第146回・天理大学創設者記念館(若江の家)

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天理教第二代真柱の中山正善(1905~1967)が、大正13年(1924)に大阪郊外の若江岩田(現在の東大阪市岩田町)に当時あった天理教大阪教務支庁の敷地内に建てた洋館。設計はあめりか屋大阪支店、施工は大林組。その後昭和30年に奈良県天理市の天理大学構内に移築、現在は同大学創設者である中山氏の記念館として公開している。

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中山正善氏は当時天理教のトップであると同時に旧制大阪高等学校(現・大阪大学)へ通う学生であったので、接客および勉強室としてこの洋館を建てたようである。もとの敷地はすぐそばに近鉄(当時は大軌)奈良線若江岩田駅があり、ここから豊中の大阪高等学校へ通学したのかも知れない。

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大正14年に、現在の天理大学の前身である天理外国語学校が開校している。そのとき、この洋館が学校開設についての協議の場となったことから、後年天理大学ゆかりの建物として移築され「若江の家」の名で会議室、事務所や留学生の宿舎等に使用された。

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移築に際し、もとの場所と異なり傾斜地であったことから鉄筋コンクリート造の半地階が増築されている。したがって2階に見える部分から上が大正13年の建造。若江岩田にあった当時は張り出し部分がテラス風の玄関であったようである。

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いかにも大正建築らしく、クリーム色のタイルを芋目地に貼ったベイウィンドウ部分の外壁。上部のモルタル造の獅子頭が特徴的。

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設計者のあめりか屋は、明治末期に創業した日本最初の住宅販売会社で、名前通りアメリカ直輸入の組み立て住宅を施工・販売から始まった会社である。邸宅も多く設計しており、軽井沢の水戸徳川家別荘(のち田中角栄別荘)、名古屋の川上貞奴邸(いずれも大正9年竣工、国登録有形文化財)等がある。

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屋根裏部屋の窓と獅子頭。ボソボソした感じの仕上げの外壁(灰色の部分)は、ドイツ壁と称されるものである。モルタルを投げつけて仕上げる独特の方法によるもので、あめりか屋設計の住宅に多く見られる。

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昭和30年の移築の際新設された旧玄関ポーチ。創設者記念館として整備する際、玄関を移したので現在は塞がれて室内に取り込まれている。若江岩田時代は日本家屋もあり、ここから日本家屋へ繋がる渡り廊下が伸びていた。

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現在の玄関。もとは通用口か内玄関だったものと思われる。

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1階内部、旧玄関テラス部分のステンドグラス。

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玄関テラスに続く洋室の天井照明と台座飾り。

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同上、暖炉。

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その隣にある洋室の天井と照明。

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同上、暖炉。

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洋館だが日本座敷も各階に設けられている。写真は1階座敷で床・床脇・書院を備え、次の間・縁側も付いた本格的な座敷。

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階段室。写真は3階屋根裏部屋へ向かう階段。

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2階洋室の暖炉。この洋館には合計4つの暖炉がある。

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2階、もうひとつの部屋の暖炉。木製の方は重厚かつ古風に、大理石製の方はシンプルかつモダンに造られている。

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上記、白大理石の暖炉がある部屋の照明台座飾り。

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2階座敷。床脇なし、次の間なしの1階よりは略式の座敷である。

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2階座敷の縁側はステンドグラスの欄間が付いた書院窓になっている。

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ステンドグラスの小鳥。

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上記書院窓は外から見るとこんな感じ。

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2階座敷の床の間向かいにある襖。

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隣接の洋室に繋がっていた。

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上記扉の象嵌細工。四隅に蝶があしらってある。

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貰ったパンフレットによると、この洋室と隣の2階座敷部分が「勉強室」だったようである。勉強室にしては重厚な家具がある。

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横浜家具のような東洋風装飾をまとった洋家具である。椅子・卓子共に獅子をあしらってある。

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1階にも獅子頭のある洋家具があった。旧玄関テラスにあった食器棚と思われる戸棚。外壁の獅子頭といい、中山氏の好みだったのか。

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勉強室洋室の天井と照明台座。

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公開日は毎月25・26日。



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第145回・愛知県庁舎

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名古屋城の旧三の丸に威容を誇る愛知県庁舎は昭和13年(1938)竣工。隣接する名古屋市庁舎と共に昭和天皇の即位御大典の記念事業の一環として旧名古屋城内に市街地より移転新築された。設計は西村好時・渡辺仁・県営繕課の三者による。

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東京・九段の旧軍人會舘(現九段会館)、京都市美術館等と並び、洋風の躯体に和風の屋根を載せた「帝冠様式」建築の代表的なもののひとつとされる。

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なお、明治32~3年頃に建てられた先代の県庁舎も、現庁舎と同様に和風色の強いものであった。
現庁舎のデザインは旧名古屋城内という地理的条件と建設時期が昭和初年という時代的条件の2つが重なった結果が反映されたものとみることができる。

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先代庁舎が仮建築的なものであったのに対し、現庁舎は内外共に意匠を凝らしたものである。
内部の県会議事堂や貴賓室等、すぐれた意匠を有し、現在も内外共に保存状態はよい。
国登録有形文化財。

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特異なスタイルから世人からとやかく言われる(芳しくない評価を受ける)ことの多い当庁舎であるが、名古屋の建物であること、名古屋城の一角にあるためであることが、かかる俗評に結びついていると思われる。

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デザインだけを見れば、決して悪いものではなく他の帝冠式建築と比較しても全体のまとまりは非常に優れたものであると思う。

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なお、同時期の県庁舎でも和風指向の強いデザインの庁舎は神奈川(昭和3)、静岡(昭和12)(いずれも現存、国登録有形文化財)があるが当庁舎程ではない。

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正面上部、破風のアップ。

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銅板葺きの屋根は、名古屋城を意識していることは間違いない。ただし鯱鉾はない。(それらしきものがあるが鯱鉾ではない)

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玄関ポーチ。石垣状にやや傾斜がついている。

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よくみると躯体全体もポーチと同様に、垂直ではなくわずかに傾斜がついている。

第144回・旧安田銀行小樽支店

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戦前は北海道における経済の中心であった小樽には、金融関係の建築が数多く残る。
また戦前日本の五大銀行(三井・三菱・住友・安田・第一)のうち住友以外の支店建築が揃って残るのも小樽だけであると思われる。それら金融関係建築のひとつ、旧安田銀行は昭和5年(1930)の建築。

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大正末期から昭和初期にかけての大手都市銀行の間では、各銀行がそれぞれ本支店建築のデザインの統一を図った例が多い。三菱はそうでもないが三井、住友、安田、第一にはその傾向が見られる。安田銀行の場合、旧小樽支店と旧横浜支店は特によく似ており、いずれも中央にずんぐりした石柱を並べ、その両脇を石積を強調した壁で固めている。現存しないが、旧神戸支店もよく似た建物であった。

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正面玄関と石柱。
どう見ても、ずんぐりした印象が強い。ちなみに設計は安田銀行営繕課。施工は清水組。

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現在は北海道経済新聞社の社屋として使われている。

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小樽市の歴史的建造物に指定されている。

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一時は前面を通る道路の拡幅で存続の危機に立たされたが、幸いに挽家で後方へ移され、保存されることになった。

第143回・旧東京盲学校車寄

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明治43年(1910)に、現在の東京都文京区目白台に建てられた東京盲学校(現・筑波大学附属盲学校)本館の車寄部分。昭和42年に旧本館が取り壊される際、車寄部分のみ移築保存されることとなり、現在は愛知県犬山市の「博物館明治村」内にある日本庭園の東屋として利用されている。

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正面。
緩やかな傾斜の屋根を持つ姿は、大阪の南海浜寺公園駅の正面車寄を連想させる。

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明治村刊行のガイドブックによると、旧本館はハーフチンバースタイルの木造二階建、正面間口62メートルに及ぶ大建築だった。

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繊細な装飾が施された天井。

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天井、柱等細部に亘って濃密な装飾が施されている。

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旧い建物を部分的に保存する事例は多いが、大概はもとの建物のごく一部分に過ぎないことがありありと見えて惨めなものが多い。その点、ここは車寄部分が完結性の強いデザインであるせいか、最初から東屋として存在していたかのような印象を受けることができる、珍しい事例である。

第142回・旧妹尾銀行林野支店

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岡山県山間部の美作市にある大正10年(1921)建築の煉瓦造洋館。
現在の中国銀行の前身のひとつである妹尾銀行林野支店として建てられ、現在は美作市立美作歴史民俗資料館となっている。美作市指定有形文化財。

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外見は二階建てだが、実際は平屋建て。内部は回廊を廻した吹き抜けになっている。

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小規模だが、密度の濃い装飾が施されている。
建物の設計者及び施工者は不詳。

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大正期の洋館の装飾は一般的に平坦指向だが、この建物にはそのような指向は微塵もない。
ものすごく凹凸の激しい、彫りの深い装飾である。

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正面。扉に「旧中国銀行林野支店」とあるのは銀行としての役目を終えた当時の建物名称による。

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正面中央上部の装飾。

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角の付け柱上部の装飾。

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側面上部窓周り。

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側面外壁。

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背面。

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吹き抜けになっている室内。

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山間の小都市に異彩を放つ洋館である。

第141回・南海ビルディング(高島屋本店)

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大阪の中心部を貫く御堂筋には、昭和12年の開通当初より南北両起点にそれぞれ巨大なターミナルデパートが聳え立っていた。北の阪急百貨店(阪急ビルディング)と南の高島屋(南海ビルディング)である。
高島屋の本店でもある南海ビルディングは昨年外壁の改修工事を終え、大阪随一の盛り場・難波の街に威容を誇っている。鉄道省建築課長の経歴を持つ建築家・久野節の設計で、昭和7年(1932)の建築。

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極めて長大な建物なので全景を納めることが難しい。飾り壺を載せたコリント式列柱が支える14連アーチは、我が国に建てられた西洋古典主義建築の中でもなかなか例を見ない壮大なものである。

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かつては南海電鉄難波駅の駅舎でもあったが、昭和後期に難波駅はビル後方に移転したため、現在このビルには高島屋大阪店(本店)のみ入っている。なお、本店とはいえ高島屋はテナントであり、ビルの所有者は南海電鉄である。

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素晴らしい外観を有する南海ビルディングだが、内部は残念ながら当初の面影は殆ど残されていないようである。
昭和20年の戦災で全焼したためか、難波駅が移転して駅部分が改装されたことも理由かも知れない。
その点、北の阪急ビルディング(昭和4、設計施工竹中工務店)は装飾を控えたややモダンな外観とは裏腹に、硝子モザイクやシャンデリアに飾られたコンコースなど華麗な内装が魅力的で、古典様式の南海ビルとは好対照を為していた。

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が、その阪急ビルは、南海ビルが修復されているほぼ同時期、つまりごく近年に姿を消した。
今は旧ビルの外観を中途半端に模した薄っぺらいビルが建てられている。(言うまでもないことだが、その程度の外観のビルに、先代ビルのような華麗な内装など無い)南北で完全に明暗を分ける形となった。

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旧阪急ビルの末路を思えば、この華麗な南海ビルが保存、かつ美しく改修されたことは南海電鉄及び高島屋の英断と言える。阪急電鉄に見習って頂きたいものである。(見習って頂いても最早何にもならないが)

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南海ビルディングの外壁を飾るのはテラコッタと呼ばれる装飾用の大型陶器である。テラコッタは汚れがつきにくいこと、大量加工・生産が可能であることから19世紀のアメリカで摩天楼を飾る建材として大流行、日本でも大正半ばより本格的に建築用外装材として用い始められた。南海ビルに使用されたテラコッタの量は現存する戦前建築の中でも最大である。

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現在は装飾の施された部分以外は煉瓦サイズのタイル貼りだが、かつてはもっと大きなサイズのタイルが貼られていた。

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テラコッタ装飾のうち、一部ながら現在は失われている装飾もある。
かつて飾り壺の上部には円形のメダリオンが嵌められ、その上部である最上階窓間には装飾パネルが嵌めこまれていた。現在は全面タイル貼りになっているが、これらの装飾は今回の改修よりはるか以前に失われていたようである。

南海ビルの施工を行ったのは大林組だが、同社のサイトには竣工当初の写真が掲載されている。

http://www.obayashi.co.jp/works/search_purpose/search_purpose8/work_H661

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南海ビルはターミナルデパートの傑作であり、当初の外観をよく残している。
戦前期のターミナルデパートは阪急・南海の他、神戸の三宮阪神ビル(昭和8、阪神電鉄+そごう)、東京浅草の東武ビル(昭和6、東武鉄道+松屋)が現存するが、両者共改装が激しくもとの面影を探すのは難しい。なお設計はいずれも南海ビルと同じ久野節。

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設計者の久野節は鉄道省に長く在籍したため鉄道関係の建築が多い。
上記各ターミナルデパートの他近鉄宇治山田駅(昭和6、国登録有形文化財)の他、鉄道省観光局の主導で開業した旧蒲郡ホテル(昭和7、弊ブログ第35回参照)等が現存する。

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建物の両端は敷地の形状に合わせて曲線を描いている。この美しい曲線を持った姿が南海ビルの魅力のひとつ。

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時計塔アップ。

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下層の庇は今回の改修に際して、従前のものより創建当初に近い形状に改められた。

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改修後は、夕暮れ時から夜間にかけてライトアップされている。

第140回・旧鶴崎平三郎邸

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神戸の西郊・須磨浦にて結核専門のサナトリウム・須磨浦療病院を経営する医師・鶴崎平三郎(1855~1934)の住居として明治41年(1908)に建てられた。

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現在も鶴崎家の住まいとして使われているので敷地内への立ち入りは不可。
ただし近くの須磨浦公園からは当邸を見ることができる。

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当邸の建つ場所は大阪湾を見下ろす小高い丘の上であり、須磨浦の松林に大阪湾、明石海峡に淡路島も一望できる景勝の地である。後方に須磨の海水浴場が写っている。

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設計は野口孫市。弊ブログで以前(第109回)取り上げた伊庭貞剛邸(明治37)の設計者である。
野口は結核を患って鶴崎医師の治療を受けており、その関係で設計を引き受けたのではないかと考えられている。

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手前に2階建ての洋館、奥に赤瓦葺きで同じく2階建ての日本館が繋がっている。
右手の四角いクリーム色の張り出しはサンルーム兼展望台。展望台の手摺部分がアールヌーボー風の曲線を描いている。

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平成7年の阪神大震災では、2本あった洋館の煙突が両方折れてしまった。しかもうち1本がサンルーム兼展望台を直撃、破砕するという被害を受けた。現在は屋根が葺きかえられ、煙突が撤去された他は見事に修復・復原されている。

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震災前の鶴崎平三郎邸及びその内部は藤森照信・増田彰久著、講談社刊「日本の洋館第二巻・明治編Ⅱ」で見ることができる。室内は和風を加味したアールヌーボーにステンドグラスを多用した華麗なものである。同書には当邸の内外のすばらしい写真が載っている。

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第139回・旧来住家住宅

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大正7年(1918)、代々土地収入で財を成した来住家の住居として兵庫県西脇市に建てられた。
伝統的な民家の形式に、数寄屋風を加味した典型的な近代和風建築の上級民家である。

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正門と塀、奥には洋館がある。
現在は来住家より西脇市に寄贈、公開・活用が図られている。主屋・離れ・土蔵・湯殿は国登録有形文化財。

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主屋全景。
この家を建てた当時の当主・梅吉氏は土地経営の他、銀行を起こすなど西脇の有力者として活躍した人物。

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洋館。昭和11年(1936)に子供の勉強部屋として増築したもの。

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庭門。

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近世から近代にかけての民家(特に西日本)に多く見られる虫籠窓。
屋根裏はツシと呼ばれる物置になっている。ただし当家の場合は、裏庭側には居室が造られている。

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庭園からみた主屋。庭園に面した南側は仏間と接客用の部屋が並ぶ。

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訪れたときは夏だったので、葦簾戸が入れられていた。

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仏間および客座敷を望む。

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仏壇。

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最も格式の高い部屋、客座敷。

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客座敷の書院窓。床の間と横一列に並ぶ書院窓は珍しい。

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縁側欄間の装飾。細かいところまで趣向を凝らしている。材料も施工も極めて入念に造られているので、90年経っても老朽の度合いは少なく、よい具合に風格を帯びている。

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主屋縁側。突き当たりに見えるのは離れ座敷。

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離れ。橋本関雪(1883~1945 日本画家)が逗留した事もある。西脇の有力者である来住家は橋本関雪のほか、犬養木堂(1855~1932 元首相)などの名士を迎えている。

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離れの縁側。

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離れ内部。次の間と主座敷の二間から構成される。

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離れ主座敷の床の間。書院窓はこのように床の間と直角に交わる形式のものが多い。

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離れの裏には、離れへ泊る来客専用の湯殿がある。手前が主屋、左手に見えるのが離れ、奥に写るのが湯殿。
三者は短い渡り廊下で結ばれている。

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手前が化粧室(更衣室)、奥が浴室。

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湯殿の真向かい、主屋裏側の縁側突き当たりに小便器があった。こんな開放的な便所も珍しい。
もっとも、日常使用するためのものではないと思うが。

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化粧室(更衣室)。床の間まである。

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浴室。タイルはイタリアからの輸入品と伝えられているとか。

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洗髪用のシャワーがあった。

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浴室の天井は、木目が美しい見事な折上げ格天井になっている。湯気抜きのスリットが開けられている。

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湯殿の裏、便所の手前にある石造りの洋式洗面台。これも輸入品か。

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湯殿から主屋と離れを見る。

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二階裏側(北側)居室。床の間もあるが一階の客座敷や離れに比べると明らかに造りは劣る。

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二階居室から見た裏側。土蔵や納屋、煉瓦造りの貯水槽が見える。
旧来住家住宅は近代における北播磨地方の上級民家の優れた遺構である。

第138回・學士會舘

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古書店街で知られる東京・神田神保町にある學士會舘は、旧帝国大学(東京、京都、北海道、東北、九州、大阪、名古屋、京城、台北)卒業生で組織される社交クラブ「社団法人学士会」の本拠。

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神保町側からの全景。
昭和3年竣工。設計は佐野利器・高橋貞太郎。国登録有形文化財。

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第二次大戦末期には空襲で施設の大半を焼失した中央気象台(現・気象庁)が間借りしていたこともある。
敗戦後は焼け残った都心の主な建物の例に漏れず、米軍の接収を受ける。

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宿泊施設も有する社交クラブで以前は会員もしくは会員の紹介が無ければ立ち入れなかった。
現在は閾が低くなり、レストラン・ホテルは会員でなくとも利用できる。

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竹橋側より見た全景。

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外壁には茶褐色のスクラッチ・タイルを貼りめぐらしている。

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スクラッチ・タイルは大正末期より昭和初期に大流行し、この時代の建築に多く見られる。

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玄関は神保町側と竹橋側と、2箇所に設けられている。
写真は神保町側。

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竹橋側の玄関。内部の造りからみてこちらが正面玄関ではないかと思われる。

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竹橋側玄関内部。大理石を多用した重厚な造り。

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同上、天井。

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内部、1階竹橋側階段室。

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同上、天井。

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1階廊下。

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1階神保町側の階段室。

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竹橋側玄関のすぐ脇にある、現在はバーとして使われている部屋。日中は軽食・喫茶での利用もできる。
宿泊した場合、朝食はここでとる。

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上階の宿泊スペースの廊下。クラシックホテルそのもの。

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客室の一室。各室にバストイレが設けられており、宿泊料は一寸高めのビジネスホテルといった程度。

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同上、客室から見た眺め。建物の裏側が見える。

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宿泊スペースに設けられている談話室的な場所にある、ステンドグラスの嵌った間仕切り。

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創建当初からと思われる重厚な家具がある。

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手軽に利用できる都心のクラシックホテルである。

第137回・根津記念館(根津嘉一郎生家)

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明治から昭和戦前の実業家で、東武鉄道等多くの鉄道会社を経営し「鉄道王」の異名を取った根津嘉一郎(1860~1940)が山梨県山梨市にある生家を昭和8年(1933)に改築したもの。現在は根津家より山梨市に寄贈され、根津記念館として一般公開されている。

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長大な長屋門。主家と同じく昭和8年の建造。

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門扉。

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主屋。昭和8年建造。当地における大地主でもあった根津家の土地経営の拠点にもなった。
主屋、長屋門、土蔵の3棟は国登録有形文化財。


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迎賓館として建てられた「青山荘」。ただしこの建物は昭和8年当時のものではない。
根津記念館整備に際し、現存しない建物は当時の図面に基づき再建された。

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主屋玄関。

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主屋玄関内部。天井に洋風の造りが見られる。

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主屋台所の流し。

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同上、竈。

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現在、展示室となっている土蔵の蔵前。

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主屋1階茶の間。

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主屋1階座敷の床の間。床に付いた地袋が珍しい。

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同上。

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主屋2階座敷。

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同上、床の間。

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主屋2階書斎。

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書斎には八角形、円形、角を丸めた長方形の3種類の飾り窓がある。

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主屋2階縁側。

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再建された青山荘内部。内部も間取り等忠実に再現されている。但し材料は異なるようである。
なお、「青山」は根津嘉一郎の号。

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青山荘茶室。

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青山荘応接間。

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庭園から見た根津記念館全景。手前が青山荘、中庭をはさんで奥が主屋。

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中庭から見た主屋外観。

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同上。数寄屋風を取り入れた伝統的和風建築であるが、構造・設備は昭和8年当時最新のものを取り入れている。

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土蔵。
主屋、長屋門と同じく昭和8年建造。3階建の土蔵は珍しい。

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主屋台所棟の屋根に硝子製の瓦で葺いた箇所があった。
明り取り用の天窓だが、硝子の瓦というのは初めて見た。今のところ、戦前の建築では他に例を見ない。

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現在、山梨市の施設として一般公開の他、様々な用途に活用されている。
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