旧川喜田久太夫(半泥子)邸「千歳山荘」の再建に向けた動き

前回の扇湖山荘本館(旧長尾欽彌別邸)の記事にて触れた、三重県津市の旧川喜田久太夫(半泥子)邸は、扇湖山荘本館と同じ大江新太郎の設計による和洋併置式の邸宅で「千歳山荘」と称された。現在は解体材の状態で保管されている。

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川喜田家の広大な敷地は現在、津市が川喜田家から寄贈を受け、一般公開に向けた準備が進められている。一時はもとの跡地に「千歳山荘」が再建されることも期待されたが、費用等の問題から具体化には至っていない。

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現在、「千歳山荘」の再建を目指す活動が下記の新聞記事のとおり展開されている。
ブログ主も及ばずながら是非応援させて頂きたいと思うので、少し日が経っているがここに紹介させて頂く。

川喜田半泥子も非常に魅力ある人物だが、その邸宅も何年かかってでも元の場所に甦らせたい。

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平成28年10月13日付中日新聞(web記事、現在はリンク消滅)より

三重の“迎賓館”復元へ一歩 半泥子暮らした津の山荘

 百五銀行の元頭取で陶芸家、川喜田半泥子(一八七八~一九六三年)が暮らした津市垂水の千歳山の山荘。その解体部材が三十年以上、奈良県で保管されていたことが近年分かり、復元を願う津市の市民団体が、九月に部材の一部を運び入れた。「山荘は当時の三重の事実上の迎賓館。何年かかってもよみがえらせたい」と訴える。
 団体は、昨年十一月に津文化協会を中心に発足した「半泥子と千歳山の文化遺産を継承する会」。今年の九月上旬、奈良県の民間団体が保管していた部材の一部を松阪市の建築会社の倉庫に搬入し、同中旬には芸術的価値の高いふすまや杉戸などを運び入れた。
 会によると、山荘の移設・再建にかかる費用は約五億円。重要文化財の明治神宮宝物殿も担当した故大江新太郎が設計した。会では、大江の手掛けた建築物のいくつかが文化庁の文化遺産に登録されていることから「山荘が再建されれば、文化遺産登録も目指す」として市民らに寄付を呼び掛け、復元へ向けた運動も進めている。
 山荘は一九一五~一六年、半泥子が陶芸に土が適した千歳山に数寄屋風の平屋和館(約百四十平方メートル)と、「イングリッシュ・コテージ式」と呼ばれる木造二階建て洋館(延べ約二百平方メートル)を建設。敷地内に設けた窯で陶芸を楽しんだ。
 会の事務局長で津文化協会理事長の辻本当(あたる)さん(80)によると「皇族や各界の文化人たちが全国から訪れる文化サロンだった」という。
 戦時中の四三年、鈴鹿市の海軍工廠(こうしょう)に移築。戦後は電電公社(現NTT)の関連施設として引き取られたが、八五年に解体。奈良県の民間団体が復元目的に部材を引き取ったが、費用面などから実現しなかった。三重大の菅原洋一教授(建築学)らが二〇一一年に奈良県教委へ問い合わせたところ、部材は倉庫に眠ったままであることが分かった。
 一方、千歳山の土地は〇八年に川喜田家が津市に寄贈。市は公園として整備する構想を練っているが、現時点で山荘の復興計画はない。
 辻本さんらは「山荘を復元し、改めて津市の文化の拠点として発信していきたい」と切望している。
 (鈴木里奈)
 <川喜田半泥子(かわきた・はんでいし)> 1878(明治11)年、大阪府生まれ。津市議、三重県議も務め、百五銀行頭取など財界の要職を務める傍ら、書道や俳句などをたしなんだ。陶芸は還暦近くになってから本格的に始めた。4万点の陶芸作品を残しており、「東の(北大路)魯山人、西の半泥子」とも称された。

(引用終わり)

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(関連リンク)
津市 千歳山の整備について
石水博物館

(弊ブログ関係記事)
千歳文庫(旧川喜田邸敷地内にある収蔵庫)
旧川喜田久太夫(半泥子)邸 復元計画の現状
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旧川喜田久太夫(半泥子)邸 復元計画の現状

以前弊ブログ記事で、復元が計画されていることについて紹介した三重県津市の旧川喜田久太夫(半泥子)邸ですが、下記の日本経済新聞報道によると計画は現在、暗礁に乗り上げているようです。

旧川喜田邸について取り上げた弊ブログ記事(第258回・千歳文庫)
http://kenchiku228.blog85.fc2.com/blog-entry-263.html

旧川喜田久太夫(半泥子)邸洋館(石水博物館の展示パネルより)

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写真の二階建洋館と、平屋建日本家屋が現在、解体材の状態で保管されており、津市によって復元が検討されていた。
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日本経済新聞 平成26年4月23日付記事
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG22057_T20C14A4CR0000/

(以下、記事引用)

「半泥子の山荘、復元計画が頓挫 専門家「重文級の価値」

「東の魯山人、西の半泥子」と称された陶芸家、川喜田半泥子(本名・久太夫、1878~1963年)が暮らした津市の山荘が2度の移築を経て解体された後、部材が奈良県内の倉庫に30年近く眠っている。津市は一時、復元に前向きな姿勢を見せたが、数億円の費用がかかることもあって計画は頓挫。専門家は「重要文化財級の価値があり、市が部材を引き取るべきだ」と訴えている。

 半泥子は伊勢商人の末裔(まつえい)として生まれ、百五銀行(津市)の頭取や、津市議、三重県議も務めた資産家。

 山荘は1915年、津市を一望する千歳山に建てられた。「イングリッシュコテージ式」と銘打たれ、木造2階建ての洋館と木造平屋の和館を併設。千歳山の土が陶芸に適しており、半泥子は窯を開いて作陶を始めた。

 津市を訪れる皇族や文化人の迎賓館の役割も担ったが、43年に三重県鈴鹿市の海軍工廠(こうしょう)に寄付されて以降、所有者を変えて2度移築され、85年に奈良県内の民間団体が解体し、復元目的で部材を引き取った。しかし、復元のめどは立たず、団体の倉庫に放置されたままになっていた。

 2008年、川喜田家が千歳山の土地を津市に寄贈。市や、有識者でつくる「津市千歳山を考える会」は、山荘を復元し公園として整備する計画を練り、11年には部材の調査を決定。山荘を公園の新しいシンボルにすべく動き始めた。

 しかし昨年11月に市議会に提出された千歳山の整備案に復元は盛り込まれなかった。津市政策課の倉田浩伸課長は「復元しても費用に見合う集客力や利用法があるか疑問。今の財政状況で、市民の理解を得るのは難しい」と漏らす。

 三重大大学院の菅原洋一教授(日本建築史)は「復元すれば重文指定も目指せる。部材の倉庫は保管に適しているとは言えず、団体が部材を保管し続ける保証もない」と指摘している。〔共同〕」

(以上、記事引用)

上記記事では言及されていませんので「重要文化財級の価値がある」点につき、ブログ管理人より私見の補足を。
旧川喜田久太夫邸には、大正期を代表する2人の建築家が設計に関わっています。そして両者の設計作品には、国指定重要文化財が既に何件か存在しています。

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当初設計者の大江新太郎(1876~1935)は、明治神宮造営や伊勢神宮式年遷宮、日光東照宮修理などに携わり、寺社建築に造詣が深い建築家。大正10年竣工の明治神宮宝物殿は国指定重要文化財。

大江新太郎設計の明治神宮宝物殿

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大正8年に行われた、洋館部分の玄関・ホールまわりの改装を手掛けた田辺淳吉(1879~1926)は、工芸性の高い作品を多く残した建築家で現在3件(誠之堂晩香廬青淵文庫)が国指定重要文化財。

田辺淳吉設計の晩香廬

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施主の川喜田半泥子(1878~1963)は、百五銀行頭取を長年務めた実業家であると同時に、陶芸家としても知られるが建築にも関心が強く、自ら大工道具を振るって建てた茶席(山里茶席)が現存、公開されている。なお上記記事中、「東の魯山人、西の半泥子」と紹介されている北大路魯山人(1883~1959)の旧邸は現在、旧所在地の鎌倉から茨城県笠間市に移築、「春風萬里荘」の名で保存・公開されている。

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川喜田家は平成20年(2008)、津市の郊外にあり、川喜田邸敷地及び周辺の広大な自然林から構成される千歳山の土地を、敷地内の建物を含めて津市に寄贈しました。津市では千歳山の整備に当たり、現在は解体材の状態で奈良県内に保管されている旧川喜田邸の復元も検討に入れ、整備に着手していたところです。

個人的な話で恐縮ですが、ブログ管理人は10年程前に下記「大宝天社絵馬」様のホームページ(※)で初めて旧川喜田邸の存在を知り、特に洋館の美しい外観に魅せられました。また施主の川喜田半泥子についても、偶々見た作品展を通じその人物像に魅せられました。この度の津市の動きには多大なる期待を寄せておりましただけに、計画が頓挫しているという現状は残念でなりません。

※ホームページ「大宝天社絵馬」様の「今は昔の物語」にある「鈴鹿荘」の記事
(鈴鹿市に移築され「鈴鹿荘」と称されていた頃の旧川喜田邸について、こちらのホームページで詳細に紹介されておられます)

(参考:三重県内で既に修復・公開されている近代の邸宅)

桑名市が「六華苑」として整備・公開している旧諸戸清六(二代目)邸

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上記「六華苑」に隣接、諸戸家関係の財団が公開している旧諸戸清六(初代)邸

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三重県に現存する近代の大規模な邸宅では上記二つの諸戸邸の他、擬洋風建築の洋館がある土井本家(尾鷲市・非公開)などがありますが、旧川喜田邸は三重県における近代の貴重な歴史遺産として、これらに匹敵する価値があると思います。桑名の旧諸戸邸は観光名所としても定着しつつあり、同様に旧川喜田邸を巨額の費用に見合うだけの集客力を有する文化施設にする事も決して不可能ではないと思います。

津市におかれましては、財政面から難しい点は容易に想像できる所ではありますが、津市民のみならず三重県民、日本国民の財産として旧川喜田邸が後世に引き継がれるよう、復元実現に向けて千歳山の整備を進めて頂くことを願うものであります。

大丸百貨店心斎橋店が建て替え?

4月9日付記事で気になるコメントを頂戴したので調べると、大阪・心斎橋にある大丸百貨店心斎橋店(参照:過去の紹介記事)が建て替えられる、と朝日新聞(デジタル版)が報じています。

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記事を見ると・・・(以下引用、但し本文のみ)

4月11日付朝日新聞デジタル版

「完成から81年たつ大丸心斎橋店本館(大阪市中央区)が、建て替えられる見通しになった。近代の大阪を代表する歴史的建造物のひとつだが、老朽化に加え、周辺の百貨店が次々と増床・改装しており、対抗が必要になった。

 1933年に完成した本館は、米国出身の建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズの代表作のひとつ。アールデコやネオ・ゴシック様式を織り交ぜた「大正モダン建築」で知られる。大理石を多用し、玄関ホールの天井にはイスラム様式の幾何学模様アラベスクもみられる。45年の大阪大空襲で上層階を焼失したが、その後、雰囲気を保ったまま修復・増築された。
 ただ、最近は古さが目立っていた。そこで大丸松坂屋百貨店を傘下に持つJフロントリテイリングは、10日発表の中期経営計画に「心斎橋地区再開発計画の具体化」を盛り込んだ。

 大丸松坂屋の好本達也社長は「本館建て替えを含め、前向きに検討している」と話す。南館、2009年にそごうから買いとった北館の改装とともに、16年度までに一体的な活性化策を固める。(内藤尚志)」

本記事で言及の心斎橋地区再開発計画については以下、「建設通信新聞」より。

4月11日付建設通信新聞記事

「J・フロントリテイリング(JFR)は、東京・銀座六丁目10地区再開発計画、松坂屋上野店南館建て替え事業に続き、大阪心斎橋地区の再開発計画に着手する。「大型商業施設のオーバーストア化で競合が激化する大阪地区の競争力を抜本的に強化する」(同社)ため、大丸心斎橋店(本館、北館、南館)を中心に周辺の不動産、商業施設活用を含めた心斎橋地区再開発計画の具体化を推し進めるという。10日、同社が発表した今期を初年度とする3カ年の中期経営計画(-2017年2月)の中で明らかにした。3年間で1300億円以上の営業キャッシュフローを創出し、うち1100億円を主に大型設備投資と成長投資に投入する。
 中計は、16年11月に銀座六丁目10地区再開発計画の開業を予定しているほか、17年秋に松坂屋上野店南館建て替えのオープンを予定している。
 17年以降の飛躍を見据え、新百貨店モデルの確立に向けた取り組みをさらに推し進めるとともに、パルコやスタイリングライフ・ホールディングス(SLH)、フォーレストを加えたマルチリテイラーとして取り組みを強化することで顧客の幅広いニーズに応え、グループの競争力、収益力を抜本的に強化するという。
 パルコは16年春の開業を目標に仙台地区2店舗目となる仙台新館(仮称)の開発を進めるほか、名古屋(14年秋)や札幌(16年春)など7物件以上の開発を目指すとともに、売り場面積の約15%規模を毎年リニューアルする。
 海外は、上海新世界大丸百貨店(中国)、JFRプラザ(台湾)を通じ、今後の事業展開や他のアジア諸国出店につなげる。」

(以上、記事引用終わり)

「大丸心斎橋店本館の建て替えも選択肢に入れた再開発計画が具体化に向け動き出した」とは言えますが、朝日の「建て替えられる見通しになった」はちょっと飛躍し過ぎと思いますが?

朝日新聞は昭和6年竣工の近代建築として知られた旧朝日ビルディングを取壊し、高層ビルに建て替える再開発事業を現在やってる最中ですから、大丸も同じような事をやるぞ、とでも言いたいのでしょうかね?
・・などと下衆な勘繰りもしたくなる記事です。

それはさておき、歴史的建築が簡単に姿を消すことが珍しくない大阪の土地柄を考えると、本館の建て替えが有力な選択肢に挙がっているのは事実と思います。

隣りの南館や北館(旧そごう百貨店本店)の増改築で本館は修復改修、という選択肢もあって然るべきでしょう。
大丸は再開発するなら三越や高島屋を見習ってやって頂きたいものです。

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日本橋三越本店(大正3年竣工、昭和2・10年改装 東京都選定歴史的建造物))→過去の紹介記事
旧館に隣接して高層の新館を増築。旧館は耐震改修を施し、吹付塗装で塗り込められていた白タイル貼りの外壁も近年の改修で復元されている。

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高島屋東京店(昭和8年竣工、同29、40年増築 国指定重要文化財)→過去の紹介記事
戦後の増築部分も含まれる重要文化財の本館は保存しつつ、隣接の別館を高層化する再開発計画が進行中。

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高島屋本店(南海ビルディング)(昭和7年 国登録有形文化財))→過去の紹介記事
戦後の増築部分のみ建て替えて、売り場面積の増床に対応。本館は改修後、国の登録文化財に認定されている。

旧ジョネス邸 部材保存状況と今後の活動

昨年解体された神戸市垂水区塩屋の洋館・旧ジョネス邸について、先日「一般社団法人 旧ジョネス邸を次代に引き継ぐ会」ホームページにて、将来の移築再建も視野に入れて行われた部材採取・保存状況及び保存活動の今後について掲載されておりましたので、その保存活動を随時紹介してきた弊ブログとしては、一区切り付ける意味でもここに紹介しておこうと思います。

将来の再建も可能性に入れた活動が今後も継続されるとのことなので、弊ブログでは引き続き微力ながらも応援させて頂く所存です。

以下、一般社団法人 旧ジョネス邸を次代に引き継ぐ会のホームページ(平成26年3月19日記事)より引用。

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「現在までの活動についてご報告します

旧ジョネス邸の保存活動に際しましては、多大なご支援とご協力を賜り、誠にありがとうございました。

 地元林工務店の協力を得て部材・備品の回収作業を行い、オリジナル部材の内かなりの割合を確保しましたが、検討の結果、近日中の移築・再建等は困難であることから、「旧ジョネス邸移植プロジェクト」として、将来の再建も視野に入れながらこれらの保存活用を図っていくことになりました。

 合同会社塩屋百年舎へのご出資については、正式に全額ご辞退申し上げることになりました(既に入金のあった分については返還済み)。
 最終的なご出資のお申し込みは、171名の方々よりいただき、総計5,510万円となっています。

 一般社団法人旧ジョネス邸を次代に引き継ぐ会へのご寄付は2014年2月28日現在で3,629,027円となっており、この内2,446,411円を工務店への部材回収作業費支払い、476,474円をその他諸費用に充当させていただきました。
 残金は部材管理・運用費および塩屋近辺の歴史的建造物等保存のための積立金とさせていただきます。

 保存済みの主要部材・備品は、建具類37、階段手摺と板一部、屋上手摺一式、巾木100メートル弱、床板200平米弱、暖炉飾り枠、家具17点、玄関階段石材の一部、美術品類約150点、書籍・書類の大部分となっています。

 建物部材に関しては、反復利用可能な物は「旧ジョネス邸移植プロジェクト」として建築物の中で実際に活用しながら保存し、インターネット等で公開すると共に、将来旧ジョネス邸が再建可能となった場合には回収して復元できるよう、準備を進めています。
 部材には旧ジョネス邸の名を刻んだプレートを付した上で無償貸与し、原則として公衆の目に触れる場所へ組み込み設置します。
 移植に関する立案・施行・情報公開は、当会会員・前田真治率いるプロジェクトチーム、ジャーマン・スープレックス・エアラインズが担当します。

 また、当サイトでも移植プロジェクトの状況をご案内していく予定となっています。

 なお、先行モデルケースとして、京都・上京区の集合住宅「ことりアパートメント」に旧ジョネス邸建具の一部が移植され、ウェブサイトの物件情報の
ページからその様子をご覧になることができます。
http://kotori.hateblo.jp/

 美術品類・書籍・書類に関してはその内容が多岐にわたるため現在整理・調査中ですが、法律書の一部は大学の受け入れが決定しており、その他備品に関しても調査が完了し次第、可能な物は専門機関等に寄託し、神戸の財産として広く共有できるよう、準備を進めています。

 旧ジョネス邸を次代に引き継ぐ会では、今後も引き続き旧ジョネス邸の部材・備品の保存、管理、利活用を進めてまいりたいと思います。
活動継続のため、あらためて寄付によるご支援をいただけますと幸いです。

 最後になりましたが、皆様方へのご報告が大変遅くなりましたことをお詫び申し上げます。
 また、この度の保存活動へのご関心・ご助力に対しまして、重ねてお礼申し上げます。」

(以上、引用終了)

以下の写真は、昨年6月に保存活動の一環として開催された見学会の折、撮影したものです。
当該見学会の記事

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在りし日の旧ジョネス邸。外に面した部分では窓や扉、屋上の手摺が採取された。

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玄関の石段はどのぐらいかは分からないが一部が採取・保存されたという。

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暖炉飾りやドアや窓など建具のほか、巾木、床板もある程度採取され、主要な内装材は保管されたようである。これならば兵庫県によって移築保存された旧武藤山治邸(構造材や外装材の殆どが新材だが、建具・内装材・家具調度はオリジナル)と同レベルの移築復元は可能と思うのだが。

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写真のものが保存されたものに含まれるかは不明だが、家具は17点が保存されたとのこと。

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なお「引き継ぐ会」の活動とは別に、神戸市によってステンドグラスと階段親柱が解体決定前に採取・保存されている。
(扉の両脇の窓、及び玄関との間仕切り部分にステンドグラスがあった)

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果たして実現されるかどうか分からないが、再建される日が来ることを期待したい。
同会では活動の継続のため、寄付も募っている。詳しくはこちら

旧ジョネス邸 現地保存ならず

神戸市垂水区塩屋の旧ジョネス邸は、現地保存は不可能となったようです。

以下、一般社団法人 旧ジョネス邸を次代に引き継ぐ会より引用。

「旧ジョネス邸の現地保存は残念ながら絶望的となりました

これまで皆様方の多大なご支援を受け、旧ジョネス邸を現地保存するべく活動してまいりましたが、力及ばずご期待に応えることは叶わなくなりました。

9月末より買い取り交渉に入っていた再生可能エネルギー企業は、持続可能な社会を目指す社の理念と旧ジョネス邸の保存継承・塩屋の街としてのあり方に共通する価値観を高く評価し、最後まで共に保存への道を探ってくださいましたが、価格面や、研究調査のための許認可その他の条件を満たすことができず、購入を断念せざるを得ませんでした。
あなぶき興産に対しては、垂水区役所と共に3億6千万円の売却価格・わずか2週間という契約期限の見直しを打診しましたが、社としての決定だということで、残念ながら一切の譲歩は得られませんでした。
ただし、あなぶき興産からは、旧ジョネス邸の部材・備品については全て譲ってもよいとの約束をいただいていますので、限られた時間の中で可能な限り部材を保存し、将来何らかの形で移築再生等が可能になるよう、全力を尽くしたいと思います。

最後になりましたが、これまでご支援・ご協力いただいた皆様方には、心よりお礼を申し上げます。
また、現地保存は叶いませんでしたが、前述のように何らかの形で旧ジョネス邸を次の世代へ継承するための活動は続けてまいりますので、引き続きご支援・ご助力いただけましたら幸いです。

なお、現在いただいているご寄付につきましては、塩屋地区近辺の歴史的建築物保存のために大切に使わせていただきます。

また塩屋百年舎への出資お申し込みにつきましては、現地保存という本来の目的が果たせなかったため、一旦ご入金を辞退させていただき、今後の活動の具体的な方針が決定しましたら、改めて皆様方のご意向を伺いたいと思います。」

(以上、引用終了)

決して簡単に実現するような話ではないと思ってはいましたが、本当に残念です。

ただ建物の部材・備品については譲渡を認めるとのことなので、移築保存の可能性が残されている点ではまだ保存に向けた活動は決して終わった訳ではないと思います。
もし移築が実現するにしても、舞子の旧武藤山治邸のように、せめて塩屋の近隣(須磨・垂水・舞子界隈)で、海を望む場所への移築復元が実現されれば非常によいのですが。

保存に向けてご尽力されてきた関係者の皆様におかれましては、どうか引き続き頑張って頂きたいと思います。
弊ブログでは引き続き旧ジョネス邸の保存活動を応援させて頂くと共に、今後の動きもご紹介させて頂く所存です。


塩屋の海岸からは姿を消すことになった旧ジョネス邸。2度目の移築が実現される事を期待します。
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上記本文で触れた旧武藤山治邸。旧所在地の近隣に移築保存された。
(神戸市垂水区東舞子町 → 同町舞子公園内)一度全く異なる場所に移築されたが、2度目の移築により、旧所在地と似た条件の場所に保存されている。
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プロフィール

syoukou

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現存する近代日本の歴史的遺産(台湾など旧日本領土も含む)を建造物・土木構造物を中心に、思いつくままに取り上げております。

(写真について)
写真は特記しない限り管理人の撮影です。また絵葉書等の古写真は管理人の所蔵品、もしくは訪問先の展示品を撮影したものです。利用・転載等希望される場合は管理人まで御連絡頂けると幸いです。

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