第342回・ホテルニューグランド

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横浜を代表する老舗ホテル・ホテルニューグランド。
昭和2年(1927)開業当初の建物が現在も現役のクラシックホテル。

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山下公園から望む全景。ホテルニューグランドは横浜港に面した海岸通りに建っている。
設計は東京国立博物館、服部時計店(銀座和光)、日本劇場等の設計で知られる渡辺仁(1887~1973)。

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戦後の増築で外壁のほとんどが隠されてしまっているが、昭和8年には屋上に増築工事が行われており、軒下にはモザイクタイルと思われる装飾が施されている。このときの増築工事は日本在住の米国人建築家J・H・モーガン(1873~1937)が設計を行っている。なお渡辺とモーガンは大正11年に、戦前の日本を代表する政党のひとつであった立憲政友会の本部ビル(東京、現存しない)の設計を行っている。

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ホテルニューグランド開業の経緯は大正12年9月1日の関東大震災に始まる。
関東大震災では横浜の被害は激甚で、街は文字通り壊滅する。震災まで海岸通りに建ち、開港以来横浜を代表するホテルであったグランドホテルも瞬時に崩壊、従業員・宿泊客多数が死亡する惨事となった。

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グランドホテルは廃業・消滅するが、それに代わる横浜を代表するホテルとして横浜の政財界と市民が一致して新たに興したのがホテルニューグランドである。震災から4年後の昭和2年、横浜における震災復興の象徴として開業する。

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隣接して高層の新館が平成4年に完成、ホテルとしての中心は新館に移ったが、旧館も客室及び宴会場等として今も現役である。

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丸みを帯びたコーナー部分の外壁には「AD1927」と開業年をあしらった装飾がある。

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控えめで穏やかな印象の外観。

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横浜港を正面に望む玄関。

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玄関の門灯。

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玄関を入ると目の前にタイルで包まれた華麗な大階段が現れ、ロビーとフロント(現在はフロントは新館に移転)へ客を導く。

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階段を登るとエレベーターと旧フロント跡がある。上部の大アーチには天女の綴れ織りが開業当初からそのまま残る。

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階段周りを取り巻くロビー。段差を設けることでロビーの空間を街路から切り離すと同時に、前に広がる横浜港の眺望を得るという設計手法はこの建物の優れた点のひとつとして、現在も高く評価されている。

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天井と梁に施された漆喰飾り。

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寺院の釣り灯篭を思わせるロビーの照明。館内は随所に東洋的装飾が施されている。

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現在、床はカーペットが敷き詰められているが、当初はタイル張りであったという。

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ロビーから旧大食堂の方向を望む。突き当たり扉の向こうにあるのが旧大食堂で、現在は宴会専用室「フェニックスルーム」となっており、結婚披露宴の会場等に使われている。

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上記写真から反対方向を望むと明るく軽やかな雰囲気とは一変、重厚な空間が広がる。ロビーは中央の階段を境に対照的な二種類のインテリアで構成されている。

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ロビーに配された重厚な家具は、全て横浜家具と呼ばれる開港以来の伝統をもつ、日本人職人による横浜特産の洋式家具。

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開業当初からの家具も多く現役で使われている。

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柱の照明器具に施された仏教寺院風の装飾。

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インド風装飾が施されたロビー内壁のレリーフ。

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大震災からの復興のシンボルは、84年経った現在も健在だ。
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第341回・旧山邑太左衛門別邸(ヨドコウ迎賓館)

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米国人建築家フランク・ロイド・ライト(1867~1959)の設計作品として名高いヨドコウ迎賓館は、「櫻正宗」で知られる灘の酒造家山邑家の当主、八代目山邑太左衛門の別邸として大正13年(1924)に竣工した。

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兵庫県芦屋市の山の手、芦屋川上流に建つ旧山邑家別邸。
旧山邑家別邸として使われた期間は短く、昭和10年には売却、敗戦後の占領軍接収を経て昭和22年に3代目の所有者にして現所有者・㈱淀川製鋼所(ヨドコウ)が購入、社長公邸として活用された。

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その後貸家、独身社員寮へ経て一時取り壊しが検討されるが、専門家の要望を受け建物の価値を認識した淀川製鋼所は計画を一転、保存のための改修工事を経て一般公開、平成7年の阪神大震災で公開を一時中止するも修復後再開、現在に至る。その間、昭和49年には国の重要文化財に指定されている。

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正門(当初のものは道路拡幅のため取り壊され現存しない)をくぐると石垣が見えてくる。

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坂道を登ると石垣の先に旧山邑家別邸が現れる。
旧山邑家別邸の設計者はライトであるが、工事監督及び実施設計はライトの愛弟子・遠藤新(1889~1951)。

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山邑家がライトに別邸建築の設計を依頼した経緯は、遠藤新の親友が山邑家の娘婿で弁護士・政治家の星島二郎(1887~1980)であったことによるものと思われる。

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日本に現存するライト設計の建築は、以前取り上げた旧帝国ホテルのほか、旧山邑邸、東京名白の自由学園、帝国ホテルの設計をライトに依頼した帝国ホテル支配人・林愛作の旧邸、以上4件である。

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帝国ホテルは玄関ロビーのみが現存、旧林愛作邸も完存はしないので、旧山邑家別邸は住宅建築で完全な形を残す日本で唯一の存在である。

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車寄せの上にある応接間の窓。この時代の建築としては破格の大きさの硝子をはめ込んでいる。

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玄関車寄せ。右手(北側、山側)が玄関。
星島二郎が秘書として仕えていた犬養毅(のち首相、5・15事件で暗殺)はこの邸宅を訪れており、ここで遠藤や星島と並んだ記念写真が残されている。

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玄関車寄せの南側(海側)は、阪神間の街並みを一望できるよう展望台の様に造られている。

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控えめな造りの玄関。

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2階、車寄せの真上に位置する応接間。建物は斜面に沿って作られており、2階は応接間と付属の水屋以外は半地下の倉庫があるだけである。
以前は内部撮影禁止だったが現在は撮影可能になった。有難いことである。

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ライトは帝国ホテルでは家具や食器のデザインも手がけており、その一部が建物と共に明治村に残されているが、旧山邑家別邸の家具はヨドコウがライト建築の意匠に調和するよう作ったもので、当初からこのような家具があったわけではない。

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応接間に付属した水屋。

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3階和室前の廊下。

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3階和室への入口。

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ライトの原設計に和室は無く、施主の強い要望で実施設計の段階で新たに作られた。したがってこの和室は遠藤新のデザインである。

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和室の床の間。

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隣の和室の床の間。

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和室の飾り窓。

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婦人室から家族寝室を望む。

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3階奥の廊下と天井。

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洗面所。流しの下はガラス棒が敷き詰めてある。

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最上階である4階は食堂と付属の厨房兼配膳室、屋上テラスで構成される。

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厨房兼配膳室。当時としては最新の設備が整えられていたという。

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食堂からは屋上テラスに出られるように作られている。テラスは二段に分かれており、両者は階段でつながれている。

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塔屋に穿たれた出入り口から、下段テラスへ続く。

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下段テラスからみた塔屋。

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下段テラスからの眺望。大阪湾も望める。

(参考)
ヨドコウ迎賓館ホームページ

第340回・旧茨城県庁舎(茨城県三の丸庁舎)

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旧茨城県庁舎は昭和5年(1930)に完成、平成14年の庁舎移転まで72年間使用された。現在は茨城県三の丸庁舎として県の外郭団体等が入居、引き続き事務所として使用されている。

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水戸駅に近い場所に位置し、近くには偕楽園や弘道館といった名勝史跡もある。また隣接して以前紹介した旧水戸市低区配水塔が建っている。

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正門も当初からの門柱が残っている。

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設計は宮崎県庁舎(昭和7)の設計で知られる置塩章(1881~1968)。陸軍省・兵庫県庁を経て神戸に建築事務所を開業、神戸を中心に多くの建築の設計を行っている。弊ブログで既に紹介した同一設計者の建築としては神戸の旧国立移民収容所がある。

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昭和初期の公共建築やオフィスビルでは定番といってよい茶褐色のスクラッチタイルを全面に貼っている。

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4階は戦後の増築である。本来は3階建てで中央の高塔がより目立つような形だった。

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側面外壁。

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正面中央部。

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塔屋をアップ。

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塔屋は本体に比べ手入れが悪いのか外壁の傷みや汚れが目立つ。

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中央上部に掲げられた装飾レリーフは、バラ(薔薇)をモチーフとしたものと思われる。バラは茨城の地名の由来であり(茨(いばら)で築いた城、の意)、当地に非常に縁が深い植物で県の花にもバラが指定されている。

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前庭の通路脇に設けられた一対の池も当初からのものと思われる。

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正面車寄せ。

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正面玄関。

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階段室に続く玄関ホール。大理石を市松模様に貼る。

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階段親柱の照明飾り。

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階段室。

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上階の階段室は大理石ではなくタイル貼り。

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建物は上から見ると日の字型をしており、中庭が二つある。中庭に面した外壁はタイルを貼らず、コンクリートに吹き付け塗装を施しただけの仕上げになっている。

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三の丸庁舎は東日本大震災で増築部分が大きな被害を受けた。今後の取り扱いについては下記の茨城新聞の記事によると増築部を撤去、塔は保全して創建当初の形態に戻すという最も望ましい対応が検討されているのは大変喜ばしいことである。文化遺産として今後も保全して貰いたいものである。
(参照)茨城新聞の記事

第339回・旧諸戸家鎌倉別邸(旧福島浪蔵別邸、加賀谷邸)

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江ノ島電鉄長谷駅、由比ヶ浜駅周辺は戦前の別荘建築がいくつか残っている。現在は鎌倉市により「長谷こども会館」として児童施設として使われているこの建物は、鎌倉に残る数少ない明治期の洋館である。

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鎌倉は関東大震災で大きな被害を受けたため、鎌倉に残る戦前の別荘建築は震災後のものが大半で、震災前の建築は非常に少ない。扇ヶ谷の旧荘清次郎別邸(大正5)など数棟が残るばかりである。旧諸戸邸はその中でも明治期の建築であり希少価値が高い。なお震災後の別荘建築では旧前田侯爵別邸(昭和11)が旧諸戸邸と目と鼻の先にある。

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この建物は、明治41年(1908)、証券業を営み一代で巨万の富を築いた福島浪蔵(1850~1919)により、鎌倉別邸の洋館部分として建てられた。福島没後の大正10年に桑名の山林王・二代諸戸清六がこの邸宅を購入、以後諸戸家の鎌倉別邸として使われる。

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諸戸清六家の本邸、別邸は各地に現存し、文化財として保護されているものも多い。三重県桑名市の本邸(諸戸本家、東諸戸家)は国指定重要文化財、栃木県日光市の旧日光別邸は国登録有形文化財となっている。また桑名の本邸には隣接して初代諸戸清六が造営した邸宅(諸戸宗家、西諸戸家)の屋敷も残り、こちらも国指定重要文化財。

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上記の諸戸家関係の建築はいずれも弊ブログですでに紹介済なので、興味のある方は御覧頂きたい。
諸戸家日光別邸
諸戸本家(東諸戸家)
諸戸宗家(西諸戸家)

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かつては洋館と日本家屋が並列して構成される邸宅であったが、日本館は現存しない。鎌倉市が諸戸家から寄贈を受けた時点で既に洋館しか現存していなかったようである。

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南側を向いた正面部分には二層に亘るベランダがある。下層の手すりが上層に比べるとお粗末な感じがするが、本来は上層のような装飾的な金属製のものであったのではないかと思われる。戦時中の金属回収で供出させられた可能性も考えられる。

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内外共に装飾豊かな建物であるが、特にベランダ周りは見ごたえがある。

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洋館側面(西側)。

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壁面のメダリオン飾りや窓周り、窓下部の鉄格子など、細部に至るまで念入りにデザインされている。

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側面全景。現在は地域の子供の遊び場として開放されており、建物内部の見学は出来ない。ただし外観の見学は自由であり、敷地内にも入れる。

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裏にある下見板張りの外壁を持つ棟。倉庫か?

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長谷子ども会館から西に少し進むと、和洋併置式の住宅がある。加賀谷家住宅である。
かつてこのあたり一帯が諸戸家の敷地であり、加賀谷家住宅も諸戸家の邸宅の一部とも考えられている。

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屋根飾りの形状に長谷子ども会館と共通性があり、同じ設計者、大工棟梁が関与した可能性があるとされている。

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戦後の一時期、この邸宅には作家の山口瞳(1926~1995)が住んでいた。なおすぐ近くには川端康成の旧邸も現存する。

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二つの邸宅は共に鎌倉市の景観重要建築物に指定されている。
鎌倉市ホームページ(旧諸戸邸)
鎌倉市ホームページ(加賀谷邸)

第338回・横山郷土館(旧横山家住宅)

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栃木県栃木市に残る横山郷土館は、横山家が営んだ麻問屋と銀行の建物及び居宅と庭園を公開している施設である。
洋館風の外観を有する離れ座敷が珍しい。館内の主な建物は国登録有形文化財。

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全景。前を流れるのは巴波(うずま)川。栃木市はかつて船運による農産物の積み出し地として繁栄した土地である。

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この写真のように、船運による物資の積み出しの遺構は横山郷土館でも見られる。

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母屋を両脇から固める二棟の石蔵。正面向かって右の蔵(麻蔵)。

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正面向かって左の蔵(文庫蔵)。軒に煉瓦が用いられている。

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母屋。正面に店舗、奥に居宅がある。かつて右手が麻問屋、左手が銀行であった。

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明治を偲ばせる瓦斯燈。

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銀行部分の入口。

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麻問屋の帳場。横山家は昭和55年より財団を設立して、この屋敷を代々伝わる道具・美術品類と共に公開している。

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(参考)
横山郷土館ホームページ

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帳場に続いて設けられた、横山家経営の個人銀行(栃木共立銀行)のカウンター。

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カウンターの奥は営業室と金庫、金庫の前には頭取席。

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頭取席の前から見たカウンター側。

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奥は横山家の居宅と接客用の座敷になっている。

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座敷では飲食物を提供しており、庭園を眺めながら喫茶や食事ができるようになっている。

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奥にある小さな座敷。天井板は神代杉と思われる。

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庭園。

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そして庭園の奥にある洋館風離れ座敷。

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全景。手前にある家形の石灯籠との組み合わせが面白い。

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大正7年(1918)に、二代目横山定助夫人が建てたという。

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外観は洋風だが、内部は畳敷きの洋館風離れ座敷である。

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側面の小部屋。控室か洗面所・便所かと思われる。

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当時としては最先端の、セセッション風洋館の外観を持つ。

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正面切妻部分。

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正面窓の下。

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床の間。
横山家と親交があった歌舞伎役者が戦中から戦後の数年間、この離れで疎開生活を送っていたらしい。

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床の間と畳敷きの床は和風だが、床の間部分以外の壁と天井は漆喰仕上げによる洋風の造り。

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蔵の街・栃木の主要観光地のひとつである。

第337回・旧梶村家住宅

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岡山県津山市の旧梶村家住宅は江戸から昭和初期にかけて増改築を繰り返し、それぞれ異なる時代の建造物がひとつの屋敷内で見られる。現在は津山市が所有、「城東むかし町家」の名で公開されている。屋敷内の建物はいずれも国登録有形文化財。市指定重要文化財の旧妹尾銀行津山東支店も近くにある。

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母屋全景。江戸時代後期の建築を大正期に大改造したもの。奥には高貴な来客の為に設けられた庭門付きの高塀を巡らせている。旧妹尾銀行津山東支店と同様、出雲街道に面して建っている。

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母屋土間の梁組。江戸期のものと思われる。

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母屋座敷。大正期の改築で整備されたものであろう。

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意匠を凝らした母屋座敷の建具。

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庭園側からみた母屋。

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母屋妻側の中央上部には、ピンポイント的に洋風と思われる装飾が施されている。

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奥座敷。大正時代の増築。

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奥座敷内部から母屋側を望む。

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奥座敷の階下座敷床の間。

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同上、欄間。

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奥座敷の裏側は裏庭を挟んで土蔵が二棟並ぶ。西側に広がる庭園の奥には茶室。

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土蔵の横に建つ洋館。洋館を増設するとなると以前取り上げた京都の旧尾藤家住宅のように、来客用の立派な応接間などが設けられる場合が多いが、ここは内外共に地味。配置も屋敷地の北東の隅で、目立たない存在。

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土蔵。手前の東蔵が大正期、奥の西蔵が昭和期の建築。

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西蔵の前に配された茶室。

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隣接地とを区切るコンクリート塀に寄り添うように建てられている。

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昭和初期の建築と考えられている。

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庭園から望む奥座敷、茶室、西蔵。

第336回・旧川崎銀行水戸支店

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現役の銀行店舗では最も古いもののひとつと思われる旧川崎銀行水戸支店。現在は三菱東京UFJ銀行水戸支店。
明治42年(1909)の竣工。

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戦災を受けた水戸市の中心街に残る数少ない近代洋風建築というだけでなく、明治期の銀行建築としても希少の存在である。その上現役の店舗と言えば他に思い浮かぶのは岩手県盛岡市の岩手銀行中ノ橋支店(明治43年)がある。
(但し、岩手銀行中ノ橋支店は、来年6月で新店舗に移転、現店舗は改修後一般公開される模様。詳細はこちらの記事参照。)写真は東京三菱銀行時代のもの。

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戦災で内部と屋根は失われており、当初の形を残していない。もとは明治建築らしく派手なものであったようだ。
ただし壁面は当初の形をよく残す。

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設計は新家(にいのみ)孝正(1857~1920)。最も初期の日本人建築家の一人で、農商務省庁舎や逓信大臣官邸などを設計しているが現存する建物は多くない。なお川崎銀行については本店も設計している。

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川崎銀行は水戸藩御用商人であった川崎八右衛門(1834~1907)が築いた川崎財閥の中核企業。なお、川崎財閥と称されるものは神戸にもあり、現在の川崎重工などを擁する財閥であったがここで言及している東京の川崎財閥とは無関係である。

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川崎銀行が本店を構えたのは東京日本橋だが、水戸はゆかりの地だけに、支店とはいえ立派な店舗を建てたものと思われる。

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一階を石張りとする。重厚ではあるが、明治期の洋風建築にしては装飾を控えたシンプルな外観である。

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1階の窓。飾り格子は当初からのデザインかどうかは不明。

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2階の外壁は白色タイル張り。

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白色タイルは、それまでの赤煉瓦や石とは異なる新たな外装材として明治末期から使われ始めた。
この建物は白色タイルの初期の使用例である。

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側面、通用門まわり。

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今後も大切にしてもらいたい貴重な建物である。

第335回・旧岡崎銀行本店(旧岡崎商工会議所)

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徳川家康の生誕地として知られる愛知県岡崎市に残る大正期の銀行建築。
大正6年(1917)に岡崎銀行本店として建てられ、現在は岡崎信用金庫資料館となっている。国登録有形文化財。

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昭和20年に戦災で屋根と内部を焼失。その後しばらく廃墟同然の姿を曝していたが昭和25年に岡崎商工会議所が買い取って同年修復、51年まで使用していた。商工会議所移転後取り壊しも検討されたが、商工会議所会頭も兼ねていた当時の岡崎信用金庫会長の英断で資料館として再生、現在に至る。その際に左右にある銅板葺の尖塔と腰折屋根を復元、戦災前の姿に戻された。

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上記に記した事柄については下記ホームページを参考とさせて頂いた。
岡崎信用金庫ホームページ

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設計は鈴木禎次(1870~1941)。
名古屋及び東海地方の建築の近代化に多大な貢献をした建築家である。
弊ブログでは同一建築家の設計として、鶴舞公園噴水塔・奏楽堂旧松坂屋大阪店旧中埜家別邸旧諸戸家住宅洋室を取り上げている。

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鈴木禎次は銀行建築も多く設計しているが、現存する建物は非常に少なく、その中でも旧岡崎銀行は現存するものの中で最もすぐれていると言える。

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なお、同時期の鈴木設計の銀行建築では旧三井銀行京都支店(大正3)がある。一部分(外壁の角地に面した部分、内部では貴賓室2室)だけ京都三井ビルの中に組み込まれて保存されている。
(参照)京都三井ビル

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現在、岡崎信用金庫資料館としての入口は正面ではなく、側面の旧通用口から入るようになっている。

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背面の煙突も尖塔同様、資料館として整備する際復元された。

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彫りの深い正面とは異なり、側面は平坦で簡素な仕上げ。

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正面は御影石を多用し、煉瓦の赤よりも御影石の白色のほうが目立つ。

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岡崎銀行は戦時中の国策による統合で、東海銀行(現・三菱東京UFJ銀行)に統合させられている。神戸にあった阪神財閥の中核銀行である神戸岡崎銀行とは全く関係は無い。

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大正期の建築らしく細部装飾は簡略化、幾何学化されている。

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装飾に織り込まれた「T」の文字。設計者である鈴木禎次(ていじ)のイニシャルとも考えられている。

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塔屋部分は窓の配置からしても分かるが階段室である。

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内部は戦災で焼失したため、当初の姿は残されていない。

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しかし外観はよく当初の姿を残している。

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戦災で城下町の古い街並みの大部分を失った岡崎において、貴重な近代洋風建築である。

第334回・旧越中屋ホテル

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旧越中屋ホテルは、昭和6年(1931)に小樽の老舗旅館であった越中屋旅館によって、外国人用ホテルとして建てられた。小樽市指定歴史的建造物。また経済産業省の近代化遺産に認定されている。

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越中屋旅館は明治期より外国人が宿泊する事も多かったらしく、当時の外国の旅行書にも紹介されたこともあるという。そのような旅館だったから従前の旅館とは別に外国人専用のホテルを別に設けたようである。

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この建物が越中屋のホテルとして使われた期間は短い。戦時下の昭和17年には陸軍の将校クラブとなり、敗戦後は米軍に接収、そして返還後間もなく相続税支払のため物納され、越中屋の手を離れる。

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その後一時ホテルとして復活した時期があった。
平成5年に「小樽グランドホテルクラシック」として改修・開業。
しかし平成21年に経営破綻・閉鎖。今も閉ざされたままである。

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建物の設計は倉澤国治という人物の手になるようであるが、経歴等は不詳。

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玄関の上部中央、及び欄間のステンドグラスには越中屋旅館の屋号が彫り込まれている。
なお、越中屋旅館自体は現在も、小樽のホテルとして盛業中である。

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上記ステンドグラスを中から見る。
以下、平成19年に宿泊した当時の写真。

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玄関。

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一階の玄関ロビーと階段室、玄関奥のダイニングルームは創建当初の内装がよく残されていた。

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玄関ロビー欄間のステンドグラス。

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玄関ロビーから入口を望む。

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階段室。

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人造石と思われる階段の親柱。

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階段脇のステンドグラス。

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ダイニングルーム入口。

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ステンドグラスで「DINING ROOM」の文字が入っている。

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ダイニングルーム内部、外部に面した窓の欄間には大きなステンドグラスがあった。

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同上。

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廊下への扉の欄間のステンドグラス。

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扉にも小さなステンドグラス。

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建物が一日も早く、新たな用途を得て再開する日が来ることを願うばかりである。
そしてできれば、またホテルとして復活するとよいのだが。

第333回・旧茂木佐平治邸(野田市市民会館)

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千葉県野田市にあるキッコーマン本社の周辺には、創業家のひとつである茂木一族の邸宅が点在する。そのうち大正13年(1924)に建てられた茂木佐こと茂木佐平治家の旧邸は現在野田市民会館として使用されている。平成9年に国登録有形文化財になっている。

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蔵に挟まれた通用門。この先に2つの玄関(家族用・使用人用)がある。

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表門。かつては特別の来客や行事のときのみ開けられた門。
旧茂木佐平治邸は市民の為の文化施設として現在も使われているが、建物自体も一般公開されており無料で見学できる。利用者・見学者はこの表門から入る。

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表門をくぐった先に見える客用大玄関。

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式台を備えた堂々たるもの。この屋敷は皇族(東久邇宮盛厚王・三笠宮崇仁親王)の宿舎にも使われた。

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客用大玄関の照明。

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現在は集会室として改装されている帳場跡のすぐ近くに6畳・8畳・3畳の3間続きの座敷がある。かつての配膳室・茶の間・仏間で家族団欒の為の場所であった。

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茶の間欄間。

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仏間の天井は折上格天井になっている。

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上記家族用座敷の奥にある書院は、主人の居室や書斎として使われた部分。写真は縁側。

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ここは南側が写真のとおり三間続きの座敷となっており、北側にも3つの座敷がある。
主人の居間や書斎としてだけでなく、接客や婚礼の会場にも使われたそうである。

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旧茂木佐邸の見どころのひとつは欄間。他ではあまり見かけない意匠。

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主人居間として使われた座敷の床の間。

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洗面所は緑色の色漆喰塗り、寄木細工の床など和洋折衷の造り。流しなど当初の設備がよく残る。
ここは理髪室も兼ねており、写真には写っていないが当時の鏡がそのまま残っている。お抱えの理髪師を呼んで自宅で散髪していた訳である。

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洗面所の隣は畳敷きの化粧室。建具が凝っている。

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化粧室の隣は板の間を挟んで浴室がある。壁はベンガラ塗。

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同上。タイル張りの浴槽、シャワー、照明器具等当初の設備が非常によく保存されている。

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戦前からそのまま残るシャワーは非常に珍しい。

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この五右衛門風呂は使用人用浴室。案内して頂いたガイドの方によると、近年修復を行ったとのことで現在も火を焚いて風呂を沸かすことも可能らしい。子供の体験学習に使うことも考えているとか。

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台所。写真は板の間になっている部分で上台所と称されていた。右手奥は土間になっており、こちらは下台所と称されていたとのこと。氷冷蔵庫や俎板を兼ねた調理台など、当時の設備がよく残る。

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外からみた縁側。

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書院外観。主人居室等がある棟である。

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現在は広大な芝庭になっているが、かつてはここに貴賓用の書院があった。昭和20年代に他所へ移築され、手前の踏み石だけが面影を伝える。

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茶室「松樹庵」。
明治初期の建物で茂木佐邸では最も古い建物。昭和初期に他所へ移築、その後場所を転々として昭和59年に野田市に寄贈され、元の屋敷内に戻ってきた。

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この茶室も邸宅と同時に登録有形文化財となっている。

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旧茂木佐邸はのちに野田醤油(株)(現在のキッコーマン(株))の所有となり、昭和31年には野田市に寄贈、翌32年に野田市民会館が開館している。市民の為の施設として、既に54年の歴史を持っている訳である。この手の邸宅が市の文化施設として利用される例は近年増えているが、その中でもここはかなり古い部類に属すると言える。

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表門の脇には庭門があり、ここから庭園に出られる。
庭園は平成20年に、千葉県で最初の国の登録記念物になった。

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なお、野田市民会館の開館と同時に敷地内には郷土博物館が開設されており、建物は京都タワー等の設計で知られる山田守(1894~1966)の設計である。

第332回・旧水戸市水道低区配水塔

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一見何者かと思わせる建物だが、茨城県水戸市の水道施設だった建物である。
水戸市でも低地への配水を担っていたこの配水塔は、昭和7年(1932)の完成から68年経った平成12年、水道施設としての役割を終えた。

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水戸市水道低区配水塔は、昭和60年に厚生省(当時)企画・日本水道新聞社主催による「近代水道百選」に選定された。その後平成8年の国による登録文化財制度発足に際しては、先日紹介した旧水戸商業学校と共に、茨城県から最初の登録有形文化財に選ばれた。

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水戸市の中心街、旧茨城県庁(現三の丸庁舎)に隣接して建っている。

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明治以降、水道施設の整備は近代化を進める上で非常に重要なものであったためか、全国各地に造られた戦前の水道施設には構造・造形共に力が入ったものが多い。そして今日まで良好に保存されているものが非常に多い。配水塔も各地に個性豊かな形のものが残っているが、水戸のものはとりわけ印象が強い外観である。

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現在は周囲が公園として整備され、間近で見ることができる。

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配水塔の脇にある附属施設。

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小規模な建物だが抜かりなく装飾が施されている。

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水道施設としての役割を終え現役ではなくなったが、塔の内部には入れない。

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下層部飾り窓詳細。

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玄関まわり。

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梅の中に「水」。梅は配水塔のすぐ近くにある梅の名所・偕楽園、「水」は水道と水戸市の水を意味するものと思う。

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配水塔の設計者は後藤鶴松という水道技師である。全国各地の水道事業に従事し、水戸市にはこの工事の為昭和5年から勤め、この配水塔の設計には心血を注いだといわれる。

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近年までクリーム色一色に塗られていたが、平成17年に改修工事が行われ、創建当初の色調に復した。
ドーム周りの二色の電燈も同時に復元されたようである。

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消防用水の役割も期待されていたためか、窓の下のレリーフ飾りには、消防ホースの先に嵌める放水管を斜交いにあしらっている。

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入口や窓周りに繊細な装飾を施しつつも、コンクリートの角柱が力強さを感じさせる下層に対し、上層は全く異なる印象を受ける。エキゾチックと言うか摩訶不思議と言うか・・・

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見ていると旧静岡市庁舎のドームを思い出した。

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昼の月と。

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竣工当初から水戸の名所となり注目を集めたという。
今も、水戸の名所。

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第331回・旧矢中龍次郎邸

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茨城県つくば市に残る近代和風建築。発明家で実業家の矢中龍次郎(1878~1965)の住居として、昭和13年(1938)に居住用の母屋、28年(1953)に接客用の離れが完成。戦時下を通じて建設された珍しい建物である。

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昭和13年完成の母屋玄関。土間の床はタイル貼り。天井は格天井。

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矢中龍次郎氏の死後、永らく無人の状態だったこの住宅を矢中家より譲り受けた現所有者はこの建物の再生を模索。筑波大学の学生・大学院生の協力を得てNPO法人を設立し、管理・公開を行っている。毎月第1・3土曜に一般公開を行っている。(今年の一般公開は終了)

NPO法人のブログはこちら

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セメント防水剤「マノール」を開発し産を名した矢中龍次郎氏は、出身地である筑波・北条に自邸を建てた。湿気対策や通風対策等、氏独自の工夫が随所に見られる。この窓も氏の工夫によるもの。一種の実験住宅としての側面も持っている。

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仏壇・神棚を備えた茶の間。

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茶の間縁側の照明器具。

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女中部屋。生活道具など、昭和中期で時間が止まったような空間。

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台所。昭和戦前から高度成長期を偲ばせる道具類があたかもタイムカプセルの如く見事に保存されている。矢中氏の死後永らく使われなかったのが、思わぬ形でこの建物のみどころとなった訳である。
そして現在は、主たる管理者である筑波大学の学生が住み込みで建物を管理している。だから今も建物に生活のにおいがある。

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脱衣場の天井。中央の一段上がった部分は網代貼り。湯気抜きのスリットが開けられている。

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短い渡り廊下で結ばれた、貴賓の接待用に建てた離れ。入口は蔵座敷のような造りである。天井は漆喰塗りの洋風。

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入口上部の飾りタイル。

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入口内部からみた離れ土間。

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離れは二階建になっており、全体の完成は昭和28年であるが、写真の部屋がある下層は戦時中の竣工。
15年かけて建てられた邸宅は地元では「矢中御殿」と称された。

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畳敷の床に椅子とテーブル、壁の上部には日本各地の国立公園の風景が壁画として描かれている。壁際に作りつけられた棚の棚板はサクラの一枚板。

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2階は床の間のある主座敷と、暖炉のある前室で構成される。写真は前室。左上、鴨居に掛かる写真の人物が矢中龍次郎氏。昭和30年にセメント防水剤発明の功により紫綬褒章を受章している。

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前室の格天井。

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主座敷から前室を望む。

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主座敷。良材がふんだんに使われており、60年近く経った建物とは思えないぐらい材木が瑞々しい。

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離れからみた母屋の屋根。このように上から見ないと分からないが陸屋根になっている。周囲を瓦葺のパラペットが囲んでいるので一見見れば冒頭の写真のとおり、普通の瓦屋根にしか見えない。自ら開発したセメント防水剤の効用を試すためあえて陸屋根にしたものと思われる。

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母屋に戻って、母屋外観。黄土色の壁面は建設当初からのもので、矢中氏が開発した建築用塗料。戦時中は迷彩用塗料として非常に売れたらしい。
3月11日の東日本大震災では損傷を受け一般公開も一時中止されたが、関係者の努力で再開された。

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母屋は傾斜地に建てられており、大谷石積の半地階の上に平屋建の建物が載るかたちになっている。
地階内部は倉庫。

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離れ一階の外壁。こちらはコンクリート造で外装を石積とする。窓の内側は先述の和洋折衷の部屋。

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離れ外観。城郭のような反りのある屋根が特徴。

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この建物は震災直後の今年3月、文化審議会より国登録有形文化財とするよう答申があり、8月に無事登録された。
なお、同じ国登録有形文化財で、戦時下に建てられた建物としては、他に神戸舞子浜の旧又野家住宅(昭和16-18)がある。

※今回の記事の写真は、同行頂いたK様撮影の写真を多数使用させて頂いて居ります。
写真の使用を快く許可してくださったK様には、この場を借りて厚く御礼申し上げます。

第330回・旧村井銀行七条支店

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旧村井銀行は、明治の煙草王・村井吉兵衛が設立した銀行。
今回取り上げるのは旧村井銀行の七条支店として大正3年(1914)に建てられた建物。

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政府は日露戦争に際し、戦費調達のためそれまで自由販売であった煙草を専売制にする。これにより村井吉兵衛は煙草の生産から手を引くが、事業を国に譲渡して得た莫大な補償金をもとに村井銀行はじめ多くの企業を設立、村井財閥を形成した。

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大正15年、村井吉兵衛は没する。その翌年、金融恐慌で村井銀行は破綻、村井財閥も崩壊した。

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村井のお膝元である京都には、以前取り上げた京都別邸「長楽館」のほか、旧村井銀行の支店建築が3件現存する。この旧七条支店以外では五条、祇園の3支店が今も健在。

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なお、現在京都以外に旧村井銀行の建築は残っていない。

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設計は吉武長一。米国で建築を修得した建築家で、村井家関係の建築を多く手がけた他、銀行建築以外では東京や鎌倉に教会建築が現存する。

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村井銀行破綻後も、種々の金融機関の営業所として使われてきたが現在は京土産の店舗として使われているようである。

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側面玄関。シャッター代わりの防火用鉄扉も残されている。

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全体的に建物の保存状態は建具を始め良い。内装もさほど改装は激しくないのではと思われる。

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現存する3つの旧村井銀行支店は規模はいずれも同じぐらいであるが、意匠面では旧七条支店が最も印象の強い外観を持つ。悪く取れば鈍重、良く取れば重厚である。

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この建物の並びには、以前取り上げた旧鴻池銀行七条支店が建っている。

第329回・旧茨城県立水戸商業学校本館

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茨城県立水戸商業学校(現・茨城県立水戸商業高校)の本館として明治37年(1904)竣工。現在は玄関部分が敷地内で移築保存、現在は同窓会館「のいばら館」として使用されている。

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平成8年には、同年新たに制定された国登録有形文化財制度の茨城県における登録第一号として登録された。

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現在保存されているのは玄関のある中央部分のみ。かつては両脇に教室棟が続いていた。

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設計は茨城県技師の駒杵勤治(1877~1919)。東京帝国大学卒業後間もなく茨城県技師として県下に学校等公共建築を中心に多くの洋風建築を残した。

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そのうち現在も現存するのは、ここに取り上げる旧水戸商業学校玄関のほか土浦市の旧土浦中学校本館、常陸太田市の旧太田中学校講堂がある。土浦中学本館と太田中学講堂は国指定重要文化財となっている。

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玄関まわり。

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窓。

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メダリヨン。

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木造建築であるが、石造りのように見せている。

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現在は敷地の隅にひっそりと残されている、否、追いやられている感がある。もう少し目立つ扱いにして頂けないものであろうかと思う。

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毎年11月に事前予約制で一般公開しているとのことなので、また機会があれば内部も御紹介したいと思う。

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側面から。

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彫りの深い外観が特徴である。

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建物の素晴らしさに対し扱いが些か残念。せめて周囲の門や塀を、より建物にふさわしいものに整備して頂きたいものである。
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