第133回・旧高橋是清邸

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東京都小金井市の江戸東京たてもの園に、昭和11年の2・26事件の舞台のひとつとなった建物が移築保存されている。事件当時大蔵大臣で、総理大臣も務めた高橋是清(1854~1936)の自宅である。
写真は1階にある仏間。

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明治35年(1902)に東京赤坂に建てられた。現在残るのは高橋是清の生活の場として使われていた主家の主要部分。事件後、邸宅の敷地は東京市(当時)に寄贈、高橋是清翁記念公園となった。公園は現在もあるが、主屋以外の建物は戦災で焼失したため、現存しない。

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主家は高橋家の墓所がある多摩霊園に移築、昭和後期までは墓参者の休憩所等に使われていた。平成に入り江戸東京たてもの園に移築、公開され現在に至る。

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1階座敷。パンとコーヒーの朝食を摂る高橋是清の写真が展示されている。

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1階縁側。手前の両側に写っているのは座敷牢の格子ではない。
耐震補強のため取り付けられたものである。

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1階食堂。高橋邸はこのような洋式の食堂を備えた日本家屋のみで、洋館はない。

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2階、十五畳敷きの座敷。ここは高橋是清の生活の場というよりは来客用の部屋だったようである。

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同上、窓の硝子障子。絵入り砂摺り硝子が使われている。

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書斎兼寝室として使っていた二階居室。
ここで、高橋是清は青年将校に拳銃と軍刀で殺害された。

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第132回・旧植竹庄兵衛邸

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茨城県稲敷市にある和洋併置式の邸宅。
昭和14年(1939)に当地で江戸崎入干拓事業を行った植竹庄兵衛氏の邸宅として建てられた。

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門。干拓地を望む小高い土地にある。

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木造二階建ての洋館、平屋建ての日本館、土蔵から構成される和洋併置式の邸宅。

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洋館。かつては半円アーチを持つ玄関ポーチがあったが取り払われている。

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洋館の外壁には随所に凝った左官仕事が見られる。

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洋館の内部は和室が主体。写真は二階階段室。

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二階大広間。

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大広間の書院窓。床柱には非常に珍しい材木を用いているらしい。

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同じく洋館二階の座敷。反対側には同じ造りの座敷がある。

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日本館内部。折上げ格天井やステンドグラスを嵌めた欄間が特徴であり、この館の見どころ。

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戦時中は海軍鹿島航空隊司令官であった久邇宮の宿所に充てられていた。

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戦後は「大日苑」の名で結婚式場に使われ、現在はNPO法人・稲敷伝統文化保存会が管理、建物の保存・活用を図っている。

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凝った書院窓。

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欄間にステンドグラスを入れた日本座敷は珍しい。

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ステンドグラス以外にも、彫刻で飾られた欄間もある。

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どの座敷も、材料・意匠共に趣向を凝らしている。

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建物は近年、国の登録有形文化財に認定された。

第131回・旅館松の家

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房総半島の東側に位置する千葉県勝浦市、勝浦漁港の近くに建つ旅館松の家は江戸時代より続く老舗旅館である。現在の建物は昭和7~8年頃の建設と考えられている。国登録有形文化財。

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現在も料理旅館として盛業中。すぐそばにある勝浦漁港で取れた新鮮な魚介類を手頃な価格で堪能できる。

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唐破風を持つ玄関。

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玄関内部。

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昔ながらの帳場が残る。

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電話室も戦前からのものがそのまま残る。ただし今も現役なので、中の電話は無論新しい。

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金文字で屋号が書かれた柱時計。

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昭和の香り高き道具類が飾られている。

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二階への階段。柱に掛けられた寒暖計は摂氏・華氏両表示。

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二階から見た階段。

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二階の客室。床柱には銘木が使われている。

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同上。上の客室と続き間になっており、床の間が二つある。
冒頭の写真は左側の窓をアップで撮ったもの。

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別の客室。

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客室縁側。

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旅館と言っても民宿の延長のような、気取らない寛げる宿である。

第130回・旧和田豊治邸(豊門会館)

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静岡県小山町に明治末期の実業家の邸宅が保存されている。
富士紡績の創業者・和田豊治(1861~1924)の本邸として明治42~43年(1909~10)頃東京の向島に建てられ、和田豊治の没後、その遺志により富士紡績の工場がある小山へ大正15年に移築され、従業員及び地域住民の福利厚生施設「豊門会館」として使われた。現在は他の施設と共に小山町に寄贈され、整備が進められている。

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移築後間もなく撮影された旧和田邸全景。向島にあったときの状態を忠実に移築再建したという。

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小山町所有後の姿。写真は最初に一般公開が行われた平成17年の撮影なので、現在は樹木の剪定等、もっと整備が進んでいるようである。

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日本家屋、洋館共に旧状を非常によく残している。

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玄関。

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玄関を入ってすぐ右手にある応接間。日本家屋内の部屋だが、ここは洋風に造られている。
入口欄間には障子のような意匠のシンプルなステンドグラスが嵌められている。

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応接間内部。

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応接間の窓。

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廊下は畳敷きになっている。

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1階、十畳敷きの座敷。

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ちょっと変わった意匠の階段手摺。

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2階座敷。移築前に関東大震災に遭遇しているが、震災による損傷は殆ど無かったらしい。

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2階座敷の欄間。

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洋館入口手前に置かれた帽子掛。

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洋館には日本家屋内部から出入り可能だが、外部から出入りできる玄関も造られている。
明治の洋館の玄関としては非常に簡素。

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洋館窓の鎧戸。

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テラスとベイウィンドウ。

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サンルーム。戦前の邸宅で、全面ガラス張りのサンルームが現存するのは珍しい。

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洋館内部。玄関及び玄関ホール、大小の客間とサンルームから構成されている。
大きいほうの客間は大理石の暖炉にベイウィンドウ、漆喰飾りを施した天井など、手が込んでいる。

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天井。

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暖炉。奥に和田豊治の肖像写真が掲げられている。
戦前日本の基幹産業である紡績会社の経営者としては鐘紡の武藤山治と並ぶ存在として知られる。日本工業倶楽部(弊ブログ第22回参照)の第二代理事長も務めている。

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ベイウインドウ。大正12年の春に向島で催した園遊会の映像が残っており、建物の公開に際して映写を行っていたが、そこにはこの窓際で主人の和田豊治が椅子に座って煙草をくゆらせる姿が写っていた。

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三角棚。向島時代からのものと思われる。

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同様に向島から持ってきたと思われる書棚と蔵書。

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サンルーム内部。

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小山町の貴重な文化遺産であることは言うまでもないが、明治期に東京に建てられた実業家の邸宅としても貴重。

第129回・旧里見邸

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作家・里見(1888~1983)が昭和2年(1927)に自ら設計した住宅と、2年後の昭和4年に増築した書斎が鎌倉の西御門にある。現在はある建築事務所が所有者より建物を借り受け、「西御門サローネ」として公開・活用が図られている。毎週月曜日が建物の公開日となっている。

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全景。里見は昭和11年までの9年間この家に住んでいた。

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設計にあたり、大正12年に竣工した東京日比谷の帝国ホテル(米国人建築家フランク・ロイド・ライト設計、現在は玄関部分のみ明治村にて保存)を参考にしたとされ、デザイン上の類似が多く見られる。

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玄関ポーチ。網戸付きの二重扉になっている。

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玄関脇のサンルーム。

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ライト好みの六角形の窓。

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ステンドグラス。

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玄関ホールは居間も兼ねた造りになっている。

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造りつけのソファがあるベイウインドウ。

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窓の桟の割りつけもライト好みの意匠。

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内側から見た六角窓。

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玄関ホール兼居間と続き間になっている応接間には、暖炉がある。
飾りではなく実際に薪を燃やす事が可能だが、以前ハクビシンが侵入したため現在は煙突を塞いでいるとのことだった。

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応接間からサンルームに出られる。白く塗られているのは敗戦後の米軍接収時代の名残で、もとは他の部屋と同様焦茶色に塗っていたようである。

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同上、サンルームから庭を見る。

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再び玄関ホールへ戻る。2階への階段がある。

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ステンドグラスは階段室を飾るものだった。

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ステンドグラスのアップ。

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階段から二階を見る。二階は非公開のためここまで。

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階段室の奥に渡り廊下があり、突き当たりには水屋がある。

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水屋の横の扉をくぐると、一転して数寄屋風の造りに変わる。ここからが昭和4年増築の書斎部分。里見と親交のあった志賀直哉の邸宅を手がけた京都の大工を呼び寄せ、住居と同じく里見の設計で建てたという。

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縁側。欄干の高さ、窓の大きさなど、庭や周囲の風景の眺めを入念に考慮して決めたものと思われる。

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茶室風に造られた書斎。炉も切ってある。
しかし炉は茶事よりも、暖を取るための実用重視で設けたものではないかということだった。

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次の間。

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書斎床の間。

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書斎外観。高床式でわら葺きというライト風の母屋とは全く異なる造り。

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高床式にしたのは、すぐ裏に山が迫っており湿気を避けるためではないか、とのこと。

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書斎と母屋の繋ぎ目。

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外の道路から見た書斎外観。

第128回・環翆楼

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箱根塔之澤温泉の老舗旅館・環翆楼。
創業は慶長年間に遡るという箱根でも指折りの老舗旅館である。江戸時代は大名、旗本、豪商が、明治以降は皇族、華族、政治家、軍人、文人が多く利用した。木造4階建の大廈高楼が今も威容を誇る。

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銘木を多用し、数寄を凝らした普請の温泉旅館が各地の温泉場で建てられるようになるのは、近代以降の現象である。その原因を建築史家で東大教授の藤森照信博士は、明治以降の鉄道網の発達による温泉客の急増によるものと推測している。現在の建物は大正8年(1919)に建てられ、同12年の関東大震災で一部が崩壊したため翌年に一部増改築を行い現在の姿になったという。内外共に大正、昭和戦前の雰囲気を極めて色濃く残す宿である。

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横を早川の渓流が流れ、前を国道1号線が通る。
正月の箱根駅伝の際はこの旅館は必ずといってよいほど映っている。

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玄関。

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帳場の近くにある談話室的なスペース。

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中庭。この真下に浴室がある。

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客室のひとつ。床の間付きの座敷が二間、次の間が二間、合計四間あり非常にゆったりした客室だった。

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座敷その1。床の間。

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同上、照明。照明も戦前のものがそのまま使われている。

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座敷その2。
洋館でも日本座敷でも、照明が蛍光灯か白熱灯かで雰囲気が大きく変わる。この宿はそれを身を以て実感させてくれる所だった。結論を言えば、この手の建物に蛍光灯は合わない。

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同上、照明。

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1階、浴場前にある洗面所。これまた戦前のものがよく残っている。

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浴場前の廊下。

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浴場脱衣場。浴場周りは鉄筋コンクリート造で、洋風に造られている。

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脱衣場照明。大正中期の建物らしくセセッション風意匠の台座飾り。

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浴場周辺のステンドグラスが多用されているのもこの宿の特徴である。
図柄は芦ノ湖を泳ぐ白鳥か。

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これは芦ノ湖と富士山か。

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家族風呂のステンドグラス。
建具は最近アルミサッシに取り替えたようである。

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上記ステンドグラスの向かい側にあるステンドグラス。

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裏庭。倉庫と思しき土蔵風の建物には半円形のバルコニーが付いている。

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同上。

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早川沿いには石畳の遊歩道が設けられている。

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早川側からの見上げ。
冒頭に凝った普請の温泉旅館建築は近代特有の現象であると記したが、江戸時代以前は環翆楼のような宿でも建物は茅葺の粗末なものだったらしい。劇作家・岡本綺堂(1872~1939)の随筆「温泉雑記」(岩波文庫「岡本綺堂随筆集」所収)には、建物、設備、温泉客の姿等、明治時代にはまだ残っていた江戸時代の湯治場の姿が記されており、興味深い一文である。

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上階は宴会用の大広間がいくつもある。
写真は4階「蓬仙閣」。

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同じく4階の舞台付き大広間「万象閣」。
かつてはここで芸者や太鼓持ちを挙げて盛大な宴が繰り広げられた筈。
今は宴会を行う客も殆ど無いのか、長らく使われた気配は感じられなかった。

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これも4階「神代閣」。今日では入手も加工も絶対不可能であろう神代杉等の銘木がふんだんに使われている。

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人気の無い古い座敷は寂しく、時には薄気味悪いものである。
これからもこの素晴らしい宿に、多くの温泉客の歓声が響き続ける事を願う。

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第127回・旧ジョネス邸

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神戸の西郊・塩屋に残る洋館のひとつ。英国人ジョネス氏の邸宅として大正8年(1919)に建てられた。
弊ブログ第120回で取り上げた旧グッゲンハイム邸の近くにあり、山陽本線を挟んで200米程度しか離れていない。

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現在はJR山陽本線塩屋駅前の海岸べりに建っているが元々は現在地より500米程東側にあった。

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昭和38年に山揚本線の拡幅により現在地に移築された。現在は山田氏邸となっている。

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反りのある屋根や付け柱の柱頭など、中国風や日本風が入り混じった意匠の洋館である。
内装も外観同様、洋風と和風が混じったものらしい。

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玄関ポーチ。近年まで和風の欄干が上部にあったが今は無い。

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よく見ると両側の付柱に欄干の痕跡が見える。

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神戸の西郊、須磨・塩屋・垂水・舞子の海岸べりにはかつて内外人の別荘として建てられた凝った造りの洋館・日本家屋が多数あったが、現在ではこの旧ジョネス邸を含め数件程度を残すのみである。

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近年は傷みが激しくなっており将来が案じられるが、残って欲しい洋館である。

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JR塩屋駅のホームから撮影。

第126回・大阪倶楽部

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大阪倶楽部は大正元年(1912)、大阪の財界人達によって設立された英国風社交倶楽部。
現在の会館は大正13年(1924)に建てられた2代目で、設計は安井武雄。大阪瓦斯ビル、高麗橋野村ビルと並ぶ安井の代表作。

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国登録有形文化財を経て、大阪市の有形文化財に近年指定された。

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建物は素晴らしいのだが、とにかく電柱と電線が邪魔。

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イベント等があるとき一部立ち入り可能なときがあるが、現在も現役の社交クラブの会館建築なので、基本的に一般人は立ち入り不可。写真は2階談話室で展覧会があったときに撮影したもので、2階のホール部分。

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階段室。

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階段室ステンドグラス。

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読書室。

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会館内に展示されていた古写真。
読書室の創建当初の姿。当時はソファを配し広間として使われていた。

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創建当初の談話室。現在も談話室として使われているが、家具調度類は戦時中の海軍及び戦後の占領軍による接収中に
破損または持ち出され、殆ど残されていない。

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他の部屋を写した古写真も展示されていた。

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第125回・旧秋田銀行本店

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明治45年(1912)に現在も秋田県の地方銀行として盛業中である秋田銀行の本店として、3年の工期をかけて竣工した。設計・山口直昭、内装設計・星野男三郎。現存する戦前の地方銀行の本店建築の中でも屈指の豪華さを誇る。国指定重要文化財。

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煉瓦造だが、1階部分は白色化粧煉瓦を貼り上下で赤白2色に分けた外観が特徴的。

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ツートンカラーの外壁と並んで特徴的なのは、正面両端の円筒形に張り出した城郭風の外壁。

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円筒部分頂部の飾り。

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屋根の棟飾り。

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秋田県を代表する近代洋風建築と言える。

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袖塀と通用門。

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同上、内側から見る。

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通用門を入った奥にある書庫。昭和に入ってからの増築。
煉瓦タイルを貼った鉄筋コンクリート造。

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現在は秋田市の所有で「赤れんが郷土館」として公開されている。

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営業室内部。
華麗な外観が抱かせる期待を裏切らない、すばらしい空間。

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玄関内側上部の石膏飾り。

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営業室の客溜。
カウンター及び腰壁には緑色の蛇紋岩を貼った非常に贅沢な造り。

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至る所に見事な石膏装飾が施されている。

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客溜にあるラジエーター。円形のものは珍しい。

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営業室内部には暖炉がある。

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営業室の奥にある頭取室の暖炉。

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2階への階段。階段は白大理石でできている。

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階段手摺。これは明治45年当初からのものではない。もとは金属製の装飾豊かな手摺があったらしい。
もとの手摺は戦時中の金属供出で取り外されたため、現在の木製手摺は昭和10年代のものと思われる。
営業室のギャラリーやカウンターも本来は全て金属製で、創建当初はもっと装飾的で華麗な空間だった。

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階段室天井。

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2階からみた階段室。

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2階には貴賓室がある。
蛇紋岩を贅沢に使った暖炉。

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同上、暖炉正面アップ。

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貴賓室天井。

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現存する同時期の銀行建築と比較しても、その豪華さは際立っている。

第124回・旧報徳銀行大阪支店(現・新井ビル)

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大正11年(1922)に報徳銀行大阪支店として建てられた鉄筋コンクリート造4階建のビル。
1~2階には吹き抜けの営業室を持つ銀行店舗、3~4階は貸事務所として設計された。
設計は弊ブログでも何度か取り上げた河合浩蔵。神戸の旧日濠館(海岸ビルヂング)や旧小寺家厩舎の設計者である。
国登録有形文化財。

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大阪市の中心街である船場の東側を南北に貫く堺筋に面して建っている。弊ブログで以前紹介した高麗橋野村ビルは2軒おいて南隣りに建っている。他にも戦前の質の高い建築が何件か残る。

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昭和2年の金融恐慌で報徳銀行は倒産したため、銀行店舗として使われたのは僅か5年であった。

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銀行倒産後、当時証券業を営んでいた現所有者の先代が事務所として購入、現在は貸しビルとして使われている。
1~2階の銀行旧営業室部分は、昭和50年代から平成10年代半ばまでは大阪の老舗ステーキ店が入っていたが、現在は菓子店になっている。

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2階より上層の芋目地(升目状に通っている目地のこと)に貼られたチョコレート色のタイルが外観の特徴。
大正11年当時は大変モダンな建築表現であった。

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ただし、1階は石積みの外壁と4本の列柱で重厚に仕上げ、古典的様式を基調にデザインされている。

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谷崎潤一郎の「細雪」に登場する蒔岡四姉妹の次女の夫は堺筋今橋のビル内に計理士(現在の公認会計士に相当)事務所を構え、蘆屋の家から通うという設定になっている。「卍」でも、ほぼ同じ場所が弁護士事務所として登場する。

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特に「細雪」では、文脈から事務所が堺筋今橋でもこのビルがある西側にあるということが分かる。「卍」の設定は昭和2年、「細雪」は昭和11年~16年であり、このビルは無論既に存在する。ひょっとすると谷崎はこのビルが目に付いていたのではないかとも思う。(但し全くの管理人個人の推測でしかない。当時堺筋今橋の西側にビルがこの1件しか無かったかどうかは分からない。)

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1階向かって左側が旧銀行の玄関で、入ると吹き抜けの旧営業室がある。
それに対し右側は入ってすぐ階段室があり、3~4階の貸事務所につながっている。

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この右側の玄関には、戦前はエレベーターもあったが戦時中の金属供出で撤去、階段のみの状態で現在に至る。
金属製のカゴのような、初期型のエレベーターだったらしい。

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スチールサッシも窓硝子も大正時代からのものであると思われる。

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今年で築88年。即ち米寿。
今後も、益々の御長寿を。
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