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第1171回・旧日本銀行松江支店(現存する昭和戦前期の日銀店舗 その2)

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前回に続き、昭和戦前期に建てられ、現存する日本銀行の店舗を取り上げる。
島根県松江市殿町にある旧日本銀行松江支店は昭和12年(1937)に建てられた。日銀の移転後は松江市が所有、現在は工芸をテーマとした観光施設「カラコロ工房」として保存活用されている。国の登録有形文化財。

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日銀松江支店が開設されたのは大正7年(1918)で、今年(平成30年・2018年)で丁度100周年を迎える。この建物は2代目の店舗で、母衣町に新築された3代目店舗へ移転する昭和56年(1981)まで使用されていた。殿町はかつて松江市の金融街で、日銀の他にも以前紹介した旧八束銀行などの建物が残されている。

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大正7年に竣工した初代店舗(カラコロ工房内の展示より)は、辰野金吾と長野宇平治の設計による洋風建築で、木造煉瓦タイル貼りの本館と付属棟、煉瓦造の金庫室で構成されていたが、地盤が軟弱であったことから金庫室の沈下が進み、業務の増加で手狭になったこともあり、竣工から20年を経ずして改築されることになった。

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松江支店の改築は、日銀の開業以来初めての移転を伴わない現地改築となった。昭和11年(1936)に着工、昭和12年(1937)には本館部分が、昭和13年(1938)3月に両脇に配された石塀や外構も含めた全体が竣工した。本館は平坦な広島支店に比べ、彫りの深い印象を受ける正面ファサードが特徴である。

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設計は広島支店と同じく長野宇平治による。福島支店(現存しない)が竣工した大正2年(1913)、長野は日銀を辞めて設計事務所を開くが、昭和2年(1927)に技師長として日銀に復帰する。復帰後は関東大震災で被災した本館の修築及び別館の増築、神戸・松山(共に現存しない)、広島・松江の各支店の改築もしくは新築の設計を行った。

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松江支店の本館部分が竣工した昭和12年12月に長野宇平治は70歳で死去、最後に図面を引いた日銀松江支店が遺作となった。

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この年、昭和12年は支那事変(日華事変)が勃発、日本は戦時体制に入り、以後大規模な建築工事は事実上不可能になる。第二次大戦後はモダニズム建築が主流となり、古典様式に則った様式建築は殆ど建てられることは無くなった。

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同時期に長野宇平治と同世代の建築家によって建てられた、横浜正金銀行神戸支店(昭和10年 桜井小太郎)や三井銀行大阪支店(昭和11年 曾禰中條建築事務所)等と並び、日銀松江支店は日本人建築家による本格的な古典様式建築の最後を飾る作品と言える。

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昭和56年(1981)に日銀支店が移転した後、建物は島根県に所有が移り、一時は解体撤去も計画されたが保存運動の結果計画は撤回、松江市に譲渡され、観光商業施設として整備改修されることになった。平成12年(2000)に、「カラコロ工房」として開館する。

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外観、内装とも銀行時代と殆ど変わらない形で活用されている。
多くの観光客を迎え入れる施設の性格上か、本館の両脇にあった重厚な石塀は片方が撤去されているが、中庭に移設して再利用されている。

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内部は広島支店と同様、営業室は二層吹き抜けになっており、硝子張りの天窓が設けられている。

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戦前の金融機関の建物には必ず付いている、カウンター上部のスクリーン。他の古い銀行建築では、文化財として整備された際に復元されたものが多いが、ここは創建当初からのオリジナルのようだ。

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照明器具も竣工当初からのものと思われる華麗なシャンデリアが残されている。

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現在ではカラコロ工房は、松江市中心街における観光名所となっている。

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前を流れる京橋川から望む姿も風情があり、松江を代表する景観のひとつとして定着しつつあるように思える。


次回は本シリーズ最終回で、東京の本店別館を紹介予定。
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第1146回・美保館

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島根県松江市美保関町美保関にある美保館は、明治38年に開業した老舗割烹旅館。開業当初に建てられた本館が増改築を受けながら現存しており、昭和初期に元の中庭を改装して造られた硝子天井のあるロビーは一番の見どころである。昭和初期に建てられた離れ(二代目本館)と共に国の登録有形文化財である。

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古くから海上交通の要所、風待ち港として栄え、朝鮮半島等との交易の拠点でもあった美保関において、美保館は初めての本格的な旅館として明治38年(1905)に開業、3年後に初代本館が竣工した。写真の左奥の部分が開業当初からの部分である。

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館内に飾られている古写真。現在は前面が埋め立てられて道路となっているが、かつては海(美保湾)に面して建っており、客は船から直接出入りすることができたようだ。右下に船着き場と正面玄関をつなぐ通路があるのが分かる。

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この通路は現在もそのまま残っているが、その後片側に増築されたため、現在は建物の中央を穿つ形になっている。

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通路を潜り抜けると、青石を敷き詰めた風情ある石畳の路地が現れる。写真の右側が明治41年(1908)に竣工した海側に建つ初代本館、その向かい側(山側)に建つのが現在は特別室として使われている離れで、元々は昭和7年(1932)に二代目本館として建てられた。

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現在は初代本館に隣接して昭和末期に建てられた鉄筋7階建の三代目本館(南館)に客室等の主な機能は移り、初代本館は朝食会場及び宴会場として使用、二代目本館(北館)は貸切専用の特別室として使用されている。

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平成16年(2004)には初代本館と二代目本館が国の登録有形文化財となっている。

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初代本館の玄関。向かって左側に帳場、右側に二階への階段がある。

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創建当初から大正期にかけては玄関の奥は中庭になっており、中庭を挟んで海に面した棟につながっていた。

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昭和4年(1929)頃に中庭とその周辺を改装、硝子屋根を設け、吹き抜けのあるロビーに造り替えられた。

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ロビーに面した一階の小部屋はかつて中庭に面した半露天風呂の跡で、折り上げ格天井は浴室として使われていた当時のものである。なお、床下には石造りの浴槽が現在も残されているという。

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旧浴室に隣接する旧脱衣室も、天井や小さな床の間などに元の造りを残している。

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二階からロビーを見下ろす。写真の正面、中二階にある円形窓のある部屋は「有明の間」と名付けられた茶室風の小座敷である。

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「有明の間」内部。

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山側の旧客室のひとつ。初代本館は現在は結婚式場としても使用されており、控室などに使われているようだ。

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再びロビーの硝子屋根を望む。戦前の建物でこのような改装はあまり他に例を見ない、かなり特異なものではないだろうか。

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夜のロビー。

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海側の客室。こちらは朝食会場、宴会場として使われている。

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美保館は開業以来皇族を始めとする貴賓や、島崎藤村、湯川秀樹、徳川夢声など多くの著名人を迎えている。それらの客は美保湾を一望できるこの座敷に通されたものと思われる。

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座敷から望む美保湾。

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現在は一日一組限定で、貸切専用の特別室(離れ)として使用されている二代目本館。

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三代目本館(南館)が完成したことに伴い長らく空家となっていたが、近年改修して客室として甦ったという。

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玄関。
客室は二階の座敷で、全て貸切という贅沢な使い方ができる。

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南側の座敷。

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縁側は硝子戸越しに初代本館が見え、石畳の路地を見下ろす趣ある空間となっている。

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南側にある書院造りの座敷。

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障子の細工が美しい書院窓。

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建具や欄間など随所に凝った細工が施されている。

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山陰の魚介と美保湾の眺望、数寄屋風の名建築を堪能できる宿である。

第1133回・旧八束銀行本店(旧山陰合同銀行北支店、ごうぎんカラコロ美術館)

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島根県松江市殿町にあるごうぎんカラコロ美術館は、山陰合同銀行が運営する美術館である。建物は同行の前身のひとつである八束(やつか)銀行の本店として大正15年(1926)に建てられ、近年まで山陰合同銀行の店舗として使用されていた。外観、内装ともに当時の典型的な銀行建築の姿をよく残している。国登録有形文化財。

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松江市の金融街であった殿町には現在も戦前の銀行建築がいくつか残されており、旧八束銀行本店のほか、昭和13年に建てられた旧日本銀行松江支店(現カラコロ工房)や、明治期の土蔵造の銀行建築である旧第三銀行松江支店(現かげやま呉服店)が残されている。

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八束銀行は明治45年(1912)に設立された八束貯蓄銀行が大正11年(1922)に貯蓄部門を分離、改称して発足した銀行であった。大正15年9月には本店を新築するが、1年も経たない昭和2年7月には松江銀行に合併された。(参考:銀行変遷史データベース

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松江銀行は昭和16年(1941)に米子銀行との合併により山陰合同銀行となり、山陰地方では最大の地方銀行として現在に続いている。

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旧八束銀行本店の建物は平成21年(2009)まで山陰合同銀行北支店として使用されていた。店舗の新築移転により空家となったが所有者の山陰合同銀行は建物の保存改修工事を行い、平成24年(2012)より「ごうぎんカラコロ美術館」として無料で一般公開している。

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設計は大阪を主な拠点に活動し、朝鮮・京城の朝鮮総督府庁舎の設計にも携わったことで知られる國枝博(1879~1943)で、以前弊ブログでも紹介した旧大阪農工銀行の改装や滋賀県庁舎の設計にも携わった建築家である。施工は大阪の中堅建設会社である鴻池組による。

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外壁は石もしくは人造石で仕上げられているが、1階と2階の窓間にはテラコッタ製の装飾を施している。

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幾何学的に簡略化された意匠の柱頭飾り。

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内部は写真撮影禁止につき紹介できないが、二層吹き抜けの営業室や柱頭飾りのある円柱、人造石仕上げの階段など外観と同様に創建当初の面影をよく残している。

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銀行が自前で旧店舗を保存、一般に公開している例としては山口県下関市の山口銀行旧本店(現やまぎん史料館)などがあるが、すばらしい英断と言うべきである。

第1123回・興雲閣

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松江市殿町の松江城山公園内にある興雲閣は、明治36年(1903)に松江市工芸品陳列所として建てられた。当初の目的であった明治天皇の行在所として使うことは実現されなかったが、皇太子(のちの大正天皇)の山陰行啓に際し、宿舎として使用された歴史をもつ。近年大がかりな修復工事が行われ、平成27年(2015)より一般公開されている。島根県指定有形文化財。

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松江城天守。
興雲閣の修復工事完了、一般公開が開始されたのと同じ年(平成27年)に国宝指定を受け、重要文化財から昇格した。

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松江城内の一角に建つ興雲閣。
天守閣から少し離れた位置にあり、二の丸の上の壇、松江神社に隣接して建っている。

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明治新政府の成立後、明治天皇は北海道から九州まで全国各地を巡幸されたが、山陰地方の鳥取・島根両県だけは実現していなかった。そのため両県からは政府に対し、度々にわたる請願が行われていた。興雲閣は巡幸が実現した際の宿舎(行在所)として建設が計画され、明治36年(1903)に名目上「松江市工芸品陳列所」として竣工した。

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日露戦争勃発や山陰地方への交通の便などが壁となり、明治天皇の山陰巡幸は結局実現しなかったが、明治40年(1907)5月に皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)による山陰行啓は実現され、宿所としての役目を果たした。

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なお、隣接する鳥取県では、嘉仁親王の山陰行啓に際して宿舎として明治40年に建てられたのが現在は国指定重要文化財となっている仁風閣である。(弊ブログ過去記事参照)

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ベランダを三方に廻し和風の入母屋造の瓦屋根を載せた外観は、明治12年(1879)に竣工した当時の島根県庁舎(二代目)によく似ている。明治36年当時は日本人建築家による本格的な洋風建築が地方でも建ち始めており、その中で少々時代遅れな擬洋風建築となった背景には、日露戦争が迫る中で工事には費用を始め様々な制約があったためと思われる。

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但し、行在所として使うことを想定していたためか細部には随所に装飾が施されており、モデルになったと思われる県庁舎に比べるとかなり華やかな外観となっている。

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外壁や柱は長らく白く塗られていたが、平成25年から行われた修復で創建当初の淡い緑色が復元された。

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玄関。内部は和風色が強く洋風の造作はあまり見られない。洋風の造作は伝統的な和風に比べ工費が格段に高く、建設費は決して潤沢ではなかったことが窺える。

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松江市の施設として建てられたため、正面玄関扉の下部には松江市の市章が彫り込まれている。

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廊下。廊下のほか、各室の天井は和風の棹縁天井となっている。
突き当りのアーチ窓を除けば洋館らしさは感じられない。

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二階への大階段は明治45年(1912)の改装により、現在見られる形になった。

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階段まわりは明治の洋館らしい造りが見られる。

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2階広間。上記の階段及びこの広間の天井であるが、本来ならば漆喰塗仕上げとするべきところを、廊下等と同様に和風の棹縁天井となっている。

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2階広間の脇には貴顕室と称される3間続きの部屋があり、ここは明治40年5月の山陰行啓に際し、嘉仁親王が滞在された場所である。

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畳敷きの部屋は寝室として使われたものと思われる。今次修復に際し、往年の内装が復元された。

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ペンキ塗りで洋風に仕上げられているが、続き間の仕切りに設けられた欄間や引き戸など、和風の座敷を思わせる造りになっている。

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皇太子の宿所としての役目を終えた後は、松江の迎賓館として、また博物館・美術館として各種会合や展覧会などの会場に使われた。「興雲閣」の名は明治42年(1909)、旧松江藩主である松平家の当主・松平直亮伯爵により命名されたものである。

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戦時中から戦後にかけて興雲閣は、海軍人事部分室や県庁仮分室、教育委員会事務局が置かれ、昭和48年(1973)から平成23年(2011)までは松江郷土館として使用されていた。

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松江郷土館が移転した後、平成25年から2年がかりで大規模な修復が行われ、外壁の色彩や内装等、明治末期の姿に復元された。

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島根県における明治の洋風建築の代表格である。

第1117回・旧紳士服トラヤ(旧山陰道産業(株)社屋)

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島根県松江市東本町にある旧紳士服トラヤの店舗であった建物は、昭和7年(1932)に、当時大陸貿易を促進するために設立された山陰道産業株式会社の社屋として建てられた。スクラッチタイル張りの洋風建築で角に設けられた窓の装飾が特徴。以前紹介した出雲ビルと同様、平成29年(2017)に松江市の登録歴史的建造物として認定されている。

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松江市東本町2丁目、飲食店が軒を連ねる一角に建っている。

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鉄骨造 一部木造2階建で、瓦屋根の部分は後年の増築と思われる。

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設計は、島根県仁多郡奥出雲町にある国の登録有形文化財で、大正12年に建てられた横田相愛教会(旧救世軍会館)を手掛けた成田光次郎による。

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建物は大橋川に面した南東側までの一区画分を占め、異なる意匠の南東側(写真の左奥)は一見すると別の建物に見える。

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この建物を最も特徴づけているのが、北東の正面角に設けられたアールデコ調の飾窓と、その間に配されたレリーフ。

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来待石(松江市宍道町来待地区で産出される凝灰質砂岩)製のレリーフが全部で8枚縦に並び、それぞれブドウ・ヤギ・サル・子供などをモチーフとしたデザインが施されている。

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8枚のレリーフをそれぞれ拡大。

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現在は大橋川に面した南東側が店舗として使われているようだが、北東側は空家の様子。

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平成29年(2017)に松江市が導入した登録歴史的建造物認定制度に基づき、第2号建造物として認定された。今後の活用に期待したいところである。
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現存する近代日本の歴史的遺産(台湾など旧日本領土も含む)を建造物・土木構造物を中心に、思いつくままに取り上げております。

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