第113回・旧井元為三郎邸(橦木館)

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名古屋城の東側、名古屋市東区白壁界隈は名古屋市内でも戦災を免れた数少ない一画である。
元々は武家屋敷街であったこの界隈は、明治以降は新興実業家が多く住まいを構えた。トヨタ自動車の創業家・豊田一族を始め、電力王・福澤桃介も愛人で女優の川上貞奴と共に邸宅を構えている。
当邸は陶磁器商を営む井元為三郎氏の邸宅として大正15~昭和2年(1926~27)に建てられた。

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洋館は昭和2年、背後の日本館は大正15年の建築。
門が拡幅されていることと、門を入ってすぐ右手にあった門衛所が撤去されていることを除けば、建物・庭園共に極めて保存状態のよい邸宅である。現在は名古屋市が井元家から取得、「文化のみち橦木館」の名で一般公開すると共に貸室等を行い活用を図っている。名古屋市指定有形文化財。
建物は洋館・日本館・土蔵2棟・茶室から構成される。

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洋館ポーチのすぐ右手にアーチ門を持つ袖塀がある。洋館玄関は来客用で井元家の人々及び使用人、出入りの商人等はこのアーチをくぐり内玄関から屋敷に出入りした。

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昭和の香り漂うこの部屋は内玄関の前室。

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台所。ガス釜やタイル貼りの流し等古い設備がそのまま残っている。
火除けの御札などもそのまま残っており生活感も十分感じられる。

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家族用浴室。

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裏庭、土蔵の蔵前と雪見燈籠。

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土蔵は東蔵と西蔵の2棟。外見は黒漆喰塗りで同じだが東蔵は煉瓦造2階建、西蔵は昭和8年の増築で鉄筋コンクリート造の地下室を持つ。以前は2棟共壁が崩れ落ち、江戸川乱歩の探偵小説にでも出てきそうな姿だったが、綺麗に修復された。

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日本館の客用座敷。前方は庭園、後方は土蔵との間に設けられた坪庭に面しており、風通しのよさそうな座敷。

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庭園に張り出した客用座敷の前から日本館を見る。

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同上、洋館を見る。

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客用座敷の縁側から飛び石伝いに茶席につながっている。

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茶席は昭和8年頃、井元為三郎氏の還暦を機に京都より移築されたものと伝えられている。建物の移築前の詳しい由来は分かっていない。

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裏側から見た茶席。引き続き飛び石沿いに庭園を回遊する。

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庭園から見た邸宅全景。左から日本館客座敷棟、日本館居住棟、洋館が並ぶ。
なお、客座敷の前に茶席、後に土蔵という配置になる。

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洋館。庭園に面してテラスが設けられている。

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洋館と雪見燈籠。

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洋館テラス。

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洋館テラスから日本館の客座敷棟を望む。

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テラスにつながる洋館1階旧応接室。

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旧応接室と続き間になっている旧食堂。現在はこの2室及びテラスは喫茶室として使われている。

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洋館2階、旧娯楽室とサンルーム。かつてはビリヤード台やピンポン台が置かれていた。

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サンルーム。ロッキングチェアーは井元家で実際に使っていたもの。

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現在、旧娯楽室・サンルームは井元家関係及び名古屋の陶磁器産業についての展示室になっている。
窓の外に日本館の屋根が写っている。

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洋館2階にある洋式浴室及び便所。洋館2階には上記娯楽室・サンルームとこの浴室の他に、クローゼットを備えた寝室用と思しき小部屋がある。名古屋の陶磁器は輸出向けだったので、外国人の宿泊を念頭にこの洋館を建てたようである。したがってこの洋館は小さなホテルと言ってもよい。

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当家の魅力のひとつに洋館を彩るステンドグラスの数々がある。
写真は玄関欄間とポーチ天井の照明。

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真下から見たポーチ天井の照明。

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玄関ホール欄間。

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1階トイレ入口欄間。小鳥のつがい。

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1階旧応接室欄間。同じく小鳥のつがい。
これらのステンドグラスは近年土蔵から発見されたものである。
戦時中に爆撃による破損を恐れ取り外したものと思われるが、修復に際しもとの場所へ再び取り付けられた。

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2階旧娯楽室とサンルームの境目欄間。トランプの模様。

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同上。クローバー・ダイヤ・スペードはあるのに、なぜかハートだけない。

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規模は小さいが、建築・庭園共に中身の大変充実した邸宅である。
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第112回・旧松風嘉定邸

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京都東山の清水寺へ向かう参道の脇から少し奥まった所に不思議なデザインの洋館が建っている。
義歯等歯科器材メーカーである㈱松風の創業者・三代松風嘉定邸の洋館として大正10年(1921)建設。
かつては日本家屋もあったが現在は洋館のみ。

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設計は京都帝国大学建築学科を創設し、自ら最初の主任教授となった武田五一工学博士。
この旧松風邸洋館の他、京都には武田博士設計の建築が多い。
京都大学本館、同工学部本館、京都市庁舎、島津製作所本社(いずれも現存)など官民問わず幅広く手掛けている。

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三階建で望楼付きなので実質四階建てである。
こういうアングルで見るとあまり住宅に見えない。

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正面。玄関は以前は改造されていたが、最近写真のような形に改修された。
創建時の形状に戻したのかも知れない。

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ベイウィンドウ。

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庭園側。不思議な和洋折衷デザインは武田五一の十八番。
洋館とは言っても屋根は日本瓦葺にしており、壁面の色調も相まって清水界隈の景観から浮いてはいない。

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サンルーム外観。

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サンルームの正面。

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サンルームの屋上は二階のテラスになっている。

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側面玄関。こちらは創建時より改装されずそのまま残っている感じである。
正面に玄関が別にあるのでこれは内玄関か?

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内部階段室。近年まで湯豆腐店「順正」清水店の店舗として使われていたが、同店が隣接して別館を新築・移転したため現在は同店経営の「五龍閣カフェ」になっている。喫茶のみの利用もできるので以前より入りやすくなった。

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同じく階段室の天井。3階まで吹き抜け。

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松風邸時代は、この階段室に松風嘉定と交友のあった洋画家・鹿子木孟郎(1874~1941)の絵画を飾っていた。
余談だが鹿子木孟郎の油絵は、弊ブログで既に取り上げた洋館では武藤山治邸(第2回)、伊庭貞剛邸(第109回)の階段室にもあった。

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階段室2階。

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旧食堂。

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旧食堂暖炉。

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旧食堂照明。

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旧食堂からサンルームの方を望む。
以前は3連アーチの欄間の下に仕切りの硝子戸と窓があったが、今は取り外されている。

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サンルーム内部。

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現在は喫煙席として使われている。

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サンルームから旧食堂を望む。

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サンルームを彩る美しいステンドグラス。鳩の図柄。

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清水寺の門前に建つ不思議な洋館。一見の価値あり。
なお、望楼上の風見鶏は後年取り付けたものでオリジナルではないらしい。

第111回・旧兼松商店本店「日濠館」(現・海岸ビルヂング)

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神戸・海岸通に今も何件か建っている戦前の洋風建築の中では、最古の建物。
兼松商店(現・兼松)の本店として明治44年(1911)に建てられた。設計は神戸で設計活動を行い小寺家厩舎、神戸地方裁判所等を設計した河合浩蔵による。

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兼松商店は兼松房治郎が明治中期に神戸で興した貿易商社で、オーストラリアとの貿易を主力事業としていた。
そのため本店ビルを「日濠館」と名付けた。

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昭和20年に戦災のため外壁を残して焼失、戦後間もなく兼松から現所有者に売却され、修復の上「海岸ビルヂング」と名を改めて現在に至る。
現在は陸屋根だが当初はマンサード(腰折れ)屋根で正面中央には巨大なペジメント(三角破風)が載っていた。

↓創業者・兼松房治郎の伝記を掲載している下記サイトに、創建当初の日濠館の写真が載っている。
http://www.kanegold.com/page49.html


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日濠館と称されていた頃、即ち戦前までは、1階に兼松商店本店、2・3階を貸事務所としており各種会社・団体の事務所が入っていた。

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非常に重厚な印象を受ける独逸風洋館。

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二階の窓上部の曲線を描く装飾は、日本建築における寺社仏閣等によく用いられる唐破風を取り入れている。

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日濠館は海岸通において、日本人貿易商が日本人建築家に建てさせた最初の建物である。
それまでこの一帯は外国人貿易商が外国人建築家に建てさせた建物ばかりだった。

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正面玄関。

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玄関を入るとすぐ階段があり、3階まで一直線に伸びている。
戦災前は、2階から3階に至る部分はガラスブロックで出来ていたという。

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構造は煉瓦造3階建。海岸通に面した正面及び側面一間分は御影石と白色タイルの化粧貼りが施されている。

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側面の大部分及び裏面の2・3階は構造体の赤煉瓦がむき出しになっている。

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全く別の建物のような印象を受ける。

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裏口。現在は閉鎖されているようだが側面両側にも出入口があった。

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ここ最近は随分お洒落なテナントが増えてきた。十数年前初めてこの建物を見た時はお洒落というより古ぼけた印象が強く、かつ怪しい雰囲気が漂っていた。

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昭和20年の戦災、平成7年の震災にも耐えて、来年で築100年を迎える。
この先200年、300年とこの場所に建っていて欲しいものである。

第110回・旧中埜半六別邸

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酢の生産地として知られる愛知県半田市に明治のお洒落な洋館が残っている。
地元の素封家・中埜家の当主である10代半六が欧州遊学から帰朝後の明治44年(1911)、下町にある本宅とは別に、半田市街を見下ろす小高い丘の上に建てさせた別荘である。

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昭和25年以降、11代中埜半六が設立した洋裁学校の教室として長い間使われた。昭和51年に国指定重要文化財となる。
現在は紅茶専門店となっており、喫茶・軽食が可能である。

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残念なことに、現状は周囲の街並みから完全に浮いてしまった印象を受ける。

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上の写真とは反対側から見た姿。玄関及び南側テラス周辺のみ僅かにもとの庭を残している。
外観は壁面、屋根等が四面全て変化をつけた造りになっている。明治後期の木造洋館の傑作のひとつである。

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ベイウィンドウ。

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外観1階の腰壁部分には黒白2色の大理石の小片を埋め込んでいる。

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設計は名古屋の近代洋風建築普及に絶大な役割を果たした鈴木禎次。名古屋以外にも東海地方各地に作品を残している。

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屋根は角型とうろこ形の2種類の異なる形の天然スレートで葺かれている。

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欄間や柱頭飾りが特徴的なベランダ。

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洋館内部にある喫茶店には、このベランダに面した旧食堂から入る。

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玄関。左手の石貼りの煙突はかつて屋根の上まで伸びていたが、昭和19年の地震で破損、撤去された。

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玄関扉。円形の組子にアールヌーボーの影響が見られる。

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玄関脇の客間内部。上の写真のベイウインドウの内側。

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客間天井の漆喰飾り。

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創建当初用いられていた、ガス燈の名残。
硝子のシェードが無い以外はそのまま残っているものと思われる。

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白大理石でできた客間暖炉。

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玄関を入るとすぐ階段室を兼ねたホールがある。
暖炉も備えており、居間的な使い方もしていたのではないかと思う。
珍しいのは、暖炉上部にある造りつけの神棚。

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もうひとつ珍しいのは、神棚の方杖は完全なアールヌーボー。
明治後期から大正初期の洋館にアールヌーボーの細部装飾は幅広く見られるが、これは珍しい。

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暖炉も上部の神棚に対応した曲線を持つデザインになっている。

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階段。階段脇の飾り棚は当家で創建時より用いていた家具のひとつと思われる。

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階段前から見た1階ホール。

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2階階段室。2階は屋根裏的な造りになっているので、階段室も天井の骨組みがむき出しになったものとなっている。

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1階ホールから食堂へつながる短い通路。創建当初からと思われる照明器具と壁紙が残っている。

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食堂暖炉。

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食堂天井の照明台座。

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素晴らしい洋館なのだが、何分内外共に老朽による痛みが激しい。
修復が待たれる。

第109回・旧伊庭貞剛邸(住友活機園)

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住友財閥の基礎を築き、住友の大番頭と称された第二代住友総理事・伊庭貞剛(1847~1926)の隠居後の住まいとして滋賀県大津市に明治37年(1904)に建てられた邸宅。現在は伊庭貞剛の記念館として、住友グループ各社社員のための研修施設となっている。事前申込・抽選制による年1回の一般公開も行われている。

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伊庭貞剛邸は琵琶湖から流れる瀬田川のほとりの小高い丘に建つ。
写真は京阪石山線・唐橋前駅のホームから撮影。右手丘の上に洋館が見える。

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伊庭貞剛は極めて人望の篤い人物だったらしい。親交の深かった川田順(1882~1966、歌人・住友総本社常務理事)は、住友社員達の多くが、東海道本線が瀬田川の鉄橋へ差し掛かると窓から遠望できるこの洋館を眺め伊庭氏を偲んだというエピソードを書き残している。
明治37年の引退後から大正15年に没するまで、この館の主を慕い訪ねる客は数知れなかったようである。

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紫式部ゆかりの寺としても知られる石山寺と、近江八景のひとつ、瀬田の唐橋を望む景勝の地であった。
しかし同時に、邸宅の建設に取り掛かった頃は極めて辺鄙な場所であったらしい。
伊庭貞剛は隠棲の地としてむしろそれを望んだのだが、建設後間もなく現在の東海道本線、後には京阪石山線が通り、主の望みに反しそれほど辺鄙な場所でもなくなった。

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門前まで来ると、どこかの古刹かと思わせる風情ある石段を登る。
毎年公開は新緑の時期に行われるので、美しい新緑を楽しめる。
以前は秋にも公開していたが、現在は春1回になったため美しい紅葉は楽しめない。

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登った先に門が見える。

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緑に包まれた小道をゆく。

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途中に見える鎮守社。

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小道は暫く続く。緩やかな傾斜になっており丘を少しずつ登っていることになる。

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杉木立の向こうに日本座敷が見えてくる。右手が明治37年当初からの母屋、左手は大正11年増築の新座敷。

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小道の先は洋館の前につながっており、広々とした芝生になっている。

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芝生の端に建つ四阿(あづまや)。屋根は以前は杉皮葺きであった。

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洋館正面。
洋館の設計は住友家お抱えの建築家である野口孫市による。住友家が建設し書籍と併せて大阪府に寄贈した現在の大阪府立中之島図書館(明治37、国指定重要文化財)の設計者として知られる。

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1階は書斎・食堂・テラス、2階は客室・寝室・サンルームで構成されている。
当初、伊庭貞剛は洋館を建てるつもりは無かったようである。老人が座って(畳の上に正座して)ばかりでは健康によくないと忠告した人があり、それを受けて建てたものである。したがってこの時期の洋館に多い接客専用ではない。1階書斎や2階寝室、客室は伊庭貞剛の日常生活の場であった。

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洋館2階側面に張り出したバルコニー。欄干の意匠は和風の卍崩し。
普通の洋館ならばペンキやニスを塗る木部も白木のままである。巧みに和風と洋風が溶け合った造りは見事である。

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1階テラス。正面扉は食堂に通じている。

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テラスの上、2階サンルーム。

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側面から見たテラス。突き当たりの扉は書斎。

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テラスに面した扉のひとつに設けられた飾り格子。当初ステンドグラスかと思ったが下の硝子は1枚硝子で格子と別になっており、違った。

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1階書斎のベイウインドウ(張り出し窓)。
主にイギリス建築で好まれる。
伊庭貞剛邸洋館は英国風を基調に日本風を加味した洋館と言える。

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洋館1階側面、食堂の窓。
洋館の建具の桟は部屋毎に異なる。
なお外壁に貼られたうろこ状の板はシングルと呼ばれる木製の外壁材である。

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現存する明治後期の西洋館の中では最高傑作のひとつだと思う。
なお旧伊庭貞剛邸は平成14年に建物および敷地が重要文化財に指定されている。

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洋館屋根と避雷針。屋根は日本瓦葺き。

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洋館に接続して平屋建ての日本家屋がある。
住友家出入りの大工棟梁八木甚兵衛の設計施工。

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日本家屋玄関。この手の和洋並立式の邸宅には和洋それぞれの玄関があるものが多いが、ここでは洋館には玄関が無く、日本家屋一か所のみ。

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日本家屋客座敷。外から撮った写真だが、ここでは残念ながら建物内部の写真撮影は禁止。
したがって硝子戸が開け放されていた日本家屋のみ、外から室内の一部を撮る事ができた。

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新座敷内部。母屋も新座敷も派手さはないが、材料施工共に極めて入念に造られている。
次の間の奥に日本座敷では珍しい暖炉が見える。

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ぼやけた写真で恐縮だが、座敷暖炉のアップ。
燃料は薪や石炭ではなく豆炭を用いていたとの事。晩年の伊庭貞剛は冬場はここの炉端で暖を取ることが多かった。
(夏場は洋館2階の客室で過ごしていた)

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最後に茶室。
大正11年に新座敷と併せて増設されたもの。新座敷・茶室共に設計は伊庭貞剛の次男が行った。

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茶室内部。

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第108回・旧隅田川新大橋

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かつて東京の隅田川に架かっていた旧新大橋の一部が愛知県犬山市の明治村に保存されている。
明治45年(1912)架橋。設計は東京市。使用されている鉄材は米国カーネギー社製。

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大正12年の関東大震災では、隅田川に架かる他の橋が鉄橋とは言え床が木製だったために周囲の火災により避難者もろとも炎上・崩落する惨事が相次いだ中、新大橋は床はコンクリート打ちの上にアスファルト舗装だったため無事避難路の役割を果たした。(ただし橋の構造だけでなく避難者の持ち込んだ夥しい荷物も火災及び橋崩落の要因と考えられている。新大橋では警官が荷物を橋上に持ち込む事を禁じた。)

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正面上部の橋銘板。

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非常に装飾に富む鉄橋である。

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現在明治村にて保存されているのは全体の7分の1程度である。

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アールヌーボー風の装飾を持つ欄干。

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ごく一部の保存に過ぎないが、それでも華麗な明治の鉄橋の美しさを十分に堪能できる。

第107回・旧第六十八銀行本店(現南都銀行本店)

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奈良市の目抜き通りである三条通に第六十八銀行奈良支店として大正15年(1926)竣工。

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ただし当初から本店として使用することを想定して建設されたため、2年後の昭和3年には本店が大和郡山市から移転している。

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第六十八銀行はその後の合併で南都銀行となり現在に至る。

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設計は西洋古典様式に忠実に則った銀行建築を数多く手掛けた長野宇平治である。

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南都銀行本店以外で残る長野設計の銀行建築に、日本銀行本店増築(昭和13)、同・旧岡山支店(大正11)、三井銀行下関支店(のち山口銀行本店、大正9)、同・旧広島支店(大正15、原爆で大破全焼するも修復・改装を重ね現存)等がある。

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国登録有形文化財。

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現在も現役の銀行店舗である。

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側面。イオニヤ式円柱を立てた正面に対し側面は付柱を並べる。

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側面付柱の下部に彫られた羊のレリーフ。

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正面円柱の下部にも羊の頭部が彫り出されている。。

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羊(=家畜)は西洋では富の象徴とされるので、銀行建築の装飾に用いたものと考えられている。
同じ長野設計による旧三井銀行下関支店の正面上部には、牛の頭部が並んでいる。

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羊は数えると12匹居た。しかし数えても眠くはならない。

第106回・旧琵琶湖ホテル(現びわ湖大津館)

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琵琶湖のほとりに残るかつての「湖国の迎賓館」
昭和9年(1934)に建てられた琵琶湖ホテルは平成10年に対岸に新築移転したため、旧館は現在大津市の施設として活用、公開されている。

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弊ブログでこれまで取り上げてきた、昭和初期、鉄道省(現国土交通省)が中心になって外国人観光客誘致による外貨獲得を目指して各地に建設を進めた「国策ホテル」のひとつである。
既に紹介済みのものでは蒲郡ホテル(愛知、昭和9)、雲仙観光ホテル(長崎、昭和10)、川奈ホテル(静岡、昭和11)、志賀高原温泉ホテル(長野、昭和12)がある。

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設計は、間もなく消滅の運命にある東京銀座の歌舞伎座(大正13、現在のものは戦災後昭和26年に改修したもの)の設計でも知られる岡田信一郎に依頼されたが、実際の設計は実弟で同じく建築家であった岡田捷五郎によるものと考えられている。(岡田信一郎は昭和7年に死去している)

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堂々たる唐破風を有する正面車寄。

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正面向かって右端の出入口。従業員用の通用口か。

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正面車寄詳細。
城閣建築の装飾をコンクリートで忠実に再現している。

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軒。

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テラス。

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回廊。

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琵琶湖側の回廊は現在ガラス張りで室内に取り込まれているが、当初はここも吹き放しだった。

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琵琶湖側からの眺め。

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館内に展示されていた、開業当初のロビーを写した写真。

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現在の旧ロビー。

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大食堂。

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現在の旧大食堂。

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旧大食堂の2階にあるこの張り出し部分はオーケストラボックスとも言われている。

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開業当初の客室。確か貴賓室だったと思う。
現在、旧客室は当時の面影を殆ど残していない。

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第105回・旧奈良駅舎

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昭和9年(1934)に建てられた省線(現JR線)奈良駅舎。

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高架化で一時は解体の危機に晒されたが、曳家の上保存・改修工事が行われた。

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全体は寺院風だが、茶褐色のスクラッチタイルを貼った壁面や縦長の窓は洋風。

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既に高架化工事は終わり、左手に新駅舎が建つ予定である。

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軒下に鳩が大勢雨宿りをしている。
なお、時計は後付けで建設当初は無かったが改修後もそのまま残された。

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玄関。

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玄関横、寺院風の照明。

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現在は奈良市の観光案内所として使われている。

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装飾が施された円柱と梁。

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天井は折上げ格天井。

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昭和戦前期の現存する駅舎建築では屈指の名建築だと思うのだが、高架や建設中の新駅舎はこの名建築を活かすものになるのだろうか。現状を見ると些か心もとない気がする。

第104回・横浜山下公園インド水塔

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横浜港に沿って造られている山下公園は、関東大震災の復興事業の一環として昭和5年(1930)に完成した公園である。その山下公園の一角に昭和14年(1939)、在横浜インド人の寄付により建設されたインド水塔がある。

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関東大震災で罹災したインド人の救援および生活再建に積極的な便宜を図った横浜市と横浜市民に対する在横浜インド人の感謝の印であると同時に、震災で命を落とした同胞を悼むモニュメントとしての意味を込めて建てられたもののようである。

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小規模ながらも、日本では珍しいインド式建築。

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名前の由来となっている水飲み場の石塔。しかし水は出ていなかった。

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壁面、天井共に繊細な装飾が施されている。

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天井のみごとな硝子モザイク。

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水飲み場越しに横浜港が見える。

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大桟橋方向を望む。客船が停泊していた。

第103回・旧京都府警察部庁舎(現京都府警本部)

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前回の京都府庁舎旧本館に引き続き、今回は昭和3年(1928)建設の旧京都府警察部庁舎。
現在は京都府警察本部庁舎として使われている。

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旧本館の正面向かって右側に建っている。

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なお、現在では各都道府県警察は一個の独立した組織となっているが、戦前は各道府県の一部局としての「警察部」という位置づけであった。(したがって戦前は県警察部とは言うが県警とは言わない)
当時はそもそも都道府県は現在のような地方自治体ではなく、中央官庁(内務省)の地方部局であった。

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大正天皇崩御に伴う天皇(昭和天皇)即位に伴い、即位大礼の儀式が京都で執り行われる事となった。京都府庁は臨時内閣事務所となり、庁舎(現・旧本館)は総理大臣室や閣議室に充てられ手狭になった事から新庁舎の建設が計画され昭和2年着工、即位大礼が行われた翌昭和3年に竣工、警察部庁舎として使われることとなった。

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設計は京都府営繕課。

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旧本館とは全く異なるロマネスク様式の庁舎である。

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正面3階のアーチ型欄間にはステンドグラスが嵌められている。

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庁舎側面。

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凝った装飾タイルで飾られた側面出入口。

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側面バルコニー。

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庁舎裏側。

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旧本館が国指定重要文化財として将来の安泰が保障されているのに対し、この旧警察部庁舎は文化財指定等は全く受けていない。したがっていつ改築対象となってもおかしくない訳である。
明治期の庁舎と昭和戦前期の増築庁舎が揃い、かつ両者共優れた意匠を有する京都府庁舎は旧本館のみならず、旧警察部庁舎と併せて一体的に保全を図るべきである。

第102回・京都府庁旧本館

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京都府庁の旧本館は明治37年(1904)完成。現在3件ある明治期竣工の重要文化財指定府県庁舎のひとつ。
(他2軒は三重・北海道)

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知事室等府庁の中枢機能は既に別の建物に移されてはいるものの、現在も現役の庁舎である。
正門入ってすぐ左手の建物は現在の府議会棟、また旧本館の左に新本館が見える。

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設計は京都府技師松室重光を中心に進められた。
煉瓦造2階建、外壁は黄色モルタル塗り及一部花崗岩貼り仕上げ。

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竣工当時は最も完成された庁舎としてデザイン、間取り等その後建設される各県庁舎のモデルとなった。

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同時期の庁舎建築としては2年早く竣工した兵庫県庁(明治35、山口半六設計、弊ブログ第1回参照)がある。
兵庫県庁は戦災を受けたため、当初の内装が残っていない上屋根の形状も一部改変されているが、京都府庁は内装まで含めて完全に残っている。

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兵庫県庁と比べると京都府庁は角屋根、厳めしく張り出した玄関ポーチ等権威性が強い。

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玄関ホール及び階段室周辺。

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1階廊下。

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白大理石で出来た階段手摺。

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階段室。

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階段室の窓。

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2階階段室と正庁の間の廊下。

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正庁前から見た2階廊下。知事室等主要室は入口の仕上げも板張りで凝っている。

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ロの字形の庁舎なので中庭がある。写真は中庭から見た階段室部分。

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階段室と向かい合わせの位置に旧府会議事堂がある。

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旧府会議事堂の回廊。

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旧府会議事堂正面。

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旧府会議事堂全景。新しい府議会棟が建ったので現在は議場としては使われていない。
京都府の行政資料・文書の閲覧の為に使われているようである。ただし2層吹き抜けで2階には傍聴席を持つ旧議場の内装はよく保存されているようだ。

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旧府会議事堂はロの字形の府庁舎の外側に張り出すような構成になっている。
兵庫県庁は京都と反対で中庭に県会議事堂が張り出す構成になっていた。(戦災後、議事堂部分は撤去されたので現存しない。)

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ブラインドに窓の換気扇、開け放した窓際に並ぶファイル。
現役で使われていることがよく分かる。

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第101回・大江ビルヂング

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大正10年(1921)に大阪市北区絹笠町(現・西天満)に建てられた、大阪で最初の全館貸室の事務所ビル。
大阪控訴院(現・大阪高等裁判所)が近いため主に弁護士事務所の需要を当て込んで建設されたようである。この界隈は現在でも弁護士や司法書士の事務所が多い。

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大江ビルヂングという名称は個人名によるものではなく、目の前の堂島川に架かる大江橋に因むものと思う。

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設計は神奈川県、大阪府技師等を経て大阪で設計事務所を開いていた葛野壮一郎。
他に、同じ大阪は堂島の中央電気倶楽部が現存する。

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この建物以前にも貸事務所を持つビルはあったが(主に銀行店舗が多いようである)、あくまでも余ったスペースを貸すものであり、貸室主体のビルと言うのは大阪ではそれまで存在しなかった。

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大江ビルヂング開業後、大阪では大正12年に堂島ビルヂング(大江ビルとは目と鼻の先の距離。内外共に大改造を受けているが建物自体は現存)、大正14年に中之島に大阪ビルディング(ダイビル、現在解体中)等大規模な貸事務所ビルが続々と建ち始める。

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築後90年近く建った現在も現役の事務所ビルである。建設当初の目論見通り、現在も店子は弁護士事務所が多い。

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窓のスチールサッシはおそらく全て開業当初からのものではないかと思う。
建具がこれだけそのまま残るビルも珍しいのではないか。

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外壁付柱頂部の装飾。

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鳥のくちばしのような玄関庇。

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玄関庇のブロンズ製持ち送り。繊細な装飾が施されている。これも創建当初からのものと思う。

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裏玄関。

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これも大正10年当初からのものと思われる非常階段。
ビル内部の写真撮影は御法度らしいので、残念ながら御紹介できないが内部も時間が止まったような趣がある。
玄関を入ってすぐに位置するエレベーターの前には古びた置時計と「大江ビルヂング新築記念」と記された大理石の寒暖計(現在ではまず見かけない摂氏・華氏両表記の寒暖計)がある。

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最後に余談。
現大阪府知事の橋下徹が弁護士事務所を最初に開業したのはここらしい。(↓参照)

http://hashimoto-toru.weblogs.jp/blog/2009/06/post-366f.html

第100回・旧東宮御所(現赤坂離宮迎賓館)

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弊ブログも御蔭様で第100回を迎える事が出来た。
そこで何か別格の建物を思ったので、明治期の日本人建築家による西洋様式建築の総決算的作品であり、また明治以降の洋風建築としては初の国宝指定を受けた旧東宮御所、現在の赤坂離宮迎賓館を取り上げる。

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JR四ツ谷駅から歩いてすぐの距離にある。
写真は正門。

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正門に続く鉄柵。

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正門アップ。

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昨年(平成21年)は天皇陛下御在位20年記念として迎賓館の前庭のみ一般公開された。
通常は事前申込制による抽選なので敷地内に入る事は難しい。したがって申込不要の今回の前庭公開は貴重な機会だった。

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迎賓館に向かう道の途中の両脇には、写真のような建物が一対になって建っている。
衛兵の詰め所か何か分からないが、当初からの建物であると思われる。

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同上、正面部分を拡大。

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正面からみた旧東宮御所。明治42年(1909)竣工、鉄骨煉瓦造御影石貼り。設計は宮内省にて宮廷建築家として活躍した片山東熊。日本人建築家としては辰野金吾等と並び、第一世代に属する。

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日本でただ一つ建てられた純洋風の本格的な宮殿建築である。そして世界的に見ると最後の純洋風宮殿建築でもある。

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硝子の庇。

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ステンドグラスが見える。
この内部は旧喫煙室で、濃厚なイスラム宮殿風の装飾が施された部屋である。

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現在は国賓を迎える迎賓館として使われているが、現在の用途になったのは昭和49年。

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戦前は無論帝室の宮殿であった。
戦後は国立国会図書館に使われた時期もある。その後迎賓館として使用するための改修を行い現在に至る。

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内部は宮殿建築にふさわしい華麗な世界が広がっている。

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その華麗な世界を覗きたい人は内閣府へ見学を申し込みましょう。
ただし抽選なので、いつになるかは分かりません。

と、斯く言う管理人もまだ見ていない。いつか見たい。

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明治時代の日本の建築技術と工芸の粋が結集された建物である。

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平成21年、国宝に指定。
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