FC2ブログ

第1240回・臨水

s_P81600613.jpg

高知市鷹匠町、鏡川に面して建っている料理旅館「臨水」は、戦後間もない時期に建てられた木造建築で現在も営業を続けている。戦災で大きな被害を受けた高知市内には近代以前の建造物は極めて少なく、伝統的な造りを残しており、かつ凝った造作が随所に見られる和風建築として「臨水」は貴重な存在である。

s_P816009222.jpg

館内に飾られている、戦前の「臨水館」の古写真。当時は現在地から少し東側に架かる潮江橋の袂に建っていたという。「臨水」は昭和初年に開業した山崎旅館が前身で、昭和8年(1933)に新築された木造3階建の「臨水館」に移転する。

s_P8160109.jpg

戦後間もない頃に、旧土佐藩主・山内家の邸宅があった敷地の一部を購入して再度移転する。現在の建物はこのとき新築されたものであるという。(もとの「臨水館」は戦災で焼失したものと思われる)

s_P8160093.jpg

伝統的な和風建築をそのまま残しつつ、伝統的な土佐料理と独自の酒文化を堪能できる料理旅館として現在も営業を続けている。

s_P8160070.jpg

県内から調達した銘木、奇岩貴石をふんだんに用いて建てられたという建物は、終戦直後の建築工事が極めて困難であった時期とは思えない華やかな造りとなっている。

s_P8160071.jpg

伝統的な和風建築は近代に入り絶頂期を迎え、旅館や料亭では銘木を多用し賑やかな意匠を施した建物が全国各地に多数建てられた。戦後間もない時期に建てられた臨水は、戦前の旅館や料亭建築の名残を色濃く残している。

s_P8160062.jpg

1階の奥には石組みを配した池に太鼓橋が架かり、屋外のような造りとなっている。

s_P81600483.jpg

食事や宴席の会場として使われている一階の座敷。
窓の外は鏡川が一望できる。

s_P8160051.jpg

隣の座敷は床の間を竹尽くしで仕上げる。

s_P8160040.jpg

自然石を大胆に配した洗面所。

s_P81500193.jpg

洗面所の照明。

s_P81600413.jpg

浴室への通路。石造りの浴槽や、引き揚げた沈没船の古材を用いたという虫食いだらけの壁板など、浴室も隅々まで凝った造作となっていた。

s_P8160067.jpg

電話室。

s_P8150026.jpg

「臨水」は食事のみの利用も可能であるが、宿泊の場合は2階にある座敷が客室として利用できる。

s_P8160078.jpg

4つある2階の客室は、山内一豊の土佐入りを表した欄間彫刻や天井画で飾られた「思い出の間」を始め、それぞれ造りが異なっている。写真は「竹の間」の入口で、石造風のアーチがある細長い通路をくぐって入るようになっている。

s_P81500302.jpg

床の間に坂本龍馬の肖像画が掛けられている「杉の間」は、比較的落ち着いた造りの座敷。

s_P8150017.jpg

1階の太鼓橋は、夜になると昼とは異なる風情を見せる。

s_P8150010.jpg

この太鼓橋は高知を代表する名所のひとつである播磨屋橋(はりまや橋)に見立てて造られているようだ。橋の傍には「よさこい節」に歌われる僧侶・純信と鋳掛屋の娘・お馬の人形が飾られている。

s_P81500163.jpg

古い旅館や料亭建築を見る楽しみの一つは、遊び心溢れる装飾が施された窓や建具。
夜の明かり越しに見るのがよい。

s_P81600603.jpg

古くからの水上標識で、大阪市章にも用いられている澪標(みをつくし)があしらわれている。

s_P8160065.jpg

高知市内は大東亜戦争末期の空襲で市街の大半が焼失したため、近代以前の歴史を伝える建造物は、焼失を免れた高知城や以前紹介した織田歯科医院など一部の建物を除き、その数は少ない。

s_P8160091.jpg

「臨水」は建物と共に伝統的な土佐の食文化と酒文化を体験できる貴重な宿として、これからも永く高知の名所として続いて欲しいものである。
スポンサーサイト



第1179回・織田歯科医院

s_P8160198.jpg

高知県高知市枡形にある織田歯科医院は、大正14年(1925)に建てられた鉄筋コンクリート造の洋館。戦災で中心市街地の大半が焼失した高知市において、現存する数少ない近代洋風建築であると共に、当地における最初期の鉄筋コンクリート造建築である。国登録有形文化財。

s_P8160203.jpg

織田歯科医院がある高知市枡形は高知城に近い位置で、かつてこの界隈は武家屋敷が建ち並んでいたという。織田歯科医院は、明治初期には自由民権運動の活動家でもあり、若い頃の肖像写真がその端正な容貌からネット上で話題になった織田信福(1860~1926)が、明治19年(1886)に開業した。

s_P8160210.jpg

大正15年(1926)に二代目院長の織田正敏によって現在地に移転、現在に至るまで当地で診療を行っている。かつては診療棟であった洋館に隣接して和風の住居棟があったようだが、現在は跡地に新しい診療棟が建っており、歯科医院の機能は新しい建物に移っている。

s_P81602122.jpg

洋館の手前にあるコンクリート塀。洋館と同時に建てられたもので、意匠も洋館と共通したものとなっている。塀には空襲時に焼夷弾によって受けたという痕跡が残されている。(写真の左側)

s_P8160197.jpg

正面2階中央にはバロック風の装飾壁が立ち上がり、外観を特徴づけている。装飾壁の中央部及び1・2階の窓の間には縦長のメダリオンを配し、塔屋にも装飾レリーフを設けるなど随所に装飾が施されている。

s_P8160218.jpg

外壁には柱型を並べ、壁面はモルタル塗りで粗く仕上げられている。このような外壁は大正以降の洋館で多く見られる、「ドイツ壁」と称されるものである。

s_P8160186.jpg

洋館と塀は診療棟の移転新築に伴って併せて改修が行われた。改修後の平成29年(2017)には「織田歯科医院主屋」「織田歯科医院塀」として国の登録有形文化財にそれぞれ登録されている。

s_P8160184.jpg

かつて存在した住居棟に面していた部分は他の部分と同一意匠で改修、復元されている。

s_P81602112.jpg

診療棟としての役目を終えた洋館は現在、結婚式場やギャラリーとして活用されている。

s_P8160214.jpg

s_P8160194.jpg

門は改修に際し間口を広げたため当初の姿は残されていないが、新しく建てた門柱は旧意匠を忠実に再現したものとなっている。

s_P8160195.jpg

「織田歯科醫院」「DENTAL OFFICE M.ODA」と記された大理石の古い表札が新しい門柱に嵌め込まれている。

s_P8160200.jpg

写真で紹介できないが、内部も創建当初の造りをよく残している。かつては2階で診療及び治療が行われていたようだ。また、1階の玄関脇には漆喰と木材を組み合わせた折り上げ天井が見事な応接室がある。

s_P8160201.jpg

高知市内でも極めてハイカラであったと思われるこの洋館は、大正14年12月に竣工した。
織田歯科医院は翌年よりこの建物で診療を開始するが、新しい医院の完成を見届けたかのように、初代院長の織田信福は大正15年1月13日にこの建物の応接室で息を引き取ったという。(織田歯科医院のホームページ「織田歯科医院の歴史」より)

s_P8160205.jpg

高知県は他県と比較すると、現存する近代建築は数は決して多くないが、織田歯科医院を始めとするすばらしい建物が健在である。
プロフィール

syoukou

Author:syoukou
(ブログについて)
現存する近代日本の歴史的遺産(台湾など旧日本領土も含む)を建造物・土木構造物を中心に、思いつくままに取り上げております。

(写真について)
写真は特記しない限り管理人の撮影です。また絵葉書等の古写真は管理人の所蔵品、もしくは訪問先の展示品を撮影したものです。利用・転載等希望される場合は管理人まで御連絡頂けると幸いです。

(リンクについて)
リンクはフリーです。

(コメントについて)
記事と関係の無いコメントは削除させて頂く場合もあります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QRコード