第1052回・四條畷学園本館

s_PC310167.jpg

大阪府大東市学園町にある学校法人四條畷学園の敷地内には、昭和4年(1929)に建てられた本館が90年近く経った現在も現役で使われている。玄関まわりの外壁には、建設当時の生徒達が作った装飾タイルが嵌め込まれているのが珍しい。

s_PC310164.jpg

JR片町線四条畷駅の東側すぐの位置にある四條畷学園。幼稚園から小中高校、短大、大学を擁する大阪でも有数の私立学校である。

s_PC310202.jpg

四條畷学園は、旧制四條畷中学校(現・四條畷高等学校)の校長を務めていた牧田宗太郎が、実弟で三井鉱山社長など務めた実業家の牧田環などの協力を得て、大正15年(1926)に四條畷高等女学校を開校したのが始まりである。

s_PC310172.jpg

開校当初は大阪府北河内郡門真村(現・門真市)古川橋に仮校舎を置いていたが、開校3年後の昭和4年(1929)6月に現在地に新築移転した。

s_PC310166.jpg

その後校舎は拡充され現在に至るが、本館と正門は創建当初から変わらぬ佇まいを見せている。

s_PC310179.jpg

本館は現在、学園の本部及び高等学校の校舎として使われているようだ。

s_PC310198.jpg

側面を望む。
本館はL字型で、背面に設けられた校庭を囲む形になっている。

s_PC310180.jpg

3階の側面外壁には、曲面を持つ張り出しが設けられている。

s_PC310185.jpg

車寄せのある正面中央部分の外壁も、わずかに曲面を描いて前面に張り出している。

s_PC3101912.jpg

本館の2階正面中央には、6体の鳥の塑像が据え付けられている。

s_PC310161.jpg

羽を広げた堂々とした姿は鷲にも見えるが、頭は鳩のようにも思われる。

s_PC3101602.jpg

大阪府下に現存する昭和初期の学校建築は、以前紹介した大阪大学会館(旧浪速高等学校本館)などのようなシンプルな外観の建物が多く、四條畷学園のような重厚な建物は珍しい。

s_PC310188.jpg

玄関ポーチの開口部は放物線アーチを描く。放物線アーチは20世紀初頭にドイツなどで見られた建築様式である表現主義建築においてよく見られ、日本でも一部の若手建築家が取り入れていた。

s_PC310184.jpg

玄関ポーチの天井は梁を斜めに交差させるなど、放物線アーチの開口部と共に特異な意匠を見せている。

s_PC3101902.jpg

創建当時からのものと思われる玄関ポーチの照明器具。

s_PC310195.jpg

本館1階の外壁には、昭和初期に流行したスクラッチタイルのほか、型押しを施した素焼きの装飾タイルが用いられている。また、玄関ポーチにも同じ意匠の装飾タイルが用いられている。

s_PC3101892.jpg

玄関ポーチの装飾タイル。

s_PC3101812.jpg

本館1階外壁の装飾タイル。

s_PC3101932.jpg
s_PC3101943.jpg

1階外壁の正面部分には上記の装飾タイルと共に、昭和4年当時の生徒達が製作した手作りの装飾タイルが嵌め込まれている。

s_PC3101944.jpg
s_PC3101942.jpg

四條畷学園は楠木正行を主祭神とする四條畷神社のすぐそばにあり、菊水紋など楠木氏に因む図柄なども散見され、興味深い。

s_PC310196.jpg

あまり知られていないように思われるが、大阪府北河内地方でも屈指の名建築である。
スポンサーサイト

第989回・商船三井築港ビル(旧大阪商船ビル)

s_P5032397.jpg

大阪市港区海岸通にある商船三井築港ビルは、戦前の日本を代表する船会社のひとつであった大阪商船(現・商船三井)の大阪港における施設として昭和8年(1933)に建てられた。船会社の建物らしく、船を思わせる造形が見られる外観が特徴。

s_P5032402.jpg

商船三井築港ビルは、日本一低い山とされていた天保山の近くに建っている。大阪でも有数の観光地である水族館の海遊館にも近い。

s_P5032401.jpg

大阪市港区は大阪市内でもとりわけ空襲の被害が甚大であった区域であり、戦前から残る建物は極めて少ない。白い外壁の部分は、戦後増築された部分。

s_P50323862.jpg

この建物を建てた大阪商船は、同社が独占していた南米航路に就航していた貨客船「あるぜんちな丸」「ぶら志゛る丸」などでも知られる。東京に本社を置く日本郵船と共に、戦前の我が国を代表する船会社であった。

s_P5032404.jpg

大阪商船の本社は大阪市北区宗是町(現・中之島)の大阪ビルディングに置かれていた。現在は超高層ビル(ダイビル本館)に代わったが、旧ビルの部材を用いた低層部には往年の姿がよく残されている。(当ブログ過去記事参照)

s_P5032387.jpg

戦前の建物がそのまま残されているものでは、本建物のほか、神戸市の旧神戸支店(現・商船三井ビル)と北九州市の旧門司支店がある。

s_P5032388.jpg

この界隈は地下水の汲み上げによる地盤沈下が深刻で、台風や高潮で浸水する事も多かったため、戦後に周囲の嵩上げを行った。そのため、もとの1階部分は埋没しており、現在の玄関はかつての2階に新たに設けられたものである。

s_P5032400.jpg

内部の廊下。
現在は店舗やギャラリーなどが入居している。

s_P5032399.jpg

うどん店となっている1階(旧2階)の1室。

s_P5032403.jpg

以前紹介した赤煉瓦倉庫(旧住友倉庫)などと共に、戦前から残る希少な建物である。

第922回・築港赤レンガ倉庫(旧住友倉庫)

P50324142_convert_20151101103628.jpg

大阪市港区海岸通にある築港赤レンガ倉庫は、大正12年(1923)に住友倉庫として建てられた。
平成11年(1999)に倉庫としての役目を終え、今年、平成27年(2015)にクラシックカーミュージアムやレストランが入居する商業施設として再生された。

P50324052_convert_20151101104736.jpg

大阪港の第1号岸壁沿いに建っている。
水族館「海遊館」の最寄駅でもある、大阪市営地下鉄の大阪港駅から徒歩圏内の位置にある。

P5032423_convert_20151101104246.jpg

築港赤レンガ倉庫は、北側の旧200倉庫と南側の旧300倉庫の2棟から構成される。かつては倉庫の間と両脇を、大阪臨港線(平成18年廃線)が走っていた。

P5032413_convert_20151101104128.jpg

大阪港第1次修築工事(明治30年(1897)~昭和4年(1929))の末期にあたる大正12年(1923)、同年に住友合資会社倉庫部から独立したばかりの(株)住友倉庫によって建設された。

P5032415_convert_20151101104457.jpg

大正12年に発生した関東大震災を契機に煉瓦造りは衰退したため、同年に竣工した旧住友倉庫は煉瓦造の大型建築物としては末期の事例である。

P50324092_convert_20151101104655.jpg

第二次大戦後に行われた地盤嵩上げのための盛り土工事により、壁面は創建当初より低くなっている。

P50324192_convert_20151101104408.jpg

大阪市内では第二次大戦前より、工業用の地下水汲み上げによる地盤沈下が深刻であった。このため港湾部では高潮による浸水対策として、大規模な地盤嵩上げ工事が行われたものである。

P5032422_convert_20151101103859.jpg

平成11年に倉庫としての役割を終えた後は、管理が住友倉庫から大阪市に移管され、再利用が模索されていた。

P5032421_convert_20151101104840.jpg

その後、大阪市では平成25年(2013)に民間事業者による利活用案を募集、その結果、クラシックカーミュージアムなどから構成される商業施設として再生されることになった。

P5032408_convert_20151101103802.jpg

築港赤レンガ倉庫が、既に観光名所としても定着している函館、横浜、舞鶴などの赤煉瓦倉庫群のような存在になることを期待したい。

第915回・旧和泉銀行本店

P8173026_convert_20151012223215.jpg

旧和泉銀行本店は、大阪府岸和田市にある昭和初期の銀行建築。岸和田を本拠とする寺田財閥の一員であった和泉銀行の本店として、昭和8年(1933)に建てられた。大阪の綿業会館や、神戸の商船三井ビルの設計でも知られる渡辺節の設計による。国登録有形文化財。

P8173033_convert_20151012223643.jpg

紀州街道に面して建っている旧和泉銀行。

P8173035_convert_20151012223437.jpg

P8173037_convert_20151012223349.jpg

紀州街道沿いには旧和泉銀行のほか、以前取り上げた旧四十三銀行を始めとする洋風建築や、重厚な町家など古い建造物が点在している。

P81730282_convert_20151012223615.jpg

外壁を明るい黄褐色のタイル貼りとし、二層を貫く大きなアーチを開ける外観は、同じ設計者による旧神戸証券取引所(現神戸朝日ビル)の玄関部と似ている。

P8173062_convert_20151012223915.jpg

設計者である渡辺節は、旧和泉銀行のほか、寺田財閥の社交場である自泉館(現自泉会館)や、寺田甚吉邸(現存せず)など、寺田財閥関係の設計をいくつか手掛けている。

P8173030_convert_20151012223243.jpg

正面アーチの上部を飾るメダリオン。

P81730292_convert_20151012223848.jpg

なお、内部も創建時の装飾がよく残されており、二層吹き抜けの営業室を飾る付柱の頂部は、イルカを象った珍しいものである。(参考:ブログ「洋館マニアの散歩道」様の記事より)

P8173064_convert_20151012223323.jpg

和泉銀行は大正11年(1922)に設立、昭和15年(1940)に合併により設立された阪南銀行に引き継がれるまでの18年間だけ存在していた銀行である。なお、阪南銀行はさらに短命で、5年後の昭和20年(1945)に住友銀行(現三井住友銀行)に合併されている。

P8173027_convert_20151012223412.jpg

平成16年(2004)まで金融機関の店舗として使われてきたが、現在は地元の有志によって改修され、「C.T.L BANK」という名の多目的施設として活用されている。

第913回・旧武田長兵衞商店(武田道修町ビル)

P81428862_convert_20150823120157.jpg

薬の街として知られる大阪市中央区道修町(どしょうまち)は、江戸時代より薬問屋が軒を連ね、現在も大小の製薬会社が建ち並んでいる。最大手製薬会社である武田薬品工業(株)も、天明元年(1781)の創業以来道修町に本社を構えており、昭和3年(1928)に建てられた旧本社ビルも用途を変えて健在である。

P8142881_convert_20150823122427.jpg

伝統的な薬種商を近代的な製薬会社に発展させた五代目武田長兵衞(1870~1959)は、昭和2年(1927)に幕末に建てられた土蔵造の旧店舗兼居宅を取り壊し、その翌年、跡地に鉄筋コンクリート3階建の新社屋を完成させた。

P81428802_convert_20150823122505.jpg

なお当時の社名は「武田長兵衞商店株式會社」で、現在の社名になったのは第二次大戦中の昭和18年(1943)。

P8142884_convert_20150823120555.jpg

現在はその後行われた度重なる増築により、5階建となっている。なお武田薬品ホームページの会社沿革紹介にて、創建当初の社屋や旧店舗兼居宅の画像を見ることができる。

P8142887_convert_20150823121231.jpg

設計は京都府庁舎の設計者としても知られる松室重光(1873~1937)による。なお五代目武田長兵衞は社屋改築に際し、自らの邸宅も松室に設計を依頼している。この邸宅は神戸市東灘区御影にあり、贅を尽くした英国風洋館で現在は「武田資料館」となっているが一般公開はしていない。

P8142878_convert_20150823120420.jpg

昭和10年代の関西が舞台となっている谷崎潤一郎の小説「細雪」には、道修町の製薬会社を訪ねる場面があり、「會社と云ふのは、堺筋から西へ一丁程這入つた道修町通りの北側に、土蔵造りの昔風な老舗が多く並んでゐる中で、それ一軒だけ近代風な鐵筋コンクリートの建物であるのが直ぐ眼に付いたが、・・・」という描写がある。かつての武田長兵衞商店はまさに谷崎の描写どおりの佇まいであったと思われる。

P8142877_convert_20150823120708.jpg

なお、「近代風な鐵筋コンクリートの建物」の製薬会社は他にもいくつか存在したが、いずれも建て替えられ、新しいビルの一角に装飾の一部などが残されているだけである。建物自体が現在も残されているのは武田道修町ビルのみである。

P8142885_convert_20150823121421.jpg

幸いにして武田道修町ビルは近年耐震補強と改装工事が行われ、現在は公益財団法人武田科学振興財団及び同財団が運営する薬品関係の資料館「杏雨書屋」が入居、新たな用途を得て現在も使われ続けている。

P8142873_convert_20150823122020.jpg

以下、先述の「近代風な鐵筋コンクリートの建物」の遺構を紹介。
大日本住友製薬の本社ビルでは半地階に面した場所に、旧大日本製薬ビルの定礎板と壁面装飾の一部が残されている。

P81428742_convert_20150823121953.jpg

テラコッタ製の鬼面装飾と窓枠、付柱が旧ビルから移設されたもの。

P81428822_convert_20150823121920.jpg

丸善道修町ビルではテラコッタ製の窓飾りの一部が残されている。

P8142865_convert_20150823122215.jpg

塩野義製薬本社ビルでは旧ビルの列柱基壇部分が残されている。

P8142864_convert_20150823121805.jpg

現在の塩野義製薬本社ビルは旧ビルのイメージを取り入れた外観となっている。

IMG_4113_convert_20140209091918.jpg

近代洋風建築は武田薬品1社しか残されていないが、谷崎が「土蔵造りの昔風な老舗」と表現した伝統的な外観の店舗はかつては道修町の大半を占めており、今でも数棟が現存する。旧小西儀助商店はその中でも最も大規模で、国指定の重要文化財である。(旧小西儀助商店については当ブログ過去記事参照)

P81428712_convert_20150823122325.jpg

製薬会社へ生薬等の原料の販売納入を行っている、小城製薬(株)の本社屋。
大正時代に建てられた土蔵造の町屋で、昭和30年(1955)より同社が使用している。

P81428722_convert_20150823122121.jpg

奥には土蔵2棟が見える。なお内部は現代的なオフィスに改装されている。

P8142868_convert_20150823121605.jpg

動物用薬品を取り扱う薬問屋である北垣薬品の社屋は、母屋、土蔵共に文化文政年間 (1804~30) に建てられたとされる。

P8142869_convert_20150823121846.jpg

外観は大正時代に行われた道路拡幅に伴い、大幅な改造が施されているが、道修町のみならず船場一帯でも旧緒方洪庵住宅(適塾)と並ぶ最古級の町家である。

P8142870_convert_20150823195532.jpg

現在も補強改修を加えながら、現役の事務所として使われている。
プロフィール

syoukou

Author:syoukou
(ブログについて)
現存する近代日本の歴史的遺産(台湾など旧日本領土も含む)を建造物・土木構造物を中心に、思いつくままに取り上げております。

(写真について)
写真は特記しない限り管理人の撮影です。また絵葉書等の古写真は管理人の所蔵品、もしくは訪問先の展示品を撮影したものです。利用・転載等希望される場合は管理人まで御連絡頂けると幸いです。

(リンクについて)
リンクはフリーです。なお、リンクを張らせて頂いている他の方のページは一部を除き相互リンクとなっております。

(コメントについて)
記事と関係の無いコメントは削除させて頂く場合もあります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード