第196回・旧三田商店

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金沢市で旧加賀藩時代からの老舗が多く残る尾張町の通りに面して建つ建物。洋品店・三田商店の店舗として昭和5年(1930)に建てられた。国登録有形文化財。

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大林組の施工による鉄筋コンクリート造2階建。

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玄関のあるコーナー部分に装飾を集中させている。

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外壁には茶色のスクラッチタイルを貼っている。

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現在は骨董品店「ギャラリー三田」

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玄関欄間のステンドグラス。旧三田商店はステンドグラスも取り扱っていたという。

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玄関脇にある砲弾状の石は、雪国らしく冬場に店に来た客が、下駄に詰まった雪を落とすために置かれたものらしい。

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裏手には喫茶店も入っている。

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喫茶店の玄関脇にはこのビルの別の場所にあったステンドグラスを移設している。

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喫茶店のある平屋部分は、近年増築か改修かを施された部分だと思うが、実によくできている。

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小品だが、金沢でも指折りの美しい近代建築だと思う。
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第195回・新井家住宅

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大阪府の南部、泉佐野市にある昭和7年(1932)竣工の和風邸宅。国登録有形文化財。弊ブログ第124回で取り上げた新井ビル(旧報徳銀行大阪支店)の所有者の自宅である。

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小高い丘の上に建っており、地形に合わせて延々と伸びている土塀。

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土蔵。

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門。上記の土塀、土蔵と合わせてこの門も登録文化財。

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正面玄関。新井家住宅は時々イベント会場として公開されている。

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唐破風付きの玄関は、来客専用の玄関。

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正面向かって右手に建つ居住棟。上記とは別に玄関が設けられており通常の出入りはここから。現在も新井家の住まいとして現役であり、ここは完全非公開。

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土蔵は居住棟に接して建てられている。

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居住棟側にかつて存在した応接間棟へつながる玄関の屋根。写真で見る通り洋風の造りで応接間棟は唯一の洋風の建物であったが、残念ながらこの玄関部分しか残っていない。玄関部分だけでも細かいモルタル装飾が施されており、見事である。

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大広間棟の外観。新井家は個人住宅には珍しく、屋根は全て本瓦葺きである。

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現所有者の先代が大阪・北浜で証券業を営み、得た富を注いで建てた屋敷である。

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大広間は畳敷きの縁側を巡らせている。

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当時は極めて高価だった筈の、大型の一枚硝子をふんだんに使っている。

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大広間。

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照明器具も戦前からのものと思われる。天井は格天井。

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大広間書院。

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仏間。

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仏間の棚。

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茶室。

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庭園も当初からの規模でそのまま保存されている。個人邸宅が80年近くこの状態で維持されてきたことは驚くべきことである。

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応接間の洋館が残っていれば申し分無いのだが、それだけが残念。

第194回・旧マッケレーブ邸(雑司ヶ谷宣教師館)

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明治25年(1892)から昭和16年(1941)まで51年に亘り布教活動を続けた米国人キリスト教宣教師マッケレーブの住居として明治40年(1907)に現在の東京都豊島区雑司ヶ谷に建てられた。東京都指定有形文化財。

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正面全景。当時の北米の郊外住宅のスタイルに近いデザインであるという。

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反対側には硝子戸を建てこんだサンルームが設けられている。

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ベイウィンドウ。外壁のすそが反りかえっているのは典型的なアメリカ風木造住宅の特徴。

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設計はこの家の主人であるマッケレーブ宣教師自身による。

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玄関。石段には大谷石が用いられている。

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1階居間の暖炉。複数ある暖炉の中でただ一つ装飾的なもの。

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建設当時輸入されていたアールヌーボーのタイルが貼られている。このタイルは同時期建設の他の洋館でも見られる。

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食堂。マッケレーブ宣教師は敷地内で畑を造り、トマトやトウモロコシなどの野菜を栽培して食べていたが生食のため腹を壊すことも多かったという。

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一階居間および食堂の天井。

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食堂の周りに巡らされたサンルーム。

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2階階段ホール。

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2階居室。

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2階の暖炉。1階居間を除き、暖炉はこのような簡素なもの。

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2階居室の天井。竹の竿縁を格子状に組んでいる。さりげなく和風が混じっている。

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マッケレーブ宣教師が実際にこの家で使用していたベッド。

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現在は豊島区の所有となり、「雑司が谷宣教師館」として公開されている。

第193回・ますや旅館

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長野県上田市の郊外にある田沢温泉で一際目立つ大きな木造三階建のますや旅館がある。ますや旅館はかつて島崎藤村が滞在したこともあり、その当時の客室も残る由緒ある、それでいて気取らない雰囲気の温泉旅館である。

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明治時代にますや旅館が描かれた銅版画。ここに描かれている旅館の建物のうち、手前の角に建つ木造3階建及び隣接の土蔵、向かいの土蔵の3棟は今もそのまま残っている。

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大正時代撮影の古写真。

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現在のますや旅館遠景。木造三階建の威容は遠くからでも非常に目立つ。

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建物は明治中期から昭和初期のものが現存する。

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木造三階建ての楼閣が三棟並ぶ。

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石畳の道路に面したこの部分が現存する最も古い建物。明治中期の築と伝わる。

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ここの2階にある、島崎藤村が滞在した座敷は「藤村の間」として現在も客室として使われている。

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土蔵も当初から残る建物である。

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客室・土蔵共に国の登録有形文化財に認定されている。

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向かい側に残る土蔵。これも登録文化財。妻壁の上部には枡の中に矢、つまり「ますや」。

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玄関。

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帳場。

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客室階段。

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大正時代建築部分の客室。

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反りのある屋根を持つ左手の建物が明治中期建設の最古の部分。右側は大正期建設。

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繊細な細工が施された客室欄間。

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天気のよい日には浅間山も望める最も眺望のよい客室、51番の書院窓。

第192回・旧田中徳兵衛邸

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埼玉県川口市、国道122号線沿いに茶褐色の煉瓦で外壁を装ったちょっと珍しい外観の洋館が建っている。江戸時代より当地で農業を営み、明治以降は麦味噌の醸造と材木を商って産を成した田中家の当主だった四代目田中徳兵衛(1875~1947)が大正12年(1923)に建設した邸宅である。現在は川口市によって「旧田中家住宅」として公開されている。

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戦前に描かれた田中家全体鳥瞰図。現在も残る邸宅の周囲に味噌醸造施設、道路を隔てた向かい側に材木置き場があり、邸宅は今も当時のまま残るが、味噌蔵はその後取り払われ日本庭園と茶室に変わっている。なお田中家は現在味噌醸造は行っていない(材木業は戦前に既に止めた)が、味噌卸売専門の㈱田中徳兵衛商店として現在も盛業中。

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木造と煉瓦造の混構造3階建て(蔵部分は4階建て)、向かって右手には厨房・使用人部屋のある附属棟がある。
田中家の住居であると同時に帳場を備えた事務所であり、賓客を迎える迎賓館としての機能も持っていた。

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事務所ビルにも見えるあまり住宅らしくない外観。左側が蔵。
設計は桜井忍夫。旧日本郵船小樽支店などで知られる建築家・佐立七次郎の下で長年実務を担っていた人物で、自らの事務所を開業した時期に田中邸を手掛けた。施工には田中家出入りの地元川口の職人が多く携わっていたことが棟札から判明している。

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外壁の煉瓦は焼き過ぎ煉瓦と呼ばれる焦げ茶色の煉瓦。当邸建設のため田中家が直営で焼いたものだという。
なお銅板張りの手摺に隠れているが屋根は日本瓦葺である。

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鋳鉄製の門と門扉、柵。

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洋館正面見上げ。アルミサッシの窓は後年入れたもので奥には当初からの木製上げ下げ窓が残る。つい近年まで田中家の住居として使われていたが非常に旧状をよく残している。「TANAKA」と刻まれた白大理石の板がはめこまれているが、洋館は事務所も兼ねていたので表札と言うよりは看板と言える。いずれにせよ珍しい造りの家である。

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その看板の真下にある玄関。四枚引きの硝子戸で、仕舞屋(普通の家)の玄関ではなく商家の玄関である。

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玄関を入ると畳敷きの上がり框がある。ここで洋から和に変わる。

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神棚を備えた帳場。洋館の玄関先とは思えない。

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帳場の奥にある茶の間。ここが田中家の普段の生活の場だったらしい。

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玄関左手に行くと帳場や茶の間とは全く趣が変わり純洋風の応接間が現れる。この部屋は右手奥に写っているとおりもう一つの玄関につながっている。

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重厚な格天井と、精緻な漆喰細工を施した照明台座とを組み合わせた応接間天井。

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応接間につながるもう一つの玄関。狭いが床から天井まで丁寧な造り。

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同上、ステンドグラスの小窓アップ。

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外から見た応接間専用玄関。田中家の家族用玄関と解説されていたが家族用にしては造りが立派過ぎると思った。
後年は実際そのような使い方をしていたのかも知れないが、当初は貴賓用の特別な玄関として造ったではないかと思う。

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専用の門もある。

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重厚な階段室。

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二階書斎。

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書斎には小さなバルコニーがある。

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書斎の隣は日本座敷。

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3階階段室。洋風の階段と伝統的な蔵の入口の取り合わせが妙。全体的に何とも不思議な和洋折衷で統一された館である。

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3階蔵前の斜め前にある洋室。隣の広間の控室として造られた部屋。応接間や書斎と異なり白を基調とした明るい感じの洋室。

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3階広間。創建当初はこの部屋からの眺望が自慢だったようだ。

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広間飾り柱の柱頭飾り。

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洋館裏手には昭和9年増築、一部二階建の日本家屋がある。この頃四代目田中徳兵衛は多額納税議員として貴族院議員に就任、来客も多くそのための増築と思われる。なお子息の五代目田中徳兵衛は戦後川口市長に選出され、一期務めている。

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一階座敷。隣の中の間、仏間と合わせて三間続きの大広間にもできる。

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二階座敷。次の間があるだけのこじんまりした座敷なので、来客を泊めたりするために使ったのではないかと思う。

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附属棟。二階部分はかつて使用人部屋だった。

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邸宅を公共施設として保存・活用することを望んでいた六代目田中徳兵衛氏(故人)の意向もあり、川口市が買い取り公開、現在に至る。なお、洋館・門・塀・文庫蔵は国登録有形文化財に選定されている。

第191回・旧石川県庁舎

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金沢城に隣接して建つ旧石川県庁舎は今年改修工事を終え「石川県政記念しいのき迎賓館」に模様替えした。大正13年(1924)竣工の鉄筋コンクリート(RC)造3階(一部4階)建。戦前の道府県庁舎の中では最も初期のRC造建築である。

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金沢城及び兼六園に隣接し、また弊ブログ第188回で取り上げた旧第四高等学校本館が隣に建っている。
「しいのき迎賓館」の名称の由来である、玄関前の一対のシイノキは推定樹齢400年、天然記念物に指定されている。

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玄関に飾られている落成式当日の模様を写した写真。
設計は大蔵省技師で当時帝国議会議事堂建設の取りまとめ役だった矢橋賢吉(1869~1927)が顧問を務め、内務省技師の笠原敏郎(1882~1969)が設計実務を担当した。

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平成15年に新庁舎が完成するまで約80年にわたる使用された。なお本来は「日」の字形の平面を持つ建物であったが今回の改修工事に際しては、正面を残してあとは解体撤去している。

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背面は正面とは一転し、ガラス張りの現代建築が増築されている。撤去した庁舎跡地には何も建てず、金沢城につながる芝生広場として整備されている。

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横から見ると保存部分と増築部分に分かれていることがよくわかる。旧県庁舎の保存には改修にかかる金銭面等の理由から反対意見もあったらしいが、知事の意向で現在の結果となった。特に旧庁舎保存に反対していた一人が石川県が選挙区である元首相・森喜朗氏らしい。この御仁に限らず、我が国の保守系政治家には歴史的建築の保存に関する見識が乏しい、或いは無い人物が多い気がする。歴史的建築や街並みの保存は保守主義を標榜する上で絶対不可欠であると思うのだが、現実はどうもそうではないようである。

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RC造の道府県庁舎1号は大正12年竣工の福井県庁舎(現存しない)である。石川県庁舎は福井に次ぎ2番目のRC造庁舎であるが陸屋根(フラット・ルーフ)の庁舎としては当庁舎が第1号である。

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側面から見た玄関ポーチ。

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玄関ポーチのレリーフ装飾。

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前年竣工の帝国ホテルで用いられ、昭和戦前にかけて大流行する褐色のスクラッチタイルを壁面に貼りめぐらせている。スクラッチタイルの使用例としては古い部類に入ると言える。

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装飾意匠は歴史様式に基づくものではなく、抽象化・幾何学化された意匠で統一されている。
昭和初期に流行するアールデコ意匠のはしりとも言われている。(藤森照信「アール・デコの館」)

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権威主義的傾向の強いこの時期の官公庁舎としては、重厚さは乏しくモダンな雰囲気を漂わせる玄関ポーチ。

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玄関。

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玄関ホールを過ぎると正面に現れる階段。

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階段を見上げる。柱や手摺に大理石を多用した仕上げ。

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ブロンズ製と思われる、階段室柱頭飾り。

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2階から3階へ上がる踊り場の高窓には幾何学意匠のステンドグラスが嵌めこまれている。

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同上、タイルと大理石を組み合わせた付柱。

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同上、飾りタイル。

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ステンドグラス。

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踊り場から3階へ上がる階段。

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正面3階の部屋。元の用途は不明。位置からして旧正庁か。
なお、この真下にある旧知事室及び副知事室はレストランになっている。

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同上、ステンドグラス。

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先述のレストランの他には会議室、イベントホールなどを持つ多目的施設となっている。

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タイル貼りの大正建築である旧県庁は、隣接する赤煉瓦の明治建築である旧四高と好一対を為している。

第190回・旧古河虎之助邸

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栃木県の足尾銅山で産を成した古河財閥の二代目・古河虎之助の自邸として東京西ヶ原に大正6年(1917)建設。
邸宅の設計は英国人建築家J・コンドルによる。東京都指定文化財。

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第二次大戦敗戦後の財閥解体と財産税課税により古河家から国に物納される。現在、庭園は「旧古河庭園」として東京都の管理のもとで公開されている。

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邸宅正面。外壁は石積みの煉瓦造2階建。

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車寄せ。

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玄関。

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古河家の家紋をあしらったステンドグラスが嵌めこまれた玄関扉。

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邸宅の建物は(財)大谷美術館が管理、事前予約制で見学も可能。また建物内での喫茶室を利用すれば邸宅の1階部分の一部は予約なしで見学出来る。

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サンルーム。

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サンルーム内部。外部窓から撮影。

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庭園から見た洋館。

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ベランダ。コンドル設計の邸宅はいずれもベランダを強調した外観が特徴だが、旧古河邸の場合は、珍しくベランダが外観の主要な構成要素となるほどの存在感はない。

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建設当初は古河家の本邸として使われたが、古河虎之助が牛込に転居した大正15年以降は専ら会社の迎賓館として使われた。また昭和14年には中国の政治家・汪兆銘の滞在先に充てられている。

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外観からは想像できないが、古河家の私的空間に充てられていた2階内部は殆ど和室である。したがって当邸は洋館のみで日本館はない。(庭園内の茶室は除く)

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洋館本館に隣接する附属棟。使用人部屋等がある。また附属棟と本館の間には蔵があるが、全て本館と同一意匠で統一されている。

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車庫。戦前の邸宅の車庫は珍しく貴重。

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井戸小屋まで本格的な洋風意匠で造られている。

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庭園の一角にある石造りの書庫。

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大名屋敷を思わせる和風の裏門。

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邸宅は洋館で統一されているが、庭園は和洋併置式。洋館周囲は洋式庭園だが、その隣には和式庭園がある。作庭は京都の無隣庵、野村碧雲荘等で知られる小川治兵衛。

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茶席が2つある。

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一般公開されている東京都内の大正期の邸宅の中では、質・規模共に最大かつ最高のものである。


(おまけ)
撮影時、丁度閉苑が近く洋館の鎧戸を閉めるところを見られた。

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第189回・旧浜松銀行協会(木下惠介記念館)

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昭和5年(1930)に浜松銀行協会集会所として建てられる。平成16年に浜松銀行協会が静岡県銀行協会
に統合された後は浜松市に譲渡、現在は浜松出身の映画監督・木下惠介(1912~1998)の記念館として活用・公開されている。国登録有形文化財を経て浜松市指定有形文化財。

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設計は浜松出身の建築家・中村與資平(1880~1963)。明治45年に朝鮮・京城(現韓国・ソウル)に竣工した朝鮮銀行本店(辰野金吾基本設計、現韓国銀行本店旧館)の実施設計及び工事監督を担当、成功に導いたことから朝鮮銀行の建築顧問に就くと同時に京城に建築事務所を開業して、朝鮮半島や満州に銀行等多くの建築を残した人物である。現在も韓国の徳寿宮美術館、中国の旧朝鮮銀行大連支店等が現存する。

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大正9年に失火により京城の事務所が全焼、それを機に欧米旅行を実施、そのとき訪れたスペインの建築がこの建物のデザインに反映されているという。同様の傾向はその後の豊橋市公会堂(昭和6)、静岡市役所(昭和9)にも見られ、両者共スペイン建築に由来すると思われるイスラム風意匠が見られる。

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欧米旅行より帰朝後は東京で設計活動を始める。以後昭和初期にかけて出身地である静岡県下に銀行、官公庁等を多く手掛ける。そのうち現在でも静岡県庁、静岡銀行本店、同浜松支店、先述の静岡市役所、そして今回取り上げた浜松銀行協会が現存する。

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玄関ポーチ。

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ソテツの植え込みが建物によく似合う。

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浜松は大戦末期の昭和20年に米軍の空襲で市街の大半を焼失したが、銀行協会は戦災を免れた。

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向かいには旧浜松警察署(昭和2)が現存する。一時は解体が決まりかけたが保存されることになり、現在改修工事中。

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工事が終われば昭和初期の建築が向かい合う景観が復活する。

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内部へ入る。写真は玄関内部と受付。

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玄関欄間に嵌めこまれた、この建物唯一のステンドグラス。

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昭和初期、1930年代の建築に多く見られるモダンな意匠のステンドグラスである。

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玄関扉の硝子はカット硝子を用いている。

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床には色鮮やかなモザイクタイルが敷き詰められている。来館者の履物による損傷を防ぐため、床の大半はゴムシート等で覆われている。

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色漆喰に引っかき傷を付けて仕上げた玄関内部の壁面。

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1階ホール。1階には旧手形交換室、旧球戯室、旧囲碁室等があり現在は木下惠介記念館の展示室となっている。

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2階階段。2階は通常は非公開だが特別に見学させて頂いた。
2階には講堂、会議室、喫煙室がある。

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講堂。かつては講演会や映写会も行われた部屋。現在は木下作品の上映会を行う際に使われている。本来の機能と現在の機能が見事に合致した活用方法と言える。

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会議室。1、2階共に当初からの家具が多く残る。これらの家具は地元企業のヤマハ(昭和5年当時は日本楽器製造)が制作している。内装・建具は松坂屋装工部による。(館内解説資料より)

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旧喫煙室。

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色漆喰に金を混ぜ、引っかき傷で市松模様を描いた喫煙室の内壁。

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喫煙室の窓は玄関ポーチの上部につながっている。

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第188回・旧第四高等学校本館(石川四高記念文化交流館)

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明治24年(1891)に現在の金沢大学の前身、第四高等学校(建設当初は第四高等中学校)の本館として建てられた。設計は文部省技師の山口半六と久留正道。国指定重要文化財。

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旧制高校のうちナンバースクールと呼ばれた第一(東京)、第二(仙台)、第三(京都)、第四(金沢)、第五(熊本)、第六(岡山)、第七(鹿児島)、第八(名古屋)のうち、本館が現存するのは第四、第五高等学校の二校である。

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金沢のほか、熊本の旧第五高等学校本館も国指定重要文化財。なお名古屋の第四高等学校は、旧正門が現在犬山市の明治村正門として使われており、こちらも国指定重要文化財。また京都の第三高等学校も一部の校舎が京都大学のキャンパスの一部として使われている。

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金沢城、兼六園、市役所、旧県庁に囲まれた金沢の中心街に建つ。

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平成20年より従前の「石川近代文学館」に「石川四高記念館」としての機能を加えた「石川四高記念文化交流館」と名を改めた。四高記念館部分は無料で見学できる。

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正門の横にある門衛所。旧四高の建物は正門・門衛所・本館が現存する。また本来の地から離れてしまったが、旧物理科学教室の主要部分と武道場が愛知県犬山市の明治村に移築・保存されている。

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フランス留学の経歴を持つ山口半六による穏やかな意匠の旧本館。

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山口は退官後大阪で設計事務所を開き、弊ブログでも取り上げた(第1回)兵庫県庁舎の設計を行い、その工事中に病没している。

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正面玄関の車寄。

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車寄を支える鋳鉄製の柱と装飾的な持ち送り金具。

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正面入り口。

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廊下。

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階段。内部も旧状をよく残している。

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旧四高本館は赤煉瓦の建築だが、細部に白・焦茶色の異なる2色の煉瓦を用いているのが特徴。

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異なる色の煉瓦を部分的に用いることにより、意匠上のアクセントになっている。

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腰壁部分は焦茶色の煉瓦を貼りつめている。

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明治の学校建築としては勿論、煉瓦建築としてもすばらしい建築のひとつである。

第187回・旧オルト邸

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長崎の観光名所のひとつ、グラバー園には旧グラバー邸をはじめとする幕末から明治期の外国人貿易商の邸宅が保存されている。そのうちの一つがこの旧オルト邸。元治元年(1864)の竣工と伝わる。設計施工は大浦天主堂も手掛けた棟梁・小山秀。国指定重要文化財。

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石造平屋建て日本瓦葺き、周囲にベランダを巡らせる典型的な初期洋風建築。

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噴泉を備えた正面玄関ポーチ。

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この屋敷を建てたのは、幕末に茶の輸出で利益を挙げた英国人商人ウィリアム・オルト。

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ただしオルト邸として使われた期間は短く、明治初頭にはオルトは日本を去っている。

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ベイウィンドウ。

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フランス窓(床まで開けられた窓)が並ぶベランダ。

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室内には古い家具や調度類が置かれ、往年の外国人貿易商の暮らしぶりを想像できるようになっている。

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第二次世界大戦までは外国人住居として使われていたので、家具類はその時のものかも知れない。

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見事な飾り棚を備えた暖炉。

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室内から見たベイウインドウ。

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硝子製の衝立。

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厨房等を備えた附属棟もそのまま残っている。また裏の崖には食品を冷蔵するための貯蔵庫も残っている。

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附属棟は煉瓦造。

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厨房の調理用ストーブ。

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同じく、もうひとつある調理用ストーブ。

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流し。

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旧グラバー邸等と並ぶ長崎の代表的な異人館である。

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