第308回・JR小樽駅舎

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JR小樽駅は、明治36年(1903)開業の小樽中央駅まで遡ることができる。現在の駅舎は昭和9年(1934)竣工。小樽市の歴史的建造物に指定、その後国登録有形文化財にもなっている。

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箱型で装飾を抑えた、典型的な昭和初期の国有鉄道駅舎のスタイルである。同時期の類例としては上野駅舎(昭和7)、神戸駅舎(昭和9)などがある。

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北海道では最古の鉄筋コンクリート造駅舎であるという。

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装飾的要素は正面の時計周りぐらいで、ほとんどない。

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時計周りアップ。

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二層吹き抜けの内部コンコース。

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同上、天井。

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駅舎と同様、歴史を感じさせるホーム。

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小樽は石原裕次郎が幼少期を過ごした場所なので、「裕次郎ホーム」なるものがあった。

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ここは観光用にあえて残しているが、こういう駅名表示板も最近は見かけなくなった。

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ホームの屋根周りは木造。

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夜はライトアップされている。
現在、駅舎は耐震補強を兼ねた大規模な改修工事の最中である。
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第307回・豊橋ハリストス正教会

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愛知県豊橋市にある豊橋ハリストス正教会は大正2年(1913)の建築。平成20年に国指定重要文化財に指定されている。

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豊橋ハリストス正教会は吉田城跡の横に建っている。以前取り上げた豊橋市公会堂は目と鼻の先にある。

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正式な名称は「豊橋ハリストス正教会聖使徒福音者馬太(マトフェイ)聖堂」。

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設計は日本ハリストス正教会の聖職者で建築家の河村伊蔵(1866~1940)。

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函館の観光名所としても有名な函館ハリストス正教会復活聖堂(大正5、国指定重要文化財)の設計で知られている。

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正面。函館は煉瓦造だが、豊橋は木造である。

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背面側から。

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葱坊主にも玉葱にも例えられる、ロシア正教特有のドーム飾り。

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形状そのものは玉葱に近いが、塔や屋根の頂きにあるという点で、玉葱より葱坊主に近いと思う。

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設計者は異なるが、京都ハリストス正教会(明治34、設計松室重光、京都市指定文化財)も、よく似た外観を持つ木造のロシア正教の聖堂である。

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戦災で市街の中心が焼けた豊橋において、豊橋市公会堂と共に残る数少ない近代建築である。

第306回・尾山神社神門

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金沢にある尾山神社は明治6年(1873)創建の神社。加賀藩の藩祖・前田利家を主祭神とする。
写真の神門は、創建2年後の明治8年(1875)に建てられた。

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昭和10年には、文部省により現行の重要文化財に相当する旧国宝の指定を受けている。戦前の段階で文化財指定を受けた近代洋風建築は長崎県の大浦天主堂(昭和8年旧国宝指定)と尾山神社神門のみである。

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昭和25年に現在の文化財保護法が制定されたことにより、重要文化財に移行して現在に至る。なお大浦天主堂は現行制度の下で改めて国宝に指定されている。

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神門を手掛けたのは津田吉之助。大工棟梁と発明家の二つの顔を持つ天才的な人物だったようである。

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門の向こうに見えるのは拝殿。神門以外はオーソドックスな伝統建築である。

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アーチ上部には前田家の家紋。

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洋風か中国風か和風か分からない、国籍不明の形をした建物である。

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竜宮城のような感じもする門である。

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建てたのは上述のとおり津田吉之助だが、設計はホルトマンというオランダ人と言われている。

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頂部には日本最古の避雷針が備え付けられている。

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最上層には色ガラスが嵌め込まれ、かつては内部に神灯を灯していた。神灯は日本海からも見ることが出来、灯台のような役割も果たしていたという。

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兼六園、金沢城などと並ぶ金沢のシンボル的存在である。

第305回・函嶺洞門・千歳橋

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正月の箱根駅伝のテレビ中継では必ず写る函嶺洞門。昭和6年(1931)に落石避けのためのシェルターとして建設された、この時代としては珍しいものである。土木学会の選奨土木遺産に選定されている。

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国道1号線、箱根湯本から塔ノ沢へ向かう途上に函嶺洞門は現れる。

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今日でこそ各地の道路で見られる落石避けのシェルターだが、昭和初期では極めて珍しいものと言える。この当時は自動車用道路の整備は極めて限られた一部の地域に限られていた。自動車がある程度走っていたのが東京、大阪等大都会周辺だけなのだから当然といえば当然であるが。

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箱根は明治初期から欧米人向けリゾート地として人気を博したのみならず、皇族を始めとする我が国の貴顕にも箱根は人気のある土地であった。したがって戦前から自動車の往来が盛んだったため、早くからこのような施設が整備されたものと思われる。

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土木学会ホームページによると、中国の王宮をイメージしたとされる正面入口廻り。
言われてみれば、タイル張りによる褐色の色調や緩やかなアーチの曲線は西洋風と言うより東洋風である印象は受ける。

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扁額は塗装によるもののようである。全体の凝った仕上げに対し扁額は些かお粗末な感じがする。
タイルは昭和初期の定番であるスクラッチタイル。

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上部には夥しい樹木が生い茂っている。

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アーチが連なる側面。

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川沿いにのみ歩道が設けられている。

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アーチの形状は正面と同じような形。

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「土木遺産」の文字。

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現在別ルートで新たなバイパスの建設が進められているようであるが、函嶺洞門は今後も引き続き使われそうである。

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函嶺洞門を挟む形で2つのコンクリート橋が架けられている。昭和8年(1933)架橋の旭橋と千歳橋。写真は上流・塔ノ沢側に懸かる千歳橋。

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旭橋と千歳橋は函嶺洞門とセットで土木学会の選奨土木遺産に選定されている。

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美しい曲線が特徴である。

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下流・湯本側に懸かる旭橋も同じ構造、同じ形式の橋だが旭橋の方が規模は大きい。

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橋の袂に設けられた照明は千歳橋は和風で、旭橋は洋風のものになっている。

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箱根を代表する土木遺産である。

(参考)
土木学会関東支部ホームページ

第304回・神戸朝日ビル(旧神戸証券取引所)

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神戸・旧居留地の北端に建つ神戸朝日ビルは、昭和9年(1934)建設の旧神戸証券取引所の外観を低層部に取り入れて平成6年に建てられた。一部旧建物の部材が再利用されていると思われるものの、れっきとした現代建築で弊ブログの趣旨からは些か外れる。しかし間接的ながらも残された旧建築の魅力は十分取り上げる価値があると思うので敢てここに紹介する次第である。

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旧神戸証券取引所の設計者は渡辺節。弊ブログで既に取り上げた日本綿業倶楽部会館岸和田自泉館の設計者である。また神戸市内に現存する同一設計者の建築としては同じく旧居留地南端、海岸通に建つ旧大阪商船神戸支店、住吉山手の旧乾新兵衛邸がある。

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渡辺節は関西を中心に活躍した建築家なので神戸にも建築作品を多く残している。また自らも御影に居を構えていた。現存しないが旧神戸海洋気象台(大正9)なども設計している。

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建設当初の姿は、以前旧チャータード銀行神戸支店の回で紹介した下記神戸市のホームページに載っている。
竣工当初の写真
神戸建築データバンク

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証券取引所として使われた時期は極めて短く、昭和9年に竣工してから戦時中に閉鎖されるまでのごく僅かな期間に過ぎなかった。戦後は米軍接収を経て映画館「朝日会館」として、神戸市民に長く親しまれる。なお戦後別の場所で再開した神戸証券取引所は昭和42年に廃止、大阪証券取引所に吸収されて消滅した。

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平成6年に改築された後は「神戸朝日ホール」として映画館としてだけではなく、各種催事ができるホールとして使われている。

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三角形の敷地に、正面壁面が扇形に広がる特異な外観。

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西側の大アーチが特徴的な玄関。

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玄関ホール内部。

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旧建物の内装を忠実に再現したのか、イメージ程度の再現なのかは不明。

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ベージュ色のタイルと黄褐色のテラコッタで構成される色彩は改築前と同じ。

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旧建築の部材を用いていると思われる正面付柱。

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同じく再利用と思われる西側玄関のアーチ飾り。

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上記で紹介した創建当初の写真を見ると、かつて正面中央上部には「神戸取引所」の文字が刻まれていたことが分かる。

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テラコッタで造られたバルコニー風装飾も旧建築の部材を再利用したものと思われる。

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旧神戸証券取引所の外観を再現した低層棟の上に、高層棟が載る形になっている。

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曲面を描く部分は旧建築では壁面であったが、現在は柱のみ残してビルのエントランスホールへの入口となっている。

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角型の列柱が連なる様は旧建築には無く、新建築で新しく造られた造形。

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往時の威容を今に伝えている。

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三宮側の路地から見た遠景。

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西洋古典様式で飾られた壁面がこれだけ大規模な扇形に広がる建物は他にない。建築家・渡辺節の西洋古典様式への精通に裏打ちされた大胆な造形力が生み出したすばらしい建物。

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これだけ優れた建物が、当初からのオリジナルで残されていないのは甚だ残念なことではあるが、高層化による間接的な保存としては上出来というべき出来栄えであると思う。

第303回・淀川旧分流施設(旧毛馬洗堰・旧毛馬第一閘門 他)

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淀川旧分流施設は、明治中期より内務省(現・国土交通省)によって進められた淀川改良工事の一環として建設された。現在は新しい施設に役目を譲り、淀川河川公園の一部として周囲を整備の上保存されている。平成19年に土木学会選奨土木遺産、大阪市指定有形文化財を経て平成20年に国指定重要文化財。

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保存されている施設は旧毛馬洗堰、旧毛馬第一閘門、旧毛馬第二閘門、淀川改修紀功碑、眼鏡橋である。
うち旧毛馬洗堰、旧毛馬第一閘門が重要文化財、旧毛馬第二閘門、淀川改修紀功碑が附(つけたり、指定文化財の価値を高めるものとして一体で保存すべきものとして扱われる)指定、眼鏡橋は未指定。写真は明治43年(1910)竣工の旧毛馬洗堰。

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淀川改良工事はそれまで度々大水害を起こしていた淀川に新たな放水路(新淀川)を造り、旧淀川から分流させて大阪市街及び大阪港における水害を防ぐことを目的とする、近代大阪における一大土木事業である。旧毛馬洗堰は旧淀川(大川)に流れ込む水量を調節するための施設として造られた。

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昭和49年に新しい水門が別の場所にできたため、周囲は埋め立てられているがかつてはここを水が流れていた。水門を閉じるときは上から角材を何本も落として塞いだという。

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よい撮影場所を得られなかったのでひどい写真だが、下流側からみた旧毛馬洗堰。上流側とは全く異なる形をしている。なお、かつては十門のゲートで構成されていたが、現在はそのうちの三門が保存されている。

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旧毛馬第一閘門。明治40年(1907)竣工。写真は上流側からの眺め。閘門は水位の異なる新淀川と旧淀川間の船舶の航行を可能とするために設けられた施設である。

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下流側からの眺め。淀川は古くより上流の伏見や京都との船による往来が盛んな交通の要衝であった。明治以降も、往来する船は従前の三十石船から西洋式の外輪船に変わったがまだまだ船運は盛んであった。しかしこれらの施設とほぼ同時期に当たる明治43年に京阪電気鉄道(京阪電車)が開通すると輸送の中心は鉄道に移行、以後船運は衰退する。

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煉瓦積みの壁体、夥しい数のリベットで固められた鋼アーチなど、明治期の土木構造物の特徴がよく現れた造形。

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現在はかつての川底まで降りて、真下から閘門を見上げることができる。なかなか迫力ある眺めである。

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煉瓦以外にも、随所に花崗岩が用いられている。

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工事の計画を中心になって進めたのは内務省技師の沖野忠雄(1854~1921)。明治から大正期の主要な河川・港湾事業に携わった人物で土木学会第二代会長も務めている。手掛けた仕事の中でも淀川改良工事及び大阪港築港事業は最も心血を注いだと言われる。旧毛馬洗堰横の土手には彼の銅像が建てられている。

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沖野忠雄の経歴と業績については下記ホームページが詳しい。
(社)日本埋立浚渫協会ホームページ「日本海洋偉人列伝」

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川底部分は遊歩道と芝生で整備され、格好の散策路である。

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写真が無いが、毛馬第二閘門は第一閘門から少し下流にあり、こちらは現在も水が張られ船溜まりとなっているようだ。

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旧毛馬第一閘門のすぐ横に建つ淀川改修紀功碑。明治43年頃の建設と考えられている。

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淀川改修工事の経緯が記された銅板が嵌め込まれている。

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バロック風の堂々たる石碑である。

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随所に黒ずみが目立つが、戦災を受けたのかとも思える。

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半円形のくし型状装飾は、ブロークンペジメントと呼ばれる西洋古典建築の装飾のひとつ。

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河川工事の記念碑なので水をイメージしたものと思われる波状の曲線装飾がある。水もあるが、この時代流行していたアールヌーボーの影響もあると思われる。

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淀川改修紀功碑から旧毛馬第一閘門を挟んで対岸にある眼鏡橋。新淀川工事の際生じる土砂を運び出すために開かれた長柄運河が、かつてこの橋の下を流れていた。この橋は文化財指定はされていない。

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今は運河は埋め立てられ、橋のみ残る。現在は公園の遊歩道の一部となっている。

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大正3年(1914)架橋、昭和55年(1980)改修。

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細部に改造はあるが、概ね当初の形を残している。

第302回・旧細川護立邸(和敬塾本館)

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東京・目白にある和敬塾本館は、元は肥後熊本藩主・細川家の16代当主・細川護立侯爵(1883~1970)が昭和11年(1936)に自邸として建てたものである。東京都指定有形文化財。

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昭和30年に男子学生寮 財団法人和敬塾が設立され、同年細川家は敷地及び邸宅を和敬塾に譲渡する。以後旧細川邸は寮生の教養講座等の活動の場として使用され、現在に至る。

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重厚な石積みの玄関。
設計は大森茂と臼井弥枝(ひろし)。大森茂は東京神田の明治大学旧校舎(現存しない)の設計者として知られる。
但し建築家独自ののデザインよりも、細川護立侯爵の趣味嗜好が色濃く反映された邸宅と言われている。

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玄関横の円窓に嵌め込まれたステンドグラス。
和敬塾本館は文化財として一般公開も行っており、事前申込制で見学も可能。
興味のある方は下記、和敬塾ホームページを御覧頂きたい。
和敬塾本館ホームページ

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写真撮影は内外共に自由だが、室内はブログ等への公開はしないようにとの事なので、恐縮ながら紹介は外観だけとさせて頂く。(上記ホームページでは内部写真が閲覧可能である)

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側面の通用口。

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庭園側からの眺め。

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窓の飾り格子。外観は全体的に装飾を抑えた、昭和期らしい洋館である。

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装飾は控え目だが決して単調な外観ではなく、とりわけ庭園側は屋根や窓など変化に富んだものである。

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半地階から屋根裏部屋まである。

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3連アーチのある部分は客間。石張りのテラスにつながっている。

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最も目をひく石積みの半円部分は1階が喫煙室、2階はサンルーム。

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近年施された大規模な修復工事で、創建当初の姿が甦っている。

第301回・旧村井吉兵衛別邸「長楽館」

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明治の煙草王・村井吉兵衛(1864~1926)が故郷京都に築いた絢爛豪華な別邸。現存する近代日本の洋風建築の中でもとりわけ華麗なインテリアを有する。京都市指定有形文化財。

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東山区円山公園に隣接して建つ旧村井家別邸。明治42年(1909)、米国人建築家ガーディナーの設計で竣工。鉄骨煉瓦造。当初二階建であったが大正4年に日本座敷で構成される3階を増築している。

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村井吉兵衛は明治時代にアメリカから導入した紙巻煙草が人気を博したことから、莫大な財を築き煙草王と称された人物である。日露戦争に伴う煙草販売の国有化によって煙草からは手を引くが、国から得た莫大な補償金を元に村井銀行等各種の事業に手を染め村井財閥を築き上げる。

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大正15年に村井吉兵衛没、翌昭和2年の金融恐慌で村井財閥は破綻、村井吉兵衛の人生と共に終焉を迎えた。
京都別邸も競売に掛けられる。第二次大戦後現所有者の手に渡り、ホテル兼レストランとして営業し現在に至る。

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旧村井家別邸部分の洋館は喫茶のみでの利用も可能。明治末期の洋風建築を気軽に鑑賞できる貴重な場所である。

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ルネサンス式の均整がとれていてかつ禁欲的な外観。

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正面。2~3階はクリーム色の煉瓦タイルを貼っている。

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設計者ガーディナーは宣教師で建築家である。同一設計者による建築物として、弊ブログでは旧内田定槌邸聖ヨハネ教会堂等(いずれも国指定重要文化財)が現存する。

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玄関入口には村井家の家紋をあしらった鉄製の飾り格子がある。内田定槌邸でも同様に家紋をあしらった玄関扉がある。

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重厚な玄関ホール。現在も冬場は暖炉で薪を燃やしている。

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玄関脇にあるロココ様式の客間。

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奥にある食堂。格式高い英国風の新古典様式で造られている。

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同じく一階の客室。

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階段室踊り場。半地下の撞球室につながる。

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中二階にある喫煙室。煙草王の館にふさはしく、建物の中央に設けられている。中国風を基調とする特異な部屋。

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喫煙室床。床はイスラム風タイルが敷き詰められている。

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階段室踊り場の喫煙室への出入り口。掲げられた扁額は伊藤博文の揮毫。「長楽館」の名称も伊藤博文によって名づけられた。

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どの部屋も非常に濃密な装飾が施されている。

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現存する日本の洋風建築の中でも極めて濃厚華麗なインテリアを有する。

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夫人室の暖炉。

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同上、夫人室天井。

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夫人室の出窓。東山の風景が広がる。

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3階への階段。

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階段親柱の装飾。

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大正に入って増築された3階は和室で構成される。

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3階座敷は桃山御殿風の豪壮な書院座敷及び数寄屋風座敷で構成される。残念ながら非公開。

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旧村井家京都別邸は華麗なインテリアもさながら、多数のステンドグラスで彩られている点も特色である。

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改装によって当初の配置とは異なるものが多いようだが、明治から昭和期のステンドグラスが多く残されている。

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第300回・旧名古屋控訴院(名古屋市市政資料館)

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現在名古屋市市政資料館として使われているこの建物はかつての旧名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所の合同庁舎であり、大正11年(1922)の建設から、昭和54年(1979)に裁判所が移転するまでの約60年間、中部地方における司法の中心であった。現在は市政資料館として無料で開放されている。国指定重要文化財。

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名古屋城の東側、白壁地区にある。この界隈は名古屋市内でも戦災を免れた数少ない地域で古い建物もよく残っている。既に紹介済みの旧川上貞奴・福澤桃介邸旧井元為三郎邸名古屋陶磁器会館はいずれも旧控訴院から程近い場所に建っている。

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設計は司法省技師の山下啓次郎と金刺森太郎が中心になって進められた。なお以前取り上げた埼玉県の日本赤十字社支部も同じ設計者コンビによるものと考えられている。

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市政資料館の展示の中には各地の控訴院庁舎の写真があり、いくつかここで紹介。
同じく山下・金刺コンビが設計の中心であった、今はない旧大阪控訴院(+大阪地方裁判所)。玄関まわりなどは名古屋と全くといってよいほど同じである。名古屋もすばらしい建物だが、塔をはじめ、全体の形は大阪の方が美しいと思う。また大阪は堂島川に美しい姿を映しロケーションも優れていた。これだけすばらしい建物がむざむざ壊されてしまったのは何とも情無い話である。

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やはり今はない東京控訴院庁舎。現存する司法省庁舎に隣接し、大審院・東京地方裁判所との合同庁舎として霞が関に建っていた。なお大審院・控訴院は旧帝国憲法下における司法機関で現在の高等裁判所及び最高裁判所に相当する。
昭和40年代末に大阪と同時に取り壊され、跡地には共に何の趣も風情もない裁判所の合同庁舎が建っている。

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和風意匠の旧広島控訴院。戦前の裁判所建築は、地方都市のものはなぜか和風が多い。長野県の旧松本地方裁判所や兵庫県の旧篠山地方裁判所が現存する。旧広島控訴院は昭和20年8月6日の米国による原爆投下で倒壊焼失。中にいた人々が庁舎と運命を共にしたことは言うまでもない。

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現存しない建物を並べても気が滅入るので、気分直しに今も名古屋と並んで健在の旧札幌控訴院庁舎。
現在は札幌市資料館として開放されている。国登録有形文化財。大正15年竣工。

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現存する旧控訴院庁舎は名古屋と札幌のみである。一部鉄筋コンクリート造の煉瓦造3階建。

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中央塔屋ドーム。平成元年に完工した修復工事の際、葺き直しされた銅版葺きのドーム屋根は約20年の歳月を経て経た歳月相応の緑青を吹いている。この手の歴史的建築の改修保存では薬品処理で緑青を人工的に作る事も多いが、自然風化によるものとはまるで異なる。それなりの事情もあるかも知れぬが余計な真似はしないで欲しい。

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背面。旧司法省庁舎等と比較すると大正期の建築らしく細部意匠は簡略化が進んでいることが分かる。

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背面中央部分。

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紅白にぎやかな壁面。

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玄関ポーチ。

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事件発生から半世紀を経て無罪判決を勝ち取った吉田岩窟王事件を始め、この建物は約60年間に亘り、様々な裁判の舞台となった。名古屋高等裁判所の移転後大阪、東京他の旧控訴院庁舎同様取り壊しの予定であったが保存運動が実を結び保存が決定、国指定重要文化財の指定を受け補強修復された。

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玄関をくぐると一直線に伸びる階段がある。

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2層吹き抜けの荘重な階段ホール。

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階段室のステンドグラス。

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ステンドグラスの図柄は裁判所にふさわしく天秤のモチーフ。

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大理石を多用した階段ホール。黒い円柱の上部は左官職人の細工で見事に作られた人造大理石で仕上げられている。

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曲面を描く階段ホールの天井。

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階段ホール天井のステンドグラス。

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階段ホール及び会議室がこの建物の内部では最も見どころである。

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会議室。裁判における重要な合議はこの部屋で行われた。家具は文化財指定後の修復に際し、現存する設計図面を基に忠実に復元された。

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右手の扉は、玄関ポーチ上部に設けられたバルコニーに出られるようになっている。

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旧名古屋控訴院庁舎の敷地内にはかつて大正12年公布、昭和3年施行の陪審法に伴い増築された陪審法廷をはじめ弁護士会館など複数の建物が増築されていたが、裁判所が移転し旧控訴院庁舎本館の保存が検討される前に増築部分はすべて取り壊されてしまった。わずかに陪審法廷の内装のみ旧控訴院庁舎内に移設保存されている。

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旧陪審法廷天井のステンドグラス。部屋の大きさが足りないので途中で切って無理やり嵌め込んだ形になっている。なお、陪審法廷として造られた法廷は名古屋の外京都、横浜の両裁判所が現存するが、名古屋と同様に本体は改築されインテリアのみ他所への移設という形での保存である。

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地階の被告人留置場。

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中庭に面した留置場の窓。

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中庭は華麗な外観と異なり殺風景なもの。

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夜はライトアップされる。旧名古屋控訴院は名古屋では現存する数少ない貴重な近代洋風建築である。

第299回・旧大西家住宅(レストハウスまきば)

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昭和8年(1933)に建てられたこの建物は、現在の神戸市西区に開かれた天王山牧場の事務所であると同時に、牧場主の住居でもあった。現在はレストランとして使われている。

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現在は牧場主の子孫が経営されるレストラン「レストハウスまきば」になっている。
レストハウスまきばホームページ

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この建物は平成22年に兵庫県より神戸・阪神間の洋風住宅「ひょうごの近代住宅100選」のひとつとして選定された。
ひょうごの近代住宅百選

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レストハウスまきばのホームページ、及び兵庫県の資料によれば昭和8年に本間乙彦設計で竣工した建物であるとの事である。本間乙彦は弊ブログでも取り上げた大阪の芝川ビルの設計者の一人として知られる。

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丸太と下見板貼りの外壁で構成される外観。屋根は創建当初杉皮葺きだったという。

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玄関。

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玄関土間の照明。

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2層吹き抜けになった内部。

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野趣溢れるインテリア。

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曲がりくねった木の枝で作った欄干がすばらしい。

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作り付けの棚。

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レストランとして改装されているが、建物の骨格は創建当初のままだという。

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隅々まで山小屋風の雰囲気をよく醸し出している。

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珍しい昭和初期のログハウスである。

第298回・旧チャータード銀行神戸支店

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明治末から昭和戦前の近代建築が残る神戸市の海岸通に面して建つ、旧チャータード銀行神戸支店。
昭和13年(1938)竣工で、海岸通の近代建築群の中では以前取り上げた神港ビルヂング(昭和14)に次いで新しい。

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チャータード銀行(現・スタンダードチャータード銀行)は、1853(嘉永6)年設立の英国の銀行で、日本では明治期より横浜と神戸に支店を出していた。

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この建物は旧外国人居留地の海岸通に面した一角に建っている。昭和13年に新築移転する前は同じ旧外国人居留地内でももっと北側の位置にあった。

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昭和13年以前のチャータード銀行の写真は以下に紹介する神戸市ホームページで見られる。
旧居留地をはじめ、戦前の神戸の写真が満載された非常に興味深いものである。
神戸美観地区写真集

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神戸の旧外国人居留地はその性格上、日本に返還された後も外国資本の事務所ビルが多く建っていた。
銀行もチャータード銀行の外、香港上海銀行、紐育ナショナルシティ銀行等が旧居留地内に店舗を構えていた。

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チャータード銀行が海岸通に新築した昭和13年は支那事変勃発の翌年であり、3年後には大東亜戦争に入り外国資本の経済活動は停止する。そして7年後には空襲で周囲は火の海と化す。

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戦後は銀行業務を再開するが、その後撤退。長らく古ぼけた空きビルとなっていた。
異人館街と並んで神戸のお洒落な一角として旧居留地が脚光を浴びるのは近年のことである。現在はテナントビルとして色々な店舗等が入居して盛んに利用されている。

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設計は大正年間に丸の内ビルディング等の施工者であった米国フラー社の技師として来日、その後定住して横浜を拠点に活動していた米国人建築家のJ・H・モーガン。施工は大倉土木(現・大成建設)。

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モーガンはチャータード銀行横浜支店も設計しているが、現存しない。

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阪神大震災での被害は軽微であった。

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隣の神港ビルヂングにもあるが、このビルも建築当時の回転ドアが現在も使われている。

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東隣は現在駐車場になっているが、古い門柱や石段が残っている。かつての商館の名残か。

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壁面全面に御影石を貼った重厚な南側正面。

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モルタル塗りの素気ない東側側面。

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現在では旧居留地及び海岸通に欠かせない建物のひとつである。

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西隣に建つ神港ビルヂングと。

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第297回・白雲洞茶苑

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箱根の強羅界隈は箱根登山鉄道の前身である小田原電気鉄道によって開発が行われた。その一角にある強羅公園内にある白雲洞茶苑は、大正5年(1916)に三井財閥の大番頭で、三井物産初代社長の益田孝(1848~1938)によって造営された。国登録有形文化財。

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強羅公園正門。現在、白雲洞茶苑は公園施設の一部として公開されている。
益田孝は鈍翁の号で茶人としても知られる。強羅地区の開発に多大な貢献を果たした益田孝の恩に報いるべく、茶席を設けるために強羅公園の一角にある眺めの良い土地が、小田原電気鉄道から益田孝に提供された。

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鈍翁・益田孝は、ここに茶席「白雲洞」「不染庵」「寄付」、岩風呂の「白鹿湯」から構成される山荘を造営する。

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大正11年に益田鈍翁はこの山荘を同じく実業家で茶人の原三溪(原富太郎 1868~1939)に譲渡する。原三溪は新たに座敷を増築、この座敷は益田によって「対字斎」と名付けられる。

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原三溪没後、昭和15年にやはり実業家で茶人・松永耳庵(松永安左ヱ門 1875~1971)が原家からこの山荘を譲り受け三代目の主となる。

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近代の邸宅建築を見るとき、茶の湯の存在を見逃すことは出来ない。茶の湯は、明治維新によって旧来の担い手であった大名や豪商の多くが没落したことから一時は衰退するが、明治中後期より益田孝などに代表される新興財界人によって再興する。彼等の多くは自邸に茶席をいくつも設け、白雲洞のような茶事のための住まいも設けるようになる。

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近代の邸宅建築は、洋風建築の導入と和風建築の興隆で成り立っていると言える。茶室建築はその和風建築の中でも大きな位置を占める存在である。

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山小屋のような建物は岩風呂「白鹿湯」

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浴槽は巨岩の一部をくりぬいた野趣あふれるもの。茶事のため迎えられた来客は先ずここで汗を流した。

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曲線を描く寄付の軒。

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田舎家のような風情を見せる白雲洞の縁先。

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白雲洞から寄付、白鹿湯へ至る縁側及び渡り廊下。

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傾斜地に建てられているため階段状になっている。

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不染庵内部。

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同上、床の間。

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不染庵軒下。

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同上、白雲洞を望む。

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白雲洞は近くの宮城野の古民家を数件買い取り、それらの部材から気に入ったものを選び出し再構築したという。

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二代目の主・原三溪によって建てられた対字斎。苑内唯一の二階建で眺望がもっともよい座敷だそうだ。

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現在は一般公開の傍ら、本来の用途である茶会等に使われている。

第296回・旧三井家札幌別邸(北海道知事公館)

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現在は北海道知事公館として使用されているこの洋館は、昭和11年(1936)建設の旧三井家札幌別邸である。現役の官公庁施設だが、敷地は一般に開放されており、建物も平日の日中でかつレセプション等の行事に使われていないときは無料で見学できる。

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札幌市の中心街の一角に広大な敷地を有する。北海道庁から徒歩十数分の位置にある。

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見学に際して頂いたパンフによると、知事公館となるまでの由来は以下の通りである。
明治8年(1875)…開拓大判官の松本十郎が旧鶴岡藩士族156名を札幌に招聘、原野を開墾し養蚕のための桑園が開かれる。
明治25年(1892)頃…桑園分譲、現在の敷地部分を開拓使を退官した森源三が購入、自邸を建て養蚕を始める。

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大正4年(1915)…三井合名会社が森家より敷地及び邸宅を購入、三井家別邸として使い始める。
昭和11年(1936)…既存の建物に隣接して、現在残る洋館を新館として建設。

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昭和28年(1952)…敗戦後の米軍接収期間を経て、所有が三井家から札幌市を経て北海道に移る。同年旧館(旧森邸)は取り壊され新館は知事公館として使用、現在に至る。

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平成11年(1999)…国登録有形文化財となる。

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英国風のチューダーゴシックスタイルを取る洋館である。外壁に柱を見せるチューダーの洋館は我が国に多いが、柱部分を赤く塗っているのは珍しい。同じように赤く塗られた建物として筆者が知るところでは広島県因島の白滝山荘、三重県津の旧川喜田久太夫邸などがあるが、普通は茶系統の色が多い。

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半円形の石敷きテラスの先に広がる広大な芝生。敷地内には開拓前の面影を残す、湧水が流れる小川もある。

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とにかく広い。

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正面玄関側から見た外観。

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鉄筋コンクリート及び木造二階建、屋根は銅版葺き。

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正面外観を最も印象付ける玄関上部のベイウインドウ。

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玄関入口。尖頭アーチがゴシックスタイルの特徴。アルミサッシの扉は無論後付け。

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玄関ホール。

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1階は玄関ホールを挟んで向かって左手に応接間、右手に控室と食堂がある。写真は応接間。
昭和初期の建築らしく、内装は全体的にモダンでシンプル。それでいて財閥の館にふさわしく、材料は一級品を用いている。

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食堂。

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食堂暖炉。西洋館の定石通り食堂を最も重厚に仕上げている。

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外の芝生に面した位置にある食堂の窓。

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階段室。

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階段室踊り場。

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階段室のシャンデリア。

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階段室は二階応接室に続いている。最も内部では見ごたえがあるのはこの辺り。

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二階応接室と階段室の間に設けられた通路。

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二階応接室。正面外観のベイウインドウのある部分の内側である。

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二階応接室シャンデリア。

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障子を思わせる、階段側通路との硝子戸で出来た仕切り。

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二階応接室暖炉脇照明。旧三井家札幌別邸の照明器具は、確証は無いが見た感じ当初のものと思われるものが多い。

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二階応接室暖炉。

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応接室以外の二階の部屋は、かつての寝室等プライベートな空間と思われ、暖炉も至ってシンプルである。

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旧財閥家でも札幌に別邸を設けているのは三井家だけである。詳細な経緯は不明だが、北海道には前々回取り上げた夕張鹿鳴館を建てた北海道炭礦汽船など、三井財閥傘下の企業がある関係上三井家関係者等が札幌を訪れる事も多くあり、そのため別邸を設ける必要があったのではないかと個人的には考えている。

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現存する近代日本の歴史的遺産(台湾など旧日本領土も含む)を建造物・土木構造物を中心に、思いつくままに取り上げております。

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