第218回・金沢文芸館(旧高岡銀行橋場支店)

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金沢市の中心街、主計町の茶屋街にも近い尾張町に建つ昭和初期の銀行建築。

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昭和4年(1929)清水組の設計施工。当初は高岡銀行橋場支店として建設された。のち石川銀行橋場支店となる。

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石川銀行の破綻後、金沢市の所有となり、現在「金沢文芸館」として整備公開されている。

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前回の旧日本生命九州支店と同様、いびつな形状の敷地に建つところから特徴的な外観を持つ。

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この建物が建つ尾張町界隈は、弊ブログでも取り上げた旧三田商店、旧村松商事等の近代建築が残る他、主計町茶屋街などの歴史的な街並みもよく残されている。
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第217回・旧日本生命九州支店

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福岡・博多の中心街に残る数少ない近代洋風建築。明治42年(1909)に旧日本生命九州支店として建てられた。国指定重要文化財。

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かつてこの建物の周囲には旧日本生命の他に、旧福岡県庁舎、旧福岡市庁舎、旧福岡県公会堂及貴賓館、旧大同生命等の明治から大正期の建築が昭和50年代後半まで集中して現存していた。そのうち今もそのまま現存するのは旧県公会堂の貴賓館部分のみである。旧大同生命は他所に移築、残りの建物は今や跡形も無い。

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設計は辰野金吾と片岡安。壁面は赤い煉瓦と白い御影石、屋根は様々な形状のドームや尖塔で賑やかに飾り立てる「辰野式」建築の典型例。

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その中でも、旧日本生命九州支店は元々の敷地が不規則であることもあって極めて複雑な外観を有する。

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表通りに面していない部分は比較的簡素に造られている。

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昭和44年まで60年間日本生命の社屋として使用された。なお、現存しないが大阪にある日本生命本店も旧九州支店より一足早く、この建物とよく似た赤煉瓦3階建の社屋を建設している。(現在の日本生命本店は昭和13年から戦争を挟んで昭和37年に全館竣工したものである)

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施工は清水組(現清水建設)。旧日本生命は清水組が九州進出を果たしたときの建物である。

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屋根は近年まで全面銅板葺きであったが、本来の天然スレート及び一部銅板葺きに復した。スレートの黒が加わることで一層重厚さが増した気がする。

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赤煉瓦の「辰野式」建築の代表は言うまでもなく東京駅舎(大正3)。他に現存するものとしては旧日本銀行京都支店(明治39)、旧盛岡銀行本店(明治44)、大阪市中之島公会堂(大正7)が代表的なものとして挙げられる。いずれも国指定重要文化財。無論、重要文化財以外でも他にいくつか現存している。

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半地階の周囲に巡らせた袖塀。

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玄関。

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曲面あり多角形あり円筒形あり、兎に角変化に富んだ形状の壁面。

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「辰野式」は英国のクイーンアン様式を辰野金吾が我流にアレンジしたものと考えればよい。
本家のクイーンアン様式は赤煉瓦による賑やかな外観では共通するが、辰野式ほど派手な造形は見られない。

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旧日本生命九州支店は最近までは福岡市の博物館に転用されていたが、現在は前回の旧日本郵船同様建物自体を展示物として公開すると共に、部屋を催事の会場等に貸し出している。

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室内。1階営業室カウンター。

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独特な形状の暖炉。

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こちらの暖炉は大人しい形。

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鉄製の階段。

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塔屋へ登る螺旋階段。

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2階会議室。

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この部屋にも暖炉が備えられている。

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窓の建具も凝った意匠である。

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外観の複雑な形は部屋の形にもそのまま現れている。

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戦前に建てられた日本生命の旧社屋は大阪本店の他、京都支店も塔屋及び外壁の1面分のみが現存する。また東京支店がかつて置かれていた東京日本橋の旧日本生命館(高島屋と共同で建設、現在は全館高島屋が使用)が重要文化財に指定されている。

第216回・旧日本郵船小樽支店

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明治39(1906)年建設の旧日本郵船小樽支店は、小樽に数多く現存する近代の歴史的建造物の中でも代表的なもののひとつである。国指定重要文化財。

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日本郵船の小樽への進出は、前身である三菱会社時代の明治11年に遡る。

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現存する支店店舗が建てられた当時は、日露戦争に勝利したことで日本領土となった南樺太及全千島とを結ぶ新航路が開設されるなど、小樽港の興隆期であった。

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設計は日本人建築家第一世代の一人である佐立七次郎(1857~1922)。
現存する設計作品は旧郵船小樽支店と東京の日本水準原点標庫の2棟のみ。

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石造2階建て。煉瓦造の石貼りは多いが、純粋な石造は日本の洋風建築では多くない。

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日本郵船のオフィスとして使われていたのは明治39年(1906)から昭和29年(1954)までの約半世紀。
建設時が興隆期であったのに対し、晩期は敗戦後にあたり樺太・千島の喪失と港の衰退という落ち目の時期だった。観光名所として脚光を浴びるのは以後数十年先の話である。

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昭和30年に小樽市に譲渡、小樽市博物館として再利用される。その後同44年に重要文化財指定、博物館移転後に大規模な修復工事を終えた62年以降は「旧日本郵船小樽支店」として、建物自体を展示・公開対象として現在に至る。

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隣には附属の倉庫も現存、民間企業の所有で現在も現役で使われている。重要文化財ではないが小樽市の歴史的建造物に指定されている。

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倉庫の反対側にある貴賓用玄関へ通じる表門。

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貴賓用玄関。
奥の平屋建は附属舎で、これも重要文化財。右手の石塀も当初からのもの。

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窓や玄関の白く塗られた建具が、重厚な建物を一層引き立てている。

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正面上部には右書きで「日本郵船會社」と社名が彫り込まれている。修復工事に際して復原された。

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玄関。玄関扉も修復工事のとき復原された。重厚な建物とは対照的に繊細な装飾が施されている。中央部分には赤い二本線が引かれた日本郵船の社旗をあしらっている。

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1階営業室客溜。内部の見どころは1階は営業室、2階は会議室、金唐革紙を貼った貴賓室等がある。

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営業室全景。古写真をもとに竣工当初の机や椅子が一部復元されている。

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1階営業室脇の応接室。

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応接室の暖炉。

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応接室の天井。

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階段は貴賓客が用いる大階段と社員等が用いる小階段がある。写真は小階段。

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2階廊下。

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附属舎の廊下。附属舎には便所、宿直室等があった。

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竣工直後の明治39年10月には日露戦争終結に伴う日露国境画定会議が2階会議室で行われた。

第215回・群馬会館

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前回取り上げた群馬県庁昭和庁舎より一足遅れて昭和5年(1930)に完成した群馬会館は、群馬県下初の本格的な公会堂建築である。設計は群馬県庁と同じ佐藤功一。

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県庁舎とは向かい合わせに建っている。

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昭和天皇即位の御大典事業として建設された。

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現在も現役の公会堂である。

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背面玄関。

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県庁舎正面と向き合った位置に当たる、側面外壁。

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意匠は県庁舎と共通性を持たせている。

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県庁舎に比べると、彫りが浅く平面的である。

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特に正面まわりの意匠はのちの栃木県庁舎や滋賀県庁舎に通じるところがある。

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正面。

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正面中央には時計がはめこまれている。また、窓の随所に簡素なステンドグラスがある。

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正面玄関車寄。

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玄関内側の天井照明台座。

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玄関欄間のステンドグラス。

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県庁舎と同時に登録有形文化財となった。なお佐藤功一は公会堂などホールも多数設計しており、東京・早稲田大学大隈講堂、日比谷公会堂、岩手・盛岡市公会堂が現存する。大隈講堂は重要文化財に指定されている他、いずれも文化財建造物として保護されている。

第214回・群馬県庁昭和庁舎(旧群馬県庁本庁舎)

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現存する戦前の府県庁舎のうち、同一建築家の設計によるものがいくつかある。そのうち最も多いのが、早稲田大学教授の佐藤功一によるもので3件(群馬・栃木・滋賀。現存しない宮城を含めると4件。)が現存する。弊ブログでは既に栃木・滋賀の両県庁舎を取り上げたが今回は残りひとつ、即ち群馬県庁舎を取り上げる。

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昭和3年(1928)に竣工。佐藤功一設計の県庁舎では最も古い。次に古いのは昭和6年竣工の旧宮城県庁舎だが、こちらは今は跡形も無い。なお、旧宮城県庁は塔屋がある点以外は群馬と瓜二つであった。

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現在、庁舎の中枢機能は後方の新庁舎に移転、現在は「昭和庁舎」の名称で庁舎の一部として使われている。

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移転に際し旧庁舎も補強改修が施され、美しい姿を留めている。

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平成8年の国登録文化財制度導入に際しては、神奈川と共に県庁舎としては初めて文化財登録されている。

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なお、平成22年現在登録有形文化財に認定されているのは上記2県以外では静岡、愛知、兵庫、鹿児島の4県がある。(ただし鹿児島は中央部分のみが現存)

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他、国指定重要文化財の庁舎は北海道、山形、三重、京都、山口の5県、自治体指定文化財は山梨の1県。

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そして文化財指定・登録は特に受けていないものの、戦前の庁舎が残っているのは茨城、長野、富山、石川、岐阜、滋賀、大阪、和歌山、徳島、愛媛、宮崎の11県。(ただし長野と徳島は部分移築である)

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即ち23道府県において戦前の道府県庁舎が今も残っていることになる。(ただし県庁舎に限定した場合。例えば新潟は明治期の県会議事堂が国指定重要文化財として現存する。)

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ついでなので年代別に分類。(以下各年代中竣工順)
(明治)三重、北海道、兵庫、京都
(大正)長野、山形、山口、石川、岐阜、鹿児島、大阪
(昭和)群馬、神奈川、愛媛、山梨、徳島、茨城、宮崎、富山、静岡、愛知、和歌山、滋賀

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群馬は昭和に入って竣工した庁舎の中では最も古い。

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玄関内部。

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玄関上部の石膏でできたレリーフ。

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玄関から外を見る。

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玄関を入ってすぐ現れる階段室。

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曲線を描く梁が特徴。なおこの形状の梁はここだけではなく庁舎内の随所に見られる。

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階段から玄関を見下ろす。

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3階、旧正庁前にある屋上へ至る階段。

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現在は貸会議室として使われている執務室の一部。ここでも階段ホール同様曲線を描く梁が見られる。

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同一設計者による栃木及び滋賀の両庁舎に比べると、群馬県庁舎は古風で彫りの深いデザインが特徴と言える。

第213回・旧新家別邸(無限庵)

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石川県の山中温泉にある近代和風建築の名品。
当地で漆器生産に用いる木地挽きを代々業となし、明治から大正期にかけて自転車リムの製造で産を成した新家家が大正10年(1921)に建てた別邸。独特の意匠を有する洋風の応接間もあり、写真はその応接間の窓。

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旧新家別邸は山中温泉の温泉街を過ぎ、渓流ぞいの緑深い一郭にある。

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門。現在この屋敷は新家家先代当主の意思により、財団法人「無限庵」の所有に移り一般公開されている。

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玄関。欄間には鳩の群れ。

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玄関内部の手水鉢。写真には写っていないが、右手には見学者のための見学券を売る自販機がある。

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式台のある玄関。見学者は自販機で券を買った後、左手手前に写っている銅鑼を鳴らして受付へ。

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玄関前の廊下。天井板を曲げている。

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玄関脇の電話室。入口周りの造形が面白い。現在は電話機ではなく空調機に占められている。

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船底天井になった廊下。

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書院脇の廊下は加賀風に群青色の漆喰壁になっている。

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書院床の間。この書院部分は大正元年(1912)の建築で、旧加賀藩家老の横山家の分家筋に当たる横山章が金沢市内にある自邸の一角に子息の婚礼に際し建てたものである。金沢の横山邸はその後僅か10年足らずで売却を余儀なくされ書院部分が新家家別邸の御殿として現地に移築されてきたものである。

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床の間琵琶台の正面羽目板には伝統的な加賀蒔絵の装飾が施されている。他にも随所に粋を凝らした華やかな和風建築である。

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書院次の間及び縁側を見る。

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縁側のすぐ下は大聖寺川の渓流が流れる。

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書院縁側。加賀風の群青色の壁に黒柿の高欄、欅寄木貼りの床が特徴。

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加賀百万石の繁栄を伝える武家書院の、近代における優れた遺構であるこの書院部分は石川県の指定文化財である。

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書院の背後にある茶室入口。

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茶室床の間。

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茶室隣の雪隠入口。

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新家別邸として大正10年に新築された部分の一階座敷。

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同上、縁側。一階だが書院と同様渓流に面しているので欄干が設けられている。

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新築部分一階座敷の床の間裏にも茶室がある。

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旧湯殿。現在は畳が敷かれている。天井と窓の意匠が特徴的。

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冒頭の写真で紹介した応接間は玄関脇にある。四畳半足らずの小さな部屋である。

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応接間内部から見た玄関取次。

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小さな部屋だが、意匠は極めて濃厚。

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大正期の洋風建築らしく、セセッション風の象嵌細工が入口周り、天井、カーテンボックス、扉等随所に施されている。

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半円形の窓には、2種類の型押し硝子と透明硝子の3種類の硝子がはめこまれている。

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上部の型押し硝子を拡大。

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写真右下に写っているが、この応接間にはかつて新家家で製造していた木製の自転車リムが展示されている。新家家は自転車リムの生産で産を成した。この応接間で最も特徴的なのは円形をあしらった窓であるが、この円形は自転車のリムではないかと思う。一階座敷床脇の円形窓も同じ発想かも知れない。

第212回・横浜市長公舎

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横浜市長公舎は昭和2年(1927)に横浜市の北東、横浜市中区老松に建てられた。洋館と日本館から構成されていたが現在は洋館のみ現存する。その洋館部分が平成22年11月3日に初めて一般公開された。

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洋館の北側、正面全景。右手にはかつて平屋建ての日本館がつながっていた。

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洋館のデザインはフランク・ロイド・ライト設計の帝国ホテル(大正12)の影響を受けていると思われる。
設計は横浜市建築課。施工は中村鎮建築研究所。

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構造は施工者である中村鎮建築研究所長・中村鎮(1890~1933)が発明した「中村式鉄筋コンクリートブロック」が用いられているという。写真は外壁のアップ。この時期の建築でよく見られるスクラッチタイルとも違う。これが「中村式鉄筋コンクリートブロック」なのかとも思ったが、分からなかった。

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玄関。大谷石による開口部の縁取り、右手の手水鉢かプランターと思われる大谷石の装飾も、いかにもライト風。

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玄関内部。腰壁には大理石が貼ってある。コンクリートブロック積みのせいか、壁が煉瓦造建築並みに厚い。

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玄関両側に一対ではめこまれている薔薇のステンドグラス。

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玄関を入ってすぐ目に入る海と海鳥のステンドグラス。小川三知(1867~1928)作と伝わる。

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これらのステンドグラスがこの洋館の内部での一番の見どころと思う。

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応接室。

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食堂。内部は改装が激しく、ステンドグラスを除き当初の姿は余り残されていないようである。
なお、二階は居室・寝室等居住空間に充てられているようだが非公開だった。

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サンルーム。

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サンルーム床タイル。これは戦前のままかも知れない。

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庭園に面した南側外観。建具は銀色のアルミサッシがはめこまれているが無論後年の改修によるもの。
いつも思うがこの銀色のアルミサッシは一番安っぽい。歴史的建築に使われた時その雰囲気を損ねこそすれ、調和している例は見た記憶が無い。

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曲線を描く食堂部分の張り出し窓。

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横浜市街を一望できる位置にある。

第211回・旧村山龍平邸(香雪美術館)

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神戸市東灘区にある、朝日新聞の創業家で社主でもある村山家の旧邸宅。現在は財団法人香雪美術館が管理している。この地に屋敷を建てたのは村山龍平(りょうへい)(1850~1933)。朝日新聞等の経営を行った実業家であると共に古美術品のコレクターであったことから、そのコレクションを展示する香雪美術館が敷地内の一郭にある。

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旧村山邸は阪急電車の御影駅すぐ近くにある。御影石を積み上げた塀は殆どの部分が平成7年の阪神大震災で崩壊してしまったがその後復旧している。ただし写真の部分は道路の拡幅のため敷地が一部削られている。かつてこの道は現在の半分程だったという。

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正門越しに見た正面。美術館への正門とは正反対の位置にある。この界隈には明治末から昭和初期にかけ大阪・神戸の富豪達により、宏壮な邸宅が数多く建てられた。旧村山邸は阪神間の邸宅の中でも初期のものである。

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旧村山邸は写真の洋館棟、日本館の玄関棟及び御殿棟、土蔵、茶室棟から構成されている。(その後の新館、美術館は除く)洋館は明治42年(1909)の建築、河合幾次設計、竹中工務店施工。

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玄関。当初はこの洋館1棟のみであり、村山龍平はこの洋館で生活していた。洋館だが内部には和室もある。

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内部は1階が玄関、応接間、居間、食堂、2階が書斎、寝室、サンルーム、和室、地階には厨房、使用人部屋、湯殿で構成されている。村山龍平在世時の家具調度類が非常によく残されており、和洋折衷の内部意匠と合わせて非常に質の高い明治末期の邸宅建築である。

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玄関の真上にあるサンルーム。創建当初は吹き放しのベランダだったが、後年硝子戸を入れサンルームに改造されている。

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洋館南面。2階は木造だが1階および地階は煉瓦造モルタル塗り仕上げ。

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玄関部分の3連アーチ窓。

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地階前から洋館を見上げる。傾斜地に建っているのでここから見ると3階建に見える。洋館の外観はなんとなく閉鎖的な印象を受ける。

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地階窓。厨房や使用人部屋の窓であろう。

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地階の通用口。

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正面北側から見た洋館。正面である東面または北側からは二階建にしか見えない。

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洋館の北側に接続された日本館の玄関棟。檜皮葺きの唐破風を備えた堂々たるもの。

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玄関部分だけが独立した造りになっており、すぐ奥には土蔵、そして長い渡り廊下の先に御殿棟がある。玄関棟は御殿棟が完成した大正8年までには完成していたものと考えられている。

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通常このような和洋並立型の邸宅では、日本館は居住用に供される場合が多いが、村山邸の場合は日本館が接客専用として建てられている。

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敷地の中央部に位置する茶室棟。洋館に引き続いて建てられ、明治44年(1911)竣工。玄関棟と同様、御殿棟とは長い渡り廊下で連結されている。

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茶室棟は3つの茶席と2つの腰掛待合、そして砂雪隠から構成されている。

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村山龍平は薮内の茶を修めていたことから、藪内節庵(1868~1940)が茶席の建築及び作庭を手掛けている。

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村山邸の特色は既存の雑木林と地形に余り手を加えず、自然の趣を残した敷地内に洋館を始めとする各種の建造物を配しているところにある。茶席も庭園というよりは自然林の中に佇む印象がある。

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敷地内は起伏に富み、茶室棟の南側は大きく窪んだ原場になっている。茶事に際しては、ここで折敷の上に配した懐石を出すという野趣に富む茶事もやっていたようである。

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屋敷神の参道脇に置かれたストゥーパ(仏塔)。

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茶室等の南、先述の原場を挟んで御殿棟が建つ。大正8年(1919)、藤井厚二設計、竹中工務店施工。

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裏口の造作も凝っている。

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南側から見た御殿棟。

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縁側の下はこのように懸崖造になっている。

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藤井厚二(1888~1938)は竹中工務店を経て京都帝国大学教授を務めた建築家。竹中在籍時の大正5年には大阪中之島に大阪朝日新聞本社屋(現存しない)を設計している。村山家の日本館を手掛けたのもその縁かと推測されている。

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村山邸は藤井厚二の代表作の一つとされている。

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神戸の邸宅建築は、須磨・塩屋・舞子等西側には明治~大正中期の建物が多く現存するのに対し、東側の御影・住吉等は大正末~昭和以降のものが中心であり、村山邸はこの界隈で明治末期から大正中期に造営された邸宅で現存する唯一の存在であり、質・規模も際立って高く貴重なものである。

第210回・ふじみ野市立福岡河岸記念館(旧回漕問屋福田屋)

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埼玉県のふじみ野市にある福岡河岸記念館はかつての回漕問屋福田屋の主屋等を保存・公開している施設である。

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すぐ前を流れる新河岸川は江戸初期から昭和初期まで約300年にわたり船運が栄えていた。その中でも福田屋は江戸時代より幕府公認の回漕業者であった三軒のうちの一軒であった。

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現在明治初期~30年代にかけて建てられた主屋、文庫蔵、離れ、台所が現存、市指定文化財となっている。かつてはもっと多くの建物があった。

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現在残る建物を建てたのは福田屋十代目の星野仙蔵である。女優の星野真里は子孫に当たる。

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現在はふじみ野市の施設として公開、新河岸川の船運や星野仙蔵に関する展示物を見ることが出来る。

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主屋帳場から座敷を見る。

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二階へ登る箱階段がある。硝子をはめこんだ欄間は珍しい。

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座敷床の間。

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床脇の硝子窓。当時は高価であったはずの硝子を随所に用いている。

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台所。

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土間。

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文庫蔵と離れ。文庫蔵は明治30年代、離れは明治33年の建築。

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文庫蔵の蔵前。文庫蔵には大福帳などの帳簿や冠婚葬祭で用いる食器や什器等が納められていた。

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珍しい木造3階建の離れ。接客用に建てられた。

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建築としては離れが内外共に最も見どころが多い。

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裏庭からみた離れと文庫蔵。

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離れ1階座敷。各室とも意匠材料に趣向を凝らしている。

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離れ1階、もと浴室の天井。

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客用便所の小便器。

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さまざまな種類・意匠の硝子が使われている。

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なぜかくねくねした鉄格子。

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3階座敷の窓は色硝子と摺り硝子を市松に配しており、見どころのひとつ。しかし残念ながら離れ内部は1階しか公開されていないので、外から撮った写真しかない。

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川沿いの高台に建てられた3階建ては現在でも異様な存在感を放っていた。

(平成25年12月18日追記)
離れの2・3階は現在、祝日など日を限って内部を特別公開しているそうです。
福岡河岸記念館ホームページ(催事の案内)

第209回・旧山本有三邸

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東京都三鷹市に建つ山本有三記念館は大正15年(1926)の建築。三鷹市指定文化財。

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作家・山本有三(1887~1973)は昭和11年から戦時中に疎開していた一時期を除き、約9年間この家で暮らしていた。

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昭和21年に米軍に接収され、5年後に返還されるが荒廃した家を見て再び住むことを断念、教育用施設としての活用を望み土地建物を三鷹市に寄贈、以後三鷹市の所有となり現在に至る。

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元々は山本有三が建てた家ではない。大正15年に清田龍之介という米国留学の経験を持つ人物が建てた住宅であるとの事である。

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屋根の形状が極めて特徴的な正面。

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特異ながらもよくまとまった意匠は名のある建築家の作品かと思われるが、設計者は不詳。

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女中部屋の外観。

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大谷石やスクラッチタイルの使用、建具や二階壁面の意匠等、大正12年竣工の旧帝国ホテルを強く意識したものと思われる外観。

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テラスに面したアーチ型の出入口。

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現在は三鷹駅に近く住宅が建てこんでいるが、建てられた当時は武蔵野の自然の一郭にこの館は建っていた。
裏庭からの眺めは往年の姿を彷彿とさせる。

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全部で3本ある大きな煙突が、外観のアクセントになっている。

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控え目な玄関。

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玄関上部の鳥のレリーフ。なぜ鳥が玄関の上にいるのかは不明。

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中世欧州の建築を思わせる玄関内部。

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玄関を入ってすぐ横にある暖炉。暖炉脇には造りつけのベンチが設けられたイングルヌックと呼ばれる造り。洋風の囲炉裏端と思えばよい。

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暖炉上部の天井。

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暖炉脇、ステンドグラスの小窓。

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旧食堂の暖炉。3つある暖炉はいずれも飾りではなく薪を焚くことができる本格的なもの。

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旧食堂と続き間になっている客間の暖炉。

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古い家具も少しだけ残っている。

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庭に面したサンルーム風の部屋。曲線を描く天井とロマネスク風の半円飾りが特徴的。

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山本家時代は長女の居室だったらしい。

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階段室のステンドグラス。

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階段室天井。

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二階の和室。ここは唯一山本有三の手になる部分。この家はもともと洋室のみで和室は無かったが山本有三は入居後、二階の一室を和室に改装した。

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非常に室の高い洋館だが設計者は謎。今後解明されるとよいのだが。
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