第1133回・旧八束銀行本店(旧山陰合同銀行北支店、ごうぎんカラコロ美術館)

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島根県松江市殿町にあるごうぎんカラコロ美術館は、山陰合同銀行が運営する美術館である。建物は同行の前身のひとつである八束(やつか)銀行の本店として大正15年(1926)に建てられ、近年まで山陰合同銀行の店舗として使用されていた。外観、内装ともに当時の典型的な銀行建築の姿をよく残している。国登録有形文化財。

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松江市の金融街であった殿町には現在も戦前の銀行建築がいくつか残されており、旧八束銀行本店のほか、昭和13年に建てられた旧日本銀行松江支店(現カラコロ工房)や、明治期の土蔵造の銀行建築である旧第三銀行松江支店(現かげやま呉服店)が残されている。

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八束銀行は明治45年(1912)に設立された八束貯蓄銀行が大正11年(1922)に貯蓄部門を分離、改称して発足した銀行であった。大正15年9月には本店を新築するが、1年も経たない昭和2年7月には松江銀行に合併された。(参考:銀行変遷史データベース

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松江銀行は昭和16年(1941)に米子銀行との合併により山陰合同銀行となり、山陰地方では最大の地方銀行として現在に続いている。

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旧八束銀行本店の建物は平成21年(2009)まで山陰合同銀行北支店として使用されていた。店舗の新築移転により空家となったが所有者の山陰合同銀行は建物の保存改修工事を行い、平成24年(2012)より「ごうぎんカラコロ美術館」として無料で一般公開している。

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設計は大阪を主な拠点に活動し、朝鮮・京城の朝鮮総督府庁舎の設計にも携わったことで知られる國枝博(1879~1943)で、以前弊ブログでも紹介した旧大阪農工銀行の改装や滋賀県庁舎の設計にも携わった建築家である。施工は大阪の中堅建設会社である鴻池組による。

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外壁は石もしくは人造石で仕上げられているが、1階と2階の窓間にはテラコッタ製の装飾を施している。

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幾何学的に簡略化された意匠の柱頭飾り。

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内部は写真撮影禁止につき紹介できないが、二層吹き抜けの営業室や柱頭飾りのある円柱、人造石仕上げの階段など外観と同様に創建当初の面影をよく残している。

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銀行が自前で旧店舗を保存、一般に公開している例としては山口県下関市の山口銀行旧本店(現やまぎん史料館)などがあるが、すばらしい英断と言うべきである。
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第1123回・興雲閣

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松江市殿町の松江城山公園内にある興雲閣は、明治36年(1903)に松江市工芸品陳列所として建てられた。当初の目的であった明治天皇の行在所として使うことは実現されなかったが、皇太子(のちの大正天皇)の山陰行啓に際し、宿舎として使用された歴史をもつ。近年大がかりな修復工事が行われ、平成27年(2015)より一般公開されている。島根県指定有形文化財。

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松江城天守。
興雲閣の修復工事完了、一般公開が開始されたのと同じ年(平成27年)に国宝指定を受け、重要文化財から昇格した。

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松江城内の一角に建つ興雲閣。
天守閣から少し離れた位置にあり、二の丸の上の壇、松江神社に隣接して建っている。

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明治新政府の成立後、明治天皇は北海道から九州まで全国各地を巡幸されたが、山陰地方の鳥取・島根両県だけは実現していなかった。そのため両県からは政府に対し、度々にわたる請願が行われていた。興雲閣は巡幸が実現した際の宿舎(行在所)として建設が計画され、明治36年(1903)に名目上「松江市工芸品陳列所」として竣工した。

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日露戦争勃発や山陰地方への交通の便などが壁となり、明治天皇の山陰巡幸は結局実現しなかったが、明治40年(1907)5月に皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)による山陰行啓は実現され、宿所としての役目を果たした。

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なお、隣接する鳥取県では、嘉仁親王の山陰行啓に際して宿舎として明治40年に建てられたのが現在は国指定重要文化財となっている仁風閣である。(弊ブログ過去記事参照)

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ベランダを三方に廻し和風の入母屋造の瓦屋根を載せた外観は、明治12年(1879)に竣工した当時の島根県庁舎(二代目)によく似ている。明治36年当時は日本人建築家による本格的な洋風建築が地方でも建ち始めており、その中で少々時代遅れな擬洋風建築となった背景には、日露戦争が迫る中で工事には費用を始め様々な制約があったためと思われる。

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但し、行在所として使うことを想定していたためか細部には随所に装飾が施されており、モデルになったと思われる県庁舎に比べるとかなり華やかな外観となっている。

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外壁や柱は長らく白く塗られていたが、平成25年から行われた修復で創建当初の淡い緑色が復元された。

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玄関。内部は和風色が強く洋風の造作はあまり見られない。洋風の造作は伝統的な和風に比べ工費が格段に高く、建設費は決して潤沢ではなかったことが窺える。

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松江市の施設として建てられたため、正面玄関扉の下部には松江市の市章が彫り込まれている。

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廊下。廊下のほか、各室の天井は和風の棹縁天井となっている。
突き当りのアーチ窓を除けば洋館らしさは感じられない。

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二階への大階段は明治45年(1912)の改装により、現在見られる形になった。

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階段まわりは明治の洋館らしい造りが見られる。

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2階広間。上記の階段及びこの広間の天井であるが、本来ならば漆喰塗仕上げとするべきところを、廊下等と同様に和風の棹縁天井となっている。

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2階広間の脇には貴顕室と称される3間続きの部屋があり、ここは明治40年5月の山陰行啓に際し、嘉仁親王が滞在された場所である。

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畳敷きの部屋は寝室として使われたものと思われる。今次修復に際し、往年の内装が復元された。

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ペンキ塗りで洋風に仕上げられているが、続き間の仕切りに設けられた欄間や引き戸など、和風の座敷を思わせる造りになっている。

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皇太子の宿所としての役目を終えた後は、松江の迎賓館として、また博物館・美術館として各種会合や展覧会などの会場に使われた。「興雲閣」の名は明治42年(1909)、旧松江藩主である松平家の当主・松平直亮伯爵により命名されたものである。

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戦時中から戦後にかけて興雲閣は、海軍人事部分室や県庁仮分室、教育委員会事務局が置かれ、昭和48年(1973)から平成23年(2011)までは松江郷土館として使用されていた。

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松江郷土館が移転した後、平成25年から2年がかりで大規模な修復が行われ、外壁の色彩や内装等、明治末期の姿に復元された。

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島根県における明治の洋風建築の代表格である。

第1117回・旧紳士服トラヤ(旧山陰道産業(株)社屋)

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島根県松江市東本町にある旧紳士服トラヤの店舗であった建物は、昭和7年(1932)に、当時大陸貿易を促進するために設立された山陰道産業株式会社の社屋として建てられた。スクラッチタイル張りの洋風建築で角に設けられた窓の装飾が特徴。以前紹介した出雲ビルと同様、平成29年(2017)に松江市の登録歴史的建造物として認定されている。

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松江市東本町2丁目、飲食店が軒を連ねる一角に建っている。

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鉄骨造 一部木造2階建で、瓦屋根の部分は後年の増築と思われる。

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設計は、島根県仁多郡奥出雲町にある国の登録有形文化財で、大正12年に建てられた横田相愛教会(旧救世軍会館)を手掛けた成田光次郎による。

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建物は大橋川に面した南東側までの一区画分を占め、異なる意匠の南東側(写真の左奥)は一見すると別の建物に見える。

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この建物を最も特徴づけているのが、北東の正面角に設けられたアールデコ調の飾窓と、その間に配されたレリーフ。

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来待石(松江市宍道町来待地区で産出される凝灰質砂岩)製のレリーフが全部で8枚縦に並び、それぞれブドウ・ヤギ・サル・子供などをモチーフとしたデザインが施されている。

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8枚のレリーフをそれぞれ拡大。

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現在は大橋川に面した南東側が店舗として使われているようだが、北東側は空家の様子。

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平成29年(2017)に松江市が導入した登録歴史的建造物認定制度に基づき、第2号建造物として認定された。今後の活用に期待したいところである。

第1115回・出雲日御碕燈台

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前回の美保関燈台に続き、島根県内にある明治時代の燈台。
出雲市大社町日御碕にある出雲日御碕燈台は、明治36年の(1903)竣工・初点燈で美保関燈台と同じく国の登録有形文化財である。

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石積みの正門と塀。
かつては美保関燈台と同様、旧吏員退息所等があったが無人化に伴い撤去され、灯台本体以外で現存する創建時からの遺構は正門と塀だけである。

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灯台本体は外壁が石積みで、内壁を煉瓦積とする。

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総高は約44メートルあり、石造の灯台としては高さ日本一を誇る。

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フランス人が設計を行った美保関燈台に対し、出雲日御碕燈台は設計・施工共に日本人の手による。

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日御碕から日本海を望む。
出雲日御碕燈台が立っている日御碕周辺は、大山隠岐国立公園の一部となっている景勝地である。

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美保関燈台は内部は原則非公開であるが、出雲日御碕燈台は有料で内部が一般公開されており、上まで登ることができる。

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出雲日御碕燈台も美保関燈台と同様に海上保安庁によって歴史的・文化財的価値が高い「保存灯台」として耐震補強等の保存措置が講じられている。

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平成25年(2013)には灯台本体及び正門・石塀が国の登録有形文化財となった。

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出雲日御碕燈台も国際航路標識協会 (IALA) による「世界灯台100選」及び海上保安庁による「日本の灯台50選」に選ばれており、美保関燈台と共に日本を代表する灯台の一つである。

第1114回・美保関燈台

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島根県松江市美保関町にある美保関燈台(灯台)は、明治31年(1898)にフランス人の指導により建てられた山陰地方で最初かつ最古の石造灯台。旧吏員退息所等の附属建物と共に、灯台としては初めて国の登録有形文化財となった。

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島根半島の最東端である地蔵崎にある美保関燈台。明治31年に山陰地方初の燈台として建設された当初の名称は「地蔵崎燈台」であったが、昭和10年(1935)に現在の名称に改められた。

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燈台本体及び燈台石塀、附属の旧吏員退息所主屋・倉庫・便所・石塀と創建当初からの建物が一式現存しており、いずれも国の登録有形文化財となっている。(平成19年登録)また、経済産業省の近代化産業遺産にも選定されている。

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構内には建設当時からのものと思われる石の日時計が設けられている。
美保関燈台は海上保安庁によって、歴史的・文化財的価値が高い「保存灯台」として保存措置が講じられている。

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装飾的な玄関ポーチが特徴的な旧吏員退息所。燈台が無人化される昭和37年(1962)まで燈台守の官舎として使われていた。現在は内部を改装して飲食店(美保関灯台ビュッフェ)として利用されている。

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燈台と旧吏員退息所は共に白く塗られているが、門や石塀と同じ種類の砂岩を積み上げて建てられている。設計はフランス人技師が行い、施工は片江の石工であった寺本常太郎によるという。

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初点燈を示す「初點 明治三十一年十一月」と記された金属板が入口の上部に掲げられている。

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燈台周辺からは日本海を一望できる。天候によっては隠岐島や大山も見ることができる。

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旧吏員退息所は燈台と同じく砂岩を積んで建てられた石造の建物で、海側に展望室が増築されている他は旧態をよく残している。

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三角破風(ペディメント)に柱頭飾りを備えた円柱、アーチ型の開口部など、現存する燈台守の宿舎は美保関燈台のほか各地に存在するが、このような装飾的な玄関ポーチを有するものは珍しいと思われる。

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三角破風の中央には「〒」マークがあしらわれている。現在、灯台の所轄官庁は国土交通省(海上保安庁)であるが、建設当時は逓信省の所轄であったことから、元々は逓信省の記号であった郵便マークが付けられているものと思われる。

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玄関ポーチの柱頭飾り。
建物本体は石造であるが、玄関ポーチ部分のみ木造でペンキ塗装を施しているようだ。

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燈台守の宿舎は無人化に伴い撤去あるいは他所に移築保存されたものも多いので、当初の位置に現在も残されている貴重な存在である。

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旧吏員退息所内部。飲食店及び売店として活用するため内部は全面的に改装されており、燈台守の住居であったころの面影はない。写真は展示されている明治31年初点燈時のレンズ。

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美保関燈台は平成10年(1998)に、国際航路標識協会 (IALA) による「世界灯台100選」及び海上保安庁による「日本の灯台50選」に選ばれており、日本を代表する灯台の一つである。

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駐車場やトイレ、展望台も完備されており、格好の観光スポットとなっている。
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