第180回・旧並河靖之邸(並河靖之七宝記念館)

convert_20100928230125.jpg

帝室技芸員も務めた七宝作家・並河靖之(1845~1927)の自宅兼工房として明治27年(1894)に京都市東山に建てられた。現在は「並河靖之七宝記念館」として一般公開されている。国登録有形文化財。

convert_20100928231024.jpg

平安神宮の近く、閑静な一角に建つ。

convert_20100928231124.jpg

街路に面した外観は典型的な京町家である。

convert_20100928230806.jpg

門をくぐると目の前に現れる通り庭(台所)への入口。

convert_20100928230731.jpg

式台を備えた来客用の玄関。

convert_20100928230322.jpg

七宝細工の買い手には外国人も多かったため客間は洋家具を置いている。

convert_20100928231607.jpg

客間の奥は裏庭の池に面している。

convert_20100928231302.jpg

裏庭の池はすぐ近所の琵琶湖疏水から引いた水が用いられている。

convert_20100928230209.jpg

表が伝統的な町家、奥が庭園を備えた邸宅風、という構成の住宅は大阪にも現存する。伝法の旧鴻池忠次郎邸でこちらはかつては裏側が川(旧伝法川。埋め立てられ現在はない)に面しており水に面して造られている、という点でも旧並河邸と似ている。

convert_20100928231056.jpg

手水鉢。写真左手は手洗いだろうか。

convert_20100928230447.jpg

工房も往時の姿を再現、公開している。

convert_20100928230421.jpg

工房の天井。

convert_20100928231220.jpg

convert_20100928231148.jpg

convert_20100928230538.jpg

異色の京町家として一見の価値がある。
スポンサーサイト

第179回・春陽荘

convert_20100928225319.jpg

兵庫県の淡路島にある、和風建築と洋館から構成される邸宅。昭和16年(1941)地元の造船会社社長が自宅兼事務所として建てた。国登録有形文化財。

convert_20100928225347.jpg

全景。設計は家相方位学の権威とされる山本豊圓によるとのこと。したがって建物の配置は風水の思想に基づく。

convert_20100928225222.jpg

常住殿。

convert_20100928225457.jpg

洋館。

convert_20100928225532.jpg

会社の事務所・応接室として使われていた。

convert_20100928225251.jpg

寝殿。窓の形状・配置が特徴的。
冒頭の写真も寝殿。

convert_20100928225429.jpg

渡り廊下。

convert_20100928225126.jpg

客殿。材料・意匠共に非常に凝った造りである。

convert_20100928225157.jpg

現所有者の米田氏により事前予約制で一般公開されている。

第178回・旧諸戸精太邸(西諸戸邸・諸戸宗家・現「諸戸氏庭園」)

convert_20100925173523.jpg

前回取り上げた東諸戸邸の隣には西諸戸邸がある。東諸戸邸の主・二代精六の兄・精太が父・初代精六から受け継いだ家屋敷に洋室や茶室を増築し昭和初年頃には現在の形になった。東諸戸邸と同じく国指定重要文化財。

convert_20100926110917.jpg

主屋。重厚な土蔵造の商家である。明治半ばに初代精六が建てたという。
初代諸戸精六は父親の莫大な借金を背負わされ幼少期は辛酸を舐めるが、刻苦精励の末、米の仲買で巨万の富を得て土地経営、山林経営にも手を出しついには山林王とまで称された立志伝中の人物である。

IMG_5742_convert_20100925172247.jpg

主屋の正面向かって右手にある洋室。冒頭の写真の建物である。大正6年(1917)、設計は当時名古屋を中心に活躍していた鈴木禎次。東諸戸邸の設計者・コンドルの教え子である辰野金吾に建築を学んでいる。つまりコンドルからすれば孫弟子に当たる。道路側は地味な外観だが、庭園側の外観と内装は瀟洒で華麗なもの。

convert_20100926111107.jpg

主屋の片方の鬼瓦はわざと傾けてある。伊勢神宮の方面を向いており、神宮に頭を下げる形になっている。

convert_20100926110306.jpg

とにかく重厚の一語に尽きる主屋。一階の格子の太さなど半端ではない。牢屋の格子かと思うぐらいである。

convert_20100926111208.jpg

主屋の向かって左にある表門。ここをくぐると接客用の御殿につながっている。

convert_20100926110110.jpg

門をくぐると奥に御殿が見える。玄関・洋館・大広間の3棟と離れになった玉突場から構成される。屋根に煉瓦の煙突が立っているのが洋館。

IMG_5738_convert_20100926110644.jpg

御殿の袖塀。

convert_20100925173848.jpg

洋館。基壇が異様に高い。傷みがひどいが近年の内に修復が始まる筈である。

convert_20100925174013.jpg

玉突場。洋館からやや離れた場所にある。現在は修復のため解体中。(写真は解体前撮影)

convert_20100926105637.jpg

御殿玄関。

IMG_5694_convert_20100926110500.jpg

御殿玄関。外務省庁舎の内装を模したと伝わる。外務省は明治の初めに建てられた赤煉瓦の庁舎が昭和20年の東京大空襲で焼失するまで使われていたので、そのときのものと思われるが具体的にどこを模したのかは不明。

IMG_5697_convert_20100926112217.jpg

御殿玄関脇にある客座敷。西諸戸邸は庭園のみが公開対象であり、建物内部の公開はされていない。この写真も外から内部を覗いただけである。

convert_20100926105841.jpg

西本願寺を模したと伝わる大広間。初代諸戸精六の屋敷の建て方は気に入った建物があれば、大工を派遣して見学・採寸させてそれを写す、というものだったと言われる。

convert_20100926110840.jpg

もはや一個人の屋敷とは思えないスケールの大きさ。

IMG_5700_convert_20100926112658.jpg

大広間の内部。内部からの庭園の眺めは圧巻らしい。

IMG_5707_convert_20100926112014.jpg

大広間全景。

IMG_5709_convert_20100926110753.jpg

大広間の前に広がる庭園。これだけ石を並べ立てた庭も珍しいのではないかと思う。

IMG_5710_convert_20100926112417.jpg

もともとこの庭園は初代諸戸精六が一から造った訳ではない。江戸時代に桑名藩御用商人であった山田彦左衛門が造った庭園を明治半ばに周囲の土地と合わせて購入、荒れ果てていた庭園を整備し、その周りに新たに御殿や庭を造った。写真は旧山田氏庭園付近。

IMG_5733_convert_20100926111902.jpg

旧山田氏庭園の遺構のひとつ、推敲亭。三重県指定文化財。月見のための茶亭。

IMG_5727_convert_20100926111738.jpg

旧山田氏時代の建物で現存するのは推敲亭以外に御成書院がある。(推敲亭と同じく三重県指定文化財)名前の由来は明治天皇の御座所となったことに由来する。御成書院は現在も諸戸家の住まいの一部なので完全非公開。

convert_20100926111024.jpg

フジの時期は見ものであろう藤茶屋。山田氏庭園からの遺構であったがもとの建物は戦災で焼失、現在のものは昭和43年に関係者の記憶をもとに再建したもの。

convert_20100926105932.jpg

庭園から見た主屋。

convert_20100926111359.jpg

二階は表側同様重厚に造られているが、一階は縁側があり軽快で解放的。一階が主人や家族の居室、二階は使用人の居室だったようである。

convert_20100926105734.jpg

大正か昭和初期建設の茶席「伴松軒」。主屋とは明治末増築の仏間を介してつながっている。初代精六は明治39年に没しているので、この茶席と先述の洋室は諸戸精太が建てたものである。

convert_20100926111502.jpg

庭園側から見た洋室。この建物も傷みがひどく、屋根にはトタンの覆いが掛けられている。修復が待たれる。

convert_20100926105202.jpg

4連アーチの部分にはステンドグラスが嵌めこまれている。

convert_20100925173708.jpg

東諸戸邸に比べると洋館としては極めて小粒だが味は超濃厚。内装も密度の濃い装飾が施され、家具調度類も一式揃っている。

convert_20100925173626.jpg

繊細な意匠の手摺や欄間を持つベランダは、同じ鈴木禎次設計で少し古い中埜家別邸(明治44、愛知県半田市、国指定重文)と共通点が見られる。

convert_20100926105325.jpg

ベランダの端にある、ベランダとは硝子の入ったドアで仕切られた謎のタイル敷き。かつては一人用のサンルームでもあったか、それともごく小さな温室があったのか、謎である。

convert_20100925173753.jpg

煉瓦造の米蔵。かつては5棟連なっていたが戦災で2棟は破壊され3棟のみ残る。

convert_20100925173935.jpg

東諸戸邸は敷地全体が桑名市の所有になったが、西諸戸邸は今も一部が諸戸家の住まいとして使われている。(写真手前部分)今回紹介した部分については現在諸戸家関係の財団が所有・管理、今後大がかりな修復工事が予定され、一部はすでに着手されている。

第177回・旧諸戸精六邸(東諸戸邸・諸戸本家・現「六華苑」)

IMG_5777_convert_20100925163434.jpg

三重県桑名市の山林王・諸戸家の二代目諸戸精六が大正2年(1913)、自身の新婚生活の場として、もとの諸戸家の住まいに隣接する場所に建てた。設計は鹿鳴館の設計でも知られる英国人建築家ジョサイア・コンドルとその直弟子・桜井小太郎。国指定重要文化財。

IMG_5870_convert_20100925165846.jpg

木曽三川のひとつ、長良川の西岸に広大な敷地を構える。古風な長屋門が出迎える。現在は諸戸家から桑名市に寄贈、「六華苑」の名称で一般公開されている。

IMG_5743_convert_20100925164628.jpg

長屋門をくぐりしばらく歩くと洋館が見えてくる。

IMG_5744_convert_20100925164716.jpg

木造二階建て・色モルタル塗り仕上げの洋館。建設当時施主の二代諸戸精六は若干23歳であった。設計者は施主の年齢を意識してこのような明るい雰囲気の洋館をデザインした、かどうかは分からない。

IMG_5785_convert_20100925165147.jpg

四重の展望塔は塔からの長良川の展望を得たいがための施主の要望による。設計段階では三重塔であった。

IMG_5859_convert_20100925164523.jpg

奥に見える和風の内玄関棟は桑名市に寄贈されてからの再建。元の建物は戦後間もなく他者へ譲渡され現存しないため、整備に際しイメージ復元を行ったもの。

IMG_5750_convert_20100925165927.jpg

庭園側からの洋館全景。ベランダや塔で、変化に富むピクチュアレスクな外観を構成する。

IMG_5765_convert_20100925164948.jpg

洋館に隣接して日本館が続く。洋館と日本館の繋ぎ目は、目立たない渡り投下などで繋ぐ例は多いが、このように露骨なまでに分かりやすく繋ぐのは珍しい。

IMG_5752_convert_20100925171932.jpg

大名屋敷のような仰々しい造りの日本館が続く。

IMG_5759_convert_20100925171158.jpg

敷地奥にある、昭和13年増築の仏間。日本館とは少し離れた場所に建てられている。屋根はもとは檜皮葺だったが整備に際し銅板葺に改められている。

IMG_5753_convert_20100925170134.jpg

日本庭園の中に建つ洋館。

IMG_5746_convert_20100925172057.jpg

戦災で洋館の玄関ポーチは失われたままだったが、整備に際して復原された。

IMG_5807_convert_20100925163800.jpg

洋館玄関扉のステンドグラス。同じく戦災で失われていたので復原されたものである。

IMG_5791_convert_20100925165256.jpg

洋館1階客間。洋館の中で最も華やかな部屋。

IMG_5788_convert_20100925170851.jpg

洋館1階客間暖炉。金物の装飾にアールヌーボーのデザインが見られる。

IMG_5805_convert_20100925165419.jpg

客間と続き間になっている食堂。

IMG_5794_convert_20100925171253.jpg

食堂の暖炉。諸戸邸洋館のインテリアは他のコンドル設計の邸宅に比べると簡素なものである。

IMG_5800_convert_20100925163851.jpg

食堂からの日本庭園の眺め。

IMG_5795_convert_20100925163604.jpg

同上、その2。

IMG_5773_convert_20100925164426.jpg

1階ベランダ。

IMG_5768_convert_20100925165046.jpg

1階ベランダ、食堂の外観。

IMG_5824_convert_20100925170302.jpg

2階階段ホール。

IMG_5816_convert_20100925171814.jpg

2階女中室。洋室ながら押し入れがあるのが面白い。

IMG_5827+-convert_20100925170701.jpg

2階サンルーム。

IMG_5826_convert_20100925170431.jpg

サンルームからの庭園の眺め。

IMG_5786_convert_20100925171430.jpg

洋館から見る日本館の廊下。

IMG_5844_convert_20100925171537.jpg

日本館、客座敷床の間。二代精六が洋館で起居したのは5年程度で、以後この日本館が生活の場となり、昭和に入ると間もなく他所に建てた別邸(無論和風)へ移る。

IMG_5858_convert_20100925164228.jpg

展示されている二代精六の写真を見ると、隣の洋館で寝起きしていた頃は、乗馬をしたり洋装に鼻眼鏡というなりをしてみたり、歯の浮くようなハイカラ振りに身を窶していた時期もあったようだが、その後は茶の湯等伝統文化に傾倒するようになったようだ。

IMG_5853_convert_20100925165750.jpg

中庭側の眺め。摺り硝子と透明硝子の組み合わせが秀逸な建具。

IMG_5756_convert_20100925170014.jpg

隣には二代精六の兄・精太が父から引き継いた屋敷(西諸戸邸・諸戸宗家)があり、こちらも季節限定ではあるが庭園が公開されている。次回はこの屋敷を紹介させて頂く予定。

第176回・旧朝吹家別荘「睡鳩荘」

IMG_8053_convert_20100925144455.jpg

三井財閥の重鎮・朝吹英二(1849~1918)の息子で自身も三越常務、帝国生命社長等を務めた朝吹常吉(1877~1955)が昭和6年(1931)、軽井沢に建てた別荘。

IMG_8118_convert_20100925151404.jpg

三井財閥の総帥・益田孝がかねてから購入を望んでいた、朝吹家所蔵の眠り鳩を描いた掛軸を益田へ売り、その代金で別荘を建てたことから「睡鳩荘」(すいきゅうそう)と名付けられたと言われている。

IMG_8057_convert_20100925144722.jpg

常吉没後は長女で仏文学者の朝吹登水子(1917~2005)が別荘として使用。朝吹登水子の没後、塩沢湖畔の複合施設「軽井沢タリアセン」内に移築され、一般公開されている。

IMG_8109_convert_20100925145509.jpg

設計は米国人宣教師で建築家のウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880~1964)による。軽井沢は主要な設計活動の場のひとつで作品も多い。

IMG_8108_convert_20100925145037.jpg

半分に割った丸太を貼りつけた外壁が特徴的。

IMG_8106_convert_20100925145143.jpg

裏側。

IMG_8105_convert_20100925151217.jpg

二階の外壁は一階とは異なり、縦に下見板を貼っている。

IMG_8054_convert_20100925144635.jpg

赤い壁と屋根に、手摺と建具の白が映える。

IMG_8060_convert_20100925144825.jpg

1階前面に張り出したテラス。

IMG_8099_convert_20100925151819.jpg

手摺のデザインが面白い。

IMG_8102_convert_20100925144932.jpg

テラス内にある玄関。

IMG_8097_convert_20100925145320.jpg

テラスには椅子が置かれ、見学者が寛げるようになっている。

IMG_8091_convert_20100925150801.jpg

一階リビング。食堂を兼ねる。家具調度類は朝吹常吉・登水子二代に亘るものが建物と共に保存されている。

IMG_8063_convert_20100925150956.jpg

小物やソファのクッションまでそのまま移されているので、今も現役である住まいに上がり込んだような感覚を覚える。

IMG_8066_convert_20100925152551.jpg

山荘の雰囲気を醸し出す照明器具。

IMG_8065_convert_20100925145655.jpg

自然石を積んだ暖炉。暖炉上の剥製飾りは阿波徳島の殿様・蜂須賀正氏侯爵から贈られたもの。

IMG_8093_convert_20100925150902.jpg

一階は玄関とこのリビング兼食堂のみ。あとは台所などのサービス空間が占める。
朝吹常吉は留学した英国に心酔、終生英国風を好みテニスとスコッチとブリッジ三昧の生活を送ったと言われる。そのような人物の住まいなので、和の要素は無い。

IMG_8094_convert_20100925151123.jpg

暖炉の向かい側に置かれた食器棚。その奥には台所から料理を出すための配膳口が見える。

IMG_8090_convert_20100925150613.jpg

階段室。

IMG_8072_convert_20100925150119.jpg

階段室の照明。

IMG_8075_convert_20100925152133.jpg

二階は家族および来客のための寝室で構成されている。

IMG_8076_convert_20100925151506.jpg

二階バルコニー。

IMG_8074_convert_20100925151707.jpg

朝吹登水子氏が書斎として使っていた部屋。

IMG_8079_convert_20100925152949.jpg

硝子でできたドアノブ。ヴォーリズ設計の建築では多く使われている。米国製であろう。

IMG_8117_convert_20100925155224.jpg

昭和戦前の、最も優れた軽井沢の別荘建築のひとつである。

第175回・旧帝国ホテル中央玄関

convert_20100923132550.jpg

現在愛知県犬山市の明治村にある旧帝国ホテル中央玄関は、東京・内幸町にあった帝国ホテルの玄関部分を移設保存したものである。国登録有形文化財。

convert_20100923133654.jpg

明治23年開業の帝国ホテルは初代ホテルの老朽化に伴い新築移転を決め、米国人建築家フランク・ロイド・ライトの設計による2代目が大正11~12年(1922~3)にかけて竣工、大正12年9月1日、即ち関東大震災の日に新築開業した。このとき大きな被害が無かったことから、建築界にこの建物の名声が広がり、大正末期から昭和初期にかけてのライト風建築やスクラッチタイルの大流行をもたらしたと言われる。

convert_20100923132706.jpg

但しホテルとしての寿命は決して長くなかった。昭和42年(1967)に解体される。この建物がホテルとして使われたのは約45年間で、半世紀にも満たない。玄関及び前庭の池泉部分が明治村に再建されるのは18年後の昭和60年(1985)のことである。規模は全体の十数分の一に過ぎない。

convert_20100923132805.jpg

ポーチ。建物の内外全体がライト独特の幾何学的な装飾が刻まれた大谷石で飾られている。

convert_20100923133734.jpg

大谷石は栃木県源産の石材で、関東を中心に塀や蔵の材料として用いられていたが、帝国ホテルに用いられるまでは大がかりに使われることはなかった。帝国ホテルが大谷石の知名度を大きく上げたのは事実であろう。

convert_20100923133140.jpg

ただ、大谷石は火には強いが水に弱く風化しやすい。明治村への移設に際しても新しく作り直した部材が多い。

convert_20100923132954.jpg

大谷石と並んで帝国ホテルを飾り立てているのがスクラッチタイル(引っかき傷を付けた素焼タイル)とテラコッタ(装飾用タイル)。制作に際しては帝国ホテル専用の窯場が設けられたという。

convert_20100923133023.jpg

透かし彫りのような独特の装飾を施した庇部分。

convert_20100923133840.jpg

もとの建物のごく一部分とはいえ、実に濃密なデザインで見応えがある。

convert_20100923134830.jpg

convert_20100923133256.jpg

側面。

convert_20100923132626.jpg

側面の後ろ側。かつてはここから両脇に客室棟に続く渡り廊下が伸び、奥の大食堂や宴会場につながっていた箇所である。今は無残な切り口でしかなく、ここからはあまり見たくない、見せたくない所である。

convert_20100923134138.jpg

正面玄関から内部へ入る。

convert_20100923132927.jpg

フロント。

convert_20100923140209.jpg

フロントからロビーへの階段。

convert_20100923134210.jpg

2層吹き抜けのロビー。

convert_20100923133206.jpg

内外の貴顕、著名人も多く往来した空間。

convert_20100923133336.jpg

convert_20100923133407.jpg

内部も外観同様、大谷石・スクラッチタイル・テラコッタで装飾されている。現存しない部分についても同じ。

convert_20100923134251.jpg

内幸町にあった時と同じ場所かどうかは不明だが、喫茶室。今も唯一現役のホテル機能を果たしている場所。

convert_20100923133808.jpg

窓。

convert_20100923134446.jpg

かつては東京の喧騒を写していた窓も、今は明治村の静かな緑を写す。

convert_20100923140937.jpg

かつては、この濃密な装飾で飾られた空間がこの十数倍あった訳である。たとえ百年、二百年かかってもいいので全体を再建してはどうかと思う。元の部材は玄関部分(の一部)しか残されなかったから、あとの部分は完全なレプリカに過ぎないが、それでもいい。やる価値は十分ある。

第174回・法師温泉長寿館

convert_20100923225432.jpg

群馬県みなかみ町の法師温泉にある温泉宿。明治期に建てられた客室や浴場が今も現役で使われている。
写真は浴場棟「法師之湯」の屋根。湯気抜きの塔がある。

convert_20100923225542.jpg

明治8年(1875)に建てられたという本館。

convert_20100923230134.jpg

硝子戸が無ければ、江戸時代から変わっていない姿なのではないかと思える。

convert_20100923225942.jpg

裏側からみた本館。

convert_20100923225850.jpg

横を流れる渓流の上流から。左手に見えるのは浴場「法師之湯」の屋根。明治28年(1895)築。

convert_20100923225645.jpg

板と木の皮で葺いた屋根。

convert_20100923225827.jpg

浴場「法師之湯」の洋風アーチ窓。この宿が明治の建築である事を分かりやすく伝えるほぼ唯一の箇所。

convert_20100923225503.jpg

本館内の囲炉裏。

convert_20100923225709.jpg

客室。

convert_20100923225911.jpg

太い梁を露出した野趣に富む客室天井。

convert_20100923225752.jpg

客室から川を隔てた対岸を見る。対岸の客室は昭和15年増築の別館。

convert_20100923230227.jpg

本館、法師之湯、別館は国登録有形文化財。

第173回・JR神戸駅舎

IMG_6809_convert_20100923145715.jpg

JR神戸駅は東海道本線の終着駅にして山陽本線の始発駅である。現駅舎は昭和9年(1934)竣工、設計は鉄道省。正面のステンドグラスで出来た大時計が特徴的。

IMG_6806_convert_20100923150220.jpg

現在、神戸の玄関は新神戸駅、中心街は三宮界隈だが、開港から昭和初期までは、港に近い神戸駅とその界隈が神戸の玄関・中心街であった。阪急・阪神の二私鉄が三宮に乗り入れた昭和初期から神戸の中心が移り始める。そして新幹線・新神戸駅の開通により玄関の座も三宮に移ることになる。

IMG_6805+convert_20100923150807.jpg

尤も、六大都市のひとつにも関わらず戦前の駅舎が健在なのはそのおかげかも知れない。

IMG_6815_convert_20100923150703.jpg

東京・大阪・名古屋・京都・横浜・神戸の六大都市中、戦前の駅舎が残るのは東京と神戸のみ。

IMG_6813_convert_20100923150140.jpg

内部コンコースの天井は2階分の高さがある。

IMG_6814_convert_20100923150258.jpg

内側から見た正面大時計ステンドグラス製文字盤。

IMG_6810_convert_20100923145904.jpg

コンコースもよく旧状を残すが貴賓室も家具を含めよく保存されている。貴賓室は写真奥、がんこ寿司の奥あたりにあるらしい。

IMG_6811_convert_20100923145953.jpg

コンコース内円柱頭部の装飾。

IMG_6812_convert_20100923150033.jpg

神戸駅とほぼ同時期に建てられた、2つ東隣の三ノ宮駅は改築されて久しいがコンコースの半分程度は戦前のまま残されており、神戸駅同様装飾的な円柱や天井飾りが見られる。

IMG_6816_convert_20100923150412.jpg

神戸駅は北側(山側)に正面を向けている。写真は南側(浜側)玄関。

IMG_6817_convert_20100923150618.jpg

小さなステンドグラスが嵌められている。

IMG_6804_convert_20100923145820.jpg

昭和戦前の名駅舎のひとつである。これからもこのままの姿で現役であって欲しい。

第172回・梅谷歯科医院

IMG_8528_convert_20100921210004.jpg

大阪市西成区天下茶屋にある、大正11年(1922)頃の建築と推測される現役の歯科医院。国登録有形文化財。

IMG_8526_convert_20100921211332.jpg

南海電鉄天下茶屋駅から徒歩数分の場所に位置する。

IMG_8527_convert_20100921210322.jpg

道路に面した表は木造3階建の洋館、裏側は2階建の和風建築。しかし内部は洋館部分も和室があったりして和風色が強いらしい。

IMG_8541_convert_20100921210517.jpg

IMG_8534_convert_20100921210426.jpg

IMG_8531_convert_20100921210204.jpg

2~3階は白ペンキ塗りの外観。

IMG_8530_convert_20100921210857.jpg

玄関。扉は新しく取り替えられているがステンドグラスを嵌めた欄間は当初のままと思われる。

IMG_8533+convert_20100921211139.jpg

欄間部分アップ。脇に「健康保険歯科医」と正字体(旧字体)で書かれた表札がある。戦前のものであろう。

IMG_8529_convert_20100921210108.jpg

1階外壁は腰壁部分を擬石仕上げ、上部を白タイル貼りとする。

IMG_8536_convert_20100921210611.jpg

屋根は緑色に塗られている。

IMG_8538_convert_20100921210802.jpg

この界隈は比較的古い家並みが残っているが、その中でも特に目立つ存在である。

IMG_8542_convert_20100921210655.jpg

大阪の下町に残るハイカラな大正の洋館である。

第171回・旧高市郡教育博物館

convert_20100912170155.jpg

国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている奈良県橿原市今井町の一角に建つ。

convert_20100912170024.jpg

明治36年(1903)、奈良県下初の社会教育施設として建てられた。設計は奈良県技師・橋本卯兵衛による。奈良県指定文化財。

convert_20100912170125.jpg

皇太子殿下(のちの大正天皇)が畝傍御陵を参拝され、そのときの御下賜金で建設された。

convert_20100912171100.jpg

明治中~後期に奈良県下に多く建てられた和風意匠の公共建築のひとつである。

convert_20100912171004.jpg

同種の建物で現存するものに旧奈良県物産陳列所(明治35)、旧奈良県立戦旋図書館(明治41)、奈良ホテル(明治42)がある。

convert_20100912170802.jpg

現存しないが、旧奈良県庁、旧奈良県公会堂も同種の和風建築であった。

convert_20100912170431.jpg

いずれの建物も、白木の柱と白壁から構成される壁面と日本瓦葺の屋根で構成される外観を持つという点では共通している。

convert_20100912170405.jpg

昭和4年からは今井町役場として使用される。

convert_20100912170515.jpg

昭和31年に今井町が橿原市と合併した後は様々な用途に転用される。

convert_20100912170334.jpg

県文化財に指定後修復を行い、現在は「今井まちなみ交流センター 華甍(はないらか)」の名称で、今井町の歴史や街並みについての展示を行うほか、会議室としても一般に開放されている。

第170回・旧北海道拓殖銀行小樽支店

convert_20100912164517.jpg

大正12年(1923)、旧北海道拓殖銀行小樽支店として建てられた。設計は当時大蔵省営繕課で帝国議会(国会)議事堂の設計を進めていた矢橋賢吉。矢橋は同銀行の旧札幌本店(現存しない)等も手掛けている。

convert_20100912163838.jpg

北海道でも現存する最古級の鉄筋コンクリート造の事務所建築のひとつである。

convert_20100912164039.jpg

銀行店舗以外にも貸事務所を含む。

convert_20100912164833.jpg

昭和44年に銀行店舗としての役目を終えた後は用途を転々とし、現在の用途はビジネスホテル「ホテルヴィブラントオタル」

convert_20100912164439.jpg

「蟹工船」等で知られるプロレタリア作家・小林多喜二(1903~1933)は北海道拓殖銀行小樽支店に一時期勤務していた。大正13年から昭和4年にプロレタリア作家としての活動が原因で解雇されるまでの5年間、当時は新築間もなかったこの建物で勤務していた。

convert_20100912164412.jpg

1階は石張り、2階より上階はタイル貼りで簡素に仕上げる。

convert_20100912164550.jpg

営業室玄関周りだけはずん胴な石柱を立て、重厚に仕上げている。

convert_20100912164637.jpg

旧営業室内部。現在はカフェとして使用、宿泊客はここで朝食をとることが出来る。

convert_20100912164712.jpg

カフェは宿泊客以外でも利用可能のようである。

convert_20100912164105.jpg

階段室内部。梁の付け根に装飾がある。

convert_20100912164743.jpg

平成3年に小樽市指定歴史的建造物に指定されている。

第169回・旧市村家別荘(旧近衛文麿別荘)

IMG_8176_convert_20100912160647.jpg

大正7年(1918)頃、当時軽井沢の別荘地開発を行っていた野澤組が宅地を分譲し、同じ時期軽井沢で上流階級向けの別荘建築を手掛けていたあめりか屋の設計・施工で建てられた別荘。

IMG_8139_convert_20100912162151.jpg

その後近衛文麿公爵が別荘として購入、現在も一階応接間の床には近衛公のものと思われるゴルフシューズのスパイクの跡が残っている。

IMG_8127_convert_20100912160823.jpg

その後昭和8年に、近衛公とも親交のあった軽井沢出身の政治学者・市村今朝蔵が購入、当時市村夫妻が企画していた別荘村の拠点とすべく別荘地として開発の始まっていた南原の一角へ移築された。その後戦中戦後を通じ市村家の別荘として使われる。

IMG_8134_convert_20100912161824.jpg

平成に入り市村夫人の遺志により軽井沢町へ寄贈、現在地に再移築し軽井沢町資料館分室・市村記念館として公開され現在に至る。

IMG_8167_convert_20100912162423.jpg

現在の敷地は市村今朝蔵の叔父で甲州財閥の一人、雨宮敬次郎の別荘の敷地内である。明治期に建てられた雨宮家の別荘も現存、旧市村家別荘と同様軽井沢町が所有・管理している。

IMG_8132_convert_20100912162032.jpg

あめりか屋は明治42年に創業者の橋口信介がアメリカより組み立て式住宅を持ち帰り販売したところから始まる日本で最初の住宅供給会社である。大正に入ると軽井沢で富裕層向けの別荘建築の設計・施工を始め、大隈重信、細川侯爵家、水戸徳川家などの別荘を手掛けている。うち水戸徳川家別荘はその後田中角栄別荘となり、現存する。(現在、田中角栄記念館軽井沢分室となるも公開はしていない)

IMG_8141_convert_20100912160922.jpg

自然石と丸太を組み合わせた柱が特徴の玄関ポーチ。

IMG_8164_convert_20100912161359.jpg

中央の玄関ホールを挟む形で右手に応接間、左手に居間兼食堂があり、双方ともベイウインドウがある。

IMG_8165_convert_20100912161246.jpg

外壁は下見板貼りだが、一階腰壁は紫色の天然スレート(と思われるが?)を貼りつけている。

IMG_8129_convert_20100912161939.jpg

下見板は日本の洋館の外装材としては最もポピュラーなものだが、あめりか屋の別荘建築の下見板は一般的なものよりも幅が細い感じがする。なおあめりか屋の洋館の外壁仕上げはこのような下見板とモルタルを粗く塗ったドイツ壁のどちらか、もしくは上下階で両者を使い分けたものが多い。

IMG_8170_convert_20100912161529.jpg

残念ながら内部は撮影禁止の為、室内を紹介することが出来ない。
一階は洋室、二階は日本座敷だが外観同様内部も非常に質の高い意匠が見られる。とりわけ組子状の装飾を施した一階階段の手摺や、床に火鉢を埋め込んで囲炉裏風に改造した暖炉が見どころである。家具も古いものがよく残されており、戦前の別荘建築の雰囲気が味わえる。

IMG_8162_convert_20100912161115.jpg

一階玄関脇の飾り窓。一見ステンドグラスに見えるが、内側から塗料で模様を描いたもの。

IMG_8142_convert_20100912161013.jpg

二階正面中央の窓。内側は階段ホールで、市村今朝蔵の書斎でもあった。

IMG_8176_convert_20100912162523.jpg

現在一般公開されている軽井沢の古い別荘建築のうち、大正期を代表するもののひとつと言える。

第168回・旧台中公園湖心亭(現中山公園湖心亭)

convert_20100907230432.jpg

台湾が日本統治領であった明治41年(1908)に、台中市の台中公園(現中山公園)で催された台湾縦貫鉄道全線開通記念式典に出席された閑院宮殿下のための臨席所として建てられた亭。

convert_20100907231255.jpg

設計は台湾総督府技師の福田東吾。

convert_20100907230642.jpg

現在も台中の名所のひとつとして親しまれている。

convert_20100907230759.jpg

尖がり屋根に三角形の柱など、明治時代の建築とは思えない斬新な造形である。

convert_20100907230931.jpg

内部。

convert_20100907230716.jpg

convert_20100907230828.jpg

convert_20100907230221.jpg

convert_20100907230906.jpg

convert_20100907231042.jpg

台中市の市定古蹟に指定されている。

第167回・旧開智学校

convert_20100902215604.jpg

明治9年(1876)、長野県松本市に建てられた。
明治初期の文明開化時代の代表的建築である。国指定重要文化財。

convert_20100902215706.jpg

学校自体は現在も当初からの場所に開智小学校として存続しており、旧開智学校校舎はその隣に移築保存されている。

convert_20100902215827.jpg

現在は正面部分のみ現存するが、かつては後方に鍵の手状に校舎が続いていた。これらの旧校舎は昭和30年代半ばまで、即ち約80年以上使われていた。写真は旧状を復原した模型で展示物の一つである。

convert_20100902215443.jpg

屋内に展示されている、現役時代末期の姿を撮った写真。中央部分は大きく改造されており、文明開化調の造形は殆ど残されていなかった。

convert_20100902215854.jpg

移築復原に際して中央部分の装飾が古写真をもとに再現、現在に至る。

convert_20100902215732.jpg

洋風なのか中国風なのか和風なのか全く国籍不明の造形である。

convert_20100902215640.jpg

龍と雲と校名を掲げる一対の天使像。

convert_20100902220107.jpg

玄関。

convert_20100902215801.jpg

玄関まわりは何となく中国風に見える。

convert_20100902215405.jpg

アーチ型欄間に色硝子を嵌めた二階中央の窓。

convert_20100902215508.jpg

天井の照明台座。

convert_20100902215534.jpg

同上。

convert_20100902220041.jpg

設計・施工は当時極めて進取の気性に富む人物であった地元の大工棟梁・立石清重による。

第166回・谷崎潤一郎旧居「倚松庵」

IMG_2893_convert_20100828093706.jpg

神戸市東灘区、阪神魚崎駅から徒歩数分の位置にある作家・谷崎潤一郎(1886~1965)の旧居「倚松庵」。昭和4年(1929)に建てられたこの和洋折衷住宅を谷崎は昭和11年から18年まで借り、住んでいた。また谷崎の代表作「細雪」の舞台としても知られる。現在は神戸市が所有・公開している。

IMG_2864_convert_20100828094144.jpg

「倚松庵」は松に倚りかかる住まい、の意。「松」は敷地内及び周辺に多く生えている松と、昭和9年に三度目の妻として迎えた松子夫人の名をかけたものである。なお「細雪」の蒔岡家は蘆屋川の西岸に建っていることになっているが、実際の谷崎家は住吉川の西岸に建つ。本来は少し下流側に建っていたが神戸市が取得する際、現在位置に移築された。

IMG_2865_convert_20100828094042.jpg

京阪神地方の古い中流以上の木造住宅によく見られる、外壁に杉皮を貼った和風の外観。一階には洋風の上げ下げ窓があり、内部は洋室であることが分かる。

IMG_2889_convert_20100828100011.jpg

茶室のような外観の玄関。

IMG_2888_convert_20100828095900.jpg

玄関扉。裏口と間違えそうな非常に小さな玄関である。

IMG_2872_convert_20100828094814.jpg

玄関を入ってすぐ左手にある客間兼居間。奥の硝子戸から屋外のテラスに出られる。

IMG_2867_convert_20100828094312.jpg

隣の食堂から客間兼居間を見る。奥の書棚には谷崎の小説や研究本があり自由に閲覧できる。

IMG_2868_convert_20100828094909.jpg

客間兼居間の暖炉。

IMG_2870_convert_20100828095014.jpg

客間兼居間扉の小窓に嵌めこまれたステンドグラス。

IMG_2871_convert_20100828095808.jpg

食堂。客間兼居間とは引き戸で仕切られ、開けると続き間になっている。

IMG_2880_convert_20100828093452.jpg

椅子と卓子は谷崎家居住時代のものを復原。(ただし椅子一脚のみオリジナル)

IMG_2883_convert_20100828095219.jpg

食堂の奥にある日本座敷。一階で畳敷きの部屋はここと女中部屋(現在は事務室)のみ。

IMG_2882_convert_20100828095314.jpg

台所。人造石研ぎ出しの流しや奥に置かれた氷を用いる冷蔵庫などは「細雪」の時代設定に合わせ昭和10年代の状況に近付けているのだと思う。

IMG_2879_convert_20100828100137.jpg

二階階段の上がり口。現在の一般住宅と同じぐらいの幅である。決して邸宅と言えるような規模の階段ではない。

IMG_2875_convert_20100828095104.jpg

二階は全て和室。写真は東側(玄関側)の部屋。谷崎夫妻の居室。

IMG_2877_convert_20100828095714.jpg

西側の座敷。二階はこの座敷を含めて三間。一階は女中部屋を含めても四間。合わせて七間で各部屋もさほど広くない。倚松庵は戦前日本の中流の真ん中ぐらいの階層の住宅である。

IMG_2890_convert_20100828095429.jpg

客間兼居間からは屋外テラスにつながっている。この時期のこの階層の住宅としてはちょっとモダンな家である。

IMG_2891_convert_20100828095612.jpg

大作家の住まいとして知られる建物だが、建築として、昭和初期の阪神地方の中流住宅の一例として見るのも面白い。
プロフィール

syoukou

Author:syoukou
(ブログについて)
現存する近代日本の歴史的遺産(台湾など旧日本領土も含む)を建造物・土木構造物を中心に、思いつくままに取り上げております。

(写真について)
写真は特記しない限り管理人の撮影です。また絵葉書等の古写真は管理人の所蔵品、もしくは訪問先の展示品を撮影したものです。利用・転載等希望される場合は管理人まで御連絡頂けると幸いです。

(リンクについて)
リンクはフリーです。なお、リンクを張らせて頂いている他の方のページは一部を除き相互リンクとなっております。

(コメントについて)
記事と関係の無いコメントは削除させて頂く場合もあります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード