第328回・栃木病院

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「蔵の街」として知られる栃木県栃木市は、関東地方でも埼玉県の川越、千葉県の佐原等と並び古い街並みがよく残る町である。そのような町には例外なく質の高い近代洋風建築もある。栃木市の場合、筆頭に挙げてよいのが栃木病院であろう。大正2年(1913)の建築で、国登録有形文化財。

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外壁の意匠と屋根は極めて変化に富んだものである。欧州の木造建築に多いハーフティンバースタイルの洋館である。

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ハーフティンバーの洋館は明治末期から昭和戦前にかけて多く建てられた。栃木病院以外で現存する他のすぐれたハーフティンバーの洋館としては愛知県半田市の旧中埜家別邸、広島県呉市の旧呉鎮守府長官官舎、福岡県北九州市の旧松本家住宅などが代表的。

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栃木病院も細部にわたって濃密な意匠を持つ。

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建築に際しては当時の院長が、横浜の建築家に依頼したとも、市内に現存する栃木高校旧講堂の設計者に依頼したとも言われるが定かではない、とのことである。

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尖塔を備える。壁面も曲線を持った柱や、柱に塗られた明るいパステル調の色彩など、ロマンチックな雰囲気が漂う洋館である。

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正面は吹き放しのベランダを備える。下層には玄関と受付が設けられている。

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屋根の形も尖塔、寄棟、切妻、入母屋など様々な形が一つの建物に凝縮されている。

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換気口にも、大谷石と煉瓦片と飾り金物による凝ったデザインがみられる。

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栃木病院は今も現役の医院である。

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随所に生活感がただよう。建物そのものは残っていても、当初からの用途で今もそのまま現役の建物は、なかなかお目に懸かれるものではない、貴重なものである。

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「電話五七番」という古い電話番号の表示が今も残されている。戦前か戦後間もない頃のものと思われる。

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周囲の石の柵も風情がある。

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棕櫚は洋館によく似合う。

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背面。

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これまで映画やドラマのロケ地として度々使われているらしい。

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遠景。左手には土蔵付きの古い和風住宅、右手にはもとの畑跡に建てたと思しき真新しい建売住宅。
唐突に洋館が住宅街に現れるところは大阪・堺の是枝医院を連想させる。

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栃木病院の尖塔は周囲の住宅街からもよく目立つ。

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文化庁が運営する「文化遺産オンライン」の文化遺産データベースで栃木病院を検索すると室内の写真が(一室の天井だけだが)見ることができる。外観同様内部も見事なもののようである。

文化遺産オンライン
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第327回・旧妹尾銀行津山東支店(旧中国銀行津山東支店、旧津山洋学資料館)

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岡山県津山市に建つ異形の銀行建築。大正9年(1920)に津山に本店を置く妹尾銀行の津山東支店として建てられた。津山市指定重要文化財。なお、旧妹尾銀行の店舗は、他に旧林野支店が現存する。

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全景。旧妹尾銀行は周囲に古い家並みがよく残る出雲街道に面して建っている。津山市は戦災を免れ、現在も古い街並みがよく残されている。

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寺院としか思えない外観。昭和48年まで中国銀行の店舗として使われていたが、中国銀行から建物の寄贈を受けた津山市によって昭和53年に津山洋学資料館として整備公開される。しかし平成22年に同資料館は他所に新築移転、現在は公開されていない模様。

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本館の背後には石造と煉瓦造の倉庫がある。金庫や文書庫として使われていたものと思われる。

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純洋風の旧林野支店とは対照的に和風の外観。但し赤煉瓦の門柱・塀や屋根を葺く天然スレート葺など洋風要素もある。
内部も、吹き抜けの格天井や壁、床に至るまで凝った造作が施され見ごたえがあるものらしい。

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建てられた当時は、寺院と間違えて賽銭を投げたり、門前で手を合わせる者もいたという。

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建物は超一流の材木を惜しげもなく使い、内外共に技巧の限りを尽くしている。妹尾銀行の頭取は普請道楽の気があったと見え、工事を請け負った棟梁に注文を付け過ぎた結果、嫌気がさして投げ出されてしまったと伝わる。

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現在は閉鎖中のようだが、新たな活用方法を模索中と思われる。
そのときは右手前の駐車場に改造された部分をもとの赤煉瓦の柵に戻して欲しい。

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裏から。

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煉瓦塀と煉瓦倉庫。

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煉瓦倉庫の入口。

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公開再開が早く望まれる。

第326回・旧福富家住宅(出石史料館)

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兵庫県豊岡市出石にある出石史料館は、明治9年(1876)に当地を襲った大火の後間もなく建てなおされたと考えられる町家建築。豊岡市指定文化財。

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生糸を商う豪商であった福富家の住居として、京都から職人を呼び寄せ、贅を尽くして建てられたという。

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接客用の離れへ直接通じる門が母屋の脇にある。

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門の奥には、庭越しに専用の玄関を備えた離れが建っている。

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母屋正面。一階格子の一部が卍崩しになっている。

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母屋内部。土間。

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土間にある流しと奥に写るのはへっつい(カマド)。建物は創建当初に比べると縮小されており、かつては台所の規模ももっと大きなものであったという。

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囲炉裏と神棚のある茶の間。

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贅を尽くした造りの神棚。

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奥座敷から表を望む。

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奥座敷。

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裏庭に面した、湯殿及び便所への通路。

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母屋から離れへ至る畳敷きの渡り廊下。

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母屋二階座敷の床の間。

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離れは数寄屋風の凝った造作が随所に見られる。

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いかにも明治調の古風な置時計がある。

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一畳分の小空間だが棚や飾り窓など、豊かな意匠をもつ部分。

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円形の炉がある。湯を沸かす場所、即ち茶を点てるための茶席的な場所か。

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同じ座敷にある千鳥の釘隠し。千鳥というよりは太めの鳩サブレーという感じもしないではない。

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隣の座敷の床の間。写真の部屋ではないが、昭和15年帝国議会における反軍演説で知られる出石出身の政治家・斎藤隆夫(1870~1949)の書も、この離れの床の間に掛けられている。

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書院窓。建具も凝ったものだ。

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鳳凰かニワトリか、いずれにしてもあまり威厳のない意匠の釘隠し。

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離れ二階座敷の床の間。

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離れ縁側。創建当初からかどうかは分からないが、当時としては貴重な硝子戸をふんだんに用いている。

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現在は但馬の小京都・出石を代表する歴史的建造物のひとつとして公開されると同時に、出石の歴史資料が数多く展示されている。

第325回・旧仁科家住宅(都留市商家資料館)

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山梨県都留市にある、大正中期に絹問屋として建てられた商家。当地はかつて甲斐絹と呼ばれる絹織物の産地として栄えたところである。

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大正5年(1916)に建築着手、5年後の大正10年(1921)の完成。絹問屋を営むと同時に谷村町議(当時この地は山梨県南都留郡谷村町)も務めていた仁科源太郎によって建てられた。二階建の土蔵造。

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母屋の背後には土蔵が三棟ある。

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土蔵は現在も仁科家の所有のようである。痛みが激しいのが気になる。

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母屋は都留市に寄贈され、現在は市が所有。平成5年には都留市有形文化財に指定。

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雨戸には金属板が貼られ、防火防犯を重視した商家ならではの造り。

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都留市商家資料館として公開されている。

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帳場内部。土間と上り框。この建物と同時期に建設された埼玉県川口市の旧田中徳兵衛邸は煉瓦造の外観を持つ洋館だが、内部には同じような帳場を備えている。比較するのも興味深い。

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おそらくこれが、江戸時代以来の伝統的な商家の帳場の造りであろう。材木は良材をふんだんに用い、建具は材料細工共に凝ったものである。

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帳場の奥にある、接待用と思われる座敷。欄間や付け書院の細工の細かさはものすごい。

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建具の細工を拡大。

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同じく帳場の奥で、座敷の横には茶の間を挟んで洋式の仏間と応接間がある。

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縁側との仕切りに嵌め込まれた仏間の窓。様々な種類の型押し硝子が用いられている。下段の硝子は、前回の旧甲府商工会議所と同じものである。

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仏間。床は市松模様の寄木張り。仏壇は当家の主人が菩提寺の住職と京都へ出向いて購入したものであるという。

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仏間と応接間の境のドア。大正期の建築らしく象嵌細工による平坦な装飾が特徴。

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応接間。当家で扱う絹織物の売り込み先は当時は日本領であった朝鮮半島・台湾、そして大連・天津等中国大陸の諸都市など海外に及んでいた。洋式応接間の存在は建築主の商圏の広さも影響しているのでないかと考えられている。

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応接間の天井。金属板をプレスし装飾を打ち出した部分と漆喰塗りの部分で構成されている。照明は金属板部分の内側に設えた間接照明である。

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天井中央の金属板製飾り。換気口も兼ねているものと思われる。

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部屋の隅、仏間へのドア横に設けられた暖炉。直線を強調したセセッション風というべきか。

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仏間側からみた暖炉。二部屋同時に暖が取れるよう造られているユニークなもの。

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応接間の出窓。

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仏間の窓と同様、型押し硝子が用いられている。

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出窓は外部に面していない。建物の正面向かって右側に専用の出入り口があり、そこを入ると目の前にこの出窓が現れる。

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中庭からみた母屋。二階には洋風意匠の金属製手摺りがある。

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二階座敷から望む土蔵。手前には離れになった便所、その奥には湯殿がある。

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便所は洋館風の外観。

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母屋とは短い渡り廊下で結ばれている。

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便所横の装飾柱。用途は不明。

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縁側の硝子障子越しにみる中庭。

第324回・甲府法人会館(旧甲府商工会議所)

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甲府における初期の鉄筋コンクリート建築。大正15年(1926)竣工。山梨県における登録有形文化財認定第1号である。

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大正12年の関東大震災の経験を踏まえて設計施工された極めて堅牢な建築。近年の耐震診断でもマグニチュード8級の地震でも耐えられるとのお墨付きという代物。

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元々は甲府商工会議所として建てられたが、商工会議所移転後は甲府法人会の所有となり、現在に至る。

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甲府市は大東亜戦争(太平洋戦争)に際し、米軍の空襲で市街の大半を焼失した。旧甲府商工会議所は旧山梨県庁舎等と並び、戦災をくぐり抜けた数少ない建築のひとつである。戦後一時期は焼け出された周辺住民が館内に仮住まいして、煮炊きの煙で天井が煤だらけになった部屋もあるという。

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現在は、甲府法人会所有のテナントビルとして使われているが、希望者には建物を公開している。
甲府法人会ホームページ

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随所にステンドグラスが嵌め込まれているが、後述の部分を除き、後年の改修に際して新たに嵌め込まれたものであるそうだ。

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人造石仕上げの外壁は改修に際し、創建当初と同じ仕様で再現されたものであるとの事である。

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正面。

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玄関まわり。

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玄関内部。腰壁の人造大理石や建具、照明器具などは創建当初のもの。

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正面玄関の扉建具。

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上記建具を始め、館内の随所に用いられている硝子。戦前の建築でよく見られる型押し硝子である。

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一階から二階への階段手すり。人造大理石で重厚に飾られている。右手に写る木製の手摺りは近年の改修で新たに設けられたもの。登録有形文化財であるため、教育委員会に手摺りの形状について事前承認を取って制作したものであるとのこと。

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二階階段室。狭い感覚で張り巡らされた梁や柱が堅牢さを印象付ける。

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二階から三階へ至る階段室。上述のとおりステンドグラスは後補。

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三階ホールの天井はステンドグラスを張り巡らせている。甲府では最初に造られたホールであるという。

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改修前、天井のステンドグラスは後補の天井板によって塞がれていたが、日本建築学会会長も務めた建築家の清家清(1918~2005)の進言により、創建当初の形状への復原が進められたという。なおこのときは内装だけでなく、外観も創建当初の形態に最大限の復原が図られている。

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天井の色ガラスは、色の淡い部分は修復によって新たに嵌め込まれたものだが、それ以外は大正15年の創建当初そのままであるという。

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この建物は外観の人造石仕上げをはじめ、窓のスチールサッシまで大正末期の形状を保全している。保存改修を進言した側についてはもはや言うまでもないが、それを実施した所有者の英断はいくら評価しても足りないことは無い。

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天井天窓周辺の装飾。卍崩しの東洋趣味の装飾が施されている。
建物の設計・施工は山梨県建築士会初代会長を務めた内藤半二郎。山梨市の根津嘉一郎生家を設計した人物でもあるとの事である。

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舞台袖の照明器具を嵌め込んだ付柱も東洋的意匠を施している。

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暖炉のある三階の部屋。

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暖炉金物にはハートがあしらわれている。

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希望者には平日に館内を公開している。上記甲府法人会ホームページを参照頂きたい。

※今回、突然の訪問に快く応対頂き、様々な貴重なお話も聞かせて頂いた甲府法人会の方々に心より御礼申し上げます。

第323回・旧野田商誘銀行本店(千秋社)

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千葉県野田市は東日本における最大の醤油生産地である。野田の醤油醸造は江戸時代に遡り、また市街地は戦災を受けなかったため、醤油醸造に関係する歴史的遺産も多い。この建物もそのひとつである。

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大正15年(1926)に野田商誘銀行本店として建てられた。

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野田商誘(しょうゆう)銀行は、醤油醸造家達の出資で明治33年に設立された。昭和19年に戦時下の国策で千葉銀行に営業を譲渡した後、建物は千葉銀行野田支店として昭和44年まで使用される。

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現在は、野田に本社を置く醤油メーカー・キッコーマンの系列会社である(株)千秋社の社屋として使用されている。なお銀行の名称は言うまでもなく、醤油との語呂合わせである。

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玄関上部の装飾。

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中央上部の装飾。

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玄関。建物の設計者は不詳。

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玄関脇には、経済産業省による近代化産業遺産認定のプレートが貼りつけられている。なお近代化産業遺産に認定されているのは旧野田商誘銀行だけではなく、これを含む一連の野田市に現存する醸造関連遺産である。

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(参考)
経済産業省 近代化産業遺産
近代化産業遺産一覧野田市の醸造関連遺産については、58-60頁参照。

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正面外壁の大部分は石貼りだが、窓下や軒など正面の一部、及び側面の大半は同系色のモルタル塗り。

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腰と入口周りのみ石を貼りつけている。

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正面よりは簡素だが、側面入口にも装飾が施されている。

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背面。

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この建物の最大の特徴は、外壁に貼られた黄色い石である。大阪の住友本館旧岸本吉左衛門邸に用いられている竜山石(たつやまいし)と色調が似ているが、竜山石よりも軟らかそうなので別種の石と思う。

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何処の何という石か知らないが、この石材を用いたことが建物を魅力的なものにしている。

第322回・旧東山梨郡役所

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明治18年(1885)に、東山梨郡役所として山梨県東山梨郡日下部村(現山梨県山梨市)に建てられた。
昭和39年に解体、翌40年に明治村へ移築。明治村では最初期の移築建物のひとつ。国指定重要文化財。

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以前取り上げた甲府市の旧睦沢学校と同様、明治初期に当時の県令・藤村紫朗によって建設が推進された、山梨県下における初期洋風建築のひとつである。

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全体として見れば左右対称の構成だが、翼部だけを見ると変な柱の配置。

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背面。ベランダは正面にだけ設けている。

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ベランダの天井を網状に仕上げるのも、先述の旧睦沢学校をはじめ、この時期の洋風建築に広く見られる特徴である。

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入母屋造の屋根に白壁、正面に巡らせたベランダなど、明治初期の内務省系官庁建築の特徴を備えている。東京大手町にあった旧内務省庁舎(大正12年に関東大震災で焼失)、旧三重県庁舎(旧東山梨郡役所と同様に明治村に移築、現存)等も同様な形をしている。

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いわゆる擬洋風建築と称される、初期洋風建築特有の奇妙な形の柱。

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ファンライト(半円形欄間)を持つ正面玄関入口。

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2階内部。1室の大広間になっているが、当初からの間取りか移築後に改めたのかは不明。

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天井照明台座の漆喰細工は伝統的な花鳥風月のモチーフ。

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2階正面窓からの眺め。

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2階ベランダ。

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村長室はここに置かれており、明治村の中心的建築物と言える。
なお、東山梨郡は平成17年、最後の構成自治体であった勝沼町と大和村が合併により郡を離脱したため消滅した。

第321回・旧鴻池銀行七条支店

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明治以降、京都の金融街は当初は三条通、その後烏丸通へ移って現在に至るが、京都駅に近い七条通にも戦前は小規模ながら金融機関の店舗が軒を連ねていた。旧鴻池銀行七条支店はそのひとつ。昭和2年(1927)築。

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設計は大倉三郎(1900~1983)。京都出身の建築家で、戦後は京都工芸繊維大学、西日本工業大学の学長も務めた人物。

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鴻池銀行は江戸時代における大阪の豪商・鴻池家が明治に入って興した銀行である。昭和11年に、大阪の中堅銀行3行が合併、三和銀行が誕生するがその3行のうちのひとつが鴻池銀行であった。(他2行は三十四銀行、山口銀行)

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三和銀行は近年のめまぐるしい金融機関の合併再編を経て、三菱東京UFJ銀行の前身のひとつとなって現在に至る。

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旧鴻池銀行の店舗は近年まで大阪今橋の本店、広島支店がそれぞれ現存していたが、今は共にない。
なお、旧広島支店は昭和20年に米国により原爆が投下された際は大林組広島支店として使われており、被爆建物としても知られていた。

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旧七条支店の建物は金融機関の店舗としての役目を終えた後は仏具店に代わり、近年まで外壁が仏壇の如く黒く塗られていた。

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現在はフレンチレストラン兼結婚式場に代わり、外壁もクリーム色に塗りなおされている。
現在のテナントのホームページ

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玄関脇柱の持ち送り装飾。

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この建物のすぐ近くには、以前取り上げた富士ラビットが建っている。

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また東西両本願寺も近く、東本願寺前噴水西本願寺伝道院も近い。

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七条界隈は他に比べると小規模で地味ではあるが、京都における近代建築が集積された地域のひとつであると言える。

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第320回・旧北海道庁立図書館(北海道立文書館分館)

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大正15年(1926)に北海道庁の図書館として建てられた。現在は北海道立文書館分館として使われている。

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大正13年に摂政(天皇の公務を皇太子が代行するときの称号。即ちのちの昭和天皇)行啓を記念して建設が決定、2年後に完成した。

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床など一部が鉄筋コンクリート構造である点を除けば、煉瓦造の白色タイル貼り仕上げの地階付き2階建。

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背面。左手は書庫棟なので天井を低くし、5階建になっている。

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角地に塔屋を設け、その下に玄関を設ける。

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2層にまたがって伸びる円柱(ジャイアントオーダー)。

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デザインは大正期の建築によくみられるセセッション・スタイル。平面的で幾何学的な装飾が特徴。

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札幌に残る近代建築では、明治期を代表するものとしては旧北海道庁、時計台、豊平館等があるが、旧道庁図書館は旧札幌控訴院と並び、札幌における大正建築の代表格と言える。

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北海道立文書館の本館は先述の旧北海道庁、所謂赤煉瓦庁舎の中に本館があり、こちらは一般に公開されている。
それに対して分館は書庫的な扱いと思われ、一般には非公開。

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いかにも幾何学的な玄関。

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裏玄関。金属製の持ち送りもセセッション風。

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札幌の質の高い大正建築のひとつとして、もっと積極的な活用が望まれる。

第319回・大棟山美術博物館(旧村山家住宅)

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寺院の門前ではない。越後の豪農の館である。
新潟県十日町市にある旧村山家住宅は、現在大棟山美術博物館として、一般公開されている。

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杉並木に囲まれ、苔むした石畳の先に建つ門。

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門をくぐると豪壮な母屋が見えてくる。

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母屋正面。平成元年に当時の31代目村山家当主が屋敷を博物館として公開、現在に至る。
作家・坂口安吾(1906~1955)は村山家の縁戚に当たり、当家にも度々訪れ逗留していたという。

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一部は洋風に改造されている。戦前期の改造と思われる。

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訪れたときは雪の時期を目前にした頃だったので、一階は雪囲いで覆われていた。

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越後の豪農の館にふさわしい豪快な切妻屋根とはいささかチグハグな感のある入母屋屋根を持つ玄関。洋風部分同様後の改造と思われる。地方の旧家へ行くと、江戸期以来の古い母屋に近代以降、数寄屋風の座敷や洋館を次々と増築、あるいは改装を施した家にしばしば出くわす。弊ブログでも以前このような家を取り上げたことがある。

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玄関内部。

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茶の間。

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数寄屋風の一階座敷。

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一階廊下の欄間に嵌め込まれていた絵入り砂摺り硝子。摺り硝子の技法で模様を施したもので、明治~大正期の建物にしばしば見られる。弊ブログで取り上げた建物では、大阪の泉布観、神戸の旧ハッサム邸、東京の旧高橋是清邸、埼玉・川口の旧田中邸にあった。

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京町家などによく見られる箱階段。

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箱階段から二階を望む。階段横の部屋の出入り口はかなり強引に作った感がある。

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二階座敷。材料意匠共に凝ったもの。この家は古い母屋を近代以降、先程言及した京都・丹後の旧尾藤家のように増築ではなく、様々な改造を母屋に加えている事例である。

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同上、欄間の建具。

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卍崩しの高欄を廻した二階縁側。

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色硝子を嵌め込んだ窓もある。色硝子を用いるのは明治初期の文明開化趣味である。金沢の尾山神社神門や、長野・松本の旧開智学校など、この時期の建物によく見られる。

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洋風に改造されていた部分の内部。洋間ではあるが意匠は和風。

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お洒落なな洋風家具もあった。茶卓子。

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二階、上記で紹介した部屋とは別の座敷の天井。

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3月の震災で一時閉館していたものの、9月より再開したようである。

十日町市観光協会ホームページ
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