第60回・旧青木周蔵別邸

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栃木県は関東地方では東京、神奈川に次いで質の高い洋風建築が多く残っている県である。
その理由は、明治以降外国人リゾート地として繁栄した日光と、山縣有朋、松方正義ら維新の元勲達が農場開発を行った那須を有することに起因する。したがって彼等の別邸として建てられた洋風、和風のすぐれた邸宅が多く残されている訳である。第27回(旧ホーン邸)では日光の洋館を紹介したが、今回は那須の素晴らしい洋館を取り上げる。
明治期の外交官で外務大臣・駐米大使等も務めた青木周蔵(1844~1914)の那須別邸。国指定重要文化財。

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杉並木の先に旧青木邸が見える。
なお、創建当初の位置は現在よりもう少し奥であった。修復整備の際現在地に移されたが建物のロケーションは創建当初とほぼ変わっていない。

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明治21年(1888)建築。ただし当初は中央部分のみで左右対称の小さな洋館だったが明治42年の増築後、現在の形になった。当初は別邸であったが、増築後は青木周蔵の引退後の棲家として使っていたようだ。

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設計は松ヶ崎萬長。先日取り上げた旧司法省建設にも密接に関与したドイツ仕込みの建築家。
なお、現在は青木家の手を離れ、道の駅・明治の森黒磯の施設として公開されており、見学可能。
場所が場所なので、邸宅の周辺環境が創建時と大して変っていない。これはきわめて珍しく貴重。
(現存する戦前の邸宅の大概は、建物周辺のごくわずかな敷地を残して、周囲は宅地化、都市化しているのが定番である)

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特徴的な窓。

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ベランダ。

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裏側からの眺め。手前側は台所など邸宅のサービス空間が入っている。

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裏側正面。表とほぼ同じデザインであることが分かる。

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この洋館の外観の大きな特徴として、シングルと呼ばれる木の板を一面に貼りつめた外壁である。2階部分だけ等、部分的に用いた例は他にもあるが全面的に貼りめぐらせるのは珍しい。

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うろこ形と蔦の葉形の2種類のシングル板が用いられている。

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インテリアは明治の洋館としてはかなり簡素。写真の部分はその中でも最も華やかな部分と思う。
真ん中に置かれた鏡台はこの家で実際に使っていたもの。

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食堂。青木周蔵は敷地内に多くの鹿を放し、鹿狩りを趣味としていた。
ここで来客に狩った鹿を料理して饗していたのであろう。鹿を御馳走になった来客からの礼状も展示されていた。

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応接間の暖炉。暖炉のデザインはどの部屋も同じ。煙突と暖炉の内側には大谷石が使われている。大谷石は栃木県産なので、栃木では大谷石を用いた建築がよく見られる。

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青木周蔵が乗っていた馬車が展示されていた。

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2階階段室。右手階段は屋根裏につながっている。

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二階和室。しかし洋室の床に畳を敷いただけで造りは完全な洋室。
青木周蔵は「畳の上に座るのは苦痛」と自ら言ってる人物なので、来客の宿泊用だろうか。
ちなみにこの部屋は、1枚目の正面写真の右上の部分。外観を見れば変な造りの天井の由来が分かると思う。
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第59回・旧土岐家住宅洋館

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群馬県沼田市の沼田公園内にある旧土岐家住宅洋館は、大正13年(1924)に旧沼田藩主であった土岐家の当主・土岐章子爵の住まいとして、現在の東京都渋谷区広尾に建てられた。平成2年(1990)に洋館部分が土岐家より沼田市に寄贈、現在地に移築された。ドイツの郊外別荘風の外観が特徴の和洋折衷住宅である。国登録有形文化財。

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土岐家は、江戸時代中期の寛保2年(1742)から明治2年(1869)の版籍奉還まで127年にわたり沼田藩主を務め、明治維新後は子爵に列せられた。この邸宅を建てた土岐章(1892~1979)は、最後の沼田藩主である土岐頼知の子で、土岐家の十四代目当主である。

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土岐章が子爵家の家督を継いだ頃には家産が大きく傾いており、そのためか大学卒業後の一時期はパンの製造販売に乗り出すなど、戦前の華族では少々異色の経歴を有する人物である。その後昭和に入ると貴族院議員に選ばれ、敗戦後の貴族院廃止までは政治家として活躍した。なお、その経歴から「パンの殿様」とも称されたという。

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パンの製造販売を経て、東京日本橋でワインの製造販売を手掛けていた近藤商会に入社した土岐章子爵は、発酵学の研究のためドイツに派遣されるが、留学中の大正12年(1923)に関東大震災が発生、日本に戻ることになる。帰朝後新たに土地を求め新築したのが現在残る邸宅である。

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昭和54年(1979)に土岐章元子爵は死去するが、その後も夫人が引き続き居住、使用されていた。平成2年(1990)に、当時の土岐家当主であった鉄道技術者の土岐實光(1922~2011)氏によって洋館部分が沼田市に寄贈され、沼田城址に作られた沼田公園の一角に移築された。

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現存するのは洋館部分のみであるが、内部は和洋折衷となっている。1・2階とも、写真の右半分は和室、テラスの張り出した左半分が洋室となっている。

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館内に展示されている新築当時の設計図の写し。洋館和室部分の先に平屋建ての和風建築が続いていた。また、和洋館の境目に当たる位置には半円形と思われる形状のサンルームが張り出していたようである。

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背面。勝手口の照明や、不規則な形状の銅版を貼り重ねた庇の軒裏などは少々凝ったデザインとなっている。

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玄関の裏手には大谷石の軒飾りを廻した納戸が設けられている。

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変化に富んだ正面外観。ドイツの郊外別荘を模したデザインとされるが、邸宅を新築する直前までドイツに滞在していた土岐章子爵の意向を反映させたものと思われる。但し先述のとおり、外観とは裏腹に室内は約半分が和室で構成されている。

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「牛の目窓」と称される横長の屋根窓はドイツの民家に見られるもので、日本では同時期のドイツ風意匠の洋館である大阪の旧谷口房蔵別邸(大正11年)の屋根にも、同様の意匠を見ることができる。

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設計は伊藤平三郎、施工は森田錠三郎とされるが詳しい経歴等は不詳。大正13年8月に着工、同年12月に竣工したという。

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かつては土岐家の庭園に張り出していたと思われるテラス。土岐章子爵は敗戦後の食糧事情の悪い時期には、かつての経験を活かして邸宅の庭先にパン窯を築き、自らパンを焼いていたという。

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玄関上部のアーチに嵌め込まれたモルタル彫刻のレリーフ。

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玄関脇の照明器具も凝ったデザインである。

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玄関のステンドグラス。同じデザインの窓が3つ連なっている。

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玄関の照明器具と同様、渦巻き状の模様が特徴。

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玄関ホールの先に応接間が設けられている。部屋の隅に切られた暖炉を除き、全体的に簡素な造りの洋室である。なお、突きあたりの硝子戸は外のテラスに続いている。

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応接間の隅には、抽象的なデザインを施した石積みの暖炉が設けられている。暖炉棚の上に土岐章子爵の肖像が飾られている。

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室内は外観ほど凝った造形は見られないが、この暖炉は材料、デザイン共に他であまり見かけない珍しいものである。

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応接間の奥に配された和室。
1階は主要な居室としては以上の2室のみで、その他は玄関ホール、書生室、トイレ、洗面所、納戸等がある。

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2階へ続く階段の親柱にも、ワラビのような渦巻状の装飾が見られる。

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2階も1階と同様に、和・洋1室ずつを配する構成となっている。写真は書斎。

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1階内部の見どころが応接間の暖炉とすれば、2階の見どころは座敷である。一見普通の床の間、書院窓を備えた日本座敷であるが、殿様の屋敷にふさわしく、一段床を高く上げた上段の間が設けられている。

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上段の間を正面から望む。公開されていないが、上段の間の奥には着替え用の小部屋が設けられているという。旧土岐子爵邸洋館は、旧藩主である土岐子爵家の接客内容が部屋の造りに現れている点でも興味深い建物である。

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旧土岐家住宅洋館は平成29年現在、沼田市によって現在建っている旧沼田城址の整備に伴い、中心街への再移築が検討されている。再移築予定地は明治後期の擬洋風建築である旧沼田貯蓄銀行の隣接地であるという。どのように利活用がなされていくかは未知数であるが、再移築を機に、現存しない日本家屋やサンルームも外観だけでも再現されないだろうか。

(追記)
本記事は平成29年3月13日に写真、記事本文ともに全面的に差し替えの上、書き改めました。

(参考資料)
「歴史遺産日本の洋館第4巻 大正編Ⅱ」藤森照信・増田彰久

第58回・旧司法省庁舎(法務省赤れんが棟)

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東京・霞が関に唯一残る明治期竣工の中央官庁庁舎である。明治28年(1895)完成。
当時政府がドイツ人建築家ヘルマン・エンデ、ヴィルヘルム・ベックマンに依嘱して推進していた官庁集中計画の一環として建設されたものである。
なお、同計画は当初の構想に反し、最終的に完成を見たのはこの司法省庁舎と隣接して建てられた大審院(現在の最高裁判所)庁舎のみである。

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実施設計と工事監理はエンデに建築を学んだ河合浩蔵(第53回・相楽園参照)が担当している。
奥には現在東京地裁・高裁庁舎が建っているがかつては大審院庁舎が建っていた。

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昭和20年3月10日の東京大空襲で外壁を残して焼失した。なお、この3月10日の空襲では隣接する大審院および有楽町の東京都庁(旧東京府庁・東京市役所)も焼失している。
言うまでもないが、同日深川等下町方面では10万人の犠牲者が出ている。

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昭和26年に改修工事完成。以後法務省庁舎として使われる。改修に際しては屋根が簡素な瓦屋根に変更、外壁も上部が削られ側面および背面のベランダ石柱は撤去された。
(写真は正面なので上部の石柱は創建時からのオリジナル)
なお、隣接の大審院も昭和24年改修、以降最高裁庁舎として使われたが別の場所に現庁舎が完成後、破壊され現存しない。その後の現状は1,2枚目の写真のとおり。

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平成6年に復原改修工事が完成、外観は創建当初の姿に復した。同年国指定重要文化財となる。
現在は法務省庁舎の一部として使用されている。

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司法省庁舎と司法大臣公邸を併設したためか、中央部分に玄関を置かず左右にそれぞれの玄関を配置する珍しい構成。
写真は正面向かって左側の入口。

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玄関から廊下、階段室は戦災復旧工事の際の内装を保全している。その他の部屋は現役の庁舎として使用するべく平成期の改修に際して一新されている。
(ただし、旧司法大臣公邸食堂部分のみ、創建当初のインテリアが復元され展示室に当てられている)

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廊下。

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半円形の階段室と照明。

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階段室外観。

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背面。こちらの上部石柱は平成に入って復原した部分。
後ろに写るのは警視庁庁舎の塔。

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同じく背面。

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皇居の濠に面した側面。

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背面から皇居側(桜田門のあたり)を見る。(1枚目の写真と丁度正反対の位置)
皇居側をバックにして撮ったときは、余計なものが何も写らずに済む。

第57回・旧栃木県庁舎

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戦前の県庁舎のうち、部分的に保存されているものが何件かある。
昭和13年(1938)竣工の旧栃木県庁舎は新庁舎完成後、正面中央部分のみが敷地内で曳家の上保存されている。
現在は「昭和館」の名前で公開されている。

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設計者は重要文化財の早稲田大学大隈講堂や東京の日比谷公会堂も設計で知られる佐藤功一。
県庁舎も多く手掛けており、群馬(昭和5・登録文化財)、宮城(昭和6・破壊され現存せず)、栃木、滋賀(昭和14)の4箇所。

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因みに佐藤は栃木出身。

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玄関。

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玄関ホール。

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貴賓室。

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階段室周りは壁一面にタイルを貼りめぐらしている。タイルの質感がすばらしい。
佐藤は陶芸を好み、建築においてもタイル、テラコッタといった陶器を建物の内外に多用した作品が多い。

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階段室のステンドグラス。

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3階正庁前廊下。

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正庁。この建物の一番の見どころ。

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天井の繊細な石膏細工。

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東京丸の内の日本工業倶楽部会館の大食堂を思わせる。

第56回・旧山崎家別邸

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大正14年(1925)に埼玉県川越に建てられた、和洋折衷式の小規模な別邸建築。地元の有力者で和菓子の老舗、亀屋の主・山崎家の隠居所。現在は山崎家の手を離れ、川越市が所有・管理している。川越市指定文化財。

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庭園から望む母屋。二階建の小規模な洋館に平屋の座敷が付く構成。
蔵造りの家が立ち並ぶ表通りから少し離れた路地裏に建つ、いかにも別宅といった佇まい。

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門を入ってすぐの場所にある待合。人力車の車夫等が控える場所として使われたのではないかとのこと。

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重厚な蔵造りの本宅とは異なり、別宅にふさわしい軽快な造りの玄関。

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玄関のある洋館部分の一階外壁はドイツ壁仕上げ、二階は同じくモルタル塗り仕上げながら横目地を切った磨き壁とする。

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階段室のステンドグラス。

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同じく階段室下部のステンドグラス。この二枚のステンドグラスのうち上部のものは、大正期を中心に活躍したステンドグラス作家・小川三知(1867~1928)の制作。

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洋館の脇には、母屋と外壁の意匠を揃えた土蔵がある。また屋根も母屋と同様に緑色の洋瓦で葺いている。

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戦前の邸宅の面白い所のひとつは、土蔵ひとつ取っても伝統的意匠あり、洋風あり、和洋折衷ありで飽きない。
しかしながら土蔵の配置は必ずといっていいほど北西(乾の方角)に配置されている。伝統的な配置と近代的な意匠の取り合わせが面白い。

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玄関に戻る。薄緑色の色硝子が実にいい雰囲気を醸し出している。

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設計者及び施工者は旧八十五銀行本店と同じく保岡勝也設計、印藤順造施工。

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保岡勝也は早くから大邸宅ではない中小住宅の設計に本格的に取り組んだ建築家としても知られる。旧山﨑家別邸はそのような中小住宅の数少ない現存例である。内部も家具や照明器具が創建当時のものが残り、保存状態も極めてよい。

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洋館一階応接間の窓のステンドグラス。こちらは小川三知ではなく、大正から昭和戦前に多くの建物のステンドグラスを手掛けていた別府七郎の作品と言われている。

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食堂前のテラス。
別邸の施主・五代目山崎嘉七は、保岡勝也が本店建物を設計した第八十五銀行の副頭取も務めて居る。隠居所として建てたものの、五代目嘉七氏は竣工後間もなく死去したため、山﨑家の迎賓館として使われていたようである。

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応接間に付随したテラス。
山崎家別邸は川越を訪れる貴賓の接待・宿泊所にも充てられ、朝香宮殿下、李王垠殿下など皇族方の御宿所にも使われた。現在も庭園には李王垠殿下御手植えの松がある。

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このテラスで貴賓を迎え、撮った記念写真が今も多く残されている。

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内部は公開されていないが、洋館・日本座敷共に非常に質の高いものである。
日本座敷は数寄屋風の洗練されたもので材料・意匠共に優れている。なお写真は縁側から撮ったものである。

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庭園と庭園にある茶室も、母屋と同じく保岡勝也の設計による。

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保岡勝也は茶室を始めとする数寄屋建築の研究者としても知られ、著作も残る。

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旧山崎家別邸では、茶室と庭園についても自らの研究を実作に反映させている。

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川越市では庭園の公開を平成25年10月で一時休止、約2年間の建物及び庭園の復元整備を行い、再公開する予定であるという。

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再公開の際は建物内部も公開されるようなので、楽しみである。

注:本記事は平成25年10月21日に山崎家本宅の記事公開と併せて、写真の差替・追加を行うと同時に本文も書き改めました。

(平成29年4月16日追記)

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修復が終わり、平成28年3月から室内も含めて公開されるようになった旧山﨑家別邸。

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洋館正面。

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洋館に隣接し、外観は洋風意匠を施された土蔵。

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人力車夫の待機用に設けられた伴待。

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内玄関側からの全景。

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庭園側からの全景。修復後庭園は保護のため、一部を除き立ち入り禁止となっている。

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茶室。

旧山﨑家別邸内部については、こちらの第1078回記事を参照されたい。

第55回・旧羽室家住宅

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大阪北部の郊外都市である豊中市に、昭和戦前の宅地開発に伴い建てられた和洋折衷の住宅建築が昨年より豊中市の手で保存修復の上、公開されている。
昭和12年(1937)、住友化学工業の重役であった羽室廣一氏の住居として建てられたもの。国登録有形文化財。
現在は敷地内に残る戦国時代の城館・旧原田城跡(豊中市指定史跡)と併せて土日のみ公開されている。
写真は旧羽室邸の門。ただしこの門は現在閉ざされており、敷地には別に新たに造られた門から入る。

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閉ざされている門から玄関へのアプローチ。前回の旧又野邸と似て坂道を一寸登る形になる。

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庭から見た全景。二階建て母屋に平屋建ての離れ座敷が繋がっている。(写真右手)
改修に際して一階部分の庇を瓦葺から銅板葺に改変している。耐震性向上のため屋根を軽量化したと展示の解説にあった。

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外壁はクリーム色のモルタル塗り仕上げ、木部を白ペンキ塗りにした和洋折衷の外観。
ただし全体的に軒を深く出した和風の造り。

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サンルームとテラス。外観で最も洋風色の強い部分。

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客用玄関。伴待ち風の腰掛が設えられている。
この奥には家族用の内玄関があるが、こちらは和風の引き戸になっていた。

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応接間の暖炉。昭和10年代のものらしいアールデコ風のデザイン。
ストーブも古い。

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応接間と続き間になっているサンルーム。

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食堂も洋風に造られている。暖炉の奥は造りつけの食器棚。食器棚の真ん中は配膳口で台所とつながっている。

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食堂暖炉(実質はストーブ置場)。金網と縄暖簾みたいな鎖で囲ったデザインは珍しい。

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暖炉脇のガス燈。戦前(大正年間)の住宅でガス燈と電燈を併用していた事例はあるが(当時の電気供給は今日と比べると非常に不安定であったため)、昭和12年竣工の当家の場合は装飾的なものではないかと思う。(他の部屋にはガス燈は無い)

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応接間隣の数寄屋風座敷。

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離れの畳廊下。

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離れ仏間。

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離れ主座敷。炉が切られており、茶室としても使える。床の間、床脇の装飾も茶室風である。
洋室、和室共に前回の旧又野邸と同時期の建築として比較して見て頂くと面白いと思う。

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玄関脇の土蔵入口脇にある写真の暗室。写真を趣味にする人が居たのであろう。

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土蔵内部。古道具類が残されている。右手前にあるのは戦前のラジオ蓄音機か?

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土蔵外観。前回の旧又野邸内の土蔵と比べると母屋と同じモルタル塗りで軒の出も浅く、モダンな母屋に合わせていることが分かる。

第54回・旧又野家住宅(旧木下家住宅)

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神戸市の西端、舞子公園に昭和戦前の優れた和風建築が残されている。しかも昭和16~18年竣工で戦前最後の建築と言っても差し支えない。貸船業を営んでいた又野良助氏の居宅として昭和16~18(1941~43)年に建築、その後昭和27年、明石で鉄工所を営む木下氏に所有が移る。平成12年木下氏より土地と建物が兵庫県に寄贈され、舞子公園の施設として、修復工事が終わった平成21年より一般公開された。

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門をくぐると緑に包まれた坂道を暫く登る。

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坂道を登ると瀟洒な母屋と庭園が眼前に広がる。

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テラスを備えたモダンな応接間。

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伝統的な造りの書院座敷。この部分は昭和18年の増築。

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応接間から庭園を望む。庭園からは淡路島も見える。

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応接間。窓硝子、飾り棚、照明器具等、質の高いアールデコ風の装飾が施されている。

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応接間全景。家具も創建当初のものがよく残されている。

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座敷床の間。

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座敷隣室。当初は茶席として設計されたため水屋が設えられている。

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サンルーム。天井は船底天井。どの部屋も大変明るく風通しよく造られているのがこの家の特徴。戦時下の建築というだけでなく、昭和も10年代となると家の造り方にしてもモダンな考え方が一般的になりつつあったことが分かる。

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ここからは昭和18年の増築。この座敷は仏間として建てられた。

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茶席の待合として建てられた部屋の丸窓。ただし日常は子息の勉強部屋として使われた由。

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茶室の床の間。仏間、待合、茶席はいずれも昭和18年の増築。
戦局が不利になりつつあったこの時期によくこのような普請が出来たものと思う。

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敷地の裏手にある土蔵。又野氏より木下氏へ所有が移った昭和27~8年頃に他所より木下氏により移築されたもの。

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舞子之浜界隈は明石海峡大橋架橋に伴い、道路が拡幅され、高層マンションが増えてかつての別荘地の面影はかなり薄れてしまった。
旧又野邸は旧日下部汽船別荘(現舞子ホテル)、六角堂(移情閣)、復元工事中の旧鐘紡舞子倶楽部(旧武藤山治邸)と共に往年の舞子之浜界隈を偲ぶことができる貴重な場所である。

第53回・相楽園(旧小寺家厩舎他)

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前回取り上げた旧ハッサム邸が保存されているのがここ相楽園。大地主小寺泰次郎の邸宅を昭和16年に子息で政治家の謙吉(戦後間もなく神戸市長に当選、在職中死去)から神戸市に寄贈されたもの。邸宅は戦災で焼失したが門、塀、厩舎、日本庭園は旧状をよく残している。兵庫県庁の目と鼻の先に存在するが、市街地の中とは思えない別天地の趣がある。

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門を入ってすぐにある建物。現在は切符売場だが、もとの門衛所か何かではないかと思う。

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旧小寺邸の規模が偲ばれる厩舎。明治43年頃の建築で国指定重要文化財。
神戸を拠点に活躍した河合浩蔵の設計になるドイツ風建築。なお、今も神戸には河合浩蔵設計の建築がいくつか残る。
(旧奥平野浄水場ポンプ場上屋(大正6)、旧兼松商店日豪館(明治44、現海岸ビルヂング)のほか、外壁しか残っていないが神戸地方裁判所(明治37)、旧三井物産神戸支店(大正7、現海岸ビル))

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円筒形の部分は階段。

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高い天井を有する馬房。

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正面向かって左側は下層が車庫、上層が厩務員のための畳敷きの部屋。

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馬房の天井。

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車庫には小寺謙吉氏が使用した馬車が今も保存されている。いつごろのものだろうか。
昭和も戦前になると上流階級は自動車を使う時代なので明治~大正頃のものかも知れない。

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旧ハッサム邸と同様外部から移築保存された歴史的建築物に、この船屋形がある。
もとは旧姫路藩主が用いていた川御座船の屋形部分。17世紀~18世紀初頭のものと推測されている。国指定重要文化財。

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5月頃はツツジが美しい。

第52回・旧ハッサム邸

※暫く御無沙汰をして大変失礼しました。また再開させていただきますので宜しくお願いいたします。

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神戸に建てられた異人館のうち、代表的なもののひとつ。明治35年(1902)に印度系英国人ハッサムの住居として建てられた。昭和38年に現在の相楽園(元神戸市長小寺兼吉の邸宅跡)に移築。国指定重要文化財。

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設計はハンセル。以前取り上げたシュエケ邸(11/23付、第43回・旧ハンセル邸)と同じ。

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玄関欄間のファンライト。硝子に模様が入っているがこれは絵入り砂摺り硝子と思われる。
明治期の建築に時折見かけられるが、和風建築が多く洋館に用いられるのは珍しいと思う。

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黒大理石の暖炉。

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同じデザインで、白大理石の暖炉。

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2階階段ホール。

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ベランダから相楽園の庭を望む。
なお、第1回で取り上げた旧兵庫県庁舎はここから歩いて5分もかからない距離にある。
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