第459回・神戸市垂水区塩屋の洋館

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神戸市の西郊・垂水区塩屋には、この地を訪れる度にいつも気になる建物がある。
尖塔を備えた洋館だが、建設年代等全く不詳である。

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手前に写るのは以前取り上げた旧グッゲンハイム邸

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大阪湾から淡路島、瀬戸内海を一望できる高台の坂の斜面に建っている。

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この建物の存在に気付いた頃は傷みが激しかったが、少しずつ修復工事が進められている。

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初めて洋館の存在に気づいたときの写真。平成19年撮影。
このころから塔屋の屋根等、改修に着手されていたようである。

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平成21年撮影。
母屋にも改修の手が入り始めた。

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以上、平成22年撮影。
見違えるようにきれいになりつつある。

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平成23年撮影。
白かった柱や壁にそれぞれ塗装が施されていた。

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平成24年撮影。外観はほぼ完成したように見える。

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高台の斜面の中腹に建っているので、海岸からも見える尖塔。
同じ塩屋の旧ジェームス邸と同様、展望台として造られたのだろうか。

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塩屋の街は海と山に挟まれ、細い路地が入り組んだ中に、旧グッゲンハイム邸のような異人館や旧後藤邸のような洋館付き日本家屋が点在する魅力に富んだ街並みである。


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石垣と生垣に囲われた門構え。門扉は白い鋳鉄製。

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坂の上から尖塔を見下ろす。

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大阪湾を一望。

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煙突にも簡素な装飾が施されている。
屋根越しに見えるのは、やはり以前取り上げた旧ジョネス邸

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この建物についてご存知の方おられましたら、ご教示頂けると幸いです。
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第458回・青山ビル(旧野田家住宅)

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これまでも度々紹介してきた、大阪の船場界隈に残る近代建築のひとつ。
大正後期に住居として大阪市東区(現中央区)伏見町に建てられた、スペイン風外観を有する洋館。現在はテナントビルとなっており、国登録有形文化財でもある。

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建物の竣工年は大正10年(1921)と同14年(1925)の2説あるようである。設計施工は大林組。
この洋館は野田源次郎氏の住居として建てられ、周囲には野田家の親族の住居も点在していたという。すぐ東側には堺筋が通り、三越や三井銀行大阪支店のある高麗橋はすぐ近所であった。

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野田源次郎氏は、大正時代に大阪天満橋で当時高級食料品店として知られた「野田屋」やレストランを営んでいたが、第一次大戦後のパリ講和会議で首席全権として渡欧した西園寺公望に随行したことを機に西洋建築に興味を示し、帰朝後建てた邸宅がこの洋館と言われる。

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第二次大戦後間もない昭和22年頃に、青山氏の所有となる。
占領軍による接収を免れる代わりに、将校相手の会員制クラブに使用されていたがサンフランシスコ講和条約発効と共に役目を終え、貸事務所として名称を現在の「青山ビル」にして営業を始め、現在に至る。

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外壁に絡まる蔦は甲子園球場のものを株分けしてもらったものだという。

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冬枯れ時の玄関まわり。

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現在は喫茶店、中華料理店、建築設計事務所など幅広い業種のテナントが入居している。

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戦前に住友本社に勤務した経歴を持つ俳人の山口誓子(1901~1992)が、この建物の一室を長年借りていた他、大村崑が事務所を構えたりして文化人・芸能人との関わりも深い。

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玄関上部の窓には、テラコッタ製の装飾が施されている。

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一部分だけにステンドグラスをあしらった窓。もと個人邸宅だけに随所にステンドグラスが嵌め込まれている。

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大正末期から流行したスペイン風洋館は、広い敷地に建つ邸宅に多く取り入れられたが、このような市中の住宅のデザインに取り入れられる例もある。同様な例として大阪市内では、他に西区の旧児玉家住宅(昭和10)が現存する。
こちらも現在はテナントビルとして使用されている。

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玄関ホールから階段室を覗かせて頂く。

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玄関上部にあるものと同じような窓台飾りがある。

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テナントのひとつ、丸福珈琲店北浜店。
天井梁の装飾や暖炉、造りつけの飾り棚など創建当初の内装が随所に残されている。

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暖炉のある広い部屋の天井梁には、漆喰彫刻で作られたブドウの装飾が施されている。

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上記写真とは続き間になった、やや小さな部屋の梁。こちらの装飾は少しシンプル。

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この部屋には造りつけの飾り棚がある。アーチの下には出し入れ口のようなものがあるので、この部屋はもと食堂かも知れない。食堂であれば隣は配膳室ということになる。

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アーチに施された彫刻はブドウやパイナップルのようにも見える。

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街路から見えるステンドグラスを拡大。

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今回記事の本文は、「別冊太陽 古民家生活術」(平成14年 平凡社)の青山ビル紹介記事を参考とさせて頂いた。

第457回・旧住友銀行神戸支店

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今回は旧住友銀行の店舗。昭和9年(1934)竣工の神戸支店。
設計は、住友財閥の営繕部門であった住友工作部が分離して設立された長谷部竹腰建築事務所による。

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旧住友銀行は神戸の金融街、栄町通の東端に建っている。栄町通は阪神大震災までは戦前の銀行建築が多く残っていたが震災で悉く失われてしまった。現在残されているのは旧住友銀行と以前取り上げた旧三菱銀行だけである。

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大正15年竣工の本店(住友本館)より後に建てられた住友銀行の支店店舗は、先日取り上げた三井や安田のように、当時の銀行建築の主流であった列柱を全面に押し出さないデザインが特徴である。

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また住友銀行の各支店には、列柱を並べない代わりに、大きなアーチ窓が外観を印象づける建物が多いことも特徴である。旧神戸支店は昭和戦前期の住友銀行支店建築の特徴を一通り備えている。
なお神戸以外で現存するものとしては、熊本支店が現在も三井住友銀行の支店として健在のようである。

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同様の特徴を持つ店舗は神戸・熊本の他、横浜、名古屋、広島の各支店があった。
(余談ながら広島支店は、原爆投下の際、玄関石段に人影が焼きついていたことで知られる。現在はこの石段部分のみ保存され、広島市の原爆資料館で展示されている)

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旧居留地側の外観正面。外壁の色彩も、本店と同じく黄色味がかっている。
ところで東隣の旧居留地内には、同じ長谷部竹腰建築事務所の設計で、住友銀行の翌年に竣工した旧神戸海上火災ビルがある。

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旧神戸海上火災ビルとは大きなアーチ窓が目立つ点では共通するが、旧神戸海上は装飾がほとんどないのに対し、住友銀行はアーチ廻りなど細部に濃厚な装飾を施しているのが特徴である。

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付け柱の装飾。

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アーチ廻りを拡大。

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玄関。内部には大理石張りの風除室が残されている。

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金融機関の統廃合により銀行店舗としての役目は近年終えたものの、旧居留地に隣接する地の利を活かして現在は、服飾店が入居するテナントビルとして使われている。

第456回・旧第一銀行函館支店

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今回は戦前の五大銀行のひとつ、第一銀行(のちの第一勧業銀行、現在のみずほ銀行)の函館支店を取り上げる。
大正10年(1921)竣工。

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第一銀行の店舗は明治期までは辰野金吾が手掛けていたが、大正から昭和初期にかけては第一銀行の建築課長であった西村好時(1886~1961)が、東京大手町の本店を始め各地の主な支店を手掛けている。
施工は清水組(現・清水建設)。

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西村好時が第一銀行在籍中に設計した店舗は、焦茶色の煉瓦タイルを貼りめぐらせた前半期(大正中後期)と、全面石張りで玄関まわりには堂々たる列柱を並べた後半期(昭和初期)で作風が大きく異なる。もっともこれは第一銀行に限らず当時の銀行建築のデザインの潮流に沿った変化と言える。

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前者のデザインで建てられた店舗では、今回記事の函館のほか、旧熊本支店が現存する。
後者のデザインでは旧横浜支店が現存する。(以前取り上げたので参照頂きたい)

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玄関ポーチは当初は道路に張り出していたが、昭和に入ってから行われた道路拡幅で改造され、現在の形になったという。

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一階と二階の窓の間に設けられたメダリオン。

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二階窓上部のレリーフ装飾。

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同時期建設の熊本支店が半円アーチを多用しているの対し、函館支店は直線を多用している。

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なお広島支店も同時期の建設で、熊本や函館と似た外観の建物であった。原爆で大破しながらも修復され戦後しばらく使用されていたが、今はない。

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側面。奥の3階建てになっている部分は金庫室か文書庫と思われる。

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現在は函館市文学館として使用されている。

第455回・旧三井銀行横浜支店

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前回に引き続き横浜・本町界隈の銀行建築。現存する昭和初期の三井銀行店舗のひとつがこの横浜支店。先日取り上げた名古屋、大阪の両支店と酷似するが設計者は異なる。

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昭和6年(1931)竣工の横浜支店の設計は、2年前の昭和4年に竣工した三井銀行本店(三井本館)の設計を手掛けた米国トローブリッジ・アンド・リヴィングストン事務所による。

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横浜支店と同時期に、名古屋の上前津、大阪の川口、船場の各支店店舗も同事務所の設計で竣工しているが、現在は名古屋の上前津支店だけが現存する。

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その後、店舗建築設計は曽禰中條建築事務所に委ねられ、先日紹介した名古屋(昭和10)、大阪(昭和11)の両店舗が戦前の三井銀行店舗の最後を飾ることになるが、デザインの基本はそっくり引き継がれている。

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三井銀行は特定の建築家に任せ続けず、その都度いろいろな建築家に依頼している。本格的洋風建築が建ち始めた明治後期から昭和戦前までの三井銀行の主要都市の店舗設計を通観してみると、以下のようになる。
(以前取り上げた店舗は、都市名から当該記事へリンク可能)

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横河民輔(本店)→デ・ラランデ(大阪)→鈴木禎次(名古屋、京都)→長野宇平治(神戸、下関、広島)→トローブリッジ・アンド・リヴィングストン事務所(本店、横浜他)→曽禰中條事務所(小樽名古屋大阪

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他の四大銀行で、これだけ多くの建築家に設計をさせているところはない。

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ところで現存する昭和初期の店舗のうち、規模・デザインが同じで設計者が米国人の横浜支店と、日本人設計の名古屋・大阪両支店を見比べてみるのも興味深い。

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なお、3つの店舗の外観はいずれも酷似するが、内装は吹き抜けの高い天井を有する点を除けば天井や柱のデザインなど結構違うようである。

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いろいろ取りとめのない駄文を連ねたが、どの建物もそれぞれの地域の歴史を刻んだかけがえのない文化遺産であることは言うまでもない。似ている建物が余所にあったところで、その建物の価値が減ずるようなことは絶対に無い。

第454回・旧安田銀行横浜支店

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前回取り上げた東大安田講堂に因んで、今回は旧安田財閥関係の建物。
安田財閥の基幹企業であった安田銀行の店舗で現存するものは少ないが、旧安田銀行横浜支店は今も現存する貴重な存在。

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昭和4年(1929)竣工。設計は安田銀行営繕課、施工は大倉土木(現在の大成建設)。

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安田銀行営繕課による旧安田銀行の店舗で現存するのは、北海道の函館、小樽、そしてここ横浜のみ。
小樽支店は以前取り上げているのでこちらもご参照頂きたい。

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質・保存状態でも横浜支店がもっとも優れていると思う。

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現存しないが、神戸支店も両脇の外壁を粗い石積みとした外観を持ち、横浜支店と酷似していた建物であった。

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右手前は戦後(昭和20年代)、富士銀行(戦後安田銀行から改称)時代の増築。
戦後の増築は大概、旧建物の雰囲気を損なうものが多いが、これはむしろ重厚さを増す効果を上げている。

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増築部分は外壁の全面を粗い仕上げの石積みとする。
芦屋の旧逸見銀行(芦屋市立図書館打出分室)を連想させる。

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安田銀行から富士銀行を経て、みずほ銀行への合併を機に銀行店舗としての役目を終える。
その後横浜市が取得、現在は東京芸術大学に貸与され、大学院映像研究科の校舎として使用されている。

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安田銀行の店舗を飾る列柱は、函館、小樽、横浜のいずれもズングリムックリしているのが特徴。

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横浜市歴史的建造物に認定されている。

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この建物が建つ横浜市中区本町界隈は馬車道の通称で知られ、横浜の金融街であり今も戦前の銀行建築が点在する。
同じ昭和4年竣工で、以前取り上げた旧第一銀行横浜支店もすぐ近くに建っている。

第453回・東京大学大講堂(安田講堂)

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日本一有名な学校建築と言えるかも知れないのが、東大のシンボル・安田講堂。
正式名称は東京大学大講堂。

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正門からまっすぐ伸びる銀杏並木の先に安田講堂は建っている。

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東京帝国大学大講堂、現在の東京大学大講堂は、安田財閥の祖・安田善次郎(1838~1921)の寄付をもとに建設された。大正10年(11年説あり)に起工、関東大震災を挟んで大正14年(1925)に竣工した。

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安田善次郎は帝国大学講堂建設費のほか、日比谷公会堂の建設費用など各方面に多額の寄付を行っていたが、全て匿名を条件としていた。そのため世間からは吝嗇家の汚名を着せられ、遂には暴漢の兇刃によって非業の死を遂げる。

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死後事実が明らかにされたことで、その遺徳を偲び安田講堂の通称が定着した。

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後年東京帝国大学総長も務め、現在の東大キャンパスの原型を作り上げた建築家の内田祥三(1885~1972)と、内田の弟子の岸田日出刀(1899~1966)が設計、施工は清水組(現・清水建設)。

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安田講堂は上から見ると半円形になっており、背面の外壁は円弧を描いている。

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背面の出入り口。

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屋根に並ぶ半円窓。大講堂の硝子天井の明り取り用と思われる。

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外壁は大正建築に多く見られる、タイルを芋目地に貼った仕上げ。

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玄関ポーチの壁面に痛みが目立つのは、外壁の石材が風化し易い軟らかい石であるためと考えられるが、昭和43年の東大紛争の傷跡でもあると思われる。

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玄関ポーチ内部。
東大紛争では安田講堂に学生が籠城し、機動隊との攻防が繰り広げられたのはあまりにも有名。

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玄関ポーチの照明。
東大紛争によって安田講堂は荒廃を極め、その後昭和の末まで長い間閉鎖されていた。

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玄関。
安田講堂が復活するのは平成に入ってからである。旧安田財閥系企業の寄付もあって大がかりな修復工事がようやく行われ、東大紛争から約四半世紀を経て、卒業式等の行事も開催できるようになった。

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「大學」の文字をあしらった玄関欄間のステンドグラス。

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平成8年に導入された国文化財登録制度に基づき、東京都では安田講堂が最初の登録対象となった。

第452回・旧岩崎彦彌太別邸(殿ヶ谷戸庭園)

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東京都国分寺市にある殿ヶ谷戸庭園は、かつては三菱財閥第二代当主・岩崎久彌の長男・岩崎彦彌太(1895~1967)の別邸であった。現在も邸宅や庭園の主要部はよく保存されており、平成23年には国指定名勝となっている。

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当初、満鉄副総裁も務めた実業家の江口定條(1865~1946)の別邸として、大正2年(1913)から2年かかって造られた庭園を岩崎彦彌太が昭和4年(1929)に購入した。

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岩崎彦彌太は購入後建物を改築し、庭園にも一部手を加える。
昭和9年(1934)竣工の簡素な平屋建ての洋館は、本来の半分程度だけが現存している。設計は津田鑿(さく)。

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現存する部分がどのような位置づけの部屋であったかは定かでないが、岩崎家の別荘としては内外共に簡素なものである。

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暖炉。暖炉棚の上に飾られた写真の人物が岩崎彦彌太。昭和20年の暮に没した三菱財閥第四代当主・岩崎小彌太の跡を継ぎ、第五代当主となるはずであったが、財閥解体によって実現しなかった。

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敷地の一角には収蔵庫のような建物が残っていた。
なお岩崎彦彌太の本邸は、湯島にある父・久彌の本邸に隣接して建っていたが現存しない。跡地には現在、三菱史料館が建っている。

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庭園は武蔵野台地の地形を生かした、変化に富んだ地形が特徴。

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庭園を見下ろす高地に設けられた茶室「紅葉亭」

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建物の半分ぐらいを、吹き放しの四阿(あづまや)が占めている。

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座敷部分は貸室となっているので非公開のようである。

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四阿部分は解放されており、庭園散策の恰好の休憩場所となっている。

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網代張りの天井。

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うっそうとした緑に包まれた紅葉亭の佇まいは、同じ岩崎家の別邸でも、大きな池に臨んで建ち開放的な佇まいの旧深川別邸(清澄庭園)にある涼亭とは好対照を為している。

第451回・旧横浜競馬場(根岸競馬場)一等馬見所

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横浜市中区根岸台にある旧横浜競馬場(根岸競馬場)の遺構。
横浜競馬場は開港間もない慶應2年(1866)に、横浜居留地の娯楽施設として建設、第二次大戦中まで存在した。
現在は観客スタンド(馬見台)の一部が残されている。

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現存する観客スタンドは昭和4年(1929)の竣工。
現在、旧横浜競馬場跡の一部は根岸森林公園となっており、旧スタンドは公園の一角に建つ形になっている。

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解説板の古写真。
設計は横浜を中心に活躍した米国人建築家のJ・H・モーガン(1868~1937)による。

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競馬場内側からみた、スタンド全景の古写真。
左手が現存する一等馬見台、右手は二等馬見台で、こちらは現存しない。

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現在は上部の鉄骨製の屋根などは撤去されている。

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第二次大戦中は海軍に接収、そして敗戦後は米軍に長い間接収され、返還されたのは40年近く経った昭和56年のことであった。その後老朽の激しい二等馬見台が撤去されている。

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旧横浜競馬場の他にモーガン設計で現在も残る建物としては、神戸の旧チャータード銀行神戸支店、横浜市内では旧ベリック邸などがある。

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一等馬見台も保存されているとは言っても、現状は老朽の激しい部分を撤去してただそのままに置かれているだけというのが現状である。なお、内部は立ち入り禁止とされている。

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実質廃墟といってよい状態であり、それがゆえに人気を集めている面もある。

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丸窓や付柱など、装飾は塔屋部分に多く施されている。

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丸窓まわりの装飾。

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YMO主演の映画「プロパガンダ」(1984)のロケ地のひとつでもある。

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経済産業省より近代化産業遺産の認定は受けているが、現在修復等の予定はないようである。

第450回・旧中央気象台筑波山測候所山頂観測所

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筑波山の男体山頂にある気象観測施設。
昭和3年(1928)に、中央気象台(現・気象庁)筑波山測候所山頂観測所の庁舎として竣工した。

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筑波山における気象観測は、明治26年(1893)に初めて中央気象台によって実施されたが、通年観測が行われるのは、山階宮菊麿王(1873~1908)が自己資金で建設された山階宮筑波山測候所による観測が始まる明治35年(1902)まで待たなければならなかった。

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明治42年(1909)に山階宮家より国に寄贈、中央気象台の施設となり昭和に入って間もなく改築され、現在の建物が竣工する。設計は文部省建築課技手の福満繁記によるという。

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筑波山にはこの建物が竣工する3年前の大正14年、現在もあるケーブルカーが開通しているが、男体山頂まではさらに険しい道を登らなければならない。建設工事は資材の運搬だけでも相当困難なものであったと思われる。
写真は登山道の木々の間から見える測候所庁舎。

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一見白い箱のような外観だが、近づくと石張りの門柱やアーチ型の玄関など、戦前建築ならではの造りが見られる。

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門前から望む全景。
筑波山神社の男体山本殿に隣接する。

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中央気象台が気象庁となった後も、筑波山地域気象観測所として平成13年(2001)まで観測が続けられていたが、アメダス(地域気象観測システム)の統廃合により廃止、一旦観測は途切れるが、筑波大学がによって平成18年より「筑波山気象観測ステーション」として観測が再開され、現在に至る。

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玄関前はテラス風に造られている。
玄関上部の半円アーチは現在シャッターで覆われているが、その下には放射状の飾り格子と、霞ヶ浦から望む筑波山と帆引き船をあしらったステンドグラスが嵌め込まれ、今も現存する。

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「筑波大学環境報告書2008年」内の筑波山気象観測ステーションについての記事中に、ステンドグラスの写真がある。(29頁)
http://www.tsukuba.ac.jp/public/pdf/tsukubaER0926.pdf


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玄関前に僅かに残る創建当初の外壁タイル。当初は全面がこのタイルで覆われていたという。
昭和初期の建築では定番の、茶褐色のスクラッチタイル。

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自然石を張りつけた門柱。ロマネスク風装飾も施されている。

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外囲いの塀と飾り金物。

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塀越しにみる玄関。

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筑波山に近い石岡市柿岡の地磁気観測所と共に、今後も残って欲しい近代の気象観測施設である。
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