第426回・網走刑務所正門、旧網走監獄正門(永専寺山門)

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前回取り上げた博物館網走監獄の建築群に続き、今回は今も現役の網走刑務所正門及び煉瓦塀、寺院の門として使われている旧網走監獄正門を取取り上げたい。

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網走刑務所正門前の眺め。塀の中にあった施設は役目を終え博物館網走監獄で新たな役割を担っているが、正門と周囲を囲む煉瓦塀は、大正時代に竣工したものが今も現役である。

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網走刑務所の歴史は、明治23年(1890)設立の釧路集治監網走分監に遡る。

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明治36年(1903)に網走監獄、大正11年(1922)には網走刑務所に改称され、現在に至る。

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正門。大正8年から5年がかりで建設され、大正13年(1924)に竣工した。
工事の最中の大正11年には、先述の通り網走監獄から網走刑務所に改称されている。

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一対の丸く張り出した部分は、建設当初片方が看守の詰所と受付、もう片方は面会人の控所であったという。

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正面上部の小窓。

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赤と黒っぽい焦茶色と、二色の煉瓦を積み上げている。煉瓦は全て刑務所内で製造されたもの。

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この写真を御覧頂けば、前回の博物館網走監獄正門が極めてオリジナルに忠実に再現されているかが分かると思う。

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正門や煉瓦塀の周囲には受刑者によって色とりどりの草花が植えられ、美しく手入れされている。

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構内にあった監視用の哨舎は、博物館へ移設されたものもあるが、現地にて敷地外に移設保存されたものもある。

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刑務所の門が観光名所となっているのは、ここ網走ぐらいではないかと思う。

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網走市内にある仏教寺院の永専寺。
明治45年(1912)竣工の旧網走監獄正門が山門として移設・再利用されている。

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大正8年に、それまで木製であった監獄の塀と正門を煉瓦造に改築する工事が始まった。現在の正門が完成した大正13年に最初の役目を終え、現在地に移設された。

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ドーム状の屋根を持つ張り出しなど、現在の正門はこの旧正門のイメージを引き継ぐものとしてデザインされたと思える。

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この扉からは、かつては刑期を終えた人々が社会に戻って行ったはず。

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現在は寺院の門であると共に、付属の幼稚園の門としても使われているようだ。

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永専寺は網走監獄の教誨師を長年務めた僧侶・永法専が住職であった関係で、旧正門が移設されたという。

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両袖の煉瓦塀も刑務所で製造されたものだろうか。

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永専寺山門は昭和52年に、網走市有形文化財に指定されている。
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第425回・旧網走監獄(博物館網走監獄)

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北海道網走市の博物館網走監獄は、昭和末期まで使用されていた旧網走監獄(現網走刑務所)の主要施設を移築復元・公開している施設である。

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大正13年竣工の網走刑務所正門を忠実に模した正門。
なお、オリジナルは現在も網走刑務所正門として現役である。

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旧庁舎。明治45年(1912)に竣工、昭和62年まで75年間使われていた。

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明治42年に火災によって庁舎ほか監獄の施設の多くが焼失したため、新築されたものである。

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車寄せは和風の入母屋屋根になっている。

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庁舎と同様明治45年再建の舎房。現在地には昭和60年に移築された。その形状から五翼放射状平屋舎房と称される。明治期の行刑施設をそっくり移築保存しているのはここ網走だけである。

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放射状に広がる舎房外観。

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舎房の窓。

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舎房入口を入ってすぐの位置にある中央見張所。全ての舎房の廊下が見渡せるように造られている。

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第一舎から第五舎まですべて保存されている。

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独居房の廊下。

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独居房内部。

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吉村昭のノンフィクション小説「破獄」のモデルとなった、脱獄王・白鳥由栄による昭和19年の脱獄事件を、マネキン人形によって脱獄の模様を再現している。

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二見ヶ岡農場全景。
刑務所内の食糧生産の場で明治29年(1896)建設。1世紀に亘って使われ、現在地には平成11年移築された。

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二見ヶ岡農場事務所庁舎。

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事務所庁舎内部。煉瓦を矢筈状に敷き詰めている。

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二見ヶ岡農場舎房内部。
二見ヶ岡農場で農作業に従事するのは比較的刑の軽い囚人であった。

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雑居房。

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庁舎の窓から見る囚人の人形。

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規則に反する行為をした囚人が入れられた懲罰房。

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懲罰房内部。

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庁舎や舎房と同じく明治45年竣工の教誨堂。囚人を対象に宗教家などによる教誨活動が行われ、戦後は芸能人などによる慰問の場にも使われた。

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屋根は日本瓦葺の入り母屋屋根で和風だが、壁は下見板張りに縦長の上げ下げ窓を備えた洋風。

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内部は完全に洋風の造り。

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大正13年(1924)竣工の裏門。煉瓦は製造から積み上げまで囚人が行った。平成5年まで使用。

網走刑務所内の古い施設はここ博物館網走監獄に一通り移設され、国登録有形文化財に認定されている。
しかし正門と周囲の煉瓦塀は今も元の場所で現役である。そして煉瓦造に改築される前の旧正門も網走市内に現存している。それらは次回紹介したい。

第424回・爲三郎記念館(旧古川爲三郎邸)

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名古屋の実業家・古川爲三郎(1890~1993)の旧邸「爲春庵」。
現在は古川美術館分館「爲三郎記念館」として建物と庭園が公開されている。

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爲三郎記念館は名古屋市の郊外、千種区池下町にある。
以前取り上げた松坂屋店主・伊藤次郎左衛門の別邸「揚輝荘」からも近い場所である。

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玄関。
元々は住居として建てられたものではなく、昭和9年(1934)に料亭の別館として建てられたものを敗戦後間もなく古川爲三郎が買い取り、103歳で没するまで住んでいた。

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古川爲三郎没後、故人の遺志により平成7年より邸宅を公開し、現在に至る。
なお古川美術館も古川爲三郎が生前に設立した私設美術館である。

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手入れが行き届いた庭園と数寄屋造りの建物を鑑賞できる。

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元々は料亭なので、随所に凝った普請のあとが見られる数寄屋建築である。

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この建物の建つ一帯は起伏が激しく、旧古川邸も斜面に面して造られている。

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茶室「知足庵」

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腰掛待合と雪隠。

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中庭。右手の欄干部分は名古屋の和風建築に多い無双窓になっている。

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全体に柱が細く繊細な印象の和風建築である。

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名古屋の上質な近代和風建築である。

第423回・旧徳島県庁舎(徳島県立文書館)

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昭和5年(1930)に竣工した旧徳島県庁舎は、昭和末年に解体された。
しかし徳島市郊外の文化の森総合公園内にある県立文書館の建物に、旧庁舎の玄関部分等一部が移築されており、かつての姿を一部ながら見ることができる。

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在りし日の旧庁舎全景。新町川に面し、以前取り上げた旧三河家住宅とは手前のかちどき橋を挟んで隣接していた。
写真は館内に展示されている古写真。

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現在の徳島県立文書館全景。正面中央の3分の1程度が再現されている。

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外壁タイルは新調されているが、玄関ポーチの石材や、軒のテラコッタ装飾、スペイン瓦は旧庁舎の部材を保存・再利用しているという。また玄関燈は戦時中の金属供出で失われていたものを図面に基づき復元している。

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中央部分に両端をくっつけたような形になっている。

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同じ昭和5年竣工の県庁舎は、他に旧茨城県庁舎旧山梨県庁舎があり、いずれも現存する。山梨の設計に関与していた佐野利器は、徳島県庁舎の設計にも関与しており、徳島と山梨の両庁舎の外観には似たところがある。

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側面1階外壁。

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背面。背面の外壁の一部分は旧庁舎のタイルを再利用しているという。

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玄関ポーチ部分は、旧部材を用いてほぼ寸分違わず移築されているようである。

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縁取りの装飾部分詳細。

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天井の漆喰細工も再現されている。

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木製の玄関扉。旧庁舎から移設したもの。

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壁面に大理石を張りつめた玄関。奥行きは切り縮められているとのことなので、意匠はともかく寸法は変えられていると思われる。当初はもっと奥行きがあったかもしれない。

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同上、天井の漆喰細工。

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玄関から階段室を見る。階段踊り場の絵は昭和5年頃の徳島市街。
当時の徳島は、川沿いに藍蔵が並ぶ、江戸時代の名残が強く残る城下町であった。その中でこの県庁や、以前取り上げた旧三河邸や高原ビル旧勧業銀行のような洋風建築はさぞ目立ったものと思われる。

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階段室は山梨や茨城の旧庁舎に比べると窮屈で、奥行きが切り縮められているのが分かる。
南洋材(タンギール)を用いた親柱と手摺は旧庁舎の部材を移設。

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内部で旧庁舎の面影を残すのは玄関まわりと階段のみである。

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(参考)徳島県立文書館ホームページ
http://www.archiv.tokushima-ec.ed.jp/

第422回・旧明石郡公会堂(明石中崎公会堂)

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兵庫県明石市にある中崎公会堂は明治44年(1911)の竣工で、既に築100年を超えるが今も市民のための集会施設として現役である。国登録有形文化財。

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明石郡明石町(当時)と周辺11ヶ村によって、奈良市公会堂(現存しない)を参考に、奈良県庁で古社寺修復技師も務めた経歴を持つ地元出身の建築家・加護谷祐太郎の設計で建てられた。

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寺院を思わせる荘重な外観。

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昭和58年には改修工事が施され、平成7年の阪神大震災も乗り越え現在に至る。

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唐破風とふくらみを持つ柱が特徴的な玄関。

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かつては浜辺に面した松林に囲まれて建っていたが、現在周囲は高層マンションも建つ住宅地となっている。
また公会堂の裏には現在国道が通っているが、かつては建物のすぐ傍まで浜辺であった。

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明治44年8月に竣工した際、杮落しに招かれた夏目漱石がこの建物で講演を行っている。
そのときは多くの聴衆が詰めかけたという。

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内田百閒はこの講演を聴くために、故郷岡山から明石へ駆けつけている。
以下、内田百閒「百鬼園随筆」所収「明石の漱石先生」文中の公会堂についてのくだり。

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「…演壇に向かつて、右手の直ぐ下は明石海峡で、開け拡げた広間の天井には、浪の色が映つてゐました。海の向うには、淡路島の翠巒が鏡にうつした景色の様に美しく空を限つて居りました。」

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現在、そのような景色をこの建物から望むことはもはや出来ない。
建物だけが昔と変わらない姿で現在も建っている。

第421回・旧小川眼科病院(黒沢ビル)

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黒沢ビルは東京台東区の不忍池の近く、上野仲町通りに面して建つ。
小川三知制作のステンドグラスが多数館内を彩る。国登録有形文化財。

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建主の眼科医・小川剣三郎(1871~1933)は小川三知の実弟。大正期より当地で眼科を開業していたが、大正12年の関東大震災による大火で建物が焼失。昭和4年(1929)に再建したのが、この建物。

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正面窓の建具がアルミサッシに変わった以外は、創建当初と変わらない外観。

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屋上には屋上庭園と患者の紫外線治療のために設けられたガラス張りの小部屋がある。
(左手に少し写っているのがそれと思われる)

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玄関まわり。一階外壁は石張りになっている。
かつてはこの玄関前には、街路に面して小さな噴水と彫刻があったという。

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設計及び工事監督は石原暉一。

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所有者は小川家に関係のある人々に受け継がれ、歯科医院や各種事務所が入居するテナントビルとなっている。
ただし現在も小川眼科医院は1階で診察を行っている。

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玄関先にちょっと立ち入らせて頂いた。

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受付の小窓。

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床以外は創建時と変わらないのではないかと思う。

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階段の手摺や、造りつけの手洗い場も昔のままだと思われる。

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小川三知制作の、玄関欄間のステンドグラス。
暁を告げる鶏。

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随所にステンドグラスが嵌め込まれている。
また立ち入りは出来ないが、各部屋の内部にもステンドグラスがあるという。

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小川剣三郎氏の胸像。

(参考書籍)
田辺千代著・増田彰久写真「日本のステンドグラス 小川三知の世界」(平成20年 白揚社)

第420回・旧丸菱ビル(第一KSビル)

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東京・神田淡路町に建つ、大正末竣工の鉄筋コンクリート造の小規模ビル。
登録有形文化財。

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改修されているため一見古さを感じさせないが、よく見ると戦前建築であることが分かる。

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壁面にはタイルを芋目状に貼る。タイルの色は、現在上からペンキで塗られているためもとの色は不詳。

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1階まわり。

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特徴的な形の塔屋。半円形部分には、何か文字もしくは装飾の入っていたような痕跡。

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1階の開口部は、左手の扉は新しいものに変えられているが、右手の蛇腹状の金属格子は古いものかも知れない。

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街路に合わせて1階の外壁は、2階以上とずれているのが分かる。

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1階正面左手の、2階への入口欄間に嵌め込まれたステンドグラス。

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両隣のビルと比較すると、2階以上の階の天井の高さが高いことが分かる。

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都心の一画にひっそりと残る大正建築である。

第419回・旧相馬哲平邸

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函館屈指の豪商・相馬哲平(初代)(1833~1921)の自邸。
明治41年(1908)の竣工で、函館市街を見下ろす元町の高台に建っている。

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旧相馬邸全景。
明治40年の大火で土蔵を残して全焼したが、翌年には直ちに再建した。

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大火にも焼け残った土蔵。

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現在は相馬家の手を離れ、存続が危ぶまれたこともあったが現所有者が購入、補修の上一般公開して現在に至る。
http://www.soumatei.com/index.html

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上方に向かって緩く湾曲したむくり屋根のある大きな玄関。

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玄関脇にあるペンキ塗りの洋館。

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洋館の窓額縁には細かな彫刻が施されている。

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邸宅は和風を基調とする。一部が建て替えられているが主要部は創建時より変わらず残されている。

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庭園側からの眺め。

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縁側には、当時高価であった硝子をふんだんに使った建具を立て込む。

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初代相馬哲平は幕末の函館戦争に際し、自身の体を張った米の投機買いで得た巨利を元に、海産物商を始め各事業に手を伸ばし一代で莫大な財を築いた人物である。しかし豪華な邸宅は来客用のためで自身の生活は晩年まで極めて質素であったという。

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庭園からは函館市街を一望できる。
なお、松の木の奥に見える洋館は旧英国領事館である。

第418回・旧日本勧業銀行徳島支店(みずほ銀行徳島支店)

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先日取り上げた旧高原ビルの斜め向かいにあるみずほ銀行徳島支店の建物。
昭和4年(1929)に、日本勧業銀行徳島支店として竣工した建物である。

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列柱に支えられた5連アーチが特徴的である。

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日本勧業銀行徳島支店は昭和中期の合併で第一勧業銀行徳島支店となり、平成に入るとまた合併でみずほ銀行徳島支店となり現在に至る。

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旧日本勧業銀行の店舗は、昭和12年竣工の長野県の旧松本支店は登録有形文化財として保全されているが、全国的に見ても現存するものは非常に少ない。

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徳島市内に残るほぼ唯一の古典様式の銀行建築としても、数少ない旧勧銀店舗としても、今後も残って欲しい建物である。

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希少であるだけではなく、建物そのものが非常に美しい、すばらしいものであることは、言うまでもない。

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この建物についての資料は乏しく、設計者は分からなかった。
今は無い東京内幸町の本店(徳島支店と同じ昭和4年竣工)を設計した渡辺節の可能性もあるが、日本勧業銀行の営繕部かも知れない。

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現在も現役の銀行店舗である。

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凝ったつくりの照明器具。
当初からのものかもしれない。

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入口の鉄扉も昔のままと思われる。

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近年、大手都銀の店舗は統廃合による敷地の売却で、すぐれた戦前の建物が無残にも破壊される例が続出している。
この建物がそのような末路を辿らないことを切に願う。

第417回・旧友ヶ島砲台群

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前回に続き、和歌山県の友ヶ島。
明治22年から建設が始まった由良要塞の一部として、友ヶ島には砲台群が築造された。
築造後実戦で使用されることはなく敗戦を迎え、今は廃墟だけが残る。

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遠くから望む第二砲台跡。左手の丘の上には前回取り上げた友ヶ島灯台が見える。

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第二砲台跡。終戦時に爆破処分されたが、煉瓦造の砲座の残骸は今も残っている。

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明治31年(1898)の竣工。

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旧台第二砲台跡は立ち入ることは出来ない。
近くで見るだけである。

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明治20年代当時の最先端の技術と、最高の施工技術を以て造られた。
70年近く放置されていても、今なお残存部分は堅固なものだと思われる。

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廃墟と海。

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もっとも保存状態のよい第三砲台跡へ近づく。明治25年(1892)竣工。

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砲座へ通じる、地下トンネルの入口。

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トンネルと階段を使って、砲座へ上がって行けるようになっているらしい。

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トンネル入口より奥へ進むと、弾薬支庫跡が見えてくる。

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弾薬支庫跡。

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見る者を圧倒する迫力を持つ廃墟である。

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煉瓦の積み方は日本では珍しいフランス積み。
友ヶ島砲台群はフランスの砲台を範に取って築造されたため、煉瓦積もフランスの手法が用いられたものと思われる。

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第三砲台跡は保存状態がよいことに加え、比較的よく整備がされているので内部にも入れる。

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弾薬支庫跡の内部。

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写真はフラッシュを焚いているためこのような写りだが、実際は真っ暗である。

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内側から開口部を望む。

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友ヶ島砲台群は、土木学会の選奨遺産に認定されている。

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土木史的にも軍事史的にも非常に高い価値のある歴史遺産である。

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宮崎駿のアニメを思わせるような風景。

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右手が旧発電所、左手は将校官舎跡と思われる。

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将校官舎跡と思われる建物は一部煉瓦造、一部木造。

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銃眼のような小さな開口部が設けられている。

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内部には床の間もあったようだ。

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最近はこの独特の雰囲気に惹かれて島を訪れる人も増えているそうだ。

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友ヶ島は対岸の和歌山県加太から定期船が出ており、手軽に行ける。

(参考)和歌山市加太観光協会 http://www.kada.jp/
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