は当初瓦葺であったが、昭和5年(1930)に写真の銅版葺に改造されている。

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現在の姿。移築後も、屋根と壁面は昭和初期の改装後の姿がそのまま残された。
なお、古写真に写っていた一階窓の金属製格子は、戦時中の金属供出で失われた。

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中越銀行は、砺波地方の地主層によって明治27年(1894)に設立され、現存する本店建物は現在の砺波市本町に明治40年(1907)に着工、2年の工期をかけて完成した。中越銀行はその後、昭和18年(1943)に戦時下の国策により統合、北陸銀行となった。

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中越銀行本店の建物は北陸銀行砺波支店になり、昭和53年(1978)まで使用されたが、土地区画整理事業のため一時は取り壊されることになったが、北陸銀行から砺波市に譲渡され、現在地に移築保存されることになった。

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明治時代の半ばから末にかけて、伝統的な土蔵造の外観に洋風の内装を持つ銀行建築が全国各地に建てられた。旧中越銀行本店は現存する土蔵造の銀行建築の中でも、とりわけ重厚華麗な建物である。

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耐火性や安全性において江戸時代から実績があり、また社会的地位の象徴として認知されていた土蔵造は、信頼性を重視する上で、銀行建築としては恰好の様式であったと考えられる。しかし大正時代に入ると外観も洋風とするのが主流となり、土蔵造で建てられることは無くなった。

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ポーチ状に前面に張り出した正面玄関。

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正面玄関は貴賓用玄関であり、一般顧客の入口は建物脇に別に設けられていた。
郷土資料館となった現在は正面玄関から入る。

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正面玄関の天井には見事な漆喰彫刻が施されている。同じ砺波市内に現存する旧木村組や、旧帝国ホテル(明治23年竣工の初代)や中国大連の旧朝鮮銀行ビルなど多くの洋風建築の装飾を手掛けた竹内源蔵の手になる。

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移築に際しては漆喰彫刻をそのまま保存するため、正面玄関部分のみ解体せずに切り離して深夜に運んだ。なお、竹内源蔵については、当ブログ過去記事(第805回・旧小杉町役場(竹内源蔵記念館))も参照頂きたい。

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正面玄関風除室の硝子戸。

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2層吹き抜けの重厚華麗な営業室。

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天井には、当時極めて贅沢な壁紙であった金唐革紙が用いられている。
金唐革紙が用いられていて、かつ現存する建物は、弘前市の旧五十九銀行や神戸市の移情閣など、ごく少ない。

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木製のカウンター。

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カウンターの上には、かつては金属製の仕切りが設けられていた。
展示されていた古写真より。

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かつて正面玄関に掲げられていた、中越銀行本店及び北陸銀行砺波支店の大理石製銘版。

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重役や貴賓のための専用と思われる、二階への階段。

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吹き抜けを囲む回廊には銀行の行章をあしらった金属製の飾り格子が嵌め込まれていたが、カウンター上部の仕切りと共に戦時中の金属供出で失われた。

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金唐革紙は営業室以外の部屋でも用いられている。

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旧中越銀行本店内部の大きな見どころである二階会議室。

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従前は二階は未公開であったが、平成27年7月以降は、毎月第1土曜日の午前に学芸員の解説を交えて公開されるようになっている。

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天井の彫刻は圧巻。旧中越銀行本店の概括設計は東京の技師長岡平三の手によるが、実施設計および工事監督は、地元の宮大工の棟梁で旧富山県農学校(巌浄閣)も手掛けた藤井助之丞による。

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砺波地方は南砺市(旧井波町)を中心に、仏壇や欄間などを飾る彫刻が盛んな地域である。
旧中越銀行本店の内部装飾には土地の地方色がよく表れている。

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一般行員用と思われる螺旋階段。

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伝統的な土蔵造りの重厚な外観と、華麗な室内意匠の対比が面白い建物である。
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第927回・旧富山県農学校(巌浄閣)

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富山県立福野高等学校の敷地内に建つ「巌浄閣」は、同校の前身に当たる富山県立農学校本館として明治36年(1903)に建てられた。富山県内に現存する明治時代の洋風建築の代表格である。国指定重要文化財。

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福野高等学校は富山県南砺市苗島、JR城端線福野駅から近い位置にある。

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平日であれば学校の事務室に断れば内部も見学できるとのことであるが、外観は常時見学自由である。

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校舎としての役割を終えた後、昭和43年(1968)に敷地内で移築、修復がなされた。
このとき、当時の富山県知事であった吉田実氏によって「巌浄閣」(がんじょうかく)と名付けられた。

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「巌浄閣」の由来は、私財を提供して農学校設立の先覚者とされる島巌の名に因む。

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明治42年(1909)には、県立農学校は富山を行啓された皇太子(のちの大正天皇)の御座所に充てられた。

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正面屋根上部のゲーブル。

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設計施工は地元の宮大工の棟梁である藤井助之丞が手掛けた。

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南砺市は今日でも仏壇や欄間などを飾る彫刻が地場工芸として盛んであるが、巌浄閣の正面玄関扉にも凝った透かし彫りの装飾がみられる。

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旧県立農学校校舎は富山のほか、茨城にも現存する。

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巌浄閣は平成9年(1997)、国の重要文化財に指定された。

第911回・東洋紡(株)井波工場

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富山県南砺市山見に東洋紡(株)の井波工場がある。かつての富山紡績井波工場として建てられた同工場では、ロマンチックな外観の工場事務所や、展望台のような形状の塵突を持つ工場棟など、昭和初期に建てられた施設が現在も稼働している。

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先日紹介した旧井波駅舎から徒歩数分程度の場所にある東洋紡井波工場。現役の工場施設なので立ち入りはできないが、主要な施設の外観は道路からもよく見える。

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軒まわりにロマネスク調の装飾が施された、展望台のような建物は塵突(じんとつ)。紡績工場で発生する綿屑や埃などの塵を外部へ排出するための設備である。煙突と同様の役割を果たすことからこの名がある。

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塵突の壁面に記された「2591」の文字は皇紀2591年、即ち昭和6年(1931)を示しており、工場の竣工年と思われる。
「№1」は1号棟という意味か?

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戦前の工場建築ではよく採用されていた鋸屋根が連なる。
鋸屋根は南側に傾斜のある屋根を配し、北側には採光用の窓を垂直に開ける。その形状が鋸の歯を連想させることからこの名が付いた。

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工場の前にはよく整備された庭園があり、木立ちの先に洋館造りの事務所が見える。

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庭園も工場や事務所と同時期に整備されたものと思われる。

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昭和7年(1932)に建てられた、ハーフチンバー様式の事務所。

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現在も事務所として使われている。

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壁面はクローバーやダイヤ形の模様で飾られている。工場で勤務する従業員の大半は「女工」と呼ばれた女性の従業員であることから、施設は女性を意識した外観になったものと思われる。

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紡績業は戦前における我が国の花形産業であり、各地に大規模な工場が建てられたが、今日も工場や事務所、庭園などが昭和初期の姿を残している現役の施設は非常に珍しい。

第909回・旧井波駅舎(井波物産展示館)

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富山県南砺市(旧井波町)にある井波物産展示館は、加越鉄道(のち加越能鉄道加越線となる。現在は廃線)井波駅舎として昭和9年(1934)に建てられた寺院風の外観が特徴の木造和風駅舎。国登録有形文化財。

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現在は物産展示館及びバスの待合所としても使われている。

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平成8年(1996)の国による登録文化財制度の導入に際し、富山県では最初の登録物件となった建物である。

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駅舎は井波の宮大工、松井角平恒茂によって建てられた。

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高欄をめぐらせた宝形造の楼閣が載る。

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昭和47年(1972)に加越能鉄道加越線が廃線となったことにより、駅舎としての役目を終えた。

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井波町では、仏壇や欄間などを飾る彫刻が地場工芸として今日も盛んである。
この建物でも、内部には当地にふさわしい欄間彫刻もあるという。

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残念ながら立ち寄った際は閉じられており、内部を見ることはできなかった。

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旧ホーム側からの眺め。

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昭和52年(1977)に物産展示館となり、現在に至っている。

第905回・旧城端織物組合事務棟

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富山県の旧城端(じょうはな)町(現・南砺市)は、かつて絹織物の製造が盛んな土地であった。昭和3年(1928)に城端織物組合の事務所として建てられた洋館が現在、「じょうはな織館」という名称で織物産業の歴史を伝える施設として活用されている。国登録有形文化財。

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正面全面と側面の一部外壁が当時流行の茶褐色のスクラッチタイルで仕上げられた外観を見ると、一見鉄筋コンクリート造のようにも見える。

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側面から背面に回ると、実は木造であることが分かる。

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正面と背面だけを見ると、同じ建物とは思えない。

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戦国~安土桃山時代に当たる天正年間に始まる歴史を有する城端の織物産業は、江戸時代に入ると加賀藩の政策もあって盛況を迎えた。城端織物組合は明治42年(1909)に組織され、約20年後の昭和3年にモダンな洋風の事務所が竣工する。

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二階にあった大ホールは町民に開放され、屋上には時報用のサイレンが設置されるなど町のシンボル的建物であったという。

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平成14年(2002)に城端町(当時)に寄贈され、改修の上、翌年に現在の「じょうはな織館」として生まれ変わった。

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越中の小京都と称される旧城端町には落ち着いた古い家並みが残されている。
写真は旧城端織物組合のすぐ裏手にある城端醤油の店舗。

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店舗に隣接する赤煉瓦の醸造施設。

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入口のキーストーンには「培菌室」の文字がある。
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