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第1216回・旧関根平蔵邸

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埼玉県川越市中原町に、入間市の旧石川組西洋館を建てた宮大工の関根平蔵の自邸が残されている。石川組西洋館の余った建材を貰い受けて大正14年(1925)に建てたとされる煉瓦タイル貼りの洋館は、石川組西洋館を縮小したような外観が特徴で川越市の都市景観重要建築物に指定されている。

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関根平蔵は祖父・八五郎の代より三代に亘る大工で、父・松五郎は時の鐘(川越市指定文化財)の再建を請け負った棟梁として知られる。平蔵も神社、町家、洋館から川越まつりの山車まで幅広く手掛ける優秀な棟梁で、「丸鉢(丸八)」の屋号で建築請負業を営む傍ら、市会議員なども務める川越の名士であったようだ。

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旧関根平蔵邸(上)と石川組西洋館(下)と比較すると、小豆色の煉瓦タイルを貼った外壁、平屋建の別館を備えた構成や屋根の形状など、多くの共通点を見つけられる。

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角の隅石や窓台などには白い化粧煉瓦(タイル)が用いられているが、石川組西洋館(右)でも玄関やベランダなどに同じような化粧煉瓦が使われており、これも石川組西洋館の建材を用いたものと思われる。

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銅板葺2階建の本館の奥には、土蔵造も取り入れた瓦葺の座敷棟と、煉瓦造と思われる蔵がある。

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瓦葺の別館は格子戸のある玄関を備えており、居住棟として建てられたものと思われる。

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玄関の間口を広く取った本館は店舗として使われていたものと思われる。なお、父の関根松五郎が住居兼店舗としていた土蔵造の建物も大正浪漫通りに面して現存しており、こちらも川越市の都市景観重要建築物に指定されている。

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色ムラの多い煉瓦タイル貼りの外壁は、深みのある色調と相まって風格を醸し出している。川越におけるタイル(化粧煉瓦)貼りの洋風建築としては旧八十五銀行本店と並んで双璧と言える。

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軒や柱の一部は銅板で包み込み、軒裏には装飾を打ち出した金属板を貼っている。石川組西洋館でも同様の金属板が玄関ホールなど室内の天井に用いられているが、同一品ではなく異なる意匠であった。

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大正期の建築らしい直線を基調とした装飾を備える持ち送りは、石川組西洋館でも同様のものを見ることができる。

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別館に僅かに残されている、創建当初からのものと思われる木製の窓枠は、石川組西洋館と同様にペンキを塗らない白木のままの仕上げとなっている。

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鬼瓦には丸に鉢の文字がある。
関根平蔵が建築請負業の屋号としていた「丸鉢」に因むものと思われる。

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街路からは敷地奥に建つ蔵が見える。
蔦が絡んでおり分かりにくいが、主屋とは異なる薄茶色の化粧煉瓦が貼られている。

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蔵の壁はよく見ると、背面のみ主屋及び蔵で用いられている3色の化粧煉瓦(タイル)をモザイク状に貼っているようだ。棟梁が自邸ならではの遊びとして試みたと思われ、興味深い。

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推測だが、石川組西洋館の建材を関根棟梁が譲り受けたのは、施主である石川幾太郎が関根棟梁の仕事を高く評価した証であり、関根棟梁自身にとっても会心の仕事であったからこそ、自邸兼店舗としてこの洋風建築を建てたのはないだろうか。川越を代表する棟梁の自邸が石川組西洋館と共に後世に引き継がれることを祈念する。

(参考資料)
川越市 景観重要建造物・都市景観重要建築物パンフレット
入間市ホームページ 旧石川組製糸西洋館の世界
入間市博物館紀要第9号 平成23年3月 入間市博物館刊行
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第1215回・旧佐々木医院

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旧佐々木医院は、埼玉県川越市連雀町に残る昭和初期の医院建築で、創建当初の姿をよく残している。主屋のほかに門や塀、人力車の待機小屋といった附属建物まで残されており、一式が川越市の都市景観重要建築物に指定されている。

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昭和10年(1935)に建てられたという佐々木医院。現在は隣接して新しい診療所が建っており、現在はこの洋館は使われていない様子である。

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敷地の隅に建つのが人力車用の車小屋である。昭和10年当時は日産自動車が小型車の量産を始めるなど自動車の普及しつつある時期で、都心部では往診用に自動車を持つ開業医も存在したが、人力車や自転車を用いる方が多かった。

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外壁は黄土色のモルタル塗り仕上げで、研ぎ出しの人造石と黄褐色のスクラッチタイルで仕上げられた玄関ポーチが張り出している。黒瓦葺きの寄棟屋根には特注品と思われる形状の棟瓦が載っている。

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門柱にもスクラッチタイルが張られており、「佐々木醫院」と正字体で記された陶製の表札が残されている。

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車小屋を正面から見る。右側が車庫で、硝子戸が立て込まれた左側が車夫の控室と思われる。同じ川越の旧山崎家別邸や和歌山の温山荘など、車夫の控え所が現存する邸宅はあるが、車庫兼用で現存するものは珍しいと思われる。

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玄関扉や窓の木製サッシなどの建具類や照明燈も古いものがほぼ完全に残されている。扉や窓の桟は当時流行したライト風意匠で、スクラッチタイルと共に、昭和初期の洋風建築の特徴をよく現している。

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玄関ポーチの天井や柱、玄関の開口部の縁取りなどを見ると、実に丹念な左官仕事が施されていることが窺える。

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昭和初期の特徴をよく残すモダンな医院建築である。

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大正期の洋風医院で弊ブログでも以前紹介した中成堂歯科医院。こちらは外観は昔の儘にしながら内部を改修、現役の歯科医院として使われている。旧佐々木医院も何らかの形で活用できればよいのだが。

第1214回・鈴木家住宅(丹徳庭園)

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東武東上線川越市駅の近くに、重厚な出桁造の商家と軽快な意匠の洋館が向かい合って建つ一角がある。いずれも材木商を営んでいた鈴木家が昭和の初めに建てたものであるが、明治期の離れや庭園、土蔵も残されており、川越市の中心街にあって広大な屋敷構えが現在もよく残されている。平成30年より離れと庭園が「丹徳庭園」として公開されている。

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弊ブログ第967回記事で紹介したカワモク本部事務所棟。向かいに創業家である鈴木家の店舗兼住居がある。川越を拠点に建設業などを営むカワモクグループは、明治2年(1869)に初代鈴木徳次郎が材木店「丹波屋」を創業したことに始まり、その後屋号を「丹徳」に改めた。二代目徳次郎の代には材木業の傍ら市議や商工会議所会頭などを務めるなど地元政財界でも活躍した。

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第二次大戦中の統制令により材木を扱えなくなったため一時閉業するが、戦後間もなく川越木材工業として再出発、現在のカワモクグループに続いている。平成30年より同社の創業150年を記念事業として、庭園を一般公開すると共に離れが食事処や宿泊施設として活用されることになった。 

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鈴木家の住まいは明治から昭和初期にかけ二代にわたって造営されている。初代徳次郎によって離れが明治34年(1901)に建てられ、庭園も同時期に造営された。昭和4年(1929)には二代目徳次郎によって小さな応接用の洋館も備えた出桁造の重厚な主屋が新築された。また、主屋と離れの間には重厚な黒漆喰仕上げの土蔵も建っている。

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正面の戸袋には節穴かひび割れを塞ぐための埋木細工が見られるが、木目を水の流れに見立てたのか、木の葉の形になっていた。

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街路に面した帳場は主屋脇の通用口からも入れるようになっている。帳場は伝統的な商家の造りとなっているが、昭和初期の建物なので応接用の洋館も備えられているのが特徴である。専用の玄関を備えている洋館は、帳場からも出入りできるよう造られているようだ。

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主屋から離れに続く道は私道なのでこれまでは洋館や離れを間近に見ることはできなかったが、庭園の一般公開に伴い見学できるようになっている。

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外壁をモルタルで石造風に仕上げた洋館。一室だけの小規模なものだが、玄関まわりや腰壁などに凝った造りが見られる。

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ステンドグラスやモザイクタイルで飾られた洋館の玄関。
扉や照明器具など創建時の形をそのまま残しているものと思われる。

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玄関扉の飾り格子も創建当初のものと思われる。脇に設けられたステンドグラスはガラス面の両側が屋外に面したものとなっている。ステンドグラスはどちらかが屋内に面している場合が多いが、鈴木家の洋館や神戸の旧日下部久太郎別邸などのように玄関ポーチの装飾として用いられる例もある。

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欄間のステンドグラスは昭和初期の洋風建築によく見られるアールデコ調の意匠。

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玄関床のモザイクタイル。

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鈴木家の2つの洋館を望む。
ほぼ同時期の竣工であるが、応接間は重厚な石造風、事務所は軽快な意匠の木造洋館で、対照的な趣を見せている。

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主屋の奥に土蔵と離れ、庭園がある。離れの内部と庭園は有料で見学できる。

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離れには専用の門と玄関が別に設けられており、見学に際してはここから入る。

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庭園は玄関脇に設けられた枝折戸から入り、飛び石沿いに散策できるようになっている。水琴窟も設けられている。(写真右手に写っている)

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庭園より離れを望む。
二階建で、公開までは居住していたという。

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庭園の一角に鎮座する寿徳明神。
明治31年(1898)に初代鈴木徳次郎が京都の伏見稲荷に参拝、正一位稲荷大明神霊をこの地に勧請したという。

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離れの一階座敷。十畳の床の間付き主座敷に六畳の次の間を備え、周囲には縁側を巡らせる。訪問時には土蔵に収蔵されていたという明治時代の雛人形が飾られていた。

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川越と同じく蔵の街として知られる栃木県栃木市にあり、鈴木家と同様に材木商であった塚田家(塚田歴史伝説館、弊ブログ過去記事参照)の離れと同様に、材料には特に吟味された良材が用いられており、床柱や欄間にも銘木や珍材が用いられている。

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主座敷から庭園を望む。庭園は初代鈴木徳次郎の代に造営されたもので、井戸から豊富に水があふれ、財宝を積んだ宝船が岸に着くという様を枯山水で表現したというものである。縁起の良さを現した商家にふさわしい庭園である。

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縁側の欄間には当家の屋号に因み、「丹」の文字を崩した意匠の組子細工が施されている。

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別料金で抹茶を点てる体験もできる。

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丹徳庭園では、見学や抹茶体験のほか、離れ一棟を貸切とする形での宿泊や昼食もできるという。

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見学可能な庭園のある邸宅としては、川越中心街では旧山崎家別邸に続くものと思われる。鈴木家住宅と丹徳庭園が川越の新たな名所として定着することを祈念したい。

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梁または腕木を突出して側柱面より外に桁を出した構造の出桁造(だしげたづくり)は、重厚な外観が特徴で関東地方の古い商家に多く見られる。土蔵造が目立つ川越では比較的珍しいが、鈴木家のすぐ近くにある宮沢家住宅(市指定文化財)では土蔵造と出桁造の中間のような造りを見ることができる。

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旧山崎家別邸の前に建っており、川越市の都市景観重要建築物に指定されている榎本家は大正期の商家で、1階の窓にはステンドグラスが嵌め込まれている。川越以外の埼玉県内では、以前紹介した幸手市の石井酒造も昭和初期の出桁造の商家で、主屋に洋館と接客用の座敷棟を備えるなど鈴木家と共通する特色を備えている。

第1212回・小川菊

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小川菊(おがきく)は、埼玉県川越市仲町にある鰻料理店。大正末期に建てられたという店舗は蔵造りの町並みで知られる川越に於いても珍しい木造三階建である。近年耐震補強のための改修工事が行われたが、木製の建具など古い佇まいは完璧に維持されている。

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小川菊がある「大正浪漫夢通り」は老舗が多く並ぶ川越を代表する商店街で、昭和中期には銀座通り商店街と呼ばれアーケードで覆われていた。一時は寂れた商店街であったが、現在では多くの観光客が訪れている。

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平成初期に小川菊や斜め向かいにある旧武州銀行など、和洋の建築群を活かした街を目指す動きが起こり、平成7年にはアーケードが撤去され、電線も地中化された。古い商店建築の多くが改修、再生され、小川菊もその一つである。

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扉や窓などの建具類は改修時に新調されたものも含め、木製で統一されている。二階にあるエアコンの室外機も木製の欄干の内側に置かれ、目立たない工夫がなされている。

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三階部分は地震対策なのか部屋を小さく作り、屋根を銅版葺にするなど軽くする工夫が施されている。小川菊は大正末期の建設とされるので、関東大震災後の建物と思われる。

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隣家との境目には防火壁として築いたと思われる煉瓦壁が設けられている。

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これは第二次大戦中の遺物と思われるが、コンクリート製の防火用水槽。改修前はここにはエアコンの室外機があったので、余所から持ってきたのかと思ったが脇には「小川菊」と刻まれていた。商売用の水槽として再利用されていたのかも知れない。蓋も鰻用の俎板を再利用したようにも見える。

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各地で見られる戦時中の防火用水槽。
小川菊の水槽のほか、これまで当ブログで紹介した建物にあった水槽を並べてみた。

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写真は準備中に撮影したもので、営業時はいつも行列ができる繁盛店である。
店内も昔の佇まいをよく残しているという。いずれ機会を作って入りたい店のひとつである。

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川越は重厚な土蔵造の商家群で知られるが近代建築の宝庫でもある。旧八十五銀行旧山崎家別邸など建築史的価値も高い近代建築のほか、医院教会、明治から昭和初期にかけての商業建築も多く残されており、洋食店材木店釣具店看板建築など多彩である。小川菊もそのようなバラエティーに富む川越の近代建築のひとつである。

第1154回・旧荒井八郎商店(彩々亭)

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埼玉県行田市佐間1丁目にある和牛懐石料理店「彩々亭」は、行田の地場産業であった足袋製造で財を成した荒井八郎氏の事務所兼邸宅を料理店に活用したものである。「足袋御殿」とも称された邸宅は現在も市内に数多く残る足袋蔵や工場跡と共に、往年の足袋製造業の隆盛を今日に伝えている。国登録有形文化財。

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邸宅全景。大正15年(昭和元年 1926)に建てられた事務所兼住宅と、昭和7年(1932)に建てられた大広間棟、昭和10年(1935)に建てられた3階建の洋館の3棟が雁行型に並ぶ構成となっている。

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事務所兼住宅及び迎賓館として建てられた洋館はいずれも、クリーム色の外壁に緑色の洋瓦葺の屋根を載せた瀟洒な洋風建築であり、2棟の間に和風の大広間棟が挟まる構成となっている。

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荒井八郎氏は「穂国足袋(ほこくたび)」などの商標で知られた荒井八郎商店を創業し、一代で財を成した人物である。行田足袋被服工業組合理事長や全日本足袋工業組合連合会理事など足袋業界の要職を歴任する当地の名士であった。

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第二次大戦後は廃止された貴族院に代わり設置された参議院の第1回通常選挙に全国区で当選、昭和25年(1950)に在任中に死去するまで参議院議員を務めるなど政治家としても活動した。

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「足袋御殿」とも称され、事実上行田の迎賓館とも言える存在であった荒井邸は、戦後の国内巡幸に際し訪問された昭和天皇をはじめ戦前から戦後にかけて多くの賓客を出迎えている。

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富士の溶岩石で造られた大きな築山が目を引く庭園には、「成趣園」と刻まれた石碑がある。戦前を代表する言論人である徳富蘇峰(1863~1957)の揮毫によるもので、皇紀2600年(昭和15年 1940)に建立されたものである。

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大広間棟。
邸内では唯一の純和風建築。

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事務所兼住宅の玄関。
1階の外壁は黄褐色のスクラッチタイルで仕上げられている。

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玄関ホール内部。
事務所兼用であるため、受付の窓が設けられている。

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事務室として使われていたと思われる、受付のある洋室。
窓の外にはアールデコ調の意匠を持つ鉄格子が嵌め込まれている。

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二階への階段。
事務所兼住宅の内部はシンプルな洋風の造りで、居住用の和室が数室設けられている。

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二階、荒井八郎氏の居室であったという、玄関の真上に位置する和室。

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和室からは玄関ポーチの上部に設けられたバルコニーに出られる。

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大広間棟内部。庭園を望む南側に10畳間が2室、北側に4畳間を2室配するが、仕切りを外して1室の大広間としても使えるようになっている。床の間や落掛には黒柿などの高級材が用いられている。

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大広間棟の北側4畳に設けられた金庫。

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大広間棟の奥にある離れの洋館は昭和10年にゲストハウスとして建てられた。1階は2室あり、そのうち1室は暖炉を備えた洋室となっている。

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洋館1階の洋室内部。タイル貼りの暖炉が設けられている。天井は装飾を型押しした金属板に塗装を施したもの。廊下も同様の仕上げになっている。

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階段室につながる洋館の廊下は庭園側に面しており、明るく温かいサンルーム的な空間にもなっている。

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洋館の2階は次の間付きの座敷となっており、来客の宿泊用に使われていたものと思われる。

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繊細な意匠を凝らした建具が書院窓や欄間に嵌め込まれている。

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3階は四方に窓を開く望楼となっており、行田市街を一望できる。簡素な洋室と寄せ木張りの床を持つ廊下で構成されている。

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3階洋室の内部。

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3階から大広間棟及び事務所兼住宅を望む。洋館と事務所兼住宅に使われている緑色の屋根瓦はフランス瓦と称される洋瓦である。

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事務所兼住宅の天井や軒下に開けられた換気口は場所によってそれぞれ意匠が異なる。

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離れの洋館外壁のタイル飾りと1階洋室のタイルで仕上げられた暖炉。

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洋館1階廊下の天井。洋室と同じく装飾を型押しした金属板に塗装を施したもの。

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洋館2階座敷の書院窓。漁網を広げた様を現した網干の図柄に船、千鳥、波と海に因んだ意匠である。

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大広間棟軒下の釣り燈籠と、その真下に置かれた家型の石燈籠と狸型の金属製置き燈籠。

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旧荒井八郎商店は戦前の行田を代表する木造洋風建築であると共に、鋳物業の繁栄を伝える川口市の旧鍋平別邸や製糸業が盛んであった入間市の旧石川組製糸西洋館などと同様、埼玉県における過去の地場産業の繁栄を今日に伝える邸宅である。
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