第180回・旧並河靖之邸(並河靖之七宝記念館)

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帝室技芸員も務めた七宝作家・並河靖之(1845~1927)の自宅兼工房として明治27年(1894)に京都市東山に建てられた。現在は「並河靖之七宝記念館」として一般公開されている。国登録有形文化財。

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平安神宮の近く、閑静な一角に建つ。

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街路に面した外観は典型的な京町家である。

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門をくぐると目の前に現れる通り庭(台所)への入口。

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式台を備えた来客用の玄関。

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七宝細工の買い手には外国人も多かったため客間は洋家具を置いている。

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客間の奥は裏庭の池に面している。

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裏庭の池はすぐ近所の琵琶湖疏水から引いた水が用いられている。

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表が伝統的な町家、奥が庭園を備えた邸宅風、という構成の住宅は大阪にも現存する。伝法の旧鴻池忠次郎邸でこちらはかつては裏側が川(旧伝法川。埋め立てられ現在はない)に面しており水に面して造られている、という点でも旧並河邸と似ている。

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手水鉢。写真左手は手洗いだろうか。

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工房も往時の姿を再現、公開している。

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工房の天井。

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異色の京町家として一見の価値がある。
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第179回・春陽荘

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兵庫県の淡路島にある、和風建築と洋館から構成される邸宅。昭和16年(1941)地元の造船会社社長が自宅兼事務所として建てた。国登録有形文化財。

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全景。設計は家相方位学の権威とされる山本豊圓によるとのこと。したがって建物の配置は風水の思想に基づく。

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常住殿。

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洋館。

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会社の事務所・応接室として使われていた。

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寝殿。窓の形状・配置が特徴的。
冒頭の写真も寝殿。

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渡り廊下。

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客殿。材料・意匠共に非常に凝った造りである。

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現所有者の米田氏により事前予約制で一般公開されている。

第178回・旧諸戸精太邸(西諸戸邸・諸戸宗家・現「諸戸氏庭園」)

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前回取り上げた東諸戸邸の隣には西諸戸邸がある。東諸戸邸の主・二代精六の兄・精太が父・初代精六から受け継いだ家屋敷に洋室や茶室を増築し昭和初年頃には現在の形になった。東諸戸邸と同じく国指定重要文化財。

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主屋。重厚な土蔵造の商家である。明治半ばに初代精六が建てたという。
初代諸戸精六は父親の莫大な借金を背負わされ幼少期は辛酸を舐めるが、刻苦精励の末、米の仲買で巨万の富を得て土地経営、山林経営にも手を出しついには山林王とまで称された立志伝中の人物である。

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主屋の正面向かって右手にある洋室。冒頭の写真の建物である。大正6年(1917)、設計は当時名古屋を中心に活躍していた鈴木禎次。東諸戸邸の設計者・コンドルの教え子である辰野金吾に建築を学んでいる。つまりコンドルからすれば孫弟子に当たる。道路側は地味な外観だが、庭園側の外観と内装は瀟洒で華麗なもの。

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主屋の片方の鬼瓦はわざと傾けてある。伊勢神宮の方面を向いており、神宮に頭を下げる形になっている。

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とにかく重厚の一語に尽きる主屋。一階の格子の太さなど半端ではない。牢屋の格子かと思うぐらいである。

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主屋の向かって左にある表門。ここをくぐると接客用の御殿につながっている。

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門をくぐると奥に御殿が見える。玄関・洋館・大広間の3棟と離れになった玉突場から構成される。屋根に煉瓦の煙突が立っているのが洋館。

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御殿の袖塀。

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洋館。基壇が異様に高い。傷みがひどいが近年の内に修復が始まる筈である。

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玉突場。洋館からやや離れた場所にある。現在は修復のため解体中。(写真は解体前撮影)

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御殿玄関。

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御殿玄関。外務省庁舎の内装を模したと伝わる。外務省は明治の初めに建てられた赤煉瓦の庁舎が昭和20年の東京大空襲で焼失するまで使われていたので、そのときのものと思われるが具体的にどこを模したのかは不明。

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御殿玄関脇にある客座敷。西諸戸邸は庭園のみが公開対象であり、建物内部の公開はされていない。この写真も外から内部を覗いただけである。

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西本願寺を模したと伝わる大広間。初代諸戸精六の屋敷の建て方は気に入った建物があれば、大工を派遣して見学・採寸させてそれを写す、というものだったと言われる。

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もはや一個人の屋敷とは思えないスケールの大きさ。

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大広間の内部。内部からの庭園の眺めは圧巻らしい。

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大広間全景。

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大広間の前に広がる庭園。これだけ石を並べ立てた庭も珍しいのではないかと思う。

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もともとこの庭園は初代諸戸精六が一から造った訳ではない。江戸時代に桑名藩御用商人であった山田彦左衛門が造った庭園を明治半ばに周囲の土地と合わせて購入、荒れ果てていた庭園を整備し、その周りに新たに御殿や庭を造った。写真は旧山田氏庭園付近。

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旧山田氏庭園の遺構のひとつ、推敲亭。三重県指定文化財。月見のための茶亭。

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旧山田氏時代の建物で現存するのは推敲亭以外に御成書院がある。(推敲亭と同じく三重県指定文化財)名前の由来は明治天皇の御座所となったことに由来する。御成書院は現在も諸戸家の住まいの一部なので完全非公開。

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フジの時期は見ものであろう藤茶屋。山田氏庭園からの遺構であったがもとの建物は戦災で焼失、現在のものは昭和43年に関係者の記憶をもとに再建したもの。

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庭園から見た主屋。

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二階は表側同様重厚に造られているが、一階は縁側があり軽快で解放的。一階が主人や家族の居室、二階は使用人の居室だったようである。

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大正か昭和初期建設の茶席「伴松軒」。主屋とは明治末増築の仏間を介してつながっている。初代精六は明治39年に没しているので、この茶席と先述の洋室は諸戸精太が建てたものである。

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庭園側から見た洋室。この建物も傷みがひどく、屋根にはトタンの覆いが掛けられている。修復が待たれる。

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4連アーチの部分にはステンドグラスが嵌めこまれている。

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東諸戸邸に比べると洋館としては極めて小粒だが味は超濃厚。内装も密度の濃い装飾が施され、家具調度類も一式揃っている。

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繊細な意匠の手摺や欄間を持つベランダは、同じ鈴木禎次設計で少し古い中埜家別邸(明治44、愛知県半田市、国指定重文)と共通点が見られる。

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ベランダの端にある、ベランダとは硝子の入ったドアで仕切られた謎のタイル敷き。かつては一人用のサンルームでもあったか、それともごく小さな温室があったのか、謎である。

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煉瓦造の米蔵。かつては5棟連なっていたが戦災で2棟は破壊され3棟のみ残る。

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東諸戸邸は敷地全体が桑名市の所有になったが、西諸戸邸は今も一部が諸戸家の住まいとして使われている。(写真手前部分)今回紹介した部分については現在諸戸家関係の財団が所有・管理、今後大がかりな修復工事が予定され、一部はすでに着手されている。

第177回・旧諸戸精六邸(東諸戸邸・諸戸本家・現「六華苑」)

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三重県桑名市の山林王・諸戸家の二代目諸戸精六が大正2年(1913)、自身の新婚生活の場として、もとの諸戸家の住まいに隣接する場所に建てた。設計は鹿鳴館の設計でも知られる英国人建築家ジョサイア・コンドルとその直弟子・桜井小太郎。国指定重要文化財。

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木曽三川のひとつ、長良川の西岸に広大な敷地を構える。古風な長屋門が出迎える。現在は諸戸家から桑名市に寄贈、「六華苑」の名称で一般公開されている。

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長屋門をくぐりしばらく歩くと洋館が見えてくる。

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木造二階建て・色モルタル塗り仕上げの洋館。建設当時施主の二代諸戸精六は若干23歳であった。設計者は施主の年齢を意識してこのような明るい雰囲気の洋館をデザインした、かどうかは分からない。

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四重の展望塔は塔からの長良川の展望を得たいがための施主の要望による。設計段階では三重塔であった。

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奥に見える和風の内玄関棟は桑名市に寄贈されてからの再建。元の建物は戦後間もなく他者へ譲渡され現存しないため、整備に際しイメージ復元を行ったもの。

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庭園側からの洋館全景。ベランダや塔で、変化に富むピクチュアレスクな外観を構成する。

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洋館に隣接して日本館が続く。洋館と日本館の繋ぎ目は、目立たない渡り投下などで繋ぐ例は多いが、このように露骨なまでに分かりやすく繋ぐのは珍しい。

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大名屋敷のような仰々しい造りの日本館が続く。

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敷地奥にある、昭和13年増築の仏間。日本館とは少し離れた場所に建てられている。屋根はもとは檜皮葺だったが整備に際し銅板葺に改められている。

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日本庭園の中に建つ洋館。

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戦災で洋館の玄関ポーチは失われたままだったが、整備に際して復原された。

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洋館玄関扉のステンドグラス。同じく戦災で失われていたので復原されたものである。

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洋館1階客間。洋館の中で最も華やかな部屋。

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洋館1階客間暖炉。金物の装飾にアールヌーボーのデザインが見られる。

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客間と続き間になっている食堂。

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食堂の暖炉。諸戸邸洋館のインテリアは他のコンドル設計の邸宅に比べると簡素なものである。

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食堂からの日本庭園の眺め。

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同上、その2。

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1階ベランダ。

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1階ベランダ、食堂の外観。

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2階階段ホール。

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2階女中室。洋室ながら押し入れがあるのが面白い。

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2階サンルーム。

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サンルームからの庭園の眺め。

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洋館から見る日本館の廊下。

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日本館、客座敷床の間。二代精六が洋館で起居したのは5年程度で、以後この日本館が生活の場となり、昭和に入ると間もなく他所に建てた別邸(無論和風)へ移る。

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展示されている二代精六の写真を見ると、隣の洋館で寝起きしていた頃は、乗馬をしたり洋装に鼻眼鏡というなりをしてみたり、歯の浮くようなハイカラ振りに身を窶していた時期もあったようだが、その後は茶の湯等伝統文化に傾倒するようになったようだ。

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中庭側の眺め。摺り硝子と透明硝子の組み合わせが秀逸な建具。

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隣には二代精六の兄・精太が父から引き継いた屋敷(西諸戸邸・諸戸宗家)があり、こちらも季節限定ではあるが庭園が公開されている。次回はこの屋敷を紹介させて頂く予定。

第176回・旧朝吹家別荘「睡鳩荘」

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三井財閥の重鎮・朝吹英二(1849~1918)の息子で自身も三越常務、帝国生命社長等を務めた朝吹常吉(1877~1955)が昭和6年(1931)、軽井沢に建てた別荘。

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三井財閥の総帥・益田孝がかねてから購入を望んでいた、朝吹家所蔵の眠り鳩を描いた掛軸を益田へ売り、その代金で別荘を建てたことから「睡鳩荘」(すいきゅうそう)と名付けられたと言われている。

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常吉没後は長女で仏文学者の朝吹登水子(1917~2005)が別荘として使用。朝吹登水子の没後、塩沢湖畔の複合施設「軽井沢タリアセン」内に移築され、一般公開されている。

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設計は米国人宣教師で建築家のウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880~1964)による。軽井沢は主要な設計活動の場のひとつで作品も多い。

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半分に割った丸太を貼りつけた外壁が特徴的。

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裏側。

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二階の外壁は一階とは異なり、縦に下見板を貼っている。

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赤い壁と屋根に、手摺と建具の白が映える。

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1階前面に張り出したテラス。

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手摺のデザインが面白い。

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テラス内にある玄関。

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テラスには椅子が置かれ、見学者が寛げるようになっている。

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一階リビング。食堂を兼ねる。家具調度類は朝吹常吉・登水子二代に亘るものが建物と共に保存されている。

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小物やソファのクッションまでそのまま移されているので、今も現役である住まいに上がり込んだような感覚を覚える。

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山荘の雰囲気を醸し出す照明器具。

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自然石を積んだ暖炉。暖炉上の剥製飾りは阿波徳島の殿様・蜂須賀正氏侯爵から贈られたもの。

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一階は玄関とこのリビング兼食堂のみ。あとは台所などのサービス空間が占める。
朝吹常吉は留学した英国に心酔、終生英国風を好みテニスとスコッチとブリッジ三昧の生活を送ったと言われる。そのような人物の住まいなので、和の要素は無い。

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暖炉の向かい側に置かれた食器棚。その奥には台所から料理を出すための配膳口が見える。

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階段室。

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階段室の照明。

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二階は家族および来客のための寝室で構成されている。

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二階バルコニー。

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朝吹登水子氏が書斎として使っていた部屋。

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硝子でできたドアノブ。ヴォーリズ設計の建築では多く使われている。米国製であろう。

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昭和戦前の、最も優れた軽井沢の別荘建築のひとつである。

第175回・旧帝国ホテル中央玄関

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現在愛知県犬山市の明治村にある旧帝国ホテル中央玄関は、東京・内幸町にあった帝国ホテルの玄関部分を移設保存したものである。国登録有形文化財。

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明治23年開業の帝国ホテルは初代ホテルの老朽化に伴い新築移転を決め、米国人建築家フランク・ロイド・ライトの設計による2代目が大正11~12年(1922~3)にかけて竣工、大正12年9月1日、即ち関東大震災の日に新築開業した。このとき大きな被害が無かったことから、建築界にこの建物の名声が広がり、大正末期から昭和初期にかけてのライト風建築やスクラッチタイルの大流行をもたらしたと言われる。

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但しホテルとしての寿命は決して長くなかった。昭和42年(1967)に解体される。この建物がホテルとして使われたのは約45年間で、半世紀にも満たない。玄関及び前庭の池泉部分が明治村に再建されるのは18年後の昭和60年(1985)のことである。規模は全体の十数分の一に過ぎない。

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ポーチ。建物の内外全体がライト独特の幾何学的な装飾が刻まれた大谷石で飾られている。

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大谷石は栃木県源産の石材で、関東を中心に塀や蔵の材料として用いられていたが、帝国ホテルに用いられるまでは大がかりに使われることはなかった。帝国ホテルが大谷石の知名度を大きく上げたのは事実であろう。

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ただ、大谷石は火には強いが水に弱く風化しやすい。明治村への移設に際しても新しく作り直した部材が多い。

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大谷石と並んで帝国ホテルを飾り立てているのがスクラッチタイル(引っかき傷を付けた素焼タイル)とテラコッタ(装飾用タイル)。制作に際しては帝国ホテル専用の窯場が設けられたという。

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透かし彫りのような独特の装飾を施した庇部分。

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もとの建物のごく一部分とはいえ、実に濃密なデザインで見応えがある。

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側面。

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側面の後ろ側。かつてはここから両脇に客室棟に続く渡り廊下が伸び、奥の大食堂や宴会場につながっていた箇所である。今は無残な切り口でしかなく、ここからはあまり見たくない、見せたくない所である。

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正面玄関から内部へ入る。

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フロント。

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フロントからロビーへの階段。

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2層吹き抜けのロビー。

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内外の貴顕、著名人も多く往来した空間。

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内部も外観同様、大谷石・スクラッチタイル・テラコッタで装飾されている。現存しない部分についても同じ。

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内幸町にあった時と同じ場所かどうかは不明だが、喫茶室。今も唯一現役のホテル機能を果たしている場所。

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窓。

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かつては東京の喧騒を写していた窓も、今は明治村の静かな緑を写す。

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かつては、この濃密な装飾で飾られた空間がこの十数倍あった訳である。たとえ百年、二百年かかってもいいので全体を再建してはどうかと思う。元の部材は玄関部分(の一部)しか残されなかったから、あとの部分は完全なレプリカに過ぎないが、それでもいい。やる価値は十分ある。

第174回・法師温泉長寿館

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群馬県みなかみ町の法師温泉にある温泉宿。明治期に建てられた客室や浴場が今も現役で使われている。
写真は浴場棟「法師之湯」の屋根。湯気抜きの塔がある。

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明治8年(1875)に建てられたという本館。

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硝子戸が無ければ、江戸時代から変わっていない姿なのではないかと思える。

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裏側からみた本館。

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横を流れる渓流の上流から。左手に見えるのは浴場「法師之湯」の屋根。明治28年(1895)築。

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板と木の皮で葺いた屋根。

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浴場「法師之湯」の洋風アーチ窓。この宿が明治の建築である事を分かりやすく伝えるほぼ唯一の箇所。

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本館内の囲炉裏。

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客室。

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太い梁を露出した野趣に富む客室天井。

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客室から川を隔てた対岸を見る。対岸の客室は昭和15年増築の別館。

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本館、法師之湯、別館は国登録有形文化財。

第173回・JR神戸駅舎

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JR神戸駅は東海道本線の終着駅にして山陽本線の始発駅である。現駅舎は昭和9年(1934)竣工、設計は鉄道省。正面のステンドグラスで出来た大時計が特徴的。

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現在、神戸の玄関は新神戸駅、中心街は三宮界隈だが、開港から昭和初期までは、港に近い神戸駅とその界隈が神戸の玄関・中心街であった。阪急・阪神の二私鉄が三宮に乗り入れた昭和初期から神戸の中心が移り始める。そして新幹線・新神戸駅の開通により玄関の座も三宮に移ることになる。

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尤も、六大都市のひとつにも関わらず戦前の駅舎が健在なのはそのおかげかも知れない。

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東京・大阪・名古屋・京都・横浜・神戸の六大都市中、戦前の駅舎が残るのは東京と神戸のみ。

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内部コンコースの天井は2階分の高さがある。

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内側から見た正面大時計ステンドグラス製文字盤。

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コンコースもよく旧状を残すが貴賓室も家具を含めよく保存されている。貴賓室は写真奥、がんこ寿司の奥あたりにあるらしい。

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コンコース内円柱頭部の装飾。

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神戸駅とほぼ同時期に建てられた、2つ東隣の三ノ宮駅は改築されて久しいがコンコースの半分程度は戦前のまま残されており、神戸駅同様装飾的な円柱や天井飾りが見られる。

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神戸駅は北側(山側)に正面を向けている。写真は南側(浜側)玄関。

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小さなステンドグラスが嵌められている。

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昭和戦前の名駅舎のひとつである。これからもこのままの姿で現役であって欲しい。

第172回・梅谷歯科医院

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大阪市西成区天下茶屋にある、大正11年(1922)頃の建築と推測される現役の歯科医院。国登録有形文化財。

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南海電鉄天下茶屋駅から徒歩数分の場所に位置する。

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道路に面した表は木造3階建の洋館、裏側は2階建の和風建築。しかし内部は洋館部分も和室があったりして和風色が強いらしい。

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2~3階は白ペンキ塗りの外観。

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玄関。扉は新しく取り替えられているがステンドグラスを嵌めた欄間は当初のままと思われる。

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欄間部分アップ。脇に「健康保険歯科医」と正字体(旧字体)で書かれた表札がある。戦前のものであろう。

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1階外壁は腰壁部分を擬石仕上げ、上部を白タイル貼りとする。

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屋根は緑色に塗られている。

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この界隈は比較的古い家並みが残っているが、その中でも特に目立つ存在である。

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大阪の下町に残るハイカラな大正の洋館である。

第171回・旧高市郡教育博物館

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国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている奈良県橿原市今井町の一角に建つ。

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明治36年(1903)、奈良県下初の社会教育施設として建てられた。設計は奈良県技師・橋本卯兵衛による。奈良県指定文化財。

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皇太子殿下(のちの大正天皇)が畝傍御陵を参拝され、そのときの御下賜金で建設された。

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明治中~後期に奈良県下に多く建てられた和風意匠の公共建築のひとつである。

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同種の建物で現存するものに旧奈良県物産陳列所(明治35)、旧奈良県立戦旋図書館(明治41)、奈良ホテル(明治42)がある。

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現存しないが、旧奈良県庁、旧奈良県公会堂も同種の和風建築であった。

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いずれの建物も、白木の柱と白壁から構成される壁面と日本瓦葺の屋根で構成される外観を持つという点では共通している。

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昭和4年からは今井町役場として使用される。

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昭和31年に今井町が橿原市と合併した後は様々な用途に転用される。

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県文化財に指定後修復を行い、現在は「今井まちなみ交流センター 華甍(はないらか)」の名称で、今井町の歴史や街並みについての展示を行うほか、会議室としても一般に開放されている。
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