第231回・旧東松家住宅

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愛知県犬山市の明治村に移築保存されている旧東松家住宅は、明治34年(1901)に名古屋市の中心部に建てられた木造三階建の商家。国指定重要文化財。

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正面全景。明治村刊行「明治村建造物移築工事報告書」によると、移築前は名古屋市中村区舟入町(現在この地名は存在しない)にあったとの記載がある。現在の名古屋駅近辺のようである。昭和37年に名古屋市の区画整理の対象になったことから東松家より明治村に寄贈、移築されたものである。

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東松家は江戸時代より油問屋を営む旧家であったが、明治34年当時は個人銀行を営んでいたと言われる。既存の平屋一部二階建を三階建に増改築を施したものである。側面の窓は隣接の二階家の屋根に沿って開かれたため斜めに並んでいる。

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裏の土蔵は文政13年(1830)の建築。

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正面は外壁から軒裏まで黒漆喰で塗り込めた重厚な造り。金融業を営んでいたためこのような重厚で閉鎖的な外観になったのであろうか。

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同様に重厚な造りの玄関。

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一階の通り土間。

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土間の上は三階まで吹き抜けになっている。

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一階仏間と座敷の境に嵌めこまれた欄間。松林の景か。

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裏庭に面して通り縁があり、ここから奥の湯殿、便所につながっている。また裏庭の奥には土蔵がある。

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二階座敷。江戸期の旧材で建てられた一階部分に比較すると、二階三階の各室は遥かに洗練された上質の造りになっている。

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二階座敷から裏庭方向を見る。土蔵は本来妻面を向けていたが、明治村では敷地の制約からやむを得ず45度向きを変えたため側面を見せる形になっている。

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二階座敷から茶室へ至る廊下。土間部分の吹き抜けに張り出す形になっている。

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二階座敷と茶室の間に設けられた次の間。茶室へ続く廊下の板戸を閉じると、御覧の通り半月が浮かぶ洒落た趣向。

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茶室前の畳廊下。窓の向こう側は土間上部の吹き抜け。

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茶室。名古屋の古い家は商家でも邸宅でも必ずと言ってよいほど茶室がある。茶道が江戸時代以来盛んだった名古屋の土地柄がよく現れている。現在でも名古屋では、料亭でも神社でも寺でも抹茶が出るそうだが。

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茶室から三階への階段に至る板間。二階にはこの他、女中部屋等がある。

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三階、正面側座敷。三階は全て接客用の座敷で、したがって意匠や使われている材料の見どころも多い。

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上記座敷の欄間。蕪の図柄。縁起のよいものとして商家では時折見受けられる。

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中座敷。数寄屋風の繊細な雰囲気の座敷。

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同上、吹き抜けに面した採光用の窓。この右には吹き抜けに張り出す形で欄干(前に出した吹き抜けの写真に写っている)が設けられており、ここから下の土間を見下ろすと結構な高さがあって怖い。

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中座敷隣、裏庭側の座敷。ここにも茶室風の床の間が設けられている。

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同上、障子。硝子の古い部分は歪みが顕著に現れていることがよくわかる。

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同上、円形窓。

戦災で名古屋市中心街の大半が消滅してしまった現在、尾張藩以来の名古屋の商家の特色を色濃く残す旧東松家住宅が移築ながらも保存・公開されていることは、非常に喜ばしく、かつ有難い事である。
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第230回・第一生命館(DNタワー21)

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東京・日比谷の第一生命館は敗戦後GHQ(連合軍総司令部)本部が置かれた事で知られる建築である。
昭和13年(1938)竣工。設計は渡辺仁・松本與作。

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現在はかつて裏にあった旧農林中央金庫と一体で再開発、高層化され「DNタワー21」となっている。
ただし旧第一生命館は建物の前半分の外観、及び内装の一部はそのまま残されている。旧農林中央金庫は同じ渡辺仁設計の古典様式の銀行建築だったが、こちらは一部旧部材を用いたイメージ再現に止まっている。

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皇居の濠に端正な姿を映す第一生命館。かつてこの場所には赤煉瓦の警視庁があった(明治44年竣工)。しかし警視庁は大正12年の関東大震災で全焼、昭和4年に現在の桜田門に移転。その後庁舎は現在のものに建て替わり現在に至る。

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警視庁が去ったあとに、第一生命が土地を取得、このビルを建設し京橋から本社を移した。

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装飾は殆ど無いが、全体の骨格は西洋古典様式に則った新古典主義の建築。実際はどうだか知らぬがドイツのナチス建築との相似を指摘されることもあるようだ。

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連合軍総司令官・マッカーサーは昭和26年にトルーマンによって解任されるまでここで執務していた。執務室は往時のまま保存されており、以前は公開されていたが現在は非公開になってしまった。

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正面。外観は戦前から全く変わっていない。ただし1階玄関入ってすぐにあった旧営業室は完全に改築されており往時の面影は全くない。

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マッカーサーや吉田茂がこの玄関から出入りするニュース映像が多く残されている。

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正面玄関上部の「第一生命保険相互會社」(右書き)の文字は、創業者で当時社長だった矢野恒太の書。

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迫力ある列柱。

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第一生命館はGHQ本部等昭和史の舞台としてのイメージが強いが、建築として見れば、戦前における古典様式建築の一つの到達点と言える建築である。

第229回・豊橋市公会堂

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愛知県豊橋市に昭和6年(1931)に建てられた豊橋市公会堂は、以前取り上げた静岡市庁舎、静岡県庁舎、旧浜松銀行協会と同じ中村與資平の設計による。国登録有形文化財。

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旧吉田城跡に置かれた帝国陸軍歩兵第十八連隊のすぐ近くに豊橋市公会堂は建てられた。

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正面。堂々たる大階段を持つ。

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公会堂の右手後方がかつて連隊が置かれた旧吉田城跡(現在は公園になっている)、左手後方の高層建築は豊橋市役所。

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現在も現役の公会堂であり、近年内外装の化粧直しが行われた。
なお、階段下からも出入りできるようになっている。

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正面の5連アーチを支える列柱。

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側面から。

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側面玄関の周囲はモザイクタイルで縁取りがなされている。

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旧歩兵第十八連隊正門前から見る。手前に写る円筒形のコンクリート構造物はかつて歩哨が常時立っていた哨舎。

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正面の両脇にあるドームの下は階段室になっている。

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静岡市庁舎同様、モザイクタイル貼りのイスラム風ドーム。

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ドームの四周に据えられた鷲の彫像。現在のものは改修時に取り替えられた二代目。

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地上に降ろされ、余生を送る初代。

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豊橋市公会堂も静岡市庁舎等と並ぶ中村與資平の代表作。

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第228回・旧伊藤傳右エ門邸

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旧伊藤傳右エ門邸は福岡県飯塚市に残るかつての炭鉱主の邸宅。九州、特に筑豊を中心とした福岡県下では石炭の採掘が明治から昭和中期にかけて一大産業として繁栄していた。中でも一大勢力を誇ったのが伊藤、麻生、貝島、安川の各家であるが、旧伊藤傳右エ門邸はそのうちの一つである伊藤家の本邸である。

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旧伊藤邸は伊藤家関係の会社の保養施設を経て現在は飯塚市が購入、整備の上公開している。平成18年には飯塚市の有形文化財に指定。写真は長屋門。もとは博多にあった別邸の門であったが、別邸が失火で焼失した後の昭和2年に本邸の門として移築された。

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博多の別邸は「銅(あかがね)御殿」と称される銅板葺の屋根を持つ豪壮な邸宅であったという。門からもその豪壮さが偲ばれる。なお大分県の別府にも銅御殿と称される伊藤家の別邸があったが、これも現存しない。

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正門右手には同じ飯塚の炭鉱主・麻生家の当主で元首相の麻生太郎氏の揮毫による表札があったが、この正月(平成23年)に何者かに盗まれ、今はない。(写真は平成21年の正月に撮影)

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長屋門をくぐると右手に見える客用玄関。昭和2年の長屋門移築に合わせて改築されたもの。煙突が突き立っている玄関左手は応接間で、大理石の暖炉やステンドグラスのある重厚な洋間である。

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客用玄関の左奥にひっそりと作られた内玄関。使用人等が日常使用するのはここと思われる。

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この屋敷の主・伊藤傳右エ門(1860~1947)は九州の炭鉱王の中でも、極貧の身から巨万の富を築き上げた立志伝中の人物。また歌人・柳原白蓮(子)(1885~1967)との再婚、その後の離婚でも知られる。

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応接間の窓。ダイヤ模様のステンドグラスがある。内部は撮影禁止の為お見せできない。

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明治30年代の建設と考えられる、伊藤邸でも最も当初からあった部分。まだ石炭王となる前の建物なので目を見張るような材料や造りは見られない。

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敷地内の附属建物もよく残る。納屋か何かか?

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土蔵の瓦には「伊」「藤」の文字。

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庭園からの全景。石炭王の邸宅の威容が伺える。右手の大屋根が日露戦争による石炭価格の高騰で得た富を注いだと思われる大広間部分で、左手の二階建て部分が明治44年に白蓮夫人を迎えるために増築した部分。

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白蓮の居室は二階にあり、いかにも女性向けの数寄屋風の座敷。他にも通常より低い造りの正面玄関の框や椅子式の食堂など、筑豊の地へはるばる東京からやってくる白蓮のために、傳右エ門が心を砕いたと思われる箇所が屋敷内にはいくつも見られる。

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なお、冒頭に記した博多と別府の銅御殿も白蓮のために建てられた(または増改築を加えた)ものである。

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この夫婦の顛末はよく知られるとおり、大正10年に白蓮による駆け落ち騒ぎ(いわゆる「白蓮事件」)で破綻を迎える。

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庭園内の石造の太鼓橋と茅葺の亭。上記白蓮事件を報じる当時の新聞記事に載せられた写真には、白蓮の背後にこの亭が写っているものがある。

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ユニークな造りの亭。内部から庭園を見る。

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旧伊藤傳右エ門邸は、大正時代の一大恋愛事件の舞台として見学に訪れる人が多い。

第227回・浅野川大橋

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金沢市の浅野川に架かる浅野川大橋は、金沢を代表する景色のひとつとして紹介されることも多い橋である。

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大正11年(1922)に現在の鉄筋コンクリート造3連アーチの橋になった。

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欄干はのちの改修で形を改めていたが、近年の改修で大正期の形態に復された。

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構造体及び3連アーチ周辺の装飾は大正期のままである。

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浅野川大橋は文禄年間に加賀藩初代藩主・前田利家によって架けられたとされる金沢でも由緒ある橋のひとつ。

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側面の装飾。

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主計町の茶屋街から浅野川大橋を望む。

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弊ブログで以前紹介した旧三田商店や旧高岡銀行金沢支店はこの橋のすぐ近所に建っている。

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夕景。

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平成12年には国登録有形文化財に認定されている。

第226回・旧山口銀行京都支店

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京都の金融街・烏丸通に面して建つ大正5年(1916)竣工の銀行建築。山口銀行京都支店として建てられ、のち北国銀行京都支店を経て、現在は銀行店舗としての役目を終え、飲食店等を含む複合施設として使われている。

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設計は辰野金吾が関西以西における建築設計の場とした辰野片岡設計事務所による。なお、辰野のパートナーであった片岡安は建築が本業ではあったものの後年実業界にも進出し、大阪商工会議所会頭も務めた人物である。

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赤煉瓦の外観だが、実は鉄筋コンクリート造でその上に赤い煉瓦タイルを貼ったものである。

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細部装飾が抽象化・幾何学化されており、大正初期の洋風建築における典型的な意匠傾向を示している。

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玄関周り以外は平坦な装飾の壁面。

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角には小さな銅板葺きの尖塔を設けるがその存在感は薄い。同じ辰野金吾設計で、弊ブログでもかつて取り上げた旧盛岡銀行本店や旧日本生命九州支店と比べるとその違いは一目瞭然である。

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この建物は当初山口銀行の京都支店として建てられた。山口銀行とは明治時代に大阪で山口吉郎兵衛によって設立された銀行で、現在もある地方銀行の山口銀行とは全く関係ない。

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山口銀行は昭和に入り同じ大阪府下に本店を持つ三十四銀行・鴻池銀行と合併し三和銀行となる。三和銀行は平成に入りUFJ銀行→三菱東京UFJ銀行となり現在に至る。

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烏丸通は京都の金融街として近年まで戦前までの重厚な銀行建築が多くあった。しかしここ十数年で悉く破壊され尽くされた。

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今もそのまま残るのはこの旧山口銀行だけと言ってもよい。

第225回・旧高取伊好邸

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佐賀県唐津市にある旧高取伊好邸は、明治末期から昭和初期にかけて造営された近代和風建築で国指定重要文化財。

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玄界灘を望む浜辺に建つ。

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正門。

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邸宅は能舞台を持つ大広間棟と居室、仏間等を含む居室棟から構成される。写真は大広間棟の大玄関。明治37年から38年(1904~05)の建設。

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唐破風のある大玄関は向かって右手に式台があり、大広間棟へ通じる。反対に向かって左側は居室棟への渡り廊下へ繋がっている。正面は御覧のとおり格子戸で仕切られており、その先は茶席のある中庭へ通じる。

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大玄関の照明器具。

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居室棟と大広間棟の中間に建つ洋館。大正7年(1918)の建設。

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モルタル洗い出しの外壁に目地を切った石造風の外観。

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高取伊好(1850~1927)は旧多久藩の儒者の子として生まれ、明治以降は鉱山技術者となり、のち唐津において炭鉱経営で成功した人物。

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洋館に続く居室棟全景。

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居室棟本玄関。

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内玄関。

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居室棟の一部、仏間外観。昭和初年の建設で本邸宅では最も新しい部分。

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内部の写真撮影が禁止されていたため、残念ながら外観しか紹介できない。
写真は高取伊好の書斎等がある居室棟平屋建の部分。

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この建物の二階からは玄界灘が一望できる。

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附属建物も非常によく当初のものが残されているのが旧高取邸の特徴。写真は別棟になった家族湯殿。使用人用の湯殿も現存する。

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一部煉瓦造りの貯蔵庫。地下にはワインセラーもある。

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現在は高取家から唐津市に寄贈され、修復後一般公開されている。

第224回・川家住宅(紫織庵)

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呉服関係の問屋が今も多い京都の新町通に建つ町家。大正15年(1926)室町の呉服商井上家の住まいとして建てられた。昭和40年から平成9年までは現所有者の川家の本宅兼迎賓館として使用、現在は建物と同時に着物の裏地や長襦袢を公開する美術館として公開している。京都市指定有形文化財。

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全景。表屋を置かない住居専用でかつ前面に塀を建てる形式の町家は、大塀造と称される。
塀の奥、敷地の前面には接客用の洋館と茶室、その奥に主屋、土蔵を配する。

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洋館。この部分は当時京都帝国大学建築学科主任教授の武田五一が設計に関与している。

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洋館の外観には3年前に完成した東京の帝国ホテルの影響が見られる。

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洋館の奥に写っているのが主人と客人専用の玄関、その奥には主人以外の家人が使う内玄関がある。また裏側には使用人等が使う玄関もある。

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主人と客人専用の玄関内部。

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玄関から洋館につながっている。

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洋館内部。家具調度類、照明器具等古いものがそのまま残っている。

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洋館から玄関側を見る。

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洋館内部の天井は和風の折上げ格天井。

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暖炉。隣のドアは来客専用の手洗いに通じている。

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暖炉は電熱式ストーブを組み込んだもの。

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洋館に隣接して茶室がある。茶室入口の天井は硝子天井になっている。

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茶室内部。

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主屋縁側から茶室と坪庭を見る。縁側に建てこまれた硝子戸は創建当初の波打ったものがそのまま残されている。

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主屋座敷。次の間との境にある欄間は、日本画家の竹内栖鳳が描いた東山を下絵に制作したもの。

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同上。床の間。

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主屋の奥には、もうひとつの坪庭をはさんで土蔵が2棟建っている。

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土蔵入口。現在土蔵は長襦袢等の展示室として使われている。

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主屋二階、土蔵に面した側に配された座敷。

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同上、欄間。蕪の図柄。

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上記座敷の反対側、即ち表通り側には御覧のような洋間がある。ピアノも置かれたサロン的な部屋。

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接客用の洋館とは別に、主屋の中にも別に洋間を設けるのは珍しい。この洋間も玄関脇の洋館同様、贅を凝らした内装が家具調度と合わせてよく残されている。

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この洋間にも暖炉がある。

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暖炉脇ステンドグラスの小窓。

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縁側との境目にはステンドグラスの入った欄間とカットガラスを嵌めこんだ両開きの硝子戸がある。

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欄間のステンドグラス。

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主屋二階縁側から見た茶室。

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同じく縁側から見た洋館屋上。縁側から屋上につながっており、ここから祇園祭の山鉾巡行が見られるように造られている。

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非常に密度の濃い内部空間を持つ京町家である。

第223回・静岡県庁本館

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前回取り上げた静岡市庁舎旧館の向かいに建つ静岡県庁舎本館。昭和12年(1937)竣工、設計コンペで当選した泰井武の原案をもとに、実施設計は静岡市庁舎と同じ中村與資平が行った。国登録有形文化財。

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駿府城の石垣と濠に囲まれる形で建っている。元々この場所には明治年間建設の赤煉瓦の旧庁舎があったが老朽・狭溢化のためこれを撤去して建設された。現在は両脇に高層の新館が建てられているが、今も本館として現役の県庁舎である。

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静岡市庁舎の玄関ポーチから見る県庁舎。

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中央には赤い瓦で葺いた方形屋根を載せる。洋風の躯体に和風の屋根を載せた帝冠式建築のひとつに数えられることもあるが、和風の表現は抽象的なもので左程違和感はないと思う。

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イスラム風ドームのある塔屋が強烈な存在感を放つ向かいの旧市庁舎に比べると地味ではあるが、重厚で穏やかな佇まい。

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但し、赤い屋根にクリーム色の外壁、と明るい色調の外観を持つ点は同じくクリーム色のタイル貼りの旧市庁舎と共通する。温暖な静岡の地にふさわしい。

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各窓毎にプランターが取り付けられている。

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正面玄関ポーチ。「静岡県庁」「静岡県議会」と正字体で表記されたブロンズ製の表札が掲げられている。

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正面見上げ。

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後ろに写る高層建築は両方共県庁舎の新館。

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本館はこれからもまだ現役である。

第222回・静岡市庁舎旧館

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現在は静岡市議会議事堂として使われている、イスラム風ドームが特徴的な静岡市役所旧館。昭和9年(1934)竣工。国登録有形文化財。

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設計は浜松出身で明治末から大正中期にかけ朝鮮半島、中国大陸を中心に活躍、昭和初期は故郷静岡県を始め東海地方各地に優れた建築を多数残した中村與資平(1880~1963)。弊ブログでは以前に旧浜松銀行協会(昭和5)を取り上げている。

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中村與資平の代表作とも言える建築。現在、県庁所在地における戦前建築の市庁舎で現存するのは名古屋、静岡、京都、鹿児島の4市だけであるが、その中でもずば抜けた最高の建築と言っても差し支え無い。

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イスラム風ドームを戴く塔屋をはじめ、建物の全体に施されたスペイン風意匠は施主である静岡市ではなく設計者の中村與資平の提案に基づくものであるという。

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一時左書きに改められていた「静岡市役所」の表記は改修に際してもとの右書きに戻されたようである。

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正面中央に市議会議事堂が配されている。

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外壁は象牙色のタイル貼りであるが、窓まわり等随所にテラコッタ製の装飾が施されている。

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ただし何よりも圧巻なのは台座から頂部まで全てテラコッタで出来た塔屋部分。ドーム部分はモザイクタイル貼り。

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静岡市庁舎の塔屋は「あおい塔」と称されている。

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「あおい」は静岡にゆかりの深い徳川家の紋章の葵による。

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この塔屋だけでも、設計者である中村與資平の造形力の高さが偲ばれる。初期の傑作としては朝鮮京城の朝鮮銀行本店(現在の旧韓国銀行本店旧館。基本設計は辰野金吾)があるが、後期における中村の最高傑作と思う。

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中庭側からみた塔屋。

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側面。L字型の平面で側面は4階建。

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正面玄関車寄せ正面。

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車寄せを側面から見る。

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車寄せ内側から。向かい側は旧駿府城、及び城の石垣に囲まれた昭和12年竣工の静岡県庁舎がある。県庁舎も中村が設計に関与しているが、残念ながら市庁舎程の存在感はない。県庁舎についてはまた改めて紹介させて頂く予定。

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玄関。

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濃厚な装飾が施されている。

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玄関天井詳細。

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玄関扉。扉の下部には静岡市章が装飾の一部として組み込まれている。

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玄関ホール。

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玄関ホールから階段室を見る。旧館は現在市議会議事堂の他、市民ギャラリーとして使われている。

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階段には珊瑚岩が用いられている。

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正面階段を側面より見る。

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正面階段と踊り場のステンドグラス。

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枠はアルミサッシに替えられているが、ステンドグラス自体は昭和九年の創建当初からのものと思われる。

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駿府城の濠に美しい塔屋を映している。
なお、城の石垣は昨年夏の地震で損傷したため修復中だった。

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同上、場所を変えて撮影。

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昭和戦前の官公庁舎としては間違いなく重要文化財級の名建築。登録文化財からの昇格が待たれる。

第221回・藤三旅館

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岩手県花巻市の郊外にある鉛温泉に建つ木造三階建ての旅館。昭和16~17年(1941~42)頃の建築。

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本館全景。藤三旅館は江戸末期、天保年間創業の老舗旅館。

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旅館部と湯治部から構成されており、湯治部では宿泊客が自炊を行う昔ながらの湯治が今も行われている数少ない宿である。

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客室。この客室は位置づけとしては中ぐらいと思われる。次の間、床脇付きの床の間を備えた客室もある他、湯治部の客室はより簡素で昔の木造アパートのような客室もある。

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縁側。

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裏は川に面しており、瀧もある。

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この客室も次の間がある。

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瓢箪があった。

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客室も趣があるが、非常に高い天井のある浴室もすばらしい。

第220回・富士ラビット

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京都駅に近い七条通に建つ。大正12年(1923)頃に、現在も続く京都の自動車販売業者・日光社の社屋として建てられた。国登録有形文化財。

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現在の名称「富士ラビット」の由来は、戦後はスクーター販売を中心としたことによるものという。なお「ラビット」は敗戦により航空機生産を占領軍から禁じられた中島飛行機(現在の富士重工業)が戦後間もなく生産・販売したスクーターの名前。

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近年改修を施され外観は旧状に復した。1階には和食のファーストフード店、2階は貸店舗、3階は所有者の住居になっている。

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構造は鉄筋コンクリートだが、壁面には煉瓦が用いられているとのこと。

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2階正面のブロンズ風レリーフ。実際はブロンズではなく漆喰にブロンズ調の着色を施したものらしい。

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戦前に建てられ現存する自動車販売店の店舗というのは、今のところ他に知らない。仮にあったとしてもこれほどしっかりした造りのものは無いと思われる。

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細部の装飾を始め、1階正面の照明等当初からと思われる部分がよく残されている。

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入口欄間にはタイヤをあしらったステンドグラスがある。

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タイヤのステンドグラスの両脇には、向かって右側に工場と荷物を満載したトラック、左側に郊外をドライブする自動車を描いたステンドグラスがある。いずれも創建当初からのものが残っている。

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自動車の形に時代が感じられる。

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なお、この建物が建ったと推測される大正12年は関東大震災が発生、東京市が麻痺状態に陥った市電に代わる急場の交通手段として米国製トラックを改造したバスを大量に導入したことから、日本を有望な市場と見たフォードとジェネラル・モータース(GM)がそれぞれ横浜と大阪に大規模量産工場を建設、昭和初年にかけ日本は最初の自動車激増期を迎え、一般庶民でもバスやタクシーによって自動車はかなり身近なものとなった。したがって大正12年は日本の自動車史において特筆される年でもある。

第219回・JR釜石線宮守川橋梁(めがね橋)

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岩手県遠野市宮守町にある昭和18年(1943)竣工のコンクリートアーチ橋。
土木学会選奨土木遺産。経済産業省認定近代化遺産。

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JR東日本釜石線と国道283号線が交差する位置にある。すぐ近くには、「道の駅みやもり」があり車で行く時は、ここに停めるとあとは徒歩で近寄れる。

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5連アーチで構成される形状から「めがね橋」の名称で親しまれている。

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JR釜石線の前身は大正4年に全線が開通した岩手軽便鉄道である。このときの橋脚がアーチ橋の脇に3基現存している。写真のものは根元しか残っていないが、1基はほぼ完全な形で残っている。

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アーチ橋橋脚のアップ。

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岩手軽便鉄道は当地出身の作家宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のモチーフになったとされており、宮守川橋梁は宮沢賢治ゆかりの場所として知られる。

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ただし宮沢賢治と直接関係があるのは橋脚のみ残る旧橋であり、アーチ橋は宮沢賢治の没後10年後に建てられており直接の関連は無い。

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手前の石の煙突のようなものが旧橋の橋脚。3基のうち、ほぼ完全な形で残っている。右手のアーチをくぐり抜けているのが国道283号線。

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直接の関係が有るか無いかの事実関係は別として、アーチ橋はその醸し出す幻想的な雰囲気から、見る人を宮沢賢治の童話世界へ誘う格好の役割を担っていると言える。

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近づいて見るとコンクリートの型枠に用いた板の跡を見ることができる。

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現在も現役の鉄道橋。アーチ橋の上を走る列車は格好の撮影対象になっている。
なお、ブログ管理人が行ったときは立ち去ろうとしたときに列車がやってきたため御覧のような写真しか撮れなかった。

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道の駅から望む宮守川橋梁。
現在、夜間ライトアップも行われている。
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