第20回・旧札幌控訴院(札幌市資料館)

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札幌の大通公園の端にある石造風の洋館は、札幌控訴院庁舎として大正15年(1926)に建てられた。現在は札幌市資料館として使われている。国登録有形文化財。

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控訴院は旧帝国憲法下の司法制度における裁判所のひとつで、現在の高等裁判所に相当する。なお、現在旧控訴院の庁舎が現存するのは札幌と名古屋のみである。名古屋の旧控訴院庁舎は国指定重要文化財として保存されている。

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設計は司法省会計課による。当初は正面に高い塔を設ける予定であったが、予算上の制約から設計変更が行われ、塔の設置は見送られた。

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構造は石造・煉瓦造・鉄筋コンクリート造を組み合わせた珍しい構造。このような構造となったのも、予算上の制約の産物であったようだ。当時は関東大震災後の厳しい財政状況であったため、官公庁舎の設計案や建設費が当初計画から変更・削減されることは多かった。

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使われている石材は地元で切り出される札幌軟石。写真の、牧場にあるサイロのような円筒形は、裏庭に面して張り出した階段室の外壁。内側に設けられた螺旋階段に沿って、窓が斜めに配されている。

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玄関ポーチの正面上部には、右書きで「札幌控訴院」と刻まれている。文字の左右には剣に天秤は配され、上には目隠しをした法の女神の顔のレリーフがはめ込まれており、裁判所建築である事を表す装飾が施されている。

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玄関ホールに入ると、正面に廊下及び階段室へ至る3連アーチの入口が現れる。この先に上述の螺旋階段がある。

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玄関ホール右手にある受付用の小窓。

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階段室の天井。
螺旋階段に沿って壁面に開けられた4つの窓には、シンプルなデザインのステンドグラスがある。

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旧法廷。裁判所時代は正面右手が刑事法廷、左手は民事法廷であった。近年の改装で旧刑事法廷が往時の姿に再現され、模擬裁判等に使われている。写真は改装前のものだが、展示室として使われている民事法廷だったと思う。

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裁判長席の背後にある暖炉。
暖炉上部の金色のレリーフ状の装飾は、戦前まで菊の御紋を嵌めこんでいた痕跡である。

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黒っぽい札幌軟石と、窓の白い木製サッシの組み合わせが美しい。建具は建物の表情を決める重要な要素であることが分かる。なお寒冷地なので、窓は二重窓になっている。

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戦後は札幌地方裁判所庁舎として使われ、裁判所が移転後、昭和48年から札幌市の施設となり、現在に至る。平成9年には国登録有形文化財となった。

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札幌に残る戦前の洋風建築の中では、時計台や赤煉瓦の旧北海道庁に比べるとあまり目立たないが、もっと知られてもいい素敵な建物である。

(平成26年8月26日追記)
写真を一部追加、画像修整の上、写真の配列と本文を一部修正致しました。
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第19回・旧前田侯爵家鎌倉別邸(鎌倉文学館)

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神奈川県鎌倉市にある鎌倉文学館は、かつての前田侯爵家の鎌倉別荘の建物を活用した施設である。
前田家は明治時代より鎌倉に別荘を構えていたが、昭和11年(1936)、時の当主前田利為によって現在の建物が建てられた。スパニッシュを基調とした和洋折衷の邸宅である。

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門を入ると間もなくトンネルが現れる。

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トンネルをくぐると邸宅を側面から見ることができる。

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玄関へ向かう石畳のアプローチ。

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玄関ポーチ。

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ポーチには噴泉がある。

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スペイン風の飾り窓。

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2階(半地下付きなので2階が実質1階)のテラス。ここからは由比ヶ浜が見える。

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テラスの照明器具。

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庭園側からの眺め。
この建物、戦後はデンマーク公使が別荘として前田家より借りていたが、昭和39年以降は時の首相・佐藤栄作が週末に過ごすため別荘として借りていた。佐藤栄作は首相辞任後も、昭和49年に死去するまでこの屋敷を別荘として使っていた。

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庭の花壇の仕切りに使われている古瓦。かつてこの別荘に葺かれていた瓦であろう。
現在の屋根瓦はそのへんの住宅街で見かける家に使われているような瓦と同じ色合いで実に安っぽい。かつてはこの青と緑が入り混じった味わい深い色合いの瓦が葺かれていた筈である。

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ロケーション抜群のこの洋館、規模・質共に鎌倉を代表する戦前の別荘建築と言って差し支え無い。
現在は鎌倉市の施設として一般公開されているが、残念ながら3階は非公開である。
3階の公開と屋根瓦の葺き直しを切に望む。



第18回・旧第四師団司令部

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大阪の観光名所のひとつ、大阪城。
現在の天守閣は昭和6年(1931)に建てられたものだが、同時に目と鼻の先に建てられたのがこの建物、第四師団司令部庁舎である。

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明治維新以降、大阪城は陸軍の管轄下にあった。昭和に入り、大阪市が天守閣の再興と周辺の公園化を打ち出し、市民から寄付金150万円を集めた。当時大阪城内に司令部を置いていた第四師団は交換条件に司令部庁舎の新築献納を求めた。司令部庁舎の新築には寄付金の半分以上の80万円が充てられた。(ちなみに天守閣が47万円、公園整備に23万円)

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昭和15年以降は中部軍管区司令部、20年の敗戦後は一時米軍の接収を経て、大阪市警視庁(現・大阪府警察本部)本庁舎、昭和35年から平成13年までは大阪市立博物館と用途を何度も改めた。博物館が移転した後は空家となっている。

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西欧城郭風の外観。

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大阪城天守閣と。

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こんな美しい建物が10年近く放置されてるのは全く理解し難い。
大阪城(天守閣内部は博物館)の第二展示館にするなど利用法はいくらでもあると思うのだが。

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玄関ポーチとスロープの石畳。

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莫大な金を溝に捨てた五輪誘致や、大阪府庁移転論議で最近何かと話題のWTC開発等、まともな金の使い道を知らぬ現在の大阪市役所にこの建物の再生を期待するほうがどうかしているのかも知れない。

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裏にまわると、ステンドグラスを嵌めた3連円窓。中央階段室の部分である。

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本当に、早くどうにかして欲しい。

第17回・旧米沢高等工業学校本館(山形大学工学部)

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山形県米沢市にある旧米沢高等工業学校本館は、明治43年(1910)、同校の開校に合わせ建てられた。 現在は旧米沢高等工業学校の後身に当たる山形大学工学部が管理している。国指定重要文化財。

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米沢高等工業学校は、明治43年に東京・大阪・京都・名古屋・熊本・仙台に続く全国7番目の高等工業学校として開設された。

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設計は新校舎建設のために設置された文部省建築課米沢出張所(担当:中島泉次郎)によって明治41年から進められ、翌42年に起工、同行開校の年となる明治43年に竣工した。

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木造2階建、正面は両翼94メートルに及ぶ長大な校舎で、特に中央玄関周りの外観は華麗なものである。
玄関ポーチの天井にも華やかな装飾が施されている。

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中央玄関の両翼に配された尖塔の下は、階段室になっている。

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外観のみならず、階段の手すりや親柱、会議室の天井などの飾りなど内部も見所が多い。

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基壇の換気口の装飾。

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現存する明治期の洋風学校建築の中でも、大規模で質の高い建物のひとつである。また旧制高等工業高校の遺構としての価値も高い。

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背面からみた外観。
現在は資料館として公開されているが、平成26年現在、補修工事等のため公開は中断されている。

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山形県内では現存する明治期の洋風学校建築として、山形市の旧山形師範学校(明治34年竣工)があり、旧米沢高等工業学校本館と同様、国指定重要文化財となっている。

(平成26年8月30日追記)
写真を一部追加、画像修整の上、写真の配列と本文を修正致しました。

第16回・古河掛水倶楽部

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東日本最大の銅山・栃木県の旧足尾銅山には、銅山の所有者である古河鉱業(現古河機械金属)が明治時代に建てた迎賓館が今も同社の迎賓施設として使用されている。土日祭日には一般公開もされている。
写真は正面から見た本館。明治32年(1899)に建てられ、40年に写真の正面部分が増改築された。銅山の迎賓館なので、屋根は銅板葺。

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上の写真の建物を反対から見る。反対側は山の斜面に面しており、硝子障子を一面に貼りめぐらした開放的な造り。半地下があるため三層に見える。

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一面硝子張りの姿はなんとなく現代建築風にも映る。

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正面向かって右手に建つ平屋建の撞球室。窓の造りが面白い。

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外観は洋館だが、内部は洋室より日本座敷の方が多い。
右手の窓は両開きの洋風の窓であることが分かる。

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掛水倶楽部は明治~大正期の洋家具が多く残されており、見どころのひとつである。

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正面本館一階の食堂。重厚な格天井、暖炉に家具と、洋室部分では最も見応えがある。見学者はここで珈琲が頂ける。

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見事な陶器製の食堂暖炉。他ではあまり見ない形。

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真ん中の戸棚にステンドグラスを嵌めた、洒落た食堂食器棚。今も現役。

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食堂の上はやはり日本座敷。

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戦前の大企業・実業家は、どのような不便で辺鄙な地域でも主要な事業の中心地には、来客が宿泊できるような豪華な迎賓施設を造っていた。今日と違って、交通が不便でかつ宿泊施設も少なかったため自前で造る必要があったせいもある。したがって、戦前に大規模な産業が栄えた土地には必ずと言っていいほど、立派な迎賓館がある(あった)。
掛水倶楽部は往時の姿をそのまま残し、なおかつ現役で一般の見学もできるすばらしい所である。

第15回・仁風閣(池田侯爵家別邸)

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仁風閣は、鳥取県鳥取市東町に建つ明治時代の洋館。明治40年(1907)に行われた嘉仁皇太子殿下(のちの大正天皇)の鳥取行啓に際し、旧鳥取藩主である池田侯爵家により御座所として建てられた。迎賓館赤坂離宮などの設計で知られる片山東熊の設計とされており、山陰地方でも屈指の明治の洋風建築である。国指定重要文化財。

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鳥取城跡の一角に建っている仁風閣。この名を付けたのは皇太子殿下に随行していた海軍大将・東郷平八郎で、池田侯爵家当主・池田仲博の依頼によるとされる。この地はかつて、「扇御殿」と称された御殿が建っていたため、大正時代ごろまでは地元では「扇邸」と称されていたという。

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鳥取城跡の石垣からは仁風閣を一望できる。
木造二階建てで外壁は白ペンキ塗りの下見板張り、屋根は日本瓦葺きで一部を銅板葺とする。

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御影石の門や鉄の門扉、洋館までのアプローチ及び背面の庭園に至るまで、明治40年創建当時の佇まいがよく保存されている。嘉仁皇太子殿下は、明治40年5月18日から21日まで仁風閣に滞在された。

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一見完全な左右対称のように見えるが、片側には八角形の尖塔を設けて対称を崩したデザインとする。

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庭園側は2層全面にベランダ(2階は硝子戸を入れサンルーム兼用とする)を設けた開放的な造りとし、正面側とは異なる趣を見せる。

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設計者の片山東熊は宮廷建築家として皇室関連の建築を多く手掛けた人物である。国宝の迎賓館(旧赤坂離宮)を始め、京都、奈良の旧帝室博物館(現京都国立博物館、奈良国立博物館)などで知られる。なお、実施設計は地元出身で東京帝大卒の技師・橋本平蔵が行った。

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正面上部の櫛形ペディメントの中央に配された六芒星の中には、池田家の家紋である揚羽蝶がある。池田家は寛永9年(1632)に岡山から国替えとなってから明治維新までの約240年間鳥取藩主の座にあり、明治維新後は侯爵に列せられた。

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この館は池田侯爵家の別邸として建てられ、御座所として使われた後も、昭和42年(1967)に鳥取県に寄付されるまで池田家が所有していたが、別邸として使用されることは無かった。御座所としての役目を終えた後は、鳥取市の迎賓施設として使われたり、市民のための宴会場や結婚式場としても使われたりしていた。

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第二次大戦後は鳥取県立科学館(のち科学博物館)として昭和24~47年(1949~72)まで使用されていた。博物館移転後は存続の危機に立たされるが、保存運動が実を結び、昭和48年(1973)には国指定重要文化財となり、指定後修復工事が行われた。現在は鳥取市の所有となり、一般公開されている。

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皇太子殿下の行啓は山陰地方の近代化を大きく推進し、仁風閣には鳥取では初となる電燈が燈され、山陰線の敷設工事も大きく進捗を見せた。

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館内に入る。
堂々たる円柱が一対建っている一階のホール。

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御座所として使われた当時は、一階には随員の控室や事務室、浴室が置かれ、皇太子殿下の滞在スペースは二階に設けられた。

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尖塔の内側には螺旋階段が設けられている。優雅な形状の階段であるが、用途は専ら使用人が二階と行き来するためのサービス用通路、すなわちバックヤードである。

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主階段の親柱には繊細な彫刻が施されている。

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二階ホールにも一対の円柱が建っている。
東郷平八郎揮毫による「仁風閣」の額が飾られている。

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二階御座所の暖炉。暖炉飾りは黒大理石で出来ており、焚き口の周りには輸入物のタイルが貼られている。

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鳥取では初の電気照明であったシャンデリア。
写真は御座所のもの。

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御座所に隣接する御寝室。
床は畳敷きとするが、壁や天井は洋風に造られており、白大理石で飾られた暖炉を置く。

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仁風閣の背面に広がる日本庭園はかつての扇御殿の庭園で、小規模ながらも江戸時代の大名庭園の流れを汲むものとされる。現在は宝隆院庭園と称されている。「宝隆院」とは、11代鳥取藩主・池田慶栄の正室・整子の号で、扇御殿は宝隆院のために12代藩主・慶徳が文久3年(1863)に建てたものである。

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扇御殿の化粧の間と伝わる建物が宝隆院庭園の一角に現存し、茶室として使われている。

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(参考)「仁風閣の周辺 ―白亜の洋館と池田侯爵家のあゆみ― 」(館内販売の冊子)

〔追記〕
平成28年10月25日 記事写真を修整・追加、本文を全面的に書き改めました。

第14回・大阪市立愛珠幼稚園

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大阪の都心部、中央区今橋三丁目にある現役の幼稚園舎である。明治34年(1901)に建てられた大阪市立愛珠幼稚園園舎は、大阪市指定有形文化財を経て平成19年(2007)に国指定重要文化財となったが、現在も現役で使われている。

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明治13年(1880)創立の愛珠幼稚園は、我国では2番目に古い歴史を有する幼稚園とされている。明治34年に旧所在地の今橋五丁目(現北浜四丁目)から現在地に移転、現在の園舎もこのとき建てられた。

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園舎は愛珠幼稚園の主任保母の案を基に、大阪府技師である中村竹松が設計原案を作成、文部省技師久留正道の指導も踏まえて設計が行われた。

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ニ階建に見える部分は二層吹き抜けの遊戯室となっている。窓は採光と換気のために設けられたもの。遊戯室の内部は、重厚な格天井に華麗なシャンデリアが下がる明治時代の内装が現在もそのまま残されている。

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側面からみた園舎。間口に対し非常に奥行きのあるものになっている。なお緒方洪庵の私塾としても著名な適塾の建物は、愛珠幼稚園に隣接して建っている。

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敷地の北西にある蔵。当初は伝統的な造りの土蔵であったが、昭和初期に鉄筋コンクリート造で改築された。明治34年の創建後、建物自体の改築を行ったのはここだけである。

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米軍による空襲が激化した大東亜戦争末期の昭和20年6月には、園舎は建物疎開(火災延焼防止のため建物を破壊撤去すること)の対象となり、8月に疎開作業が予定されていたが、間もなく終戦となったため撤去を免れた。

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通用門か何かと思うが、便所。門は汲み取り口(現在は水洗になっている)
上の硝子窓は臭気抜き。

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重文指定後は、園舎を春と秋に一般公開している。
(但し平成26~27年度は園舎の耐震改修のため一般公開は実施しない)

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施設の性格上園舎内部は撮影禁止となっているため写真ではお見せできないが、遊戯室の後方には園庭があり、園児の運動場になっている。また園庭を囲む形で、教室や作法室と称する床の間付きの座敷が配されている。

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園庭には昭和初期に設置された螺旋すべり台があり、園舎と併せて重要文化財に指定されている。但し園舎と同様、すべり台も現役で園児の遊具として使われている。
(参照)愛珠幼稚園ホームページ(すべり台の画像がある)

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愛珠幼稚園園舎は、平成26年から2年がかりの耐震改修工事に入っている。今後もずっと現役の幼稚園として使い続けられることを望む。

(平成26年8月30日追記)
写真を一部追加、画像修整の上配列を改め、本文は全面的に書き改めました。

第13回・旧新田利國邸(松山大学温山記念会館)

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兵庫県は西宮市、尼崎市との境を流れる武庫川沿いに、現在松山大学のセミナーハウスとして学生の合宿等に使われている昭和初期の洋館がある。
愛媛県にある松山大学(創設時は松山高等商業学校)の創設者で、松山出身の実業家・新田長次郎が新田家の跡取りでもある自分の孫・利國のために昭和3年(1928)に建てた。
大正末から昭和初期に邸宅建築で流行したスパニッシュ、つまりスペイン風の外観を持つ洋館。
国の登録有形文化財。残念ながら一般公開はしていない。
ただし平成17年に、一度だけ事前申込制で内部公開が行われたので、写真は全てその時のもの。

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設計は大阪を中心に設計活動をしていた木子七郎。新田長次郎の娘婿でもある。そのため大阪以外では愛媛県庁、旧久松家別邸(萬翠荘)等、愛媛県下に多くの建築を残している。木子家は代々京都御所出入りの棟梁の家系で、彼の父清敬は明治維新後、宮内省で明治宮殿(戦災で消滅)等の造営に携わった。また兄の幸三郎も宮内省で活躍、旧竹田宮邸(現高輪プリンスホテルの一部として使用)等の建築を残している。

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新田長次郎は木子七郎を使い、自分の子供、孫達の家を自ら指揮して建てている。普請道楽というやつで、家を建てたり庭を造ることそのものがどうやら大好きだったようだ。
ただ、数多く建てられた木子設計による新田一族の邸宅で、今なお現存するのはこの利國邸と和歌山県海南市にある長次郎の別荘・温山荘(現在は庭園が一般公開されている)のみである。
ところで写真に写っているのは庭の一角に今も残る防空壕の入口。

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蔵。洋館の外観に合わせて、蔵も洋風に造られている。

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玄関ポーチと蔵の間には裏口への通路がある。アーチ型の門と鉄格子がお洒落。

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玄関。扉周りにはイスラム風模様のタイルを貼る。スペイン建築はイスラム勢力の支配下にあった時代が長いため、イスラム装飾が多用されている。したがってスパニッシュスタイルの洋館には大概イスラム風の装飾がある。

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これがイスラム風タイル。
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玄関脇の小窓に嵌められたステンドグラス。

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玄関ホール及び階段室。

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玄関を入ってすぐ右手には客間がある。比較的簡素な部屋だが、写真右奥の造りつけ飾り棚の装飾タイルがやはりイスラム風。

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客間のラジエーター(スチーム暖房の吹き出し口)のグリル。

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客間と続き間になっている食堂の天井。木を見せる重厚な造り。食堂を重厚に見せるのは洋館建築の定石で、第2回で紹介した神戸の旧武藤山治邸も同様。

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食堂の暖炉。

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食堂のラジエーターのグリル。

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階段室の壁と天井。洞窟のような造りだ。

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階段室のステンドグラス。

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2階には立派な撞球室(ビリヤード室)がある。台も創建当初からのもの。戦前の邸宅でビリヤード室を備えた例は多いが、台をも含めて残るものは少なく、貴重である。

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書斎には美しいアールデコのステンドグラスがあった。

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2階にある来客用の日本間。1階も茶の間は日本座敷。昭和期に入ると洋館に日本座敷を上手く融合させた邸宅が多くみられる。蒲団が敷いてあるのは行った当日は学生の合宿が予定されていたからである。

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平成7年の阪神大震災とその後の影響により、戦前の質の高い邸宅が多数消滅し続ける中で戦前の阪神間の富裕層の生活を伝える貴重な建物である。

第12回・旧第九十銀行本店

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岩手県盛岡市中ノ橋通にある旧第九十銀行本店は、赤煉瓦の旧盛岡銀行本店から徒歩数分の距離に建つ明治43年(1910)竣工の銀行建築。国指定重要文化財。

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明治44年竣工の旧盛岡銀行本店より1年早いが、建物のデザインには当時最先端をされたセセッション様式など19世紀末の欧州の新しい建築運動の動向を反映させたものになっており、旧盛岡銀行よりも斬新なデザインを採用している。

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構造は煉瓦造で、外壁を御影石と黄土色のタイルで飾る。一部が尖った屋根は天然スレート葺き。

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設計者は横濱勉(1880~1960)。当時はまだ東京帝国大学を卒業して間もない青年建築家で、司法省に在籍中の作品である。盛岡出身であることから設計を依頼されたものと思われる。

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第九十銀行は旧盛岡藩士族の金禄公債を資本に、明治11年(1878)に国立銀行条例に基づき設立された第九十国立銀行を前身とする。明治30年(1897)に第九十銀行と改称、昭和13年(1938)に岩手県下3行の合併で設立された陸中銀行に引き継がれるまで存続した。なお第九十銀行の店舗は盛岡の本店の他に、青森県三戸町に旧三戸支店の建物が現存する。

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陸中銀行はその後岩手殖産銀行を経て、現在の岩手銀行に続いている。旧第九十銀行本店は長らく岩手銀行の関連会社によって使われていたが、盛岡市が取得・整備の上、平成14年(2002)より盛岡にゆかりの深い石川啄木と宮澤賢治の記念館として公開されている。

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内部は1階に営業室・客溜・金庫室・頭取室および応接室を配し、2階には総会室(集会室)を設けている。写真は旧営業室の天井。営業室は二層吹き抜けとするのが当時の銀行建築では常識であった中では異例の造りである。天井飾りの桜は旧九十銀行の社章を象ったもの。

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旧営業室の暖炉。

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旧頭取室の暖炉。

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旧頭取室暖炉の火除けタイル。

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旧応接室暖炉の装飾。

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円弧を描く天井が特徴の2階階段室。左手階段の先が総会室(集会室)で、株主総会等に使用された。この部屋にも美しいタイルを貼った立派な暖炉が備え付けられている。

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盛岡市中ノ橋通には旧第九十銀行と旧盛岡銀行のほか、新古典様式の外観を持つ旧盛岡貯蓄銀行(昭和2年)も現存し、異なる3タイプの戦前の銀行建築を同時に見ることができる。

(平成26年9月15日追記)
写真を一部追加、画像修整の上写真の配列を並べ替え本文も全面的に修正しました。

第11回・旧盛岡銀行本店(岩手銀行中之橋支店)

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岩手県盛岡市の中心街に明治44年(1911)、盛岡銀行本店として竣工。
設計は東京駅と同じ辰野金吾。

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現役の銀行店舗としては初の重要文化財に指定された。

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第10回・旧秋田商会本館

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山口県下関市は関門海峡を眼前に控えた唐戸地区に、面白い建物が建っている。
大正4年(1915)竣工の秋田商会本店ビルは、地元の実業家秋田寅之介が自らの会社の事務所及び自宅として建てた建物である。
また、屋上から緑の木々が見えるが、大正時代の建築にして屋上庭園を有する珍しい建築なのである。

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黄褐色のタイルや幾何学的な細部装飾は明治末~大正前期の建築によく見られるセセッション風。
ヨーロッパの19世紀末~20世紀初頭の流行デザインの影響を受けている。

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建てられた当初は海岸が目前に迫っており、ドームの上部に電気を灯し灯台のように使っていた。

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一階、玄関を入ると営業室がある。なお、この建物は鉄筋コンクリート造である。第7回で取り上げた旧第八十五銀行本店(大正7)と同様現存する最古級の鉄筋コンクリート建築。角に玄関とドーム屋根を有し、どことなく似ていると言えば似ている。

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営業室内の壁に作りつけられた大時計。アメリカ製だとか。

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ニ階へ上がる。すると本格的な日本座敷が現れる。しかもここだけはなくニ階の大半が日本間。ニ階は秋田家の住居として使われていた。

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ニ階日本座敷の縁側。この写真を見ると鉄筋ビルの中に日本座敷が組み込まれている事が分かる。

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外から見るだけでは、この窓の内側に純和風の空間が広がっているとは想像できない。

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三階座敷床の間。内部で洋風なのは一階の営業室を始め、応接間、食堂、階段室など一部であり、大半は日本座敷から構成されている。

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三階は接客用の大広間。
縁側へ出ればドームの下部に作られた螺旋階段を上って屋上庭園へ出られる。
しかし非公開だったので上がることかなわず。

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ドームの後ろに和風の屋根が見える。これは屋上庭園内に設えられた茶室。
現在、この建物は下関市が所有し観光案内所として一般に公開されている。
この下関有数の名建築で珍建築、行った当時(平成18年)かなりくたびれていたが一刻も早く本格的な修復をして公開して頂きたい。そして屋上庭園と茶室を見たい。

第9回・芦屋警察署旧庁舎玄関

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高級住宅街として知られる兵庫県芦屋市にある昭和初期の建物で、昭和2年(1927)に建てられた兵庫県警芦屋警察署の旧庁舎は現在、玄関を含む建物の一部が、平成13年(2001)に竣工した新庁舎に組み入れられる形で保存されている。

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阪神芦屋駅のすぐ近くに建っている芦屋署。富裕層が多く住む地域の警察署らしく、竣工当時、工費の半分以上は地元(当時は兵庫県武庫郡精道村。昭和15年に芦屋市となる)の住民からの寄付によるという。

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設計は兵庫県営繕課。兵庫県下では他に現存する戦前の警察庁舎として、旧尼崎警察署庁舎(大正15年竣工)がある。

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平成7年の阪神大震災でも倒壊することなく耐えたが、改築されることになった。特徴的な外観から地元でも長年親しまれていた建物であったため、玄関及びその周辺を保存する形で改築されることになった。

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新庁舎では玄関を芦屋川に面した西側に移したため、旧庁舎玄関は現在、使われていない。

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このような形で旧建物の一部を残す場合、外壁だけの保存になる場合と、建物本体の部分的に保存する場合があるが、芦屋署庁舎の場合は後者の方法が採られたので、玄関内側にある階段や玄関扉など、内部もよく残されている。

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玄関アーチの内側側面に穿たれたニッチ。
裏側(写真右端)の白い扉は、立番の巡査の控え所の入り口だろうか?

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重厚な半円アーチの奥には階段が伸びている。入口を入るとすぐ正面に階段という構成は、戦前の官庁建築では定番であり、役所の威厳を示すための舞台装置であった。

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玄関アーチの上部でミミズク(フクロウ)が往来に睨みを利かせている。夜行性なので夜警、寝ずの番という意味。警察署ならではの装飾である。

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玄関内側に設けられている3枚のステンドグラス。このステンドグラスは外からは見えず、階段を上って玄関扉の前に立って見ない限り、ステンドグラスの存在自体気付かない。

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玄関内部には、両側に渋い色合いの緑色のタイルの色が貼られている。
なおこの写真を撮った当時、天井の縁には燕が巣を作っていたため、燕の巣と下に置かれた糞を受ける紙が写っている。

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玄関扉欄間のステンドグラス。

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旧庁舎玄関内部のほか、その上にある旧署長室の内装も保存されているようだ。

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改築部分も、保存部分と違和感のない仕上がりになっているように思える。外壁だけでなく内部も残しており、古い建物の一部を保存して改築した事例の中でも特によい出来栄えではないだろうか。

(平成26年8月28日追記)
写真を一部追加・差替、画像修整の上、写真の配列と本文を修正致しました。

第8回・旧大林組本店(ルポンドシエルビル)

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大阪を発祥とする大企業のひとつ、大手ゼネコン大林組の本店ビルとして大正15年(1926)竣工。
社内コンペでデザインが決定された。設計者の一人、平松英彦は同じ大阪は道頓堀の旧戎橋をデザインした事でも知られている。(戎橋は近年薄っぺらな橋に架け替えられてしまった)

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土佐堀川に面した細長い敷地に建っている。両側にビルが並んでいるので分からないが、実は奥行きが浅く幅の広い屏風のような形のビル。

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正面玄関。石造りの一対の鷲(?)が入口を飾る。

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最上階外壁の両端にある装飾。ラテン文字で「1926」と記されている由。すなわちこの建物の竣工年(大正15年=1926年)を示している。

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土佐堀川に面した裏側。正面と同じデザイン。

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外壁に貼られた茶褐色のタイルは大正末期から昭和初期に大流行したスクラッチ・タイル。

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大林組本店がこの建物の真向かいにある超高層ビルに移ってからは料理学校の校舎として使われてきた。近年保存が決定し、耐震補強が施された。(この写真は料理学校時代のものである)
現在は、高級フランス料理店がテナントとして入居している他、大林組の歴史資料館もある。
阪急百貨店、ダイビル、朝日新聞等、大正末~昭和初期に建てられたオフィスビルの遠慮会釈無き破壊が猖獗を極める現在の大阪にあってこのような素晴らしい建築が保存を約束された事はせめてもの慰め。

第7回・旧第八十五銀行本店(埼玉りそな銀行川越支店)

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重厚な土蔵造の商家が軒を連ねる埼玉県川越市は、伝統的建築以外にも近代の洋風建築も多く残っている。その中でも代表格がこの埼玉りそな銀行川越支店。大正7年(1918)に第八十五銀行本店として建てられた。国登録有形文化財。

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第八十五銀行は、明治初年に川越藩の御用商人が出資し合って設立された銀行である。その後第二次大戦中の国策による企業統合で合併、埼玉銀行となり現在の埼玉りそな銀行に至る。

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設計は当時東京で設計事務所を開いていた保岡勝也、施工は地元川越の印藤順造が請負。

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保岡は三菱財閥の建築技師長として丸の内のオフィス街建設に携わった人物。三菱時代(明治末)に鉄筋コンクリート構造をいち早く導入している。無論第八十五銀行本店も鉄筋コンクリート造であり、鉄筋コンクリート造建築のなかでも現存する最古の一群に属すると言える。

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大正7年に第八十五銀行が作成した「創業四拾年並ニ本店新築記念誌」に載る竣工当初の姿。現在は門と柵はない。また一階および背部に増築が行われている。また、創建当初は背部に木造ニ階建の付属棟(現在は増築部)があった。

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鉄骨組立中の様子。鉄筋コンクリートに鉄骨を併用した構造と思われる。

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現在はおそらく改装されていると思うが、上記「新築記念誌」によると、当初は一階は営業室(ニ階まで吹き抜け)、重役室、金庫室、ニ階には小会議室と応接室三室(和室、貴賓室を含む)、三階は会議室、畳敷の控室等から構成されていた。写真は竣工当時の営業室。

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営業室内部から玄関側を見たものと思われる。卓上電話の形に時代が感じられる。

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営業室奥の金庫室。

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二階貴賓室。塔屋のあるコーナー部分の二階と思われる。

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今や川越の町には欠かせない建物。黒い商家と白い銀行の対比。

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川越氷川祭の山車と。

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日が暮れるとライトアップされる。

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夜空に青白く浮かぶ姿が実に美しい。

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祭りの喧騒の中に佇む。
この建物は、埼玉県下の登録有形文化財登録第一号でもある。

(参考資料)「創業四拾年並ニ本店新築記念誌」株式會社第八十五銀行 大正7年

注:本記事は平成25年10月21日に写真の一部差替・追加を行うと同時に本文も書き改めました。

第6回・旧山口県庁舎(山口県政資料館)

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大正5年(1916)に竣工した旧山口県庁舎は、同年竣工の旧山形県庁舎と共に、昭和59年国の重要文化財に指定された。戦前に建てられた道府県庁舎の中では、明治期竣工の三重、北海道の両庁舎に次ぐものであり、大正期の庁舎としては最初の指定である。現在は山口県政資料館として隣接の旧県会議事堂と共に一般公開されている。

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その後平成16年に京都府庁舎(明治37年竣工)が指定されたので、現在(平成26年)、全国で重要文化財に指定された道府県庁舎は5件存在することになる。なお、昭和期の庁舎では重文指定されたものはまだ存在しない。

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設計は、当時大蔵省で数多くの官公庁舎の設計に関与していた妻木頼黄(1859~1916)の指導の下、後に帝国議会議事堂(国会議事堂)建設に深く関わることになる武田五一(1872~1938)と大熊喜邦(1877~1952)のコンビが実施設計を行っている。

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昭和59年(1984)に隣接地に完成した新庁舎にその役目を譲るまで、70年近く本庁舎として使われた。現在も県観光協会の事務局などが入居しており、一部ではあるが庁舎として使用されている。

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旧県会議事堂に隣接して建っていた、大正12年竣工の旧知事公舎。洋館と日本家屋から構成されていた。平成19年に訪問、撮影した当時は現役であったがその後間もなく廃止、日本館は解体され部材は競売にかけられたようだが、その後の消息は不明である。なお洋館は今も現地に残されているのか、解体撤去されたかは不明である。

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正門からの眺め。背後に見えるのが昭和59年竣工の現庁舎。旧庁舎は当初撤去される予定であったが、保存運動が実り一転して保存、重要文化財指定に至った。

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正面から見た黄昏時の旧山口県庁舎。丁度、第1次安倍内閣の成立から間もない頃の訪問だった。

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玄関ポーチ内部。写真では分かりにくいが、正面ドアの上部には卍崩しの模様が刻まれている。細部装飾に和風や東洋風の意匠を織り込むのは、設計者の一人である武田五一が得意としたものである。

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玄関ホールの内部は、白を基調とした清楚な雰囲気である。ここにも柱頭部分に卍崩しの装飾が見られ壁上部には花模様が描かれている。

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戦前の官公庁舎は通常、玄関を入ると正面中央に大階段が現れ、権威性を強調すると共に建物の内部空間としても大きな見せ場の一つになっているのだが、旧山口県庁舎の階段はホールの両脇に目立たなく配されている。

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2階ホールから階段室を望む。このような階段の配置は、他にあまり例を見ない珍しいものである。権威性を減殺するような配置や表現は大正期の官公庁舎には時々見られるが、本庁舎でもそのような意図があったかどうかは不明である。

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正面バルコニーと正庁をつなぐ2階ホールは、本庁舎の内部でも特に格調高く造られている。

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緩やかなアーチを描くヴォールト天井。照明器具は創建当初のデザインではないと思う。

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廊下。

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中庭。旧山口県庁舎は同年竣工の旧山形県庁舎と同じく煉瓦造であるが、山形は花崗岩貼りの外観に対し中庭の壁面は赤煉瓦むき出しとなっているのに対して、山口は外観同様に中庭もモルタルで塗り込められている。

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2階中庭側にある正庁内部。中央のシャンデリアだけが創建当初から取り付けられていたものである。

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正庁入口上部の装飾。古い絵葉書などで見ると、正庁の内部は扉のような重厚な色ではなく、創建当初からパステルカラーで仕上げられていたようである。但し当初から現在のペパーミントグリーンであったかどうかは分からない。

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付け柱には花のような形状の飾りがある。

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山口県庁舎の室内装飾でユニークなのは、部屋毎に異なる天井の意匠である。

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2階ホールや正庁、知事室などは格調高く、或いは重厚に仕上げられているが、その他の幹部用執務室や会議室ではこのような斬新な意匠もある。

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知事室の天井も、重厚ながらも円形や曲げ木を用いた大胆な意匠となっている。

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華麗な装飾が施された暖炉が多数設けられている山形と異なり、山口県庁舎の暖炉は知事室と知事応接室の2室のみ。写真は知事室の暖炉。

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暖炉前床タイルの黄色と白の市松模様が、重厚な中に軽快な趣を添えている。

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内外の随所に斬新な意匠の装飾をまとった旧山口県庁舎は、古典的な様式建築の構成に則った旧山形県庁舎と好一対を為している。別記事で紹介している旧山形県庁舎ともぜひ比較してみて頂きたい。

(追記:平成26年4月18日)

旧県会議事堂の記事作成・公開に合わせて、本記事は写真の追加・差替のほか、内容を大幅に更新しました。

第5回・旧近衛第一師団司令部庁舎(東京国立近代美術館工芸館)

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東京都千代田区北の丸公園内にあるこの建物は明治43年(1910)、天皇及び宮城(皇居)の警護を目的とする近衛師団の第一師団司令部庁舎として建てられた。

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ゴシック風の美しい赤煉瓦建築。

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昭和47年重要文化財に指定、その後内部改装を経て現在は東京国立近代美術館工芸館として使用されている。

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真ん前を首都高速が走る。

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第4回・気象庁地磁気観測所

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茨城県石岡市柿岡にある気象庁地磁気観測所は、大正2年(1913)より筑波山を望むこの地で観測を続けている。現在も赤い洋瓦葺き屋根が印象的な本館を始めとする諸施設が、現役で使用されている。

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地磁気観測所の歴史は、明治16年(1883)に内務省地理局・工部省電信局によって地磁気観測が行われたことに始まる。明治30年には気象庁の前身である中央気象台の管轄となるが、その後東京市電の開通など直流電化が進み、それまで観測が行われていた東京市内は地磁気観測には不適となったことから、大正2年より柿岡に移転する。

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大正9年(1920)、中央気象台付属柿岡地磁気観測所となる。その後関東大震災を機に、観測施設のみならず管理部門も含め全面的に東京から柿岡へ移転することとなり、大正14年(1925)には写真の本館が竣工する。なお、柿岡への移転には物理学者であると同時に随筆家としても名高い寺田寅彦(1878~1935)が大きな役割を果たしたとされている。

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本館の意匠は中央気象台長であった岡田武松(1874~1957)の意向も踏まえ、当時のドイツの同種の観測施設を模したと考えられる。なお似たような経緯を有する中央気象台の庁舎建築としては、岡田が初代台長を務め、ドイツのハンブルグ気象台に範を取ったとされる神戸海洋気象台(大正9年竣工)がある。

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神戸海洋気象台は戦時中爆撃を受け大破、その後も規模を縮小しつつ修復して使用されていたが、平成7年の阪神大震災を機に取り壊され、現在はステンドグラスが一部保存されているだけである。

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地磁気観測所は神戸海洋気象台とは対照的に戦災も受けず、現在も大正14年創建当初の姿をそのまま残している。

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地球の磁気を観測するという施設の性格上、構内の建物には極力鉄を用いない、或いは含ませないため、建設時にはコンクリートを練る際、予め砂鉄を取り除いたという。

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繊細な装飾が施された軒下の持ち送り。

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庁舎正面両翼の窓上部に施されたレリーフ装飾。

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現在も地磁気観測所の管理部門が入る現役の庁舎である。

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正面玄関からは筑波山が真正面に見えるよう設計されているという。

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観測施設の中では最も趣向を凝らした外観の実験室。大正13年(1924)竣工。

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筑波山を背後に臨む実験室。なお筑波山頂には旧中央気象台関連の観測施設として、昭和3年(1928)竣工の旧筑波山測候所山頂観測所が現存する。(詳細は当ブログ第450回記事で紹介)

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地磁気観測施設であるため本館と同様、磁気を帯びた建材は使えないため、壁体は煉瓦造で屋根葺き材や雨樋には非磁性の銅版が用いられている。

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本館の意匠はどちらかというと明るいスパニッシュ風であるのに対し、実験棟は重厚な印象のドイツ風意匠である。

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入口上部のアーチ型欄間やその上の照明器具、玄関扉両脇のレリーフなど装飾的な外観が特徴。

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第二磁力変化計室(手前)、第二絶対観測室(奥)。こちらも煉瓦造、銅版葺。

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入口上部には簡素ながらも、本館でも見られるモルタル装飾が施されている。

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大正14年(1925)竣工の空中電気室。

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地磁気観測所は4月もしくは9月に、一般公開も行われている。
(参考)地磁気観測所ホームページ

(平成26年9月14日追記)
写真を一部追加、画像修整の上、写真の配列と本文を修正致しました。

第3回・明治屋京橋ビル

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東京都中央区京橋二丁目にある明治屋京橋ビルは、昭和8年(1933)竣工のオフィスビル。地下鉄駅と一体化して建設された現存最古のビルでもある。中央区指定有形文化財。

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輸入食料・酒類取扱の老舗である(株)明治屋の本社事務所であり、本店店舗である。

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設計は曽禰中條建築事務所。曽禰達蔵(1852~1937)と中條精一郎(1868~1936)の二人の建築家によって、明治41年(1908)に設立された設計事務所である。

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曽禰中條建築事務所は昭和12年(1937)の解散まで、最大最良の設計組織と称された。オフィスビル、邸宅、学校など民間分野を中心に優れた建築を大量に残している。

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明治屋でも東京の本店の他、大正13年(1924)竣工の大阪支店ビルが曽禰中條建築事務所の設計による。この建物は明治屋ビルとして現存する。

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建設に際しては、民間建物では初めて建物地階と地下鉄駅(現在の東京メトロ銀座線京橋駅)とを連結させるように計画されている。なお、京橋駅建設費用の一部は明治屋が拠出している。

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明治屋は明治18年(1885)に実業家の磯野計(1858~1897)によって横浜で開かれ、洋酒や輸入食料品などを販売していた。輸入品を取り扱う企業としては洋書の丸善と並び、戦前からよく知られた会社である。

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明治屋はコカコーラを日本に初めて輸入販売(大正9年)したことでも知られる。

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平成26年(2014)現在、改修工事のため閉鎖されているが、改修前は1階に小売店である明治屋ストアーが入り、2階より上階は同社の本社事務所として使われていた。

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7・8階は戦前には明治屋が経営するレストラン「中央亭」が入っており、宴会場も備えていたという。レストランはその後地階に移り、改修工事による閉鎖まで「モルチェ」の名で営業していた。

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平成21年(2009)に中央区指定文化財の第1号として指定された。

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平成26年(2014)現在、明治屋京橋ビルは建物本体を補強改修の上、周囲に超高層ビルを建設する再開発が進行中である。

(平成26年9月10日追記)
写真を一部追加、画像修整の上配列を改め、本文を加筆修正しました。

第2回・旧武藤山治邸(旧鐘紡舞子倶楽部)

武藤邸1

明治40年、武藤山治(明治~昭和戦前の実業家・政治家・新聞人。鐘紡(のちのカネボウ、現クラシエ)を有数の大企業に育て上げ中興の祖と称される。昭和9年暴漢に銃撃され死去。)の自宅として現在の神戸市垂水区東舞子町に建てられた。設計者は大熊喜邦(明治~昭和戦前の官僚建築家。帝国議会議事堂(現国会議事堂)等多くの官庁建築の設計を主導)。なお、邸宅は洋館と日本家屋から構成されていたが現存するのは洋館だけである。

武藤邸2

昭和12年に鐘紡が武藤家より寄贈を受け、平成19年まで同社の研修・福利厚生施設として使用された。その間平成8年に明石海峡大橋架橋に伴う道路拡幅工事のため洋館部分のみ垂水区狩口台に移築された。平成19年、経営が悪化したカネボウは敷地売却のため建物を兵庫県に寄贈した。兵庫県は元の所在地に近い県立舞子公園で保存を決定、現在二度目の移築工事が進められている。
写真は全て、解体に先立ち兵庫県が実施した一般公開(平成19年11月)に際して撮影したものである。


古写真(大正期?)

旧武藤邸の変遷が分かる写真パネルが展示されていた。上の写真は最も古いもので創建当初の姿と思われる。


古写真(昭和4)

昭和4年撮影の武藤邸。右手にあった平屋建洋館が写っていない。昭和初年の神明国道(現・国道2号線)拡幅工事のため撤去されたのかも知れない。


写真(昭和61)

昭和58年に台風の被害を受け、バルコニーは取り払われた上、外壁全体がトタン板で覆われてしまった。それから平成8年の移築までこの姿だったようである。洋館の奥の日本家屋は移築対象とならず、解体されてしまった。

古写真(昭和戦前?)

武藤家から鐘紡に所有が移った頃(昭和12以降)と思われる絵葉書の写真。ほぼ同じ規模の洋館と日本家屋からなる屋敷であったことが分かる。


平面図

平面図。下が1階、上が2階。中央上部の玄関ホールから時計回りに応接間、広間、食堂、階段、洗面所、便所、。2階はホール、書斎、広間、貴賓室、階段。


玄関ポーチ

玄関ポーチ。上がり框が無く、西洋式に靴のまま上がる造りになっている。しかし日本人の邸宅はこのような洋館でも靴は脱いでスリッパに履き替えていたようである。ここでは実際どのように使っていたかは分からない。


ステンドグラス(外)

玄関脇にはステンドグラスの嵌った窓がある。鉄格子はステンドグラスの図柄に対応したデザイン。


玄関・階段室

まず最初は玄関ホール・階段室。階段脇のガラスケースには仏像が入っていたらしい。(現物は公開当日は他所に移されていたため空っぽ)武藤山治は古美術の収集を趣味とした。この家にもかつてはもっと多くの古美術品が飾られていたのか。


ステンドグラス

内側からみたステンドグラス。現存する日本の洋館のステンドグラスではかなり古い方に属する。


応接間

応接間。

1階 広間

1階広間。

1階広間暖炉

1階広間の暖炉。

食堂天井

食堂天井。

食堂暖炉

食堂の暖炉。

2階広間

2階広間。どことなく会議室といった趣の部屋。

書斎

書斎。武藤山治の蔵書が残されているのだが、公開当日はやはり他所に移されていたので壁の三方に配された書棚は全て空だった。

貴賓室

貴賓室。

二階バルコニー

2階バルコニー。移築後は再びここから大阪湾・淡路島・明石海峡を一望できるようになるはずだ。

遠景2

現在この洋館は平成22年、すなわち来年完成予定で移築工事が進められている。
完成したら再度当ブログでご紹介したいと思う。


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