第426回・網走刑務所正門、旧網走監獄正門(永専寺山門)

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前回取り上げた博物館網走監獄の建築群に続き、今回は今も現役の網走刑務所正門及び煉瓦塀、寺院の門として使われている旧網走監獄正門を取取り上げたい。

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網走刑務所正門前の眺め。塀の中にあった施設は役目を終え博物館網走監獄で新たな役割を担っているが、正門と周囲を囲む煉瓦塀は、大正時代に竣工したものが今も現役である。

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網走刑務所の歴史は、明治23年(1890)設立の釧路集治監網走分監に遡る。

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明治36年(1903)に網走監獄、大正11年(1922)には網走刑務所に改称され、現在に至る。

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正門。大正8年から5年がかりで建設され、大正13年(1924)に竣工した。
工事の最中の大正11年には、先述の通り網走監獄から網走刑務所に改称されている。

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一対の丸く張り出した部分は、建設当初片方が看守の詰所と受付、もう片方は面会人の控所であったという。

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正面上部の小窓。

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赤と黒っぽい焦茶色と、二色の煉瓦を積み上げている。煉瓦は全て刑務所内で製造されたもの。

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この写真を御覧頂けば、前回の博物館網走監獄正門が極めてオリジナルに忠実に再現されているかが分かると思う。

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正門や煉瓦塀の周囲には受刑者によって色とりどりの草花が植えられ、美しく手入れされている。

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構内にあった監視用の哨舎は、博物館へ移設されたものもあるが、現地にて敷地外に移設保存されたものもある。

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刑務所の門が観光名所となっているのは、ここ網走ぐらいではないかと思う。

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網走市内にある仏教寺院の永専寺。
明治45年(1912)竣工の旧網走監獄正門が山門として移設・再利用されている。

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大正8年に、それまで木製であった監獄の塀と正門を煉瓦造に改築する工事が始まった。現在の正門が完成した大正13年に最初の役目を終え、現在地に移設された。

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ドーム状の屋根を持つ張り出しなど、現在の正門はこの旧正門のイメージを引き継ぐものとしてデザインされたと思える。

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この扉からは、かつては刑期を終えた人々が社会に戻って行ったはず。

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現在は寺院の門であると共に、付属の幼稚園の門としても使われているようだ。

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永専寺は網走監獄の教誨師を長年務めた僧侶・永法専が住職であった関係で、旧正門が移設されたという。

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両袖の煉瓦塀も刑務所で製造されたものだろうか。

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永専寺山門は昭和52年に、網走市有形文化財に指定されている。
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第425回・旧網走監獄(博物館網走監獄)

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北海道網走市の博物館網走監獄は、昭和末期まで使用されていた旧網走監獄(現網走刑務所)の主要施設を移築復元・公開している施設である。

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大正13年竣工の網走刑務所正門を忠実に模した正門。
なお、オリジナルは現在も網走刑務所正門として現役である。

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旧庁舎。明治45年(1912)に竣工、昭和62年まで75年間使われていた。

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明治42年に火災によって庁舎ほか監獄の施設の多くが焼失したため、新築されたものである。

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車寄せは和風の入母屋屋根になっている。

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庁舎と同様明治45年再建の舎房。現在地には昭和60年に移築された。その形状から五翼放射状平屋舎房と称される。明治期の行刑施設をそっくり移築保存しているのはここ網走だけである。

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放射状に広がる舎房外観。

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舎房の窓。

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舎房入口を入ってすぐの位置にある中央見張所。全ての舎房の廊下が見渡せるように造られている。

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第一舎から第五舎まですべて保存されている。

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独居房の廊下。

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独居房内部。

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吉村昭のノンフィクション小説「破獄」のモデルとなった、脱獄王・白鳥由栄による昭和19年の脱獄事件を、マネキン人形によって脱獄の模様を再現している。

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二見ヶ岡農場全景。
刑務所内の食糧生産の場で明治29年(1896)建設。1世紀に亘って使われ、現在地には平成11年移築された。

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二見ヶ岡農場事務所庁舎。

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事務所庁舎内部。煉瓦を矢筈状に敷き詰めている。

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二見ヶ岡農場舎房内部。
二見ヶ岡農場で農作業に従事するのは比較的刑の軽い囚人であった。

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雑居房。

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庁舎の窓から見る囚人の人形。

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規則に反する行為をした囚人が入れられた懲罰房。

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懲罰房内部。

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庁舎や舎房と同じく明治45年竣工の教誨堂。囚人を対象に宗教家などによる教誨活動が行われ、戦後は芸能人などによる慰問の場にも使われた。

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屋根は日本瓦葺の入り母屋屋根で和風だが、壁は下見板張りに縦長の上げ下げ窓を備えた洋風。

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内部は完全に洋風の造り。

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大正13年(1924)竣工の裏門。煉瓦は製造から積み上げまで囚人が行った。平成5年まで使用。

網走刑務所内の古い施設はここ博物館網走監獄に一通り移設され、国登録有形文化財に認定されている。
しかし正門と周囲の煉瓦塀は今も元の場所で現役である。そして煉瓦造に改築される前の旧正門も網走市内に現存している。それらは次回紹介したい。

第424回・爲三郎記念館(旧古川爲三郎邸)

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名古屋の実業家・古川爲三郎(1890~1993)の旧邸「爲春庵」。
現在は古川美術館分館「爲三郎記念館」として建物と庭園が公開されている。

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爲三郎記念館は名古屋市の郊外、千種区池下町にある。
以前取り上げた松坂屋店主・伊藤次郎左衛門の別邸「揚輝荘」からも近い場所である。

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玄関。
元々は住居として建てられたものではなく、昭和9年(1934)に料亭の別館として建てられたものを敗戦後間もなく古川爲三郎が買い取り、103歳で没するまで住んでいた。

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古川爲三郎没後、故人の遺志により平成7年より邸宅を公開し、現在に至る。
なお古川美術館も古川爲三郎が生前に設立した私設美術館である。

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手入れが行き届いた庭園と数寄屋造りの建物を鑑賞できる。

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元々は料亭なので、随所に凝った普請のあとが見られる数寄屋建築である。

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この建物の建つ一帯は起伏が激しく、旧古川邸も斜面に面して造られている。

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茶室「知足庵」

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腰掛待合と雪隠。

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中庭。右手の欄干部分は名古屋の和風建築に多い無双窓になっている。

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全体に柱が細く繊細な印象の和風建築である。

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名古屋の上質な近代和風建築である。

第423回・旧徳島県庁舎(徳島県立文書館)

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昭和5年(1930)に竣工した旧徳島県庁舎は、昭和末年に解体された。
しかし徳島市郊外の文化の森総合公園内にある県立文書館の建物に、旧庁舎の玄関部分等一部が移築されており、かつての姿を一部ながら見ることができる。

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在りし日の旧庁舎全景。新町川に面し、以前取り上げた旧三河家住宅とは手前のかちどき橋を挟んで隣接していた。
写真は館内に展示されている古写真。

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現在の徳島県立文書館全景。正面中央の3分の1程度が再現されている。

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外壁タイルは新調されているが、玄関ポーチの石材や、軒のテラコッタ装飾、スペイン瓦は旧庁舎の部材を保存・再利用しているという。また玄関燈は戦時中の金属供出で失われていたものを図面に基づき復元している。

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中央部分に両端をくっつけたような形になっている。

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同じ昭和5年竣工の県庁舎は、他に旧茨城県庁舎旧山梨県庁舎があり、いずれも現存する。山梨の設計に関与していた佐野利器は、徳島県庁舎の設計にも関与しており、徳島と山梨の両庁舎の外観には似たところがある。

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側面1階外壁。

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背面。背面の外壁の一部分は旧庁舎のタイルを再利用しているという。

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玄関ポーチ部分は、旧部材を用いてほぼ寸分違わず移築されているようである。

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縁取りの装飾部分詳細。

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天井の漆喰細工も再現されている。

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木製の玄関扉。旧庁舎から移設したもの。

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壁面に大理石を張りつめた玄関。奥行きは切り縮められているとのことなので、意匠はともかく寸法は変えられていると思われる。当初はもっと奥行きがあったかもしれない。

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同上、天井の漆喰細工。

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玄関から階段室を見る。階段踊り場の絵は昭和5年頃の徳島市街。
当時の徳島は、川沿いに藍蔵が並ぶ、江戸時代の名残が強く残る城下町であった。その中でこの県庁や、以前取り上げた旧三河邸や高原ビル旧勧業銀行のような洋風建築はさぞ目立ったものと思われる。

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階段室は山梨や茨城の旧庁舎に比べると窮屈で、奥行きが切り縮められているのが分かる。
南洋材(タンギール)を用いた親柱と手摺は旧庁舎の部材を移設。

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内部で旧庁舎の面影を残すのは玄関まわりと階段のみである。

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(参考)徳島県立文書館ホームページ
http://www.archiv.tokushima-ec.ed.jp/

第422回・旧明石郡公会堂(明石中崎公会堂)

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兵庫県明石市にある中崎公会堂は明治44年(1911)の竣工で、既に築100年を超えるが今も市民のための集会施設として現役である。国登録有形文化財。

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明石郡明石町(当時)と周辺11ヶ村によって、奈良市公会堂(現存しない)を参考に、奈良県庁で古社寺修復技師も務めた経歴を持つ地元出身の建築家・加護谷祐太郎の設計で建てられた。

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寺院を思わせる荘重な外観。

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昭和58年には改修工事が施され、平成7年の阪神大震災も乗り越え現在に至る。

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唐破風とふくらみを持つ柱が特徴的な玄関。

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かつては浜辺に面した松林に囲まれて建っていたが、現在周囲は高層マンションも建つ住宅地となっている。
また公会堂の裏には現在国道が通っているが、かつては建物のすぐ傍まで浜辺であった。

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明治44年8月に竣工した際、杮落しに招かれた夏目漱石がこの建物で講演を行っている。
そのときは多くの聴衆が詰めかけたという。

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内田百閒はこの講演を聴くために、故郷岡山から明石へ駆けつけている。
以下、内田百閒「百鬼園随筆」所収「明石の漱石先生」文中の公会堂についてのくだり。

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「…演壇に向かつて、右手の直ぐ下は明石海峡で、開け拡げた広間の天井には、浪の色が映つてゐました。海の向うには、淡路島の翠巒が鏡にうつした景色の様に美しく空を限つて居りました。」

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現在、そのような景色をこの建物から望むことはもはや出来ない。
建物だけが昔と変わらない姿で現在も建っている。

第421回・旧小川眼科病院(黒沢ビル)

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黒沢ビルは東京台東区の不忍池の近く、上野仲町通りに面して建つ。
小川三知制作のステンドグラスが多数館内を彩る。国登録有形文化財。

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建主の眼科医・小川剣三郎(1871~1933)は小川三知の実弟。大正期より当地で眼科を開業していたが、大正12年の関東大震災による大火で建物が焼失。昭和4年(1929)に再建したのが、この建物。

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正面窓の建具がアルミサッシに変わった以外は、創建当初と変わらない外観。

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屋上には屋上庭園と患者の紫外線治療のために設けられたガラス張りの小部屋がある。
(左手に少し写っているのがそれと思われる)

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玄関まわり。一階外壁は石張りになっている。
かつてはこの玄関前には、街路に面して小さな噴水と彫刻があったという。

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設計及び工事監督は石原暉一。

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所有者は小川家に関係のある人々に受け継がれ、歯科医院や各種事務所が入居するテナントビルとなっている。
ただし現在も小川眼科医院は1階で診察を行っている。

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玄関先にちょっと立ち入らせて頂いた。

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受付の小窓。

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床以外は創建時と変わらないのではないかと思う。

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階段の手摺や、造りつけの手洗い場も昔のままだと思われる。

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小川三知制作の、玄関欄間のステンドグラス。
暁を告げる鶏。

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随所にステンドグラスが嵌め込まれている。
また立ち入りは出来ないが、各部屋の内部にもステンドグラスがあるという。

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小川剣三郎氏の胸像。

(参考書籍)
田辺千代著・増田彰久写真「日本のステンドグラス 小川三知の世界」(平成20年 白揚社)

第420回・旧丸菱ビル(第一KSビル)

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東京・神田淡路町に建つ、大正末竣工の鉄筋コンクリート造の小規模ビル。
登録有形文化財。

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改修されているため一見古さを感じさせないが、よく見ると戦前建築であることが分かる。

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壁面にはタイルを芋目状に貼る。タイルの色は、現在上からペンキで塗られているためもとの色は不詳。

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1階まわり。

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特徴的な形の塔屋。半円形部分には、何か文字もしくは装飾の入っていたような痕跡。

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1階の開口部は、左手の扉は新しいものに変えられているが、右手の蛇腹状の金属格子は古いものかも知れない。

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街路に合わせて1階の外壁は、2階以上とずれているのが分かる。

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1階正面左手の、2階への入口欄間に嵌め込まれたステンドグラス。

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両隣のビルと比較すると、2階以上の階の天井の高さが高いことが分かる。

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都心の一画にひっそりと残る大正建築である。

第419回・旧相馬哲平邸

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函館屈指の豪商・相馬哲平(初代)(1833~1921)の自邸。
明治41年(1908)の竣工で、函館市街を見下ろす元町の高台に建っている。

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旧相馬邸全景。
明治40年の大火で土蔵を残して全焼したが、翌年には直ちに再建した。

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大火にも焼け残った土蔵。

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現在は相馬家の手を離れ、存続が危ぶまれたこともあったが現所有者が購入、補修の上一般公開して現在に至る。
http://www.soumatei.com/index.html

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上方に向かって緩く湾曲したむくり屋根のある大きな玄関。

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玄関脇にあるペンキ塗りの洋館。

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洋館の窓額縁には細かな彫刻が施されている。

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邸宅は和風を基調とする。一部が建て替えられているが主要部は創建時より変わらず残されている。

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庭園側からの眺め。

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縁側には、当時高価であった硝子をふんだんに使った建具を立て込む。

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初代相馬哲平は幕末の函館戦争に際し、自身の体を張った米の投機買いで得た巨利を元に、海産物商を始め各事業に手を伸ばし一代で莫大な財を築いた人物である。しかし豪華な邸宅は来客用のためで自身の生活は晩年まで極めて質素であったという。

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庭園からは函館市街を一望できる。
なお、松の木の奥に見える洋館は旧英国領事館である。

第418回・旧日本勧業銀行徳島支店(みずほ銀行徳島支店)

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先日取り上げた旧高原ビルの斜め向かいにあるみずほ銀行徳島支店の建物。
昭和4年(1929)に、日本勧業銀行徳島支店として竣工した建物である。

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列柱に支えられた5連アーチが特徴的である。

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日本勧業銀行徳島支店は昭和中期の合併で第一勧業銀行徳島支店となり、平成に入るとまた合併でみずほ銀行徳島支店となり現在に至る。

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旧日本勧業銀行の店舗は、昭和12年竣工の長野県の旧松本支店は登録有形文化財として保全されているが、全国的に見ても現存するものは非常に少ない。

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徳島市内に残るほぼ唯一の古典様式の銀行建築としても、数少ない旧勧銀店舗としても、今後も残って欲しい建物である。

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希少であるだけではなく、建物そのものが非常に美しい、すばらしいものであることは、言うまでもない。

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この建物についての資料は乏しく、設計者は分からなかった。
今は無い東京内幸町の本店(徳島支店と同じ昭和4年竣工)を設計した渡辺節の可能性もあるが、日本勧業銀行の営繕部かも知れない。

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現在も現役の銀行店舗である。

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凝ったつくりの照明器具。
当初からのものかもしれない。

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入口の鉄扉も昔のままと思われる。

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近年、大手都銀の店舗は統廃合による敷地の売却で、すぐれた戦前の建物が無残にも破壊される例が続出している。
この建物がそのような末路を辿らないことを切に願う。

第417回・旧友ヶ島砲台群

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前回に続き、和歌山県の友ヶ島。
明治22年から建設が始まった由良要塞の一部として、友ヶ島には砲台群が築造された。
築造後実戦で使用されることはなく敗戦を迎え、今は廃墟だけが残る。

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遠くから望む第二砲台跡。左手の丘の上には前回取り上げた友ヶ島灯台が見える。

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第二砲台跡。終戦時に爆破処分されたが、煉瓦造の砲座の残骸は今も残っている。

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明治31年(1898)の竣工。

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旧台第二砲台跡は立ち入ることは出来ない。
近くで見るだけである。

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明治20年代当時の最先端の技術と、最高の施工技術を以て造られた。
70年近く放置されていても、今なお残存部分は堅固なものだと思われる。

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廃墟と海。

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もっとも保存状態のよい第三砲台跡へ近づく。明治25年(1892)竣工。

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砲座へ通じる、地下トンネルの入口。

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トンネルと階段を使って、砲座へ上がって行けるようになっているらしい。

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トンネル入口より奥へ進むと、弾薬支庫跡が見えてくる。

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弾薬支庫跡。

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見る者を圧倒する迫力を持つ廃墟である。

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煉瓦の積み方は日本では珍しいフランス積み。
友ヶ島砲台群はフランスの砲台を範に取って築造されたため、煉瓦積もフランスの手法が用いられたものと思われる。

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第三砲台跡は保存状態がよいことに加え、比較的よく整備がされているので内部にも入れる。

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弾薬支庫跡の内部。

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写真はフラッシュを焚いているためこのような写りだが、実際は真っ暗である。

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内側から開口部を望む。

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友ヶ島砲台群は、土木学会の選奨遺産に認定されている。

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土木史的にも軍事史的にも非常に高い価値のある歴史遺産である。

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宮崎駿のアニメを思わせるような風景。

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右手が旧発電所、左手は将校官舎跡と思われる。

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将校官舎跡と思われる建物は一部煉瓦造、一部木造。

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銃眼のような小さな開口部が設けられている。

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内部には床の間もあったようだ。

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最近はこの独特の雰囲気に惹かれて島を訪れる人も増えているそうだ。

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友ヶ島は対岸の和歌山県加太から定期船が出ており、手軽に行ける。

(参考)和歌山市加太観光協会 http://www.kada.jp/

第416回・友ヶ島灯台

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太平洋から大阪湾への入口に当たる場所、紀伊半島と淡路島の間に浮かぶ友ヶ島。
その友ヶ島にある友ヶ島灯台は、明治5年(1872)の初点燈から140年間、紀淡海峡を照らし続けてきた。

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所謂お雇い外国人として、日本各地に西洋式灯台を建設し「日本の灯台の父」とも称される英国人技師リチャード・ヘンリー・ブラントン(1841~1901)によって建てられた26の灯台のひとつ。

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もともとは現在地より西側にあったが、明治23年に島一帯が軍の砲台施設となった際、現在地に移設されているという。また昭和55年には改築工事を施されているが、旧状を良く残している。

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かつて灯台は灯台守が常駐しており、そのための附属官舎も現存するが、灯台に比べると後年の改造が多いように見える。灯台と同様石造の建物である。

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灯台は施設の性格上改築されることが少なく、この友ヶ島灯台のように100年以上使われている灯台は珍しくない。

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初点燈、移設後再点燈の時期を記した銘版。
「明治五年六月廿(二十)五日初点燈於旧台」「明治廿三年八月五日再点燈於新台」と思われる。

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友ヶ島灯台は海上保安庁からは文化的価値の高い「保存灯台」として保全が図られている。
また経済産業省の近代化産業遺産にも認定されている。

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重厚な基壇の石積み。

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光度190万カンデラ、全国2位の明るさを誇るという。

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灯台と附属官舎全景。昭和33年までは灯台守が常駐していたらしい。

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正門からの眺め。

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友ヶ島一帯は瀬戸内海国立公園に指定されている。

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友ヶ島には旧陸軍の要塞の遺構が今も残る。
次回紹介したい。

第415回・旧高原ビル(国際船場113ビル)

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徳島市の繁華街に今も残る数少ない近代建築のひとつがこの旧高原ビル。
昭和7年(1932)竣工。国登録有形文化財。

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徳島市の中心街の一画、東船場町を流れる新町川沿いに建つ現代建築。

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反対側に回ると茶色のスクラッチタイル貼りの建物の側面が見えてくる。

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旧高原ビル。現在は裏側に現代的なビルを増築し、「国際船場113ビル」に生まれ変わった。

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正面。石油・食用油の販売業を営む高原商店の社屋として建てられた。
当時の徳島市内では鉄筋コンクリート建築、しかも民間の事務所建築というのはほぼ皆無だったため人目を引いたという。
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設計は鈴木禎次(1870~1941)。名古屋をを始め東海地方を中心に活躍した建築家だが、東海地方以外では東京や大阪には作品が残るが、徳島はおろか四国ではこの建物だけである。

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小規模だがしっかりとデザインされた洋館。

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アールデコ風の飾り格子が取り付けられた円形窓。

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昭和20年7月の徳島空襲で周囲は焼け野原となったがこの建物は焼け残った。

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新ビルとのつなぎ目に残る大きな半円形の開口部。

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ビルの一部は「新町川文化ギャラリー」として開放されている。

第414回・旧犬塚勝太郎鎌倉別邸(石窯ガーデンテラス)

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鎌倉に残る数少ない大正時代の別荘建築。
明治から昭和戦前にかけての官僚・政治家で、貴族院議員も務めた犬塚勝太郎(1868~1949)の別邸として建てられた洋館である。

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かつての正門と思われる石の門柱。
現在この門は閉ざされており、隣接する浄明寺の境内から敷地内へ入るようになっている。

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現在はカフェ兼レストラン「石窯ガーデンテラス」として活用されており、石窯で焼いたパンなどが食べられる。

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通用口側の外観。

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玄関側全景。ドイツ人の設計とも伝わるが、設計者等詳細は不詳のようである。

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建設年代は大正11年(1922)とも伝わるが、そのとおりであれば関東大震災以前の建物ということになる。

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鎌倉で関東大震災以前の洋館といえば、旧荘清次郎別邸など極めて僅かであり、とりわけ貴重な存在と言える。

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庭園側を中心に増改築が施されているが、ステンドグラスを嵌め込んだ窓などは旧状をそのまま残していると思われる。

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レストラン入口となっている現在の玄関は改築後のものと思われる。

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庭園側に増築されている厨房。

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客席は庭園及び洋館一階に設けられている。

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暖炉のあるかつての面影をよく残す部屋。

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暖炉アップ。火掻き棒などの付属品が置かれた暖炉は珍しい。現在も火を焚くのだろうか。

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階段親柱に施された簡素な幾何学的装飾。

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階段室のステンドグラス。二階は非公開。

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大正期の洋館らしく、随所にステンドグラスが用いられている。

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キスをする小鳥。青森の佐瀧別邸、名古屋の旧井元為三郎邸のステンドグラスと同じ図柄。

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二階にも随所にステンドグラスが嵌め込まれていることが分かる。
菱形の中には白鳥がいる。

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花の図柄。

第413回・十和田ホテル本館

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秋田県と青森県の境にある十和田湖のほとりに建つ十和田ホテル本館は、昭和13年(1928)竣工の木造3階建。
国登録有形文化財。

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十和田湖から望む十和田ホテル遠景。
右側が昭和13年竣工の本館、左側が平成10年に戦後の増築部を撤去、改築した新館。

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十和田ホテルは、昭和15年の開催が決定した東京五輪を前に、外国人観光客用のホテルとして秋田県により昭和11年着工、2年後の13年に建物が竣工するが同年政府は五輪開催権返上を決定する。翌14年より営業を開始するものの、間もなく戦時下に入り営業を休止する。

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ホテル館内に飾られていた開業時の古写真。
設計は日本大学工学部土木建築科教授の長倉謙介による。

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東京五輪中止により、開業当初は本来の目的を果たすことは殆ど無く、結局この建物に多くの外国人が訪れることになった最初の機会は、敗戦後の米軍接収時であったと思われる。

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接収解除後は昭和天皇の宿泊所に充てられたほか、秋田県における迎賓館として内外の要人を迎えている。

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平成10年、新館の改築と同時に本館も大規模な改修工事が行われ現在に至る。

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半分に割った丸太を縦に並べて貼りつけた壁面が外観の特徴。

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欧米の山荘風と日本の民家風を融合させたような外観。

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玄関ポーチ。
新館に新しい玄関ができたため、こちらは現在玄関として使われていないが、出入りは可能。

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玄関ポーチも太い丸太を組み上げた豪快なもの。

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旧玄関の扉。欄間には組子細工が施されている。

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旧玄関を入ると技巧を凝らした数々の意匠が目に入る。

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土間の床には、十和田湖の湖底から採取した石が敷き詰められている。

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十和田ホテル内部の最大の見どころは、旧玄関ロビーの二層吹き抜け部分。

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十和田ホテルの建設に際しては地元の秋田杉をふんだんに使い、秋田・青森・岩手3県から宮大工80名を集め技術を競わせたという。この吹き抜けはそれらの要素が凝縮されたような空間である。

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2階より吹き抜けを見下ろす。

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2階吹き抜けに面したギャラリー。現在は図書室となっている。

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かつては吹き抜けの奥にフロントがあった。その名残を残す大金庫。

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金庫のすぐとなりが階段室。

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一階から階段室を見上げる。

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手摺や親柱に太い丸太を用いた階段室も見どころのひとつ。

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木組みの豪快さを見せる階段としては、長崎県が雲仙に設置した雲仙観光ホテルの階段を連想させる。

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数寄屋風の階段室天井。

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各客室の扉も部屋毎に意匠を変えている。
新築かと思われるほどきれいになっているが、建物自体は内外共に旧状を残している。

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客室床の間の一例。客室もそれぞれ意匠が異なる。
外国人用ホテルとして建設された割には、本館客室は全て床の間付きの座敷になっている。

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「秋田杉の館」として現在も多くの宿泊客を迎えている。

第412回・旧中原嘉吉邸(朝間邸)

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古くより名勝として知られる和歌山市の和歌浦にある洋館付住宅。
塀や洋館の外壁には、地元特産の材料がふんだんに使われているのが特徴的な住宅建築である。

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国道42号線沿いに建つ旧中原邸全景。

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染色業で財を成した中原嘉吉氏の住宅として、大正13年に着工、4年後の昭和3年(1928)に完成したと言われる。

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紀州特産の青石を切り出して建てた門柱。

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現在は朝間氏の住居として使用されている。

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全体にわたってよく旧状を残し、手入れも非常に行き届いている。

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現在、国や自治体の文化財指定は受けていないようだが、今後も文化財として保全して頂きたいすばらしい邸宅である。

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邸宅の外観を最も印象付ける洋館部。

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一階の壁面は焦茶色のタイル貼り、付柱は周囲の塀と同じ仕上げで、付近の海岸でよく採れたという緑泥片岩の小片を埋め込んでいる。それに対し二階は、玉状の那智黒石を貼りつめた非常に珍しい仕上げ。また二階部分の付柱は一階とは異なり、人造石洗出し仕上と思われる。

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土蔵の腰壁にも紀州特産の青石であろうか、大判の切石を貼っている。

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塀の仕上げを拡大。

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洋館二階外壁を拡大。

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あまり例を見ない珍しいタイプの近代和風邸宅7である。

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※以上本文は、社団法人和歌山県建築士会ホームページの記事を参考とさせて頂いた。
http://homepage2.nifty.com/waba/

第411回・旧函館海産商同業組合事務所

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函館港に近い末広町に、大正9年(1920)に建てられた旧函館海産商同業組合事務所。
以前紹介した旧亀井家住宅と同じ関根要太郎設計のモダンな洋館。

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函館の海産物商の同業組合事務所として建てられた。現在もある会社の事務所として現役である。

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背面。外壁が曲面を描く正面と異なり、フラットでシンプル。

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大正10年の函館大火ではすぐ近くまで火が迫ったものの焼失を免れた。また平成5年の北海道南西沖地震では破損、取り壊しも検討されたが修復された運の強い建物である。

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外壁はチョコレート色のタイルとモルタルで仕上げられているが、木造三階建て。

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ふくらみのある正面両脇の外壁。
この建物の建築様式は旧亀井邸と同様、ドイツのユーゲントシュティール。

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玄関。
休業日だったので玄関にはシャッターが下ろされているが、ここには創建時からの木製の扉とステンドグラスを嵌めた欄間がある。

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玄関わきの照明。創建当初のものだろうか。

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背面中央を望む。

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階段室踊り場のステンドグラス。

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同上、アップ。
内側から見たい。

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函館の大正建築の、代表的なもののひとつ。

第410回・三河家住宅

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徳島県を代表する近代洋風建築である三河家住宅。昭和3年(1928)頃の竣工とされる。
国登録有形文化財を経て平成19年には国指定重要文化財となり、平成23年には三河家から徳島市に寄贈された。
現在は一般公開に向けた取り組みが行われている。

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徳島市の中心街にある三河家住宅。左手に写る高層建築は徳島県庁。

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すぐ前を新町川が流れている。JR牟岐線の橋梁が真横を走る。

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徳島市内で産婦人科を営み、ドイツ留学から帰朝したばかりの医学博士・三河義行(1887~1969)が、留学先で知り合った建築技師の木内豊次郎(1890~1959)に設計を依頼して建てた自邸。

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地下1階地上3階・展望台も備えた鉄筋コンクリート造の邸宅。

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第二次大戦時の米軍による空襲で、徳島市は市街の殆どが焼失するがこの洋館は難を免れた。
しかし隣接して建っていた木造の三河医院は焼失、戦後三河医師は、昭和44年に死去するまでこの洋館を診療所兼住居として使用していたようである。

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三河医師の死後は学生寮などに使いながら、昨年まで三河家の人々により大切に守られてきた。

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現在は徳島市の財産として、新たな用途を見出すための取り組みが為されている。

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修復工事を終えた後、一般公開される予定である。

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洋館だけではなく、門や塀も当初からの構えを良く残す。

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内外共にドイツ風意匠でまとめられている。しかし内部には床の間付きの日本座敷もある。

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正面切妻上部に載るコンクリート製のグロテスク像。

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庭園にはコンクリート製の岩屋もある。

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玄関前の植え込みには、やはりコンクリート製のライオン像。
三河家住宅は敷地内の随所にこのようなコンクリート製の工作物があるのも特徴である。

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一般公開される日が待ち遠しい。

徳島市ホームページ 三河家住宅

第409回・興風会館

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興風会館は千葉県野田市にある、昭和4年(1929)竣工の文化施設である。国登録有形文化財。

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興風会館は現在、公益財団法人興風社によって運営されている。
興風社は、昭和3年に野田の醤油醸造家で構成される千秋社により、昭和天皇即位の御大典を記念して設立された。

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設計者は大森茂。野田の代表的な醤油醸造家の一人である高梨兵左衛門邸(昭和6)と同一設計者である。
興風会館の実績を買われて高梨邸の設計を行ったのかも知れない。

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2階大ホール前にある旧貴賓室。現在は間仕切りの壁が取り払われている。

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旧貴賓室の暖炉。

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階段。
人造石の手摺がなめらかな曲線を描いている。

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廊下。

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二階席から望む大ホール。各種講演会や映画の上映会が催された。

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同上、演壇前からの眺め。

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最上階に設けられた和室大広間。

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障子の外は縁側ではなく、コンクリート壁と窓。

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大ホールの照明。戦前のものと思われる。

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内外に亘り戦前のものと思われる照明器具がよく残されている。

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玄関ポーチ。2連アーチのポーチは珍しい。

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昭和4年の竣工当時、千葉県下では千葉県庁に次ぐ大建築と言われたという。

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余談だが、今は無い旧千葉県庁舎は近年模型が制作されている。これを見ると今この建物が残っていればと思わずには居られない立派な大建築である。
http://www.atelier-zero.jp/diorama/h20110331143152796.html

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今も現役の集会施設である。事務所に申し出れば内部の見学もさせてくれる。

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後ろに行くにしたがって低くなっている。

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背後からの眺め。独特の外観。

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今もなお、野田の街に強い存在感を以て建っているように思えた。

第408回・佐瀧本店・別邸

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前回に続き、青森県三戸の建物。
佐瀧本店・佐瀧別邸は、村井家住宅、旧第九十銀行支店と同様に、三戸に残る大正のすばらしい洋風建築である。
国登録有形文化財。

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佐瀧本店全景。主の佐藤瀧次郎は酒や雑貨を商う他、地元銀行の頭取も務める三戸の名士であった。
店舗は大正14年(1925)竣工の鉄筋コンクリート2階建。青森県下では現存する最古の鉄筋コンクリート建築である。2階外壁が改修されているほかは旧状をよく残している。

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設計・施工は、青森県内で明治以来多くの洋風建築を手掛けた堀江組。弘前の旧五十九銀行本店、金木の旧津島家住宅(太宰治の生家)等を手掛けた堀江佐吉が興した建設会社である。

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明治期に建てた店舗が大正12年の大火で焼失、燃えない建物をという施主の要望に応え堀江組では、鉄筋コンクリート建築の施工実績が既に多くあった函館から職人を呼び寄せたという。

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写真では戸を閉ざしているが、佐瀧本店は酒店として現在も盛業中。
銅版貼りの戸も防火対策であろう。

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許可を頂き、店内を見せて頂いた。昔の日本酒や麦酒の看板やポスターがある。
年季の入った木製カウンターがあり昔の銀行のような趣があるが、昭和10年代半ばまでは畳敷きの帳場であったという。

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階段や造りつけの戸棚に使われている木材は、旧店舗の焼け残った材木を再利用しているという。

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店舗の奥に離れのような形で建つ別邸。裏道に正面を向けて建っている。
2階建洋館と平屋建日本座敷で構成されている。

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専用の門もある。門や塀は洋館に合わせた洋風の造りで、これらも登録有形文化財。
他にも敷地内には火災を免れた土蔵があり、これも登録有形文化財。

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大正11年頃から工事にかかったが、途中で店舗焼失という事態が生じたため一時中断し新店舗と同じ大正14年に竣工した。

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ドームのある望楼を備えた洋館。

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鉄兜のようないかめしい雰囲気のドーム。

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洋館のスタイルはドイツのユーゲントシュティールを基調としている。
同様のスタイルをとる同時期の洋館としては、東京の旧土岐子爵邸(現在は洋館部を群馬県沼田市に移築保存)、大阪の谷口房蔵別邸などがある。

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本店と同様、佐藤家の方の許しを頂いて敷地内から洋館外観を撮らせて頂く。
洋館裏側、即ち店舗側の外壁に施された装飾。

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資生堂のマークみたいな形状の、ステンドグラスの小窓。

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別邸洋館は木造だが、人造石で石造風に仕上げられている。見事な左官仕事。

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望楼を見上げる。
堀江組の棟梁は、先代佐吉は既に没しており息子の金蔵が跡を取っていたが、佐瀧の仕事を実質担当していたのはその弟である堀江弥助であるという。

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同時期の堀江組の手になる洋館では、弘前の藤田家別邸がある。
望楼を備える点では共通するが、佐瀧別邸のほうが小規模だが重厚な印象を受ける。

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佐藤瀧次郎が頭取を務めていた銀行の改築設計を、堀江組に依頼したことが機で後年別邸と店舗の設計を依頼することになったという。

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三戸駅前の村井家住宅と同様、唐破風様の曲線を持つ玄関。

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入口欄間や脇の小窓にはステンドグラス。

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入口欄間のステンドグラスはキスをする小鳥。
名古屋の橦木館(旧井元家住宅)にも、同じような図柄のステンドグラスがある。

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随所にステンドグラスが使われている。

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すばらしい建物を間近で拝見させて下さった佐瀧様に厚く御礼申し上げます。

第407回・旧第九十銀行三戸支店(旧富田修歯科医院)

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昨日取り上げた、青森県は三戸郡南部町の旧村井家住宅から少し歩くと、南部町から三戸郡三戸町に入る。
そこに現在戦前建築で今も残る唯一のものと思われる銀行建築がある。旧九十銀行三戸支店である。

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旧九十銀行は盛岡藩士の出資で明治11年設立、盛岡市に本店が置かれた銀行である。現在も旧本店の店舗が現存し、国指定重要文化財となっている。

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昭和初年には破綻した旧九十銀行の支店で、現存するものはどれだけあるかは知らないが、これだけかも知れない。
近年まで岩手県前沢にも同じ形の旧支店店舗が現存していたようだが、今は無いようである。

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旧三戸支店は大正期の建築と思われる。本店と同様セセッション風のモダンな洋館である。

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銀行店舗としての役目を終えた後は歯科医院として長く使われていたようである。
背後には木造の和風建築があり、歯科医院の住居部として増築されたものか、それとも銀行時代から宿直室等としてあったものかはわからない。

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この建物を特徴づける半円形の玄関ポーチ。

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壁面は彫りが浅く平坦。このようなデザインはこの時代のセセッション風洋館によく見られる。当時は非常にモダンな建築デザインであった。同時期の古典的なデザインの銀行建築と比較すれば違いがよくわかる。

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窓の建具も古いものがよく残されている。

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右書き・正字体(旧字体)で書かれた「富田修歯科医院」の看板。
建物自体を残したいのはいうまでもないが、この看板もできるものならそのまま残したいものである。

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現在は使用されていないが、新たな用途を得て甦ることを切に願わずにはいられない素敵な建物。
閉ざされた扉が再び開く日は来るだろうか。

第406回・村井家住宅

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青森県三戸郡南部町にある村井家住宅。
製材業を営んでいた村井氏の住宅として、大正12年(1923)に竣工した。国登録有形文化財。

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三戸駅前に建つ村井家住宅。

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ドイツやウィーンにて19世紀末に流行した、セセッション風を取り入れた外観が特徴。

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外観は洋館であるが、内部は1室を除き和風の造りであるという。

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工事の最中に関東大震災があり、東京から建材が入手困難になったため、大阪や米国など内外から建材を調達して完成させた。

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玄関上部の屋根は、日本の唐破風状に緩やかなカーブを描いている。

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ブロンズで出来た立派な庇。

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一階から二階にかけて連なる窓には、あみだくじのような意匠の建具が入っている。

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木造だが外壁はモルタルとタイルで仕上げている。

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現在も住居として現役で使用されている。

(参考)
南部町観光協会による村井家住宅紹介のページ
http://www.nanbu-kanko.com/history/history05.html
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