第399回・旧芦屋郵便局電話事務室

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戦前(大正後期~昭和10年代)に、逓信省によって建てられた電話局の庁舎は、現在も各地にすぐれたものがいくつか残されている。前回の旧京都中央電話局上分局もそのひとつであるが、今回は兵庫県芦屋市に残る旧芦屋郵便局電話事務室の庁舎を取り上げる。

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この建物が建っている芦屋市大枡町界隈は、平成7年の阪神大震災の被害がひどかった地域であった。
震災後の復興事業として区画整理が行われたこともあって、この建物以外に、震災前の街並みをしのばせるものは殆どなかった。

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昭和4年(1929)建設。設計は逓信省技師の上浪朗。

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正面一階は大きな半円アーチの窓が連なる。

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一階と二階で、色合いの異なるスクラッチタイルを貼る。

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裏側の通用口。

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現在は芦屋モノリスという結婚式場兼レストランとしてとして使われている。
この結婚式場を運営する会社は、同じ兵庫県下で以前取り上げた神戸市垂水区塩屋の旧ジェームス邸も、結婚式場兼レストランとして活用すべく整備を進めているようである。

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玄関まわり。

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受付窓の面白いデザイン。

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一階半円アーチの内側は廊下になっている。現在は椅子を置いてテラス風に使っているようである。

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外壁と同じ二色のスクラッチタイルで半円アーチを飾る。

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側面外壁にも面白い装飾が施されている。

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花模様の飾りタイル。3種類ある。

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そしてライオン。

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飾りタイルの帯の頂部にいる。
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第398回・旧京都中央電話局上分局

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京都は鴨川沿いに建つドイツ風洋館。
大正12年(1923)に、京都中央電話局上分局の局舎として建てられた。京都市登録有形文化財。

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丸太町橋の西詰南側に建つ。

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設計は吉田鉄郎(1894~1956)
帝国大学卒業後逓信省に入省、戦前まで在籍し東京・大阪の両中央郵便局舎をはじめ、各地に郵便・電信局の局舎を残している。

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ドイツの民家風の大屋根が特徴。同じドイツ風洋館という点では、神戸須磨の旧西尾類蔵邸(大正9)と、屋根や窓等の形状に共通点がある。

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色調も旧西尾邸と同様、黒瓦葺きの屋根に白タイル貼りの外壁。

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電話局の局舎として使われた期間はそう長くない。
昭和34年に京都中央電話局上分局は廃局となったので、36年間だけ電話局として使われていたことになる。

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その後は用途を転々としている。
近年までレストランやスポーツクラブが入っていたが、現在はスーパーになっているらしい。

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特徴的な塔屋。

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2年ほど前の撮影だが、ちょうど改装工事の最中であった。
スーパーへの改装工事だったのかも知れない。

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通用口もおしゃれ。

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昭和戦前のモダニズム建築として著名な東京・大阪の両中央郵便局舎とは異なる趣を持つ、吉田鉄郎の初期作品である。

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第397回・網走市立郷土博物館

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北海道では最も古い歴史をもつ博物館のひとつである網走市立郷土博物館。
昭和11年(1936)の開館当時の建物で現在も運営されている。

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網走市街を見下ろす小高い丘の上に建っている郷土博物館の建物。
赤いドームが目立つ。

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当初の名称は「北見郷土舘」であった。
当時の社団法人北見教育会が、地方教育の振興と文化の発展を目的として建設、開舘したものだという。
昭和23年に網走市に移管して現在に至る。

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昭和11年11月3日、明治節(現在の文化の日)に開館した。

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建物の設計は、昭和の初期から末期にかけて北海道で活躍した建築家・田上義也(1899~1991)による。

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一見鉄筋コンクリート造にも見えるが実は木造。

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当初見込まれていた寄付金が集まらず、工費の制約上木造で建てられたという。

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いろいろなタイルが外壁に用いられている。

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階段室。

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ステンドグラス。

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階段室を貫く軸のような、ドームへ至る螺旋階段。

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残念ながらこの螺旋階段およびドーム内の展望塔は立ち入り禁止。

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二階からの眺め。
網走市街の向こうに広がるのはオホーツク海。

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展示室天井。
田上義也は逓信省勤務を経てフランク・ロイド・ライトに師事、帝国ホテルの設計に従事した後、大正12年の関東大震災後間もなく北海道へ渡る。内外装のところどころには、この天井を始めとしてライト風の造形が見られる。

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館内には、市内にあるモヨロ貝塚から発掘された出土品や、江戸時代、文化年間に漁場が開設されてからの郷土資料、オホーツク海に生息する動物の剥製等が展示されている。

http://www.dotown.jp/contents/spot/03/kyoudohakubutsukan/index.html

第396回・函館旧ロシア領事館

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函館にある旧ロシア領事館。
明治41年(1908)竣工の煉瓦造洋館で、現在は函館市が所有している。函館市景観形成指定建造物に指定されている。

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所在地の船見町はその名が示す通り、函館港が一望できて船も見える。
前を通る坂道は幸坂。

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屋根は創建当初、瓦葺であったという。

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正面全景。急な坂道に面して建っていることが分かる。

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褐色の煉瓦を積んだ門柱や、アールヌーボー風の鉄製門扉も創建当初からのものだろうか。
旧帝政ロシアの函館領事館として建てられたが、設計はドイツ人建築家の手による。

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旧司法省庁舎を設計したエンデ・ベックマン事務所のスタッフとして来日、明治末期まで日本で活躍したリヒャルト・ゼール(1854~1922)が当初設計を行い、ゼールが工事途中で帰国した後は、神戸の旧トーマス邸(風見鶏の館)や京城の朝鮮総督府庁舎で知られるゲオルグ・デ・ラランデ(1872~1914)が跡を引き継ぎ、明治39年に完成させた。

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もっとも、この時の建物は翌年の函館大火で焼失、旧建物を手掛けた佐藤誠という棟梁の手により、設計図に沿って明治41年に再建されたものが現在残る建物とのことである。唐破風を備えた玄関ポーチなど、ゼール+ラランデのデザインに加え、棟梁・佐藤の創意が加えられている可能性もある。

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洋風建築らしからぬ玄関ポーチの細部意匠。

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函館にロシア領事館が開設されたのは開港4年後の安政4年(1858)のことである。
この建物はロシア革命後ソ連領事館となるが、第二次世界大戦末期の昭和19年に領事が本国に引き揚げ閉鎖された後は領事館として再開されることはなかった。

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昭和39年に函館市が国(外務省)から購入、「道南青年の家」として青少年向け宿泊研修施設として平成8年まで使用されていた。現在は閉鎖されており、建物内部は公開されていない。

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但し敷地内への立ち入りは自由なので、建物の外観だけ間近で見ることができる。
近くで見ると老朽が進んでいるのが分かる。

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外壁の煉瓦や石は、それぞれ赤・白2色のペンキが上から塗られている。

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側面に回りこむと、木造白ペンキ塗りのサンルームがある。

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上部の建具を格子状の桟で細かく割ったところは、神戸の風見鶏の館、旧オリエンタル・ホテルなど、ラランデの他の建築作品でも見ることができる特徴である。

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サンルーム内部。

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サンルームからも庭木越しに、函館港が見えるのがわかる。

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建物の痛みが進んでいるのが懸念されるところである。

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廃墟一歩手前の状態にある、この美しい洋館が甦ることを願わずにはいられない。

第395回・旧宮北邸洋館

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北海道は旭川市に残る木骨石造の洋館。
大正4年(1915)頃、材木商を営む宮北秀吉氏が住居兼事務所として建てたものとされている。

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当初は住居として日本家屋もあったそうであるが、かなり以前に失われたようである。

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木造の軸組に、外壁は美瑛産の軟石を積み上げている。

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明治から大正期の北海道内の建造物で、道内で採れる軟石を建築材料に用いた例は他にもある。
国指定重要文化財の旧札幌電話交換局(明治31)、国登録有形文化財の旧札幌控訴院庁舎(大正15)等がある。

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現在は旭川市が所有しているが、使用されていない様子で荒廃が目立つ。
最近、この建物の保存活用が模索されているようである。

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正面の外観を特徴づける半円形の切妻。

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側面。通りに面した正面よりも、側面の入口のほうが立派に作られている。

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側面入口上部の照明燈は、創建当初か、少なくとも戦前のものと思われる。

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正面側の入口。地表との段差が大きいが、かつては石段があったものと思われる。

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正面及び入口のある側面の外壁は、一階と二階で仕上げを変えている。
一階は目地を目立たせているが、二階は反対に目地は殆ど見えない。

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入口のない側面の外壁は、一階・二階共に荒く仕上げた石を積む。
奥に、暖房用の煉瓦煙突が見える。

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道内でも指折りの石造建築物と思われ、今後の保存活用が期待される洋館である。

(参考)
北海道文化資源データベース
http://www.pref.hokkaido.jp/kseikatu/ks-bsbsk/bunkashigen/parts/104027.html

第394回・旧横浜正金銀行神戸支店(神戸市立博物館)

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現在神戸市立博物館として使われている建物は、昭和10年(1935)竣工の旧横浜正金銀行神戸支店。
我が国における西洋古典様式の銀行建築としては最も完成度の高いもののひとつ。国登録有形文化財。

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この建物が建つ神戸市中央区京町は旧居留地の一画である。
創建当初の写真

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横浜正金銀行は第二次大戦前まで存在した外国為替銀行。戦前は香港上海銀行等と並ぶ世界有数の外国為替銀行であった。敗戦後GHQによって解体され、戦後は普通銀行である東京銀行として再出発、現在の三菱東京UFJ銀行につながっている。

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背面。ドームのある部分は博物館となったときに増築された部分。
なお、隣の高層建築は開港以来の歴史を誇り、阪神大震災で一旦廃業するも新会社によって再建されたオリエンタルホテル。かつては海岸通にあり、今も残る旧大阪商船ビルの隣に威容を誇っていた。惜しくもこの建物は戦災で全焼し、昭和39年現在地に移転した。

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旧横浜正金銀行の建つ旧居留地内・京町筋には他にも銀行が建ち並んでいた。
現在オリエンタルホテルが建っている隣接地には日本銀行、またその隣にはチャータード銀行があった。当時の写真
なおチャータード銀行は、昭和13年海岸通に新築移転、移転後の建物は現存。

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京町筋にはその他、米国資本の貸事務所であるクレセントビルも建っており、ハイカラな港町を形成していた。その京町筋で今も変わらず残るのは、旧横浜正金銀行ただひとつである。

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神戸市立博物館は昭和57年に、それまでの神戸市立南蛮美術館と神戸市考古館が合併して新たに設立された。
旧横浜正金銀行支店の建物は、このときに大幅な増改築が行われている。

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ただし博物館として増改築を受けた後も、正面や側面の外観は旧状をよく残している。
なおこの建物の隣(写真左奥の位置)には、明治初期から今も唯一生き残っている旧十五番館が建っている。

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設計者は桜井小太郎(1870~1953)。英国人建築家J・コンドルの直弟子で、端正な英国風建築を数多く作っている。
弊ブログでは旧呉鎮守府長官官舎旧横須賀鎮守府長官官舎旧荘清次郎邸静嘉堂文庫を取り上げている。また師・コンドルの作旧諸戸清六邸ではコンドルの下で図面を引いている。

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住宅建築だけでなく三菱財閥お抱えの建築家として、東京駅前の旧丸の内ビルディングや、三菱銀行の本支店等銀行建築も多く手掛けているが、残念ながら悉く現存しない。戦前からの大銀行で、当時の店舗がほとんど残されていないのは三菱だけである。

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なお、旧横浜正金神戸支店は、旧三菱銀行本店(大正11)と構成がよく似ている。(旧三菱銀行本店の画像はwikipediaより引用)

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内部は大幅に改造されており、2層吹き抜けになった旧営業室の天井に僅かに面影を残すだけである。

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天井の梁には精緻な装飾が施されている。

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旧横浜正金神戸支店は、桜井小太郎設計の現存する極めて数少ない銀行建築とも言える。なお桜井はこの建物の設計後引退、最後の作品となった。

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戦前の古典様式建築の、最後を飾る建物のひとつである。

(本記事中、特に記した以外の古写真は、「神戸美観地区写真集」からの引用であることをお断りしておく)

第393回・旧明倫小学校(京都芸術センター)

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京都市内にある、昭和6年(1931)竣工の元小学校校舎。
現在は京都市の施設「京都芸術センター」として活用が図られている。国登録有形文化財。

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もともとは京都市立明倫小学校(明治2年〔1869〕創立、平成5年〔1993〕閉校)の校舎であった。

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大正末期から昭和初期にかけて、一部の大都市では小学校の校舎が鉄筋コンクリートで建てられ始める。
その中で京都は東京などと並んで普及が早く、昭和初年には多くの鉄筋コンクリート造校舎が建てられている。

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中でも旧明倫小学校の校舎は、校区の住民から多額の寄付が寄せられたこともあり、京都市内でも屈指の豪華な校舎であった。

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外観はクリーム色の壁やオレンジ色の瓦屋根など、南欧風を基調としつつ細部には和風の装飾が施されている。

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現在は芸術活動の場として貸し出されているほか、多様な用途に使われているようである。

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京都芸術センターホームページ
http://www.kac.or.jp/

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装飾豊かな外観は、当時の鉄筋コンクリート造小学校校舎の中でも異色の存在であると思う。

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正面玄関。

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ポーチの両側にはステンドグラスの入った小窓がある。

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ステンドグラスの図柄は、氷割れ文という日本の伝統紋様と思われる。
昭和14年に大阪郊外に建てられた旧森平蔵邸(樟徳館)にも同じ図柄のすりガラスを嵌めた飾り窓がある。

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玄関扉まわりにも同じ模様が。

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廊下。
戦前の鉄筋コンクリート校舎は、床や腰壁には木材を貼ったものが多い。

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装飾が施された階段親柱。

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階段踊り場。古いスチールサッシの建具がよく残されている。

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現在の主な用途は芸術活動の為の貸しスペースなので大半の旧教室は改装されているが、一部はこのように昔の教室のたたずまいが残されている。

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最上階階段踊り場のアーチ窓。

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街路に面した校舎に囲われる形で、運動場がある。

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今回は紹介できなかったが、豪華な装飾が施された講堂や、折り上げ格天井のある大広間など、見どころの多い建物である。

第392回・旧鳩山一郎邸(鳩山会館)

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元首相・鳩山一郎(1883~1959)の自邸。東京・音羽の高台に建つことから「音羽御殿」の別名もある洋館。
現在は鳩山家の記念館「鳩山会館」として一般公開されている。

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護国寺前の通りに面して建つ正門。通りからは正門しか見えない。

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正門を入るとすぐ急なS字型の坂道があり、坂を上り切ったところに鳩山邸の洋館が現れる。

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鳩山家の住居だったころは全面がツタで覆われていたが、改修後は煉瓦タイル張りの旧状に戻されている。

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鳩山一郎は、昭和29年に吉田茂の退陣を受け首相に就任。首相在任中「音羽御殿」は、政治の舞台として世間に一躍知られるようになった。このとき鳩山は71歳だが、屋敷を建てたのははるかに以前で、大正13年(1924)、41歳のときである。

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設計は鳩山一郎の同級生で、親友でもあった岡田信一郎。
東京丸の内の明治生命館(昭和9、国指定重要文化財)等の設計者として著名な建築家である。

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来客用の正面玄関。

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吉田茂ほか、多くの大物政治家がこの玄関から出入りした。

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大理石の階段がまっすぐ伸びる。

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鳩山家が通用使用していた玄関は、側面に別に設けられている。

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正面玄関に比べたら地味だが、それでも堂々としたもの。

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玄関ホールを入ってすぐの場所にある第一応接室。

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第一応接室とは続き間になった第二応接室。

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鳩山一郎専用の椅子。

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第二応接室暖炉。第二応接室は英国のアダムスタイル。明るい色調と繊細な装飾が特徴。重厚な両隣の部屋(第一応接室、食堂)とは対照的。

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食堂。
第一、第二応接室、食堂は引き戸だけで仕切られた続き間になっている。

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サンルーム。
第二応接室、食堂に面している。

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サンルーム床のモザイクタイル。

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サンルームから庭園を望む。

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鳩山邸のインテリアは第二応接室とこのサンルームが一番の見どころだと思う。

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部屋毎に異なる照明器具。
(上左)第二応接室(上右)第一応接室
(下左)食堂(下右)サンルーム

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鳩山邸のインテリアを特徴づけるステンドグラス。小川三知作。
第二応接室とサンルームの間の欄間。

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食堂とサンルームの間の欄間。

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階段室には五重塔をバックに飛び交う鳩。

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二階にあった来客用の寝室3室は、鳩山会館として改修する際に一室の大広間に改装されている。
平成になって新たにデザインされた部屋だが、違和感なく造られている。

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洋館の随所に棲みつく動物達。フクロウ、シカ、ハト。
ハト、ハト、ハト。

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ステンドグラスも階段室のものを始め、ハトだらけ。

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現在、この館で生まれ育った或る政治家が我が国に存在し、この館を見てその人物を連想される方もあるかと思うが、どうか建物とその人物とは切り離して見て頂きたい。この建物のすばらしさとは全く関係ないことである。

第391回・神戸市水の科学博物館

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神戸市水の科学博物館は、神戸市水道局奥平野浄水場内にある展示施設。
本来は浄水場の急速濾過場上屋として、大正6年(1917)に建てられたものを平成元年に、神戸市制100年及び給水開始90年の記念事業として改修・公開したものである。国登録有形文化財。

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奥平野浄水場は神戸市の水道施設としては最初に設置されたもののひとつで、明治33年(1900)より給水を開始、現在に至る。水の科学博物館の建物と同様、外装に花崗岩と白い化粧煉瓦を用いた施設が今も現役で使用されている。
写真の施設は貯水槽と思われるが、アーチ型開口部の右上には、経済産業省指定近代化遺産のプレートが見える。

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貯水槽と思われる上記写真施設の上部は、土を盛っている。
その向こうに水の科学博物館の建物が見える。

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水の科学博物館全景。
煉瓦造外壁を、花崗岩と当時流行した白い化粧煉瓦(タイル)で覆っている。

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設計は、明治から大正にかけ神戸を中心に活躍、既に弊ブログで取り上げた小寺家厩舎、新旧の海岸ビル(兼松商店三井物産)と同じ河合浩蔵。新しい方の海岸ビル(旧三井物産)より1年早い竣工で、花崗岩と白い化粧煉瓦の外装仕上げは共通している。

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両脇に設けられた円筒形の階段室は、旧小寺家厩舎でも同じようなものが見られる。

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明治33年より開始された神戸市の水道事業であるが、現在でも草創期の施設の多くが現役で稼働しており、かつ明治から大正初期のすぐれた土木・建築遺産として知られている。

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明治33年竣工の布引五本松ダムとその関連施設は国指定重要文化財、明治38年竣工の烏原堰堤、大正8年竣工の千苅堰堤は水の科学博物館と同じく、国登録有形文化財に認定されている。
布引・烏原・千苅の各施設は、弊ブログで以前取り上げたのでこちらを参照頂きたい。
http://kenchiku228.blog85.fc2.com/blog-entry-88.html

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正面中央上部には、「か」の字を図案化した神戸市章をあしらう。
「こうべ」は歴史的仮名遣では「かうべ」になる。

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正面中央部を除き、装飾は控え目である。上部の半円アーチが目を引く。

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円筒形階段室の頂部にはドームを頂く。

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屋根は天然スレート葺。

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二階の半円窓から神戸市街を望む。
もともとは平屋建てだったが、展示施設として改装する際内部は二階建てになっている。
なお余談ではあるが、この窓から見えるすぐ左下の宇治山には、かつて神戸海洋気象台の庁舎があった。

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神戸海洋気象台は大正9年竣工、渡辺節設計で浄水場と同じく白タイル張りの煉瓦造洋館であったが今は無い。
移転した新庁舎にステンドグラスのみ保存されているという。
気象台も外観の一部はこのような円筒形をしていた。

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以前取り上げた大阪市の柴島浄水場や今回の神戸市奥平野浄水場など、戦前の水道施設には優れた建築物が多く、かつ現存するものも多い。

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この建物のように展示施設として公開されているものも多いので、他の都市の水道施設も今後紹介していきたい。

第390回・旧遠山元一邸(遠山記念館)

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日興証券初代会長の遠山元一(1890~1972)が、没落した生家の再興と、実母への孝養を尽くすために故郷の埼玉県に建てた屋敷。現在邸宅と庭園は財団法人遠山記念館として一般公開されている。埼玉県下でもトップクラスの近代和風建築である。国登録有形文化財。

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埼玉県比企郡川島町、広大な関東平野の田園風景の中に、広壮な屋敷が現れる。
遠山家は代々この地における屈指の豪農であったが、遠山元一の父の代で放蕩のため急激に没落、元一は高等小学校卒業後、明治38年に東京・兜町に丁稚奉公することになる。

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敷地の周囲は濠を巡らす。
遠山元一は丁稚奉公から12年後の大正7年に、川島屋商店を立ち上げ独立、その後は急成長を遂げ第二次大戦下の国策により日興証券の初代会長となり、戦後は長く業界の重鎮として君臨した人物である。

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堂々たる正門。
事業が成功し産を成した遠山元一は、丁稚奉公以来忘れることのなかった生家の再興に着手する。また同時に、生家没落と一家離散で辛苦を嘗め尽くした母親の安住の場を作る目的があった。
このとき工事の総指揮は元一の弟・遠山芳雄(1896~1945)が行っている。昭和8年から3年がかりで工事を進め、昭和11年(1936)竣工。

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当時雑木林と畑地と化して、面影も無かった生家の跡地を綿密に測量、広大な敷地跡を割り出し所有者から買い戻した。遠山元一本人の意向とは裏腹に、地元や周囲の人々によって構想は壮大となり、建築の規模は当初予定より10倍近くになったという。かつて「梅屋敷」と称された豪家・遠山家の再興は、地元にとっても喜びであったもの思われる。

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正面玄関のある東棟。
旧遠山邸の最大の特色は、生家の再興を象徴すべく、この地方における豪農の館を再現したことである。
遠山芳雄は印刷業などを営む実業家であったが、幼少より手先が器用で建築にも造詣が深く、当時既に技法が廃れかけて居た茅の葺き方に職人が困惑していると、自ら屋根に上がり仕上げてしまったという挿話も残る。

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中棟。東京風の二階家で貴賓の接待空間として建てられたものと思われる。
生家再興の総指揮は遠山芳雄が行い、元一は芳雄が求めるがまま資金を出した。そして邸宅の設計を行ったのが東京帝大卒の建築家・室岡惣七である。同じ埼玉は入間市に建つ、旧石川組西洋館の設計者である。

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西棟。京都風の数寄屋造平屋建。背後に土蔵が建つ。遠山元一の母・美以の居住空間として造られた。
基本は弟に任せっきりであった元一も、母の居室については色々と注文を付けたようである。

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庭園に建つ茶室。
遠山元一邸は、東棟の存在を除けば典型的な近代和風建築の邸宅と言える。

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東棟の玄関。武家屋敷を思わせる堂々としたもの。

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東棟は玄関の他、囲炉裏のある居室がある。
母・美以は京都風の西棟よりもこの囲炉裏端を好み、昭和23年に82歳で長逝するまでこの家で晩年を過ごした。

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建設当初、天井は古民家の造りに従い骨組みをむき出しにしていたが、その後寒さ対策で網代を張っている。

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側面に設けられた家族用の内玄関。床の人造研ぎ出し石の磨き上げ具合が半端ではない。
規模が大きいだけではなく、材料・仕事共に最高のものを追求して造られた邸宅である。

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中棟の廊下。天井は船底天井。

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中棟の主座敷。首相在任中の吉田茂が訪れたときはこの座敷に通されている。

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主座敷からの眺め。広大な庭園が広がる。
大きな一枚ものの硝子は米国からの輸入品。

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中棟一階の縁側。

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中棟の二階は宿泊する貴賓のための空間と思われる。ソファを備えた客間と書斎、寝室が一続きの洋間としてある他、座敷と洗面所・便所がある。
二階は通常非公開だが、年に一時期だけ公開しているようである。

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寝室。ソファやベッドなどの家具は当時からのものと思われる。
朝香宮鳩彦王が戦前、ここで宿泊されたそうである。

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二階に施された造作の数々。
(上左)床の寄木細工(上右)寝室小窓の建具
(下左)洗面所扉のステンドグラス(下右)洋間入口の扉に施された彫刻と象牙細工

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再び中棟一階に戻る。
数寄屋風の優雅な化粧室。隣の浴室に続く。

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中棟から西棟への渡廊下。片面を角柱、もう片面を面皮柱とする。

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西棟、母の居室。
残月床を備える。母・美以の死後は客室として使用されたようである。

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京風の優美な造りの座敷で構成される。

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ところで、母のために心を尽くしてこの屋敷を作り上げた遠山芳雄は、不幸な最期を遂げている。
昭和14年に中国大陸で馬賊に囚われ各地を引き回された挙句、敗戦後間もなく、帰国も叶わず現地で病死した。

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仏間。
遠山元一は晩年の昭和43年に、財団法人遠山記念館を設立して邸宅を一般に開放した。
弟・芳雄の「生涯から残されたたったひとつの事業」「なにごとも忘れて打ち込むことができた芸術品」(遠山元一の言)を永久に残そうとしたのかも知れない。

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近代和風建築の見どころは細部にある。建具に施された装飾の数々。
(上左)中棟一階主座敷の飾り小窓(上右)東棟囲炉裏の間の小窓
(下左)中棟二階洋間の窓のオパールグラス(下右)中棟一階主座敷の書院飾りの彫刻

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照明器具も見どころ豊か。
(上左)正門(上右)中棟一階主座敷
(中左)中棟二階洋間(中右)西棟座敷
(下左)西棟縁側(下右)西棟軒下の釣り行燈

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(参考資料)牧野武夫「遠山元一」昭和39年刊
現在は販売しているかどうか不明だが、以前は遠山記念館で販売していた伝記本。
遠山元一が綴った、自らの半生を顧みる文章も多数収録されているがすぐれた名文である。生家再建のいきさつも詳しい。

遠山記念館ホームページ
http://www.e-kinenkan.com/

第389回・ニッカウヰスキー余市蒸溜所

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北海道余市町にあるニッカウヰスキー余市蒸溜所は、昭和9年(1934)、日本のウィスキーの父と言われる竹鶴政孝(1894~1979)によって建設された。現在も当時の建物が現役で稼働しており、平成17年には、主要施設が国の登録有形文化財に認定されている。

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JR余市駅前に出るとその姿が遠望できる、蒸留所の正門。

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地元で切り出される石を積み上げた外壁。

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入口上部には「ニッカウヰスキー株式會社」の文字。

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アーチをくぐると日本離れした光景が広がる。

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敷地内側からみた正門。

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アーチの要石(キーストーン)に刻まれた紋章。

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門の上部には貴賓室があるようだ。

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敷地内には正門と同様、石造りの建物が建ち並ぶ。

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余市蒸溜所は無料で見学ができる。余市の観光名所としても有名。
工場見学等については下記、ニッカウヰスキーのホームページを参照頂きたい↓
http://www.nikka.com/reason/introduction/yoichi/index.html

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また創業者・竹鶴政孝の足跡は、ニッカウィスキーのホームページで詳細を知ることができる。
http://www.nikka.com/world/sticking/index.html

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竹鶴政孝の足跡をたどると、二人の船場商人(芝川又四郎・加賀正太郎)が草創期のニッカウヰスキーを経営面で支えていたことが分かる。

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弊ブログでは、芝川又四郎が大阪に建てた芝川ビル、加賀正太郎が大阪と京都の境である大山崎に建てた山荘「大山崎山荘」を取り上げている。興味のある方は上記HPと併せて御覧頂けると幸いである。

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リタハウス。
この洋館は、工場建設前からあった旧地主の住宅を買い取って事務所兼研究室として使っていたもの。
昭和6年ごろの建物で、これも登録有形文化財。

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現在の名称は、スコットランド出身であった竹鶴夫人の名に因む。

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リタハウス内部。扉が閉まっていたが現在も何かに使用しているようである。

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旧事務所。竹鶴政孝の執務室だった。
この建物のみ、いち早く余市町の指定文化財になっている。

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昭和10年建設の旧竹鶴政孝邸。
スコットランド人のリタ夫人の為に建てた和洋折衷の住宅。

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池に囲まれて建っているわけではない。撮影した日は前日の豪雨で水溜りに囲まれてしまったため、遠望するだけだった。

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入口まわりのみ石を積み、壁面はモルタル仕上げとした貯蔵庫。

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昭和14年頃に、最初の原酒貯蔵庫として建てられた第一貯蔵庫。

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貯蔵庫内部。

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余市蒸留所は平成13年に、北海道民全体の宝物として「北海道遺産」にも選ばれている。
http://www.hokkaidoisan.org/
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syoukou

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現存する近代日本の歴史的遺産(台湾など旧日本領土も含む)を建造物・土木構造物を中心に、思いつくままに取り上げております。

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