第87回・布引・烏原・千刈貯水池

布引貯水池

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烏原貯水池

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千刈貯水池

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第86回・大原美術館本館

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岡山県倉敷市にある大原美術館は、古い町並みが観光名所となっている倉敷美観地区の中に建つ私設美術館である。ギリシャ神殿風の外観を持つ本館は昭和5年(1930)の竣工である。

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倉敷美観地区の眺め。大原美術館の手前には美術館の創設者である実業家・大原孫三郎(1880~1943)が頭取を務めていた旧第一合同銀行倉敷支店や大原家本宅・別宅など、大原家関係の建物が集中している。これらの建物の設計は本宅を除き、大原が重用していた建築家の薬師寺主計(1884~1965)の手になる。

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大原家本宅・別宅の間の路地から望む大原美術館本館。右の白壁土蔵造の家屋が本宅、左手の黄土色の塀が別宅。

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美術館の手前を流れる倉敷川(新川)越しから望む大原美術館本館。前に架かる今橋は大正15年(1926)に皇太子(のちの昭和天皇)行啓を記念して倉敷町(当時)が架け替えたもの。

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大原孫三郎は架け替えにかかる工費のほとんどを自ら負担する代わりに、先述の薬師寺主計や大原がパトロンとして援助していた洋画家の児島虎次郎(1881~1929)にデザインを担当させて中国風のアーチ橋を架けた。なお石橋に見えるが構造は鉄筋コンクリート造である。

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大原美術館は児島虎次郎(昭和4年に死去)が収集した、西洋美術、エジプト・中近東美術、中国美術などを展示するために建設された。西洋近代美術を扱う美術館としては、我国では初めての存在であった。

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建設当時の日本経済は深刻な不況の中にあり、大原孫三郎の事業も思わしくない状況であったが、大原は児島の生前の望みであった美術館設立を実現してみせた。

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大原孫三郎の信用が極めて篤かった薬師寺主計は施主の希望に応えるべく、なるべく工費をかけずに質の高い美術館建築の建設を目指した。工費を安く上げる工夫のひとつに石造風の外壁があり、実は石ではなく着色セメントを用いた人造石塗り仕上げである。

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玄関上部のステンドグラスを用いた照明燈と、二階の円形窓。

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大原美術館は設立後コレクションの充実に伴い展示館を度々増設している。写真は戦後新たに展示館として改装された土蔵群。

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大原美術館本館は、倉敷を代表する建物の一つである。

(平成26年9月11日追記)
写真を画像修整の上配列を並べ替え一部を追加・差替、及び本文を追加致しました。

第85回・旧大原孫三郎別邸(有隣荘・緑御殿)

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第84回・旧第一合同銀行倉敷支店(中国銀行倉敷本町出張所)

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岡山県倉敷市本町にある中国銀行倉敷本町出張所の建物は、大正11年(1922)に第一合同銀行倉敷支店として建てられた。大正から昭和初期にかけて大原美術館など、倉敷を代表する建物を多く手掛けた薬師寺主計の設計による。

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倉敷の古い町並みの一角に建つ旧第一合同銀行倉敷支店。現在は銅板葺きになっている屋根は創建当初、天然スレートで葺かれていた。

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構造は主要部を鉄筋コンクリート造として、一部は煉瓦造か石造、もしくは木造という珍しい混合構造になっている。

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第一合同銀行は大正8年(1919)、この地に本店があった倉敷銀行をはじめとする岡山県内の6つの銀行が合併して設立された地方銀行であり、現在の中国銀行の前身のひとつである。

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初代頭取には倉敷銀行頭取であった大原孫三郎(1880~1943)が就任、本店は大原家本宅に隣接する旧倉敷銀行本店跡地に建てられることになった。大原孫三郎は大原財閥を築き上げた実業家であると同時に、大原美術館の設立など文化事業への取り組みでも知られる。

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現在、観光地として名高い倉敷の古い町並みの中には、旧第一合同銀行や大原美術館など大原孫三郎の遺産とも言える洋風建築が彩りを添えている。

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大原孫三郎の下で、これらの洋風建築の設計を行った建築家が薬師寺主計(1884~1965)である。薬師寺は岡山県総社市の出身で大学卒業後陸軍省の技師として勤務していたが、大原に乞われて転職、その後大原家関係の建物の設計を一手に引き受ける。

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第一合同銀行倉敷支店はその中でも薬師寺設計による最初の建物であった。なお岡山市にあった第一合同銀行本店(昭和2年竣工)も薬師寺の設計で、平成元年に解体されるまで中国銀行本店として使われていた。

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一階の窓に並ぶ半円アーチ形の欄間にはステンドグラスがはめ込まれている。制作は大正から昭和にかけて、関西を中心に多くの建物をステンドグラスで飾った木内真太郎による。

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現在も現役の銀行店舗である。

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旧第一合同銀行の他に、大原美術館など倉敷に残る近代建築物については、また回を改めて紹介したい。

(平成26年9月10日追記)
写真を画像修整の上で配列を並べ替え、本文を追加致しました。

第83回・慶應義塾大学図書館・塾監局

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第82回・旧小笠原伯爵邸

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第81回・道後温泉本館

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愛媛県松山市道後湯之町にある道後温泉本館は、道後温泉のシンボルであると同時に、明治の建物ではあるが今も現役の温泉共同浴場である。明治27年(1894)から昭和10年(1935)にかけての度々の増改築を経て、現在の姿が出来上がった。国指定重要文化財。

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度重なる増改築を経て完成したためか、非常に複雑な形状の建物となっている。

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写真奥の、赤い色ガラスが嵌め込まれた塔屋が載る3階建の部分が明治27年(1894)竣工の神の湯本館で、道後温泉本館の中では最も古い部分である。写真手前の玄関棟及びそれに続く南棟は大正13年(1924)の竣工。

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上記写真の反対側からみた道後温泉本館。写真右手が神の湯本館、左手の銅板葺屋根の建物が、明治32年(1899)竣工の又新殿(ゆうしんでん)・霊(たま)の湯棟。その他昭和10年(1935)に事務棟の増築等が行われている。

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又新殿は皇族専用の浴場で、玄関も別に設けられている。現在は銅板で葺かれている屋根は当初は檜皮葺であった。

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神の湯本館の周囲に配された鉄柵の上部には造り物の白鷺がいる。これは一羽の白鷺が温泉で脚の傷を癒していたという、道後温泉発見の故事に因むもの。なお、道後温泉は「日本書紀」にも登場する我国最古の温泉とされている。

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道後温泉本館を建てたのは、道後湯之町(現在は松山市に編入)の初代町長を務めた伊佐庭如矢(いさにわゆきや 1828~1907)。現在の道後温泉発展の基を築いた人物である。

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松山藩の町医者の子として生まれ、愛媛県吏員や高松中学校長を歴任していた伊佐庭は明治23年(1890)に道後湯之町長に就任、道後温泉の観光地としての発展を目指し、共同浴場を壮大な木造三層楼に改築することを提案する。

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莫大な工費を要する計画に当初は多くの町民が激しく反対するが、費用の一部とするため自らは無給で町長の任に当たる伊佐庭の説得に、やがて町民もこの大計画を受け入れ、道後温泉本館は完成に漕ぎつける。(当初完成したのは上述の通り神の湯本館のみ)

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松山城の世襲棟梁であった坂本又八郎を起用して建てられた神の湯本館は、屋上に振鷺閣(しんろかく)と名付けた楼閣を設け、赤い色硝子を入れるなど洋風建築の要素も加えた明治時代らしい建物となった。なお振鷺閣には太鼓が置かれ、今でも定期的に打ち鳴らして時を告げている。

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内部は一階(一部の浴場は二階にもある)に共同浴場、二階から上は休憩用の座敷が設けられている。写真は神の湯本館二階の大広間。

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大広間の床の間。

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欄干には水紋模様の透かし彫りが施されている。

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神の湯本館の三階には個室の休憩室もある。

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床の間の円形窓。

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伊佐庭如矢町長の予見は見事に的中し、道後温泉は日本有数の温泉観光地となった。今では道後温泉本館は現地のシンボルとして欠かせないものとなっている。

(平成26年9月3日追記)
写真を画像修整の上配列を並べ替え、本文を追加致しました。

第80回・北投温泉博物館

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第79回・川奈ホテル

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静岡県伊東市川奈にある川奈ホテルは、昭和11年(1936)に大倉財閥の二代目・大倉喜七郎男爵によって開かれたゴルフリゾートホテル。スパニッシュスタイルの外観や英国風に仕上げられた重厚な大広間など、昭和初期のリゾートホテルの姿を現在に伝えている。

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昭和3年(1928)、大倉喜七郎(1882~1963)男爵によってこの地にゴルフ場が開かれ、上流階級や外国人の人気を博していた。これに目を付けた静岡県(内務省)が「ゴルフ税」を導入し利用客から徴税することを発案すると、大倉男爵は激しく反発しゴルフ場を閉鎖して対抗、全面対決に至った。

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当時、外国人観光客を誘致するためのホテル建設を各地で推進していた鉄道省国際観光局はこの状態を憂慮し、仲介に乗り出した。その結果、静岡県が事業主となり大倉財閥が大蔵省からの低利融資を受けて実施する形で、ゴルフを主としたリゾートホテルが誕生することになる。

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このように国が各種の便宜を図り、財閥や事業家によって建設された「国策ホテル」は川奈ホテルの他にも各地に存在する。現在も当時の建物が残されているものとして、雲仙観光ホテル(長崎県)、蒲郡ホテル(愛知県)、志賀高原温泉ホテル(長野県)、琵琶湖ホテル(滋賀県)などがある。

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手前の建物が昭和11年竣工の本館。奥の望楼を備えた建物は客室棟で、昭和32年(1957)の火災を受け翌年にかけて建て替えられたもの。当初は本館と同じ3階建で、特に望楼部分は和風の入母屋屋根が載っており、愛知県庁舎九段会館のような帝冠様式を連想させる姿であった。

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本館は外観、内装共に創建当初の佇まいがそのまま残されている。設計は戦前から戦後にかけて数多くのホテル建築を手掛けた高橋貞太郎による。現在はこの本館を挟む形で上述の客室棟や浴室棟、宴会室棟、ゴルフ用のクラブハウスが連なっているが、外観は全て本館と同じくスパニッシュスタイルで統一されている。

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玄関を入るとロビーとフロントがあり、その先に大広間へ続く硝子戸の扉がある。

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扉を開くと、英国風のチューダースタイルで仕上げられた重厚な大広間が現れる。

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外観は温暖な伊東の地をリビエラなど南欧のリゾート地に見立て、当時流行していたスパニッシュ様式が採用されているが、室内は英国のチューダー様式を中心にまとめられており、英国留学の経験がある大倉喜七郎男爵の趣味を反映したものになっている。

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大広間の暖炉。

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大広間から庭に続くテラス。
大広間を始めとする主要な部屋からは伊豆の海が一望できる。

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大東亜戦争中の昭和17年(1942)から敗戦までは海軍の徴用を受け、海軍病院として利用されていた。また敗戦後は全国各地のホテルや大邸宅の例に漏れず、米軍に接収された歴史を有している。

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大広間に隣接して階段を備えた小さなホールを挟み、大食堂(ダイニングルーム)とサンパーラーを配する。写真はホール中二階及び地階へ続く階段。

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ホールの中二階となっている部分は読書室となっており、大広間とサンパーラーを上から見渡すことができる。

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サンパーラー。外観の半円形に張り出した部分に当たる。フロリダやマイアミの別荘を思わせる造りとなっており、入口上部の窓は上述の読書室に当たる。

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大広間やサンパーラーは照明器具から家具の配置に至るまで、昭和11年開業当時の姿がほぼそのまま残されている。

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サンパーラーの周囲にはタイル張りのテラスを巡らせる。

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大食堂(ダイニングルーム)内部。木組みを見せた天井などチューダー風の重厚さも見せるが、全体的にはモダンで明るい印象の食堂である。なお、大食堂の下には軽食堂(グリル)が設けられているが、こちらはごく簡素な造りとなっている。

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大食堂の中央壁面にはタイル張りの噴泉が配されており、このあたりは外観に対応したスパニッシュ風の造りになっている。

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大食堂天井の小窓に配されたステンドグラス。

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地階グリルの入口脇にはかつてのバーカウンターが残されている。現在、バーは昭和33年に建て替えられた客室棟1階に移転しており、このカウンターは使われていない。

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大広間に戻り、暖炉脇の扉をくぐると映写室を兼ねた談話室がある。こちらも堂々とした暖炉を備えた重厚な部屋である。

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談話室の暖炉。大広間の暖炉とは背中合わせになっている。

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大広間と談話室の暖炉は、現在でも冬季のうち一時期のみ薪を焚いているようだ。
現役で使われている暖炉は極めて少なく、貴重である。

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ギャラリーに張り出したボックスはかつて映写機が納まっていた部分で、背面の扉には現在も「CINE BOX」の文字が残されていた。

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二階ギャラリーから談話室を望む。当時はこの部屋で映画などを上映していたものと思われる。

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談話室の奥にはこじんまりとした造りの婦人用談話室が設けられており、タイル貼りの暖炉(火を焚かない形だけのもの)が設けられている。現在は囲碁将棋室として使われている。

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創建当初からのものと思われる照明器具の数々。

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昭和初期の財閥が贅を凝らして造り上げた空間を現在も体感できる貴重な場所である。

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平成28年(2016)、川奈ホテル本館は同時に敷地内に古民家を移築改造して造られた和風の離れ家である「田舎家」と共に、国の登録有形文化財として登録された。「田舎家」については、別記事で改めて紹介したい。

(参考文献)「近代日本の国際リゾート 1930年代の国際観光ホテルを中心に」砂本文彦著 平成20年 青弓社

(平成29年3月26日追記)
上記「田舎家」記事の投稿に伴い、写真を全面的に差し替えもしくは追加の上、本文を追加しました。

第78回・旧山形県庁舎(山形県郷土館「文翔館」)

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現存する大正時代に建てられた府県庁舎のうち、国の重要文化財に指定されているのは山形・山口の2県庁舎である。共に同じ大正5年(1916)竣工であるが、その外観は両者は趣を異にする。和風・東洋風意匠を細部装飾に織り込んだ山口県庁舎に対し、山形県庁舎は端正な英国風の外観が特徴である。

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山形市の中心街の一角、旅籠町に建つ旧山形県庁舎。県庁は現在、郊外に移転しており、旧庁舎は山形県郷土館「文翔館」として整備され、無料で一般公開されている。

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この地に山形県庁舎が建てられたのは明治10年(1877)に遡り、初代県令の三島通庸の意図に基づき建てられた、木造擬洋風、時計塔付きの庁舎であったが明治44年(1911)の山形大火で焼失する。火災後直ちに復興に着手、5年後に竣工したのが現在残る庁舎である。

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設計は地元山形は米沢出身の建築家・中條精一郎が顧問となり、実施設計には東京から山形県庁に招聘された田原新之助が当たった。

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顧問の中條精一郎(1868~1936)は、最初の日本人建築家のひとりである曽禰達蔵(1853~1937)と共に、戦前の日本では最大最高と言われた曽禰中條建築事務所を主宰していた建築家である。

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中條精一郎は山形県庁舎の他、戦前に建てられた2つの県庁舎の設計にも関与している。大正9年竣工の旧沖縄県庁舎(山形と同じく顧問と思われるが、昭和19年10月の那覇空襲で焼失)と、大正14年竣工の旧鹿児島県庁舎(曽禰中條建築事務所として設計、現在は正面中央部分のみが保存、鹿児島県政記念館として公開されている)である。

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実施設計に当たった田原新之助(1876~1916)は、曽禰達蔵の師である英国人建築家ジョサイア・コンドル(1852~1920)の内弟子として建築設計に従事、曽禰中條建築事務所にも勤務経験がある建築家であったが、山形県庁舎を竣工させると間もなく40歳の若さで病没している。

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顧問の中條はケンブリッジ留学経験を持つ英国仕込みの建築家で、実施設計の田原は英国人コンドルの内弟子であるというのであるから、山形県庁舎が英国風に仕上げられたのは当然といえば当然である。

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先代庁舎のイメージ継承を意図したとも考えられる正面の時計塔。内部の機械は大正5年以来交換されることなく現在まで時を刻み続けている。現役の時計塔としては、国内では札幌の時計台に次いで古いものとされている。

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3連アーチの開口部を持つ正面玄関。
外装の花崗岩を始め、内外装の建材には山形県産のものが多数使われているという。

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玄関内部、正面大階段への入口。欄間にはステンドグラスを嵌め込む。

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玄関と正面大階段を仕切る3連アーチ。アーチを支える柱は大理石貼り。

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アーチの先に見える木製の重厚な大階段。

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大階段は親柱や手摺に繊細な装飾が施され、重厚であると同時に、華麗な印象も受ける。

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階段室のステンドグラス。

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月桂樹の冠を抽象化したような図柄である。

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庁舎内部の最大のみどころは正面2階の正庁。見事な漆喰飾りの天井は、戦時中の改造で撤去され失われていたものを昭和61年から10年がかりで行われた復原工事で甦らせたものである。

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僅かに残されていた破片をもとに、全て職人の手作業で見事に再現されている。

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市松模様のタイル貼りが洒落た印象を与える玄関ポーチ上部のバルコニー。県庁前正面に一直線に伸びる道路は、明治10年に三島通庸の計画に基づき造られたものが、今日そのまま残されている。

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正庁の隣に配された貴賓室。

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貴賓室や知事室に配されている家具は、古写真等の資料をもとに復元されたものと、現存するオリジナルの家具がある。写真のステンドグラスを嵌め込んだ衝立は、貴賓室で実際に使われていたオリジナルである。

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知事室。椅子と机は昭和50年まで実際に知事の執務用に使われていた。
壁布も、修復工事の際発見された断片をもとに創建当初の形に復元されている。

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田原新之助の師であるコンドルの影響が感じられる、繊細で上品な意匠を持つ庁舎内の暖炉。
(上段左から)知事室、貴賓室(中段)内務部長室、警察部長室(下段)郡市長控室、高等官食堂

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廊下。
煉瓦造なので、構造上アーチが連なっている。

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中庭の壁面は花崗岩貼りの外観とは印象が一変し、構造体である赤煉瓦がむき出しになっている。通常、このような箇所は花崗岩仕上げとは行かなくともモルタル塗りで石造風に仕上げるものであるが、工費の都合上、赤煉瓦露出とせざるを得なかったのではないだろうか。

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設計者からすれば決して望ましいものではなかったと思われるが、今日となっては却って、外観とは全く趣の異なる独特の空間を生み出しており、この建物の魅力のひとつになっているように思える。

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約60年間県庁舎として使われ、昭和50年(1975)に県庁舎としての役割を終えたあとは、しばらく関係機関等が入居する合同庁舎として使用されるが、同59年に隣接する旧県会議事堂と共に国の重要文化財に指定された。

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10年がかりの大規模な修復工事を経て、平成7年(1995)に山形県郷土館として開館、現在に至る。

(追記:平成26年4月16日)

旧県庁舎に隣接する旧県会議事堂の記事作成・公開に合わせて、本記事は内容を全面的に更新しました。
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