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第1198回・旧塩原御用邸新御座所

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栃木県那須塩原市の塩原温泉には、戦前まで御用邸(塩原御用邸)があり、大正天皇、昭和天皇を始め多くの皇族が利用されていた。現在は明治38年(1905)に建てられた御座所棟だけが近接地に移築、公開されている。栃木県指定有形文化財。

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旧塩原御用邸新御座所は現在、那須塩原市が所有・管理しており、「天皇の間記念公園」として公開されている。

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旧塩原御用邸は、栃木県令(知事)も務めた三島通庸(1835~1888)が塩原に建てた別荘を前身としている。別荘は明治36年(1903)に三島家から皇室に献上され、昭和21年(1946)に廃止されるまで塩原御用邸として使用された。

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現存する建物は、明治38年(1905)に新たに造営された御座所棟の一部である。

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当初は三島別荘を増改築しただけの建物であったが、明治38~39年(1905~06)にかけて新御在所などが増築された。赤い囲み枠の中が現存する部分である。敷地内に源泉を有しており、御座所に面した中庭に浴室棟が設けられていた。

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大正天皇や昭和天皇を始め、多くの皇族が避暑目的で塩原御用邸を利用された。特に幼少期の三笠宮崇仁親王は連年にわたって塩原御用邸を利用されていたことから、「澄宮御殿」とも称されていた。

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戦時中は前回紹介した明賀屋本館太古館と同様に塩原御用邸も女子学習院の疎開先となり、在学中であった照宮成子内親王(東久邇成子)をはじめとする昭和天皇の子女も疎開されていた。

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敗戦後の昭和21年(1946)に皇室財産整理のため塩原御用邸は廃止され、厚生省へ移管、視力障碍者のための施設「国立塩原光明寮」として利用されることになった。なお、国立塩原光明寮はその後「国立塩原視力障害センター」に改編されるが、平成25年(2013)に廃止され、現在敷地は更地になっている。 

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障碍者施設となった旧御用邸の建物は次々と改築され、最後に残った御座所棟も昭和56年(1981)に改築が計画されるが、旧御用邸の保存を望む町民の要望を受けて塩原町(当時)が国から払い下げを受け、現在地に移築した。

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屋根は現在銅版葺きとなっているが、当初は杮葺きであったという。
瓦には菊の御紋が見られる。

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かつて中庭に面していた部分を除き、三方に縁側を巡らせている。

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縁側の内側には畳廊下が設けられている。

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通常の和風住宅ではどちらか片方だけであり、縁側と畳廊下が二重になっているものは珍しい。防護を重視したため、このような造りになったとも言われる。

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主室である御座所。

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簡素な作りの座敷であるが、次の間との欄間飾りや床脇の竪繁障子に装飾的な箇所が見られる。

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日本座敷に洋家具を配置するのは明治期の皇室建築に多く見られるもので、現存する旧沼津御用邸旧日光田母沢御用邸でも同様の設えを見ることができる。

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天井から下がる洋式のシャンデリア。

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天井のシャンデリアとは対照的に、御用邸では伝統的な行燈も併用されていた。展示されている朱塗りの行燈は、当時実際に使われていたもの。

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畳敷きの手洗も復元されている。

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なお、旧塩原御用邸の跡地については、塩原町では現在、旧御用邸周辺住民からの要望も受け、国から購入して公園として整備し、旧御座所を元の位置に再移築する構想を立てているという。(参考)
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第1197回・明賀屋本館太古館

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栃木県那須塩原市塩原にある明賀屋本館は延宝2年(1674)の創業とされる老舗温泉旅館で、首都圏から比較的近い位置にある秘湯としても人気の高い温泉宿である。客室棟のひとつである太古館は、昭和8年(1933)に建てられた和洋折衷の木造三階建で、ライト風意匠の外観に特徴がある。現在も食事処及び客室として使用されている。

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塩原温泉郷でも最も奥まった位置にある塩の湯温泉は、江戸川乱歩が昭和初期に書いた長編探偵小説「吸血鬼」の舞台となった。塩の湯温泉には現在も小説の世界を思わせるような温泉宿が今も残されている。

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今回取り上げた明賀屋本館のほか、その向かいに建つ柏屋旅館の別館も昭和10年(1935)に建てられたほぼ同時期の建物である。但し柏屋旅館は主な機能は新館に移されており、別館は客室としては使用されていないようである。

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明賀屋本館も主な機能は建て替えられた鉄筋コンクリート造の本館棟に移されているが、太古館は食事処及び客室棟の一部として今も現役で使われている。

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「太古館」の名は、大正初期に明賀屋に宿泊した徳富蘇峰の命名による。周辺の環境が「静かなること太古の如し」として名付けられたという。

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温泉が湧く鹿又川沿いに本館棟及び自炊棟があり、道路を隔てて山側に建つ太古館とは渡り廊下で繋がれている。元々は和風の二階建であったが、昭和8年にモダンな外観の三階建に建て替えた。

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フランク・ロイド・ライトの旧帝国ホテル旧山邑家別邸を思わせるような外観が特徴であるが、設計者の鈴木慶一郎はライトの下で旧帝国ホテルの設計に従事したスタッフの一人で、のちには東京都の技師も務めたという人物であるという。

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壁面は旧山邑家別邸や自由学園明日館と同様に明るいクリーム色のモルタル塗り仕上げとしており、窓台や車寄、腰壁などに旧帝国ホテルを思わせる茶褐色のスクラッチタイルを用いている。

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曲面を持つ張り出し窓は、当時としては非常に斬新でモダンなものであったと思われる。

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太古館には専用の玄関が設けられているが、現在は使われていない。

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玄関の木製硝子戸。

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玄関ホール。太古館の内部は一階が洋風、二・三階が和風の造りになっている。一階は写真左手にある会議室はもとのままと思われるが、右側は改装されており、現在は厨房として使用されている。

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玄関ホール奥の階段まわりや廊下の柱頭飾りなど、内部にもライト風の意匠が施されている。

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太古館は一見すると鉄筋コンクリート造りにも見えるが木造で、背面の外壁はペンキ塗りの下見板張りとなっている。

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格天井な見事な二階の大広間兼宴会場。ここが宿泊客の食事処として使われている。

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床の間。

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照明器具は戦前からのものが残されている。

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三階は客室となっている。
戦時中には太古館は女子学習院(現在の学習院女子大学)の疎開先としても使われた。

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客室の欄間。

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太古館には著名人の揮毫による扁額も飾られている。大広間には太古館の名付け親である徳富蘇峰(扁額では「荘峯」となっている)の揮毫による扁額が飾られている。宿泊した客室には澁澤榮一(青淵)の扁額が飾られていた。

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本館棟は戦後に建て替えられているが、鹿又川沿いにある露天の浴場へ続く通路は古風な木造の階段がそのまま残されており、秘湯の雰囲気を残している。

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斜面に沿って長く続いている階段。

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最も浴場に近い位置に建っている木造四階建の自炊棟。現在は使用されていない。

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自炊棟の脇を抜けて浴場へ向かう。

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湯治場の趣を今も色濃く残している浴場。

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鹿又川の渓流がすぐ目の前を流れている。近年には大雨で浴槽の一部が流失したこともあるが、直営で復旧されている。

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洋風の外観を持つ戦前の温泉旅館建築自体が希少な存在であるが、ライト風意匠という点でも非常に珍しいのではないかと思われる。

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温泉も建物もすばらしい。
これからも何とかこの姿を維持して頂きたいものである。

第1175回・旧黒羽銀行(足利銀行大田原支店)  

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栃木県大田原市黒羽向町にある足利銀行大田原支店は、明治時代に建てられた土蔵造りの店舗で現在も営業を行っている。土蔵造の銀行建築は明治中~後期に各地で建てられたが、現在も金融機関として現役で使われているものは極めて珍しい。国登録有形文化財。

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元々は明治30年(1898)10月に設立された黒羽銀行の店舗で、明治末期の建設とされる。

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黒羽銀行は黒羽地区最古の銀行であったが、昭和に入ると金融恐慌の影響で経営が悪化する。昭和11年(1936)に足利銀行に合併されて同行の支店となり、現在に至っている。

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伝統的な土蔵造の外観に、内装を洋風とするなど和洋折衷の造りを特徴とする土蔵造の銀行建築は、明治中~後期にかけて各地に建てられた。

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耐火性や安全性において江戸時代から実績があり、また社会的地位の象徴として認知されていた土蔵造は、一時的ではあったが信頼性が重視される銀行建築の恰好の様式として受け入れられていた。

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大正時代以降、土蔵造の銀行建築は急速に廃れ、栃木県内では旧黒羽銀行が現存する唯一の事例とされるが、現在も金融機関として使用されているのは全国的に見てもここだけではないかと思われる。

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入口の防犯防火用の扉も、シャッターではなく重厚な観音開きの鉄扉である。訪問したのは休業日であったが、この内側には昔ながらの木製の硝子戸があり、自動ドアに改造されながらも玄関扉として現在も使用されているようである。

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外壁は富山県砺波市の旧中越銀行本店(現在はタイル貼りに改装されている)や金沢市の旧金沢貯蓄銀行(現・尾張町町民文化館)と同様、土蔵造の銀行建築に多く見られる黒漆喰で重厚に仕上げられている。

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内部は現役の金融機関であることからそれなりに改装されていると思われるが、どのぐらい改変されているかはわからない。

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屋根の上には洋風の装飾が施された避雷針が立っている。

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2階の屋根瓦には「黒羽銀行」の文字があり、同行の行章と思われるマークも見られる。

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他に現存する土蔵造の銀行建築としては、先述の2件のほか、鳥取県倉吉市の旧第三銀行倉吉支店や愛知県犬山市の明治村に移築されている旧安田銀行会津支店などがある。

第1169回・塚田歴史伝説館

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栃木県栃木市倭町にある塚田歴史伝説館は、江戸時代後期から木材回漕問屋を営んできた豪商・塚田家の土蔵群を中心に改装、公開している博物館である。材木商らしく木材に贅を尽くした別荘(隠居所)など建築的にも見どころが多い。邸内にある8棟(旧主屋、板塀、事務室・売店及び休憩所、展示館、文庫蔵、米蔵、銘木蔵、荷蔵)の建物が国の登録有形文化財である。

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蔵の街・栃木を代表する景観である、巴波川に沿って並ぶ塚田家の建物群。かつてはこの川面に筏を組んで、三日三晩かけて深川の木場まで材木を輸送していた。

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写真手前から文庫蔵、旧主屋、展示館、旧荷蔵が並び、手前の板塀と共に登録有形文化財となっている。このうち展示館は、邸内でも最も古いとされる土蔵を改装したもの。

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文庫蔵の入口。
塚田家では昭和54年(1979)より邸内を博物館として公開しており、当家に伝わる家宝等の展示を始め、巴波川にまつわる昔話を主題とした人形(ロボット)芝居を上演している。

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旧主屋の手前に受付があり、見学者は最初に旧主屋の一階に居る、三味線ばあさんロボットの解説を聴く。ばあさんだけでなく猫も観光客風の老人も、全て人形もしくはロボットである。妙にリアルに造られたこれらの人形もしくはロボットも、ある意味当館の見どころである。

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旧荷蔵を改装した展示施設で、当地の秋祭りの人形山車と塚田家所蔵の銘木を陳列する人形山車・銘木展示館。ここにもロボットが3体居る。

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床柱などに用いられる銘木の数々。

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旧荷蔵の奥にある別荘。明治末期に隠居所として建てられたとされる、洋館付きの離れ座敷。

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玄関わきに設けられた凝石仕上げの外壁を持つ洋館は、少々頭でっかちな印象の建物。

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水琴窟も設けられている庭園に囲まれた、別荘の座敷部分。左に洋館が見える。

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庭園から別荘を望む。
後ろに旧荷蔵(人形山車・銘木展示館)が見える。

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別荘庭園の奥にある屋敷神。

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重厚な屋根が特徴の御社。

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なぜかこの別荘は登録有形文化財には含まれてない。建築的には一番見どころの多い建物なのであるが。

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凝石仕上げの洋館外壁は丁寧な左官仕事が施されている。

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玄関。但し現在この玄関は閉鎖されており、室内の見学は庭園に面した縁側から入るようになっている。

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隠居所なので内部はこじんまりとした造りで、洋室に続き間となった座敷二室、あとは洗面所などの水回りだけが配されているものと思われる。写真は座敷の次の間。

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主座敷。
老夫婦の人形はこの別荘を愛用していた塚田家の三代目当主夫妻をモデルに作ったようだ。

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長押を二重に廻すのは珍しい。

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欄間には高級材として知られる黒柿の一枚板を用いるなど、ふんだんに銘木を使用している。

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縁側。突き当りが洋室であるが非公開。

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縁側の欄間には家紋をあしらった擦り硝子を嵌め込んでいる。

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同じく当地を代表する豪商・旧家で、塚田家と同様に一般公開されている横山家(横山郷土館)岡田家(翁島別邸)の建物と比較してその趣向の違いを見るのも興味深い。

第1165回・ベルギー王国大使館別荘

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かつて国際的な避暑地として繁栄した日光の中禅寺湖には湖畔に面して、明治から昭和初期にかけて建てられた欧州4ヶ国(イギリス、フランス、イタリア、ベルギー)の大使館別荘が建ち並ぶ。今も現役で使用されているのはフランスとベルギーのみであるが、昭和3年(1928)に建てられたベルギー王国大使館別荘が、平成30年6月のうち日を限って特別公開されている。

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大使館別荘群は中禅寺湖の東岸にあり、イギリスとイタリア、フランスとベルギーがそれぞれ隣り合って建っている。写真の建物は大正11年(1922)に建てられたとされるフランス大使館別荘。和風を基調とした簡素な建物である。

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フランス大使館別荘に隣接して建っているのが今回紹介するベルギー大使館別荘。湖岸を走る道路とは高いブロック塀で隔てられており、通常は道路側からは屋根しか見ることができない。

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イギリスイタリア両国の大使館別荘は既に現役を退き、共に文化財として一般に公開されているが、フランスとベルギーは現役で通常非公開である。湖畔に面した姿も普段は湖上からしかその姿を見ることは出来ない。

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ベルギー王国大使館別荘は、昭和3年(1928)、大倉財閥の二代目総帥である大倉喜七郎(1882~1963)男爵が建設、ベルギー王国大使館の夏季別荘として当時のベルギー国王、アルベール1世(1875~1943)に献上したとされる洋館である。

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イギリス、フランス、イタリアの3ヶ国の大使館別荘がいずれも和風を取り入れているのに対し、ベルギー王国大使館別荘は内外装ともに純洋風で仕上げられているのが特徴である。

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4棟の大使館別荘の中では同じ昭和3年に建設された旧イタリア大使館別荘と並び、最も新しい時期の建物であるが、今年で建設から90年を迎える。

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ペンキ塗り下見板張りの外壁にハーフチンバー風の意匠を施し、湖畔に面した側にはベランダやサンルームを配した、変化に富んでいる外観が特徴である。

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二階窓の下はハーフチンバー風の洋館に多く見られる、木材を交差させた意匠とするが、通常より柱が1本多く湖畔側の二階ベランダ手摺と対応したものとなっているなど、意匠も凝ったものとなっている。

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二階の鎧戸には、星と三日月の形にくりぬいた装飾が施されている。

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別荘建設90周年を記念し、ベルギー王国大使館の協力による栃木県の事業として初の一般公開が行われた。

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玄関欄間の飾り窓。

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玄関まわりの内装は、細い格子の天井も壁の柱や長押も茶色く塗られ、重厚に仕上げられている。

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後年の改装かも知れないが、玄関より先は階段ホールも各部屋も明るい色調で仕上げられている。

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階段。2階は非公開。
今回の一般公開では、来客を迎えるための公的スペースである1階サロンとテラス、サンルームが公開されていた。

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階段の手摺子は算盤の玉を並べたような意匠となっている。

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1階にはサロンとして使われている2つの洋室があり、うち1室は石積みの暖炉を備えている。また、湖岸に面したテラスに出ることもできるように造られていた。

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暖炉のそばには配膳用と思われる小さな窓があった。

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湖岸の石を積み上げたものと思われる、素朴な石積みの暖炉。

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淡い黄色の色硝子を嵌め込んだ硝子戸。

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2室あるサロンは硝子戸で仕切られており、続き間として使えるようになっている。

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湖畔に面したテラス。
入口脇には石で出来た造り付けのプランターボックスがある。

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テラスから望む、雨に霞む中禅寺湖。

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比較的小さな規模の方のサロンは、家具の配置からして食堂として使われているようだ。

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湖岸に面した西側には、吹きさらしのテラスと大きな窓を配したサンルームが設けられている。

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外観、内装共に非常に質の高い洋館であるが、設計者は不明のようである。

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高橋貞太郎(川奈ホテルの設計者として建て主の大倉喜七郎男爵とは関係が深い)
木子七郎(別荘竣工とほぼ同時期に、ベルギーから贈られた小便小僧像を大阪の自邸に置いている)
J・M・ガーディナー(オランダなど各国大公使館の施設を多く手掛け、日光の教会に遺骨を埋めるなど当地との縁が深い)

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(全くの個人的見解であるが)関連のありそうな建築家として上記に記すような人物を考えてみたが、この洋館と結びつけられるようなものを見出すことはできなかった。

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今後予定されている特別公開日は、6月16~18日、23~25日の6日間である。
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