第377回・旧木村酒造「酒匠館」

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平成7年の阪神大震災で、灘の造り酒屋の古い街並みはほぼ消滅したと言ってもよい。
それでも探せば随所に往時を偲ばせる古い造りの造り酒屋の建物がわずかに残っていた。
今は休館中の旧木村酒造「酒匠館」も、そのような建物のひとつである。

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旧木村酒造は、震災後に制作・放映された、NHKの朝の連続テレビ小説の舞台となったことでも知られる。

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近年まで、「酒匠館」として公開、利き酒もできる場所であったが木村酒造の廃業に伴い「酒匠館」も閉館。
今は閉ざされている。

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ここに紹介する写真はいずれも、平成21年の秋に撮ったものである。

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旧木村酒造の建物はその古色蒼然とした佇まいに、初めて訪れたときは、よく震災で生き残ったものと感嘆の念を禁じ得なかった。

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廃業後の現在も建物は残っているが、将来はどうなるのであろうか。
憂慮に堪えない。

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旧木村酒造は「瀧鯉」で知られる造り酒屋であった。

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古めかしい母屋と昭和初期の特徴をよく残すモダンな応接間が特徴的な建物である。

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あの忌まわしい震災を生き延びたにも関わらず、その後不幸な最期を遂げた古い建物は数知れない。
この建物も過去帳の中に入らない事を祈るばかりである。
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第376回・名古屋市公会堂

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名古屋市公会堂は、起工から3年の歳月をかけて昭和5年(1930)に竣工した。
設計は名古屋市建築課、施工は大林組・清水組(現・清水建設)・大阪鉄工所(現・日立造船)。

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昭和天皇の御成婚記念事業として、鶴舞公園内に建設されることになった。

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戦時中は陸軍に接収、高射第2師団司令部として使用され、敗戦後は占領軍に接収、昭和31年まで占領軍専用劇場として使用された歴史を持つ。

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外観は角を丸くして厳めしさを抑えている。

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戦前の大規模な公会堂建築で名古屋以外に現存するものは、東京(日比谷公会堂)、大阪(中之島公会堂)、横浜(横浜市開港記念会館)などがある。

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東海地方では名古屋の他、豊橋市公会堂が現存する。

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正面外観を特徴づけるカマボコ状の塔屋。
公園の名前に因むのか、鶴の羽根をイメージしたと思われるレリーフがある。

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これまでも度々紹介しているが、壁面に貼られた茶褐色のタイルは昭和初期の公共建築の定番。

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半地階のアーチ窓。

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建物脇に設けられた出入り口。

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正面。

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重厚な玄関。壁の厚みは1メートルはある。

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玄関内部。

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公会堂の正面には以前取り上げた鈴木禎次設計の鶴舞公園噴水塔がある。

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公会堂の設計は名古屋市であるが、鈴木禎次も顧問の一人として設計に関与していたとされている。

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昭和55年に、建物の保全と設備等更新のために改修を受けている。
また平成元年には、名古屋市都市景観重要建築物に指定されている。

第375回・旧平安家住宅(川西市郷土館)

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旧平安家住宅は兵庫県川西市にある大正中期建造の民家。
この地には古くから採掘が行われてきた多田銀銅山があり、平安家は昭和初期まで銅の製錬を行っていた。

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主屋正面。旧平安家は兵庫県下では最初の国登録有形文化財となった建物のひとつである。

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表に面して建つ、蔵のひとつ。

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玄関門。

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客座敷に面した庭を囲む屋根塀。門や塀を含め全て登録有形文化財に認定されている。

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現在は川西市が所有、先日紹介した旧平賀義美邸と共に川西市郷土館として一般公開している。

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伝統的な造りの民家ながらも、随所に近代の建築らしい部分が見られる。
軒下に取り付けられた補強用の金物。実用一点張りではなく美しい曲線を持っている。

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客座敷から望む植え込みの一部。

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土間に沿って三間が並ぶ六間取りの平面構成は、この地方の高級民家の伝統的な構成であるという。

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内外の随所に数寄屋風を採り入れた、典型的な近代和風建築の住宅でもある。

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主座敷床の間。

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火灯窓(花頭窓)がある仏間。

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奥の中庭に面した座敷の床の間。

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照明器具も古いものがよく残されている。

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土間。

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土間の天井。

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坪庭もある。

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市内から移築されてきた平賀義美邸の洋館が見える。
屋敷の裏はかつての精錬工場跡であり、工場跡には旧平賀家や各種の文化施設を設けている。
川西市ホームページ

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奥の中庭は離れ座敷と土蔵、湯殿、便所が周囲に配されている。

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中庭から土蔵群を望む。

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土蔵に隣接して建つ離れ座敷。

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建具も大正期の硝子が残る、貴重なものばかりである。

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母屋と離れをつなぐ、短い吹き曝しの渡廊下。

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離れ座敷内部。

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川西市郷土館は、大正中期の和風建築と西洋館が同時に見学できる施設である。

第374回・旧北海道庁舎(内部)

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北海道を代表する明治建築としても知られる旧北海道庁の庁舎。
前回取り上げたとき は外観の主だった写真だけであったので、今回は内部を中心に改めて取り上げる次第である。

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正門横の解説版に掲げられている古写真。
現在見られる八角ドームと屋根を飾る換気塔(煙突ではない)の大半は、明治21年(1888)の竣工後数年も経たないうちに撤去され、明治30年代から昭和40年代初頭まではこの写真のような姿であった。

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正門。焼き過ぎ煉瓦と呼ばれる茶褐色の煉瓦で造られている。
正門は上の古写真と変わらない。

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現在の姿は、北海道設置百周年に当たる昭和43年(1968)に、八角ドームと換気塔を再現し、竣工当初の姿を復元したものである。

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明治42年には火災で壁体を残して焼失しており、内装は2年後の明治44年に復旧工事が竣工したときのものが残されている。

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屋根や内装は変遷が見られるが、赤煉瓦の建物本体は竣工から124年間変わることなく今に残されている。

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一階の腰壁にも門柱と同じく焼き過ぎ煉瓦を用いる。門柱の茶色い煉瓦に比べると、紫や黒味が強い色調の煉瓦が使われている。

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玄関の大アーチをくぐると玄関に至る大階段がある。

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大アーチの内側から前庭を眺める。大アーチの玄関は旧兵庫県庁舎を連想させる。

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玄関を入ると大階段が目前に現れる。前回の神奈川県庁舎に比べると天井が非常に高い。
神奈川県庁舎も今日の建物に比べると天井は高いが、北海道庁の天井の高さはそれ以上である。

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旧北海道庁庁舎の内部で一番の見どころはこの階段室ではないかと思う。

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アーチ根元の漆喰装飾と、それを支える鋳鉄製の柱。

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踊り場から二階を望む。

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階段手摺。

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天井は、漆喰装飾と装飾文様を型押しした金属板の組み合わせで出来ている。

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二階廊下。

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旧知事室。

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旧知事室には歴代の旧北海道庁長官、知事の肖像写真が並ぶ。戦前の公選長官時代は在職数ヶ月で交代する事も珍しくなかったので、人数では戦前までの長官の肖像写真が圧倒的に多い。

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現在はまだ、八角ドームのある時期よりも無かった時期の方が長いが、いずれ逆転することであろう。

第373回・神奈川県庁舎(内部)

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前回の大阪府庁舎に続き、今回は現役の府県庁舎として大阪に次いで古い神奈川県庁舎の内部を紹介する。
帝冠様式のはしりとしても知られる、昭和3年(1928)竣工の同庁舎は、建物の内外に和風意匠を施している。

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「キングの塔」の名で知られる正面塔屋を望む。
前回の記事はこちら(平成22年4月13日付)

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玄関。

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同庁舎は現在、毎月第三日曜日に公開されている。
神奈川県庁ホームページ

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関東大震災では旧県庁舎は倒壊しなかったものの、火災で外壁を残し焼失した。修復か改築か議論されたが改築されることとなり、現在の庁舎が完成した。復興建築の例に違わず、館内は太い柱と梁が縦横に走っている。

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階段室。エレベーターを取り巻くように階段がある。
大阪府庁舎のような吹き抜けは無い。

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階段室の照明塔。陶器製だろうか。

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随所に和風、或いは東洋風とでも称すべき装飾が見られる。

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梁の持ち送りに貼られた丸瓦状の飾り。

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階段手すりの鋳鉄製飾り金物。

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和風、東洋風意匠ばかりかと思いきや、側面のエレベータには当時最先端のデザインというべきアールデコの装飾も見られる。

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神奈川県庁舎の内部の特徴のひとつとして、タイル等陶磁器の多用が挙げられる。
階段ホールには床から柱、壁まで深みのある色調と陰影に富むタイルを張り詰めている。

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同じ建物とは思えない殺風景な中庭。中庭側の壁面はコンクリートに塗装を施しただけである。

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旧議場。県議会は隣接の新館に移されており、現在は会議室として使われている。

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傍聴席。

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議場正面。

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議場正面の時計と照明。

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知事室。

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旧貴賓室。現・第三応接室。

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旧貴賓室の柱と持ち送り装飾。
以下、旧貴賓室の細部。

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シャンデリア。

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創建当初からそのまま残る壁掛け時計。

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扉の装飾。

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黒大理石の暖炉。

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庁舎の一般公開では、屋上にも上がることができる。塔屋も内部を覗けるほか、間近に見られる。

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先日紹介済の、クィーンこと横浜税関の塔が見える。

第372回・大阪府庁舎(内部)

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今までこのブログで取り上げた戦前築の道府県庁舎で、外観のみの紹介だったもののうち、後日内部見学の機会を得た庁舎を3件改めて紹介する。
本日1件目は、この1月より旧正庁の公開が始まった大阪府庁舎。

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外観は以前取り上げており、また内部の見所が多いので、上の1枚に止めておく。外から見た旧正庁の窓。
(参考)
以前の記事(平成22年8月29日付)

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車寄せの奥にある重厚な鉄扉。愛媛県庁舎にもよく似た扉がある。

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鉄扉をくぐり、玄関ホールへ入るまでにもう一度木製の扉をくぐる。二つの扉に挟まれたこういう空間は風除室とでも言うのだろうか。

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この扉を開けると玄関ホールへ至る。

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扉を開くと玄関ホールで、2階への大階段が目の前に現れる。3層吹き抜け、大理石仕上げの堂々たる玄関ホール。

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これだけ豪壮な空間は戦前の官公庁舎でも、なかなかお目にかかれない。
ところで、この階段わきにはドームを頂く堂々たる洋風建築のブロンズ製模型がある。昭和20年に戦災で失われた2代目大阪府庁舎の模型である。

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2代目府庁舎は、現在の西区江之子島に明治7年に建てられた。(模型は大正5年に両翼の増改築が行われた後の形である)現庁舎竣工後は工業奨励館として使用されていた。これが現存していれば、と思わずにはいられない立派な建物である。なお跡地は近年再開発が行われ、その際地中から煉瓦造基礎等の遺構が発掘された。その一部は移設保存するとの事である。
(参考)大阪府庁ホームページ 報道発表資料

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他に同様の規模の吹き抜けを持つ官庁建築で、現存するものとしては神戸税関(昭和2)がある。また現存しないが、同じ大阪では中之島、日銀大阪支店向かいにあった旧大阪市庁舎(大正10)にも3層吹き抜け、ステンドグラスの天窓を持つ華麗な玄関ホールがあった。

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なお現在の大阪市庁舎にも、旧庁舎のイメージを継ごうとしたのかどうか知らないが、吹き抜けとステンドグラスがある玄関ホールがある。しかし旧庁舎やこの府庁舎には到底及ばない、無駄に金をかけただけの代物にしか思えなかった。外観も然りである。

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天井に施された緻密な漆喰飾り。
全体はシンプルながらも、内外にわたって細部には異常なまで濃密な装飾が施されているのが本庁舎の特徴。
好みが分かれる所であろうが、現代建築では絶対に作れない、職人の手作業による造形である。

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ホールの奥に府議会議場がある。
議場入口欄間にも、シンプルな色調のステンドグラスが嵌め込まれている。
議場には入れないが、玄関ホールとこの後紹介する旧正庁と同様、大正建築の内装がよく残っている。

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各階の執務室は窓や扉も古いものがよく残っているが、その分老朽も目立つ。

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5階から6階にかけて2層分の天井高を有する旧正庁。建物の正面中央に配置されている。本庁舎では最も華麗な部屋。

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正庁と称する部屋は戦前の道府県庁舎には必ず存在し、庁舎内で最も格式の高い部屋として、各種の式典や辞令交付等に用いられてきた。現在ではそのような名称の部屋はないところも多いが、先述の愛媛県庁などは現在も正庁が各種儀式の場として使われている。

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大阪府庁の正庁は後年執務室に改造され、近年まで華麗な内装は見る影も無かったが、今大阪市長として何かと話題を世間に提供している前知事・橋下徹氏の指示で改修され、今年1月より公開されることとなった。
(参考)大阪府ホームページ

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天井のステンドグラス。現存する戦前の官庁建築では、国会議事堂の両院本会議場の天井に次ぐ規模であるらしい。
府議会議場の天井も、創建当初はステンドグラスが嵌め込まれていたようである。

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シャンデリアは当初のものが取り外されて保存されていたため、今回の改修で元に戻された。
ステンドグラスの修復は、大阪証券取引所のステンドグラスや旧乾新兵衛邸のエッチングガラスを制作した生田徳次氏の子息・生田哲氏が手掛けられている。産経新聞の記事に詳しい。

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かつては御真影が祀られていた奉安所。

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奉安所のペディメントには二羽の鷲がいる。

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壺と花をモチーフにした半円形レリーフ。

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上部に3つ写っている円形の装飾は、写真では今ひとつわからないが、ライオンの頭部である。

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天使像のある円形レリーフ。天使が手にする物体は、各レリーフ毎に異なる。
上の写真では歯車、下の写真では蛇が絡まった杖をそれぞれ手にしている。

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天井の漆喰装飾。

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旧正庁横の小部屋はかつての控室か何かであろうか。
扉の上部には見事な彫刻を施したパネルが嵌め込まれていた。

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ステンドグラスに用いられた色硝子は、殆どが大正15年当時のものが残されている。
なお3枚目の写真のステンドグラスは、今回改修に先立つ平成16年に既に補修を行っている。

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旧正庁の窓からは大阪城が見える。
橋下前知事については色々言われるところだが、庁舎の最も美しい部分を蘇らせたこと自体は高く評価されるべきであろう。

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現在検討されている、美術館への転用でも、今後も庁舎として引き続き使用するのでもどちらでも構わないが、大阪府庁舎は今後適切な改修と保全措置を施して後世に残すべき建物である。今迄散々愚にもつかないハコモノに金をつぎ込んでおいて、貴重な文化遺産は財政難で保存できないなどという事態だけは断じて避けたいものである。

第371回・旧平賀義美邸(川西市郷土館)

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明治から昭和にかけて活躍した化学者であり、実業家・教育者でもあった平賀義美(1857~1943)博士が、自らの住まいとして大正7年(1918)に兵庫県と大阪府の境である猪名川のほとりに建てた英国風の洋館。国登録有形文化財。

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旧平賀邸の洋館を始めとする邸宅の一部は、現在川西市の郊外にある川西市郷土館の敷地内に移築され、保存・公開されている。写真は正門。門扉の老朽がひどかったが、近年修復された。

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移築前の敷地内では、猪名川から引いた農業用疎水が横切っており、疎水を跨ぐ形で小さなコンクリート橋が架かっていた。現在は橋の親柱のみが移設保存されている。池でも造って橋をそのまま再現できなかったのだろうか。

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鋳鉄製の洋風四阿(あづまや)。
以前筆者が、偶然の機会から昭和20年代に平賀邸の一画に一時期住んでいた方から聞いた話であるが、平賀家ではこの四阿を、その形状から「六角」と称していたそうである。

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英国風農舎といった趣の主屋。
大阪府池田市と兵庫県川西市の境を流れる猪名川沿いの川西市小戸(おおべ)地区に創建以来、昭和の末まで約70年に亘って変わらぬ佇まいを残していたが、阪神高速池田線の延伸とそれに伴う猪名川の河川改修により、敷地の縮小を余儀なくされ、取り壊されるところを移築保存されることとなった。

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小戸にあった頃の古写真。
移築前は川沿いの細長い敷地に洋館と日本館から構成される本邸、本邸に付属する化学実験棟、四阿、離れ座敷、土蔵、ワイン蔵、鎮守社、鶏小屋、温室から構成される広大な邸宅であった。現在は洋館と、洋館に付随する四阿等の工作物の一部のみが現在地に移築保存されている。

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洋館書斎の古写真。椅子で寛ぐ平賀博士の姿が写っている。平賀博士は大正8年に大阪市内からこの屋敷に転居している。自ら経営する織物工場が隣接すると同時に、広大な敷地と豊かな自然に囲まれた和洋併置式の郊外住宅であった。

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平賀義美博士は染色技術を身に着けた化学者として、近代日本の主要産業のひとつであった繊維産業を染色技術の面から支えた人物である。また技術面のみに限らず実業界・教育界を含め幅広く活躍し、多大な功績を遺した人物でもあった。

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邸宅の設計は当時大林組建築部長の松本兔象、施工は鴻池組である。
両者共平賀博士とは深い繋がりがあったものと考えられている。特に施工を受け持った鴻池組と平賀博士の縁は深く、創業者・鴻池忠次郎とは個人的にも親交があり、大阪の伝法川沿いに建つ鴻池の屋敷では、釣りが好きな二人が縁側に並んで釣り糸を垂らすことも多かったという。(鴻池組の社史より)

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現在は敷地の関係上、低地から見上げるような形になっているが、本来は洋館の見せ場は、変化に富んだ外観を有するこのアングルであったものと思われる。

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他ではあまり類例を見ない外壁の仕上げは、川砂利を漆喰に混ぜ、塗った後に表面を水で洗い流して砂利を露出した、洗い出しという技法である。

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英国のカントリーハウス(領主の館)に範を取った、と説明されることが多いこの建物であるが、間取り等、事実それに違いないのであろうが、素朴な佇まいは英国風に仕上げた隠居座敷といった趣がある。

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スレート葺きの大屋根の下に、控え目な玄関が口を開く。

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玄関には、網戸張りの木製格子戸が立て込まれている。

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玄関を入るとモザイクタイル貼りの小さな土間があり、医院のような小さな受付用小窓がある。小窓の奥は書生部屋になっている。

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ウィリアムモリスの壁紙が貼られた玄関ホール。ステンドグラスは慶應義塾図書館のステンドグラスなどを製作し、大正時代を代表するステンドグラス作家である小川三知の作である可能性も考えられている。

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玄関脇の客間。照明台座の漆喰飾り、暖炉の細部装飾などは簡略化、幾何学化されたセセッション風というべきもの。

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客間暖炉。

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客間に続くサンルーム。

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書斎。主人が日常を過ごす空間として、本邸で最も意匠を凝らした部屋。

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書斎暖炉まわり。暖炉棚上部や造りつけの書棚には、草花や小鳥をモチーフにした精緻な象嵌細工が施されている。

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北側に設けられた寝室。暖炉脇に置かれているのは蓄音機。

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寝室の奥にある洗面所。

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洋館の裏に建つ化学実験棟。平賀博士が生活を始めた大正8年に増築された。当時平賀博士は六十二歳で第一線を退きつつある時期であったが、化学の実験は好きで止められなかったものと思われる。なお、洋館側面には日本館へつながる渡り廊下の一部が残存、本来は和洋併置式の邸宅であったことを伝える唯一の箇所である。

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平賀博士の伝記によると、博士はこの屋敷では、屋敷内の農園の手入れをし、目前の猪名川で魚を獲り、化学実験棟では実験に没頭するという生活であったという。洋館は博士の生活と接客の場であり、日本館は家族の生活の場に使われていたようだ。

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化学実験棟一階は倉庫になっており、造りつけの棚には実験器具や空になった薬品の瓶が残る。

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化学実験棟の二階は渡り廊下で寝室と直接行き来できるようになっている。この部屋で平賀博士は、染色の実験に没頭していたようだ。

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邸宅を彩るステンドグラス。
上は玄関及び書斎入口欄間。下左は客間、下右は書斎窓欄間。

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洋館の随所にトランプのマークをあしらっている。ハート、ダイヤ、スペード、クローバーはそれぞれ一箇所しかないものから、何箇所もあるものまである。平賀博士かもしくは設計者の松本兎象がこれらの装飾に何かの意図を込めたのかどうか、今では知る由も無い。

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英国に留学し染色技術を修めた後も度々英国に外遊し、終の棲家も日常生活も英国風とした平賀博士は、転居から24年間をこの屋敷で過ごし、その英国を敵国とした大東亜戦争下の昭和18年、86年の生涯を閉じた。

(平成26年10月20日追記 文章を一部修正しました)

第370回・横浜税関

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「クィーンの塔」の名で知られる横浜税関。イスラム建築を思わせるドームを戴く塔屋が特徴で、同じ税関庁舎でも以前取り上げた神戸税関とは形状も色調も対照的な庁舎である。昭和9年(1934)竣工。

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横浜税関も関東大震災で、明治以来使用していた庁舎が倒壊した。税関庁舎の復興は神奈川県庁などに比べると遅く、昭和7年に建設に着手、2年後に竣工した。
なお、同じくイスラム風ドームを持つ静岡市庁舎も同年の竣工である。

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塔屋のある横浜港側が建物の正面であるが、玄関は背面に置いている。左右対称を重視する当時の官庁建築としては変則的な構成。港から建物の正面が見られることを重視したものと思われる。

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正面玄関の扁額は当時蔵相だった高橋是清によるものと伝わる。高橋は不況対策として税関庁舎の復興工事を進めた人物でもある。

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近年耐震改修と中庭側の増築が行われている。その際に壁面に切り込みのような目地が入ってしまったのが目立つ。この点見栄えがよくないので残念である。

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玄関の配置からすれば、本来の正面はこちら。
椰子の木がよく似合う。

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横浜港側からの全景。

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「横浜三塔」と呼ばれる3つの建物は横浜の名所である。それぞれキング・クィーン・ジャックと称され、キングは昭和3年竣工の神奈川県庁舎、クィーンは横浜税関、ジャックは大正6年竣工の横浜開港記念会館をそれぞれ表している。

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昭和10年代に、横浜港に出入りする外国船の船員がそれぞれの建物に付けた愛称が定着して現在に至っているようである。

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夜のクィーン。

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因みに塔の高さは、横浜税関が51メートル、神奈川県庁が49メートル、横浜開港記念会館が36メートルで横浜税関が最も高い。

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当初の設計案では県庁より少し低かったのが、税関長の指示で高くなったと伝えられている。

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3つの塔が揃った昭和9年当時は周りに高い建物も無く、さぞ目立ったものと思われる。

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塔の真下に設けられた玄関。

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キングとクィーン。
左手がキングこと神奈川県庁。
非常にわかりにくいが、税関の少し左にジャックこと横浜開港記念会館の塔のてっぺんが少し写っている。

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第369回・湊御殿・養翠園

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今回の建物は近代、即ち明治以降の建築ではなく江戸時代末期の建築で、弊ブログの趣旨から些か外れるが御容赦頂きたい。和歌山市にある湊御殿は、元禄11年(1698)に設けられた紀州藩主の隠居所の一連の建物群を湊御殿と称したことに由来する。現在残る建物はそのうちの奥御殿であり、幕末の天保5年(1834)に建てられたものである。

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湊御殿は移築を繰り返し、現在は、第10代紀州藩主の徳川治寶によって造営された別邸「養翠園」の一角に移築保存されている。写真は養翠園の入口に建つ長屋門。

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養翠園は和歌山県下にいくつか見られる、海水を引き入れた汐入式の庭園である。

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養翠園の池には中国的な石橋が架かる。青みを帯びた緑色の石は、この地方特産の紀州青石。

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養翠園の御茶屋遠景。

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湊御殿の建物は元禄年間の造営から幕末に至るまで火災と再建を繰り返し、現在の建物は11代藩主徳川斉順(なりゆき)の命により再建されたものである。その後明治維新を経て和歌山城内から和歌浦東へ移築され、昭和42年には和歌山市指定文化財となる。

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平成11年に当時の所有者から和歌山市へ寄贈され、同18年に現在地へ移築、一般公開され現在に至る。

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13代藩主の慶福(よしとみ)はのちの徳川第14代将軍家茂であるが、藩主時代はこの建物を藩の政庁として使った時期もあるという。

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玄関。

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座敷内部。移築に際しては、天井や壁を紙張りとしていた江戸時代の形に復された。
高さの異様に高い欄間は近代以前の建築に多く見られ、近代以降はこのような形の欄間は殆ど見ない。

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床の間。

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武家屋敷らしく、床脇飾りは金具を多用した厳格な印象の造り。

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和歌山市は戦災の被害がひどい都市のひとつであり、近代以前の建物は数少ないだけにとりわけ貴重な存在である。
(参考)
湊御殿ホームページ
養翠園ホームページ

第368回・北浜レトロビルヂング(旧桂隆産業ビル)

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北浜レトロビルヂングは、大阪証券取引所の向かいに建つ、築後約100年の事務所ビル。
現在は紅茶専門の喫茶店として人気を集めている。

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大阪証券取引所の北側、土佐堀川沿いには明治期より証券業者の店舗が立ち並んでいた。
この建物はそれらの中でも、煉瓦造地上二階、地下一階建で小規模ながらも本格的事務所ビルであった。

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デザインも当時最先端のセセッションを採り入れた洗練されたものである。外装はピンク色の化粧煉瓦を貼る。
明治45年(1912)頃の竣工と推測されている。

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平成6年まで建材商社の事務所ビルとして使用されていたが、会社が倒産後は売物件となり建物の存続が危ぶまれたが、現在の所有者が購入、英国式喫茶室を開業し現在に至る。

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玄関欄間には花をあしらった、アールヌーボー風の装飾が見られる。

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内部も外観同様、モダンな装飾が随所に施されている。

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曲線を描く階段手摺。

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室内から見た二階正面の窓。

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以前取り上げた山内ビルと同様、背面は土佐堀川に面している。

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土佐堀川を隔てた、中之島公園側からの眺め。
右隣には近年まで、同規模ながらもそれぞれ異なる意匠の煉瓦造の建物が二棟並び、西田三郎商店という先物取引業者の事務所として使われていた。古風な煉瓦造の事務所ビルが立ち並ぶ貴重な景観が残されていたが、今はこのざまである。

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なお西田三郎商店を吸収合併し、建物を破壊したグローバリー(株)という会社は、その後数々の違法営業により経営者らが逮捕され、会社は廃業し今はない。こんな会社は消えて無くなればいいが、消えた建物と景観は取り戻せない。

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今からおよそ15年前、筆者がこの建物を初めて見たとき、今は亡き隣の二棟が大切に使われていたのに対し、旧桂隆産業ビルは売物件の札が懸かりまさに風前の灯といった趣があった。その後の両者の明暗を思うと感慨を覚えずにはいられない。

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現在は護岸に隠された状態だが、地階は土佐堀川に船で乗り付けられるようになっていたようである。

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窓の一部が護岸の上に覗いているのがわかる。

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新しいビルに挟まれながらも、堂々たる存在感。

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平成9年に国登録有形文化財となっている。

第367回・旧甲子園ホテル(武庫川学院甲子園会館)

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戦前、「西の帝国ホテル」と称されたホテルが、現在の兵庫県尼崎市と西宮市の境を流れる武庫川のほとりに存在した。昭和5年開業・同19年閉鎖の甲子園ホテルは、ホテルとしては極めて短命であったが、建物は用途を変えた後も大切に守られ今もその姿を残している。国登録有形文化財・経済産業省指定近代化産業遺産。

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正面玄関。
甲子園ホテルは、帝国ホテル元支配人・林愛作の構想に基づき、建築家・遠藤新が設計、昭和5年(1930)に竣工した。遠藤新は、現在は明治村に一部が保存されている帝国ホテル旧館の設計者、フランク・ロイド・ライトの弟子である。

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旧帝国ホテルを思わせる外観。
甲子園ホテルが建つ一帯は、武庫川の河川改修によって生じた土地を阪神電鉄が購入、大正から昭和初期にかけて周囲一帯の開発を行ったものである。その結果甲子園ホテルのほか、甲子園球場に代表される各種のレジャー施設と郊外住宅地が作られた。

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旧甲子園ホテルの所在地は現在の兵庫県西宮市、当時は兵庫県武庫郡鳴尾村であった。
旧武庫郡を中心とする地域一帯は阪神間と称され、大阪や神戸の富裕層や文化人が多く住み、明治末期から昭和初期にかけて伝統と近代文化が融合した阪神間モダニズムとも称される独自の文化が育まれた。

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現在でもこの地域には、旧甲子園ホテルを始めとする優れた建築遺産が今もいくつか残る。
今まで幣ブログで紹介したことがある、阪神間モダニズムの申し子的な建築遺産としては、旧新田利國邸旧村山龍平邸旧山邑太左衛門別邸芦屋市立図書館打出分室などがある。

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うち旧新田邸は旧甲子園ホテルと目と鼻の先にあり、旧山邑家別邸はライト原設計、遠藤新実施設計で旧甲子園ホテルとは非常に縁が深い。また土木遺産ではホテルのすぐ南東、武庫川に架かる武庫大橋がある。

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旧甲子園ホテルの建築の装飾モチーフとしてよく目に付くのは、水滴と打ち出の小槌である。
写真は水滴をモチーフとしたと思われるすりガラス。

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こちらは打ち出の小槌をあしらった、階段の一角に設けられた小噴水。

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左右対称の建物の両翼には、片方にダイニングルーム、もう片方にバンケットルームを配していた。
写真は旧バンケットルーム。宴会場である。

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阪神電鉄の開発により誕生したホテルなので、昭和11年には当時の大阪タイガース、即ち現在の阪神タイガース創立披露宴がここで催されている。

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水滴をモチーフとした、バンケットルーム天井周りの装飾。

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バンケットルームの照明は、日本伝統の障子や行灯を意識している。ライトの作風を強く意識しながらも、遠藤新独自の創意が建物の随所に満ちている。

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建物の南側には広大な庭園が広がる。写真は南側の翼部外観。

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庭園側の外壁には、内部のすりガラスをそのまま石に置き換えたような意匠のレリーフがある。

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戦局が悪化した昭和19年、甲子園ホテルは海軍病院として接収され、ホテルとしての歴史は僅か14年で幕を閉じる。戦後は昭和32年まで米軍の接収を受け、そして返還後ホテルが再開される事は無かった。

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庭園に聳え立つ松の木のいくつかには戦時下の傷跡が今も残されている。
「松根油」としてガソリン等の代用に用いているため、松の幹に傷を付け滴り落ちる樹脂を採っていた痕跡が今も残る。

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ホテルとしては薄幸であったかも知れないが、建築としては幸運だったかも知れない。
昭和40年に現所有者である学校法人武庫川学院が、当時大蔵省の管理下にあった建物を譲り受け、修復の上学舎として再利用することとなった。

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現在は、新たに設置された建築学科の教室棟としても使われている。

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かつてのロビー。帝国ホテルと同様、貴顕の集まる社交場として、内外の著名人の利用も多かった。
武庫川学院のホームページ(本記事末尾にリンクあり)によると、宿泊者には高松宮殿下、作家の島崎藤村、中国の政治家汪兆銘などがいる。

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館内に設けられた、それぞれ独特の意匠を施した暖炉の数々。

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4枚目写真の暖炉はかつてバーがあった部屋のものだが、床も鮮やかなタイルを張り巡らせ、見所が多い部屋である。暖炉焚口の左下には、タイルで「1930」と建物の竣工年が記されている。

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正面玄関上部にある小部屋はトランプなどのゲームを楽しむための部屋で、山本五十六が愛用した部屋だそうである。写真のその部屋の半円形小窓。

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上記小部屋の外観を屋上から見る。

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屋上もルーフガーデンとして出られるように作られている。実際ホテル時代は籐椅子やパラソルを置き、宿泊客が寛げるようになっていた。

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頂部に打出の小槌を象った装飾を施した、屋根の緑釉瓦。周囲の松林との調和を考え、緑色の屋根瓦を用いたと思われる。

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優れた建築遺産として建物の一般公開も積極的に行っている。詳細は下記を参照頂きたい。
武庫川女子大学 甲子園会館ホームページ

第366回・だるま料理店主屋

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正面玄関に堂々たる唐破風を備えた外観が特徴のだるま料理店。
魚介類を主とする料理を提供する、小田原でも老舗の料理屋。

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正面全景。
地元の人から観光客まで、多くの客で賑わっている。

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数奇屋風の簡素な二階切妻と、玄関の重厚な唐破風と、上下で対照的な趣を見せる。

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だるま料理店は、小田原市の中心街で明治26年から営業を続ける老舗。
関東大震災で店舗が壊れたため、震災3年後の大正15年(1926)に再建したのが現在の建物。

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だるま料理店の主は、料理屋を営むと同時に漁港の網元でもあったため、折しも鰤の大漁で得た資金を存分に注いで贅を凝らした店舗を再建した。

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二階は予約制の座敷だが、一階は気軽に入れる入れ込みのテーブル席になっている。

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堂々たる衝立。店舗と同時に作ったものだろうか。

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建具も凝っている。

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天井は内側に反った折り上げ格天井。

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創建時からのものかどうかは分からないが、床のタイルもちょっと変わったものである。

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国登録有形文化財。(平成14年選定)

(参考)だるま料理店のホームページ

第365回・静岡銀行浜松営業部(旧遠州銀行本店)

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明治末から大正半ばにかけて朝鮮半島や中国大陸で活躍し、大正末期から昭和戦前には生まれ故郷の静岡県を中心に多くの建築物を残した中村與資平設計の銀行建築。昭和3年(1928)竣工。

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中村與資平の建築作品は弊ブログでは既に静岡市庁舎旧館静岡県庁本館豊橋市公会堂、浜松市内では旧浜松銀行協会を取り上げている。

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中村與資平の建築家としてのスタートは、師である辰野金吾が原設計を行った朝鮮銀行(略称:鮮銀)本店の実施設計と工事監督であった。竣工後も朝鮮銀行の建築顧問として朝鮮半島・中国大陸各地に鮮銀支店を建てており、旧大連支店等が今も現存する。日本内地に現存する建築作品は公共建築の方が多いが、その経歴から銀行建築も多く手掛けている。旧遠州銀行はそのひとつ。

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旧遠州銀行と同じく、現在の静岡銀行の前身である旧三十五銀行の本店も中村設計で昭和6年竣工、現在静岡銀行本店別館として保存されている。また両者とも文化財に指定もしくは登録されている。(旧遠州銀行本店は浜松市指定有形文化財、旧三十五銀行本店は国登録有形文化財)

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静岡銀行を始め、盛岡の岩手銀行、下関の山口銀行や奈良の南都銀行など、地方銀行には歴史ある本支店建築を大事にしているところが多い気がする。
その点都市銀行の多くはひどいもので、ここ十数年の統合再編に伴い、多くの優れた戦前の銀行建築が失われてしまった。

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静岡銀行は堅実経営で名高い銀行であるが、上記の岩手銀行等も概ね堅実経営のようである。
歴史ある建築を大事にする姿勢と、実際の銀行の経営状態を関連付けようとするのは、牽強付会に過ぎないだろうか。

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静岡銀行浜松営業部は平成19年に旧館に隣接して新館を建設、同時に旧館は改修を施し歩道側にあったアーケードも撤去された。すばらしい英断である。

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アーケードがあった頃は歩道からは建物の全体が見えなかった。都市景観上マイナスにはなってもプラスになるとは思えないアーケードは、余程必要であるという事情がない限り、どんどん撤去すべきだと思う。
(実際、埼玉の川越などは商店街のアーケードを撤去している)

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書体が渋い。やはりこういう風格ある店舗にはこのような看板がふさわしい。

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戦災で古い街並みが残されていない浜松市において、旧遠州銀行は旧浜松銀行協会や改修工事を終えた旧浜松警察署と共に、貴重な歴史的建造物と言える。
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