第50回・旧北海道庁庁舎

convert_20091129164516.jpg

県庁舎シリーズ第3回目は、札幌の観光名所のひとつとなっている赤煉瓦の北海道庁旧庁舎。
明治21年(1888)竣工で、47都道府県の庁舎で現存するものの中では旧三重県庁舎(明治12年)
に次いで古い。

convert_20091129164345.jpg

他、明治期竣工の庁舎で現存するものは兵庫(明治35、第1回で紹介)、京都(明治37)がある。

convert_20091129164557.jpg

外観側面。

convert_20091129164636.jpg

正面の塔は昭和40年代の修理に際して復元されたもの。明治末期の火災で撤去された後、現役を退くまで塔は無かった。

convert_20091129164732.jpg

他の現存する庁舎でも煉瓦造は存在するが、赤煉瓦の外観を有するのは北海道のみ。

convert_20091129164702.jpg
スポンサーサイト

第49回・旧陸軍第十三師団長官舎

IMG_4367_convert_20091128015502.jpg

新潟県上越市に明治43年(1910)建てられたこの洋館は陸軍第十三師団の師団長官舎である。
平成3年まで自衛隊宿舎として使われていた。平成5年上越市内の現在地へ移築、公開されている。

IMG_4289_convert_20091128022132.jpg

創建当初の外壁は柿渋を塗っただけの地味な外観だったが、その後ペンキ塗りに改められた。

IMG_4370_convert_20091129203143.jpg

硝子窓を建てこんだ玄関ポーチ。豪雪地帯の建物であるためかも知れない。

IMG_4291_convert_20091128020941.jpg

正面玄関。
なお、奥には通用口がある。

IMG_4305_convert_20091128021327.jpg

正面玄関扉の特異な意匠。

IMG_4345_convert_20091129194818.jpg

一階ホール。

IMG_4313_convert_20091128023246.jpg

男子応接室。

IMG_4308_convert_20091129195624.jpg

男子応接室天井と照明。天井は装飾を型押しした金属板にペンキを塗ったものである。

IMG_4297_convert_20091129194957.jpg

奥には書斎・婦人応接室・食堂の3室が続き間になっている。
写真は書斎。

IMG_4299_convert_20091129195159.jpg

書斎天井照明台座の漆喰装飾。

IMG_4347_convert_20091129195400.jpg

婦人応接室。
欄間は一見ステンドグラスに見えるが普通の板硝子に模様を描いただけのもの。

IMG_4296_convert_20091128021910.jpg

婦人応接室照明台座の漆喰装飾。

IMG_4341_convert_20091129195811.jpg

食堂。

IMG_4292_convert_20091128015949.jpg

食堂照明台座の漆喰装飾。
剣と盾、盾には陸軍の星マークをあしらっているのが面白い。

IMG_4337_convert_20091129200024.jpg

婦人応接室の奥にあるサンルーム。

IMG_4314_convert_20091129201657.jpg

二階は日本座敷で構成されている。師団長とその家族のための私的空間であったようだ。
前回の海軍鎮守府長官官舎は和洋並立式だったがこの師団長官舎は洋館のみである。

IMG_4325_convert_20091129201906.jpg

二階の畳廊下。星と三日月の飾り窓がユニークだ。

IMG_4317_convert_20091129201754.jpg

書院造の座敷。

IMG_4326_convert_20091129202057.jpg

凝った細工の建具が嵌めこまれた窓。

IMG_4290_convert_20091129202304.jpg

裏側外観。サンルーム部分。

IMG_4365_convert_20091129202644.jpg

IMG_4356_convert_20091129202531.jpg

現在の敷地は旧市長公舎の跡地である。旧市長公舎の庭園とよく調和している。

IMG_4368_convert_20091129202830.jpg

第48回・旧海軍呉鎮守府長官官舎(入船山記念館)

IMG_2593_convert_20091128004318.jpg

明治38年(1905)竣工。

IMG_2590_convert_20091128003923.jpg


IMG_2642_convert_20091128012206.jpg


IMG_2595_convert_20091128004035.jpg


IMG_2626_convert_20091128002901.jpg


IMG_2598_convert_20091128005726.jpg


IMG_2596_convert_20091128002043.jpg


IMG_2597_convert_20091128001412.jpg


IMG_2606_convert_20091128000842.jpg

IMG_2612_convert_20091128001554.jpg

IMG_2607_convert_20091128001256.jpg

IMG_2616_convert_20091128001759.jpg

IMG_2609_convert_20091128012426.jpg

IMG_2614_convert_20091128005602.jpg

IMG_2603_convert_20091128034632.jpg

IMG_2627_convert_20091128012902.jpg

IMG_2605_convert_20091128004801.jpg

IMG_2600_convert_20091128012741.jpg

IMG_2629_convert_20091128013314.jpg

IMG_2635_convert_20091128034445.jpg

第47回・鶴舞公園噴水塔

convert_20091127011846.jpg

明治43年(1910)に名古屋で開催された第10回関西府県連合共進会に際して建設された。
設計は鈴木禎次。前回取り上げた松坂屋大阪店の設計者である。

_convert_20091127011936.jpg

博覧会終了後も鶴舞公園の施設として残された。昭和52年に地下鉄工事のため一時解体されるもその後復元、明治期の洋式噴水として貴重な存在である。

_convert_20091127012057.jpg


_convert_20091127011958.jpg


_convert_20091127013030.jpg

噴水塔と同時に建設された奏楽堂は昭和9年の室戸台風で大破し取り壊されたが、平成9年に復元された。ただし当初のものは木造だったらしいが現在のものは鉄筋コンクリートかと思われる。

convert_20091127012033.jpg

第46回・旧松坂屋大阪店(高島屋東別館)

IMG_1501_convert_20091126004151.jpg

大阪の秋葉原とでも言えばよい日本橋に建つこの建物は、もとは名古屋の老舗百貨店・松坂屋の大阪店である。足かけ15年かかった工事の末、昭和12年に現在の形になった。ただその後も拡張が予定されていたが戦時体制へ進む時局のあおりを受け、工事中断を余儀なくされた。

IMG_1502_convert_20091126004630.jpg

昭和41年に松坂屋は天満橋へ移転、現在は高島屋の本社他、家具部のショールーム、高島屋史料館等が入居している。

IMG_1506_convert_20091126004934.jpg

設計は名古屋を拠点に活躍し、松坂屋関係の建物を一手に手掛けた鈴木禎次。
現存する鈴木設計の松坂屋の建築としては名古屋本店、東京上野店、旧大阪店があるが旧大阪店の保存状態は改装が激しい他2店とは比べ物にならないほど良い。百貨店の店舗としては短命だったのが却って幸いしたと言える。

IMG_0871_convert_20091126004435.jpg

外壁は全面テラコッタ貼り。

IMG_0870_convert_20091126004304.jpg

IMG_0869_convert_20091126005312.jpg

IMG_1503_convert_20091126005520.jpg

IMG_1504_convert_20091126004830.jpg

一階正面アーチの内側は回廊となっている。

IMG_1510_convert_20091126005157.jpg

正直なところ、日本橋界隈にはもったいない建物である。

IMG_1512_convert_20091126010014.jpg

第45回・源ヶ橋温泉

IMG_08592_convert_20140831080206.jpg

源ヶ橋温泉は大阪市生野区にある洋風建築の銭湯。昭和10~12年(1935~37)頃の建築と言われている。 平成10年(1998)に銭湯としては初の国登録有形文化財として認定を受けている。

IMG_0864_convert_20140831080012.jpg

二階は現在使われていないが、かつては酒場や撞球場、ダンスホールとして使われていた。(写真右端には二階へ直通の階段が写っている)階下の銭湯は現在も盛業中である。ところで「・・温泉」と称するのは関西における銭湯の一般的な屋号であり、本来の意味の温泉ではない。

IMG_0863_convert_20140831075930.jpg

入口の両脇には「源ヶ橋」と刻まれた石橋の親柱が嵌め込まれている。源ヶ橋の由来は昔、追剥や殺人を犯していた源というならず者が後年、前非を悔いて罪滅ぼしのために自力でこの地に橋を架けたことに由来すると言われている。

IMG_0860_convert_20140831075807.jpg

この建物の外観を最も特徴づけているのが、二階正面に向かい合って立つ二体の自由の女神像。ニューヨークとニューヨク(入浴)をひっかけた洒落である。

IMG_0862_convert_20140831075845.jpg

二階の窓には色ガラスがはめ込まれている。内部はおそらく戦前のカフェーなどが持っていた雰囲気が今もそのまま残されているのではないだろうか。

IMG_08602_convert_20140831080229.jpg

ニューヨクの自由の女神像が掲げるトーチは、温泉マークの形。

IMG_08612_convert_20140831080252.jpg

屋根の上には鯱鉾。

IMG_0865_convert_20140831080048.jpg

玄関からみた番台の窓。内部は洋風の格天井にシャンデリアが下がる脱衣場が見どころ。

IMG_3035_convert_20140831080130.jpg

番台や玄関の高窓に嵌め込まれている型押し硝子。

IMG_0859_convert_20140831075728.jpg

建物は古いが、内部は脱衣場も浴室も古い造りを残しつつきれいに改装されており、居心地のよい銭湯として今も現役である。なお、写真は休業日の撮影だが、通常は入口に「ゆ」の暖簾が下がっている。

(平成26年8月31日追記)
写真を一部追加、画像修整の上配列を改め、本文は全面的に書き改めました。

第44回・旧香港上海銀行長崎支店

IMG_1829_convert_20091121035328.jpg

名前の通り香港・上海を始めアジア各地の植民地・租界で一大勢力を誇った香港上海銀行の長崎支店として明治37年(1904)建築。

IMG_1831_convert_20091121035445.jpg

設計者の下田菊太郎は国内よりも植民地・租界で欧米人相手に設計活動を行った人物。
建造物として現存するのはこの建物一件のみ。

IMG_1810_convert_20091121033729.jpg

明治末から昭和初期長崎は造船等の重工業による繁栄とは裏腹に、貿易港としては衰退した為、香港上海銀行長崎支店は昭和6年閉鎖。閉鎖後は長崎県が買収、警察署として使用される。

IMG_1825_convert_20091121040348.jpg

一時は正面外壁を残して取り壊しも検討されたが、その後全面保存が決定、国指定重要文化財となった。

IMG_1826_convert_20091121035025.jpg

正面。

IMG_1809_convert_20091121033619.jpg

裏面。

IMG_1813_convert_20091121033928.jpg

室内。一階旧営業室。

IMG_1812_convert_20091121033827.jpg

一階の一室にある暖炉。

IMG_1814_convert_20091121034030.jpg

営業室内の漆喰装飾。

IMG_1815_convert_20091121034130.jpg

二階廊下。二階より上部は銀行関係者の住居として造られている。

IMG_1816_convert_20091121034235.jpg

螺旋階段。

IMG_1817_convert_20091121034341.jpg

二階の暖炉。

IMG_1819_convert_20091121034625.jpg

天井装飾。

IMG_1818_convert_20091121034445.jpg

同じく二階の暖炉。

IMG_1822_convert_20091121034910.jpg

三階ベランダ。この建物は海岸に面しており、三菱造船所が対岸に見える。

IMG_1820_convert_20091121034806.jpg

_convert_20091121035223.jpg

現在、「旧香港上海銀行長崎支店記念館」として公開されている。

第43回・旧ハンセル邸(シュエケ邸)

IMG_0489_convert_20091123200352.jpg

明治29年(1896)、当時関西で活躍していた英国人建築家ハンセルの自邸として建てられた。
神戸の異人館の中でもとりわけ質の高い建物。

IMG_0468_convert_20091123195633.jpg

自邸として建てたためかデザインはかなり遊びが見られる。
日本建築のデザインを随所に取り込んでおり、正面切妻は土蔵風である。また屋根瓦には鯱を載せている。

IMG_0488_convert_20091123200306.jpg

玄関。玄関部分の屋根は神社建築によく見られる流れ造り。

IMG_0487_convert_20091123200203.jpg

玄関の床タイル。

IMG_0472_convert_20091123195748.jpg

室内。曲線を描いた張り出し窓は細かく分割された硝子戸を嵌めている。

IMG_0471_convert_20091123195834.jpg

庭園側に張り出したサンルーム。

IMG_0481_convert_20091123195951.jpg

庭園側外観。平坦で閉鎖的な正面と異なり、変化に富んだ外観である。

IMG_0479_convert_20091123200551.jpg

ベランダは一階部分は硝子戸を建て込み、サンルームとなっているが二階部分は吹き放し。
二階アーチ部分にイスラム風のデザインが見られる。

IMG_0478_convert_20091123200451.jpg

IMG_0486_convert_20091123200839.jpg

IMG_0482_convert_20091123200717.jpg

一階が公開されているが、二階は現在もシュエケ氏の住まいなので非公開。
なお、隣家は同じくハンセル設計の門氏邸。こちらは現役の住居で完全非公開。

IMG_0484_convert_20091123200113.jpg

石燈籠と洋館。
庭園にも日本趣味が見られる。






第42回・旧第五十九銀行本店本館(青森銀行記念館)

1_convert_20140831222144.jpg

青森県弘前市にある青森銀行記念館は、明治37年(1904)、旧第五十九銀行の本店として建てられた。青森県下で多くの洋風建築を手がけた大工棟梁・堀江佐吉の代表作とされている。国指定重要文化財。

4_convert_20140831222259.jpg

第五十九銀行は、旧弘前藩士族の金禄公債を資本に、国立銀行条例に基づく県内初の銀行として明治11年(1878)に設立された第五十九国立銀行を前身とする。

7_convert_20140831222400.jpg

明治30年に第五十九銀行に改称、第二次大戦下の昭和18年(1943)に国策による合併で設立された青森銀行に引き継がれるまで、県内で最大の金融機関であった。

2_convert_20140831222202.jpg

明治37年に竣工した本店の建物は、昭和18年の青森銀行発足後は弘前支店として昭和40年まで使われた。その後店舗の建て替えが計画されるが、弘前市民からの保存要望を受けた青森銀行は計画を改め、記念館として保存することにした。

10_convert_20140831222518.jpg

保存に際しては、旧店舗を後方に曳家して跡地に新店舗を建てた。昭和42年より青森銀行記念館として一般公開され、現在に至る。なお、曳家に際しては正面の向きが90度変えられている。

9_convert_20140831222457.jpg

第五十九銀行本店の設計及び施工を行った大工棟梁の堀江佐吉(1845~1907)は、青森県内で銀行、軍施設、キリスト教会、住宅など幅広い種類の洋風建築を手掛けており、旧第五十九銀行の他、旧弘前市立図書館、旧弘前偕行社などが現存する。

8_convert_20140831222425.jpg

土蔵造の技法を応用して石造風の洋風建築に仕上げられた外観に対し、内部は青森県産のヒバやケヤキがふんだんに使われている。

6_convert_20140831222340.jpg

二階の大会議室。天井には当時極めて高級な壁紙であった金唐革紙が貼られている。そのためもあってか、当時建てられた弘前市内の洋風建築の中でも第五十九銀行本店の工費は極めて高額であったようである。

11_convert_20140831222542.jpg

昭和47年に国指定重要文化財となっている。

5_convert_20140831222317.jpg

夜景。

3_convert_20140831222238.jpg

青森県における明治の洋風建築の代表格とも言える建物である。

(平成26年9月1日追記)
写真画像修整の上配列を改め、本文を全面的に修正しました。

第41回・旧土浦中学校本館(茨城県立土浦第一高等学校)

IMG_35322_convert_20140830225329.jpg

茨城県立土浦第一高等学校の敷地内に残されている明治時代創建の校舎。同校の前身に当たる旧制土浦中学校の本館として明治37年(1904)に竣工した。茨城県技師として県下に数多くの洋風建築を残した建築家・駒杵勤治の設計による。国指定重要文化財。

IMG_3548_convert_20091121001753.jpg

旧正門。土浦第一高等学校の正門は別の位置にあり、現在は正門としては使われていない。この門をくぐり、坂道を登ると旧土浦中学校本館の建物が現れる。

IMG_3535_convert_20091121002426.jpg

旧制土浦中学校は明治30年(1897)創立の茨城県尋常中学校土浦分校を前身とする。戦後の学制改革で土浦第一高等学校となる。同校は茨城県内でも有数の進学校として知られている。

IMG_3519_convert_20091121001526.jpg

木造平屋建ながらも華麗なゴシック様式の建築。駒杵勤治(1877~1919)は東京帝国大学を卒業後、明治35年に茨城県庁に赴任、学校や警察署など公共建築を多く手掛けた。

IMG_3534_convert_20091121002701.jpg

現在茨城県内には、駒杵設計の建築は学校建築が3件のみ現存する。そのうち旧土浦中学校本館を含めた2件が国指定重要文化財。残る1件が国登録有形文化財となっている。

IMG_35222_convert_20140830225219.jpg

玄関の3連ゴシックアーチは、駒杵の母校である東京帝国大学工学部校舎(辰野金吾設計、大正12年の関東大震災で大破したため取り壊され現存しない)の玄関部分をイメージしたとも言われる。

IMG_3523_convert_20091121002112.jpg

昭和51年に国指定重要文化財となったが、旧制中学校の校舎としては初の国指定重要文化財となった建物である。

IMG_3521_convert_20140830225135.jpg

細部までしっかりゴシック様式のデザインで造られている。

IMG_3524_convert_20091121001617.jpg

新校舎が出来て以降は、学校の歴史資料等の展示室などに使われている。しかし一部の部屋は今でも高校の部活動のため現役で使われている。

IMG_3529_convert_20091121002009.jpg

非常に高い天井の廊下。

IMG_35262_convert_20140830225258.jpg

展示されている旧校舎の模型。かつての校舎の構成がわかる。中央に写る本館の前半分が今も現存する部分である。

IMG_3544_convert_20091121001902.jpg

建物の内外の窓硝子の多くには、「土中」の文字が刻まれている。一見落書きかと思うが、これは敗戦直後、窓硝子を盗まれる事件が多発したため、盗んでもどこのものか分かるように、土浦中学校の「土」「中」を刻みつけたものだという。

IMG_3545_convert_20091121002550.jpg

映画やテレビドラマのロケでも度々使われているという。

IMG_3546_convert_20091121002214.jpg

旧土浦中学校本館以外に現存する駒杵勤治設計の学校建築は、水戸市の旧水戸商業学校(現・水戸商業高校)本館玄関、常陸太田市の旧太田中学校(現・太田第一高等学校)講堂の2件である。

IMG_3535_convert_20091121002426.jpg

外観はいつでも見学可能だが、定期的(月1回程度)に内部公開も行われている。

(参考)茨城県立土浦第一高等学校 同窓会ホームページ

(平成26年8月30日追記)
写真を一部差替及び追加の上、配列と本文を一部修正致しました。

第40回・旧鴻池本店・本宅

IMG_2896_convert_20140915101455.jpg

旧鴻池本店・本宅は、大阪を拠点とする中堅建設会社・(株)鴻池組の旧本店事務所である。また隣接して鴻池組の創業者である鴻池忠治郎の旧宅も残されている。いずれも大阪市内でも超一級品の近代洋風・和風建築である。

IMG_0170_convert_20140915100514.jpg

旧鴻池本店・本宅は大阪市の西部、淀川の河口に近い位置にある此花区伝法に建っている。周辺界隈は戦災を免れたためか、細い路地や古い家並みが今も点在する。

IMG_2899_convert_20140915101838.jpg

左から旧本宅、旧本店、少し離れて赤い洋瓦葺の土蔵がある。その他敷地内には鎮守社や鴻池忠治郎の銅像が建てられている。現在は鴻池組が管理しているが、一般公開はしていない。

IMG_01652_convert_20140915101048.jpg

鴻池組創業者・鴻池忠治郎(1852~1945)は幕末の大坂・伝法に生まれ、明治4年(1871)に家業の廻船問屋を継いだ。その後労務供給業から土木建築業にも進出、現在の鴻池組の基礎を築いた。なお江戸時代の大坂の豪商として知られる鴻池家とは無関係である。

IMG_0161_convert_20140915100052.jpg

鴻池忠治郎の居宅であった旧本宅は、明治~昭和戦前に大阪市内に数多く建てられた土蔵造りの大阪式町家の姿を止める。内部も伝統的な町家の間取りを残しているほか、質の高い書院造もしくは数寄屋造の座敷が設けられている。

IMG_2906_convert_20140915102028.jpg

現在大阪市内で現存する町屋は、北浜の適塾旧小西家住宅など文化財に指定されたものを除くとごく少数しか存在しない。とりわけ戦災の被害が甚だしかった大阪市西部では特に少ないと思われる。

IMG_2907_convert_20140915102128.jpg

側面の外壁も漆喰で軒まで塗り込めている。大阪の町家は京町家に比べると、軒先まで漆喰で塗りこめたり銅板で覆うなど、防火性を重視した重厚な造りのものが多い。

IMG_0163_convert_20140915100225.jpg

重厚な正面及び側面とは対照的に、背面はかつて川に面していたため、全面に硝子戸を廻した開放的な造りになっており、意匠も軽快な数寄屋風で、全く異なる外観を見せている。(敷地内のため街路からは背面は見えない)

IMG_0162_convert_20140915100153.jpg

京町家が行政によって保全が図られ、観光目的でも活用されているものが多いのに対し、大阪式町家は特に注目を浴びるわけでもなく年々姿を消しているのが現状である。

IMG_28962_convert_20140915102508.jpg

旧本店・本宅共に竣工時期は明治42年(1909)とされる。ただし旧本店は、大正3年(1914)頃に内外装の改装を行い現在の形になったとされているので、創建当初の旧本店は現在とは異なる姿の洋館であったと思われる。

IMG_01672_convert_20140915101223.jpg

白モルタル塗りの外壁に赤白2色のタイルの帯が引き回された、他では余り例を見ない特異な意匠の旧本店。大阪市中央区北久宝寺町にある現在の本社ビルが竣工する昭和43年(1968)まで、鴻池組本店として使われていた。

IMG_0166_convert_20140915100301.jpg

一階には玄関ホール・事務所・会議室、二階には応接室・社長室・和室・ベランダを配している。玄関ホール天井のキューピッドの彫刻や、受付にある鳳凰のステンドグラス、アールヌーボーの意匠が濃密に施された2階客室の室内装飾及び家具など、非常に充実した内部空間を有する。

IMG_2897_convert_20140915101557.jpg

内部空間の充実ぶりでは住友本館などと並び、大阪市内に現存する近代の建造物の中でも屈指の存在であるが、非公開であることが残念である。

IMG_2902_convert_20140915101938.jpg

「丸に北」の鴻池組社章と6本の矢をあしらった、玄関欄間のステンドグラス。同社刊行の社史では旧本店の戦前の写真を数葉見ることができるが、かつては下の扉にも、社章をあしらったアールヌーボー風意匠のステンドグラス(もしくは飾り格子)が入っていたようである。

20140915_convert_20140915100005.jpg

基壇の換気口に嵌め込まれた金物にも、アールヌーボー風の意匠がみられる。

IMG_0168_convert_20140915100412.jpg

洋館裏面には一階は吹き放しのテラス、二階は硝子戸を入れたベランダが設けられている。先述のとおり、昭和20年代に埋め立てられたがかつては裏に伝法川が流れており、旧本店・本宅共に川沿いに面する形で建っていた。

IMG_2909_convert_20140915102335.jpg

街路から遠望した洋館二階ベランダ。先述の数寄屋風の外観を有する旧本宅の背面は写真の右側に当たるが、樹木で隠れており見えない。なお鴻池組の社史によると、かつては旧本宅の縁側から釣り糸を垂らすことも出来たという。

IMG_2897_convert_20140915233555[1]

旧本店・本宅共に、できることなら是非内部を見学したい建物のひとつである。

IMG_0171_convert_20140915100603.jpg

(参考資料)
鴻池組社史 昭和61年 (株)鴻池組
歴史遺産 日本の洋館 第三巻・大正編Ⅰ 平成14年 藤森照信・増田彰久
大阪府の近代和風建築 大阪府近代和風建築総合調查報告書  平成12年 大阪府教育委員会

(平成26年9月15日追記)
写真を一部差替及び追加の上、配列と本文を修正致しました。

第39回・神宮徴古館・神宮農業館

IMG_0190_convert_20091118230724.jpg

伊勢神宮の一角に建つ神宮徴古館。
明治42年(1909)竣工。

IMG_0180_convert_20091118230542.jpg

徴古館のすぐ近くに建つ神宮農業館。
明治24年(1891)竣工。日本で唯一の農業博物館。

IMG_0185_convert_20091118231248.jpg

戦災で外壁を残し焼失、現在の姿は昭和28年の修復によるもの。
屋根が大きく改変されている。当初は中央部に角ドームがあった。

IMG_0179_convert_20091118230428.jpg

2件とも国の登録有形文化財。

IMG_0188_convert_20091118231401.jpg

IMG_0189_convert_20091118231705.jpg

IMG_0195_convert_20091118231051.jpg

第38回・旧奈良県立戦捷記念図書館(大和郡山市民会館)

3_convert_20140911232132.jpg

奈良県大和郡山市の郡山城跡に建っている大和郡山市民会館の建物は、明治41年(1908)竣工の旧奈良県立図書館である。現在地には昭和45年(1970)に移築され、大和郡山市の文化施設として再利用されている。奈良県指定文化財。

9_convert_20140911232354.jpg

開設当初の名称は奈良県立戦捷記念図書館。図書館であると同時に、日露戦争の戦病死者の遺品を所蔵しその勲功を称える役割もあった。移築前は奈良公園の一角、現在の奈良県庁舎南側に建っていた。

2_convert_20140911232220.jpg

奈良では洋風建築の帝国奈良博物館(現・奈良国立博物館)が明治27年(1894)に奈良公園内に建てられると、周囲の風致に調和しないとの批判が起こった。それ以降奈良公園周辺では、明治中~後期にかけて県庁、公会堂、ホテル等主な公共建築が和風意匠で建てられた。この建物もそのひとつである。

5_convert_20140911232309.jpg

このとき和風意匠で建てられた奈良公園界隈の公共建築のうち、旧奈良県庁舎と旧奈良県公会堂は現存しないが、旧奈良県立図書館が大和郡山市に移築されたほか、奈良ホテル(明治42)、旧奈良県物産陳列所(明治35)の2棟はもとの場所に今も健在である。

6_convert_20140911232333.jpg

設計は奈良県技師の橋本卯兵衛による。上述の奈良県庁舎や県物産陳列所の建設にも関わった人物とされる。同一設計者による建物として、橿原市の旧高市郡教育博物館(明治36年)が現存する。

4_convert_20140911232250.jpg

唐破風を備えた堂々たる玄関車寄せ。旧奈良県物産陳列所でも同じような形のものがある。

10_convert_20140911232442.jpg

一見伝統的な日本建築に見えるが、縦長の上げ下げ窓は洋風建築特有のもので伝統建築には存在しない。

convert_20140911231313.jpg

他の和風意匠の公共建築と同様、内部は洋風に造られており、現在も階段室等は創建当初の姿がよく残されているようである。

7_convert_20140911232416.jpg

背面からみた姿。奈良公園にあった頃は書庫が背後に別棟で建っていたが、これは移築されていない。

1_convert_20140911232150.jpg

昭和43年(1968)に新しい県立図書館が竣工したことで図書館としての役目を終え、解体された。現在地に移築後は内部を改装し、市民の文化活動の場として貸し出されているようだ。

convert_20140911230323.jpg

郡山城天守跡からみる旧奈良県立図書館。

(平成26年9月12日追記)
写真を一部追加、画像修整の上配列を改め、本文を書き改めました。

第37回・牛久シャトー

IMG_3552_convert_20091116223526.jpg

茨城県牛久市に牛久シャトーという明治時代のワイン醸造施設がある。現在は「シャトーカミヤ」
という名の観光施設になっており、近年ワイン醸造も再開された。
写真の洋館は醸造施設の事務所兼迎賓館として明治36年(1903)に建てられた。

IMG_3569_convert_20091116224348.jpg

設計者の岡田時太郎は、他に軽井沢の旧三笠ホテルを設計している。
牛久シャトー、旧三笠ホテルは共に国の重要文化財に指定されている。

IMG_3556_convert_20091116223640.jpg

ワインの館なのでブドウの装飾が至る所にある。

IMG_3567_convert_20091116225006.jpg

「D・KAMIYA」は神谷傳兵衛。この館の主。「ハチブドー酒」「電気ブラン」の生みの親。

IMG_3566_convert_20091116224100.jpg

アーチをくぐって左手1階が旧事務所、2階が大広間、右手1階が日本座敷、2階は洋室がいくつかある。現在は結婚式などに使われている。

IMG_3563_convert_20091116223851.jpg

右手入口の上部には漆喰で出来たトンボとブドウの装飾。

IMG_3565_convert_20091116223948.jpg

その下の欄間にはブドウのステンドグラス。

IMG_3557_convert_20091116224822.jpg

本館の裏手には醸造施設がある。

IMG_3561_convert_20091116223746.jpg

地下のワイン貯蔵庫。

IMG_3558_convert_20091116225133.jpg

本館だけでなく醸造施設も実にすばらしい煉瓦建築。

IMG_3572_convert_20091116224454.jpg

日本離れした光景。

IMG_3573_convert_20091116224204.jpg

第36回・旧日本郵船神戸支店(神戸郵船ビル)

IMG_3847_convert_20091031161210.jpg

戦前の時点で既に世界屈指の船会社であった日本郵船の神戸支店として大正7年(1918)竣工。
設計は曽禰中條建築事務所。同事務所は日本郵船の本支店を多く手掛けており、神戸以外では名古屋(大正4)、大阪(大正8)、東京(丸の内郵船ビル、大正12)、門司(昭和2)がある。しかし、そのうち現存するのは神戸と門司のみ。

IMG_3891_convert_20091031161542.jpg

この建物は大正7年当時の外観をそのまま残しているわけではない。
昭和20年戦災で大破、戦後に安井建築設計事務所(大阪倶楽部、大阪瓦斯ビルの設計で知られる安井武雄の事務所)の設計で修復・改修が行われ、28年に現在の姿になった。
現在は陸屋根だが、戦前は大小2つのドームを有する天然スレートと銅板葺の屋根だった。

IMG_3893_convert_20091031161640.jpg

海岸通に面した南側の玄関。ここは大正7年当初と変わっていない。

IMG_3850_convert_20091031161443.jpg

東側の正面玄関。昭和28年改修時のデザイン。しかしこれはこれでよく出来たデザインである。

IMG_3902_convert_20091031162016.jpg

海岸通に面した南側外観。基壇の石には戦時中の機銃掃射の痕と思しき傷が複数見られる。

IMG_3897_convert_20091031163000.jpg

北側外観。裏通りに面している北、別のビルが隣接していた(今は建物は無い)西の2面は装飾はほとんどない。なお、この建物は鉄骨煉瓦造だが外壁はすべて白タイルと御影石で覆われている。

convert_20091031162753.jpg

南側外観の中央部分。1階部分は戦災前のままだが、2・3階は窓の形が若干改変されている。
当初2階の窓は緩やかなアーチ窓だった。また3階の窓は正方形ではなく縦長窓が二つ並ぶ形だった。玄関部分も戦災前は2・3階にももっと装飾があったようである。そして屋根には小さな円形ドームを載せていた。

IMG_3895_convert_20091031161742.jpg

北側を見れば、当初の窓の形が分かる。現在の窓割りは3階の窓が大きすぎてチグハグな印象を受ける。

IMG_3899_convert_20091031161911.jpg

船会社なので、帆立貝の装飾がある。

IMG_3901_convert_20091031162145.jpg

当初のものか戦後改修時のものか不明だが、華麗な意匠の鉄格子。

IMG_3849_convert_20091031161336.jpg

戦災で内装は無論の事、外装も当初の意匠を失った事は惜しまれるが、改修時に新たに加えられた意匠にはまた別の魅力がある。特に東側正面は全体としてよくまとまっており、各地に残る戦災を受けて改修された建築のなかでも、特筆されるべきものではないかと思う。


第35回・旧蒲郡ホテル(蒲郡プリンスホテル)

IMG_3056_convert_20091115183414.jpg

東海地方でも指折りの景勝地である愛知県の蒲郡に、昭和9年(1934)開業のクラシックホテルがある。

IMG_3129_convert_20091115181459.jpg

現在は蒲郡プリンスホテルとなっている旧蒲郡ホテル。
鉄道省出身の建築家・久野節の設計による。

IMG_3053_convert_20091115121609.jpg

第26回の雲仙観光ホテル同様の経緯で建設された国策ホテルである。
現地で大正2年より営業していた旅館・常磐館が蒲郡ホテルの経営に当たった。常磐館は昭和55年廃業、蒲郡ホテルも同時に廃業したがその後プリンスホテル系列として営業を再開、現在に至る。

IMG_3072_convert_20091115122840.jpg

名古屋城の天守閣を意識したデザインとも言われているが、このアングルから見ると納得できる。
白壁に銅板葺きの屋根も名古屋城と共通している。
しかし、右下の張り出した部分から犬山城天主閣にも似ているような気がする。

IMG_3123_convert_20091115123339.jpg

玄関前から見上げた正面。ホテルのホームページによると、屋上の望楼は現在内部に補強のための鉄骨が入っており、中には入れない。

IMG_3095_convert_20091115121419.jpg

玄関ポーチ。
蒲郡ホテルは文学とも縁が深い。谷崎潤一郎の『細雪』に登場する(ただし「常磐館」として書かれており、「蒲郡ホテル」の名称は出てこない)。
池波正太郎の『よい匂いのする一夜』では、開業間もないこのホテルに泊まった思い出が綴られている。

IMG_3113_convert_20091115181307.jpg

IMG_3114_convert_20091115123215.jpg

IMG_3047_convert_20091115122651.jpg

一部が2層吹き抜けになったホテルのロビー。

IMG_3036_convert_20091115180732.jpg

ロビーの暖炉。

IMG_3033_convert_20091115180826.jpg

古風なエレベーターの階数表示盤。昭和9年当初からのオリジナルである。

IMG_3038_convert_20091115180958.jpg

2階食堂の一角。池波正太郎は少年時代初めて泊まった夜、この食堂でビーフ・カツレツを食した。(『よい匂いのする一夜』)

IMG_3110_convert_20091115182951.jpg

1階宴会場。

IMG_3049_convert_20091115182202.jpg

旧常磐館は廃業後取り壊されたが、一部の施設は現存しており、ホテルの食事処として使われている。写真は寿司処専用に使われているかつての離れ座敷。
背後に三河湾と竹島が写っている。

IMG_3055_convert_20091115182735.jpg

茶室として使われているもうひとつの離れ座敷。釉薬をかけた屋根瓦が美しい。

IMG_3125_convert_20091115183218.jpg

法隆寺の夢殿を模したと思われる建物。常磐館時代の用途は不明。
現在は鉄板焼専門の食事処となっている。

IMG_3084_convert_20091115122409.jpg

竹島から望むホテルの遠景。
ホテルが建つ丘のふもとには、かつては常磐館本館の壮大な木造建築があり、ホテルと渡り廊下で結ばれていた。

IMG_3085_convert_20091115121230.jpg

鳥居とホテル。

IMG_3124_convert_20091115181859.jpg

常磐館は消えたが、ホテルとそこから望む三河湾の風光は今も健在である。

第34回・住友本館

IMG_3978_convert_20091113230706.jpg

前回は東京・三井財閥の本拠地だったが、今回は大阪・住友財閥の本拠地である住友本館。
戦前の四大財閥(三井・三菱・住友・安田)のうち、拠点であった建物が今も残るのは三井と住友である。大正15年(1926)年に写真の正面部分を含む北半分が第1期工事として完成。昭和5年(1930)
に第2期工事が完成し、全館竣工に至った。

IMG_3980_convert_20091113231139.jpg

設計は住友財閥が本館建築のため自ら組織した住友臨時建築部(現・日建設計、設計者・長谷部鋭吉、竹腰健造)による。
新古典主義の外観でまとめあげた三井本館に対し、住友本館は古典的要素は玄関周りに凝縮し、全体は簡素ながらも重厚なものに仕上げられている。

IMG_3975_convert_20091113231359.jpg

住友銀行本店(現在は三井住友銀行大阪営業部)を始め、住友財閥の中核企業の本拠がここに集約された。

IMG_3976_convert_20091113231503.jpg

玄関部分天井。玄関周りは一分の隙も無い西洋古典建築である。

IMG_2851_convert_20091018154437.jpg

敗戦後占領軍に接収され(昭和20~27年)、司令部庁舎となるが住友側の工作もあり、全館接収は免れ接収中も住友銀行の営業は続けられた。
このビルに星条旗が翻った時代もあった訳である。

IMG_2847_convert_20091018154548.jpg

住友本館は5階建だが、当初は7階建で計画されていた。
縮小された理由は大正12年の関東大震災により慎重を期した結果とも言われるが、明治期住友財閥の大番頭として活躍、引退後も住友内部で非常に人望の厚かった伊庭貞剛の伝記に面白い話が載っている。

IMG_2848_convert_20091018154849.jpg

7階建計画のときは貸室として計画されていた部分を伊庭の意見を受け、削って5階建になったという。住友の本拠は住友の絶対的自由に置かれるべきであり、貸室が必要ならば別に建てればよいというものである。それが設計縮小の真の理由か否かは不明だが、今日の供給過剰としか思えないにも関わらず高層オフィスビルをやみくもに建てている現状と比較すると一寸一考に値する話ではないかと思う。要は目的、内容を問わず何でも高層ビル化するのが都心の土地利用の常識として片づけてよいのか、という話である。

IMG_2849_convert_20091018154633.jpg

ガーゴイル。屋上で受けた雨水を口から吐き出し下の樋へ落とす。
83年間大阪の栄枯盛衰を見てきた獅子頭。

IMG_2852_convert_20091018155014.jpg

昭和5年に完成した第二期工事による南側外観。内部には住友銀行本店の営業室がある。
ここの内装は超一級。用いられた大理石は日本人好みの実に渋い質感と色合いである。
日本人の感性が生み出した、最高の西洋建築のひとつだと思う。

IMG_2860_convert_20091018154735.jpg

IMG_2854_convert_20091018161456.jpg

IMG_2857_convert_20091018161310.jpg

IMG_3979_convert_20091114000806.jpg

近代大阪が誇るべき最高の建築作品。
大阪人はこういう建物の存在をもっと誇りにすべきである。





第33回・三井本館

IMG_0950_convert_20091018152519.jpg

東京・日本橋にある三井財閥の本拠地・三井本館は大正12年の関東大震災で全焼した先代に代わって昭和4年(1929)竣工。

IMG_2330_convert_20091018152153.jpg

設計・施工はアメリカのトローブリッジ・リヴィングストン社による。

IMG_0956_convert_20091018152704.jpg

三井合名会社、三井銀行本店、三井鉱山本社など三井財閥を形成する企業の本社がここに置かれた。

IMG_0959_convert_20091018152833.jpg

IMG_0955_convert_20091018152037.jpg

現在は三井住友銀行日本橋支店となっている、旧三井銀行本店の玄関。
ここは昭和7年3月5日、三井合名会社理事長團琢磨が射殺された血盟団事件の現場でもある。

IMG_2332_convert_20091018152253.jpg

隣は三越本店(大正3年、震災で全焼後昭和2年改修)。なお、明治建築の日本銀行本店も隣接しており、近代洋風建築が並ぶ貴重な都市景観を有する一角である。

IMG_2333_convert_20091018152407.jpg

平成10年に国指定重要文化財となっている。

第32回・旧赤穂塩務局

convert_20091028173929.jpg

忠臣蔵で有名な兵庫県赤穂市は古くから塩の産地としても知られている。
明治41年(1908)、赤穂塩務局庁舎として竣工。設計は大蔵省臨時建築部。
塩務局は明治38年に塩が煙草と共に国の専売制となったことにより設置された。

convert_20091028173626.jpg

官庁建築とは思えない変化に富んだ軽快な外観。
2階まで立ちあがった外壁には同じ形の窓がひとつもないことが分かる。

convert_20091028174923.jpg

職員用玄関。

convert_20091028175009.jpg

繊細な装飾が美しい扉と欄間の格子。

convert_20091028173746.jpg

寺社仏閣のような、方形・本瓦葺の屋根を持つ正面玄関。

convert_20091028175724.jpg

玄関上部の小窓。ややアールヌーボー風か。

convert_20091028173846.jpg

正面玄関の扉。

convert_20091028173350.jpg

内側からみた正面玄関扉。

convert_20091028173200.jpg

正面玄関内部は二層吹き抜けになっている。
天井はドーム状に仕上げられている。

convert_20091028173700.jpg

硝子窓で仕切られたカウンターがあった。

convert_20091028174043.jpg

階段。現在この建物は赤穂市歴史民俗資料館として使用されている。展示物もなかなか面白いものが多い。

convert_20091028173300.jpg

裏手にある、煉瓦造の文書庫。他にも木造の塩倉庫など、付属建物もよく保存されている。

convert_20091028175753.jpg

兵庫県の重要有形文化財に指定されている。

第31回・池田氏庭園洋館

IMG_4037_convert_20091111231815.jpg

秋田県大仙市に東北の大地主・池田家の広大な庭園がある。国の名勝にも指定された庭園と建物は大仙市に寄贈され、現在整備が進められている。建物のうち広大な母屋は昭和27年に失火で焼失し現存しないが、迎賓館を兼ねた私設図書館の洋館、門、いくつかの土蔵が残る。中でも注目されるのは秋田県初の鉄筋コンクリート建築と言われるこの洋館である。

IMG_4057_convert_20091111231958.jpg

池田氏庭園は現在初夏と秋の年2回一般公開が行われている。多くの見学者が来ていた。
門前市をなす。

IMG_4056_convert_20091111230958.jpg

欅造りの豪壮な門。

IMG_4014_convert_20091111230826.jpg

敷地を入ってしばらく行くと洋館が見えてくる。大正11年(1922)の建築。
現在修復工事が進められており、今回の公開で初めて修復が進む洋館の外観が現れた。

IMG_4046_convert_20091111231636.jpg

いかにも大正風の、白タイル貼りの外観。玄関の列柱はイタリア産白大理石で出来ている。
内部は1階に食堂兼音楽室、撞球室、閲覧室、書庫、2階には食堂、閲覧室、書庫、屋上庭園(バルコニー)がある。

IMG_4048_convert_20091111231520.jpg

モルタル洗い出しという珍しい造りのドーム。今回の修復で復元された。

IMG_4022_convert_20091111231300.jpg

庭園の大雪見燈籠。直径、高さ4メートルというとんでもない大きさ。

IMG_4026_convert_20091111231109.jpg

燈籠と洋館。

IMG_4025_convert_20091111232520.jpg


IMG_4029_convert_20091111232751.jpg


IMG_4038_convert_20091111230617.jpg

現在内装の修復・復元工事が進められており、金唐革紙とシャンデリアで飾られた豪華な部屋が甦る予定。

IMG_4051_convert_20091111232201.jpg

工事が終わったら、また本ブログで室内を公開したい。



第30回・郡山市公会堂

11_convert_20140831231129.jpg

福島県郡山市の郡山公会堂は、大正13年(1924)に同市の市制施行を記念して建てられた。国登録有形文化財。

8_convert_20140831221843.jpg

設計監修は矢橋賢吉、設計が荻原貞雄、施工は清水組(現・清水建設)。

7_convert_20140831221630.jpg

監修に当たった矢橋賢吉(1869~1927)は、大蔵省臨時議院建築局で帝国議会議事堂(国会議事堂)の建設をリードした人物。(但し昭和2年の矢橋急逝後、議事堂建設は大熊喜邦に受け継がれる)

10_convert_20140831221723.jpg

外観はオランダのデン・ハーグにある平和宮(1913年竣工。国際司法裁判所などが入っている建物。)をモデルとしたとされる。また大阪中之島の大阪市中央公会堂(大正7年竣工)も設計の参考にされたという。

6_convert_20140831221612.jpg

一階外壁の連続するアーチや尖塔などに、平和宮との相似が見られるが、大阪市中央公会堂との相似点は外観上は見いだすことはできない。

5_convert_20140831221545.jpg

尖塔には時計が嵌め込まれている。故障のため戦時中に取り外され、長年時計の無い状態が続いていたが、現在は時計が復活している。

3_convert_20140831221457.jpg

構造は鉄筋コンクリート造2階建で、外壁は御影石と黄土色の化粧タイルで仕上げられている。

4_convert_20140831221518.jpg

平成14年(2002)に国登録有形文化財となっている。

2_convert_20140831221437.jpg

平成17年(2005)には改修工事が行われ、建物や設備のリニューアルのほか、創建当初の意匠が復元された。玄関扉やステンドグラスが嵌め込まれた欄間もこのとき復元されたものと思われる。

1_convert_20140831221411.jpg

現在も小規模な集会やイベントに利用されている、現役の公会堂施設である。

(平成26年8月31日追記)
写真を一部追加、画像修整の上配列を改め、本文を書き加えました。

第29回・旧三井銀行下関支店(旧山口銀行本店)

1_convert_20140905055728.jpg

山口県下関市に本店を置く地方銀行である山口銀行が旧本店として保存・公開している、同市観音崎町に建っている建物は、大正9年(1920)に三井銀行下関支店として建てられたものである。大正から昭和戦前にかけて日本銀行の本支店など銀行建築を多く手掛けた長野宇平治の設計。山口県指定有形文化財。

2_convert_20140905055751.jpg

旧山口銀行本店は、当ブログでも取り上げた旧秋田商会など、明治から大正期の近代建築物が点在する唐戸地区にも近い位置に建っている。

3_convert_20140905060749.jpg

長野宇平治(1867~1937)は辰野金吾の下で日本銀行大阪支店京都支店の設計に携わり、その後全国各地で日銀や民間銀行の本支店を手掛けている。三井銀行でも下関のほか神戸(大正5)、広島(大正14)の両支店を手掛けているが、今も完全な形で残されているのは旧下関支店のみである。

4_convert_20140905055831.jpg

繊細な装飾が施された正面、二階窓の上には牛の頭部が装飾としてあしらわれている。ヨーロッパにおいて家畜は富の象徴であり、金融機関を表す装飾モチーフとされたようである。同じ長野宇平治の設計による奈良の南都銀行本店でも羊の頭部を象った装飾がみられる。

9_convert_20140905060132.jpg

昭和8年(1933)に三井銀行は下関支店を廃止、建物は山口銀行の前身である百十銀行が引き継ぎ、同行の本店となった。その後戦時下の国策により、県内の6つの地方銀行を合併する形で昭和19年以降は山口銀行となり、40年まで本店として使われた。

7_convert_20140905055937.jpg

本店移転後は、観音崎支店を経て山口銀行別館となり行内の会議や集会に使われていた。また昭和48年から50年には店舗改築のため日本銀行下関支店の仮店舗としても使われていた。

12_convert_20140905060305.jpg

平成17年(2005)には耐震補強及び内外装の改修復元工事が完成、同年には山口県指定有形文化財に指定された。その後山口銀行旧本店として一般公開され、現在に至る。

8_convert_20140905060110.jpg

営業室の片隅にある螺旋階段。伺った話によると下関は港町であり、木材を曲げて加工することが得意な船大工も多かったので、このような螺旋階段を造れる職人も多くいたのではないのか、とのこと。

6_convert_20140905055915.jpg

山口銀行の方の御好意で、屋根裏を見せて頂いた。この建物の構造は鉄筋コンクリート造であるが、壁体などに一部煉瓦も併用していることが分かる。

10_convert_20140905060213.jpg

屋上からは関門海峡が一望できる。

11_convert_20140905060233.jpg

建物正面頂部を飾る、石の飾り壺と欄干。

5_convert_20140905055852.jpg

長野宇平治の設計した民間銀行の建物で今も現存するものは少なく、貴重な存在である。
(参考)山口銀行ホームページ(旧本店建物の案内)

(平成26年9月5日追記)
写真を一部差替、画像修整の上、写真の配列は並べ替え本文も全面的に修正しました。

第28回・モダン亭太陽軒

convert_20091108001454.jpg

埼玉県の川越は以前取り上げた旧第八十五銀行の他にもいい建物が沢山ある。
蔵造りの街並みから少し離れた路地に、大正11年創業の洋食店が昭和初期の建物で営業を続けている。それが今回取り上げるモダン亭太陽軒。昭和4年(1929)の建築。

convert_20091108001629.jpg

近年きれいに改修され、創建時の姿とほぼ変わらない佇まい。
内部は1階が椅子式のレストラン、2階が日本座敷。

convert_20091108001706.jpg

この建物は国の登録有形文化財に登録されている。
玄関左手に登録文化財のプレートが張り付けられている。

convert_20091108001853.jpg

モダンな外観から一転して、2階の数寄屋風小座敷。

convert_20091108002124.jpg

凝った造りの小座敷天井。

convert_20091108001928.jpg

富士山をあしらった小座敷書院窓。
この手の趣向を凝らした建具は、戦前の料亭や旅館によく見られる。

convert_20091108002004.jpg

かつて客が従業員を呼ぶために使った呼び鈴の押しボタンが残っていた。

convert_20091108001745.jpg

2階廊下。廊下は外観と同様モダンな洋風意匠。

convert_20091108001822.jpg

同じく2階廊下。上の写真の反対側。突き当たりの窓は外観2階中央の窓。

IMG_3826_convert_20091108001557.jpg

夜になると、色ガラスが妖しく光る。

第27回・旧F・W・ホーン邸(旧諸戸家日光別邸、現「明治の館」)

convert_20091103111950.jpg

世界遺産・日光東照宮に近接して建つ。アメリカ人貿易商F・W・ホーンの別邸として明治末期~大正初期に建てられたと考えられている。戦前の日光は欧米人の格好の避暑地であり、現在も当時の別荘建築がいくつか残されている。地元の河原で採れる石を積み上げた3階建の洋館。

convert_20091103112110.jpg

大正12年に三重県桑名の大地主・諸戸家の手に渡り同家の別荘として使用される。
第二次大戦末期には重光葵(外交官、政治家。戦時中~戦後にかけて外務大臣を3度務めた)がこの屋敷に疎開していた。昭和20年9月2日の東京湾停泊中の米艦ミズーリ号における降伏文書調印式に際しては、この屋敷から栃木県庁の自動車に乗って東京へ向かった。

convert_20091103111911.jpg

現在は「明治の館」というレストラン・喫茶店になっている。

convert_20091103111828.jpg

日本離れした風景。しかし目と鼻の先に日光東照宮がある。

convert_20091103111716.jpg

玄関床のモザイクタイル。

convert_20091103112034.jpg

現在は持ち帰り用のケーキなどが買える売店となっている、玄関向かって右手の部屋。
暖炉の上に建て主であるホーン氏の写真が掲げてある。暖炉棚に蓄音機が置かれているのはホーン氏が日本へ蓄音機を最初に輸入した人物だからである。

convert_20091103111754.jpg

ここでは今でも暖炉に火を燃やしている。暖炉が現役で使われてる歴史的建築は少なく、貴重である。戦前の洋館に取り付けられた暖炉は石炭を燃やす形式のものが多いが、ここでは薪を燃やす。

convert_20091103112351.jpg

かつての外国人リゾート地・日光を偲ぶには格好の建築のひとつ。

第26回・雲仙観光ホテル

IMG_17862_convert_20140831143652.jpg

長崎県雲仙市小浜町雲仙にある雲仙観光ホテルは、昭和10年(1935)開業の老舗ホテルである。現在もスイスシャレー風の外観が特徴的である開業当初の建物で営業を続けている。国登録有形文化財。

IMG_1789_convert_20091031142109.jpg

昭和9年(1934)には日本最初の国立公園のひとつに指定されている雲仙は、風光明媚な温泉地としても知られるとともに明治以降、上海、香港在住の欧米人によって避暑などのリゾート地として発展した歴史を有する。

IMG_1763_convert_20140831144830.jpg

昭和初年の我国では、外貨獲得を目的として鉄道省を中心に、全国各地に外国人観光客を誘致するためのホテル建設を推進する動きがあった。雲仙観光ホテルはそのような経緯で建設された「国策ホテル」のひとつである。

IMG_1765_convert_20140831143327.jpg

長崎県によって計画されたホテルの建設及び経営は、大阪で「堂ビルホテル」(大正12年開業、昭和14年廃業)を経営する㈱堂島ビルヂングが、県から委託を受けるかたちで行われた。堂島ビルヂングは長崎県出身の実業家・橋本喜造が経営する大阪初の大規模貸事務所ビルで、堂ビルホテルは戦前の大阪の高級社交場であった。

IMG_1788_convert_20140831143448.jpg

昭和10年10月10日に開業した雲仙観光ホテルの建物は、竹中工務店の設計施工で竣工した。設計を担当した早良俊夫は神戸・塩屋の旧ジェームス邸(昭和9年竣工、神戸市指定文化財)の設計でも知られる。写真の玄関ポーチをはじめ、1階部分の外壁に積まれた石は地元産の溶岩石。

IMG_1794_convert_20091031142758.jpg

天井の太い梁が重厚さを醸し出す、1階玄関広間。

IMG_18082_convert_20140831143820.jpg

玄関広間の壁に取り付けられた照明器具。

IMG_1795_convert_20140831143532.jpg

玄関広間正面に現れる重厚な大階段。

IMG_1797_convert_20091031142218.jpg

豪快な造りの大階段周りには、手斧(ちょうな)削りと呼ばれる日本の伝統的な大工技法が用いられている。

IMG_1761_convert_20091031141029.jpg

何度でも登り降りしたくなる階段。

IMG_1759_convert_20140831143204.jpg

2階中央にある貴賓室の入口。昭和天皇が雲仙を訪問されたときの御在所にも充てられた部屋である。廊下に置かれた椅子など、館内の家具は神戸の洋家具の老舗・永田商店の製作による。

IMG_1762_convert_20091031141200.jpg

客室前の廊下。天井の縁は曲面に仕上げられている。

IMG_1804_convert_20091031144335.jpg

客室内。窓は今では珍しい木製の上げ下げ窓。

IMG_1802_convert_20091031142638.jpg

浴室の古風な猫脚バスタブや、豆タイル仕上げの内壁は全て近年の改装で開業当初の形に近いものが再現されている。客室以外でも、開業当初存在した読書室や撞球室が再現されているが、いずれも戦前からそのまま残っていたと思わせる見事な出来栄えである。

IMG_1806_convert_20091031142440.jpg

1階玄関広間に戻る。
突き当りの階段を上ると大食堂の前に出る。

IMG_1777_convert_20091031144436.jpg

時にはダンスホールにもなったという大食堂の内部。天井から下がる扇風機は近年の復元によるものだが、基本的には昭和10年の開業当時とほとんど変わっていない。

IMG_1778_convert_20091031141959.jpg

天井のシャンデリアも戦前から残されているものである。

IMG_1807_convert_20140831143602.jpg

大食堂入口脇にある酒場。

IMG_1774_convert_20140831143402.jpg

バーカウンター。

IMG_1769_convert_20091031141852.jpg

酒場の床タイルは兵庫県の旧甲子園ホテルの酒場でもみられるような、カラフルなモザイクタイルになっている。奥にはタイル貼りの暖炉もある。

IMG_1764_convert_20140831144532.jpg

雲仙観光ホテルで特筆されるべきなのは、ホテルとしての利便性快適性の維持向上に努めつつ、現在残る古い形を維持することはおろか、過去の改装で失われた部分も積極的に戦前の姿、あるいはそれに近い姿に戻している点である。ホテルの歴史と建物に対する徹底した誇りとこだわりが窺える。

(平成26年9月1日追記)
写真を一部追加・差替、画像修整の上、写真の配列は並べ替え本文も全面的に修正しました。

第25回・旧松本カトリック教会司祭館

2_convert_20140914162156.jpg

長野県松本市にある旧松本カトリック教会司祭館は、明治22年(1889)に宣教師館として建てられた木造二階建の洋館で長野県の県宝に指定されている。

6_convert_20140914162336.jpg

当初は松本城下の武家屋敷街の一角に建っていたが、現在は明治初期の擬洋風建築として知られる国指定重要文化財・旧開智学校校舎に隣接した場所に移築されている。国宝・松本城にも近い。

1_convert_20140914162117.jpg

フランス人神父クレマンの設計、地元の大工の施工で建てられた。築後100年目に当たる平成元年(1989)に、道路拡幅に際し松本市が松本カトリック教会より建物の寄付を受け、現在地に移築された。

10_convert_20140914162717.jpg

御影石と煉瓦で造られ、この規模の木造洋館としては異様に高い基壇。地階にはワインが貯蔵できる倉庫があるというから、基壇が高いのはそのためかも知れない。

8_convert_20140914162431.jpg

サンルームを兼ねたベランダ。普通ベランダは日当たりのよい南面に設けるものだが、この建物では北を向いている。移築前、北面の眺めが良かったため北向きにベランダを設けたという。

7_convert_20140914162405.jpg

外観と同様、簡素な意匠の室内の暖炉。煙突は塞がれておらず、現在でもこの暖炉で火を焚くことは可能らしい。

3_convert_20140914162211.jpg

4_convert_20140914162229.jpg

5_convert_20140914162319.jpg

館内には帽子掛けや飾り棚など、フランス製の家具がいくつか残されていた。
簡素な室内に彩りを添えている。

9_convert_20140914162447.jpg

以上の写真は平成19年に訪問した時のもの。

IMG_7450_convert_20140914162620.jpg

IMG_7451_convert_20140914162651.jpg

平成25年に改めて訪問した時には、外壁のペンキが写真のとおり随分色褪せていたが、その後塗り直されているだろうか。

IMG_7447_convert_20140914162525.jpg

城下町に残る素敵な明治の洋館である。

(平成26年9月14日追記)
写真を一部追加、画像修整の上、写真の配列と本文を修正致しました。

第24回・旧西尾類蔵邸(その2)

IMG_1707_convert_20091101164907.jpg

前回に引き続き須磨の旧西尾類蔵邸。
今回は洋館の裏にある日本庭園と離れ座敷をご案内したい。
洋館の玄関に戻って、車寄を通り抜けるとすぐ日本庭園がある。

convert_20091101164706.jpg

洋館の裏側。
大きなアーチ窓は階段室の窓。
よく見ると階段室より奥の外壁はタイルを貼らずモルタル塗りで済ませている。
山に面して人目に付かないところなので、簡素な仕上げにしたのだろう。

IMG_1715_convert_20091101162523.jpg

日本庭園に入ってすぐ視界に入るのが、小さいほうの離れ座敷、真珠亭。
離れは2棟共洋館と同じく設楽建築事務所の設計で大正9年の建物。
この真珠亭は親しい客人の接待に用いられたという。

IMG_1687_convert_20091101162105.jpg

池に張り出す形で建っている。今は荒れているが、紅殻壁に銅板葺の外観は、モノトーンでシックな色調の洋館と異なり華やかだ。

IMG_1692_convert_20091101162348.jpg

真珠亭の入口。和風とも中国風とつかぬ、不思議なデザインの建物である。
内部はかなり荒れているようだ。

IMG_1693_convert_20091101162649.jpg

軒下から庭園を望む。池には鯉が泳いでいる。
この建物の中から見る庭園はまた一層趣があるにちがいない。

IMG_1694_convert_20091101165835.jpg

庭園から見る真珠亭。
写真は新緑の時期に撮ったものだが、紅葉の時期もまた見ものであろう。

IMG_1706_convert_20091101164103.jpg

写真右手に真珠亭、分かりにくいが左奥にもうひとつの離れ座敷、松風閣が写っている。
洋館は神戸市の指定文化財だが、この日本庭園も神戸市より名勝に指定されている。
離れ座敷2棟は国の登録有形文化財である。
もともとは洋館も登録文化財だったが、めでたく指定文化財に昇格した。
離れも指定文化財級の価値があると思うのだが。

IMG_1705_convert_20091101163426.jpg

松風閣へ向かう。
途中、「つるはし」「かめはし」という二つの石橋を渡る。

IMG_1696_convert_20091101163142.jpg

松風閣は山の斜面、庭園の最高所に建てられている。
深山幽谷というと大袈裟だが、洋館周囲の雰囲気と比べると全く別世界。しかし距離にして目と鼻の先。地形を生かした面白い邸宅構成。

IMG_1700_convert_20091101163802.jpg

松風閣も現在は使用されていないようだ。
ただしこちらは真珠亭程荒れていないし、補修の手も入っている。

IMG_1697_convert_20091101164318.jpg

内部は書院造の座敷と数寄屋造の茶室から構成されているという。

IMG_1698_convert_20091101163253.jpg

土庇の真ん中を一段上げたり、玄関脇に円形の小窓を開けたり細部に趣向を凝らしている。

IMG_1704_convert_20091101163602.jpg

京都の清水寺本堂のような懸造になっている。

IMG_1702_convert_20091101162253.jpg

松風閣の前から見下ろした日本庭園の眺め。左手に真珠亭の屋根が見える。
庭園と離れの整備は、まだまだこれからのようである。

convert_20091103101400.jpg

旧西尾類蔵邸は神戸に残る大正時代の邸宅でも最も質が高く、かつ保存状態がよいものと言える。
いずれは全ての建物を重要文化財に指定して、保全を図るべきだと思う。
このような素晴らしい建物で食事をしたりできるのは大変有難いことである。

第23回・旧西尾類蔵邸(その1)

IMG_1718_convert_20091103100501.jpg

神戸・旧居留地で貿易商を営んでいた西尾類蔵氏の自邸兼迎賓館として、旧武庫離宮(現須磨離宮公園)に隣接した須磨の高台に建てられた。
大阪通天閣(初代)の設計で知られる設楽建築事務所の設計。大正9年(1920)竣工。
煉瓦造一部木造地階・塔屋付3階建。神戸市指定文化財。

convert_20091103101222.jpg

正面全景。この屋敷は現在も西尾氏の子孫が所有して居られるが、近年「神戸迎賓館須磨離宮」という名でレストラン兼結婚式場として利用できるようになった。

convert_20091103100052.jpg

正門。S字状の坂道を登る。

convert_20091103102420.jpg

堂々たる構えのドイツ風洋館。

convert_20091103095815.jpg

煉瓦造だが、外壁は白い化粧煉瓦(タイル)と鉄平石で飾られている。また二階部分は木の柱を露出したハーフチンバースタイル。

convert_20091103100334.jpg

鉄平石貼りのベイ・ウインドウ(張り出し窓)。

convert_20091103095902.jpg

重厚な車寄。

convert_20091103095945.jpg

正面玄関。

convert_20091103100200.jpg

白大理石貼りの階段を登り、玄関ホールへ。

convert_20091103100252.jpg

ホールから玄関を見下ろす。

convert_20091103102542.jpg

ホールへ入ると向かって右手に客間(写真奥)、左手に階段室がある。
現在は客間はレストラン利用者のための待合室として使われている。

convert_20091103101555.jpg

階段室の大階段。

convert_20091103100916.jpg

踊り場に設けられたステンドグラス。

convert_20091103102332.jpg

二階は日本座敷の大広間と来客用の寝室等で構成されている。
現在日本座敷は椅子と卓子を据えて披露宴会場として使っているが、床の間や書院、欄間の意匠はそのまま保存されている。

convert_20091103102123.jpg

1階客間。この部屋の隣には居間、執務室(書斎)、執務室の裏に食堂があり、いずれもレストランの食事部屋となっている。どの部屋もすばらしいものであったが、食事中の客が多く居る中で写真を撮りまくるのは憚られたので、残念ながら写真は無い。
ただし、ここは当初から建物を非常に売りにして開業したところなので、建物見学等の申し出に対してはスタッフは実に快く対応してくれる。別に撮影禁止というわけでもなんでもない。

convert_20091103110732.jpg

客間入口欄間のステンドグラス。館内には随所に美しいステンドグラスが多数嵌めこまれている。

convert_20091103102823.jpg

客間天井。日本建築に用いる網代がさりげなく用いられている。
洋室の内部意匠に網代を用いるのは、明治末~大正期の邸宅にしばしば見られる。

convert_20091103102952.jpg

洋館屋外テラス。食事で利用すれば、食後のお茶やお菓子をここで楽しむ事もできる。

convert_20091103103046.jpg

屋外テラスの一角にある階段。

convert_20091103105103.jpg

降りてみると

convert_20091103103354.jpg

庭園へ出るための通路であった。洞窟風の通路とは面白い。

convert_20091103101801.jpg

庭園から望む全景。実に見応えのある邸宅建築であったが、まだ終わりではない。
この洋館の裏には、山に沿って造られた日本庭園と大小2つの離れ座敷がある。
次回へつづく。



第22回・日本工業倶楽部会館

convert_20091022223538.jpg

大正9年(1920)、日本工業倶楽部の倶楽部会館・事務局として横河工務所(担当:松井貴太郎)設計、清水組(現清水建設)施工で竣工。
竣工後約80年を経て、老朽化等を理由に一時取り壊しが検討されたが、3分の1を保存、残り3分の2を解体後復元し、高層ビルと一体化された形で平成15年(2003)、改築工事が竣工。
写真手前の部分が保存された部分、中央玄関部より奥が一旦解体後、復元された部分。

convert_20091022222612.jpg

保存部分の側面外壁。ここだけはタイルが貼りかえられていないので、長い時間を経た風格がそのまま残されている。

convert_20091022222737.jpg

日本工業倶楽部は実業家の社交クラブ及び職能的経済団体として大正6年に設立された。
現在は経済団体としての役割は経団連、日経連等に譲り、純然たる財界人の社交クラブとして運営されている。
屋上正面の糸巻きを持った女とハンマーを持った男は紡績業と鉱業、つまり当時の日本の代表的工業を表している。

convert_20091022223000.jpg

外装を覆うタイルは保存部分の側面を除き全て新調されたが、上記の男女像や写真の正面玄関の石材は全て旧い部材を再利用している。

convert_20091022225044.jpg

玄関。通常は一般公開されていないが、平成17年に文化庁の近代化遺産公開事業の一環として内部を見学する機会を得た。

convert_20091022222208.jpg

1階ホール。ここは復元部分。天井の石工装飾等は解体時に型を取って再現したものらしい。

convert_20091022225121.jpg

ホールの中央正面に階段室があり、各階の踊り場には見事なステンドグラスがはめ込まれている。
玄関を入ると正面に階段があり、このステンドグラスが目に入る。

convert_20091022223437.jpg

2階ホール。重厚な雰囲気。木製の装飾柱や板は旧部材を再利用している。
12月だったのでクリスマスツリーが飾られていた。

convert_20091022223357.jpg

ホールとつながっている談話室。改築前は会員専用食堂だったが、改築を機に創建当初の用途に戻した。

convert_20091022223147.jpg

ホールの突き当たり(先程の写真の反対側)、大会堂入口。
天井の高さが違うので、階段を下りて行く。

convert_20091022223045.jpg

大会堂。ここは保存部分。したがって壁も床も柱も、大正9年当初のものが生きている。
保存部分は下層に大会堂・上層に大食堂があり、最も優れた内部空間を有する部分はそのまま保存した訳である。曲線で構成される天井と梁の美しさは圧巻。
なお、シャンデリアは新しくデザインされており、大正時代のものではない。

convert_20091022224823.jpg

三井財閥総帥・團琢磨、大正の電力王・福澤桃介、日産コンツェルン総帥・鮎川義介、「電力の鬼」として知られる松永安左エ門等々、経済史に名を残す錚々たる財界人達が出入りした空間が、ここではそのまま残っている。

convert_20091022225228.jpg

2階から3階への踊り場にあるステンドグラス。

convert_20091022222824.jpg

3階ホール。重厚な2階とは打って変わって、明るく華麗なる空間。
ここも、装飾柱等は旧部材を再利用して復元したもの。

convert_20091022223305.jpg

大食堂。先に紹介した大会堂の上にある。
大会堂よりも天井が高く、この建物で最も壮麗なる空間。
大正9年、この建物の竣工に際して記念式典がこの大食堂で催された。
そこで席上、祝辞を述べたのは時の首相、原敬である。

convert_20091022224909.jpg

大食堂を反対側から見る。壁際に並ぶ緑色の蛇紋岩の円柱と壁面の間に上半分だけ壁が設けられているが、これは大正12年の関東大震災後の補修工事に際して補強のため設けられたもの。
硝子製の、クラゲみたいなシャンデリアが繊細な漆喰細工の美しい天井によく調和している。

convert_20091022223226.jpg

大食堂正面。中央上部にはオーケストラ・ボックスが設けられている。
しかし改築後は狭められ、オーケストラが陣取るだけの奥行きはないらしい。

convert_20091022222532.jpg

大食堂の反対側にある貴賓室。ここは復元された部分。ただし暖炉も鏡もシャンデリアも大正9年当初のものである。照明器具は改築前から創建当初のものはほとんど残されていなかったが、貴賓室は創建当初のものが残されていた。

convert_20091022225153.jpg

階段室4→5階踊り場のステンドグラス。(3→4階踊り場のステンドグラスは2→3階のものと同じなので省略)

convert_20091022224400.jpg

高層ビルの足元に取り込まれた形の部分保存ではあるが、保存部分は無論、復元部分も旧部材を用いて丁寧に復元されており、大正建築の造形美が十分に残されていた。
改築・高層化という選択において、旧い建物を残すべく最善を尽くしたものと評価してよいのではないかと思う。







第21回・旧長野県知事公舎(小川村郷土歴史館)

convert_20140914085349.jpg

長野県上水内郡小川村大字高府にある小川村郷土歴史館の敷地内に、大正9年(1920)に建てられた旧長野県知事公舎の主要部分が長野市から移築保存・公開されている。

convert_2009103000430120140914.jpg

旧知事公舎は、知事の執務・接客空間である公邸部分と、私生活の場である私邸部分、及び土蔵で構成されていたが、移築に際しては公邸のみが保存されることになり、残る私邸・土蔵は破却された。

convert_2009103000455620140914.jpg

現存する旧長野県知事公舎公邸は、平屋建日本家屋と二階建洋館から構成される和洋併置式の住宅建築である。洋館部分の南側にはサンルーム兼テラスが設けられている。

convert_20140914085426.jpg

縁側のある日本家屋部分の南側。日本家屋は現在は洋館より少し大きい程度だが、現存しない私邸や土蔵を含めるともっと広大なものであったようである。

convert_2009103000392620140914.jpg

竣工以来約80年に亘り、知事官舎(公舎)として使用されたが平成15年(2003)に時の知事・田中康夫によって不要とされ、処分対象となった。最終的には西澤権一郎元知事(昭和34~55年在任)の出身地である小川村が引き取り、公邸部分のみ移築・保存されることになった。

_convert_2009103000380320140914.jpg

日本家屋、洋館にそれぞれ直接出入りできるようになっている知事官舎公邸玄関。
警察署廃止に対する反対運動が大規模騒擾に発展した大正15年(1926)の警廃事件では、知事官舎は群衆の襲撃を受け、警察署廃止を実行した梅谷光貞知事が官舎から引き摺り出され、暴行を受けるという事件もあった。

convert_20140914085407.jpg

公邸洋館玄関ホール内部。右手奥が二階への階段。

_convert_2009103000385220140914.jpg

知事官舎(公舎)には田中康夫の知事就任までは、戦前の官選知事から戦後の公選知事を含めた歴代知事が居住した。西澤権一郎知事時代には、写真の洋館一階広間で県予算の査定などが行われていたという。

convert_20140914085455.jpg

洋館一階広間の暖炉。
大正期の洋館らしい、直線を基調としたセセッション風の簡素なデザインの暖炉飾り。

convert_2009103000413520140914.jpg

洋館一階広間のシャンデリア。創建当初からのものかどうかは不明だが、戦前のものと思われる。

convert_2009103000421020140914.jpg

洋館ニ階への階段途中にある窓。一見ステンドグラスのように見えるが、硝子に直接絵が描きこまれている。ただし色が大分剥げ落ちているため、図柄はよく分からない。

convert_2009103000470020140914.jpg

二階出入り口欄間のステンドグラス。
幾何学文様。

convert_20140914104240.jpg

二階テラスへの出入り口のガラス戸は、すりガラス、透明ガラス、ステンドグラスを組み合わせたもの。

convert_2009103000462620140914.jpg

上記、ステンドグラス部分を拡大。葡萄の図柄。

convert_20140914085441.jpg

テラス側から見た洋館二階広間。

convert_2009103000520020140914.jpg

洋館二階広間の暖炉。簡素な意匠の象嵌細工など、一階の暖炉と同様大正期ならではのデザインである。
タイルは色合いが均一で深みが無いので、まず戦前のものではない。移築に際し貼り替えたものと思われる。

1_convert_20140503130151.jpg

展示されている旧長野県庁舎の模型。旧知事官舎より少し早い大正2年(1913)の竣工。西澤知事在任中の昭和39年に現庁舎建設のため解体。解体された旧庁舎は3分割され県内各地に移築・再利用された。現在は写真の正面部分のみ現存。(旧長野県庁舎は当ブログ第771回記事で紹介)

convert_20140914085515.jpg

日本家屋部分の内部。

convert_2009103000411020140914.jpg

床の間周りには西澤権一郎元知事の愛用の品などが飾られている。

convert_2009103000403920140914.jpg

知事公舎処分騒動の発端は、知事公舎が豪華過ぎるということに始まったように記憶する。歴史的建造物が政治家の小賢しいパフォーマンスの犠牲になってしまったのは腹立たしいが、部分的とはいえ建物を引き取り、保存活用された小川村には深く敬意を表したい。

(平成26年9月14日追記)
写真を追加、画像修整の上、写真の配列は並べ替え本文も全面的に修正しました。
プロフィール

syoukou

Author:syoukou
(ブログについて)
現存する近代日本の歴史的遺産(台湾など旧日本領土も含む)を建造物・土木構造物を中心に、思いつくままに取り上げております。

(写真について)
写真は特記しない限り管理人の撮影です。また絵葉書等の古写真は管理人の所蔵品、もしくは訪問先の展示品を撮影したものです。利用・転載等希望される場合は管理人まで御連絡頂けると幸いです。

(リンクについて)
リンクはフリーです。なお、リンクを張らせて頂いている他の方のページは一部を除き相互リンクとなっております。

(コメントについて)
記事と関係の無いコメントは削除させて頂く場合もあります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード