第208回・大河内山荘(旧大河内傳次郎邸)

convert_20101130223856.jpg

「丹下左膳」などで知られる昭和初~中期の映画スター大河内傳次郎(1898~1962)が、京都の嵐山に昭和9年から逝去する37年まで約30年に亘り造営を続けた山荘。主要な建物は国の登録有形文化財に選定されている。

convert_20101130223921.jpg

現在大河内山荘は一般公開されており、嵐山の名所のひとつになっている。

convert_20101130223724.jpg

大河内傳次郎は稼いだ映画出演料の大半を山荘の造営に費やしたといわれる。

convert_20101130224241.jpg

大河内傳次郎の構想に基づき、寝殿造、書院造、数寄屋造等の様式を組み合わせた建物「大乗閣」。

convert_20101130224135.jpg

昭和16年竣工で国登録有形文化財。

convert_20101130224029.jpg

玄関。

convert_20101130224055.jpg

持仏堂。山荘内では最も初期の建物。仏教を篤く信仰した大河内傳次郎の座禅の場だった。登録文化財。

convert_20101130224433.jpg

庭園内の中門。昭和16年頃。登録文化財。

convert_20101130224407.jpg

茶室「滴水庵」明治期の茶室を他所から移築。登録文化財。

convert_20101130224341.jpg

「滴水庵」遠景。

convert_20101130224313.jpg

「滴水庵」床の間。

convert_20101130223943.jpg

月見台。山荘内では新しく戦後の建築。

convert_20101130224004.jpg

京都市街を一望できる。
スポンサーサイト

第207回・旧山梨県庁舎・県会議事堂

IMG_9757_convert_20101128202006.jpg

現在、県庁別館として使用されている旧山梨県庁舎は昭和5年(1930)に建てられた。
隣接する旧県会議事堂(現県議会議事堂)と共に昨年12月、山梨県指定有形文化財に指定、保存される事となった。設計は山梨県庁建築課、また顧問として日本の建築構造学の基礎を築いた佐野利器(1880~1956)が関与している。施工は清水組(現清水建設)

IMG_9905_convert_20101128202143.jpg

11月20日に庁舎内部の一般公開が行われた。写真は全てそのときのもの。旧県庁舎全景。

IMG_9788_convert_20101129224725.jpg

旧県庁に隣接する現在の山梨県庁舎。昭和38年竣工、設計は山梨県出身の内藤多仲(1886~1970)と明石信道(1901~1986)。内藤多仲は旧庁舎の設計顧問・佐野利器の弟子であり、東京タワーの設計者として知られる。

IMG_9758_convert_20101129224622.jpg

旧庁舎は内外に山梨県産の建材を用いている。主にポーチ周りに用いられている花崗岩は塩山産。

IMG_9764_convert_20101129224859.jpg

現在は教育委員会等の部署が入っている。

IMG_9904_convert_20101128212848.jpg

外壁に貼られた凹凸のある褐色タイル。当時流行のスクラッチタイルとは若干形状が違う。

IMG_9774_convert_20101128212734.jpg

軒を飾る緑色の瓦には「山」の文字を紋様化している。なお、平面及び正面立面も「山」の字形である。

IMG_9897_convert_20101128213055.jpg

玄関ホール。

IMG_9900_convert_20101128213318.jpg

玄関ホール床のタイル。人がよく通る中央部分は御覧の通り磨り減っている。80年の歴史を物語っている。

IMG_9838_convert_20101128202837.jpg

玄関ホールの先に現れる階段。大理石は全て県内から産出されたもの。

IMG_9893_convert_20101128212605.jpg

階段親柱頂部の装飾。

IMG_9835_convert_20101128202943.jpg

階段前の床も大理石が敷き詰められている。

IMG_9841_convert_20101128203030.jpg

二階の旧内務部長室(現教育長室)暖炉は創建当初からのもの。なお庁舎内には他に旧知事室にも暖炉が設けられており現存するが、今回公開対象ではなかったので見られなかった。

IMG_9826_convert_20101129223548.jpg

暖炉上部の装飾。県特産品の葡萄をあしらっている。

IMG_9830_convert_20101129222512.jpg

暖炉。ここにも葡萄。

IMG_9813_convert_20101129224324.jpg

2階から3階へ至る階段室。個人的には、この建物の内装ではここが最もすばらしいと思う。

IMG_9814_convert_20101129224111.jpg

ここにも葡萄。

IMG_9823_convert_20101129224456.jpg

3階階段室は中央部分が硝子天井になっている。

IMG_9851_convert_20101128221431.jpg

写真左手上部に旧正庁があるが現在は事務室として使われており、往年の面影は無いようである。ただし装飾豊かな天井等は隠されているだけで現存しているようだ。廊下周りも写真のとおり雑然としている。

IMG_9846_convert_20101128202700.jpg

旧正庁の扉に施された飾り。

IMG_9782_convert_20101128202326.jpg

ここから旧県会議事堂。
設計・施工者等は同じだが竣工年はこちらが若干早く、昭和3年(1928)竣工。

IMG_9766_convert_20101129223905.jpg

旧県会議事堂全景。旧県庁とは渡り廊下で繋がれている。

IMG_9767_convert_20101129224008.jpg

意匠は基本的に旧庁舎と同じ。

IMG_9784_convert_20101129223811.jpg

現在は山梨県議会議事堂。

IMG_9875_convert_20101129222749.jpg

2階、中央3連アーチ窓の内側。階段室につながるホールになっている。

IMG_9869_convert_20101129223217.jpg

同上、天井の漆喰飾り。

IMG_9871_convert_20101129222933.jpg

議場入口前。突き当たりの硝子戸に施された卍崩し風意匠がお洒落。

IMG_9865_convert_20101129223029.jpg

議場内部。結構改装されているが天井の折上げ格天井や演壇周りの装飾は当初からのもの。

IMG_9858_convert_20101129223127.jpg

ここでもやはり葡萄。

IMG_9792_convert_20101128202432.jpg

山梨県は今後も現庁舎を補強改修の上引き続き使い続ける予定。また文化財指定を受けた旧庁舎および県議会議事堂についても補強改修の上、使い続けられる予定である。

第206回・燕喜館(旧斎藤喜十郎邸)

convert_20101127175007.jpg

燕喜館は新潟市の中心街にあった豪商・斎藤家の邸宅の一部。斎藤家から新潟市に寄贈され、平成9年に同市内の白山公園内に移築された。国登録有形文化財。

convert_20101127174940.jpg

斎藤家は明治期には大地主であると同時に海運、銀行等も営み新潟市内でも屈指の豪商であった。燕喜館は明治40年代に当時の当主、三代目斎藤喜十郎により建てられた接客用の座敷。寄贈に際してはこの部分が邸宅の中で最も旧状を残していたとの事。

convert_20101127175041.jpg

式台のある格式高い造りの旧玄関。こちらは普段使われていない。

convert_20101127175431.jpg

現在の玄関。移築に際して新しく増築された。

convert_20101127175639.jpg

廊下。

convert_20101127175458.jpg

前座敷。照明器具や地袋の襖等、当初からのものが非常によく保存されている。

convert_20101127175528.jpg

前座敷の床脇。半円形の地袋が面白い。

convert_20101127175702.jpg

前座敷の欄間。

convert_20101127174801.jpg

前座敷縁側。

convert_20101127175610.jpg

館内で最も格式高い奥座敷。三間つながりの大広間にもなる。

convert_20101127174821.jpg

土間のある奥座敷縁側。

convert_20101127175105.jpg

居室。

convert_20101127175213.jpg

居室床の間。

convert_20101127175336.jpg

居室床脇。どの部屋の意匠も非常に洗練されている。

convert_20101127175133.jpg

居室次の間。

convert_20101127175800.jpg

居室欄間。

convert_20101127175402.jpg

照明のバランサー。必要に応じて照明の位置を上下に移動させるためのもの。

convert_20101127174733.jpg

材料も造りも一流の素晴らしい日本家屋。現在は新潟市民のための文化施設として様々な行事に使われているようである。

第205回・萌黄の館(旧シャープ邸、小林家住宅)

IMG_6357_convert_20101124215813.jpg

神戸の異人館の中でも「風見鶏の館」と並ぶ代表的な存在の「萌黄の館」

IMG_6312_convert_20101124220928.jpg

明治36年(1903)に米国総領事ハンター・シャープ氏の住居として建設されたと伝わる。

IMG_6356_convert_20101124225852.jpg

昭和19年に神戸電鉄社長の小林秀雄氏が購入、昭和53年まで小林家の住居として使われていた。

IMG_6352_convert_20101124225405.jpg

昭和55年に国指定重要文化財となる。現在は神戸市が管理、公開している。但し所有者は現在も小林家である。

IMG_6344_convert_20101124230905.jpg

公開当初外壁の色は白ペンキ塗りだったので「白い異人館」の名称であったがその後の修理で当初の色が判明、現在の名称に改められる。

IMG_6353_convert_20101124231436.jpg

特徴的な意匠の建具をはめこんだベランダ。

IMG_6349_convert_20101124223009.jpg

当初の姿をよく残す宅地部分も建物と合わせて重要文化財の指定を受けている。

IMG_6350_convert_20101124223831.jpg

ベイウインドウ。

IMG_6347_convert_20101124225624.jpg

煙突は平成7年の阪神大震災で全て倒壊したため、現在のものは再建したもの。庭には倒壊した煙突の一本がそのままの状態で保存されている。

IMG_6307_convert_20101124220512.jpg

裏通りからの眺め。使用人用の階段が見える。

IMG_6374_convert_20101124231305.jpg

階段は別棟の附属棟につながっている。

IMG_6308_convert_20101124220032.jpg

IMG_6359_convert_20101124225506.jpg

附属棟。

IMG_6309_convert_20101124220638.jpg

屋根は神戸の異人館の定石である日本瓦葺。

IMG_6332_convert_20101124230409.jpg

玄関ホール。玄関欄間にステンドグラスが嵌められている。ステンドグラスのある異人館は少ない。

IMG_6318_convert_20101124230310.jpg

IMG_6335_convert_20101124221251.jpg

IMG_6328_convert_20101124230751.jpg

IMG_6326_convert_20101124223603.jpg

各室の暖炉。

IMG_6331_convert_20101124230638.jpg

二階に設けられた浴室。

IMG_6324_convert_20101124221520.jpg

二階ベランダ。

IMG_6338_convert_20101124223651.jpg

一階応接間ベイウインドウ。

IMG_6358_convert_20101124231049.jpg

同上、外観。

IMG_6340_convert_20101124230200.jpg

1階書斎の窓。意匠の凝った窓が多い点が当邸の特徴の一つである。

IMG_6323_convert_20101124221102.jpg

2階ベランダからは神戸市街を一望できる。

第204回・旧睦沢学校校舎(甲府市藤村記念館)

IMG_9913_convert_20101123233041.jpg

明治8年(1875)に山梨県巨摩郡睦沢村(現甲斐市亀沢)に建てられた学校建築。昭和32年まで校舎として使われた後同41年に甲府市武田神社境内に移築、翌年国指定重要文化財に指定。

IMG_9921_convert_20101123234038.jpg

そして平成22年JR甲府駅北口前に2度目の移築が為された。

IMG_9909_convert_20101123233153.jpg

再移築後、甲府市藤村記念館として一般公開を再開。

IMG_9918_convert_20101123233851.jpg

名称の由来は明治8年当時の山梨県令(知事)・藤村紫朗に因む。藤村は県下に洋風建築の建設を積極的に推進する。この時期山梨県下に建てられた洋風建築は藤村式建築と地元では称された。旧睦沢学校は現存する藤村式建築の中でも代表的なもののひとつ。

IMG_9920_convert_20101123233943.jpg

望楼。

IMG_9910_convert_20101123233331.jpg

ほぼ正方形の平面を持ち、方形屋根に望楼を持つ学校建築は、他にも山梨県に多く建てられその形状から「インキ壺学校」と呼ばれた。現在も何棟か現存している。

IMG_9912_convert_20101123233538.jpg

なお、現存する他の明治初期の学校建築としては、長野県松本市の旧開智学校校舎(明治9、国指定重文)がある。

IMG_9911_convert_20101123233450.jpg

正面には2層にわたりベランダを張り出している。

IMG_9917_convert_20101123233800.jpg

洋風とも和風とも中国風ともつかぬ不思議な形の列柱。

IMG_9916_convert_20101123233714.jpg

明治初期の甲府にはこのような形状の洋風建築で統一された街並みが造られた。

IMG_9919_convert_20101123234135.jpg

ただし、かつて甲府の中心街を構成した建物は残念ながら全く現存しない。現存する藤村式建築は睦沢学校を含め全て甲府市外のものである。

IMG_9914_convert_20101123233623.jpg

甲府市の中心街に再移築された旧睦沢学校は、今後間接的ながらも明治初期の甲府市街の姿を伝える役割を担う。

第203回・旧御料局名古屋支庁妻籠出張所(山の歴史館)

IMG_8416_convert_20101117230635.jpg

明治33年(1900)に建てられた御料局(のち帝室林野局、現在の林野庁の前身のひとつ)名古屋支庁妻籠出張所の庁舎として建てられた洋館。

IMG_8420_convert_20101117230905.jpg

もとは現在地からほど近い旧妻籠宿本陣跡地にあったが昭和8年に庁舎としての役目を終えた後民間に払い下げられ移築、個人の住宅として昭和61年まで使われていた。

IMG_8422_convert_20101117231050.jpg

国道工事のため立ち退く破目になり、建物は所有者から南木曽町に寄贈、平成2年に現在地へ2度目の移築となった。

IMG_8365_convert_20101117230045.jpg

現在は長野県木曽郡南木曽町の施設「山の歴史館」として公開。

IMG_8421_convert_20101117231000.jpg

長野県の県宝に指定されている。

IMG_8366_convert_20101117231930.jpg

木曽谷は昔から材木の名産地である。木を盗伐した者を留置するための留置場があり、窓には鉄格子が嵌められている。

IMG_8367_convert_20101117230137.jpg

玄関。

IMG_8369_convert_20101117230516.jpg

玄関ポーチ柱頭。

IMG_8368_convert_20101117230254.jpg

2度の移築を経ているが当初の形はよく残されているという。

IMG_8417_convert_20101117230725.jpg

内部廊下。

IMG_8418_convert_20101117230812.jpg

展示室。木曽谷の歴史が分かる展示物が多くある。

IMG_8372_convert_20101117230601.jpg

天井の換気孔。菊の御紋をあしらっている。

IMG_8364_convert_20101117225951.jpg

山の歴史館は、隣接するもとからここにあった大正期の洋館、旧福澤桃介別荘(現福澤桃介記念館)とセットで公開されている。旧福澤別荘については改めて別稿で紹介したい。

第202回・泉布観

IMG_5224_convert_20101114140910.jpg

明治3年(1870)、大蔵省造幣寮(現独立行政法人造幣局)の応接所として建てられた。国指定重要文化財。
泉布観の名称は明治天皇の命名による。「泉布」は中国における貨幣の古称。「観」は「館」に同じ。即ち「貨幣の館」という意味である。

IMG_5262_convert_20101114145632.jpg

弊ブログ第92回で紹介した旧造幣寮正面玄関(右手の建物)と並び、大阪府下現存最古の洋風建築。また全国的に見ても極めて初期の洋風建築。設計は英国人技師トーマス・J・ウォートルス。現在は国道1号線がこの2つの建物と造幣局の敷地とを分断している。

IMG_5192_convert_20101114141252.jpg

大正6年に造幣局から大阪市に移管されて現在に至る。現在は年1回(3月)の公開を除き、通常は非公開。

IMG_5210_convert_20101114143006.jpg

館内に展示されている、建設当初の泉布観古写真。屋根の軒の出が浅く、パラペット(手摺)が廻されていたことが分かる。明治後期には現在の形に改修されていたようである。

IMG_5194_convert_20101114141433.jpg

正面。前回紹介した生駒山の宝山寺獅子閣は泉布観に似ている。宝山寺獅子閣建設に際し、棟梁の吉村松太郎は生駒山から最も近距離にある本格洋風建築(注:明治初期当時において)である泉布観も見学している可能性は高いと思われる。

IMG_5197_convert_20101114141047.jpg

裏側を除く三方にベランダを廻したコロニアル(植民地)様式の洋館である。写真は1階ベランダ部分。

IMG_5198_convert_20101114142052.jpg

列柱の柱頭。形は旧造幣寮玄関と全く同じだが、使われている石材は御影石で、旧造幣寮玄関とは異なる。

IMG_5199_convert_20101114141902.jpg

玄関。

IMG_5214_convert_20101114143525.jpg

玄関から伸びる1階廊下に下がる照明。

IMG_5203_convert_20101114145250.jpg

部屋ごとに意匠の異なる暖炉がある。暖炉はじめ室内装飾の殆どは英国からの輸入品。

IMG_5201_convert_20101114145351.jpg

明治天皇を始め皇室にゆかりの深い建物であったことから、どの部屋もシャンデリア等旧状が非常によく保存されている。戦時中の金属回収も免れたものと思われる。

IMG_5206_convert_20101114142430.jpg

二た間を大きな円柱で仕切った、この館で最も広い部屋。饗宴等に使われていたのだろうか。

IMG_5207_convert_20101114142301.jpg

同上、暖炉。意匠は簡素。

IMG_5208_convert_20101114145826.jpg

同上、大鏡と飾り棚。当初からあった家具とのこと。

IMG_5209_convert_20101114142819.jpg

同上、シャンデリヤ。人面の飾りがある。

IMG_5234_convert_20101114145447.jpg

広く日当たりもよいせいか、最も明るい雰囲気の部屋だった。

IMG_5212_convert_20101114143236.jpg

1階奥の部屋。市松模様の床はペンキで模様を描き、タイル貼りに見せかけたもの。

IMG_5213_convert_20101114143424.jpg

同上、照明。

IMG_5216_convert_20101114143117.jpg

この部屋の床も同じ。

IMG_5217_convert_20101114143631.jpg

暖炉上の鏡も無く、簡素な感じの部屋。雨漏りのシミがひどい。

IMG_5218_convert_20101114143802.jpg

ここから2階の写真。付き当たりからベランダに出られる。

IMG_5230_convert_20101114144519.jpg

2階廊下の床も塗装で板張りをタイル張りに見せかけた仕上げ。

IMG_5231_convert_20101114144234.jpg

玉座の間。明治天皇の玉座がここに置かれた。

IMG_5233_convert_20101114144401.jpg

玉座の間暖炉。

IMG_5220_convert_20101114144938.jpg

ベランダへの出口上部。

IMG_5226_convert_20101114145536.jpg

ベランダ正面2階。建物の前を流れる大川の向こうにはラブホテルと100円ショップが並ぶ俗悪な眺めが広がる。

IMG_5225_convert_20101114144814.jpg

気を取り直して別アングルから撮る。

IMG_5223_convert_20101114145134.jpg

2階ベランダ。

IMG_5256_convert_20101114145906.jpg

隣接の旧造幣寮玄関と並び、建物及び周囲の荒廃が甚だしい状況が続いていたが、近年所有者の大阪市は整備活用の方針を打ち出したようである。今更になって漸くという感は否めないが、建物の価値に相応しい利活用を行って頂きたいものである。

第201回・宝山寺獅子閣

IMG_9429_convert_20101111223209.jpg

大阪府と奈良県の境にある生駒山にある宝山寺の洋風客殿。
国指定重要文化財。

IMG_9428_convert_20101113114828.jpg

宝山寺は江戸時代前期の延宝6年(1678)に開かれた寺院。商売の神様として今も大阪人の参拝が多い。

IMG_9432_convert_20101113115123.jpg

宝山寺境内。奥に見える桧皮葺の建物が聖天堂拝殿。明治8~10年にかけて現在の姿になった。この時の普請を行ったのが越後出身の棟梁・吉村松太郎である。

IMG_9539_convert_20101112005611.jpg

時の住職であった乗空は吉村松太郎の腕を見込み、洋風客殿建設のため横浜で3年間修行させる。明治15年上棟、同17年(1884)に完成する。

IMG_9536_convert_20101113121223.jpg

正面。

IMG_9535_convert_20101113123459.jpg

IMG_9521_convert_20101113121408.jpg

洋館ではあるが、日本瓦葺き、白漆喰の外壁に木部はペンキを塗らない白木から構成される外観は境内に違和感無く溶け込んでいる。

IMG_9524_convert_20101113121626.jpg

玄関の反対側は茶席のある日本庭園に面している。

IMG_9528_convert_20101113121810.jpg

入口周りはアーチ窓に鎧戸で洋風だが、手前の高欄と手水鉢は完全な和風。

IMG_9430_convert_20101111223328.jpg

南面は2層にわたる吹き放ちのベランダになっている。下層は崖になっており、京都の清水寺に見られるような懸崖造(けんがいづくり)になっている。

IMG_9520_convert_20101113123026.jpg

1階は板張りの広間と和室2室から成る。磨き漆喰の壁は120年以上経った現在も光沢を放つ。

IMG_9464_convert_20101113120321.jpg

正面側(玄関側)和室。

IMG_9465_convert_20101113125149.jpg

窓からの眺め。

IMG_9458_convert_20101113122322.jpg

裏面側(庭園側)和室。正面側和室とは襖で仕切られているだけなので、続き間にもできる。

IMG_9460_convert_20101113115955.jpg

障子を開けると庭園側への出口がある。

IMG_9529_convert_20101113123156.jpg

ここだけ見ると、洋館からの眺めとは全く思えない。

IMG_9455_convert_20101113114651.jpg

1階広間からベランダへの出入口。色硝子が嵌めこまれている。

IMG_9453_convert_20101113123733.jpg

1階広間から庭園へ繋がる扉にも色硝子が嵌めこまれている。

IMG_9434_convert_20101113115306.jpg

1階ベランダ。

IMG_9436_convert_20101113124747.jpg

同上、天井。

IMG_9438_convert_20101113122110.jpg

同上、柱頭飾り。

IMG_9456_convert_20101113115557.jpg

1階広間には2階へ上がるための螺旋階段がある。1本の柱だけで支えられた見事な階段。

IMG_9470_convert_20101113124928.jpg

IMG_9508_convert_20101113124227.jpg

登っても全然危なげが無かった。すばらしい階段。

IMG_9498_convert_20101113122742.jpg

2階座敷。造りからして2階が客殿としての中心部分と思われる。

IMG_9496_convert_20101113122914.jpg

見事な格天井。

IMG_9507_convert_20101113122611.jpg

壁に金箔を貼り、非常に格式高い書院造の座敷である。

IMG_9477_convert_20101113124516.jpg

2階ベランダ。ここからの眺望は絶景。

IMG_9501_convert_20101113122520.jpg

正面、ポーチ2階部分の柱頭飾り。

IMG_9492_convert_20101113125637.jpg

通常は非公開だが、今月15日、即ち明日まで平城遷都1300年祭による特別拝観として公開されている。

第200回・旧森平蔵邸(樟徳館)

convert_20101110000550.jpg

材木商を振り出しに、大阪電気軌道(現近畿日本鉄道)や都ホテル相談役も務めた実業家の森平蔵(1875~1960)が大阪の郊外、東大阪市菱屋西に建てた自邸。国登録有形文化財。

convert_20101110003002.jpg

近鉄長瀬駅から徒歩10分足らずの距離にある。当邸の敷地はかつて帝国キネマ長瀬撮影所(昭和5年焼失、廃止)があった。昭和7年頃この土地を取得した森は全国各地から厳選した材木を集め、現地に製材所を設けて自邸の建設に取り掛かる。完成したのは昭和14年(1939)頃と考えられている。

convert_20101110000924.jpg

昭和35年に森平蔵が死去した後、遺志により邸宅はすぐ近くにある樟蔭学園に寄贈された。樟蔭学園は大正6年に森平蔵が設立した樟蔭高等女学校を前身とする学園。

convert_20101110000854.jpg

現在は樟蔭学園の迎賓館として使われるほか、学生の合宿や実習等に使われている。また登録文化財に選定された平成12年より4年に1回の割で、10~11月頃定期公開が行われている。写真は平成16年公開のときのもの。

convert_20101110002102.jpg

材料だけでなく、建設に従事する大工等職人も各地から優秀な人材を集めたようである。関東からも職人を呼び寄せ、地元関西の職人と腕を競わせたとのこと。

convert_20101110001155.jpg

大阪府下に現存する近代和風建築の中でも屈指の名建築と言える。

convert_20101110001124.jpg

純和風の外観に対し、室内は板張りの床を持つ椅子式洋間を中心に構成されている。写真は材料意匠共に最も凝った造りの応接間。造りつけソファの上部にはステンドグラスと摺り硝子の飾り窓がある。

convert_20101110000806.jpg

応接間の暖炉。瀬戸焼の特注品。平成7年の大地震でひびが入ってしまった。

convert_20101110003141.jpg

茶室風座敷の半円窓。

convert_20101110001813.jpg

主人居間兼書斎。和風意匠で造られた二間続きの洋室。邸宅と合わせて特注制作された家具も殆どが現存する。

convert_20101110001844.jpg

主人居間兼書斎の暖炉。

convert_20101110002552.jpg

同上、暖炉脇の飾り棚。

convert_20101110000737.jpg

暖炉の反対側にある床の間の飾り窓。

convert_20101110000623.jpg

主人居間兼書斎の南側には縁側風のサンルームがあり、そこにもこのような洒落た飾り窓がある。

convert_20101110001745.jpg

夫人居室。ここは畳敷きの座敷。

convert_20101110001056.jpg

階段室。中国風の欄間がある。ただしこの先二階は非公開。

convert_20101110002406.jpg

食堂。奥の窓は配膳室につながっており、料理をここから出し入れできる。

convert_20101110001256.jpg

食堂暖炉。重厚な応接間や主人居間の暖炉と比べると軽快な印象を受ける。

convert_20101110002151.jpg

食堂にはこの他、摺り硝子の欄間がはめこまれておりその意匠も見どころである。

convert_20101110001924.jpg

食堂照明。創建時からのもの。

convert_20101110002706.jpg

奥にある離れ風に造られた平屋建ての仏間棟。

convert_20101110002443.jpg

仏間等縁側の照明。

convert_20101110002745.jpg

仏間棟の欄間。

convert_20101110002301.jpg

関東の職人が建てたと言われる化粧室棟。内部は非公開。

convert_20101110002230.jpg

土蔵。

convert_20101110002013.jpg

屋敷神。

当邸の次の定期公開は2年後、平成24年の予定。

第199回・旧第一銀行横浜支店(現・横浜アイランドタワー)

IMG_9662_convert_20101109234027.jpg

昭和4年(1929)、第一銀行(後の第一勧業銀行、現みずほ銀行)横浜支店として建設される。

IMG_9664_convert_20101109234258.jpg

設計者は第一銀行建築課長を務めた西村好時(1886~1961)。大正中期から昭和初期にかけ第一銀行の本支店店舗の設計を手掛けた。この旧横浜支店同様、コーナー部に構える半円形の玄関が特徴的だった東京大手町の本店、大阪高麗橋の大阪支店などは今や破壊され跡形も無く、旧横浜支店のみが往年の姿を留める唯一の遺構と言ってもよい。

IMG_9657_convert_20101109234627.jpg

但しこの旧横浜支店もそのまま残っている訳ではなく、特徴的な半円バルコニーを除き、一旦解体後再建されたものである。

IMG_2030_convert_20101109234950.jpg

現在は横浜アイランドタワーの一部として再建、高層ビルの一部に組み込まれている。

IMG_2027_convert_20101109235041.jpg

この半円形部分のみが創建当初のオリジナルである。

IMG_2029_convert_20101109234212.jpg

本来のオリジナル部分と復原部分の境目。半円形部分は全て御影石貼りだがそれ以外の部分は人造石仕上げであったが、再建部分は全て御影石貼り仕上げ。高度な左官仕事から成る人造石仕上げは現在ではかえって割高なので、全面石貼り仕上げとなったのではないだろうか。

IMG_2026_convert_20101109234340.jpg

とはいえ外観のみならず内部もキチンと復原されており、昭和初期の銀行建築の姿をよく残している。

IMG_9659_convert_20101109234907.jpg

IMG_9660_convert_20101109234757.jpg

IMG_2028_convert_20101109234537.jpg

IMG_9665_convert_20101109235140.jpg
プロフィール

syoukou

Author:syoukou
(ブログについて)
現存する近代日本の歴史的遺産(台湾など旧日本領土も含む)を建造物・土木構造物を中心に、思いつくままに取り上げております。

(写真について)
写真は特記しない限り管理人の撮影です。また絵葉書等の古写真は管理人の所蔵品、もしくは訪問先の展示品を撮影したものです。利用・転載等希望される場合は管理人まで御連絡頂けると幸いです。

(リンクについて)
リンクはフリーです。なお、リンクを張らせて頂いている他の方のページは一部を除き相互リンクとなっております。

(コメントについて)
記事と関係の無いコメントは削除させて頂く場合もあります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード