第489回・旧大阪府工業奨励館附属工業会館

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大阪市西区江之子島の旧大阪府庁跡地に残る、昭和戦前の建築。
昭和13年(1938)に大阪府工業奨励館附属工業会館として建てられた。

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大阪府庁は大正15年に現在の庁舎が竣工したことに伴い、江之子島から移転した。
移転後、旧庁舎は工業奨励館として再利用される。その後付属施設として隣接する形で新築されたのがこの建物である。

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設計は大阪府営繕課。
竣工当時、モダンな外観は古風な明治建築の工業奨励館(旧大阪府庁舎)と対照的な存在であったものと思われる。

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昭和20年の戦災で工業奨励館は焼失するが、工業会館は焼け残り戦後は大阪府立産業技術総合研究所として使用される。

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研究所移転後長らく放置されていたが改修され、現在は大阪府立江之子島文化芸術創造センターとなっている。

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玄関。
きれいに改修されていることもあるが、一見戦前の建物とは思えない。

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昭和初期における大阪のモダニズム建築である、御堂筋の大阪瓦斯ビルや中之島の大阪朝日新聞ビルと同様、コーナーを丸くしているのが特徴。

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軒に貼られた豆タイルなど細部をよく見ると、昔の建物であることがわかる。
窓ガラスに瓦屋根が映っている向かいの建物は、以前取り上げた元大阪府官舎の木村家住宅

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現在、隣接の旧大阪府庁舎跡は、マンション工事が進められている。
周辺環境が大きく変わろうとする中で、旧工業会館は木村家住宅と共に戦前からの佇まいを残している。
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第488回・旧梅小路機関車庫(梅小路蒸気機関車館)

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前回取り上げた、現在は梅小路蒸気機関車館の玄関となっている旧二条駅舎を通り抜けると旧梅小路機関車庫が現れる。大正天皇即位御大典に合わせて改築された旧京都駅舎と同じく、大正3年(1914)に竣工した。

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現存最古の鉄筋コンクリート造機関車庫であり、鉄筋コンクリート構造物としても現存するものでは最古の部類に入る。平成16年には国指定重要文化財となっている。

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旧京都駅舎と梅小路機関車庫を設計したのは、当時鉄道院に在籍していた渡辺節。
これまで取り上げた旧大阪商船神戸支店綿業会館旧乾邸旧日本綿花横浜支店などの設計者である。

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旧京都駅舎は昭和25年に失火で焼失し今は無いが、梅小路機関車庫は重要文化財に指定され、そしてもうすぐ1世紀を迎えようとしている。

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現在の梅小路蒸気機関車館が開館したのは、鉄道事業創始100年目に当たる昭和47年(1972)で、今年で開館40周年を迎えた。

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扇形の壁面は、同じ渡辺設計の旧神戸証券取引所のデザインを踏襲して建てられた神戸朝日ビルを連想させる。

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大正初期の鉄筋コンクリート構造物を間近に見ることができる、数少ない場所である。

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天井には蒸気機関車の煙を排出するための煙突のような装置が設けられている。

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経済性・合理性に優れていると同時に様式建築の名手としても名高い建築家・渡辺節の若い頃の作品である。

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渡辺は京都駅・梅小路機関車庫の工事を終えた後、鉄道院を辞めて大阪に建築事務所を開く。
その後二度の渡米を経て米国流の合理性・経済性を体得し、持ち前の様式建築の優れたデザイン感覚とが結合する。

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その後大正後期から昭和戦前にかけて、渡辺節の建築家としての黄金時代が始まる。
大阪ビルディングなど、綺羅星の如き名建築を続々と生み出して行くことになる。

第487回・旧二条駅舎

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明治37年(1904)に京都鉄道(現JR山陰本線)二条駅の駅舎及び京都鉄道本社屋として建てられた。
平成8年(1996)に役目を終えた後は、京都駅近くの梅小路蒸気機関車館敷地内に移築、同館のエントランス兼展示棟として再利用されている。京都市指定有形文化財。
 
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全景。敷地の制約上、建物の正面幅は少し切り縮められている。
京都鉄道は明治26年に設立され、同40年の国有化まで存在した私鉄で、先日「楽々荘」の回で紹介した亀岡出身の実業家・田中源太郎が設立した会社である。

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旧二条駅舎の外観は、栃木の旧宇都宮駅舎(明治35年建設、昭和20年戦災で焼失)と瓜二つである。
宇都宮駅は、東日本一帯に路線を展開し、京都鉄道と同様日露戦争後に国有化された私鉄である日本鉄道によって設置された。なぜ栃木と京都の別々の私鉄の駅舎で、全く同じ外観の駅舎が出来たかは現在も不明である。

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屋根や玄関ポーチの形状などは、奈良の奈良ホテルを連想させる。

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二階が京都鉄道本社の事務所に充てられていたという。

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玄関ポーチの鬼瓦には、京都鉄道の社章があしらわれている。

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平成8年に役目を終えるまでは現役最古の駅舎として知られていた。
現在、現役最古の駅舎は大阪の浜寺公園駅舎(明治40)である。

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内部。梅小路蒸気機関車館の展示スペースに充てられている。

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外観に比べると洋風の造りである。

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京都御所に近い場所にあったためか、貴賓室が設けられている。写真は貴賓室天井。

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駅舎に付属したプラットホームも一部移築されている。

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プラットホームの柱の補強用金物にも京都鉄道の社章が見られる。

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駅舎としての役割は終えたが、今は日本有数の鉄道博物館の玄関として、日々多くの鉄道ファンを迎え入れている。

第486回・ニコライ堂

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東京・神田駿河台にある通称・ニコライ堂は、日本ハリストス正教会の大聖堂「東京復活大聖堂」として明治24年(1891)に竣工した。設計は旧三菱一号館や旧岩崎久彌邸の設計で知られるJ・コンドル。国指定重要文化財。

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我が国では珍しい、本格的なビザンチン様式の大建築である。

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昭和37年に重要文化財指定を受けており、近代洋風建築の中では極めて早い。

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ロシア人建築家ミハイル・シチュールポフの原案に基づきコンドルが実施設計を行っている。関東大震災で内部と屋根を焼失した後、岡田信一郎の設計で補強を伴う修復工事が実施され、昭和4年(1929)に現在の姿になった。

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震災復旧工事に伴いドームと鐘楼のデザインは改変され、よりビザンチン色の強いものになっている。

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敷地内に建っている付属建物。

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平成に入って間もなく、10年近い歳月をかけた修復工事が行われた。

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内部は拝観料を払って拝観可能である。

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壁体は明治24年創建当初のものがよく残されている。

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入口。

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入口アーチを支える石に施された彫刻。

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入口上部の半円アーチに描かれた基督像。

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かつては駿河台に高く聳え立っていた大聖堂のドームも、今は高層ビルに囲まれている。

第485回・旧田中源太郎邸(楽々荘)

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京都府亀岡市の中心街に残る、明治から大正にかけて京都の政財界で活躍した田中源太郎(1853~1922)の旧邸。
現在は料理旅館「楽々荘」となっている。国登録有形文化財の洋館・日本館と京都府指定名勝の庭園が残る。

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亀岡藩(現在の亀岡市)の有力御用商人の子として生まれた田中源太郎は、幕末から明治にかけて才覚を顕し、京都鉄道(現在のJR山陰本線)を始め多くの企業を興したほか、衆議院及び貴族院議員も務め政治家としても活躍するが、大正11年に自らが引いた山陰本線で亀岡から京都への移動中、列車が保津峡に脱線転落し死去した。

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第二次大戦後、亀岡町議であった中田氏が邸宅を田中家から購入・改装し旅館「楽々荘」として開業、現在に至る。写真は旧邸の一郭を囲う、高い石垣の上に築かれた煉瓦塀。山陰本線敷設工事の際に生じた煉瓦の余材を用いたと言われている。

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田中源太郎は明治31年に、旧山陰街道に面して建つ生家を豪壮な邸宅に造り変えた。
現在、写真の門の左横には邸宅の一角に建つような形で、京都銀行の亀岡支店があるがこれは田中源太郎が設立した亀岡銀行の名残と思われる。(建物は真新しい)

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高塀に穿たれた門をくぐると、松の植え込みの奥には入母屋屋根を持つ玄関棟が出迎える。
その奥には、煉瓦塀と同様に山陰本線の余材を用いたと思われる煉瓦造の洋館が見える。写真の玄関棟及び洋館、日本館が平成9年に国登録有形文化財となっている。

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玄関は式台を備えた武家屋敷を思わせる厳格な構え。明治の新時代に関西有数の財界人となった田中源太郎の意気込みが窺える。田中家は武家ではなく代々商家で、明治以前は商人がこのような構えの家を建てることは、特殊な例を除き幕府に禁じられていた。

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洋館一階応接間。
洋館は庭園側を除き、日本館に取り込まれたような形で建っており、和風の廊下からいきなり洋館へ入るようになっている。内部は倉庫のような正面外観とは一転、重厚華麗な内装と調度類が目を引く。

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応接間の天井。一部折り上げ格天井とする。

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椅子などの家具類も、田中家から引き継がれたと思われる古いものが現役で使われている。

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応接間とは引き戸で仕切られた隣の洋室。応接間に比べると簡素だが暖炉も備えている。
お付きの控えの間だろうか。

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同上、照明台座。
こちらの部屋の天井は簡素な漆喰塗仕上げ。

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洋館はベランダを備えており、どちらの部屋からでも出入りできる。

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ベランダの床タイル。黄色のタイルは軟らかいのか、表面の欠損が目立つ。

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洋館二階へ上がる階段。
階段の欄干も凝ったもの。

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階段室を二階から見下ろす。
細い金属製の欄干があるギャラリーを巡らせる。

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椅子や手あぶり火鉢も洋館と共に使われてきたものだろうか。

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洋館は一・二階共に、洋室2室とベランダで構成されるところは同じ。
一階応接間の上部には一階応接間に劣らない豪勢な造りの洋室がある。

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暖炉。金色の壁布は傷みが目立つが、創建当初からのものかも知れない。

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天井。亀甲型の変形格天井とでも言うべきか。

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ベランダへの出入り口。
仰々しいカーテンがいかにも明治風。

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ベランダへ出ると、一転して軽快な空間が現れる。

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二階ベランダは吹き放しの一階と異なり、硝子戸を入れてサンルーム兼用の造りになっている。
窓越しに日本館の瓦屋根が見える。

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日本館は平屋建で、書院造及び数寄屋風の座敷から構成される。
写真の座敷は書院造で、日本館では最も格式の高い座敷と思われる。

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座敷正面。

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庭園から望む日本館外観。

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庭園から望む洋館外観。
庭園側にはベランダを鍵の手状に巡らせており、赤煉瓦の外壁は見えない。

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洋館の外観は玄関側と庭園側で、全く異なる趣を見せる。

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洋館も庭園側の外観は、細かく割りつけた二階建具や模様入りすりガラスを嵌めた一階欄間など、凝った造りを見せる。

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庭園は近代を代表する庭師として名高い、七代小川治兵衛(1860~1933)の手によるもので、平成22年に京都府の名勝に指定されている。

(参考)楽々荘ホームページ

第484回・荒川家住宅

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茨城県筑西市(旧下館市)にある和洋折衷の商家。明治末期から昭和初期の建築物で構成されている。
平成11年に主屋・店蔵・付属屋・内蔵・石蔵が国登録有形文化財となっている。

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国道50号線沿いに建っている荒川家住宅。現在は酒店であるがかつては醤油の醸造業を営んでいた。

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主屋。昭和8年(1933)の建造で一番新しい建物。和洋折衷の三層楼。

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モルタル仕上げのアールデコ風外観が特徴。

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4連アーチの2階窓。主屋の窓は円形、半月形など様々な形がある。

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左手が和洋折衷の主屋、右手が土蔵造りの店蔵。

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店蔵は明治40年(1907)の竣工。

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黒漆喰仕上げの重厚な外観が特徴的な土蔵造りの商家は、埼玉の川越や千葉の佐原などに多く残る。

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茨城でもここ下館では、荒川家の他にも土蔵造りの商家が多く残っている。

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背面には同じく登録有形文化財の付属屋と蔵二棟がある。

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洋風を加味した主屋が、伝統的な店蔵と一体で並び建つ商家は珍しい。

第483回・右近権左衛門邸

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福井県南条郡南越前町河野にある「北前船主の館・右近家」は、日本海における有数の北前船主であった右近権左衛門家の本宅を、北前船についての歴史資料と共に公開している。建築的に興味深いのは昭和10年(1935)に竣工した洋館で、スイス風とスペイン風を併存させる特異な意匠が特徴である。

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越前海岸に沿った国道沿いに右近家の屋敷が建っている。板張りの蔵3棟を備えた豪壮な門構えである。

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全景。裏山の中腹に、離れとして建てられた洋館が建っている。

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洋館は第十一代右近権左衛門(1889~1966)が昭和8年に、昭和恐慌の煽りを受けて貧苦の中にあった故郷の人々が、仕事にありつけるため起こした工事で建てられた。いわゆる「お助け普請」である。設計は大林組。

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門をくぐると細い露地を隔てて母屋がある。

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母屋は明治34年(1901)に、第十代右近権左衛門(1853~1916)によって改築されたもの。この時点では既に北前船から海上保険業に転身した頃であったが、かつての大船主の館を思わせる豪壮な囲炉裏の間がある。

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明治後期の近代和風建築らしく、囲炉裏のある部屋とは別に書院造の座敷や数寄屋の茶室もある。
裏山に面した小さな庭には、写真のような別棟の茶室もある。

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裏山には洋館建設と同時に造られたと思われる、立体庭園風の裏庭がある。(上記の茶室がある庭からも繋がっている)手摺や照明塔に使われているコンクリート製の擬木は、昭和初期のものと思われる。

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山道を暫く上ると視界が開け、洋館が現れる。
洋館は国登録有形文化財となっている。

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外観は一階をスペイン風、二階をスイスの山小屋風とするが、門前や海岸側からは一階は樹木に隠れ、主に目につくのは二階だが、白木を豪壮に組み上げた二階部分は下の板張の蔵と調和しており、違和感は左程感じない。

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一階は重厚な二階とは対照的に明るい雰囲気。当時右近家は本拠を、大阪を経て阪神間へ移しており、阪神間に建てた邸宅は当時流行のスペイン風洋館であったという。

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一階だけとはいえ、日本海側の風土とは相容れないスペイン風を採り入れたのは、夏場に一族が故郷へ帰省して過ごすために建てた家であったからとも考えられている。

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実際、夏の日本海は穏やかでスペイン風洋館も似合わなくもない。

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裏山に面した洋館の背面。

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洋館の上にはコンクリート造の亭。これも洋館や擬木で飾られた立体庭園と同じく、昭和10年頃に完成したものと思われる。

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洋館玄関の扉。

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内部は二階の一室を除いて、質の高いスペイン風意匠が見られる。
写真は玄関ホール兼階段室。鉄の飾り格子やタイル張りの床などはスペイン風洋館の特徴。

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一階は写真の居間兼食堂、主人夫妻寝室、便所、洗面所、浴室で構成されているが台所が無い。
そのため竣工した最初の年の夏は、下の母屋から食事を運んでいたが大変なので、翌年以降はこの洋館でずっと過ごすわけには行かず、時々の使用に止まっていたようである。

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居間兼食堂の奥にある、主人夫妻寝室。現在はテーブルが置かれているがかつてはベッドがあった。
左手のドアは専用の便所か洗面所と思われる。

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居間兼食堂の一角に天井を低く造った個所がある。

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スペイン風タイルを張りつめたイングルヌックが設けられている。
洋館の中では一番の見どころ。

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洋館内部に使われているスペイン風タイル。
(左)イングルヌック内壁(右)玄関ホール兼階段室の床

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階段室。
設計者の大林組は、社長である大林義雄の邸宅(昭和7)を始め、戦前の質の高いスペイン風邸宅を多く手掛けている。

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旧右近邸の離れは小規模ながら、公開されているスペイン風邸宅の中では最も質の高いものと思われる。

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船主の館らしく帆船をあしらったステンドグラス。
帆船の旗には右近家の旗印があしらわれている。

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二階は次の間付きの日本座敷と、洋式の小部屋がひとつある。
座敷は右近家の子供達の寝室に充てられたほか、来客用の客室にも使われていたという。

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二階バルコニーからの眺め。
河野の集落と越前海岸を一望できる。

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あらゆる場所から、海が見える。

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(参考書籍)藤森照信・増田彰久「歴史遺産 日本の洋館 第一巻・明治編Ⅰ」平成14年講談社刊

第482回・旧北海道庁函館支庁

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函館市街を一望できる場所に建つ明治の洋館。
明治42年(1909)に北海道庁函館支庁の庁舎として建てられた。

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現在この建物がある一帯は元町公園として整備されており、旧函館支庁の建物も公開されている。

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庁舎とともに煉瓦造の書庫も隣接して現存する。
こちらは庁舎よりも約30年古い明治13年(1880)の竣工。

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ギリシャ神殿風の大きなポーチが特徴的。
木造二階建て。

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この建物がある場所はかつて幕府の函館奉行所があった場所で、維新後は北海道庁函館支庁が置かれた。
明治40年の大火で庁舎が焼失したため、再建されたのが現在残る建物である。

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設計は北海道庁技師の家田於菟之助と伝えられている。

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現在、函館市写真歴史館・函館市元町観光案内所として利用されている。

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なお、平成3年に火災で内部を焼損したが3年後に修復工事が完了している。
外観については創建以来のまま残されている。

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背面からみる屋根窓と煙突。

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明治40年の大火で庁舎は焼けたが書庫は焼け残ったため、今も明治初期の煉瓦建築が残されている。

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すぐ裏手、道庁を見下ろす場所には同じく大火で焼失・再建した函館区公会堂がある。
函館でも最も華麗な明治の洋風建築であり、この建物については改めて紹介したい。

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庁舎・書庫共に、北海道の有形文化財に指定されている。

第481回・旧第一高等学校(東京大学教養学部)

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東京都目黒区駒場にある東京大学教養学部のキャンパスには、前身である旧制第一高等学校の建物が今も残されている。そのうち旧本館は、本郷キャンパスの東京大学大講堂(安田講堂)を思わせる時計塔を備えている。

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正門を入って向かって右手に建っているのが駒場博物館。旧一高時代は書庫及び閲覧室であった。

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正門を入った突き当り正面に建っているのが旧本館。現在は教養学部1号館となっている。

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向かって左手、駒場博物館と一対になって建っているのが教養学部900番教室。かつての講堂である。
外観は駒場博物館と酷似している。

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正面玄関のアーチを始め、本郷キャンパスの建物と同一意匠である。

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ワラビのような形の装飾。

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駒場博物館の壁面を飾る円形のテラコッタ飾り。

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設計は本郷キャンパスと同じく、のちに総長も務めた内田祥三が中心になって手掛けている。

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時計塔の部分は安田講堂と極めてよく似ている。

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異なる点は貼られたタイルの色が安田講堂が赤褐色なのに対し、旧一高本館は茶褐色。

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入口の連続アーチは本郷キャンパスでも図書館、附属病院など数多くの建物で見ることができる。

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側面。

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旧本館は駒場キャンパスの中では唯一、国登録有形文化財になっている。

第480回・旧紐育スタンダード石油会社倉庫(敦賀赤レンガ倉庫)

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福井県敦賀市の敦賀港に残る明治の赤煉瓦倉庫。
明治38年(1905)に、米国の紐育スタンダード石油会社の倉庫として建てられた。

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第二次大戦中は海軍が使用、戦後は海産物倉庫として長い間使用される。
現在は敦賀市が取得し、「敦賀赤レンガ倉庫」として整備の上保存している。

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倉庫二棟と周囲の煉瓦塀が、国登録有形文化財となっている。

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敦賀港は江戸時代より北前船の寄港地として繁栄するが、明治に入り鉄道網の整備に伴って北前船が衰退すると、代わってロシア等との国際貿易で発展を続ける。

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また当時、敦賀からはロシアのウラジオストックからシベリア鉄道を経由して、欧州へ行くこともできた。

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側面にはうっすらと右書きで書かれた「紐育スタンダード石油會社」の文字が残る。

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外国人技師の設計のため、日本では当時使われていなかったヤード・ポンド法に基づくフィート単位で設計されているという。

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正面を除いた3方を囲む煉瓦塀も完存し、倉庫本体と同様、塀も登録有形文化財。

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煉瓦はオランダからの輸入品。

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入口上部にある焦げ茶色の焼き過ぎ煉瓦によるアーチがアクセントになっている。

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古びた煉瓦塀にはツタがよく似合う。

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外国企業が建てた煉瓦倉庫は、明治後期から昭和初期にかけて国際色豊かな港町であった敦賀の繁栄を今に伝えている。
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