第1154回・旧荒井八郎商店(彩々亭)

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埼玉県行田市佐間1丁目にある和牛懐石料理店「彩々亭」は、行田の地場産業であった足袋製造で財を成した荒井八郎氏の事務所兼邸宅を料理店に活用したものである。「足袋御殿」とも称された邸宅は現在も市内に数多く残る足袋蔵や工場跡と共に、往年の足袋製造業の隆盛を今日に伝えている。国登録有形文化財。

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邸宅全景。大正15年(昭和元年 1926)に建てられた事務所兼住宅と、昭和7年(1932)に建てられた大広間棟、昭和10年(1935)に建てられた3階建の洋館の3棟が雁行型に並ぶ構成となっている。

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事務所兼住宅及び迎賓館として建てられた洋館はいずれも、クリーム色の外壁に緑色の洋瓦葺の屋根を載せた瀟洒な洋風建築であり、2棟の間に和風の大広間棟が挟まる構成となっている。

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荒井八郎氏は「穂国足袋(ほこくたび)」などの商標で知られた荒井八郎商店を創業し、一代で財を成した人物である。行田足袋被服工業組合理事長や全日本足袋工業組合連合会理事など足袋業界の要職を歴任する当地の名士であった。

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第二次大戦後は廃止された貴族院に代わり設置された参議院の第1回通常選挙に全国区で当選、昭和25年(1950)に在任中に死去するまで参議院議員を務めるなど政治家としても活動した。

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「足袋御殿」とも称され、事実上行田の迎賓館とも言える存在であった荒井邸は、戦後の国内巡幸に際し訪問された昭和天皇をはじめ戦前から戦後にかけて多くの賓客を出迎えている。

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富士の溶岩石で造られた大きな築山が目を引く庭園には、「成趣園」と刻まれた石碑がある。戦前を代表する言論人である徳富蘇峰(1863~1957)の揮毫によるもので、皇紀2600年(昭和15年 1940)に建立されたものである。

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大広間棟。
邸内では唯一の純和風建築。

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事務所兼住宅の玄関。
1階の外壁は黄褐色のスクラッチタイルで仕上げられている。

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玄関ホール内部。
事務所兼用であるため、受付の窓が設けられている。

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事務室として使われていたと思われる、受付のある洋室。
窓の外にはアールデコ調の意匠を持つ鉄格子が嵌め込まれている。

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二階への階段。
事務所兼住宅の内部はシンプルな洋風の造りで、居住用の和室が数室設けられている。

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二階、荒井八郎氏の居室であったという、玄関の真上に位置する和室。

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和室からは玄関ポーチの上部に設けられたバルコニーに出られる。

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大広間棟内部。庭園を望む南側に10畳間が2室、北側に4畳間を2室配するが、仕切りを外して1室の大広間としても使えるようになっている。床の間や落掛には黒柿などの高級材が用いられている。

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大広間棟の北側4畳に設けられた金庫。

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大広間棟の奥にある離れの洋館は昭和10年にゲストハウスとして建てられた。1階は2室あり、そのうち1室は暖炉を備えた洋室となっている。

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洋館1階の洋室内部。タイル貼りの暖炉が設けられている。天井は装飾を型押しした金属板に塗装を施したもの。廊下も同様の仕上げになっている。

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階段室につながる洋館の廊下は庭園側に面しており、明るく温かいサンルーム的な空間にもなっている。

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洋館の2階は次の間付きの座敷となっており、来客の宿泊用に使われていたものと思われる。

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繊細な意匠を凝らした建具が書院窓や欄間に嵌め込まれている。

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3階は四方に窓を開く望楼となっており、行田市街を一望できる。簡素な洋室と寄せ木張りの床を持つ廊下で構成されている。

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3階洋室の内部。

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3階から大広間棟及び事務所兼住宅を望む。洋館と事務所兼住宅に使われている緑色の屋根瓦はフランス瓦と称される洋瓦である。

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事務所兼住宅の天井や軒下に開けられた換気口は場所によってそれぞれ意匠が異なる。

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離れの洋館外壁のタイル飾りと1階洋室のタイルで仕上げられた暖炉。

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洋館1階廊下の天井。洋室と同じく装飾を型押しした金属板に塗装を施したもの。

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洋館2階座敷の書院窓。漁網を広げた様を現した網干の図柄に船、千鳥、波と海に因んだ意匠である。

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大広間棟軒下の釣り燈籠と、その真下に置かれた家型の石燈籠と狸型の金属製置き燈籠。

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旧荒井八郎商店は戦前の行田を代表する木造洋風建築であると共に、鋳物業の繁栄を伝える川口市の旧鍋平別邸や製糸業が盛んであった入間市の旧石川組製糸西洋館などと同様、埼玉県における過去の地場産業の繁栄を今日に伝える邸宅である。
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第1141回・児玉町旧配水塔

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埼玉県本庄市児玉町児玉にある旧配水塔は、昭和6年(1931)に建てられた。埼玉県下では3番目に建てられた配水塔で、現存するものの中では最も古い。現在は時報塔として使用されている。国登録有形文化財。

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昭和3~9年(1928~34)に行われた旧児玉町(現・本庄市児玉町)水道施設工事の一環で建設された。

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設計は埼玉県技手の宮原雄次郎による。

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内部は上層が高架水槽、下層が揚水用ポンプ室となっている。

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隣接する地下の集水池から、下層階のポンプで上層階の水槽に汲み上げ、自然流下方式により児玉町域へ水道水を供給していた。

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その後、高圧ポンプによる配水が普及したため昭和30年(1955)に役目を終えた。

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現在は時報塔として使用されている。

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平成12年(2000)に国の登録有形文化財となった。

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平成26年(2014)には保存のための大掛かりな改修工事が行われると同時に、扉や窓枠が創建当初の色彩に戻された。

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その特徴的な外観から、地域のシンボルとして親しまれている。

第1078回・旧山﨑家別邸〔再訪〕

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平成22年(2010)1月25日付弊ブログ記事にて紹介した埼玉県川越市の旧山﨑家別邸は修復工事を終え、平成28年3月より、室内も含めて全面公開されるようになった。本記事では旧山﨑家別邸の内部を、通常非公開の2階も含め紹介したい。

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正面から見る旧山﨑家別邸。周囲の樹木が剪定され、建物の全体がよく見えるようになった。外観については以前の紹介記事に修復後撮影した写真を追加したので、そちらを御覧頂けると幸いである。

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庭園から望む旧山﨑家別邸。別邸は竣工に際し「東仙庵」と名付けられた。

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旧山﨑家別邸には3種類の玄関が設けられている。写真は日本館側に設けられた家人用の内玄関。現在、見学者はここから屋内に入るようになっている。

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裏手に設けられた児童室にも子供のための出入り口が設けられている。

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洋館に設けられた玄関が別邸の正面玄関である。ポーチの石段が側面に設けられているのは、来客が横付けされた人力車から乗り降りする際の利便を考慮したもの。

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洋館の玄関内側。

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洋館階段室。二階及び土蔵の地階に繋がっている。
階段室に隣接して土蔵の入口がある。

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階段室の地階側窓に嵌め込まれたステンドグラス。
こちらについては現在、作者は不詳とされている。

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2階への踊り場に嵌め込まれた小川三知作のステンドグラス。

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家具や壁紙などに創建当初のものが残されている応接間。

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応接間に隣接する食堂。ステンドグラスの引き戸がある小窓は配膳口となっており、その下には食器棚が設けられている。

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応接間と食堂からはそれぞれ、屋外に設けられたテラスに出られるようになっている。

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応接間と食堂のステンドグラスは別府七郎の作とされており、ひとつの建物に複数のステンドグラス作家の作品が用いられるのは珍しいとされる。玄関ドアの窓はステンドグラスではないが、アールヌーボー風の飾り格子が嵌め込まれている。

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食堂の先は日本間となっており、客間の縁側に繋がっている。

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客間の床の間。

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設計者の保岡勝也は数寄屋建築に造詣が深く、茶席や茶庭についての著作も残している。客間を始めとする旧山﨑家別邸の日本間は、材料、意匠共に非常に質の高いものである。

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客間から縁側を望む。

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縁側から望む庭園と茶室。
茶室は国宝・如庵(愛知県犬山市)を模した仁和寺遼廓亭(我前庵)の写し。

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客間に隣接する、神棚を備えた居間。

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居間の裏にある二畳の空間は、玄関と児童室とを結ぶ通路であるが、襖を閉めると茶室風の落ち着いた小室となる。

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居間に隣接して設けられたサンルーム兼ベランダ。この奥には児童室がある。

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内玄関前の畳廊下。

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天井に数寄屋風の造りを取り入れたトイレは、自家用の浄化槽を備えた水洗式便所であった。別邸は隠居所や家族のための別邸であると同時に皇族の宿泊に供するための迎賓館でもあったので、設備は当時の最新式のものが導入されている。

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通常は非公開の2階であるが、平成29年3月25日に公開一周年を記念して特別公開が行われた。

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2階寝室。ベッドなどの家具類も建設当時のものが残されている。皇族が別邸に滞在するときの寝所に充てられた。山﨑家別邸が皇族の宿所に充てられたのは6度に及び、梨本宮守正王、朝香宮鳩彦王などがこの建物を利用された。

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寝室の一角を区切った書斎。左の扉はバルコニーに続いている。

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寝室兼書斎の隣は数寄屋風の小座敷が一室配されている。

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二階階段室のそばにある写真室。写真を趣味としていた子息(六代目山﨑嘉七)のために設けられたものと思われる。

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大正から昭和期にかけて中規模の住宅を数多く手掛けた保岡勝也であるが、現存する作品は多くない。とりわけ山﨑家別邸は和洋併置の主屋に茶室、庭園まで全て保岡の設計になり、それらがほぼ完全な形で残されているのは極めて貴重な存在であると言える。

第1075回・石井酒造

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埼玉県幸手市南2丁目にある石井酒造(株)は、江戸時代末期創業の歴史をもつ蔵元。店舗の裏手には、関東地方に多く見られる出桁造の伝統的な造りの商家にタイル貼りの洋館を敷設した居宅が残されている。

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スーパーとゴルフ練習場に囲まれて建っている、石井酒造の店舗及び酒蔵と居宅。店舗と酒蔵は新しくなっているが、昭和初期のものと思われる居宅は古い佇まいを残している。

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埼玉県では以前当ブログで紹介した、秩父の秩父菊水酒造や廃業した旧近藤酒造など、大消費地である江戸に近く街道が発達していた地の利を活かし、多くの酒蔵が存在していた。

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そのため、埼玉を「東灘(あずまなだ)」と称することもあったという。石井酒造も埼玉における古い酒蔵のひとつで、幕末に当たる天保11年(1840)の創業である。

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梁または腕木を突出して側柱面より外に桁を出した構造の出桁造(だしげたづくり)は、重厚な外観が特徴で関東地方の古い商家に多く見られる。

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かつてはこの建物が店舗として使われていたものと思われるが、現在は前方に建てられた新しい建物が販売所となっているようである。(隣接するスーパーでも売っている)

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石井酒造のように伝統的な造りの商家に洋館を併置する事例は珍しい。

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洋館の屋根は、同じ埼玉県下の深谷市に保存されている同時期の建造物である「清風亭」と同様、深みのある青緑色を持ったスペイン瓦で葺かれている。色ムラの多い屋根瓦は創建当初からのものと思われる。

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いくつかの異なる種類のタイルを用いて外壁に変化を与えている。このようにタイルで模様を描くのは玄関ホールの床面など室内装飾では多く見られるが、外壁の仕上げとして用いられるのは少し珍しいと思われる。

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主屋との境目に来客用と思われる玄関を配し、洋館の背後には接客用の書院座敷と思われる二階建ての日本家屋が連なっている。

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屋根は切妻から軒先、軒裏までが銅版で覆われた贅沢な造りである。

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酒も建物もぜひ後世に引き継いで頂きたいものである。

第1072回・秩父菊水酒造

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埼玉県秩父市下吉田にある㈱タイセー秩父菊水酒造所は、「秩父小次郎」銘柄の酒を醸造・販売している酒蔵。明治から昭和期にかけて建てられたと思われる、歴史を感じさせる重厚な店構えが魅力的。

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秩父菊水酒造がある旧吉田町は、近年秩父市に編入されたが、かつてはこの界隈が秩父の経済・文化の中心であったという。昭和32年(1957)に発生した大火で街道沿いの主な建物が焼失したため、旧吉田町には古い街並みは殆ど残されていない。

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秩父菊水酒造と、向かい側に少し離れて建つ煉瓦造の旧武毛銀行本店(大正7年竣工)の2棟は、養蚕などによる往年の繁栄を現在に伝える数少ない建物である。

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正面を当時としてはモダンな白タイル貼り仕上げとした旧武毛銀行本店。この建物については既に紹介済みなので、当ブログ過去記事を御参照頂きたい。

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秩父菊水酒造の建物は、主屋は明治期、酒蔵は大正から昭和期の建造と思われる。

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秩父を含め埼玉はかつて「東灘(あずまなだ)」と称され、酒の醸造が盛んな土地であったという。
大消費地である江戸に近く、街道が発達していた地の利を活かして、多くの酒蔵がかつて存在していた。

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秩父菊水酒造も、この地で酒の醸造を始めたのは寛永2年(1625)まで遡るという由緒を持つ。

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主屋の脇には、賓客用と思われる堂々とした造りの門を構えている。

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大きな切妻屋根を載せた伝統的な造りの酒蔵と、洋風を加味したモダンな意匠の酒蔵が並ぶ。

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現在でも店舗として使われているとのことだが、残念ながら店を開いているのは平日のみとのこと。土日に秩父菊水酒造の商品を買う場合は、近くの道の駅へ行くことになる。

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これからも引き続き、この佇まいが健在であることを願いたい。
プロフィール

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現存する近代日本の歴史的遺産(台湾など旧日本領土も含む)を建造物・土木構造物を中心に、思いつくままに取り上げております。

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