第133回・旧高橋是清邸

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東京都小金井市の江戸東京たてもの園に、昭和11年の2・26事件の舞台のひとつとなった建物が移築保存されている。事件当時大蔵大臣で、総理大臣も務めた高橋是清(1854~1936)の自宅である。
写真は1階にある仏間。

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明治35年(1902)に東京赤坂に建てられた。現在残るのは高橋是清の生活の場として使われていた主家の主要部分。事件後、邸宅の敷地は東京市(当時)に寄贈、高橋是清翁記念公園となった。公園は現在もあるが、主屋以外の建物は戦災で焼失したため、現存しない。

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主家は高橋家の墓所がある多摩霊園に移築、昭和後期までは墓参者の休憩所等に使われていた。平成に入り江戸東京たてもの園に移築、公開され現在に至る。

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1階座敷。パンとコーヒーの朝食を摂る高橋是清の写真が展示されている。

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1階縁側。手前の両側に写っているのは座敷牢の格子ではない。
耐震補強のため取り付けられたものである。

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1階食堂。高橋邸はこのような洋式の食堂を備えた日本家屋のみで、洋館はない。

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2階、十五畳敷きの座敷。ここは高橋是清の生活の場というよりは来客用の部屋だったようである。

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同上、窓の硝子障子。絵入り砂摺り硝子が使われている。

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書斎兼寝室として使っていた二階居室。
ここで、高橋是清は青年将校に拳銃と軍刀で殺害された。

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第132回・旧植竹庄兵衛邸

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茨城県稲敷市にある和洋併置式の邸宅。
昭和14年(1939)に当地で江戸崎入干拓事業を行った植竹庄兵衛氏の邸宅として建てられた。

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門。干拓地を望む小高い土地にある。

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木造二階建ての洋館、平屋建ての日本館、土蔵から構成される和洋併置式の邸宅。

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洋館。かつては半円アーチを持つ玄関ポーチがあったが取り払われている。

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洋館の外壁には随所に凝った左官仕事が見られる。

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洋館の内部は和室が主体。写真は二階階段室。

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二階大広間。

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大広間の書院窓。床柱には非常に珍しい材木を用いているらしい。

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同じく洋館二階の座敷。反対側には同じ造りの座敷がある。

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日本館内部。折上げ格天井やステンドグラスを嵌めた欄間が特徴であり、この館の見どころ。

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戦時中は海軍鹿島航空隊司令官であった久邇宮の宿所に充てられていた。

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戦後は「大日苑」の名で結婚式場に使われ、現在はNPO法人・稲敷伝統文化保存会が管理、建物の保存・活用を図っている。

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凝った書院窓。

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欄間にステンドグラスを入れた日本座敷は珍しい。

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ステンドグラス以外にも、彫刻で飾られた欄間もある。

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どの座敷も、材料・意匠共に趣向を凝らしている。

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建物は近年、国の登録有形文化財に認定された。

第131回・旅館松の家

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房総半島の東側に位置する千葉県勝浦市、勝浦漁港の近くに建つ旅館松の家は江戸時代より続く老舗旅館である。現在の建物は昭和7~8年頃の建設と考えられている。国登録有形文化財。

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現在も料理旅館として盛業中。すぐそばにある勝浦漁港で取れた新鮮な魚介類を手頃な価格で堪能できる。

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唐破風を持つ玄関。

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玄関内部。

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昔ながらの帳場が残る。

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電話室も戦前からのものがそのまま残る。ただし今も現役なので、中の電話は無論新しい。

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金文字で屋号が書かれた柱時計。

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昭和の香り高き道具類が飾られている。

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二階への階段。柱に掛けられた寒暖計は摂氏・華氏両表示。

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二階から見た階段。

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二階の客室。床柱には銘木が使われている。

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同上。上の客室と続き間になっており、床の間が二つある。
冒頭の写真は左側の窓をアップで撮ったもの。

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別の客室。

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客室縁側。

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旅館と言っても民宿の延長のような、気取らない寛げる宿である。

第130回・旧和田豊治邸(豊門会館)

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静岡県小山町に明治末期の実業家の邸宅が保存されている。
富士紡績の創業者・和田豊治(1861~1924)の本邸として明治42~43年(1909~10)頃東京の向島に建てられ、和田豊治の没後、その遺志により富士紡績の工場がある小山へ大正15年に移築され、従業員及び地域住民の福利厚生施設「豊門会館」として使われた。現在は他の施設と共に小山町に寄贈され、整備が進められている。

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移築後間もなく撮影された旧和田邸全景。向島にあったときの状態を忠実に移築再建したという。

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小山町所有後の姿。写真は最初に一般公開が行われた平成17年の撮影なので、現在は樹木の剪定等、もっと整備が進んでいるようである。

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日本家屋、洋館共に旧状を非常によく残している。

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玄関。

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玄関を入ってすぐ右手にある応接間。日本家屋内の部屋だが、ここは洋風に造られている。
入口欄間には障子のような意匠のシンプルなステンドグラスが嵌められている。

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応接間内部。

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応接間の窓。

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廊下は畳敷きになっている。

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1階、十畳敷きの座敷。

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ちょっと変わった意匠の階段手摺。

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2階座敷。移築前に関東大震災に遭遇しているが、震災による損傷は殆ど無かったらしい。

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2階座敷の欄間。

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洋館入口手前に置かれた帽子掛。

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洋館には日本家屋内部から出入り可能だが、外部から出入りできる玄関も造られている。
明治の洋館の玄関としては非常に簡素。

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洋館窓の鎧戸。

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テラスとベイウィンドウ。

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サンルーム。戦前の邸宅で、全面ガラス張りのサンルームが現存するのは珍しい。

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洋館内部。玄関及び玄関ホール、大小の客間とサンルームから構成されている。
大きいほうの客間は大理石の暖炉にベイウィンドウ、漆喰飾りを施した天井など、手が込んでいる。

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天井。

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暖炉。奥に和田豊治の肖像写真が掲げられている。
戦前日本の基幹産業である紡績会社の経営者としては鐘紡の武藤山治と並ぶ存在として知られる。日本工業倶楽部(弊ブログ第22回参照)の第二代理事長も務めている。

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ベイウインドウ。大正12年の春に向島で催した園遊会の映像が残っており、建物の公開に際して映写を行っていたが、そこにはこの窓際で主人の和田豊治が椅子に座って煙草をくゆらせる姿が写っていた。

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三角棚。向島時代からのものと思われる。

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同様に向島から持ってきたと思われる書棚と蔵書。

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サンルーム内部。

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小山町の貴重な文化遺産であることは言うまでもないが、明治期に東京に建てられた実業家の邸宅としても貴重。

第129回・旧里見邸

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作家・里見(1888~1983)が昭和2年(1927)に自ら設計した住宅と、2年後の昭和4年に増築した書斎が鎌倉の西御門にある。現在はある建築事務所が所有者より建物を借り受け、「西御門サローネ」として公開・活用が図られている。毎週月曜日が建物の公開日となっている。

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全景。里見は昭和11年までの9年間この家に住んでいた。

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設計にあたり、大正12年に竣工した東京日比谷の帝国ホテル(米国人建築家フランク・ロイド・ライト設計、現在は玄関部分のみ明治村にて保存)を参考にしたとされ、デザイン上の類似が多く見られる。

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玄関ポーチ。網戸付きの二重扉になっている。

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玄関脇のサンルーム。

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ライト好みの六角形の窓。

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ステンドグラス。

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玄関ホールは居間も兼ねた造りになっている。

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造りつけのソファがあるベイウインドウ。

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窓の桟の割りつけもライト好みの意匠。

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内側から見た六角窓。

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玄関ホール兼居間と続き間になっている応接間には、暖炉がある。
飾りではなく実際に薪を燃やす事が可能だが、以前ハクビシンが侵入したため現在は煙突を塞いでいるとのことだった。

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応接間からサンルームに出られる。白く塗られているのは敗戦後の米軍接収時代の名残で、もとは他の部屋と同様焦茶色に塗っていたようである。

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同上、サンルームから庭を見る。

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再び玄関ホールへ戻る。2階への階段がある。

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ステンドグラスは階段室を飾るものだった。

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ステンドグラスのアップ。

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階段から二階を見る。二階は非公開のためここまで。

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階段室の奥に渡り廊下があり、突き当たりには水屋がある。

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水屋の横の扉をくぐると、一転して数寄屋風の造りに変わる。ここからが昭和4年増築の書斎部分。里見と親交のあった志賀直哉の邸宅を手がけた京都の大工を呼び寄せ、住居と同じく里見の設計で建てたという。

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縁側。欄干の高さ、窓の大きさなど、庭や周囲の風景の眺めを入念に考慮して決めたものと思われる。

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茶室風に造られた書斎。炉も切ってある。
しかし炉は茶事よりも、暖を取るための実用重視で設けたものではないかということだった。

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次の間。

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書斎床の間。

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書斎外観。高床式でわら葺きというライト風の母屋とは全く異なる造り。

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高床式にしたのは、すぐ裏に山が迫っており湿気を避けるためではないか、とのこと。

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書斎と母屋の繋ぎ目。

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外の道路から見た書斎外観。

第128回・環翆楼

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箱根塔之澤温泉の老舗旅館・環翆楼。
創業は慶長年間に遡るという箱根でも指折りの老舗旅館である。江戸時代は大名、旗本、豪商が、明治以降は皇族、華族、政治家、軍人、文人が多く利用した。木造4階建の大廈高楼が今も威容を誇る。

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銘木を多用し、数寄を凝らした普請の温泉旅館が各地の温泉場で建てられるようになるのは、近代以降の現象である。その原因を建築史家で東大教授の藤森照信博士は、明治以降の鉄道網の発達による温泉客の急増によるものと推測している。現在の建物は大正8年(1919)に建てられ、同12年の関東大震災で一部が崩壊したため翌年に一部増改築を行い現在の姿になったという。内外共に大正、昭和戦前の雰囲気を極めて色濃く残す宿である。

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横を早川の渓流が流れ、前を国道1号線が通る。
正月の箱根駅伝の際はこの旅館は必ずといってよいほど映っている。

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玄関。

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帳場の近くにある談話室的なスペース。

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中庭。この真下に浴室がある。

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客室のひとつ。床の間付きの座敷が二間、次の間が二間、合計四間あり非常にゆったりした客室だった。

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座敷その1。床の間。

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同上、照明。照明も戦前のものがそのまま使われている。

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座敷その2。
洋館でも日本座敷でも、照明が蛍光灯か白熱灯かで雰囲気が大きく変わる。この宿はそれを身を以て実感させてくれる所だった。結論を言えば、この手の建物に蛍光灯は合わない。

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同上、照明。

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1階、浴場前にある洗面所。これまた戦前のものがよく残っている。

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浴場前の廊下。

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浴場脱衣場。浴場周りは鉄筋コンクリート造で、洋風に造られている。

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脱衣場照明。大正中期の建物らしくセセッション風意匠の台座飾り。

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浴場周辺のステンドグラスが多用されているのもこの宿の特徴である。
図柄は芦ノ湖を泳ぐ白鳥か。

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これは芦ノ湖と富士山か。

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家族風呂のステンドグラス。
建具は最近アルミサッシに取り替えたようである。

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上記ステンドグラスの向かい側にあるステンドグラス。

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裏庭。倉庫と思しき土蔵風の建物には半円形のバルコニーが付いている。

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同上。

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早川沿いには石畳の遊歩道が設けられている。

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早川側からの見上げ。
冒頭に凝った普請の温泉旅館建築は近代特有の現象であると記したが、江戸時代以前は環翆楼のような宿でも建物は茅葺の粗末なものだったらしい。劇作家・岡本綺堂(1872~1939)の随筆「温泉雑記」(岩波文庫「岡本綺堂随筆集」所収)には、建物、設備、温泉客の姿等、明治時代にはまだ残っていた江戸時代の湯治場の姿が記されており、興味深い一文である。

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上階は宴会用の大広間がいくつもある。
写真は4階「蓬仙閣」。

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同じく4階の舞台付き大広間「万象閣」。
かつてはここで芸者や太鼓持ちを挙げて盛大な宴が繰り広げられた筈。
今は宴会を行う客も殆ど無いのか、長らく使われた気配は感じられなかった。

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これも4階「神代閣」。今日では入手も加工も絶対不可能であろう神代杉等の銘木がふんだんに使われている。

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人気の無い古い座敷は寂しく、時には薄気味悪いものである。
これからもこの素晴らしい宿に、多くの温泉客の歓声が響き続ける事を願う。

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第127回・旧ジョネス邸

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神戸の西郊・塩屋に残る洋館のひとつ。英国人ジョネス氏の邸宅として大正8年(1919)に建てられた。
弊ブログ第120回で取り上げた旧グッゲンハイム邸の近くにあり、山陽本線を挟んで200米程度しか離れていない。

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現在はJR山陽本線塩屋駅前の海岸べりに建っているが元々は現在地より500米程東側にあった。

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昭和38年に山揚本線の拡幅により現在地に移築された。現在は山田氏邸となっている。

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反りのある屋根や付け柱の柱頭など、中国風や日本風が入り混じった意匠の洋館である。
内装も外観同様、洋風と和風が混じったものらしい。

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玄関ポーチ。近年まで和風の欄干が上部にあったが今は無い。

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よく見ると両側の付柱に欄干の痕跡が見える。

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神戸の西郊、須磨・塩屋・垂水・舞子の海岸べりにはかつて内外人の別荘として建てられた凝った造りの洋館・日本家屋が多数あったが、現在ではこの旧ジョネス邸を含め数件程度を残すのみである。

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近年は傷みが激しくなっており将来が案じられるが、残って欲しい洋館である。

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JR塩屋駅のホームから撮影。

第126回・大阪倶楽部

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大阪倶楽部は大正元年(1912)、大阪の財界人達によって設立された英国風社交倶楽部。
現在の会館は大正13年(1924)に建てられた2代目で、設計は安井武雄。大阪瓦斯ビル、高麗橋野村ビルと並ぶ安井の代表作。

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国登録有形文化財を経て、大阪市の有形文化財に近年指定された。

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建物は素晴らしいのだが、とにかく電柱と電線が邪魔。

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イベント等があるとき一部立ち入り可能なときがあるが、現在も現役の社交クラブの会館建築なので、基本的に一般人は立ち入り不可。写真は2階談話室で展覧会があったときに撮影したもので、2階のホール部分。

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階段室。

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階段室ステンドグラス。

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読書室。

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会館内に展示されていた古写真。
読書室の創建当初の姿。当時はソファを配し広間として使われていた。

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創建当初の談話室。現在も談話室として使われているが、家具調度類は戦時中の海軍及び戦後の占領軍による接収中に
破損または持ち出され、殆ど残されていない。

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他の部屋を写した古写真も展示されていた。

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第125回・旧秋田銀行本店

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明治45年(1912)に現在も秋田県の地方銀行として盛業中である秋田銀行の本店として、3年の工期をかけて竣工した。設計・山口直昭、内装設計・星野男三郎。現存する戦前の地方銀行の本店建築の中でも屈指の豪華さを誇る。国指定重要文化財。

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煉瓦造だが、1階部分は白色化粧煉瓦を貼り上下で赤白2色に分けた外観が特徴的。

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ツートンカラーの外壁と並んで特徴的なのは、正面両端の円筒形に張り出した城郭風の外壁。

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円筒部分頂部の飾り。

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屋根の棟飾り。

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秋田県を代表する近代洋風建築と言える。

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袖塀と通用門。

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同上、内側から見る。

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通用門を入った奥にある書庫。昭和に入ってからの増築。
煉瓦タイルを貼った鉄筋コンクリート造。

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現在は秋田市の所有で「赤れんが郷土館」として公開されている。

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営業室内部。
華麗な外観が抱かせる期待を裏切らない、すばらしい空間。

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玄関内側上部の石膏飾り。

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営業室の客溜。
カウンター及び腰壁には緑色の蛇紋岩を貼った非常に贅沢な造り。

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至る所に見事な石膏装飾が施されている。

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客溜にあるラジエーター。円形のものは珍しい。

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営業室内部には暖炉がある。

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営業室の奥にある頭取室の暖炉。

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2階への階段。階段は白大理石でできている。

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階段手摺。これは明治45年当初からのものではない。もとは金属製の装飾豊かな手摺があったらしい。
もとの手摺は戦時中の金属供出で取り外されたため、現在の木製手摺は昭和10年代のものと思われる。
営業室のギャラリーやカウンターも本来は全て金属製で、創建当初はもっと装飾的で華麗な空間だった。

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階段室天井。

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2階からみた階段室。

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2階には貴賓室がある。
蛇紋岩を贅沢に使った暖炉。

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同上、暖炉正面アップ。

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貴賓室天井。

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現存する同時期の銀行建築と比較しても、その豪華さは際立っている。

第124回・旧報徳銀行大阪支店(現・新井ビル)

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大正11年(1922)に報徳銀行大阪支店として建てられた鉄筋コンクリート造4階建のビル。
1~2階には吹き抜けの営業室を持つ銀行店舗、3~4階は貸事務所として設計された。
設計は弊ブログでも何度か取り上げた河合浩蔵。神戸の旧日濠館(海岸ビルヂング)や旧小寺家厩舎の設計者である。
国登録有形文化財。

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大阪市の中心街である船場の東側を南北に貫く堺筋に面して建っている。弊ブログで以前紹介した高麗橋野村ビルは2軒おいて南隣りに建っている。他にも戦前の質の高い建築が何件か残る。

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昭和2年の金融恐慌で報徳銀行は倒産したため、銀行店舗として使われたのは僅か5年であった。

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銀行倒産後、当時証券業を営んでいた現所有者の先代が事務所として購入、現在は貸しビルとして使われている。
1~2階の銀行旧営業室部分は、昭和50年代から平成10年代半ばまでは大阪の老舗ステーキ店が入っていたが、現在は菓子店になっている。

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2階より上層の芋目地(升目状に通っている目地のこと)に貼られたチョコレート色のタイルが外観の特徴。
大正11年当時は大変モダンな建築表現であった。

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ただし、1階は石積みの外壁と4本の列柱で重厚に仕上げ、古典的様式を基調にデザインされている。

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谷崎潤一郎の「細雪」に登場する蒔岡四姉妹の次女の夫は堺筋今橋のビル内に計理士(現在の公認会計士に相当)事務所を構え、蘆屋の家から通うという設定になっている。「卍」でも、ほぼ同じ場所が弁護士事務所として登場する。

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特に「細雪」では、文脈から事務所が堺筋今橋でもこのビルがある西側にあるということが分かる。「卍」の設定は昭和2年、「細雪」は昭和11年~16年であり、このビルは無論既に存在する。ひょっとすると谷崎はこのビルが目に付いていたのではないかとも思う。(但し全くの管理人個人の推測でしかない。当時堺筋今橋の西側にビルがこの1件しか無かったかどうかは分からない。)

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1階向かって左側が旧銀行の玄関で、入ると吹き抜けの旧営業室がある。
それに対し右側は入ってすぐ階段室があり、3~4階の貸事務所につながっている。

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この右側の玄関には、戦前はエレベーターもあったが戦時中の金属供出で撤去、階段のみの状態で現在に至る。
金属製のカゴのような、初期型のエレベーターだったらしい。

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スチールサッシも窓硝子も大正時代からのものであると思われる。

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今年で築88年。即ち米寿。
今後も、益々の御長寿を。

第123回・旧カブトビール半田工場

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愛知県半田市は酢を始め醸造業の盛んな土地である。かつてはビール工場もあり、当時の建物が残っている。
現在半田市が所有・管理する半田赤レンガ建物(旧カブトビール半田工場)である。
弊ブログで以前取り上げた旧中埜半六家別邸から徒歩15分程度の場所にある。

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煉瓦造の工場建築や倉庫は日本各地に何件か残るが、半木造(ハーフ・チンバー)意匠を取り入れたり五階建てという高層の建物は他に例が無いと思われ、大変珍しい存在である。

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明治31年(1898)竣工。妻木頼黄設計、清水組施工。

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カブトビールは明治から昭和戦前まで東海地方を中心に売られていた麦酒のブランド。

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この建物が麦酒製造工場として使われていたのは昭和18年までである。
それ以降は中島飛行機の工場として使われていた。

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建物の保存が決まるまでに一部は撤去されてしまったので、痛々しい壁の断面が見られる。

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空中に浮かぶ扉もそのためである。

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非常に珍しい、煉瓦造五階建て。

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手前の自動車と比較すると、その大きさが分かると思う。

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こちらの壁面には第二次大戦末期の米軍による機銃掃射の痕跡が残っている。

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平成16年には国の登録有形文化財に認定された。
現在は半田市が所有し、イベント等があるときのみ内部に入れるようである。

第122回・旧福岡県公会堂貴賓館

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福岡の中心部、中洲の一角に建つ洋館。
明治43年(1910)に開催された第13回九州沖縄八県連合共進会の貴賓接待所を兼ねて、同年3月に竣工。
設計は福岡県庁の土木技師で福岡県庁、県立図書館等、明治末から大正期にかけ福岡の公共建築の設計を多く手掛けた三條栄三郎による。

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県の公会堂及び迎賓館として使われ、竣工直後に閑院宮夫妻の宿泊所となった他、皇太子の宿所にも充てられた。
戦時中は福岡連隊区司令部庁舎、戦後は福岡高裁庁舎、福岡県教育庁庁舎等として使われた。
昭和56年県庁舎移転に伴い教育庁も移転、このとき公会堂部分は取り壊されてしまった。
その後、貴賓館部分が修復の上国の重要文化財に指定され一般公開、現在に至る。

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八角形の尖塔や中央の角型ドーム屋根が外観の特徴。
日本では比較的珍しいフレンチルネッサンス様式を取り込んだ建物。

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木造2階建、外壁はモルタル塗り仕上げで1階腰壁部分は白タイル貼り。

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尖塔のある方の側面にはベランダが設けられている。

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かつてはこのベランダで隣接する公会堂部分と結ばれていた。

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館内に展示されている模型。左手の平屋が現存しない旧公会堂。取り壊されたのは旧貴賓館と異なり保存状態が悪かったのかどうかは知らないが、理解に苦しむ。

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同上、反対側から見た模型。
旧公会堂撤去とほぼ同じ時期、この洋館の周囲にあった旧福岡県庁、旧福岡市役所等戦前の建築は一掃された。

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この旧公会堂貴賓館と、少し離れて建つ旧日本生命九州支店(明治42・国指定重文)だけが福岡市中心部にごく僅かに残る近代洋風建築と言ってもよい。

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1階旧食堂。照明は旧福岡県庁舎の県会議事堂にあったものとの事。

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同上、暖炉。
ここの暖炉は全てガスを用いる形式である。したがって右手に元栓が写っている。

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旧食堂の一角には八角形の張り出し(アルコーブ)がある。上部の半円アーチの仕切りが面白い。
尖塔の1階部分である。

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1階旧遊戯室。右奥に写るのはバーカウンターと思われる。かつては撞球台も置かれていた。
つまりこの遊戯室はバーカウンターを備えた撞球室だったのかも知れない。

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旧遊戯室の暖炉。暖炉は全て同じ白大理石で出来ているが、意匠は部屋ごとに異なる。

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2階への階段。真ん中に通った階段が踊り場で二手に分かれるのではなく、ここでは逆。

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踊り場から1本の階段になる。突き当たりの扉は玄関ポーチ上のバルコニーにつながっている。

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階段室の半円窓。

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旧貴賓室。1階食堂の真上に位置する。

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同上、暖炉。
貴賓室なので、ここの暖炉が最も凝った造りになっている。

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1階食堂と同様、貴賓室も八角形のアルコーブがある。

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こちらは上部の造りが面白い。尖塔の丸窓が並んでいる。

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2階旧談話室。

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同上、暖炉。

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2階旧食堂。

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同上、暖炉。

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2階旧西寝室。
この西寝室のほか、旧貴賓室につながっている旧東寝室がある。

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同上、暖炉。

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同上、天井。
この建物は天井の意匠も各室毎に異なり見応えがある。

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2階旧浴室及び便所。
接待だけではなく、宿泊も可能な迎賓館であったことが分かる。

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迎賓館にふさわしい見事なインテリアの洋館である。

第121回・旧海軍兵学校(現海上自衛隊江田島第一術科学校)

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瀬戸内海に浮かぶ江田島(えたじま)に明治21年(1888)、東京築地から移転してきた旧海軍兵学校は、現在は海上自衛隊江田島第一術科学校として当時の建物の大半が今も現役で使われている。また一般公開もされており団体でなければ事前予約は不要であり、その場での手続きだけで簡単に見学が可能である。今回は旧海軍兵学校の施設のうち明治・大正・昭和の各時代を代表する建築を紹介する。

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明治26年(1893)建築の旧海軍兵学校生徒館。設計は明治政府の御雇外国人のひとりであった英国人J・ダイアックであるとも伝えられるが定かではない。

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現在は幹部候補生学校庁舎として使われている。

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極めて長大な建物である。煉瓦造2階建。

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近年耐震補強を伴う改修工事が施され、今後もまだまだ現役で使われ続ける。

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煉瓦は英国からの輸入品を用いている。そのとき煉瓦は一個一個亜鉛引き鉄板で出来た箱に納められていた。この金属製の箱が何であるのか尋ねる日本人職人に対し、監督の外国人技師は煉瓦の事を訊いているものと勘違いし、ブリック(brick=煉瓦)と答えた・・・ことが「ブリキ(錻力)」の語源とする説もある。

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その場で見比べることができたのだが、英国製煉瓦は同時期の国産品と比べると非常に肌理の細かいものだった。

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側面。真ん中に写る入口の奥には・・・

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見事な回廊がある。アーチが連続するこの回廊はよく写真で紹介されているものだが、残念ながらこのアングルからしか見せて貰えなかった。

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大正時代の一時期、横須賀の海軍機関学校でドイツ語を教えていた随筆家の内田百間(1889~1971)は、関東大震災の翌春、海軍機関学校の一時移転先となっていた江田島を訪れている。その時の模様が随筆「フロツクコート」(昭和8年刊「百鬼園随筆」所収)にある。その本文中、百間が玄関先で泥落とし用の敷物に脚を引掛けて転ぶくだりがあるが、この建物での出来事と思われる。

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旧生徒館に隣接して建っているのが大講堂。

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大講堂。明治45年(1912)着工、大正6年(1917)竣工。壮麗な姿は旧海軍兵学校の諸施設の中でも圧巻である。旧海軍時代も、海上自衛隊の現在も、入学式・卒業式等の式典の会場として使われている。

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設計は米国留学の経験を持つ海軍技師・能村智二を始めとする呉海軍経理部建築科の技師達が当たった。施工は直営。

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構造は鉄骨・煉瓦造・石造の混合構造。

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先述の内田百間「フロツクコート」には、この建物を指すと思われるくだりがある。

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「・・・広い芝生の向うに、大きな白い石造の建物が見えだした。廃墟のやうな東京から出て来て眺めた目には、丸でお伽噺の国の殿堂のやうに思はれた。その建物の壮美な感じが私に乗り移つて、私は益偉いやうな心持になり、人つ子一人ゐない静まり返つた広場を闊歩して、堂堂たる玄関にかかり、・・・・」この直後、百間は足を引っ掛けて転倒する。

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外装の石材は、広島県に隣接する山口県徳山産の白御影石を用いている。

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正面の反対側にも堂々たる車寄せがある。
2階には貴賓室もある。

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この建物も旧生徒館同様、耐震補強及び改修工事を既に終えている。

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大講堂内部。

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大講堂天井。

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大講堂側面の窓。側面回廊の柱は鋳鉄製。

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昭和11年(1936)竣工の教育参考館。
東郷平八郎、山本五十六両元帥、ネルソン提督の遺髪及び旧海軍兵学校出身戦没者を祀り関係史料を展示している。
ドリス式列柱が見事である。

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設計は日本初の超高層建築である霞が関ビルの設計で知られる建築家・山下寿郎(1888~1983)。
上階へ階段が一直線に伸びる内部もすばらしいが、撮影禁止のため残念ながら写真は無い。

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教育参考館全景。

なお、見学対象に含まれていないが、これら3件のほかにも水交館(旧海軍兵学校文庫館)など優れた戦前建築が残り、現役で使われている。

(平成26年5月24日追記)
本記事における建物の設計、施工者等の来歴は「海上自衛隊施設などの美しい歴史的建造物(呉地方総監部・江田島第一術科学校)」(防衛施設学会 歴史的建造物保存技術部会編集・発行 平成20年刊)を主要参考資料として作成しております。(海上自衛隊江田島第一術科学校校内売店で購入)

(平成26年7月30日追記)
大講堂の施工者は上記参考資料に基づき、清水組(現清水建設)としておりましたが、日本建築学会編集・発行の「建築雑誌」第373号(大正7年)所載「海軍兵學校大講堂新築の概要」には「施工方法 直営」とあるため、竣工当初の資料である点を重視して本文を訂正致します。(併せて文章も一部手直しを加えました事をお断りしておきます)

第120回・旧グッゲンハイム邸

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神戸市の西郊、垂水区塩屋は大阪湾と瀬戸内海、淡路島を望む景勝の地であり、明治時代より風光明媚なこの土地に目をつけた西欧人達がリゾート地として邸宅、別荘建築を多く建てた。旧グッゲンハイム邸は明治42年(1909)、ドイツ人貿易商グッゲンハイム氏の住居として建てられたと推測される。

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設計は神戸において多くの西欧人の住居、即ち異人館の設計を多く手掛けた英国人建築家ハンセルによるものと考えられている。

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グッゲンハイム氏の住居として使われたのはごく短く大正4年頃までであったようである。(第一次世界大戦によりドイツが日本の敵国となったのも関係があるのでないかと思われる)その後は長らく日本人の住まいとして使われ、近年まではある会社の社員寮として使われていた。

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建物の目の前を山陽電車と山陽本線が通っており、踏切をくぐるとすぐ門前に至る。

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一時存続の危機に立ったこの洋館は、地元在住の奇特なステンドグラス作家の篤志により買収され、各種の文化活動の会場として使われるほか一般公開もされている。歴史的建築に対して無神経無感覚無能のこの国に於いて斯かる行為はいくら賞賛してもし過ぎることは決してないと言える。

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半円形に張り出した玄関ポーチが建物の外観を特徴付けている。

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1階ベランダ。かつては欄干が巡らされていたが、現在は玄関ポーチ周りを除いて撤去されている。

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1階ベランダから見た庭園。

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玄関。

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玄関を入ってすぐにある階段。欄干のデザインが個性的である。

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2階ベランダ。

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2階ベランダから見る瀬戸内海は絶品。

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この館の最大の見どころはベランダにあると言ってもよいかも知れない。

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内部の暖炉。

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日本建築の欄間を思わせる彫刻が施されたカーテンボックス(か?)

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照明器具も創建当初と思われるものがよく残っている。

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赤瓦葺の屋根が洋館の雰囲気に実によく合っているが、残念ながら戦後の改修によるものでオリジナルではない。
かつては山本通・北野町界隈の異人館同様に黒色日本瓦葺きであった。

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塩屋を代表する存在の洋館であり、今後も永く生き続ける。

第119回・諏訪之森駅舎

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以前取り上げた大阪府堺市の南海本線浜寺公園駅舎の隣にある諏訪之森駅も、歴史ある美しい駅舎を残す。
大正8年(1919)頃の建築と考えられている。国登録有形文化財。

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この駅舎も浜寺公園駅舎と同様、南海本線の高架化工事を迎える。
建物は残る予定だが、浜寺公園駅と異なり駅舎として使われることはない。
即ち、間もなく役目を終える。

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小規模だが愛らしい駅舎である。

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南海電鉄は大正~昭和初期には諏訪之森の他、このようなスタイルの洋館駅舎を数多く建てている。
現在諏訪之森以外では、高師浜駅、蛸地蔵駅等が残るが、諏訪之森が最も質・保存状態がよい。

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入口の欄間にはステンドグラスがはめ込まれている。

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かつての高師浜と称された海岸から見た大阪湾と淡路島の風景が描かれている。

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改札脇の造りつけベンチ。

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ベンチの付け柱装飾。

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ホームからみた改札付近。

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ホームとの境に建つ柱の装飾。

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この姿も、間もなくお別れである。

第118回・旧海軍横須賀鎮守府長官官舎

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前回の旧荘氏鎌倉別邸と同じく、神奈川県下に残る桜井小太郎設計の建築。
横須賀にある旧海軍横須賀鎮守府の長官官舎で大正2年(1913)完成。現在は海上自衛隊田戸台分庁舎として使われている。毎年桜の時期に一般公開が行われる。

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正門。

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横須賀鎮守府時代の正門。当日展示されていた古写真より。
現在は門柱が1本無くなっていることが分かる。

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正門を入ったところより見た官舎全景。
平屋建の洋館と二階建の日本家屋から構成されている。

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同上、横須賀鎮守府時代。

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洋館正面。この旧い洋館に似合わない玄関の庇は当然ながら近年取り付けられたもの。
桜井小太郎は横須賀鎮守府の官舎の他、広島・呉の鎮守府長官官舎(弊ブログ第48回参照)を設計している。桜井は後に海軍技師を辞して三菱に入り、三菱銀行本店や丸の内ビルヂング(いずれも現存せず)を設計することになる。

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洋館玄関ホール。

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同上、横須賀鎮守府時代。

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玄関脇にある旧長官執務室兼書斎。
横須賀鎮守府の歴代長官の中には米内光政(元首相)、野村吉三郎(日米開戦時の駐米大使)などもいる。

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同上、横須賀鎮守府時代。

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旧客間。

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同上、横須賀鎮守府時代。

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旧食堂。

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同上、横須賀鎮守府時代。
残念ながらどの部屋も後年の改装が甚だしく、暖炉やステンドグラスも大半が失われている感じであった。

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旧食堂の食器棚。
横須賀鎮守府時代のインテリアを伝える数少ない家具。

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庭園側から見た洋館。
外装も建具、外壁を中心に改造が多いのが実情である。

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しかし、英国仕込みで同世代建築家の中でも屈指のデザインセンスの持ち主である桜井小太郎の腕前はこの現状でも十分味わうことはできる。

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六角形に張り出した塔屋。前回の旧荘氏鎌倉別邸と共通する意匠である。

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庭園側からみた全景。

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洋館と接続して建てられている日本家屋。

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日本家屋の平屋部分。銅板葺きの軒を深く張り出し数寄屋風に造られている。
旧呉鎮守府長官官舎の日本家屋部分の離れを連想させる造りである。

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当初からのオリジナルを残す希少な洋館部分のステンドグラス。
大正時代を代表するステンドグラス作家・小川三知の手になるものである事が近年判明したという。

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改装が激しいのは残念だが、現在も現役で大事に使われていることは有難いことである。
いつかは内外装ともに旧状に復元される日が来ることを望みたい。

第117回・旧荘清次郎鎌倉別邸(古我邸)

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大正5年(1916)に三菱財閥の重鎮・荘清次郎(1862~1926)の鎌倉別邸として建てられた英国風洋館。
濱口雄幸(1870~1931)、近衛文麿(1891~1945)両首相の別邸として使われたこともあるという。

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鎌倉駅から徒歩数分の距離にある、扇ヶ谷の住宅地に現れる重厚な門構え。

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門前に立つと山の緑に包まれた広壮な邸宅が突如現れる。

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設計は英国人建築家J・コンドルの直弟子で、三菱財閥系の建築を多く手掛けた桜井小太郎(1870~1953)。
銀行と邸宅に作品が多く、邸宅で現存するものではこの旧荘家別邸ほか海軍技師時代に設計した旧呉鎮守府長官官舎(明治38、広島県呉市、国指定重要文化財)などが現存する。

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鎌倉に残る戦前の邸宅・別荘の中でも規模・質共に最高の建築のひとつである。
また関東大震災で鎌倉は大きな被害を受けているため、大震災以前の建築としても貴重な存在である。

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白く塗られた建具が建物の表情を引き締めている。

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現在も現役の個人住宅であるが、旧い佇まいを極めてよく残している。

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第116回・萬代橋

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新潟市を流れる信濃川に架かる萬代橋(ばんだいばし)は昭和4年竣工の鉄筋コンクリートアーチ橋。

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平成16年に国指定重要文化財となる。
現役の道路橋としては日本橋(明治44、東京都)に続き2例目である。

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竣工当時は日本最大のコンクリート構造物であったと言われている。

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関東大震災後の復興橋梁を手掛けた内務省復興局の技術陣が萬代橋の設計に当たった。

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昭和39年の新潟地震では、近隣に落橋した橋もあったにも関わらず萬代橋は殆ど被害も無かった。

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橋上及び側面の照明燈は、重要文化財指定後の改修で架橋当初のものが復元された。

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鉄筋コンクリート橋であるが、外装は花崗岩で重厚に仕上げられている。

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橋の袂には半円形の張り出しがある。

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一部陸橋となっている。

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周囲には橋とよく調和した遊歩道が整備されている。

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新潟が全国に誇るべき美しい橋。

第115回・滋賀県庁舎

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滋賀県庁舎は、戦前に完成した道府県庁舎の中では最も新しく、昭和14年(1939)竣工。
設計は佐藤功一と國枝博。

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元々この場所には、明治21年に建てられた煉瓦造二階建の旧庁舎があったが老朽化に伴い改築したものである。
この旧庁舎は最初の煉瓦造・本格洋風建築の県庁舎であった(北海道庁は同年の竣工だが、滋賀より若干竣工は遅い)

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佐藤功一は早稲田大学教授で同大学の大隈講堂、日比谷公会堂の設計で知られる。官公庁舎も多く手掛けており県庁舎だけでも群馬・宮城・栃木・滋賀の4県庁舎を設計している。(宮城は現存せず。栃木は中央部のみ保存。)
國枝博は京城の朝鮮総督府庁舎の設計者のひとりで(主設計はドイツ人建築家のデ・ラランデ。現存せず。)、大阪で建築事務所を開いていた人物。

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手前の噴水は昭和40年代に設置されたものだが庁舎の雰囲気によく調和している。

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中央に高塔を備えており、当庁舎の外観の大きな特徴になっている。

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弊ブログでは同じ佐藤功一設計の旧栃木県庁舎を以前取り上げている(第57回参照)。
高塔を除くと両者はよく似ていることが分かると思う。

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5階部分、即ち塔の下部には旧庁舎の内装の一部を移築保存しているという。
滋賀県庁のHPによれば、明治23年の琵琶湖疏水開通の際、明治天皇の御座所として使われた旧正庁を記念室として
新庁舎内に移築したとの事である。戦前における明治建築の部分保存事例として珍しいものと言える。

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もっとも現在この記念室は、執務室になってしまっているようなので旧状がどの程度保存されているかは分からない。

(参考)滋賀県庁ホームページ↓

http://www.pref.shiga.jp/b/soumu/kenchosha/meisho.html

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現在も現役の庁舎である。
内装には信楽焼の装飾パネルや、栃木県庁と同様にステンドグラスで飾られた階段室があるらしい。

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外壁のタイルは最近貼り替えられたようである。

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正面向かって左側からの眺め。

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正面向かって右側は県議会の玄関がある。

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県議会玄関ポーチ。

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県議会側からみた外壁上部の装飾。

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同上。少し後ろに下がって見ると高塔のてっぺんが見える。

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高塔上部。

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第114回・旧大川栄邸

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大正14年(1925)、鉄道省(現国土交通省)の技師であった大川栄氏の住居として現在の東京都大田区田園調布に建てられた。全室椅子座の生活を想定して造られた、大正末期の先進的な郊外住宅である。
設計は鳩山一郎邸や歌舞伎座、明治生命館の設計で知られる岡田信一郎建築事務所の主任技師であった三井道男である。

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平成5年まで住居として使われたのち、平成7年、東京都小金井市にある「江戸東京たてもの園」に移築復元。
現在は大正末~昭和初期の生活の模様を再現した状態で展示公開されている。

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木造平屋建て日本瓦葺、玄関・居間・食堂・書斎・寝室・台所・女中部屋から構成される。
寝室の前には特徴的なパーゴラを備えたテラスがある。

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玄関。

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土台の換気口。

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キツツキ形の玄関照明。

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玄関内部。

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玄関奥ホールの照明。

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書斎。

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食堂。テーブルとサイドボードは創建当初より大川家で使われていたもの。

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同じく食堂。奥のハッチは台所に通じており、ここから料理を出せるように出来ている。

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食堂から居間を見る。居間と食堂は硝子戸で仕切られている。

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居間。

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同じく居間。ピアノ等の家具調度類は、一部を除き展示のため移築復元に際して別途購入したもの。

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居間窓際の造り付けソファ。

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テラスから見たパーゴラ。
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現存する近代日本の歴史的遺産(台湾など旧日本領土も含む)を建造物・土木構造物を中心に、思いつくままに取り上げております。

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