第165回・旧西園寺公望興津別邸「坐漁荘」

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「最後の元老」と称され、首相も二度務めた公家で政治家の西園寺公望(1849~1940)が、静岡県興津の海岸べりに大正9年(1920)に別邸として建てた。そしてここが西園寺の終の棲家となった。昭和45年に愛知県犬山市の「明治村」に移築され、保存・公開されている。国登録有形文化財。

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移築前は旧東海道に面していた正面。「坐漁荘」とは、のんびり坐って魚を釣る(漁る)ための家という意味らしい。つまり引退後のんびり過ごすための家である。実際は「興津詣で」と称して各界の要人がひっきりなしに訪れのんびりには程遠かったようである。

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正門。

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護衛の警官の詰所。

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玄関側からみた全景。最晩年の西園寺は一年のうち夏季以外は殆どをこの坐漁荘で過ごした。

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かつて興津海岸に面していた裏側。一、二階共に縁側が設けられ、駿河湾の眺望を楽しむことが出来た。また右下の張り出し部分は昭和4年に増築された洋間とサンルームである。屋根の上に立つのは避雷針。

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昭和11年の二・二六事件では、西園寺公望は叛乱将校による襲撃対象の一人であった。(しかし直前で中止されたため襲撃自体は無かった)事件当日はこの坐漁荘に滞在中で、事件の通報を受け西園寺は静岡市の県知事官舎へ避難する羽目になる。

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玄関。数寄屋住宅らしく控え目で上品な造り。

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一階内部の畳廊下。

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廊下と女中室に面して作られた小さな中庭。

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一階座敷床の間。

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一階縁側。

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茶が点てられるように水屋も作られている。

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昭和4年に増築された洋式のサンルーム。純和風の別邸に最初は無かった洋式の部屋を加えている。一年の大半を過ごす別邸には、椅子式の部屋が欲しかったのか。

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サンルームに続く洋間の暖炉。

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洋間暖炉の上に設けられた作りつけの飾り棚。洋間と言っても簡素で質実な印象の部屋である。

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ステンドグラスを嵌めた洋間の窓。二重窓にして和風の外観に配慮したものと思われる。意匠的なものだけでなく防犯や防寒を意図したものなのかも知れない。

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台所のカマド。焚口が小さいので、薪ではなくガスか木炭を使うものだったのだろうか。

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二階、来客用座敷の床の間。

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二階縁側。建具には「バイタ・ガラス」という紫外線を通す特別製の輸入硝子が嵌めこまれているという。(当時紫外線は健康に良いものと考えられていた)

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よく見ると硝子の隅に「VITA」と小さな文字が入っていた。

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なお、元の興津の跡地には現在明治村で保存されているこの建物と全く同じものが平成16年に再建、「興津坐漁荘」の名で公開されている。しかし裏側は埋め立てられており、もはや元の場所でも海を見ることはできないようである。
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第164回・旧沼津御用邸

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静岡県沼津市の海岸沿いにかつての沼津御用邸跡を整備してできた沼津御用邸記念公園がある。皇太子(のちの大正天皇)の療養を目的に明治26年(1893)から造営が始まり、昭和44年(1969)に廃止された。その間戦災で主要な建築を焼失するものの、焼け残った建物が現在整備の上保存・公開されている。

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沼津御用邸はかつては本邸・東附属邸・西附属邸から構成されていた。このうち現存するのは東附属邸と西附属邸。写真は西附属邸正門。

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西附属邸の建物は明治38年(1905)から41年にかけて造営された。また大正11年には洋風の外観を持つ「御玉突所」(撞球室)が増築されている。皇孫殿下(のちの昭和天皇)のために設けられた。

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御玉突所外観。洋館と言っても白木の簡素なもの。

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隣接する本邸内には、明治33年竣工の瀟洒なベランダを備えた木造ペンキ塗り平屋建の洋館があったがこちらは昭和20年7月に戦災で他の本邸建物と共に焼失、現存しない。

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東付属邸。明治36年に皇孫殿下の御学問所として建てられた。

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西附属邸玄関。西附属邸はかつての御用邸時代の家具調度を復原、内部を公開している。

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縁側畳廊下。浜辺の建物なのでそのせいか床が高く造られており、平屋建てだが欄干が巡らせてある。

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中庭がある。

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謁見所。右手の椅子が玉座である。

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御座所。日本座敷だが洋家具を置き、洋室同様の使い方をしている。

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御玉突所内部。撞球台は今は殆ど見かけない四つ球式。戦前の撞球(ビリヤード)は四つ球式が主流(というか現在主流のポケットに落とすものは無かったと思う)。

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表向きの空間だけでなく台所等のバックヤードスペースも保存されている。写真は調理所(台所)。

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調理所外観。硝子張りの天窓を設けていることが分かる。

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石造りの湯沸所。調理所や湯殿で用いる湯をここで沸かした。

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現在は本邸跡、旧東付属邸と合わせてのどかな浜辺の公園として楽しめるようになっている。

第163回・大阪府庁舎

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大正15年(1926)竣工の大阪府庁舎は現役の都道府県庁舎としては最も古い。
設計は懸賞で選ばれ、当時内務省に勤務していた平林金吾の案が選ばれた。平林はのちに名古屋市役所(昭和8)の設計も手掛けている。6階建で、戦前築の道府県庁舎では愛知(昭和13)と並んで最も高い。

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近年大阪府が行った耐震診断とやらで「倒壊の恐れあり」とされたらしいが、信用できない。着工後間もなく関東大震災が発生したため、工事は入念に行われたようである。関東大震災直後の建物はどれも極めて堅牢に造られており、築90年程度で地震で倒壊するだろうか。亀裂だらけになることはあっても、それはそもそも「倒壊」とは言わない。大阪府庁舎に限らず、この手の耐震診断の話は大袈裟に言うことで、建て替えたいがために口実を作っている感がある。

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外観は石と白タイル貼りの控え目なもの。大阪城の濠端が敷地であることから、場所柄を考慮したのかもしれない。なお、大正15年当時大阪城天主閣はまだ存在しない。(昭和3年に天守閣再建決定、同6年完成。)

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中央上部の壁面には、戦前まで菊の御紋があった。

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堂々たる正面玄関。3年後の昭和4年に竣工した愛媛県庁舎の玄関まわりは大阪府庁舎に似ている。設計者の木子七郎は大阪に自宅と事務所を持っていたので、設計に際しこの庁舎を意識した可能性はある。(但し似ているのは玄関周りだけでそれ以外は全く似ていない)

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正面最上階、旧正庁の窓のステンドグラス。大阪府庁舎は外観よりも内部に見どころが多く、3層吹き抜けの玄関ホール、ステンドグラスで彩られた天井を持つ旧正庁、府会議事堂(現府議会)の内装は秀逸である。

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華麗な内装に対して地味な外観。しかし中央部分には結構装飾が施されている。

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車寄せ入口まわりは濃密な装飾が施された場所である。

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装飾部分を拡大。ちょっと不気味。

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2階中央張り出し部分の両脇にも装飾がある。

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拡大。

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大阪府は昨年、大阪港にある大阪市の無能な都市開発の賜物である大阪ワールドトレードセンタービルディングを買収、第二庁舎として知事室、府議会を除き実質的な移転を進めて行く予定らしい。この庁舎は耐震工事の上引き続き使われるようであるが、果たしてこの庁舎が今後も歴史的建築として保全されるのかどうかは、今なお予断を許さない状況である。

第162回・下関南部町郵便局(旧赤間関郵便電信局)

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前回の中京郵便局に続き、現存する明治時代建設の郵便局。煉瓦造り二階建で明治33年(1900)竣工。設計は中京郵便局と同じ三橋四郎。国登録有形文化財。

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下関南部町郵便局は中京郵便局と異なり内部も含めて完全に残っている。また明治村へ移築された旧山田郵便局と異なり創建時より同じ場所に建っている。そしてこれは3者共通なのだが、今も現役の郵便局舎である。

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この建物が建つ下関市の唐戸地区は周囲に明治・大正の洋風建築が多く残されている。写真右手に写る旧秋田商会ビル、旧英国領事館、また少し離れたところには旧三井銀行下関支店(旧山口銀行本店)等がある。

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南部町郵便局と旧秋田商会。

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旧秋田商会から見た南部町郵便局。

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中京郵便局と同じ煉瓦造だが、こちらは煉瓦の上にモルタルを塗り目地を切って石造風に見せている。正面上部の軒飾りは長らく失われていたが、近年復原された。

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丸ポストがよく似合う。

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局舎裏手。この建物は中庭がある。そこに面した壁面はあえて改修せず古びたままの外壁が残り、かなりいい雰囲気らしい。

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煉瓦造の明治建築である下関南部町郵便局。
鉄筋コンクリート造の大正建築である旧秋田商会とよい対照を見せている。

第161回・中京郵便局

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京都の三条通は明治末から大正にかけて金融機関が集中し、質の高い洋風建築が建ち並んだ。現在もそのうち何軒かが残る。中京郵便局は明治35年(1902)建築の煉瓦造二階建。昭和53年に外壁を保存して内部を改築している。設計は逓信省技師の三橋四郎・吉井茂則。京都市登録文化財。

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保存されているのは明治35年創建当初部分の南面(正面)および西面の全面、東面の一部である。
写真は西側からの眺め。

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煉瓦造の建造物の外壁保存は、戦災復旧によるものは旧兵庫県庁舎等多くの事例が既にあったが、老朽化による改築に伴う外壁保存は中京郵便局が我が国初の事例である。

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東側からの眺め。

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南側。

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西側。

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東側。街路に面していないため、装飾の少ない簡素なものである。

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逓信省建築はいち早く古典様式からモダニズムにシフトしたので、古典様式で建てられた郵便局舎は現存するものが極めて少なく、貴重である。

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玄関。

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窓は改築に際し1枚硝子のアルミサッシに変わったが、この手の古典様式建築には甚だ不調和である。
外壁だけでなく、窓・出入口の建具も建物の姿を決める重要な要素であることを感じさせられる。

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他に現存する明治期の郵便局舎としては伊勢神宮前にあった旧山田郵便局(明治42、現在は愛知県犬山市の明治村に移築保存、国指定重要文化財)、山口県下関市の旧赤間関郵便電信局(明治33、現・下関南部町郵便局)がある。

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屋根窓。

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三条通が金融街として繁栄したのは大正時代までで、昭和に入ってからは烏丸通にその役目を譲ることになる。

第160回・旧大阪商船神戸支店(商船三井ビル)

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神戸・旧外人居留地の一角、海岸通に面して建つ旧大阪商船神戸支店ビル(現商船三井ビル)は神戸の洋風建築を代表する存在と言ってもよい。大正11年(1922)竣工、鉄筋コンクリート7階建て。

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大正3年から8年の第一次世界大戦による大戦景気に沸いた神戸では、多くの船会社・貿易商社が神戸の一等地・旧居留地及びその周辺に続々と事務所ビルを建てた。旧大阪商船はその中でも最後期の建築である。

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もっとも大戦終結の翌年、大正9年以降は反動不況に陥り大戦景気で成り上がった者の大半が没落の憂き目を見ている。この建物はそのような不況の最中、堂々たる偉観を海岸通に出現させた訳である。

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大阪商船は戦前日本の海運業界において日本郵船と並ぶ二大巨頭であった。戦後は合併により大阪商船三井船舶となり、現在の商船三井に至っている。

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設計者・渡辺節(1883~1967)は関西を中心に多くの企業の本支店ビル等を手掛けている。大阪商船本社も入っていた大阪ビルディング(ダイビル)、横浜正金銀行大阪支店、綿業會舘、神戸証券取引所等がある。うち綿業會舘は現存、国指定重要文化財となっている。なお昭和25年失火で焼失した先々代の京都駅舎も鉄道院在籍時代の渡辺の設計による。

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海岸通(神戸港)に面した側の角を正面とし、営業室への入口を設ける。現在はショー・ウインドウになっているためここから出入りは出来ない。

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背面からの眺め。

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側面玄関周り。

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一階は石積み風に仕上げ、二階より上部の外壁にはアメリカ製テラコッタを貼りめぐらしている。大正9年に渡辺節がアメリカを中心に海外視察に出かけた成果が建物の材料、工法等に存分に発揮されている。

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旧大阪商船ビルはテラコッタを外装に大がかりに用いた日本最初の建物である。以後東京の郵船ビル(大正12)、大阪の大同生命ビル(大正14)、南海ビル(昭和7)等テラコッタを大量に用いた建築が続々と出現する。

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重厚に仕上げた一階外壁。

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上層外壁。一見自然石にも見えるが陶器である。

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同上、メダリオンのアップ。

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このビルには3箇所に玄関が設けられている。南側(正面)の玄関。先述の通り営業室に繋がる玄関である。

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西側(側面)玄関。内部の造りからしておそらく貴賓用としても使われた玄関ではないかと思う。

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北側(背面)玄関。上階の貸事務所に繋がる玄関である。左側の小さな入口は当初何だったのか不明。

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西側(側面)玄関の内部。現在は1階の大半が大丸百貨店のインテリア展示場になっている。

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船会社らしく、帆掛け舟のレリーフ。背後の模様も青海波模様。

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上の写真のとおり、石やテラコッタで華麗に装飾された北・西・南の3面に対し、建設当初から街路に面していない完全な裏側であった東側(当時隣には煉瓦造4階建のオリエンタル・ホテルが建っていた)の壁面は驚くほど素気ないものである。東京丸の内のビル街の無機質な裏通りの姿を描いた江戸川乱歩の短編小説「目羅博士」(昭和6)を連想させる。

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大正時代に入ると鉄筋コンクリート構造が普及し始め、7~9階建ての高層建築(当時で言うところの)が建てられ始めたが、関東大震災以前は建築構造の主流はまだ煉瓦、石等による組石造であり、その数は多くない。

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以下、関東大震災以前に建てられた主な高層建築。(旧大阪商船ビルと同じ7階建以上で)
・北浜銀行名古屋支店(名古屋、大正6、設計鈴木禎次、7階建)
・三越呉服店大阪店(大阪、大正6、設計横河民輔、8階建)
・東京海上ビルディング(東京、大正7、設計曽禰中條建築事務所、7階建)
・明海ビルディング(神戸、大正10、設計藤井厚二、8階建)
・丸の内ビルディング(東京、大正12、設計桜井小太郎、8階建)
・堂島ビルディング(大阪、大正12、設計竹中工務店、9階建)

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上記のうち、現存するのは大阪の堂島ビルディングだけである。ただし建物の構造体を残すだけで、内外共に当初の姿は殆ど残っていない。

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旧大阪商船ビルは大正12年の関東大震災以前に建てられた高層建築としては、現存する唯一の存在と言ってもよい。建物自体の質の高さは言うまでもないが、現存する最初期の高層事務所建築としても重要文化財に指定されてもおかしくない建物である。

第159回・三越本店

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東京・日本橋に威容を誇る三越本店。
建物は大正3年(1914)に完成したものが増改築を重ねつつ、現在の姿に至っている。
東京都選定歴史的建造物。

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大正3年竣工当初の姿。なお、以下古写真の出典は特記するものを除き、「株式會社三越創立五十周年記念 三越の歩み」(昭和29年㈱三越刊行)より。

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現在もある屋上まで吹き抜けの中央ホール。大正3年開業当初はバロック調の古典的な装飾に飾られていた。
設計はのちの増改築も含めて横河民輔(1864~1945)率いる横河工務所。横河民輔は三井の技師として向かいに建つ三井本館(明治35年竣工の初代。のち関東大震災で全焼。)の設計も手掛けた。また実業家としての顔を持ち合わせた建築家であり、江戸以来の呉服店・三井越後屋が欧米式デパートメントストア三越に生まれ変わるきっかけを作った人物のひとり。

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大正10年大増築後の姿。右手に先述の初代三井本館の一部が写っている。
奥の高塔は現在もそのまま残っている。

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大正12年9月1日の関東大震災による火災で、日本橋一帯は全滅。三越本店も隣接する三井本館と共に全焼する。(出典:「大正大震災大火災」大正12年大日本雄弁會講談社刊行)

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震災後修復に着手、昭和2年に竣工する。この改修により現在の姿になる。なお写真に写っている大正3年当初からあった塔はこの工事で撤去、塔は大正10年増築の一つだけになり現在に至る。

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その後も増改築は続き、昭和10年には写真1枚目の中央ホールが完成し一区切りを迎える。写真は昭和29年撮影。隣接の建物は震災後初代を撤去し昭和4年に竣工した二代目三井本館で、今も健在。

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現在の三越本店。

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戦後も大がかりな増築が行われている。なお近年この左隣に新館が別に建てられた。

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裏側(日銀本店側)からの眺め。

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唯一、関東大震災以前の姿を残す高塔。

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隣接の三井本館、裏斜め向かいの日本銀行本店(明治29年、昭和13年増築)と共に日本橋界隈でも最も重厚な街並みを形作っている。かつては裏に横浜正金銀行東京支店(昭和2)があり、昭和50年代初頭まで近代洋風建築だけで構成された一角が存在した。なお四つ辻の一角は現在、つまらない建物になり果てていることは言うまでもない。

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三越本店は昭和史における一大事件の舞台にもなっている。昭和24年7月、国鉄総裁・下山定則が、出勤の途上公用車を停めさせて三越本店へ立ち寄りそのまま行方不明となり、翌日常磐線にて轢死体で発見された「下山事件」である。

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ライオン像で有名な正面玄関。ライオンは大正3年からいる。

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三井本館側には地下鉄通路への入口がある。近年改装されエレベーターだけになったが、入口上部のステンドグラスで造られた案内表示はそのまま残されている。

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三井本館側玄関。

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同上、風除室。

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中央ホールの硝子天井。中央ホールは古風な洋風建築のスタイルだった震災前と異なり、1930年代最先端のアールデコで統一されている。

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三越以外でも、このような豪壮な吹き抜けを持つ百貨店は大阪・心斎橋の大丸(昭和8)等があったが今もそのまま残るのは三越本店だけである。

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煌びやかな中央ホールの装飾とステンドグラスの数々。

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6階の三越劇場(旧三越ホール)の内装も見どころは多いが観劇をしない限り入れない。
その点、中央ホールは誰でも入れるし昭和5年設置のパイプオルガン(中央区指定有形文化財)の演奏も聴けるのでお勧めである。

第158回・向瀧

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会津藩の指定保養所としての歴史を有する会津若松・東山温泉にある温泉宿。
明治~昭和10年代に建てられた諸建物は、福島県における国登録有形文化財第一号でもある。

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川沿いに面した外観。かつては旅館の屋号の由来となった瀧がすぐ近くにあった。

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川と山に挟まれている。

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斜面に面して階段状に建てられた昭和10年増築の客室。

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池のある中庭を客室が取り巻く。

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屋根は雪国に多く見られる赤瓦で葺かれている。

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大正4年竣工の離れ。

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離れ内部。欄間には離れの完成した大正4年に投宿した野口英世の揮毫になる扁額が掛けられている。

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離れ専用浴室。

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玄関の真上にある大広間。

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大広間の書院窓。

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大広間の舞台。

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浴室前にある、白大理石をくりぬいて造った手洗い場。

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池に面した廊下。

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池に面した棟の2階、百合の間。昭和10年頃の増改築部分。

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同上、書院建具。

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同上、床脇の窓。

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昭和初期の建築らしく、洋室の会議室もある。

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会議室入口欄間のステンドグラス。ただしなぜか反対側は漆喰で塗りこめられており、光を通さない。

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山の斜面、最も高い位置にある客室、桐の間。名前の通り桐材が多用されている。

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桐の間縁側。
客室毎に造りも眺めも全く異なり、何度行っても楽しめる宿である。

第157回・旧佐々紅華邸(京亭)

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埼玉県の寄居、荒川の上流に面した一画に昭和初期の和風住宅が料理旅館として使われている。
大正から昭和初期に活躍した作曲家・佐々紅華(1886~1961)の自邸として施主自らの設計で昭和6年(1931)着工、同11年頃現在の形になったという。現在は鮎料理を主とした料理旅館「京亭」となっている。

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門。佐々紅華は夫人の故郷である寄居の地が気に入り、自邸を建てて昭和36年に死去するまで過ごした。
その間戦時中にはある皇族の住居として半強制的に買い上げられたこともあるらしいが、戦後再び買い戻している。なお「京亭」は佐々家が経営している。

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門を入ってすぐこの姿が目に入る。

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玄関正面。

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式台のある玄関内部。

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玄関そばの板戸にはコウモリをあしらっている。コウモリは古くから縁起のよい動物とされる。

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中庭。

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同じく中庭。上の写真の反対側から見た姿。

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中庭に面して置かれたテーブルと椅子。

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一階縁側。

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二階階段の欄干。

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二階座敷。次の間・広縁付きの立派な座敷である。

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二階座敷次の間側。壁は下地の荒壁が露出した状態になっている。わざとそうしたのか、未完成なのか。

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三方に雪見障子をはめこみ外の景色がよく見えるように工夫されている。

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二階座敷の外廻りには高欄を巡らせる。ここからは荒川の渓谷を借景とした庭園が一望できる。

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二階座敷専用洗面所の小窓。

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二階座敷書院。意匠はやや中国風。

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二階座敷専用洗面所からの眺め。建具は摺り硝子と透明硝子を組み合わせている。

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一階中庭に面してある小さな飾り出窓。このような洗練された意匠が随所に見られる。
なお、この家を設計した施主・佐々紅華は作曲家として知られるようになったが元々は東京高等工業学校(現・東京工業大学)工業図案科卒で広告図案の仕事に携わったこともある人物である。

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庭園からの建物全景。

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庭園には池もある。

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料理も建物も景色も絶品である。



第156回・旧神戸市迎賓館(須磨観光ハウス)

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神戸市の西郊にある須磨浦公園の一角にある須磨観光ハウスは、昭和12年(1937)に神戸市の迎賓館として建てられた。設計は神戸市営繕課。(但し竣工年は昭和13年、14年等諸説ある)現在は料理旅館になっている。

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須磨浦公園内のロープウェーから見下ろすことが出来る。

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急勾配の屋根と青緑色のスペイン瓦が特徴。

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全景。スイスの山荘を模したと伝わる。

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源平の古戦場としても名高い須磨浦の松林は明治以降御料林となっていたが、昭和10年に須磨浦公園として市民に解放された。

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山陽電鉄須磨浦公園駅を降り、大阪湾を望みつつ須磨浦公園内の山道を登ると、やがて石畳の坂道が現れる。
この先に旧神戸市迎賓館は建つ。

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坂道を登った先に現れる正面。かつて神戸でも指折りの高級宿泊施設であったという。

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なお、昭和10年代半ばの神戸の高級ホテルとしては他にオリエンタル・ホテル(昭和20年6月戦災で全焼崩壊)、トーア・ホテル(米軍接収中の昭和25年に泥酔した米兵の狼藉により全焼)、舞子ホテル(旧日下部久太郎別邸、昭和17年頃開業、現在も盛業中)等があった。

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この宿の魅力のひとつは周辺環境である。周囲の松林も、ここから望む大阪湾、淡路島、瀬戸内海も、殆ど創建当初と変わっていないのがよい。その点、戦後古い松林の殆どが枯死壊滅(現在はその後の植え直したものが中心)した上、明石海峡大橋開通に伴う開発により環境が激変したすぐ西隣の舞子公園とは大きな違いである。

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玄関脇の窓。

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半地階から庭園へ通じる出入口。

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周囲には桜の木が多く植えられ、春は花見の名所となる。

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内部の一室。階下は洋室を中心に構成、階上は日本座敷から構成されている。

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内外共に改装された個所も多いが、創建時からさほど変わっていないと思われる箇所もある。

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神戸の隠れ家的な名旅館である。
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